5.イッツマイルール
「しかし、これがなかなかどうして、まーったく足が掴めなくてな」
正直手詰まりだと、ハイラは肩を透かして一つ大きく息を吐いた。
「でも…確か検問してますよね。通行証とか、そういうのちゃんと見せてもらってるんでしょ? 不審者とか…」
そんなことあるのか。
「基本的に、普段検問はしていません」
「ええ、そうなの?」
いったいなぜ。
ヘレナディアの疑問に答えてくれたディーンが、次の口を開きかけたところで今度はハイラが答えをくれた。
「別段、必要ないからな。普段は方術で管理してる」
「…方術ってなに…」
「………」
「………」
また知らない単語に反応したヘレナディアに呆れたのかなんなのか、二人はそのままの状態で停止した。
その反応にああまた無知を晒した…と思っていると少しの沈黙のあと、疑問に答えてくれたのはディーンだった。
「方術は、方陣を使用した術のことです。…方陣というのは、主に魔力を宿すために地面や宙に描く特殊な陣のことで、基本的には結界術に使われることがほとんどです」
「結界」
「ええ。各町に施してあるその方術と、関所門にある方術で印を結べるようにしてあります。ですが、何分この時期は人の出入りが多すぎるので一応人を配置しているのです」
ふんふんと頷きながら、言葉的によく分からない部分があったけど恐らく、関所をきちんと通れば町に入るのに支障はないということはわかった。
だけど聞けば聞くだけなんでもありな術とやらに、自分の常識がひっくり返りそうになってきて頭が痛い。
「ていうか、そんなことできるならその術とやらでなんとかすればいいんじゃないの?」
「それが、そうもいかないんだよなぁ」
困り顔に笑みを貼り付けてそう言ったのはハイラだった。
「どうして」
「どの術も万能じゃない。簡単に除去できないようにはしてあるが、だから安全。というわけにはいかない」
「そっか…、そう、だね」
たくさんのことが出来る力だけど、完璧ではない。当たり前だけど失念していた。確かに、なんでもありで完璧であれば、この世界の主導権は嫌が応なく魔力になる。
今のこの世だって万事平等な平和世界ではないけれど、その遙かに上をいっている世界が想像できてちょっと背筋が冷たくなった。誰もが良い方向に力を使うとは限らないのだ。
「…本当は、そんなものに頼らなくても普段から人の手でできてりゃ一番いいんだけど、情けないことに人手が足りなくてなぁ…。本当に入られちゃ困るところだけ手を尽くしてるってのが現状なんだ。今はまだ町の人間もたいして気にしちゃいないが、こんなことがこのまま続けば、不信感が芽生えるのは時間の問題だろう。早くなんとかしたいんだが、そんなこんなで次の一手が思いつかなくてな。どうしようかと思ってたら、君が現れた」
「私?」
「ああ。…君はついさっきこの町に来たんだって聞いたよ。状況から見ても君が白だって事はよーく分かってるんだが、これを君に渡した人間のことがなにか分かればと思ったのもあって、ここまで足労してもらった」
これ、といって広げた手のひらには、先ほど粉々になったはずの模造品が漂っていた。
…模造魔術とは、そんなに簡単に消したり起こせたりするものなのか。それとも、この人の力がそれほどまでなのか。
「どんな些細なことでも良いんだ。知っていることがあったら、教えてくれないか」
今までのにこやかな顔を引っ込めて真剣な目を向けるハイラに、余計なことを考えていた頭を切り換えて居住まいを正す。
こんなどこのやつかも分からない人間を引き連れてこないといけないほどの事態に、相当参っているのだと分かるだけに協力せざるを得ない気持ちにさせられたが、生憎とそれに足るものを自分は持ち合わせていなかった。
確かに盗人のような男は見かけたが、目深にかぶっていた帽子のおかげで顔はよく見えなかったし、あれでは最早この町にはいないだろう。明らかに怪しい様子だったけれど彼が犯人だという証拠がないのも事実だった。
…それに、これは勘でしかないが、あの男は違う気がする。
確か小事はやらかしていたりするのかもしれないけれど、国が管理しているものに手を出すような度胸があるタイプには見えなかった。
人は見かけによらないというけれど、どうもそういう雰囲気ではなかったのだ。
「…………」
考え込むヘレナディアをしばらく黙って見守っていたが、これはだめだと思ったのか示し合わせたように二人の男は同時にため息を零した。
「…すみません……」
「いえ、あなたが悪いわけではありませんので、気にしないでください」
申し訳なく謝るヘレナディアに、気にするなと口にしたのはディーンだった。
…明らかに落胆の色を滲ませた顔でそんなことを言われても、説得力はないが。
フォローになっていないフォローを前に、その丁寧な態度の裏側に何とも言えずにいると、ハイラだけはさして気にしていないようにそうかーと言って話を切った。
「…まあ、こっちがここまでやって掴めなかったんだ、そう簡単にいくとは思ってないから気にするな」
肩をすくめて諦めたような薄い笑みを浮かべる顔を見たら、思わず自分から言葉を発していた。
「…じゃあ、なにが言いたいの?」
自分に、いったいなにを求めている。
正面に座るハイラを見据えて、迷いなくそう口にしていた。
だって気付いてしまったから。
彼はまた、分かっていて聞いたんだということに。
さっきのはただの建前で、本当に自分にして欲しいことは別にあるんだと分かった。
あまりにも回りくどくて面倒くささを感じたヘレナディアは、ちょっと疲れてきてしまっていた。
だったら早く、そっちに話を持っていけ。
そう意味を込めて視線を投げると、その目を正面から受け止めたハイラは驚きに目を見張った。
そうして一瞬後には、したり顔で笑う、この短い間で何度も目にした顔をする。
こんな一言を加えて。
「…やっぱり、君は利口だな」
*****
「――じゃあ、囮になれということですね?」
「…まあ、はっきり言えばそうかな」
その歯切れの悪い肯定に、はあ、とわざとらしくため息を零す。
「じゃあはじめからそう言えばいいのに」
半眼で眉間を寄せるヘレナディアに、苦い顔をしながらも笑みを絶やさないハイラは終始楽しそうである。
「まあそう言うなって。いきなり囮になれなんていうのは失礼かと思ったんだ。ほら、何事も過程ってのは大事だろ?」
「そりゃそうですけど、さすがにちょっとくどいです。それに、こんな状態で失礼もなにもないでしょう」
「おー、そりゃ申し訳なかった」
「……」
全然申し訳なさそうな雰囲気もなく言われれば、眉間にしわも寄るというものだ。
あまりにも煮え切らない対応に痺れを切らしたヘレナディアは、ちょっと…いやだいぶキレていた。
当然といえば当然である。
頭部の打撲で頭が回らないあいだに取り囲まれて、たいした説明もなくこのような場所に拘束されている。
挙げ句の果てに長々と話を引き延ばした理由が『物事の過程のため』と言い切られてしまえば、ちょっといい加減にしてくれと言いたくもなるというものだ。
特に時間に追われているわけではないが、いい加減疲れてくる。
そんなこんなで気を遣うことをやめたヘレナディアの態度にも、ハイラは特に気分を害した様子もなくただ楽しくて仕方ないという顔をしていた。
その顔を見ていると、なんだかよく分からない反抗心が湧いてくる。
「…でも、いいんですか?」
「なにがだ?」
「…私はよそ者です。そんな人間が、国を挙げて大事にしているものに関わってしまって。今回は私じゃなかったってだけで、そんなに価値があるならあわよくば…って考えてるかもしれませんよ?」
言葉半ばににやりと口端を持ち上げて、挑むような目線で目の前の男を掬い見る。
こうなってしまえば手を貸すこと自体に不満はないが、まるでこの流れが分かりきっていたかのようなこの男の態度に、ちょっとおもしろくない気持ちになったのも事実だった。
「別に、そんな心配はしてないが…。なんだ、盗りたいほど興味があるのか?」
「へ…」
挑発的な態度にどうするかが気になっただけだったのだが、意趣返しといわんばかりの態度に、逆に戸惑ってしまった。
身を乗り出してそんなことを聞いてくるそのしたり顔が、ヘレナディアの反発心を生んでいるのだと気付いてやっているのだろうか。
だとしたら、大分いい性格をしている。
「……別にそこまでは」
「じゃあ、なにも問題ないな」
だけど、悔し交じりのヘレナディアの応えに、にこりと邪気のない笑みを作ったその顔を見て理解した。
ああ、きっとこの人には口では勝てないのだと。
果てしなく悔しいが、だからといって武力行使に出ようとまでは思わないしする理由もない。
ここはおとなしく負けておいた方がいいらしい。おそらく、これ以上やっても不毛なだけだ。
「まあ…別になくなったらなくなったで、清々するんだがなー」
特に興味もなさそうに、ハイラは組んだ両手で後頭部を支えて椅子の背に凭れた。
ぎしりと軋む椅子の音を聞きながら、あの逼迫していた雰囲気があった衛兵たちと、この男との温度差には疑問を通り越して呆れてしまった
「じゃあ、なんでそんなに大事にしてるの? 私、ここに連れてこられる間にでも刺されるんじゃないかと思ってたんだけど」
じとりとした視線を向けると、瞬間、ハイラは至極まじめな顔をしてじっと視線を返してきた。
「――…実はな」
「…?」
そして、ちょいちょいと指一つで手招きされて、ヘレナディアは身を乗り出す。
秘密事を打ち明けるような距離でにこりと微笑まれると、そこに他意がなくても思わずどきりとしてしまう。
相手の顔が整っていればなおさらだった。
「中身を見たことなんてないから、なんでかなんて俺も知らないんだ」
そしてほんの少し、意地の悪いその笑みでそんな言葉を吐いた。
「…ふーん、そうなの。ま、国が総出で守ってるものなんて、所詮そんなもんよね。意味も分からずにただ準じてるだけのことって、その辺にたくさん転がってるもんだと思うわ。別に、あなただけが知らないわけじゃないでしょう? …なら、きっとそれでいいのよ」
そう、きっとそれでいい。
さっきの衛兵たちも、目の前の男も。決められたことを守っているだけ。
いつどうしてそうなったのかなんて、大した問題じゃないのだ。みんながしてるなら、それは準じておくべきこと。そうすれば自分だけが間違ってしまう不安はない。
(それを間違いだなんて言わないけど、私は正しいとも思わない)
だからきっと、おかしいのは自分なんだ。
「……そうか。そりゃ、そうだな」
ヘレナディアの反応が意外だったのかきょとんとした顔で話を聞いていた男は、そう言って見たことない顔をした。
疲れたような、どうしようもないことを諦めたような、そんなよく分からない顔。
この短い間でよく笑う人だと認識したけれど、その笑みの裏側はもしかしたらこの顔なのかもしれないと思った。
「…そうよ。気にしすぎると疲れるわ。右に倣えの方が楽なことだってあるのよ。きっとね」
「希望推測系なんだな」
「そうよ? だって、それが正しいかなんてしらないもの」
「…くくっ、おもしろいやつだな。そんな受け答えをするやつは初めてだ」
楽しそうなその顔になにがおもしろいのか分からなかったヘレナディアは首を傾げて、進まない話の軌道をもとに戻した。
「――で、私はなにをしたらいいのかな?」
「いや、特にしてもらうことはない」
「なにそれ」
「実を言うとな、別にことの犯人を捕まえたいわけじゃないんだ」
「…いや、意味分かんないし」
じゃあなぜ、初対面の人間に囮役の申請なんかしてるんだ。
思案げに顎を撫でるハイラにそう言うと、もっともだと頷いて説明をしてくれた。
「そりゃ、確かに修繕費なんかはかさんでるし、盗難だって小さい被害じゃない。でもそういうんじゃなくてな……」
その歯切れの悪い言葉尻に、ぴんときたのはヘレナディアの方だった。
「……言いづらいことなら、無理に聞かないけど」
一端の人間には言えないことだってあるだろう。さっきも言ったように、自分はよそ者だし、安易に口に出来ないことだってあるときちんと分かっている。
そこを無理に追求するつもりはないし、自分のやっていいことと悪いことが明確になっているなら特に困ることはない。
きっと、これはそこに触れてしまうのだろうと思い至ったヘレナディアは、そう言って話を切ろうとした。
「いや、――…そうだな、君になら言ってもいいかもしれないな」
「…? …! いや、ちょっとまって!」
はっとあることに気がついたヘレナディアは、慌てて待ったをかける。
「なんだ」
「やっぱり聞かないでおく。言わなくていいです」
「…………」
「…………」
………。
「――それで、実はな……」
「言わなくていいってば!」
しばらく続く沈黙の後、ハイラはヘレナディアの制止を聞かなかったことにした。
というか、無視をした。
これはまずい。果てしなくまずい。
ヘレナディアの直感が、そう言っていた。
いらない場所に足を突っ込んでしまえば引けなくなってしまう。
その不要な場所という名の穴が、今目の前に広がっている。…気がする。
いや、これは気がする程度じゃなく間違いなく広がっている。
というか、引き込もうとしている。
「まあ、そういわずに聞いてよ」
「い・や!」
(そんなににっこりと微笑まれてもいやなものはいやだ!)
ヘレナディアの過剰な意思表示に、なにを察されているのか気がついたハイラは、あろうことか舌打ちをした。
「ちょっと、それどういう了見なわけ!?」
「だって、君が聞いたのに」
舌打ちに難色を示したヘレナディアにむくれてみせるハイラの顔は、普通の女ならそれだけで許してしまうようなオーラがあった。
顔がいい人間というのは、つくづく得をしていると思う。
「そんな顔したって嫌なものはいやよ! っていうかあなたいくつなのよ。そんな泣き落としみたいなことして恥ずかしくないわけ?」
「俺か? 今年で46になるぞ?」
「はぁ!? もっとなに考えてんのよ! 意味分かんない」
その顔からは絶対に予想できない数字を持ち出されて、驚くを通り越して呆れてしまった。
自分の父親と似たような年の男がそんなむくれっ面を普通に使いこなしている事実に、軽くめまいを覚える。
世の中不公平だ。
(…いやいや、そうじゃなくて!)
「と、とにかく! 私は自分のやることが分かったらそれでいいから。余計な追求も説明もなし!」
軽く混乱している頭では正常な判断が出来ないがこれだけははっきりさせたいと、断固拒否の意を込めて両の腕を胸の前で交差させて否を作る。
「ちぇー、君だったらいいと思ったのになぁー…」
「よくないから。勝手に引き込もうとしないで」
「………」
「な、なによ」
支え肘を机について下から見上げてくる視線が、ふいに真剣な色に変わって思わずたじろぐ。
「そこに気づく君だから、いいと思ったんだけどな」
ぼそりと呟く言葉になんのことだと首をひねると、机についていた肘を外してハイラは一つ伸びをした。
「まあ、しょうがないかー。聞いておいたほうが不便がないと思うけどなぁ…、まあでも、無理強いするのはよくないしな」
「………」
「………」
「…で?」
どういうことだなんて、聞き返しませんよ?
そう意味を込めて発した一音に、さすがのハイラの笑顔もすこしだけ引きつっていた。
けれど、諦めの色を少しでも見せるのかと思いきや、どうやらそうでもないようだ。それでもなお企みがただよう空気に、ヘレナディアは胡乱な目を向ける。
あわよくば引き込もうとしているのがありありと見えるのに、気付くもなにもないだろう。
というか、いくら人手が足りないからといって初対面の人間にいったいなにをさせるつもりなのか。
「…残念」
「そうですか」
「……」
「……」
「………わかったよ。降参だ」
両手を肩の辺りまで上げて、降参の意を表したのはハイラだった。
「諦めるよ。…今回はね」
「…?」
ため息交じりに小さく呟かれた言葉尻が聞き取れなくて首をひねると、ごまかすように貼り付けた笑顔で何でもないと言われた。
…いやな予感しかしないからこれ以上追求しないでおくことにする。
「とにかく、君にしてもらいたいことは今のところ特になにもない。しばらくこの街にいてくれるだけでいいんだ。必要なら、宿泊場所も提供しよう。ただ一つだけ。…できるだけ、一人で行動するのは控えてほしいんだ」
「…そうね。私はいつどこに寝返るか分かりませんからね。大丈夫ですよ、分かってますから」
それはそうだと、ヘレナディアは出された提案に素直に頷いた。
別に嫌味を込めたつもりはなかったけれど、一瞬反応に困ったように停止するハイラに、こっちが戸惑う。
「いやいや、そうじゃなくて」
そして首を傾げるヘレナディアを苦笑いながら、ハイラはそうじゃないと訂正する。
「危ないだろう? 相手はどこのどいつかも分かんないうえに、人かどうかすら分かんないんだ。何かあってからじゃ、遅いでしょ」
危険だよ。と言われて、なんだそんなことかと拍子抜けする。
そんなところを心配するより、ヘレナディアが本当に信頼に値するかどうかという部分をまず心配するべきなんじゃなかろうか。
信じてくれていることは嬉しいが、無条件というのはなんとも落ち着かない気持ちになるというか、なんというか。
どうも違えたボタンみたいにかみ合わない感覚に、戸惑ってしまう。
最初から思っていたが、この人の感覚はどうも自分とは背中合わせのように思えてならない。
「まあ、それを承知で頼んでるこっちもこっちだけど…だからせめて、何かあったときにはちゃんと守ってあげられるようにだけはするのが道理ってもんだろ」
「はあ…そういうもん…? でも、そいつらがまた私のところに来る確証なんかないし、寧ろそんなことしないほうがいい―――」
よ。という最後の一音を口にする前に、なに言ってんの? と結構な形相で眉を顰められてしまった。
なにと言われましても。
「必要を感じないし」
「……君、あたま大丈夫? そういえば3階から落ちたんだっけ? もしかしてその拍子に何か忘れた?」
「どういう意味よ」
本気で心配そうにしながら、あまりにも失礼なその物言いに思わず半眼になる。
「もしかして、自分が女の子なこと忘れてたりしてる?」
「しません。いまそこ関係あるの? ないでしょ」
白んだ目で言うと、なにを言う! と反論に見開く目に思わずたじろぐ。
「あるっ、十分あるよ! 女の子は一にも二にも優先して守られてしかるべきだろうっ。だろうっていうか、そうなの! それは俺の中で唯一揺るがない正義なの!」
それを拒む権利はおまえにはないと言わんばかりの剣幕に、ヘレナディアはちょっと驚いた。というか引いていた。
なんか、キャラ変わってませんか。
胸に両手を当ててなおも力説するその姿に、とりあえず一つ落ち着くまで放っておこうと、くどくど続くマイルールを黙って聞き流す。
「――わかった?」
「はあ。…あなたのマイルールはわかったけど、私が言ったのはそういうことじゃなくて…。ただでさえ望みの薄い手段なのに、私の周りにそんなのがいたらよけい尻尾なんか掴めないんじゃないのって意味で…」
必要ないと言ったんですが。
反論することでまたさっきみたいに力説されたら嫌だなぁと思いながら口にした所為で、徐々に消え入りそうな声になってしまった。
まあ確かに、守ってもらう必要性も感じないという意味でも『必要ない』と言ったけれど、それは今は言わないでおく。
だいたい、こんな時に彼はどこへ行ったのか。
先ほどハイラに何か言伝られて、ディーンは早々に部屋を後にしていた。故に、今この空間には自分と目の前の男しかいない。
なんだかよく分からない重苦しい空気を感じて、意味のない気まずさが漂う。
(どうしてこうなった)
そんな思いで反応のないハイラを見やると、文句こそ口にしていないものの難色を示したい顔をしていた。少し迷った後、彼はそれでも同じ文句を口にする。
「でも、何かあってからじゃ遅いでしょ。もし何かあったら、俺は君のご両親になんて説明すればいいんだよ」
「そこはお気遣いなくてまったく問題ないです」
寧ろ説明などされた日にはとんでもないことになりそうだ。
「なんでだよ。さっきは大丈夫分かったっていったじゃないか」
「それは、街の外に出るときは、の話でしょう? 街の中歩くのにいちいちついて回らないといけないなんて、そっちのほうが気の毒よ」
「そんなことない! 四六時中かわいい女の子と一緒にいられるのに文句を言うやつなんかいるもんか!」
ぐっと握った両の拳を机に押し当ててそんなことをいうハイラの理屈は、最早本来の目的とは別の方向へ進んでいた。
なに言ってんだこの男。
「そんなわけないでしょうが! 意味分かんない理屈こねないでよっ」
「だいたい、なんでそんなに嫌なんだっ」
「そ…んなの、四六時中ついてこられると落ち着かないからよっ」
だんだんヒートアップする押し問答も、ヘレナディアのその一言でぴたりと止まった。
(…ん?)
なんだ。なぜ止まる。
不思議な停止にハイラを見ると、口をきゅっと噤んでじっと視線をよこしてくる。
なんだなんだと疑問に思いながら言葉を待っていると『…わかった』と小さく承諾の声が聞こえた。
「じゃあ、四六時中そばにいるのと、四六時中陰から見守るのとどっちがいい」
「ぐ…」
さあ選べと二択を突きつけられて言葉に詰まる。
見守るなどと言えば聞こえはいいが、それを世間一般では監視というのだ。
「なぜそうなる…」
「君の言い分だと、ついてこられるのが鬱陶しいってことだろ? だったら姿が見えなかったら問題ないだろう」
しれっとそんなことを言ってのけるハイラに、もう言葉もなかった。
そういう問題じゃない。
ついて行けない思考回路に、すべてを投げ出してここから出て行きたい気持ちが一気に膨らんでいった。
それではまるで扱いが犯罪者のそれと一緒じゃないか。
そもそも、陰で見られていることを本人が知ってしまっていたらどっちであろうと同じことだ。
すり替わっていく論点に痛む頭を押さえながら、どうしたものかと考える。
というか、そこまでの苦悩を背負って、この話を引き受ける必要が自分にはないのではないかと思い至るとなんだかすべてがどうでもよくなった。
(…だけど)