3.逃げない、走らない、壊さない
「わあ……!」
所狭しと建物が建ち並ぶ間に通る路地の先に差し込む光の元へ、足早に歩を進める。そこにある光景を見た瞬間、ヘレナディアは思わず感嘆していた。
「すごいすごいよ! おっきい、広いっ」
少し高い場所に位置するこの場所から見渡す景色に、ただ感動しかなかった。
陽の光に煌めく装飾。犇めく建物にもかかわらず明るい街。高台からでも分かる数多の人たち。
どれを見ても目新しくて、一日眺めていても飽きないと思った。
迷惑料だと言って裏口から入れてもらったヘレナディアは、お陰で予定よりずっと早く入国できていた。
まっすぐ行って階段を下りれば大通りに出られると教えてくれたのだが、門をくぐったあと二人と別れて、誰も見ていないのをいいことに好奇心が赴くままに言われる道とは違う方へ歩いた。
立ち入っては行けない場所ならばすぐに引き返そうと思っていたけれど、そこから陽の光の差す方へ進んでみれば、街全体を見渡すことが出来る場所へと行き着いた。
沢山の行き交う人、犇めく建物の数。路地が見えなくなる先まで立ち並ぶ布張りの屋根の下では、祭りのための縁日の用意だろう、商人たちが慌ただしくしている姿が見える。
水秦祭の根源とも言える古の泉を湛えるとされている、魔法導の都ロンディーヌ。その街は、一際大きな建物を中心に円状に広がっていた。
四つの時計塔に囲まれるように存在する真ん中のそれが、お城だろうか。
「すごい。昼なのに街が光って見える…」
これも魔法の力かと思いかけたけれど、よく見ると街全体を通して金や黄色といった装飾が多く施されている。これが日の光を受けて輝いて見えているのだ。
全ての建物の壁は白色で統一されていて、屋根はほとんどが黄色い色をしている。遠くに見えるのは新緑の草原で、外壁のすぐそばには先ほど見た水路と思しき水面が見える。
鮮やかだけど華美には見えない。色彩豊かなその眺めは、見ているだけで心が躍った。
初めて見る世界に目に映るどれもこれもが新鮮で、町中を走り回りたい気分だった。つい本来の目的を忘れて心ゆくまで堪能したいと思うほどに。
「…これ、モルタルだ。でも白い…」
景色を見ながら無意識に壁に付いていた手の感触に、ふと違和感を感じて目をやるとそこには慣れ親しんだものがあった。
けれど、そのあまりの違いに少し驚いた。
自分の知っているものと同じ素材なのに、こんなにも見た目が違うことが不思議だったのだ。
日の光だけで街全体が明るく見えるその色使いに、灰色ばかりの壁で薄暗い自国もこれなら少しは明るく見えるかもしれないと思った。
一体どうやっているんだろうと興味をそそられて壁に張り付いていると、ぎゅむっと柔らかい何かで頬を押される。
「ぐ…っ」
『おいあそこに肉が見える! おれはやくなんか食いたいぞ!』
はやくはやくっ、とぎゅむぎゅむ頬を押されて、我に返る。
そうだ。こんな所で一緒になってはしゃいでいる場合じゃない。
動物と同じものを同じレベルで見ていることに、少しだけ切なさを感じたヘレナディアはこほん、と一つ咳払いをして気分を切り替えた。
「……とりあえず、下りてみよう。宿も見つけないといけないし」
『そのまえに肉だ! ごはんだっ』
「わかってるってばっ。……生ではくれないわよ。きっと」
『だいじょうぶだ。やいてるのもすきだぞ』
「…そう、それはなにより」
“も”ということは、やっぱり通常では生のまま食すのか…と差して驚くことでもない事実に納得しながら、側にあった階段を下りた。
*****
「えーと…宿は…」
きょろきょろと辺りを見渡しながら、目的のものを探す。
だがしかし。
上から見ていた景色と実際に下りてその景色の一つとなったとき、それは同じであれど、大きく違った。
絶えない人の往来に流されそうになりながらも目的のものを探すが、上から見ていたときは見やすかった建物なども実際に目の前にしてみると犇めきすぎてちょっと雑多な感じでわかりづらい。
おまけに大通り以外の道はあまり広いとは言えず、一本道をずれると結構入り組んでいて自分がどこを歩いているのかすら分からなくなる。
こんなことなら、さっき宿の場所を聞いておけばよかったと後悔し始めたとき、一つの大きな建物を見つけた。
こんな時は、人に聞くしかないと思ってお店らしきその建物の戸を開こうと取っ手に手をかける。
「取り敢えずここで――――っつ!」
聞こう、と独り言にも聞こえる提案をイニルにして扉を開こうとした瞬間、どんっとかなりの勢いで左半身に何かがぶつかってきた。
反射的に振り返ると、ぶつかってきたのは建物側の細い路地から出てきた男だった。
その人は果てしなく急いでいるのか、こちらには見向きもせず走り去ってしまった。
「…なんなのよ、いったい―――」
『あーーーーーーっっ!!』
「!? なに、なんなのっ……」
『お、おれのにく…。おれの肉がぁあ…』
奇声の方へ目を向けると、イニルが嬉々として頬張っていた肉が地面と頬摺りしていた。ぶつかった拍子に取り落とし尚且つその男に踏みつけられたのだろう、無残な残骸となったかつての肉を前に座り込み、号泣している。
「………あんた、獣なのに落ちた肉食べれないわけ…?」
『…っうぅ……まだちょっとしか食べてなかったのに…なあ、もういっこかってよー』
名残惜しそうにしていたが最早だめだと思ったのか、早々に見切りを付けてねだるように臑の辺りをかりかりと前足で掻いてくるイニルは、ヘレナディアの言葉など聞いていなかった。生でも食せる癖に一体何を言っているのかと思ったが、本当に切なそうな顔がかわいそうで可愛くて、なんとも言えないその悲哀に言葉が出なかった。
本当に見た目だけは、最初の印象を裏切らない。
『なあなあー。かってよー』
「しつこいなぁ…、もう…しゃべっちゃだめだっていったでしょうが―――…っう゛!」
平然と動物――と思しきもの――と会話をしていると変な目で見られるんじゃないかとさりげなく辺りを見回すと、誰も何も気にしていなかった。
そのことを不思議に思いながらもほっと胸をなで下ろして再度注意していると、またしても、というか今度は思い切り堂々と何かが背中にぶつかってきた。
思わず転けそうになるほどの勢いだったけれど、なんとか踏みとどまる。しかし、さっきといい今といい、不幸続きの展開につい苛立ちのままにぶつかってきた何かをキッと睨みつけてしまった。
「…っ、なんなのさっきから! ちゃんと前見て――」
「泥棒!!」
「…あ?」
「あの男よ! あの走ってる…、お願い、捕まえて! 大事なもの盗られたの、あれがないと私…っ」
「え? …や、あの、ちょっと落ち着いて…」
転けるように膝をついたまま必死にすがりついてくる女性に、疑問するしか出来なかった。睨みつけていたはずの目は、想像と180度違う反応が返ってきたことに困却に染まっていく。
あの男だと指さした方向を反射的に見やると、先ほど自分にぶつかってきた男が人混みに揉まれながらも走ろうとしている姿が見えた。あまりの人の多さにうまく進めないようで、本人の急ぎ具合と足の速度が噛み合っていないようだが。
人の波に逆らうようにしているその姿は、それだけでとても目を引いた。あいつ、という不確定な人称でも、彼女が言っているのはその男だと瞬時に理解できるほどに。
「ねえ、おねがいっ!!」
「そうは言われても…――」
『あいつだな! まかせろ!』
「え…」
『おれの肉!』
かえせ! と吠えたかと思えば、イニルはヘレナディアが止める前に人混みに向かって走り出した。
「ちょ、待ちなさい!」
(返せじゃないよ!)
一目散に走り去る男に向かって行くイニルには、制止の声など耳に入っていないのだろう。その姿は、あっという間に人の波に消えていった。
「と、とにかく、ここで待ってて。すぐ戻るから!」
逃がすまいとしてか未だに縋ってきている女性の手を引きはがしながら声をかけて、ヘレナディアは急いでイニルの向かった方向へ走り出す。
―――このとき自分は、彼女の顔をきちんと見ていなかった。もちろん、自分の言葉に対する返事も聞いていない。
おそらく、彼女にとっては誰でもよかったのだ。ただ目に付いただけという理由で、自分を選んだだけなのだ。
*****
「…っどこ行ったの…。つーか、足早すぎでしょ」
そんなところばかり獣姿に忠実なイニルを追いかけて行くも、出だしから既に後れをとっていたためあっと言う間もなく見失った。
イニルは鼻が利くから、おそらく男が踏んだ肉の匂いでも追いかけているのだろう。そうなると、自分が変に走り回るより彼に任せた方が得策かもしれない。
だが、一つだけ気がかりがあった。
もしまた、なんの前触れもなくいきなりあの大きい姿になったりしたら。
絶対に大騒ぎになる。もし、そんなことになったらきっと…。
(…きっと、――…ああなって、……こうなる)
あれよあれよと面倒が起きた後の映像が頭に浮かんだヘレナディアは、青い顔で心の悲鳴を上げた。
まだなんにも問題解決していないのに、いきなり御用になるのは御免だった。
なぜか想像の行き着く先が迷わず捕縛だったことについては、後ろめたいものをいろいろ感じているからだが、それを突っ込む相手は残念ながら存在しなかった。
それに、もしそんなことになったとしたら御用どころか、イニルは害を成す獣として殺されてしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けたかった。
「……っ」
走ったから、というよりは人に揉まれて息が切れてきはじめた頃、ヘレナディアは人の少ない脇道へと足を進めた。
このままじゃ埒があかない。
さっき通ったときに気付いたけれど、裏路地は軒並みほとんどが繋がっているようだった。きっと、街の構造上行き止まりの道というのはほぼ無いだろう。
確証はないが、その推測を信じてヘレナディアは大通りをひとつ外れて街を下ることにした。
あんなに急いでいたんだ。きっとこのまま、街から出るつもりに違いない。
だったらきっと、このまま街を下れば見つけられるはず。
そう思っていくつか右へ左へ曲がるものの、方向だけ間違えないように時折空を見ながら歩を進める。
あの男が一体どれほどのことをしたのかなど知らないが、取り敢えずイニルを捕まえないと…。他のことはその後考えよう。
「…あ」
このまままっすぐ行けば、正門付近の大通りに出られるはずだと角を曲がったとき、反射的に足が止まった。
今いる道が、大通りに続いていないことに気がついたからだ。
確かにこのまままっすぐ行けば、正門付近だ。それは間違いない。だが、そこへ続く道はなく、通りたいそこには大きな壁があった。
実際にはそれは壁ではなく建物だったのだが、そこを通れないヘレナディアにとってみればどっちでも同じことだった。
「………?」
安易な考えに歩を進めて、失敗したと天を仰いでいたヘレナディアの耳に、小さな声が聞こえた。
もしかしたら近くに誰かいるのかもしれない。裏とは言え、建物の犇めき合う路地であることに変わりない。人がいてもおかしくはないが…。
少し迷ってから、目の前の建物の屋上へ続いているらしい階段が近くにあったので上ってみることにした。
なんとなくだが、こっちから聞こえた気がしたからだ。
たとえ何もなくても、少し高いところからなら何か見えるかもしれない。そう思って、走ったが故上がる息を整えようと深呼吸をしながら、少しゆっくり歩を進める。
「――…チッ、な……だよ、テメーは…っ」
「――――…!」
声の方向を正確に認識したヘレナディアは、緩めていた歩を再び早めた。
階段を駆け上がると、視界の端に人影らしき物が映った。誰かいるのは確かだから、道を聞こうと期待と共に一歩踏み出した彼女は、次の瞬間ピシ…というなにか嫌な音が聞こえた気がしてぴたりと足を止める。
「………?」
だが、足下を見るもその場所は平らに埋められていて、そんな軋むような音がする場所ではなかった。
疑問に首を傾げながら、確認するように踏み込んだ足に強弱を付けて踏みしめてみても、最初に聞いたような音は聞こえてこなかった。
聞き間違いだろうか。ならそれで問題は無いけれど。
…なんだろう、嫌な予感が消えないのだが。
『もうにげらんねぇぞ! かくごしろっ』
今すぐこの場から逃げたい気分に駆られていたヘレナディアがはっと我に返ったのは、よく聞き知った声が耳に届いたからだった。
「イニル…――」
図らずも目的の人物がそこにいることが分かって、声をかけようとヘレナディアは名前を呼んだ。
だが同時に聞こえた男の罵声に、口から出たはずの言葉は見事にかき消されてしまう。
「なんだよ、さっきから…しつけーんだよ!」
『おれの肉かえせっ』
「はあ? なにいってんだテメー。知るかンなもん!」
肉なら肉屋に行けと尤もな言い分で詰め寄るイニルに罵声を浴びせる男を見て、ヘレナディアは声をかけそびれたのもそのまま、驚き唖然としていた。
なぜそんな、当たり前に会話をしているのか。
その事実に打ち拉がれているヘレナディアは、今はそんなことを驚いている場合ではないということすら頭からすっぽり抜け落ちていた。
(…え? なに、どういうこと? なにそんなフツーに会話してんだ。そういえばさっきも……え、それともそれってそんな驚くことじゃなかったの…? え? 外の世界では当たり前??)
仕舞いには自分の常識を疑い始めたヘレナディアの頭の中は、完全に混乱していた。こうなったら、動物は人語を喋るのは当たり前だという方が常識に思えてくるから人の脳とは不思議なものだ。
…いやいや、そんなわけない。いくらあの国が閉鎖的で外の世界に疎いからといって、そんなことあるわけ無い。
そこまで考えて、はっと思いつく。
もしやあの男には、イニルが人間に見えているのか。
そう思い至ると今度は自分の、イニルが動物に見えている目を信じられなくなり始めたヘレナディアは、頭を振って無理矢理思考を捨てた。
今はそんな阿呆なこと考えてる場合じゃない。
『…っいいどきょうだ! かくごしろっ!!』
怒りと興奮で我を忘れているのか、公共の場であるという認識は今の彼にはないらしい。その声に我に返ったヘレナディアは、慌てて視線を声の主であるイニルに向ける。
すると彼は、毛を逆立てて今にも襲いかからんばかりにグルルと喉を鳴らしながら目の前の男を威嚇していた。
逆立てた毛の先がぴりぴりとざわめいているのが、少し離れたこの場所からも容易に確認できてぎくりとする。あれには見覚えがあったからだ。
このままじゃまずいと思ったヘレナディアは、彼を止めようと駆けだした。
『グ…、グルァアアァァアァ』
「―――…! 待て!!」
だが制止の声は、虚しくもイニルの咆哮により響きすらしなかった。
どしんという音と共に床が揺れたときには、既にその巨体は目の前に鎮座していた。
「…な……っ」
「戻れイニル! 落ち着けって…――」
けれど途中で止めるわけにもいかず、必死になって走ったヘレナディアの足が最後の一歩を踏んだとき、バキンッと不思議な音がした。
「え」
『きゅ…?』
その音に、なに? といわんばかりに首を傾げるイニルと、大きな音と寸分違わない差で崩壊の兆しを見せる足下にさっと青ざめるヘレナディア。そんな二人を前に、男は至って冷静だった。
「!? チッ…覚えてやがれ…っ」
「は? ちょっと、待ちなさ………っわ、わ、うそうそ…っ」
パキパキとヒビ音を立てながら止まることなくその範囲を広げていく足下は、少しでも動けば音を立てて崩れ始めそうなのに、男はいち早く安全な場所へ避難しようと力一杯その床を蹴った。もちろん、負け犬よろしい捨て台詞を吐きながら。
こうなったら男に罪があろうがなかろうが関係なかった。次の瞬間から更に深く入り始めたヒビは、その男が床を蹴った所為に違いない。少なくともきっかけになっただろうそれに、酷い恨みを込めて男を睨みつける。
しかし既に男は視界には存在しなかった。あっという間にどこかへ行ってしまったようで、残された二人は瓦礫と一緒に崩れ落ちないように必死に足掻くしかなかった。
だって落ちたら絶対痛い。
ていうか、下に人がいたら痛いとかいう問題じゃない。
だが。
「…っきゃぁあぁああぁぁ」
『…きゅーん』
どんなに頑張ってもそれは不可能だった。
おそらくそれは時間にすれば一瞬のことだったんだろうけれど、ヘレナディアには数分の出来事に思えていた。
広く深くヒビが入っていった床は、バコンっという分厚い何かが抜けるような音と共に一瞬で全てが外れ、分散した。
せめてイニルだけはと手を伸ばして掴んだ尻尾は、細く小さかった。それだけで、ミニサイズに戻ったんだと分かったヘレナディアはそのままイニルをぎゅっと胸に抱き込む。
厄日以外の何物でも無いと思いながらぎゅっと目を瞑った後、ヘレナディアの意識はそのままどこかへ飛んでいってしまった。
まったく、今日は本当についてない。
*****
カランカラン…と最後の一欠片が落ちきった後、静寂が訪れる。
そこに居合わせた四人は、今し方起こった事態にしばし言葉を失っていた。
「わあ…空から女の子と猫が降ってきたよー」
暢気な声で一番に静寂を破ったのは、ほにゃっと笑顔で発言した男だった。
男はこの店の店主で、抜けた天井と目を回して瓦礫に埋もれるヘレナディアとイニルを見ながら腕に抱く黒猫の頭を撫でた。
店の天井がぶち壊れて、その衝撃で人一人落下してきたとは思えないほどののほほんと微笑んでいるが、そこに疑問を抱く人はこの場所にはいなかった。
「あーあ、だから早いとこ直せっていったのに。どーすんだよ、これ」
落ちた天井の下には実際に人が数人存在していたが、全員無傷だった。外の騒音が差して聞こえなかった閉鎖空間では、天井のひび割れる音がよりはっきり聞こえていたからだ。この場の人間にとっては、それだけで安全を確保する時間には十分だった。
四角い空間の角から三分の二ほど抜けてしまって空が見える天井を見上げながら、赤い髪の男はなんということはないように呆れていた。
「うーん、まさか抜けるとは思ってなかったんだよー。…変だなぁ、女の人が乗っかった程度じゃまだ壊れたりしないと思ってたんだけど」
「実際壊れてるじゃねぇかよ。つーか他にも誰かいたんじゃねーの?」
「そっか。そういえば、なんか騒がしかったね?」
「おせーよ気付くの。若しくは、この嬢ちゃんが見た目に反して半端なく重たいとか」
「えー。そんなわけないじゃん。こんなにかわいいのに」
未だ瓦礫に埋もれて目を回すヘレナディアを見ながら、二人は好き勝手評価を始めだした。
そこにいたもう二人の人間。一人は、それに呆れながらため息を付き、椅子に座ったまま読んでいた本を開いている。もう一人は、落ちてきた人物に軽く驚いた仕草をした。驚きに目を見開きながら、少し迷った後座っていた腰を上げる。
四人の背格好は友人と一言で表すのは難しいほど協調性の無いものだったけれど、一様にその反応は斜めの方向にずれていた。
「かわいいのと重たいは答えが別もんだろーが」
「だからって意識のない女の子をにやにや観察して過重だなんて、失礼だよっ」
「過重って…お前の方が失礼だろ」
「……どうでもいいけど、はやく助けてあげたら……?」
「おお、そうだね。なっちゃんはケガとかしてないかい?」
「…私は平気。それより、その人頭とか打ってないの? 大丈夫?」
「いやー…、打ってると思うよ」
「だろうな。だが…」
人が瓦礫に埋もれているにも関わらず暢気に観察していた二人は、呆れ顔で椅子に座って本を読んでいた少女に指摘されてやっと観察するのを止めた。
一番近くにいた赤髪の男が適当に瓦礫を退かしながら、ヘレナディアの頭を抱え起こしてその身体を見聞し始める。
ふむ、となにやら納得しながら戯けるように片眉をひょいと持ち上げてみせた。
「見た目の割に、意外と頑丈みたいだな。目立った外傷もねぇし、大丈夫だろ。…頭も、たぶん問題ないと思うぜ。まあ起きてみないと分からねぇけど」
よいしょ、と引き起こした身体を抱きかかえて立ち上がった男に、店の主は声をかけた。
「じゃあ、取り敢えず宿の方に運んでくれる? 一番奥の部屋開いてるから、そこに寝かせてあげて。で、なっちゃん。悪いんだけど一応診てあげてくれるかな」
「…うん。わかった」
「よろしくね。…っと、あれ、ゲオルド。もう帰るのかい?」
なっちゃんと呼んだ少女の頭を撫でながら、にこりと微笑んだ店の主は、腰を上げた後壁に凭れて成り行きを見守っていた男がその背を浮かせたことに気がついて声をかけた。
「………ああ」
その視線がじっと運ばれていく彼女に向けられていることに気付いた店主は、ゲオルドと呼ばれた男と落ちてきた彼女を交互に見やる。
「………知り合い?」
しばらくの沈黙の後彼は、彼女が宿へと続く扉へ消えた後も眉間に皺を寄せたまま気まずそうな顔をしている男に、そう問いかけていた。
この男とのつきあいはまだ浅いけれど、それでも彼がどういう性格なのか分かる程度は付き合いがあるつもりだった。
そんな中その反応は初めて見る物で、そして少し意外だったのだ。
「…まあな」
「ふーん。あ、じゃあさっきの件お願いね。これ依頼書」
「おー。んじゃ、暫く顔出さねぇから。よろしくな」
依頼書だと出した書類を受け取ると、ゲオルドはさっさと店を後にした。
たいして大きくない店の扉の番は、天井の崩落により歪んでしまっていてきちんと閉まらなかった。店の主はひらひらと扉の向こうの人物に手を振りながら、近所に被害が少ないといいなぁとぽやんと考えていた。
「……あの女性、珍しいけどきれいな髪だったね。…どこの誰なんだろ」
陽の光に透けるようにきらきらしていた緑色を脳裏に浮かべて、ふ、と目を伏せて探査するように微笑んだ。その顔は、先ほどまでの朗らかなものとは180度違っていたけれど、決して悪意的なものではなくただ単純に好奇心から来るものだった。