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第九十七話:修学旅行 その2 ゴール

「――行くぞ野郎ども、覗きだ」



 その宣言は、大部屋の中に確かに響き渡った。元々相談をしていた者達は勇者を見るような目で博孝を見つめ、恭介はガッツポーズを取り、他の者達の反応は二つにわかれる。

 一つは、“やるのか”と言わんばかりに驚きと称賛を浮かべる者達。

 一つは、危険性を考慮して尻込みする者達。


「はぁっ!? ちょ、犯罪だぞ!?」


 クラスメートの一部から、反対の声が上がる。すると、次の瞬間には博孝が顎先を蹴り上げて畳の上へと転がした。


「あぁん? なんだテメー、ムッツリかこの野郎。修学旅行だぞ? クラスの女子が温泉に入っているんだぞ? 覗かない? いや、覗くだろ! それが礼儀だ! あと蹴ってごめんね! 痛かったら治すよ!」

「い、いや、だから犯罪……」


 そう言いつつ、博孝は躊躇するクラスメート――和田の腕を取って優しく引き起こし、肩を叩き、親しげな、それでいて邪悪な微笑みを浮かべる。


「なぁ、和田君よ。考えてもみろよ? これから先、修学旅行なんてないんだぜ? それどころか、旅行の機会があるかもわからない、同い年の女の子と一緒に温泉に行く機会もないかもしれない……なあ、わかるだろ? 将来歳を取ってから、あの時恥ずかしがらずについていけば良かった、なんて思いたくないだろ? それとも何か? 女に興味はねえ! なんて硬派を気取ってるんですか? あん? まさか男色か? それなら寝る時は特殊鋼線で簀巻きにしてベランダに放り出すぞこの野郎!」


 押しに押し、和田の退路を断っていく博孝。時に優しく、時に激しく、洗脳でもするかのように言葉を重ねていく。

 くっくっく、と悪人染みた笑みを浮かべつつ、博孝は優しく語りかける。


「恥ずかしいけど、興味あるんだろ? なあ? ちょっと想像してみろよ……普段一緒に訓練している“あの”女子達が、薄板一枚の向こうで温泉に入っているんだぜ? 興味ないかね? んん? 折角の修学旅行だ、少しぐらい羽目を外したくないか? ほら、本音でいこうぜ?」

「そ、それはその……ちょっとは」


 次々に言葉をぶつけられ、和田は博孝の言葉に頷く――頷いてしまう。


「そうだろ? それにお前だって、好きな子ぐらいいるだろ? 好きまではいかなくても、気になっていたり、良いなって思っている子、いるだろ? なあ? その子が温泉に入っているんだ……見たいとは、思わんのかね?」

「…………」


 悪魔の囁きのように博孝が問うと、和田は複雑な表情のまま沈黙する。それを見た博孝は、あと一押しだと畳み掛けた。


「希美さんとか、ナイスバディだよな? 年上の魅力ってやつ? いいよな? 見たくないか? なあ? ああなるほど、他にお目当ての子がいる? おらおら、恥ずかしがってるんじゃないよ。ほら、言ってみ? あ、ここで目当てがみらいだとか言ったら、気絶させて放置した上、明日からあだ名が『ロリ男爵』になるから、悪しからず」


 博孝のその台詞に、クラスメートの一部がびくりと肩を震わせた。しかし、和田に対して洗脳紛いの文句を連ねていた博孝は、幸いというべきかそれに気づいていない。


「よ、よし! 俺も行く!」

「よおし! よく言った! それでこそ我らがクラスメート! 戦友だ!」


 和田が頷いたのを見て、博孝は握手をする。そして陽気に肩を叩くと、恭介に視線を向けた。


「恭介! 館内の地図を入手してこい! 一階部分だけで良い! 無理なら壁にかかっているやつをノートに書き写してこい! 護衛に気付かれるようなら、見取り図を記憶してこの部屋で書け!」

「合点承知っす! 十分待ってほしいっすよ!」

「五分だ!」

「アイアイサー!」


 博孝の指示に対して、恭介が返事をして部屋を飛び出していく。博孝はそれに満足そうに頷くと、自然な足取りで部屋の窓際へと歩み寄った。そして、暗くなった風景に目を細め、小さく口を開く。


「中村、城之内、和田はトイレに行く振りをして護衛の動きを確認してくれ。旅館の周囲には陸戦部隊員や兵士が展開しているな……移動や目標への接近方法は恭介が手に入れる地図次第か」


 呟きを拾い、すぐに中村や城之内、和田が部屋から出ていく。博孝は畳に座り込むと、胡坐を掻いて目を閉じ、精神を集中させる。『探知』を使って護衛の位置を確認したいが、『構成力』を使えばすぐに護衛が飛んでくるだろう。そのため、『ES能力者』としての感覚を研ぎ澄ませ、ES能力に頼らずに気配を探る。


「一、二、三……三階の『構成力』が階段に向かって移動しているな。女子達が入浴に向かっているらしい……これなら、タイミングは完璧だ」


 遮蔽物があるため、『探知』なしではそれほど遠くの『構成力』を探ることはできない。それでも一階分程度はカバーすることができ、三階に存在する多くの『構成力』が移動を始めていることが感じ取れた。


「戻ったっすよ!」

「こっちもだ」


 博孝が女子生徒の動向を確認していると、恭介や中村達が戻ってくる。恭介は手早くノートにペンを走らせ、中村達はそれぞれ報告を口にしていく。


「想像よりも護衛の数が少ない。夜間だから、内側よりも外側に注意を向けているんだと思う」

「俺も同感だ。トイレについて来たのは一人だけで、廊下を巡回する護衛も少ない。多分、分隊以上小隊未満だ」


 中村達の報告を聞き、博孝は強く頷く。間違いなく、好機だ。しかし、話が美味すぎるようにも感じる。


(夜間ということで、周囲の警戒に人員を割くのは当然だが……いや、『探知』もある。生徒やその周囲に妙な動きがあれば、一発でわかるか)


 『探知』を使えば、生徒周辺の異常は察知できる。護衛に就く『ES能力者』は、訓練生よりも格上だ。『隠形』でも使わなければ隠れきることはできないだろう。かといって、生半可な『隠形』では砂原に見破られる。


(途中までは自然に接近し、あとは突貫する、か……状況次第だが、下手をすると速度が勝負を分けるな)


 頭の中で作戦を組み立てていく博孝。そうやって考え込んでいると、恭介が手に持ったノートを差し出してくる。


「さすがに見取り図は入手出来なかったすよ。でも、旅館の一階部分はこんな感じだとわかったっす」


 差し出されたノートを見てみると、旅館の一階部分の簡単な見取り図が描かれていた。それも旅館内部だけでなく、旅館周辺の地形も描き込んである。


「この、旅館周辺の地形も恭介が?」

「いや、そこは他のみんなが見た地形を描き出して、一番正確と思われるものを採用したっす」

「なるほど……完璧(パーフェクト)だ、恭介」

「感謝の極みっす」


 悪い笑みを交わし合い、博孝は恭介がノートに書き写した地図を机の上に置く。そして男子生徒全員を周囲に集めると、一人ひとりの目を見てから口を開いた。


「では、作戦を説明する!」


 それは、これから行う“任務”に関する説明だ。如何に効率良く、如何に被害が少なく、如何に多くの戦友が任務を達成するかを決定づける作戦説明(ブリーフィング)だ。 


「俺達『ES能力者』が使用するということで、一般の利用客はいない。しかし、俺達の護衛ということで教官を始め、複数の『ES能力者』と銃器で武装した兵士が旅館周囲と旅館内部を巡回している。ここまではいいな?」


 男子全員が頷くのを見てから、博孝は話を続ける。


「さすがに巡回経路まではわからないが、巡回している護衛達は“外側”からの侵入者を警戒しているだろう。その点から考えると、内側に対する警戒はそれほどではないと考えられる。つまり、教官達や兵士の監視を掻い潜り、あるいは外側に目を向けさせつつ、ここ……女子が入浴するであろう風呂場まで辿り着くのが本ミッションの目標だ」


 恭介が描いた地図を指差し、“目標”の位置を示す。周囲を窺って見れば、全員が真剣な表情をしていた。まるでこれから死地に赴くような、精悍な戦士の顔をしている。博孝はそれを頼もしく思いつつ、肩を竦めてみせた。


「だが、ここで残念なお知らせだ。内部の警備が手薄といっても、『探知』で居場所がバレるだろう」

「そうか、『探知』があるのか……」

「どうする? こっちには『隠形』を使える奴がいないぞ?」


 声を潜め、目線を交わし合い、それぞれが意見を出す。『探知』があるのでは、到底目標を達成し得ない。それに気づき、僅かに戸惑いや躊躇の感情が漂い始める。

 このまま作戦を実行しても良いのか、それとも今回は見送るべきか。

 博孝はそんな周囲の空気を感じ取ると、全員の目の前で右拳を握り締めて注目を集める。


「残念ながら、二日目以降はホテルに宿泊だ。この旅館のように、露天風呂がある可能性は非常に低いと言わざるを得ない……」

「つまり……撤退は敗北ってことっすね」

「そうだ。それを踏まえて、諸君らに問いたい。ここで退くか? 安全を選び、危険を放棄し、己が願いを打ち棄てるか? それも仕方がないことだろう。だが、俺は敢えて問いたい……本当に、諦めるのか?」


 博孝が問うと、ほとんどの男子生徒は沈黙したままで下を向いてしまう。“任務”の成功確率は、高くない。否、失敗する確率の方が遥かに高い。

 その事実を理解し、失敗した時に何が起きるかを恐怖し、足を竦ませる。決意が萎えれば、二度とは立ち上がれまい。負け犬になって生き永らえるか、それとも危険を冒して勝利を掴むか。

 僅かに間を置き、博孝は勇気づけるように語りかけていく。


「難易度は高い。危険性も高い。もしかすると、一人も桃源郷にたどり着けないかもしれない……だが、それは諦めることにはつながらない! 夢は、追いかけなければ叶うはずもない!」


 身振り手振りを交え、熱弁を振るう博孝。それを聞いて最初に顔を上げたのは、恭介だった。


「博孝、俺はやるっすよ……例え他の全員が逃げようと、俺だけは逃げないっす」


 それは、覚悟を決めた声だった。この場を死地と定め、例え力尽きても後悔しないと思わせるほどに覚悟が込められた声だった。


「お、俺も行くぞ! ここで退いたら男じゃねえ!」

「俺もだ! 逃げられねえ!」


 恭介の声に続き、他の男子生徒達も次々に賛同の声を上げていく。そして全員が決意を固めたのを見て、博孝はニヤリと笑った。


「全員が立ち上がると、俺は信じていた――喜びたまえ、諸君。この旅館の風呂場は露天風呂だ。“目標”まで到達すれば、任務の完遂も同然。『ES能力者』の身体能力を以ってすれば、覗くのは容易い」


 博孝がそう言うと、男子生徒達は全員がニヤリとした笑みを返す。博孝は頼もしそうに笑い返すと、再び地図へと視線を落とす。


「それでは作戦だ。まずは、二手に分かれて“目標”へ接近する。だが、直接は向かうな。片方は風呂に、片方は遊戯施設に行くと思わせろ」

「風呂同士が隣り合っていれば話は楽だったんっすけどね……」


 説明が開始されると、恭介が残念だと言わんばかりに呟いた。男女の露天風呂は分かれており、覗き対策なのか距離も取ってある。もしも隣り合っていれば、軽く跳躍するだけで覗くことができただろう。


「それを言っても仕方がない。作戦の続きを説明するぞ? 二手に別れた後、風呂組は中に入ったら即座に露天風呂の壁を乗り越えて外に脱出する。この際、上空で警戒をしている空戦部隊員に気付かれないよう、頭上に遮蔽物がある場所を選ぶんだ」


 ノートに描かれた地図の上で指を躍らせつつ、博孝は説明を続ける。


「遊戯施設組は、そこからさらに分散する。トイレの窓や廊下の窓、外へと脱出できる場所を探し、護衛の隙を突いて脱出を行う。内部の護衛は少ないからな。分散することで脱出しやすくなる。ただし、脱出の際は“外側”の護衛に注意しろ。神経を研ぎ澄ませて気配を探れ」


 二手に別れてからの行動指針を説明し、最後に博孝は最も重要な点を説明する。


「『構成力』については、作戦を決行するまではそのままだ。しかし、作戦を開始すると同時に『構成力』を極力抑えろ。というか、完全に消せ。護衛もそうだが、入浴側にも沙織のような、『お前本当に人間か?』ってぐらい勘が鋭い奴もいるからな」


 上手くすれば、護衛も混乱するかもしれない。後で怒られるだろうが、目標を達成した後ならば後悔もない。


「二つの班、これはA班とB班としよう。A班の指揮は俺が、B班の指揮は恭介、お前が執れ。A班は風呂場から、B班は遊戯施設側からの突入だ。突入のタイミングは今から五分後、フタマルフタマル」

「了解っす!」


 すぐさま人員を選別し、博孝達は大部屋の中央で円陣を組む。そして中央で手を重ね合わせ、決意を込めて宣誓する。


「それでは作戦開始だ。諸君らの武運を祈る――行くぞ、戦友達よ」








 五分後、博孝は男子用の露天風呂にいた。着替えを準備し、さもこれから一風呂浴びると言わんばかりの出で立ちで露天風呂まで移動してきたのだ。腰ホルダーから携帯電話を取り出すと、時刻を確認する。


 ――時刻は、午後八時二十分。


「作戦時刻だ。ここから先、声を出すことを禁止する。何かあれば全てハンドサインで指示を出す。見落とすなよ」


 博孝が確認を取ると、A班の全員が静かに頷いた。博孝はそれに頷き返すと、露天風呂を仕切る木製の壁へと耳を付けて目を閉じる。頭上には屋根がせり出しており、そのギリギリの位置だ。

 精神を集中した博孝は、周囲に足音や『構成力』がないことを探る。そして班員に向かってハンドサインで待機するように指示を出すと、音を立てずに跳躍した。

 木製の壁は木の板でできているため、それほど厚みがない。高さは三メートルほどあるが、『ES能力者』の身体能力ならば飛び越えることは容易だ。博孝は軽々と壁を乗り越えると、膝のバネを十分に活かして音を立てずに着地し、近くにあった茂みへと飛び込む。

 再び周囲の様子を確認し、護衛がいないと判断してから露天風呂を仕切る壁を一度だけ軽く、優しく叩いた。その音を聞き、他の班員が壁を飛び越えてくる。全員が音を立てないよう着地すると、即座に移動を開始した。

 目標地点までは、距離にして五十メートルほど移動する必要がある。全力で駆ければすぐに到着するが、それでは足音が立ってしまう。故に、博孝達は足音を立てないようにしながら最速で歩を進めていく。


「っ!」


 前方から近づく気配を察知し、博孝は即座にハンドサインを背後に送る。そのハンドサインを見た班員達はすぐさま反応し、博孝と共に傍の茂みへと身を伏せた。息を止め、衣擦れの音をなくし、『構成力』も極力抑える。その姿は、一年と半年以上訓練校で鍛え抜いてきた成果だ。

 『隠形』に近い精度で『構成力』を抑え込み、護衛が通り過ぎるのを待つ。


「今は女子が入浴しているんだろ? 少しぐらい……」

「馬鹿言うなよ。隊長にどやされるぞ。そりゃ昔はそんなこともやったけどさ」


 分隊を組んで巡回しているのは、陸戦部隊の『ES能力者』だった。呼吸すら止めて身を潜める博孝達に気付いた様子もなく、談笑しながら歩き去っていく。そして十分に距離が離れたと判断すると、博孝達は茂みから抜け出し、顔を見合わせた。

 女子が入浴しているというのは、間違いないらしい。期待に胸を膨らませ、博孝達は再び前へと進み出す。しかし、油断するわけにはいかない。十分に注意し、気配を絶ち、周囲を警戒する。

 博孝は時折上空にも意識を向けるが、幸いというべきか近くを飛んでいる空戦部隊員はいない。『飛行』を発現する際は『防殻』と同様に白い光に包まれるため、夜間は識別が容易なのだ。


(あと少し……あと少し……)


 早鐘を打つ心臓を宥めつつ、博孝は前へと進む。ここまでくれば、引き返すこともできない。引き返すつもりも、ない。

 そうやって進んでいると、露天風呂を仕切る木の板が見えてきた。だが、ここで気を抜くわけにはいかない。博孝は周囲や頭上に意識を配りつつ、仲間と共に少しずつ接近していく。

 恭介達B班も無事に到着したのだろうか、それとも見つかってしまったのだろうか。そんな心配が脳裏を過ぎるが、騒ぎになっていない以上、B班も問題がないのだろう。博孝はそう結論付け、露天風呂のすぐ傍まで接近することに成功する。

 班員の顔を見渡し、力強く頷き、振り上げた手を振り下ろす。

 ここが、この場所こそが、男の夢と浪漫と具現。楽園であり、理想郷であり、天国だ。

 博孝は音を立てずに仕切りの板へと接近し、勝利の凱歌を奏でる。


「さあ、ここが――天国(ゴール)だ」








「そうだな。ここが――地獄(ゴール)だ」


 その言葉が博孝の耳に届くと同時、突然目の前の木の板が吹き飛ぶ。そして木片に隠れて“何か”が飛び出ると、博孝の視界を塞いだ。


「んなっ!?」


 博孝は思わず驚愕の声が上がるが、こめかみに締め付けられるような痛みを感じて悶えるしかない。


「ぬるい……まったく以ってぬる過ぎる……途中の『隠形』はそれなりだったが、考えが浅い」 


 その声には聞き覚えがあり、視界を塞いでいるのは何者かの手だった。博孝はアイアンクローで顔面を掴まれ、そのまま木の板を破りながら露天風呂の内側へと引き摺り込まれる。


「て、“敵襲”だ!」


 それは、行動がバレたことを示す撤退の合図だ。せめて仲間を逃がそうともがく博孝だが、すぐに腕が振られ、博孝の体が宙に舞って湯船へと落下する。


「ぶはっ!? な、何事!?」


 突然湯船に放り込まれ、濡れた衣服が纏わりつく。その不快感を堪えつつ、博孝はすぐに顔を上げて状況の把握を試みる。

 湯船から顔を出した博孝は、無表情の砂原が自分を見下ろしているのを目視して心の底から悲鳴を上げた。


「ぎゃああああああああああああああぁぁっ!? きょ、教官!? なんで!? 今は女子の入浴時間のはずじゃあ!?」

「そうだな、女子生徒の入浴時間だ……だが、“ここ”を利用すると誰が言った?」


 無情に、冷酷に、淡々と告げる砂原。その言葉を聞いた博孝は、目と口を大きく開いて驚愕を露わにする。


「ま、まさか……」

「温泉旅館に風呂場が二ヶ所しかないと思ったか?」


 それが答えだった。露天風呂という目を惹く存在に欺かれ、他の可能性を考慮しきれなかったのだ。

 博孝が驚愕していると、重たい物が落下する音が背後から響く。恐る恐るそちらへ視線を向けてみると、そこには気絶したB班の面々が倒れていた。博孝が率いたA班も逃げ切れなかったのか、いつのまにか露天風呂を包囲するように展開している陸戦部隊員に確保されている。


「くっ、無念……」


 それだけを言い残し、博孝は湯船の中で両膝をつく。未来と夢と希望を賭けた願いは、儚くも砕け散ったのだ。後に残るのは、戦いに敗れた寂寥感と無念だけである。それでも、博孝は指揮官として成すべきことを成す。


「教官……他の皆は俺に唆されただけなんです……何卒お慈悲を」


 そう言って、博孝は頭を下げた。すると、気絶していなかったA班の面々が口々に声を放つ。


「いや、発案者は俺です! 他の皆は悪くないんです!」

「扇動したのは俺なんですよ!」

「みんな……」


 責任は自分にあると主張する仲間達。その姿に涙腺が緩みかける博孝だが、そんな周囲の主張を聞いた砂原は笑顔を浮かべて頷いた。


「河原崎一人に責任を被せると思ったが、庇い合うか……良い仲間だな」

「教官……」


 穏やかに告げる砂原に、博孝は淡い期待を持つ。修学旅行ということで、普段よりも大目に見てくれるのだろうか。そんな期待を込めて砂原の沙汰を待つと、砂原は笑顔で告げる。


「安心しろ――貴様等全員に、連帯責任という言葉を教育してやる」


 その言葉を最後に、再び博孝の悲鳴が周囲に響き渡るのだった。








「……あら?」

「沙織ちゃん、どうかしたの?」


 突然顔を上げ、視線を“天井”に向ける沙織。それを見た里香は、不思議そうに首を傾げた。


「いえ……今、博孝の悲鳴が聞こえたような気がして」

「……おにぃちゃんのひめー?」


 不思議そうに呟く沙織に対して、みらいも不思議そうに首を傾げた。

 現在沙織達がいるのは、入浴施設である。ただし、“地下一階”にある入浴施設だが。


「でも、突然教官から入浴場所の変更指示が回ってくるなんて……何かあったのかな?」

「露天風呂だと、外からの『狙撃』や『爆撃』が危険だからでしょう。『飛行』が発現できるのなら、上空から狙い撃ちするのも容易だわ。まさか、覗きが出るなんて理由じゃないでしょうし」


 入浴時間となり、第七十一期訓練生の女子生徒全員が移動を開始する直前のことだった。砂原からメールが送られ、入浴場所が地下の入浴施設に変更されたのである。理由などは書いていなかったが、安全管理の問題だろうと沙織は判断した。

 護衛として女性の『ES能力者』達がついてきているが、沙織達の会話を聞くと一様に苦笑を浮かべている。それを不思議に思った沙織だが、わざわざ聞くようなことでもないと判断した。

 地下に作られた入浴場だが、普段訓練校で使用しているシャワールームに比べれば遥かに広い。脱衣所も十分に広く、みらいも含めて女子生徒全員が同時に着替えを始めても窮屈さを感じなかった。

 訓練校では共に風呂に入る機会などないが、同性同士ということで躊躇なく服を脱ぎ、入浴場へと足を踏み入れる。ほとんどの女子生徒は体にバスタオルを巻いているが、沙織やみらいなどは全く気にせず、衣服を脱いだ後はそのまま入浴場へと入っていく。

 みらいはともかく、沙織も微塵も気にした様子がない。周囲にいた他の女子生徒達は、そんな沙織を見て格好良い、躊躇が無さすぎる、男らしいと心中で思った。


「さ、沙織ちゃん? タオルは巻かないの?」


 個人の自由だと思うが、一応は尋ねる里香。沙織はそんな里香の問いを受けると、不思議そうに首を傾げた。


「え? 同性しかいないんだし、隠す必要もないでしょ?」


 堂々と返答する沙織だが、あまりにも堂々としているため、里香は思わず沙織の体に視線を向けてしまう。

 訓練校に入校する前から剣術で体を鍛え、入校してからも休むことなく毎日訓練を行っているのだ。無駄な脂肪は一切ついておらず、それでいて“出ている部分”はしっかりと出ている。かといって筋肉質というわけでもなく、女性らしい肉付きも見て取れた。


「うぅ……」


 服や下着を着た状態ならばともかく、裸の状態で接したことはない。そのため、沙織のプロポーションを見た里香は苦悶の声を漏らしてしまった。無意識の内にタオルに包まれた自分の体を見下ろし、沙織との“差”を思い知る。

 年齢相応――などと見栄を張りたかった里香だが、同年代の中でも発育が遅いように思われた。普通の人間のままならば、肉体も順調に成長しているはずだ。しかし、『ES能力者』になってからは肉体の成長が遅く、訓練校に入校してから成長したようには思えない。


(これから……うん、きっとこれから……)


 タオル越しに自分の胸の膨らみに触れ、里香は一心に願う。自分は成長期であり、『ES能力者』として成長が遅れていても“これから”があるのだ、と。

 一方、突然落ち込んだ様子の里香に困惑していた沙織は、一分ほど経ってから里香が何を気にしているかに気付いた。そのため、里香の肩に手を置いて優しく語りかける。


「大丈夫よ、里香。里香のプロポーションは、とても里香らしいもの。わたしはとても可愛らしいと思うわ」

「えっと……それ、褒めてくれているのかな?」


 沙織がさり気なくタオルを外そうとするので、足捌きを駆使して回避する里香。沙織はそれを追うようにして両手を動かしていたが、やがて何かに気付いたのか視線を外す。


「それに里香、本当に“大きい”っていうのは、彼女みたいな人を指すのよ」


 言われるがままに里香が視線を向けると、そこには希美の姿があった。里香と同じように体をタオルで包んでいるが、“一部”に大きな差異がある。


「希美さんは……うん」


 里香からすれば、敗北感すら浮かばない。富士山と日和山ほどの差があるように思えた。そのため、言葉少なに頷く。

 そんな里香と沙織の会話が聞こえたのか、どこか楽しそうにしながら希美が近づいてきた。


「名前を呼ばれた気がしたのだけど……何かあった?」

「……何でもないです」


 里香が元気なく答えると、希美は納得しかねたように首を傾げる。それでも深く追求することは控えたのか、代わりに風呂場の一角に視線を向けた。


「それにしても、みらいちゃんは大人気ね」


 話を変えようとしたのだろうが、その声に釣られた里香が見たのは複数の女子に囲まれているみらいの姿だ。みらいを囲み、その上で歓声が上がっている。


「うわっ、本当に肌が真っ白!」

「色もだけど、肌自体も綺麗よね……」

「どうやったらこんな綺麗な肌になるのかしら……髪もサラサラだし」


 みらいに手を伸ばし、視線を向け、心底不思議そうにしている女子生徒達。みらいは褒められたと思ったのか、笑顔で口を開く。


「おにぃちゃんがきれーにしてくれるの!」


 ――だが、次の瞬間には周囲にいた女子生徒の表情が凍りついた。


 その場にいたほぼ全員の視線が一気に集まるが、みらいはそれに気づいた様子がない。何の反応も示さなかったのは、沙織ぐらいだ。みらいの発言を聞き流した沙織は、マイペースに体を洗い始めている。


「ま、まさか、みらいちゃん……河原崎君と一緒にお風呂に入っているの?」


 恐る恐る、一人の女子生徒が尋ねた。みらいは何故そんなことを聞くのかと思いつつも、しっかりと頷く。


「んー……ときどき」


 曖昧に答えるみらいだが、その回答は事実を表していなかった。みらいが博孝にしてもらうのは、入浴後に髪を乾かしてもらうことである。みらいにとって、風呂に入った後に博孝に髪を乾かしてもらうのはよくあることだ。そのため、風呂に入ることと髪を乾かすことがつながっているように思えたのである。

 もっとも、一人で風呂に入るよう促す博孝に頼み、一緒に風呂に入ったこともあるのだが。


「本当に!?」

「うわぁ……仲が良いと思ってたけど、それってまずいんじゃない? みらいちゃんって見た目はともかく十三歳……今年で十四歳でしょ?」


 だが、周囲にいた女子生徒達には伝わらない。兄弟がいる者もいたが、さすがにある程度年齢を重ねてから一緒に風呂に入ったことはないのだ。


「……だめなの?」

「駄目なの!」

「良い? それは“恥ずかしい”ことなの! いくら兄妹でも、引くべき一線があるの!」


 疑問を込めて尋ねるみらいに、周囲の女子生徒達は断固として否定する。兄妹でなら、と思う者も少数いたが、さすがに声を大にして肯定することはできなかった。そんな騒ぎの中、沙織だけは湯船に浸かり、心地良さそうな息を漏らしている。

 理解しかねる様子のみらいだったが、周囲の騒ぎ様を見かねた希美が膝を折って視線の高さを合わせ、みらいへ言い聞かせるように話しかけた。


「例えば……そうね。みらいちゃん、河原崎君以外の男の子と一緒にお風呂に入れる?」

「……むり……かな?」


 希美に尋ねられ、みらいは僅かに考え込んでから首を横に振った。


「それはなんで?」

「……なんで? なんで……なんで?」


 先程よりも深く考え込むみらい。一番近しい男性は、博孝だ。敢えてその次を挙げるとすれば、恭介だろう。他の男子生徒もみらいには優しく接するが、博孝とは“何か”が違う。


「なにか……いやっ」


 みらいは明確な言葉でなく、感情の赴くままに答える。博孝以外と一緒に風呂に入ることを想像してみたが、落ち着かないような、怖いような感情を覚えたのだ。


「そうよね。それが恥ずかしい……難しく言うと、羞恥心かな?」

「しゅーちしん……」

「本当は、河原崎君に対しても覚えた方が良いのかもしれないけど……みらいちゃんにとってはお兄ちゃんだものね」


 幼子に対して教え諭すように語る希美。それを傍で聞いていた里香は、周囲とは異なる意味で焦っていた。

 みらいは戸籍上では十三歳となっているが、年齢通りに感情が発達しているとは言えない。外見が幼いために周囲は違和感を覚えていないようだが、少しばかり注意深く考えればおかしな点に気付くだろう。


「じゃあ、おにぃちゃんといっしょにおふろはいったらだめなの? いっしょにねるのもだめ?」


 焦る里香を他所に、みらいは希美に質問を行っている。希美はみらいの質問を聞くと、困ったように微笑んだ。


「駄目ってわけじゃないけど……みらいちゃんは甘えん坊ね」


 里香の焦りに気付いたのか、それとも別の意図があったのか、希美は誤魔化すようにみらいの頭を撫でる。肯定も否定もせずにいると、周囲にいた女子生徒が顔の前で手を振った。


「でも、みらいちゃんにお願いされたら断れませんよ。わたしが河原崎君だったら、際限なく甘えさせちゃいますって」

「わたしも! こんな可愛い妹なら大歓迎!」

「みらいちゃんと一緒にお風呂、か……よし、今日はお姉さんが洗ってあげる!」


 それまでの会話を流すようにして、女子生徒達が騒ぎ始める。誰がみらいの体を洗うか、今夜は誰が一緒にみらいと寝るか、いっそのこと訓練校に戻ったら博孝の部屋から自分の部屋に引き取れないか、などと口論を始め、騒がしくなっていく。

 結局、その剣幕に恐怖したみらいが里香のもとへと逃げ込み、体を洗うのも一緒に眠るのも里香の役割になったのだった。


 男子達に比べて、女子達は平和である。











覗きは犯罪です。


なお、砂原によって破壊された木製の壁は陸戦部隊員によって即座に修復されました。

覗きは訓練校の伝統行事です。


いただいたご感想で気になった点がありましたので、注釈など。

Q.視認性も悪いですし、護衛の移動に軽装甲機動車を使用するのはどうなんでしょう(意訳)

A.以前登場した艦船同様、陸軍が使用する車両や武装についても現実とは異なるものだったりします。今回登場した軽装甲機動車についても、視認性を向上させてあります……が、防弾性能はつけても“無駄”になるため、重視していません。それに加えて、現実のものよりも走破性や機動性が上がっていたりします。


作中では『現実とは異なり~』という表現ができないため、あとがきにて補足をいたしました。少しでもご納得いただければ幸いに思います。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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