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勇が剣  作者: 亜新ゆらら
Rain2.出会いとは、いかに。
8/23

2.あいのこくはく


 

 

 

 

『それは、おまえにほれたからだ!』


「はあ?」


 そこまで言うなら、さぞ譲れない理由なのだろうと思ったが、イニルが出した答えを聞いた瞬間、何馬鹿なことをいっているんだという感情が顔にも滲んでしまった。


 というか、意味不明すぎる。


『おれはあのときかくしんしたんだ』


「はあ」


 なにを。


 一体何を確信なさったのかは知らないが、イニルはぐっと拳――というか、肉球――を握って何かに思いを馳せるようにその瞳を煌めかせた。


 というか、二本足で立てるのか。


『あのみくだすときのつめたい目、なぐるときのようしゃなさ…。じぶんのことしかかんがえていないりくつとちょっとのことは気にしないおおざっぱさ。それを見て、おれはきめたんだ』


「………」


 その瞬間瞬間を思い出しているのかキラキラと憧れに輝く目で呟く言葉は、どれもこれも自分を貶しているとしか思えなかった。


 人を極悪非道のように言うイニルのあまりにも明け透けすぎる言葉に、出る文句も出てこなかったと言った方が正しいかもしれない。


 確かに自分に無害であれば多少のことは気にしない性格だと自覚しているし、あの時殴ったのも結構本気だったのは認めよう。


 事実無縁だなど言わないが、それはちょっと言い過ぎなのでは。


 まさかここまで散々に言われるとは思っていなかったヘレナディアは、ちょっとどうしていいか分からずに白けたように遠くに視線を投げた。


 だが本人は至って真剣なようで、興奮しているのか頬を赤く染めながらもその言葉は止まらない。


 ヘレナディアの白んだ顔色など諸共せず、我が道を行くかのように力説した後なぜか僅かに逡巡するそぶりを見せた。


『…おれはつよくなりたい。だれにももんく言われないつよさがほしい。おまえについていけば、それが見つかるっておもったんだ』


 そう静かに、ぽつりと呟くイニルの顔色は複雑な色をしていた。


 すこし不安げで情けないようなその声音を聞いた瞬間、ヘレナディアは思わず驚きに目を見開いてしまった。


 浮かしていた前足を地に付けてじっと地面を見つめるその顔が、その言葉が、思いの外真剣だったから。


 次の瞬間にはキッと眉をつり上げて、だからにがさないぞ! と息んだ顔で見上げてきたけれど、気付いてしまった。


 きっとそれは、今まで阻害され続けた彼が見つけた一つの希望だったんだと。


 周りと違うことを責められ続けられても仲間に沿えなくても、彼は群れから離れることをしなかった。もしかしたらそこには、いつか認めてくれるかもしれないという期待もあったのかもしれない。


 けれど、侮蔑の視線で追い立てられる悲しさとそれに抗えない悔しさが鬩ぎ合って、きっと自分だけではどうにも出来なかったのだ。


 それこそ、会ったばかりの人間に縋るほどに。


「……わかったよ、好きにしな」


 ふうとため息を付いて、ヘレナディアは譲らないと息んでいるイニルに好きにしろと言った。


 彼の言いたいことが、なんとなくだけど分かる気がしたのだ。


 自分も似たようなことを思った記憶があるから。


 その迷走の結果が、自分は剣術だったり、魔物退治だと称して外へ出歩くという明後日の方向に向いてしまっているわけだけれども。


 力を得ることが強さの全てだとは思っていないが、力が無いと出来ないことがあるのだって事実だ。彼は人間の世界で生きているわけではないのだし、知恵や知識より力の有無を求めるのは仕方の無いことだろう。


 自分に対する評価具合は納得できないが、どんな言い分であれ慕われて悪い気はしないものだ。特に文句があったわけではないのだし、彼を拒否する理由がヘレナディアには存在しなかった。


『! ほんとか!?』


「ええ。別に文句があったわけじゃないし。…取り敢えずはお祭りが終わるまではあの国にいるつもりだけど、それが終わったら私は自分の国に帰るわ。それでもいいなら好きにしな。あ、けど、街に入るんならちゃんと大人しくしといてよ」


『うんわかった!』


「…間違っても巨大化とかしないでよね…?」


『わ、わかった気をつけるっ』


 念を押すように重ねて注意すると、なんとも心許ない返事が返ってきた。


 …本当に分かってるのだろうか。


 自信のなさそうなイニルに不安は拭えなかったけれど、考え込んでもどうしようもないと思って早々に考えるのをやめたヘレナディアは、ロンディーヌに来た目的を簡単に説明する。


 始めに見た時と同じ猫サイズに縮んだイニルを肩に乗せて林を抜けたヘレナディアは、そうだと思いだしたように僅かに視線を下げてイニルを見た。


「名前、言ってなかった。私はヘレナディアよ。レナでいいわ」


 改めてよろしくね、と少し声を落としてイニルに微笑みかける。


 少し迷ったけれど、一緒にいると決めたなら誤魔化すのを止めて、きちんと本名を名乗ることを決めた。


 それは別に妥協をしたとかではなくて、ヘレナディア自身イニルのことを気に入ったからだ。


 なんでもずげずげものを言う彼に唯々感心したし、変な話そんな風に自分に接してくれることが新鮮でちょっとだけ嬉しかった。なにも知らないからこそ、自分のそのままを見て言葉をくれることが単純に爽快だったのだ。


 相手を窺い見る人間と違って本能が一番に来る動物だからこそなのかもしれないが、その歯に衣着せぬ物言いは清々しいとさえ思う。


 必要以上に保守的になるのは悪い癖だとさっき反省したばかりだし、深く考えすぎるのはやめることにした。


 同時に、素直に自分を見せてくれるイニルにヘレナディアも偽ったことを言いたくなかった。


 彼の素性がどうとか気にすることも止めて、彼のその気持ちを信じることに決めた。


 信じることから得られることだってきっとある。信じて欲しいなら、まずは自分が相手を信じることだ。


 いつだったかそう教えてくれた人がいた。あれは誰だったっけと、ふと思い出しながら足を進めているとそう歩かないうちに街道へ出た。


 街道に差し掛かって、少しずつ人の声も聞こえるようになったことからイニルからの返事はなかったけれど、猫のようになーんとひと鳴きして見せた。


 どうやら、きちんと猫のフリをしていてくれるつもりらしい。


 街道に沿って長い列を作っている集団の一番後ろに並びながら、ちらりと街の入り口へと繋がる橋の麓を見ると二人の衛兵によって入国確認が絶え間なく行われていた。


「あら、珍しい」


 暫くかかるなぁと諦めて大人しく順番を待っていると、一人の女性の声が聞こえてきた。


 なんとなく自分に向けられているような気がして、辺りを見やると一つの馬車に乗っていた女性がにこりと品のいい笑みと共に挨拶をしてくれた。


「こんにちは」


「こ、こんにちは」


「旅の方ですか?」


「…ええまあ、そんなところです」


 かわいい猫ちゃん、と扇子で口元を覆い嫌みなく笑みするその姿は、おそらく誰が見ても貴婦人だ。綺麗なドレスに上品な髪飾りがいかにも貴族の奥様といった風体で、それだけで意味もなく緊張してしまう。


 当たり障りのない返事をしながら苦笑っていると、イニルは満更でもなさそうになーん、とひと鳴きしてみせた。


 どことなく嬉しそうなその声音が、自分に返事をしたときとなんとなくテンションが違う気がする。現金な奴めと胡乱な眼を向けるも、その視線に気付いているのかいないのか、彼は素知らぬ顔で毛繕いをしていた。


「一人で水秦祭を見に来たの? 珍しいのね。…それとも、その子猫ちゃんがお相手なのかしら?」


「…え?」


 絶えない笑顔で言われた言葉の意味を一瞬理解できなくて、疑問符と共に表情が停止したヘレナディアは一拍遅れて首を傾げる。


 どういう意味だろうと少し考えて、はっと気がつく。


「い、いや! わわ私はそれが目的では…っ、違います!!」


 彼女の言葉の意味を理解した途端に、弾かれたように顔を上げて反論する。


 一体、何故あの時あんなに動揺したのかは今でも分からない。


 動揺か羞恥か、かっと顔が熱くなったのはその明らかなる冗談に惨めさを感じたからだろうか。


 浪漫溢れるジンクスの方が有名ならしい水秦祭という祭りに、たった一人で来国しておいて惨めも何もないのだろうが、あの瞬間は何故か動揺を隠せなかったのだ。


 彼女があまりにも上品で綺麗だったのに、そんな冗談を言ったから。


 栗色の長い髪に若干目尻が下がった優しそうな瞳。華美な服を嫌みなく上品に着こなしている様も相まって、あまりにも過激に反応を示した自分が恥ずかしかった。


「……いいわ」


「…?」


 違います! と力一杯否定の言葉を口にした後そんな阿呆な自分に羞恥して落ち込んでいると、ぼそりと小さな声が聞こえた。


 落ち込みから回復できないまま聞き取れなかった声を疑問に視線を上げると、思わぬ俊敏さで馬車から跳び降りた彼女が結構な勢いでこちらに向かって歩を進めてくる。自身の胸の前で両手を握り、こちらに向けるらんらんと光る瞳が彼女の喜びを表していた。


「かわいいわ!」


「ひ…っ!?」


 そのままの勢いでがしりと抱きつかれて、全く予想の出来ない展開に思わず喉の奥に悲鳴が引っかかった。


「いいわあなた、気に入ったっ」


「え…え??」


「あなた、超ストライクよっ。今時こんな反応くれる子そうはいないわ、うん。」


「は、あ…?」


 一人納得して頷く彼女に肩を握られたまま、どう反応していいか分からないヘレナディアは曖昧な返事をした。


 一体どの言葉が彼女の琴線に触れたのか不明だが、にこにこと笑みを絶やさない彼女を邪険にも出来ずにただされるがままになる。


「それに、よく見ると可愛いだけじゃなくて美人さんなのね。ドレスとかとっても似合うと思うわよ。着てみない?」


 ああ、でも私のじゃサイズが…、と一人思案気に宙を見る様を目にしたヘレナディアはこの時、なんとも言えない既視感に囚われていた。


 並んでみると自分よりも頭一つ分ほど背が高い彼女は思案気に視線を宙へ投げると、思考に持って行かれたのか肩を握る力が少し弱まった。


 なんだろう。なんか前にも似たようなことを誰かに言われた気がするのだが。


「そうだわ、よかったら一緒にお祭りを楽しまない? ここ、私の故郷なの。お祭りまで少し時間もあるし、いろいろ見て回りましょう? 面白いところ沢山あるのよ」


「へ…い、いえ私は……」


 いつ誰に言われたんだったかなぁ…と考えていると、近寄ってきたとき以上の勢いで瞳を輝かせながら言い詰める彼女に、肩を握られたまま思わず上体を反らして間合いを取った。


 なんだか勢いがすごくてちょっと気後れてしまったヘレナディアは、断りの言葉すら禄に述べられなかった。


 上品に扇子を持っていた先ほどまでの彼女は何処(いずこ)へ。その辺にいる普通の少女のように心躍る様を隠しもしない目の前の女性は、先ほどの上品な姿は馬車の中へ置いてきたらしい。


 どうやら繕っていただけらしいあの上品さが窮屈だったのか、今の彼女はまるで水を得た魚のようである。


 どちらにしろ、いきなりな展開について行けないヘレナディアは唖然とするしかなかった。


「当然宿泊は考えているんでしょう? どうせ泊まるなら私の家にいらっしゃいな。もちろん、宿泊費なんか取らないわ」


 話について行けないヘレナディアがどうしようと焦りはじめたころ、それでも笑みを絶やさない彼女のその言葉に一瞬思考が停止する。


 あまりの展開の早さに内容は今でもよく分かっていないが、ここで流されてはいけないことだけは本能的に理解した。


 さっきの清香漂う様とは打って変わって溌剌とした彼女ではあるが、その装いと捨て切れていない上品さを見て、もしかしなくても結構上等な貴族なのかもしれないと思った。


 自分の素性など露と知らないのだろうが、それでも、いやだからこそその言葉に甘えてはいけない気がした。


「…えっと、折角ですけどお気持ちだけ頂いておきます」


「…え、でも…」


「な、中に知り合いがいますし…」


 咄嗟に伯父のことを思い出して引き合いに出したけれど、旅人だと言った先ほどの自分の発言と合わせると、なんともミスマッチな気がする。


 しかし今更取り消せないので、この際素知らぬ顔で押し通すことに決めた。


 すると特に疑問に思われることもなく、女性は残念そうにその柳眉を下げただけだった。


「あらそう? じゃあ仕方ないか…あ、でも気が変わったら遠慮無く言ってね」


「はあ…、ありがとうございます…」


「…そうだ、せめて名前を教えてもらえないかしら? 私はカナーラ・アジェリアよ。カナンって呼んで」


 なんとなく居心地が悪いヘレナディアはこれで話を切り上げたかったが、またしても返答に困ることを聞かれてしまった。


 自己紹介と共にスッと差し出された右手に、躊躇いがちに手を伸ばす。そのすらりと長い指を見つめながらやっぱりそうかと確信した。


(姓があるってことは……)


 貴族なんだ、となんとなく分かってはいたことを肯定した。


 …まあ、乗っている馬車の豪華さからして明らかだとは思うのだが。


「……レナといいます。どうぞよろしく、カナンさん」


 今は放っておいて欲しい気持ちが大きかったが、答えないわけにも行かなくて取り敢えず挨拶を交わす。


 にこりと微笑み返す頬が引き攣っていないことを願って、重なった手を握り返した。


 目の前の彼女自身がどうかは知らないが、見た目の美しさや上品さを必要以上に気にかける上流階級の人たちは、それらのほとんどを気にしないヘレナディアからしてみれば付き合いにくいことこの上なくて、どうにも苦手意識が拭えなかった。


 皆が皆そうでないことは分かっているけど、どうも自分の周りの人たちがそういったタイプが多いせいで、貴族と聞くだけで条件反射のように構えてしまうのは仕方の無いことだと思う。


 お前もそうだろうと言われれば確かにそうなのだが、こればかりは理屈ではないのだ。今まで引き籠もっていたせいか身内にしか耐性がなく、外に向けてはどうしていいか分からないというのが本当のところだった。


 ましてや今は、ただの旅人としてここにいるのだ。周りに迷惑をかけないためにも、なるべくひっそり、しずかにしていたい。


「レナちゃんね。あ、でも折角だからもっとお話ししたいわ。夫が仕事で滞在中ずっと一人でつまらないの。お茶でも付き合ってもらえたら、私とっても嬉しいんだけれど…。おいしいパナパラのお店を知っているの。どうかしら?」


 今度こそ終わりが見えてほっとしていると、きゅっと握った手に左手を添えられて僅かに力を込められる。


 にこりと微笑む顔の奥に有無を言わせない雰囲気を漂わせて、そんなことを言われてしまった。


「え…、えー…と」


 どうしよう。このままでは確実に行動を共にすることになりそうだ。


 パナパラってなんだろうと思いながらも、そこを追求すると後に引けなくなりそうで敢えて気にしないようにした。


 見知らぬ土地で一人彷徨うよりは確実にありがたい申し出ではあるのだが、とにかく人と接することを避けようと考えるヘレナディアは、そんなことは微塵も頭を掠めなかった。


 何よりここまで執拗に誘いをかけられる理由がまったく分からなくて、それもヘレナディアが抱く狐疑逡巡の理由でもあったのだ。


「あれ、カナーラ様?」


 とても断りづらい話の振り方に、食べ物に釣られたわけではなくても首を横には振れなくて困っていると、唐突につい先ほど聞き知った名前が呼ばれた。


 なんだろうと声のした方へ顔を向けると、入国審査をしていた衛兵の一人がこちらへ向かって歩いているのが見えた。


「なにやってるんですかこんな所で。ここ一般用の出入り口ですよ?」


 顔を確認できるほど近くまで来た衛兵の青年は、そう言ってカナンに声をかけた。自分よりかは年上だろう落ち着いた風体の彼は、言いながら首を傾げて見せた。


 不思議顔で近づく青年の顔を確認したカナンは、隠しもせず心底うんざりと苦い顔をしていた。


「知ってるわよ。そんなこと」


「というか、こんなところで油を売っている場合ではないのでは…」


「分かってるってばっ。あなたいつからそんな小姑みたいなこと言うようになったの?」


 むくれながら、しつこく言い詰める青年に可愛くないと文句を言うカナンだったが、彼はそれを意に介すことなく少し呆れたように鼻から息を出すと、丁寧且つ、容赦なくその文句を切って捨てた。


「小言を言いたくなるようなことをあなたがするからです。帰ってこないからって、みんな心配していましたよ。早く皆に顔を見せてお上げなさい」


 古くからの知り合いなのか、そのちょっと目を剝く容赦無さにもカナンに気にした様子はない。


「…あなたは心配してくれなかったの?」


 青年の諭しを苦い顔で聞いていたカナンは、ふと何かを思いついたように小首を傾げながら企み顔で笑顔を作る。


 一見可愛らしいそれを見た青年は、彼女の笑顔の内側に気付いているのか器用にひょいと片眉を持ち上げるとしたり顔に笑みを貼り付けた。


「…ええ。どうせこんなことだろうと思っていましたから」


「………」


「………」


「…ほんっと、可愛くなく育ったわね」


「お褒めにあずかり、光栄ですね」


「褒めてないっての。…はあ、あなたがその年で、その地位に就いている理由がなんとなく分かった気がするわ。あなたこそ、こんなところで一体何を探していたのかしら。特務騎士団長様?」


 言い負かされた悔しさを抱えながらも一矢報いたいのか挑戦的な口調で問うカナンに、特務騎士団長であるらしい彼は肩を竦めて見せただけだった。


「そりゃもちろん、いつまで経っても帰省されないお方をお出迎えに―――」


「それはもういいってば」


「…別に何も探していませんよ。ご存じの通り、この時期はいつも人手不足ですからね。隊長だって下働きするんですよ。ところで…」


 明後日の方向へ進みかける会話に、面倒くささを隠しもしないで受け答えする青年はそこで一端言葉を切った。


 なんだかよく分からないまま二人を見ていたヘレナディアは口を挟むことはもちろん、関係ないからと黙って去ることも出来なくてただ成り行きを見守っていた。


 そんな時、ちらりと寄越された横目と視線とかち合う。


「…この方は?」


 どこか人ごとで話を聞き流していた所に意識を向けられて、ヘレナディアは困惑と共に僅かに居住まいを正してしまう。見知らぬものを見る青年のその目が、なんだか自分を責めているように見えてしまったからだ。


 自分より頭一つ分背が高いカナンの上を行く長身で、じっと視線を向けられると意味も無く萎縮してしまう。何かと聞かれても答える術を持っていないヘレナディアは、どうしていいのか分からないままその視線を受け止めるしかなかった。


「え…とー…」


 よく見ると青年に責めているような雰囲気はなくて、ただ静かに疑問に感じているだけのようだった。その表情で、彼は冷静且つ慎重な性格なんだと分かった。


「ちょっと、わたしのレナちゃんを苛めないでくれる?」


 別に怪しい者ではないので、その旨を伝えようと口を開きかけたヘレナディアの言葉は、若干憤慨したような口調のカナンに遮られてしまった。


 眉を顰めて避難を露わにするカナンに、青年は本日何度目かになる呆れのため息を零した。


「別に苛めてません。どこをどう見たらそうなるんですか」


「あなたみたいな図体がデカいのに凄まれたら怯えるのは当然でしょう。脅さないでよ」


「凄んでないし脅してもいません。貴方こそ、可愛いものを見つけたからって、またいつもみたいな勢いで無理矢理詰め寄ったんじゃないでしょうね。そんなのでは、…怯えられますよ」


「…っ、そんなことしてないわよ」


 にやりと半眼で諭す青年の言葉に、初めて僅かに反抗心が見えた。脅したと言われて不愉快だったのかもしれない。


 けれどその言葉にぐっと反論に詰まったカナンを見ると、最初の時の勢いは自分で理解していたのか、その口調には少しだけ後ろめたさが滲んでいた。


 “わたしのレナちゃん”というちょっとよく分からない言葉にヘレナディアは疑問を感じるも、二人の会話に口を挟む隙など存在するわけもなくただ黙っているしか出来ないのは言うまでもなかった。


「そうですか。ならいいです。で、どなたですか?」


「…旅人さんで、入国希望者よ」


 論破されたことに反抗心が弱まったのか青年の問いに素直に答えるカナンの顔は、なんとも言えない悔しさが見て取れる。


 それを気にしない様子で一つ頷き、なるほどと納得を示した青年はヘレナディアに対する警戒を解いてくれたようだった。なんとなく、重く感じていた空気がふと軽くなった気がする。


「左様ですか。…時に私のと仰いましたが、まさか囲ってるわけじゃないでしょうね」


「……そうだって言ったらどうするの?」


「別に、どうもしませんが…。…それが事実なら、私はライアー様の寛容さに唯々脱帽の限りです」


「…ちょっとそれ、何気に失礼じゃないかしら?」


 私に! と憤慨するカナンに、相も変わらず冷静にため息を零した青年は、呆れたように戯けて首を竦めて見せた。


「そうですか? たとえ冗談でも、堂々と女性を囲っているという方が失礼かと思いますが。…いや、冗談だからこそ、余計に失礼かもしれませんね。レナ様、と仰いましたか。大変失礼いたしました」


「へ……」


 話を振った自分にも非があると丁寧に頭を下げられて、いきなりなことについて行けなかったために間抜けな声が零れた。


 全くもってどこ吹く風だったヘレナディアは、先ほどの疑問など既に頭から飛んでいて何故謝罪されたのかすら分からなくて呆けてしまう。一体どの部分が自分に謝罪するところなのだろうか。


 だがそれよりなによりヘレナディアの気を引いたのは、初めて見るかもしれないほど丁寧に行われたそれだった。


 ぴんと伸びた背筋に、腰から折り曲げられた上体は綺麗な直線で、思わず見とれてしまった。それは、気にしないでくれと声をかけるのを忘れてしまうほど洗礼されたものだった。


 初対面の、しかも一塊の旅人に対してそこまで丁寧に接してくれることがなにより感動だったし、それと同時に、思わず見とれるその行動に彼の誠実さが見えた気がした。


 そんなことを思いながら、青年の下げられた頭を凝視してしまっていたのだ。


 時間にしてみたら一瞬なのだろうが、ずいぶんと長い間見ていた気がしたヘレナディアは、はっと我に返って慌てて青年を諫める。


「いやいや、全然…その、なにも気にしてませんから…!」


 頭を上げてくれと両手を振りながら、見過ぎていた気まずさも相まって彼の謝罪を強めに拒否すると、それに答えて青年は頭を上げた。


 上体を起こした青年は自分より大分下にあるヘレナディアの目とかち合うと、ふ、と柔らかく笑んで見せた。


「…っ」


「寛大な御心、感謝いたします。よくいらして下さいました。歓迎致しますよ」


 まさかそんな顔を返されると思っていなかったせいで、不意を突かれたヘレナディアは僅かに頬を染めた。


 自分よりは年上の――だろう――男性にそんな優しげに微笑みかけられたことがないヘレナディアは、この後どうしていいのか分からなくて自然と視線が横へ逃げる。


 クロノもよく笑う方だとは思うけれど、彼のはどちらかというと子供がするような無邪気で微笑ましく感じるもので、返されてどぎまぎするようなものではないのだ。


 初対面だからかもしれないが、どう反応を返していいのか分からないヘレナディアはこの局面に立って、ようやく自分が人見知りなのだということに気がついた。


「ここでこうしていてもなんですから、こちらへ。ご案内しますよ」


「…?」


 にこりと微笑まれても戸惑いしか返せないヘレナディアに、特に気分を害した風でもなく自分のペースで話を進める青年は、誠実なのかもしれないが強かでもあるようだとこの短い間でも十分理解できた。事を進められると分かったら、相手に有無を確認しない。


 すっと半身を引いて手のひらでこちらだと促されても、何のことか分からないヘレナディアはその仕草に首を傾げるしか出来なかった。


 彼が促すのは入国の審査を行っている正面入り口ではなく、少しずれた場所を指していたからだ。


 カナーラはともかく、自分はここからではないと入れないのでは? と不思議顔で青年を窺い見ると、秘密だと言いたいのか人差し指を自身の口元に当てた。


 内緒事を語るように少し背を屈めた青年のそこに浮かぶ笑みは、得意気にいたずらを企む子供そのものだった。


「ご迷惑をかけた、ほんのお詫びです。さ、カナーラ様も早くいらしてくださいよ」


 僅かに声を潜めてそう言うと、未だ難しい顔をしていたカナーラに声をかけて返事を待たずに歩き出してしまった。

 

 

 

 


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