エピローグ
終着駅までの二時間と四十二分間、わたしは自分という人間の再構築にその全てを充てた。八つ裂きにされた自我を一片ずつ、丁寧につなぎ合わせていく。
途絶えては発光して、と。酷く目に優しくない電灯の明滅をぼんやりと眺めながら、貸切の車内で終点を待ち侘びる鎮魂の幕間。
徐々に取り繕われていく自分という意識が明瞭化してくると、いよいよわたしは右手の感覚に戸惑いを覚え始めた。人を殺めた感覚が残っている。奥歯に挟まった異物のように気づいてしまえば最期、取り除くより他に表層意識から払拭する術はない。
瞬きのように陰陽が移ろう視界に収まる右手は白。だが動かすと、生暖かな池の中に手を入れているような、動かす度にいちいち抵抗を感じる。
その池は純水で満たされたものではない。もっと赤黒く、水質も硬い。わたしはこの感覚を知っていた。浴槽いっぱいまで溜まり揺蕩う、人の中を流々と廻る命の液体。それがこの不快な感覚を与えて来ている正体だ。
妙な感覚に犯されている箇所は右手だけではなかった。修復が完了していくと都度、そこが壊れてしまっていることに気付かされる。
不快感の根源が滴り鮮血の水面を静かに、小気味良く叩き鳴らす音がこだまする耳。錆び付いた鉄を貼り付けているかのように、呼吸をする度、不愉快な臭気を情報として受け取ってしまう鼻。同じように口内を蹂躙する鉄の味。
わたしのカラダは今、全身を以って人間の死を理解しようと働きかけている。揺れる車内に呼応して揺さぶられる頭もそう。わたしが先刻に犯してしまった罪を自覚させようと、逃れさせまいと、必死に叫び続けている。五感、意識、無意識までも働きかけて。
二時間と四十二分が経過した旨を伝えるアナウンスが水音に紛れて聞こえた頃、わたしはようやく自分の再構築を終えた。
殺人を犯してしまった自覚は元よりあった。ここに至って改めて自覚したことは、殺人が罪であるということ。この約三時間を使い果たして理解したものがそれだった。
降り立ったホームでも、わたしはひとりぼっちだった。青白い電灯に群がる虫たちだけが罪人を見据える環視。決して物言わぬ数多の目たち。
居心地の程は決して良くはない。責めを受ける心配こそ無縁だが、それが無性に寂しく思えてしまう。これならいっそ、と。人目が恋しくて仕方が無い。
矛盾した思考であることは承知している。今やわたしは尋ね人に他ならない。罪が発覚してしまえば追われる身になってしまう。いや、もうそうなってしまっているのかもしれない。
けれど、心のどこかでは他人の介入を望んでいる。徹底的にわたしを否定する言葉の責を浴びようとも、それを欲している自分がいる。
自首をすれば良い、と。とっくに答えは出ていたが、どうにもわたしの足は駅前の交番へ向かう気にはなってくれない。何故だか頭は、頑なにそれを拒もうとしている。
戸惑いを覚える思考回路に嫌気が差してきた時、懐中電灯の煌々とした灯りがわたしを照らして来た。
「お客さん?」
ようやく叶ったわたしの望みだった。
「わたし……人を殺しました」
青白かった視界はまるで、わたしの自白を待っていたかのように真っ赤に、赤一色に染まった。