3.禁術(フラマ)式
「私、お祭りなんかどうでもいいの。この力をなんとかしたくて、ここに来た。…なにか知ってるなら教えてほしい」
そう言って、一瞬も逸らさなかった迷いのないその瞳に、一層興味が湧いた。
初めに彼女を見たときは、その髪の色にただ驚いた。
本当に、言い伝えられている豊穣神と同じ色だったから。
いつか誰だったかに自慢げに見せられた写真の装いとはだいぶ違っていたけれど、一瞬でその人だと理解できた。
灰緑の綺麗な長い髪がよく似合っていて閑麗な印象を受ける彼女は、自分が見知っているある絵画にもそっくりで余計に驚いた。
ただ唯一違うのはその瞳の色だけ。少し吊り気味の目じりは長い睫に縁取られていて、その中に収まる瞳の色は夜の空みたいに深い青を黒で覆ったような色だった。
真っ直ぐ相手を見るからか、その目からはほんの少しだけ気が強そうな印象を受けたけど、あまり声を荒げない彼女の印象は自分としては「おとなしい」が一番ぴたりとはまっていた。
けれどその印象は、数時間しないうちに跡形もなく崩れ去った。
綺麗な見た目に反してその口から紡がれるのは遠慮のない物言いで、いつも的を射ていた。お淑やかとはほど遠い口調は堂々としていて、何事にも臆さない。
危なげない足取りで壊れた家屋に上って、塗料で汚れる顔には微塵も配慮しない。服が汚れてもそのままだし、せっかくの奇麗な髪は作業の邪魔だからと無造作に纏められていた。
あまりにも無頓着なそれに、思わずもう少し気を遣うとかないのかと言ってしまったくらいだ。
別にそうした方がいいと思っている訳じゃないが、彼女を見ているとなぜかそう口にしてしまっていた。
けれど彼女は、初対面に等しい男のその無遠慮な言葉にも大して気分を害した様子もなく、そんなもの今の仕事に必要ないとけろっとした顔で言い切った。
まさかそんなあっさり言い切るとは思わなくて、思わずぽかんと呆けてしまった。
そんな女がいるとは思わなかったから。…ましてや王族に。
(…変なやつ)
二つ目の印象は、それだった。
初めのきっかけは些細なもので、滅多なことがあっても表に出てこないと有名な国の、引きこもり王族がどんなものか気になった。
いったいなにが目的で素性を隠しているのかも気になったし、いい暇つぶしだと、それとなく探ってやろうと思っていた。
でもその言葉を聞いて、彼女自身にも興味が湧いた。
着飾ることが仕事だと言わんばかりの貴婦人たちとは全く違う考えのその人は、良くも悪くも自身に対して無頓着な人間だった。
普通に下町の人と話をしているし、上からものを言うようなことはただの一度も無かった。子供達と一緒に、泥に塗れながら遊んでいる時はびっくりするほど違和感がなかったのを覚えている。
遊んでくれるのが嬉しかったのか、メメニアやノゥイなど今ではすっかり彼女に懐いてしまっている。
酒場に来る人間の他愛のない話を嫌な顔しないで聞いてくれる彼女を、みんな良い子だと言って受け入れているのが見ているだけでもよく分かった。
たった二日で、まるで風が流れるように自然にするりと他人の懐にまで入り込めるのは、一種の才能かもしれないと感心したほどだ。
そこに他意がなければ、だが。
「………」
街へ帰った後、ルナを騎士団の医務室に放り込んだアスカはレナをつれて街角の宿屋へ戻ってきていた。
壊れていない宿屋側の屋上でレナの治療を終えた後、アスカは彼女の魔術について聞いてみた。
けれど椅子に座って、テーブルを挟んだ向かい側から返ってきたのは「わからない」というなんとも理解不能な答えだったのだが、今の一言で合点がいった。
なるほど彼女には、なんとかしたい事情が彼女なりにあるらしい。
彼女の言動の端々に感じる大賢さから、意味のない嘘をつくようなタイプの人間でないことはこの短い間でも十分理解していたし、なにより、困っていますという心境を隠しもしない目が嘘じゃないと語っていた。
レナの顔も声も真剣そのもので、その真摯な瞳を正面から受け止めたアスカは、先ほどの光景を思い返していた。
あれは確かにアスカの知っている術に似ていたけど、それを使える人間はもうこの世には存在しないはずだった。
「実は――」
頬杖をついてアスカがどうしたものかと考えていると、レナはぽつりぽつりと話し出した。
かなり前から不思議に思うことは多々あったが、ここ一ヶ月の内にそれは大きくなる一方で手に負えなくなってきたこと。自分では制御できないこと。そもそもそれがどんなものなのかも分からなくて、それを知りたいからこの国に来たのだということ。
聞けば、彼女は魔道のことをよく知らないらしい。
「だから、そういうことを全く知らないのもどうなんだろう…って思ったから、きちんと勉強しようと思ってですね…」
「……」
それで、情報のある場所へ出向くことにしたんだと言われて、彼女のその感覚にちょっと不思議な思いを抱いていた。
普通彼女のような身分だと、自ら出向くより情報を仕入れる方に視点が行きそうなものだが、そうじゃないんだなと思ったらちょっとおかしくて自分でも気づかないうちにくつくつと喉奥から笑いが零れていた。
「…なに?」
「…べつに。――それで? なにが知りたいの。俺で分かることなら、答えられるけど」
怪訝そうに眉を寄せるレナになにが知りたいのか問いかけたが、なにも分からない状態でその質問に答えるのは難しいかと思いなおしたアスカは、そうだなと言って自分から言葉を続けた。
「おまえは――レナは、魔法と魔術の違いは知ってるのか?」
「そういえば、魔法って言ったり魔術って言ったりしてたわね…それって別物なんだ」
今気づきましたという反応に、なるほどそのレベルかと納得したアスカはそこから説明することにした。
「…でも、いいのか? やっぱり聞かなきゃ良かった、って思うかもしれないぜ?」
頬杖をついた顔に、にやりと底意地の悪い笑みを浮かべてアスカは言った。
彼女の疑問に答えることは簡単だが、知りたくなかったと、結果彼女は思うかもしれない。そう忠告すると、レナは少しだけ逡巡したように俯いた。
けれど少しだけ考えた後、彼女は迷いなく言い切った。
「思わない。自分のことだもん。ちゃんと知りたい」
レナは少しだけ下げていた視線を上げると、まるで見据えるような視線を目の前に座る人に向ける。
その目を正面から受け止めたアスカは、こくりと喉を鳴らした。
(…この目だ)
その目を見る度に思ってた。
他愛のない話をするときも、まじめに人の話を聞いているときも。
真っ直ぐに、心の内まで見透かすかのようなその目に見つめられると、腹だか背筋だかがぞくりとした。
何かを望まれると無条件に従いたくなるような、根拠なんかなくても嘘がないと信じられるような、そんな気持ちにさせる目だと思った。
なんだか落ち着かない気持ちにさせられたことにすこし煩擾を覚えたけれど、その感覚が不思議で、だけどちょっとだけ、愉悦を感じていた。
そんなあまり感じた事のない感情が新鮮で、知らず笑みがこぼれていたらしい。怪訝そうに首を傾げるレナの表情に気を取り直して、分かったとアスカはひとつ頷いた。
「結論から言えば、レナの持ってる魔力は魔法や魔術を扱うには過ぎるぐらい十分なもんだよ。魔力ってのは、まあ、魔法を使うための燃料みたいなもんかな」
「生まれながらにみんなが持ってるって、あれ?」
「なんだ、知ってんのか。そう、誰もが持ってるがその取容量は人それぞれだ。大量に持ってるヤツもいれば、ほんの僅かしか持ってないヤツもいる。その取容量に応じて扱えるデカさが変わるのが魔法や魔術ってわけ。そんでもって、魔力を利用して人間が作った術式ってのが魔術って呼ばれてるものだ」
「それは…なにが違うの…?」
同じものじゃないのかと首を傾げるレナの疑問は最もだった。自分も、初めて聞いたときは同じ反応だった気がする。
「んー…、簡単に言えば、精霊を通すか通さないか…だな。魔法ってのは基本的に自然に由来するものしか操れない。それは、精霊を通じて現象を操るからだ。だから精霊を見知できないヤツにはどんなに魔力があったって使えない。それに引きかえ魔術ってのはそうじゃない人間でも使えるようにヒトが作ったものだから、基本的には使う本人の魔力を源にしかしていない。だから精霊を見知できない人間でも使える。大きな違いはそれぐらいかな」
まあある程度の魔力が必要なのはどっちも同じだけど、と付け加えていうアスカの説明を聞きながら、レナの顔は徐々に難しくなっていく。
「なんだその顔は」
「いや、どこの異世界の話なのかと……」
「んなわけねーだろ。がっつり現実の話だよ」
「おお……そーかー…」
まるで他人事のような反応のレナに、若干呆れたアスカは胡乱な視線を送ってつっこんでみたけれど、返しの反応もどこか他人事だった。
まじめくさった顔で聞かれてもそれはそれで微妙だから別にいいけれど、柔いスポンジのような反応にちょっと興をそがれた気分になったのは仕方ないと思う。
「…でも、その理屈でいくと、魔術はすべてのひとが使えるってことなの?」
「まあ、理屈だけ見るとそうなるな。けど、実際には持ってる魔力の取容量によって使えるヤツとそうじゃないヤツは出てくるよ。取容量は生まれつきある程度は決まってるもんだからな。使う機会がなけりゃ、自分がどっちなのかすら気づかずに一生を終えるヤツだっている。特に魔法に関しては、魔力の大きさもだが扱えるかどうかは元々の才能もあるからな」
「ふーん…」
「それに、魔法事態も今じゃ使える人間が限りなくゼロに近いからって理由で、ほとんどが魔術で補ってる状態だ。…純粋な魔法ってのは、もう残ってないって言っても嘘じゃないくらいだよ」
「…そう、なんだ…」
年を重ねるごとに魔法を使える人間が減っていく一方の中、だったらそれらも魔術に置き換えてしまえば良いと思う人間がいても不思議じゃなかった。
「…初めに魔術を作った人は、どうしてそんなこと考えたのかな。そもそも魔法の力がなくなったのは人間のせいなのに…」
ふと視線を落としたレナが、少しだけ寂しそうな声音で言う。
それを悔い改めるわけでもなく、代用品を用意して自らの過ちをうやむやにすることに意味なんかあるのかと。
人間の思い上がった行動が招いた結果は、衰退する大地だけでなく後生からも大きなものを奪っていた。それがどういうことなのか、そこをもっとちゃんと考えるのが自分たちの仕事じゃないのかと。
「…さぁな。たとえまねごとでもいいから、昔の栄光を手にしたいって思うヤツもいたんだろうよ。でも、魔術が生まれたことで魔力によって出来ることが大きく変わったのは事実だ。どこのどいつが思いついたのかは知らんけどな」
実際、それらは魔術として新しく、そして広く知れ渡ることになった。
そこになんの違いがあるのかと言われたら、過去の過ちに悔恨の思いを抱けるか否かだ。
彼女のように、疑問に思うか否かがその人間の魔道の分かれ道なのかもしれないと、その言葉を聞いたアスカは思っていた。
「…そんなにまでして、魔法の力がほしかったってことなのかな」
ふと視線を落としてそう言ったレナの心がどこにあったのかは知らないけれど、切ないような悲しいような、少しだけ頼りない顔に見えた。
その顔に虚を衝かれたアスカは、思わず目を見張った。
男の兵士が持つ剣を平然と振り回して見せる、気が強くて負けず嫌いだと思っていた彼女のその表情は、自分が抱いていたその印象に穴を開けるには十分だった。
「……どうかな。世の中を便利にしたいって思ったヤツもいただろうし、私欲のために利用しようと思ったヤツだっていただろうな。事実、魔法以上にいろんなことができるようになったのは確かだし、今の世に残ってるのはほとんどが魔術だ」
視線を落とすレナの顔を呆けたように凝視していたことに少しだけ気まずさを感じたアスカは、そんな自分に言い訳をするように数回瞬く。
肯定も否定もしない言葉を紡ぎながら、彼女の疑問を反芻した。
どうして魔術を作ったか。
それは、多くの人間が昔の利便さを忘れられなかったからだ。けれど、魔法で出来ること以上のものを求めて、それを形として残している時点でなにを考えていたのかなんて明白だった。
現実としてそれらの多くは今の世に広く知れ渡り、人々の生活に馴染んでいる。それを普通のこととして育ってきた自分では、彼女のような疑問を抱くことはなかったかもしれない。
そんな自分でも関知しない力を、平然と使って見せたレナがアスカは不思議だった。
「――そんで、さっきおまえが使った術はとある人間が作った禁術に指定されているもの。…だと思う」
「禁、術…」
いきなり出てきた禁術という単語は、意味を知らなくても不穏な空気を纏っていて言葉を失ったように、その一言以降レナは黙り込んでしまった。
そんな彼女を見ながら、呆れから来るものではないため息をついたアスカは、先を続ける。
「力のあるヤツがいろんな魔術を作ってるとな、中にはけっこう危ねぇのがあったりするんだ。そういうのが普通に出回ってると危ないどころの話じゃないだろ? 中には街ひとつ簡単に吹っ飛ぶようなのもあったりするからな…だから魔術を管理してる魔道協会の采配で、そういうのは指定魔術に登録されるんだ。それが禁術。使えば何らかの罰則が科せられたりするけど、そこはまあ、管理不十分な部分もあって行き渡ってないってのが現実なんだけど」
ちょっとだけまじめに話を聞いていたレナが、罰則、という言葉に少しだけその表情を硬くした。
「使うにはリスクが大きすぎたり、使った人間に対してだけじゃなくて周りに対しても危険度が高いものは、ほぼそれに指定されてる。中でも、ある魔術師が作ったのがけっこうヤバいやつでな。そいつが死んで以来悪用されんのを避けて、それらの魔道書類を協会で管理しておくことになったんだ。…だから、表には出回ってないってことになってる。…ほんとはな」
「…それが、さっきの力ってこと…?」
視線を落としたまま話を聞いていたレナは、アスカの言葉にぽつりと呟いた。
俯き前髪で目元の隠れたその表情からはなにも窺えなかったけれど、なにをどう言葉にしていいのか迷っているようだった。
「…わからん。だから聞いてるんだけど」
考え込んでいる様子のレナにそれだけ言うと、アスカは黙って彼女の言葉を待った。
「…わたしの、その力は…、なにがどう危ないの?」
そしてほんの少しの沈黙のあと、ぽつりと、けれどはっきりとレナはそう言った。
「…確信はないからなんとも言えないけど、あの術はフラメルという魔術師が作った術にとても似ているように見えた。…その魔術師が作った術式は、総じて操者の周囲から生ける命を吸い取って力に変換する」
いいながら、アスカは自分の言葉に違和感を覚えていた。
確かに、レナが使った力はフラメルの術式に酷似していた。けれど、そのものずばりではないとも思っていた。
小さい頃から魔術を扱うことを学んできたわけでもない人間が、まるで息をするように自然に魔術を使うのはなかなか難しいことだ。
才能がものを言う魔法と魔術では、その壁はどうしたって越えられない。理解できていないのに魔術を使うのは、難しいどころか無理に等しい。
彼女が魔道の知識に乏しいのは嘘ではないようだし、そんな人間があんな風に魔術を使うのはあり得ないと思った。ましてや複雑の極みである禁術など。
(だったらあの力は…)
魔術じゃないことになる。だから余計に気になった。
だけど本人自身もどういったものなのか理解していないようだし、今の時点で知りたい答えは出ないと悟ったアスカは、そこを問い詰めるのをやめることにした。
「…命を吸い取る。…それは、どこから…どうやって吸い取るの…?」
出来るだけ力を使わないようにしろとだけ言って、話を終えようと口を開き駆けたアスカより先にレナが口を開いた。
「…さあな、知らん。俺も実際には見たことないからな。…それに、それはおまえのほうが知ってるんじゃないのか?」
言外に身に覚えがあるだろうと言うと、その言葉にレナはきゅっと口を引き結んだ。
思い当たる節があるのか、それ以来俯いて黙り込んでしまったレナに、アスカは言った。
「で? おまえはどうしたいんだ?」
「え…?」
俯いたままじっと何かを考えていたレナは、アスカの言葉に疑問に満ちた目を向けた。
理解のないまま使うには少し危ないような気がするレナの力は、結構いろんなものを見てきたと自負しているアスカ自身でも見たことのないものだった。
だから、そんな危険なものを放っておけない。――…なんて気持ちは微塵もなかった。
(そんなこと、俺の知ったことじゃない)
別に危険だから放っておけないなんて思ってないし、ましてや自分がそれらを取り締まってるわけじゃない。身も蓋もないことを言ってしまえば、禁術なんて指定されていたってそこら中に転がっていたりするのだ。そんなもの一から十まで取り締まれるわけがないのに、馬鹿らしいとしか言いようがなかった。
第一、そんなこと面倒くさくてやっていられない。
だけど、それが彼女だったから。
「確実にとは言えないけど、そのまま、ふいの事故でも発動しないように力を押さえることは出来るよ。でも、ちゃんと扱えるようになりたいなら協力してやる」
手のひらに顎を乗せてテーブルに頬杖をついたアスカは、すっと目を細めると少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
彼女には、興味があったから。
それに、彼女といると存外楽しい気分になれることに気がついたから。
「教えてやるよ。魔力の上手な使い方」
その興味が尽きるまでは、つきあっても良いと思った。