第九十八話:修学旅行 その3 ボーイズトーク&ガールズトーク
「いやぁ……酷い目に遭ったな」
大部屋に戻り、ぐったりとした様子の男子生徒達に向けて博孝が声をかける。博孝の声も疲れているが、基礎体力の違いか、精神的なタフさの違いか、口を開く元気はあった。そんな博孝の声を聞き、B班を率いていた恭介がノロノロと顔を上げる。
「酷い目というか、気付いたら意識を奪われていたっすよ……遊戯施設側には、『隠形』をした一個小隊が潜んでいたっす」
「むぅ……俺達が覗きをすることがバレたというより、“最初から”警戒されていたんだな」
突然目の前にあった木の板が砂原の腕で貫かれ、顔面を掴まれた挙句にそのまま露天風呂内へと引きずり込まれたのは軽い恐怖だった。
その後に行われたのは、露天風呂のタイルの上での正座と砂原による説教である。陸戦部隊員も周囲にいたのだが、懐かしいものを見るような、微笑ましいものを見るような、穏やかな顔をしていたのが印象的だった。
後で聞いた話によると、修学旅行ということで毎回のように羽目を外す者がいるらしい。もっとも、博孝達のように男子生徒全員で突撃した期は他になかったらしいが。
「つまり、俺達は偉大なる先人達を超えたということですね?」
「汚点だ、馬鹿者が!」
真剣な顔で尋ねる博孝を、怒鳴りつけながら殴り倒す砂原。
歩哨を行っていた陸戦部隊員の目を掻い潜ったことについては、教官として褒めたいところだ。『探知』を使わずに接近する相手に気付き、茂みに隠れて『構成力』を抑え込むその手腕。博孝などは、『隠形』に近い精度で『構成力』を隠しきっていたのだ。他の男子生徒も、『探知』を発現していない陸戦部隊員が見落とす程度には『構成力』を隠していた。
しかし、褒められる内容ではない。どこの世界に、覗きを行う過程で『隠形』を身に付ける馬鹿がいるというのか。
『ES能力者』は環境や精神状態で力量が大きく左右される生き物であり、普段の訓練による下積みもあったのだろうが、覗きを実現するために訓練以上の実力を発揮するとはどういうことなのか。砂原が、教官として教育方法を間違えたかと真剣に悩むほどである。
結局、『これ以上アホなことをするな』と言い含められ、博孝達は解放された。博孝達A班は露天風呂に着替えを持ち込んでいたためにそのまま入浴し、恭介達B班も着替えを取ってきて入浴した。
入浴後は揃って大部屋に戻ってきたのだが、精神的な疲労もあってほとんどの者がぐったりとしているのである。
「……枕投げ、するか?」
博孝達が外出している間に準備されたのか、いつのまにか敷かれている布団に寝転がりながら博孝が尋ねた。だが、他の男子生徒達は首を横に振る。
「いや……さすがに良いわ。これ以上騒いだら、滅茶苦茶怒られそうだし……」
覗き騒動については、“普段”に比べれば怒られなかった。しかし、その代わりに『覗きを行おうとした』という弱みを握られてしまったのである。
女子生徒達には黙っておくが、などと言いつつ意味ありげに吊り上げられた口の端が恐ろしすぎた。自分達が行った愚行により、一生砂原には頭が上がらない、不変の力関係が構築されてしまったのである。
「無念だ……」
「無念っすね……」
「ああ、無念だ……」
口々に無念を訴えるが、最早どうにもならない。取り返しのつかない事態ならば、記憶に鍵をかけて封印するしかないだろう。博孝達は、忘れるようと決意した。
「ところで……みんなは誰の裸を覗こうとしたっすか?」
しかし、恭介が新たな爆弾を投下してしまう。それまで布団に寝転がっていた男子生徒達の肩がビクリと動き、ゆっくりと顔を上げた。博孝は起爆剤を投下した恭介に視線を向け、表情を引き締めて問う。
「エロトークか」
「エロトークっすね」
「いや、そこはボーイズトークとか言おうぜ……」
中村が呆れたようにツッコミを入れるが、博孝も恭介も聞いていない。
「恭介はやっぱり希美さんか?」
本人に対しては名字で呼ぶのだが、男子生徒達の間では名前の方が通じやすい。それ故に博孝が希美の名前を出すと、恭介は当然と言わんばかりに頷いた。
「もちろんっす。博孝は?」
「うーむ……沙織かね? “バランス”が良い」
「おっ、意外なようで妥当な選択っすね」
博孝の発言を聞いた恭介は、特に驚くこともなかった。その代わりに、話を聞いていた中村が般若のような顔で博孝を見ている。
「河原崎、テメェ……」
「いや、覗くならって話だろ……どうせお前だって見たいくせに」
「なっ! ちがっ!」
照れたような、焦ったような顔で言葉を濁す中村。それを恭介と共にニヤニヤと笑って眺めていた博孝だが、他の男子生徒達が顔を見合わせて何事かを話し合っているのを見て、ぼそりと呟いた。
「まさか、みらいを選んだりはしないよな?」
不意を突くように聞かれ、反射的に大きく体が動いた者がいる。動揺したのか、別の理由があったのか、挙動に不審な点があった。一人の男子生徒――城之内が、無意識の内に博孝から視線を逸らしていた。
「城之内……お前、まさか……」
「嘘だろ、おい……」
同じ小隊の仲間である中村と和田が、信じ難い物を見るような目つきで城之内を見る。激しい不信があるのか、城之内から距離を取ってすらいた。城之内は仲間の視線に気づき、慌てて手を振る。
「い、いや、違うんだ! たしかにみらいちゃんは可愛いと思うし、性格もあどけない感じがして良いと思うけど――」
そこまで城之内が口にした時、博孝の姿が一瞬で消え失せる。『瞬速』ではなく、純粋な身体能力と技量による移動だ。何が博孝をそうさせたのか、恭介が『瞬速』だと勘違いする速度で布団に寝転がっていた城之内へと接近し、その背中に乗って両足を掴む。そしてそのまま力の限り引っ張り、城之内を無理矢理海老反りにさせた。
「んん? 俺の聞き違いかなぁ、城之内ぃ。それとも俺の勘違いか? なんというか……そうだな、お前の言葉には、みらいに対する“妙な感情”が透けて見えたんだが?」
「あいだだだだだだっ! ち、違う! 俺はそんな、みらいちゃんが好きだなんて言ってないだろ!?」
背骨を逆方向に逸らされ、苦悶の声を上げる城之内。しかし、その言葉を傍で聞いた恭介は思わず額に手を当ててしてしまった。
――何故、虎の尾を踏むのか。
「おや、おやおやおや? 妙な感情とは言ったけど、誰も好きだなんて言ってないんですがねぇ……」
城之内の両足を掴み、無表情で告げる博孝。それを聞いた城之内は、顔から一気に血の気を引かせる。
「あ……いや、その……言葉の綾ってやつで……」
「ほほう。じゃあ、みらいのことなんて何とも思ってないと?」
「……えっとだな……えーっと……」
好きとも嫌いとも言わずに言葉を濁す城之内だが、恭介は『ヤバい』と思った。このまま放っておくと、博孝の手によって城之内の体が軟体動物も顔負けの状態にされてしまう。
城之内を救うべきだと思うが、今の博孝に攻撃を加えたいとも思わない。結果として様子を見るだけになってしまったが、何の気まぐれか、博孝は城之内の両足から手を離してしまった。
「……まあ、恋愛なんて個人の自由だし、俺が余計な口を挟むわけにもいかないか」
博孝の口からそんな言葉が出てきたことに、ほとんどの男子生徒が驚く。博孝が妹であるみらいを如何に可愛がっているか――傍目から見れば、溺愛しているようにしか思えないほどなのだ。それだというのに、博孝の発言はみらいへの懸想を許すようなものだった。
『もしかして、目の前にいるのは河原崎博孝の偽者では?』などと内心で考えた者がいるのも、当然と言えば当然だろう。
「お前……本当に河原崎なのか?」
中村が実際に尋ねてしまうほどには、衝撃的だった。そんな中村の疑問を受けた博孝は、不機嫌そうに自分の布団の上に腰を下ろす。
「みらいにはみらいの人生がある。選ぶのはみらいだ。もっとも……」
落ち着いた様子で話す博孝だが、そこまで言うと周囲の男子生徒全員へと視線を向けた。
「みらいが欲しいのなら、まずは俺を倒してからにするんだな!」
「ああ、やっぱり本物の河原崎だったか」
声を高らかに告げる博孝を見て、むしろ納得したように安堵する中村。
「俺よりも弱い奴にみらいを託せるか! 来るなら全力でこい! 本気で相手になってやる! 殺しはしないが、骨の十本や二十本は覚悟しろ!」
「博孝……それじゃあまるで、兄というよりはみらいちゃんの父親っぽいっすよ。しかも、一本二本じゃないあたり、かなり性質が悪いっす」
気炎を上げる博孝に、冷静なコメントを返す恭介。恭介は呆れたように息を吐くと、博孝の“スイッチ”を切り替えようと思った。
「それじゃあ、城之内の危険な発言は聞き流すとして……こうなると、修学旅行の“夜の定番”も必要っすよね」
恭介がそう言うと、博孝は即座に反応する。ぐるりと首を回し、恭介に視線を向けながら親指を立てて見せた。
「恋バナか」
「恋バナっすね」
「いや、だからボーイズトークとか……」
再び中村がツッコミを入れるが、博孝も恭介も聞かなかった。わいわいと、楽しそうな雰囲気を出している。
「中村と城之内は既に知れ渡っているから良いとして……恭介って、好きな子いんの? やっぱり希美さん?」
「んー……希美さんは、なんというか“憧れ”みたいな感じっすね。色々と“魅力的”なんで、年上の憧れのお姉さんっすかね?」
「あー、それはわかる気がするな」
恭介の言葉を聞き、何人かが同意するように頷く。好意はあっても恋はないのだろう。博孝が頷いていると、男子生徒の多くが興味深そうな視線を博孝に向けた。
「そういえば、河原崎はどうなんだ? なんつーか、お前ってわかりやすいのにわかりにくいんだけど」
「俺? てか、わかりやすいのにわかりにくいってなんだよ」
水を向けられた博孝だが、気になる点があったために尋ねる。
「覗きに即座に賛同したし、普段も武倉と一緒にエロい方向で馬鹿やるし、色々と積極的だろ? でも、それだけって感じがするなぁ。楽しいから騒ぐけど、本命がいるようには思えないというか……」
自信がなさそうに言われるが、博孝としては言葉の内容に驚いてしまった。
「そう、か……周りからはそう思われているのか……」
顎に手を当て、真剣に悩む博孝。質問を行った男子生徒は、慌てたように手を振った。
「そ、そこまで真剣に悩むことなのか?」
「悩むというか、盲点を突かれたというか……うーん……」
今度は腕を組み、頭を捻り始める。それを見た何人かの男子生徒は、首を傾げてしまった。
「あれ? 河原崎って岡島さんと付き合ってるんじゃないのか?」
「よく手作りの弁当をもらってるもんな……俺もそうだと思ってた」
一人の発言に、複数の男子生徒が追従する。それを聞いた恭介は、話を逸らすべきか迷ってしまった。里香が博孝に弁当を渡していたのは、“以前”の博孝の体調を考慮してのことだ。しかし、何故博孝が体調を崩したのかを詳細に知る者はほとんどいない。
「いやいや、俺と里香は付き合ってないぞ?」
里香にも迷惑がかかると思ったのか、博孝はその点だけは否定する。
「でも、仲良いじゃん」
「仲が良いイコール付き合ってるとか、小学生か。なんだその発想……」
「え? でも、付き合ってなくても好意はあるんじゃないか? むしろ、河原崎が岡島さんのことをなんとも思ってなかったら、逆に驚くんだけど」
博孝の素っ気ない反応に食らいつき、質問が飛ぶ。いつの間にか男子生徒全員から注目されていることに気付き、博孝は頭を掻いた。
「好きか嫌いかで聞かれれば、もちろん好きだぞ? でも、それはそれというかだな……」
断言しない博孝だが、そんな口振りに業を煮やしたのか、一人の男子生徒が手を叩く。
「ということは、本命は長谷川か?」
「なるほど、長谷川も河原崎に対する態度が普通じゃないしな」
好き勝手に予想をし合う男子生徒達。博孝はどう答えたものかと思ったが、考えているうちに和田が巨大な爆弾を落とす。
「まさか……二股とか?」
その声は、周囲の喧騒に掻き消されそうなほど小さいものだった。しかし、他の者が言葉を切った直後のタイミングだっため、綺麗に響いてしまう。
「おい河原崎、二兎を追う者は一兎をも得ずって言葉を知ってるか?」
「過ぎた欲望は身を滅ぼすぞ」
威嚇するように拳を鳴らす面々。博孝は和田を一睨みすると、深々とため息を吐いて降参するように両手を上げた。
「わかったわかった。言えば良いんだろ?」
言わなければ収まるまい。そう判断し、博孝は両手を上げたままで答える。
「現状、俺が好きなのは――」
同時刻、博孝達がいる二階の大部屋だけでなく、三階の大部屋でも似たような話題が花を咲いていた。女子生徒達は車座になって向き合い、菓子やジュースを供にして気の向くままに言葉を交わしている。
「修学旅行の夜と言えば、恋バナよね!」
博孝達と似たような発言を切っ掛けとして、あちらこちらで黄色い声が上がった。それでも最初に誰が先陣を切るかで揉め、どうぞどうぞと譲り合い、最後にはじゃれ合うようにして取っ組み合いが始まる。
この場には、男子生徒もいない。そのため教室にいる時とは異なり、着ている浴衣が肌蹴るのを気にも留めずに近くの友人に手を伸ばし、くすぐり、想い人を吐かせようとする。
「……こわい」
そんな騒ぎの中で、怯えた表情でみらいが呟いた。入浴していた時はみらいの体を洗おうとした女子生徒達がゾンビのように群がったため、最も“安全”な里香のもとへと逃げ出したほどだ。今も、コアラの赤ん坊のように里香にしがみ付いている。
周囲の女子生徒達も、里香とみらいには手を出さなかった。これ以上みらいに嫌われたいとは思えず、また、里香は想い人を白状させる必要がない。
「みんな、あまり騒ぐと教官に叱られるわよ?」
騒ぎを収めるように、希美が声をかけた。遊びのような取っ組み合いが、いつの間にか『ES能力者』の身体能力を駆使した近接格闘戦に切り替わっている。打撃は使わないが、関節技や絞め技を使っているのを見咎めたのだ。
「それじゃあ、希美さんから話してくださいよー。すごく興味あるんですけど」
「わたし? あらあら、困ったわねぇ」
頬に手を当て、本当に困ったように微笑む希美。同期ながらも唯一の年上であるため、他の女子生徒も興味津々だ。四の字固めや十の字固め、中にはオクトパスホールドを行っている者もいたが、すぐに解いて正座する。
「で? で? 希美さんって、好きな人いるんですか? 年下でも大丈夫なんですか? それとも年上が好みですか?」
ワクワクと楽しそうな様子で尋ねる女子生徒。第七十一期に所属する女子訓練生の中でも、希美は毛色が違う。落ち着いた性格と豊かな体つきは、女子というよりは女性と呼ぶべき風格があった。
「そうね……男性の好みは、好きになった人が好みの男性だわ」
「ずるいっ! その答え方はずるいです! それじゃあ、好みじゃなくて、ずばり! 好きな人は?」
社会人ならばともかく、学生の三歳差というのは非常に大きい。多くの女子生徒から見れば“大人”に見える希美がどんな回答をするのか、興味を惹いて仕方がなかった。
「好きな人は……いないわね」
「ええー……そ、それじゃあ、付き合っても良いと思える人はいないんですか? 同期か教官限定で!」
あっさりとかわされるが、めげずに質問が飛ぶ。その質問を聞いた希美は、僅かに考えてから答えた。
「同期か教官かで選ぶなら――河原崎君かしら」
「え?」
「え?」
「ええっ!?」
希美の答えを聞き、僅かに間を置いてからほとんどの女子生徒が同時に里香へと振り返った。里香は十人以上の人間から同時に視線を向けられ、僅かに身を引いてしまう。
「え、ちょっ、よ、予想外の答えなんですけど、本気ですか!?」
「てっきり教官を選ぶと思ったのに……」
驚愕の声が連鎖するが、その驚愕を生み出した希美は口元に手を当てて笑うだけだ。
「ふふふ……本気かどうか聞かれたら……さて、どうかしらね?」
誤魔化そうとしているのか、含みのある笑みを向けられる。それでも誤魔化しとも判断できず、女子生徒達は“経験値”の差を感じ取って引き下がってしまった。
「駄目よ、わたし達じゃ答えを聞き出せそうにないわ……じゃあ、選択肢の中から河原崎君を選んだ理由はなんですか?」
質問の方向性を変えてみると、希美は口元から手を下ろし、笑みの種類を変えてから答える。
「真剣な顔をしていると十分に好みの範疇だし、性格も明るくて話すと楽しいわ。向上心もあるし、将来性もある……それに、他の男子とは違う“何か”を感じるの」
質問をされ、この場で考えて答えたにしては具体的な返答だった。そして、希美が語った言葉の中に聞き逃せないものを感じ、里香は驚いたように希美を見てしまう。
そんな里香の反応を見た周囲の女子生徒達は、“勘違い”をして里香を取り囲んだ。
「大変よ、岡島さん! 強力なライバルが!」
「でもでも、付き合うならって話だったし、実際に好きとは限らないし!」
他人の恋愛事情が楽しくて仕方ないのか、女子生徒達のテンションが高い。里香は周囲の声を聞きつつも、探るような視線で希美を見てしまった。
希美が語った言葉の前半は、まだ良い。里香としては非常に落ち着かない評価だが、脇に置く。しかし、後半の言葉が引っ掛かったのだ。
(もしかして、希美さんは博孝君の『活性化』を知ってる? それともただの勘?)
言葉だけを取るならば、希美の勘か推測なのだろう。普通の『ES能力者』と比べると凄まじい速さで成長している博孝と接し、他の者とは違う“何か”があると考えてもおかしくはない。
「あら……岡島さん、怖い顔をしているわ。ふふっ、さっきのは聞かれたから答えただけで、本当に河原崎君が好きってわけじゃないわ。ただ、同期や教官から選んで、一番“アリ”だと思っただけなの」
里香を宥めるように言うが、それも本当かどうかわからない。微笑む希美からは、それ以上の情報を読み取れなかった。
「油断しちゃ駄目よ岡島さん! そう言って油断させて、突然がぶっといくのよ!」
「わたしを何だと思っているの?」
仲間である同期の女子生徒から言われた言葉に、希美には困ったように微笑む。
そうやって微笑む希美を、壁に背を預けて座っていた沙織が静かに見つめていた。会話に参加することもなく、ただ、じっと見つめていた。
『こちら陸戦第二小隊。不審者を一名発見。確保します』
『こちら陸戦第五小隊。諜報員と思わしき分隊を確保しました。これから護送します』
次々に無線から飛び込んでくる報告に、第四陸戦部隊を率いる近藤はため息を吐いた。傍には砂原が控えており、そちらへ視線を向けて肩を竦めてみせる。
「やれやれ、“ネズミ”が大量にかかるな」
旅館の一室で部下から報告を受け取り、コーヒーを片手に聞くには面倒な話だ。近藤の言葉を聞き、砂原も同様に肩を竦める。
「余程“餌”が美味そうに見えるのでしょうな。訓練生の修学旅行を狙うのは毎度のことですが、少しは我慢してダイエットに励むべきかと思います」
「ダイエットか……まったく、意地汚い奴らだよ。どの国から紛れ込んできたのやら」
部下に“締め上げさせて”みるが、ロクな情報を吐かない。腐っても諜報員ということだろう。今のところ、近くの山に潜んでいた狙撃手狩りが急務だった。
「まあ、こちらとしても夜間の警戒訓練に丁度良い。だが、“毎度”で済ませるのは覗き騒ぎだけにしたいところだ。それにしても、今期の男連中は活きが良かったようだな?」
部下からの情報をまとめつつ、近藤はニヤリと笑う。年齢は砂原の方が上だが、階級は近藤の方が上だ。故に、階級が上の者として砂原に接している。
「お恥ずかしい限りですな。元気ばかりが良くて、小官としても手を焼くばかりです」
近藤の態度は、砂原としては心地良いものだった。町田のように、顔を合わせると“何故か”怯えられることもない。一定の礼節を守った上で行う気さくな会話は、砂原としても楽しいものだ。
訓練生が修学旅行に行くということで、日本中に潜んでいる他国の諜報員や工作員、あるいは暗殺を主とする者などが、誘蛾灯に惹かれるように集まってきている。それらは『ES能力者』だけでなく、普通の人間もいる。数で言えば、人間の方が多いだろう。
偵察や情報収集だけならば、『ES能力者』が出張る必要もないのだ。
『こちら、空戦部隊の町田だ。バスの下部に爆発物を仕掛けようとしたネズミを捕獲した。ご丁寧にも、リュックに対『ES能力者』用の爆弾を詰め込んできている。こいつは時限式だな……近藤少佐、どうする?』
砂原と近藤が話していると、無線機越しに町田の声が響いた。数が少ない空戦部隊ということで、隊長である町田も警戒に当たっているのである。
『どの国で作られた物かを確認したいところだが……』
「他の国を“経由”してきた物かもしれませんな」
近藤の言葉を引き取り、砂原が呟く。馬鹿正直に証拠を残すとは思えないが、不利益を負わせたい国の諜報員を装っている可能性もある。その場合、鑑識を行って出てきた証拠が“本当の”当事国とは異なる場合があった。
『……と、とりあえず、爆発しないよう解体するか。鑑識に回すのはその後で良いだろう』
砂原の声が聞こえたのか、町田が砂原に対して返答する。しかし、その口調には無理をして偉ぶっているようなところがあった。反射的に敬語で答えようとしたのを、辛うじて堪えたのだろう。
僅かに砂原の眉が動くが、何も言わない。町田は無線越しに安堵すると、ボロが出ない内に無線を切った。すると、近藤が含み笑いをしながら砂原を見る。
「空戦部隊の隊長と云えど、かの『穿孔』殿の前では形無しといったところかね?」
「さて……小官の口からは何とも言い難いですな」
からかいの言葉に、空惚ける砂原。近藤は一頻り笑うと、表情を真剣なものへと変える。
「何はともあれ、警戒を怠るわけにはいかんな。あまりにも数が多い場合は、近隣の部隊から応援の戦力を寄越してもらおう」
表情同様、真剣な声色での言葉に砂原は頷いた。
「捕獲する必要がないのなら、話は楽なのですがね」
「はははっ、頼もしい限りだな軍曹。捕まるネズミは下っ端ばかりだろうが、何かしらの情報を持っていないとも限らん。もっとも、訓練生に害が及ぶならば話は別だ」
諜報員などが行動するならば、暗闇に紛れる夜間の方が適切だ。旅館の近くには山があるため、偵察や狙撃に適している。それを見越して“網”を張っているが、予想よりもかかる“ネズミ”の量が多かった。
(一晩でどれだけの“ネズミ”がかかるか……可能な限り減らしておかねばな)
内心で呟き、砂原はテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばす。今頃教え子達は暢気に騒ぐか眠るかしているだろうが、自分達は眠るわけにはいかない。小隊ごとに休憩を取っているが、砂原は眠るつもりもなかった。
(修学旅行ぐらいは、無事に過ごさせてやらねば……)
ことあるごとに問題に巻き込まれる自分の教え子達のことを考え、砂原は小さくため息を吐く。
修学旅行が良い思い出になるよう骨を折るのは、教官であり、大人である自分の役目だった。
どうも、作者の池崎数也です。
田舎に帰省するため、しばらく更新ペースが落ちます。
ご感想およびご指摘、評価等をいただけると嬉しく思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




