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第八十八話:未来図

 その日、砂原はかつてないほどの不機嫌さを表情に出しながら日本ES戦闘部隊監督部のビル内を闊歩していた。先日の任務中で発見された“アンノウン”と『天治会』の者と思わしき『ES能力者』、その二つについて“上”に報告をしてきたのだが、その時のやり取りを思い出すだけで腸が煮えくり返る思いである。

 ビル内には多くの『ES能力者』が詰めているが、砂原を知る者はその顔を見るなり道を譲って直立不動となり、砂原の顔を知らない若輩の者でも顔を引きつらせて回れ右をした。

 時折砂原よりも階級が上の尉官や佐官とも遭遇するのだが、それほどの階級を持つ者の反応は著しい。顔を合わせた砂原は無表情で敬礼をしてくるのだが、答礼を以って応える際の右手が小刻みに震える者も多くいた。

 そして、砂原に遭遇した佐官の中でも特に砂原と親しい空戦少佐――町田は、盛大な痛みと引き攣りを訴える胃を押さえた。日本ES戦闘部隊監督部へ訓練でかかる費用と人員の補充について直接陳情に来たのだが、これならば違う日にすれば良かったと心の底から思いつつ、恐る恐ると口を開く。


「あ、あの、す、砂原先輩? 何かあったんですか?」


 このままではビル内の空気が戦時よりも酷いものになる。銃火に満たされた戦場とて、まだ生温い。そう思った町田は、他の者のためにも爆発物に手を突っ込む気持ちで尋ねた。その口ぶりには階級差が存在せず、一個の人間同士の力関係が如実に表れている。

 これならば、紛争地帯に飛び込んで所属不明の大隊に喧嘩を売る方が余程楽だろう。町田がそう思う程には、砂原の発する怒気が凄まじかった。大隊が相手では、町田とて勝てる自信はない。しかし、今の砂原と戦えば、確実に殺される。それならば、まだ不確実な可能性に賭けた方が勝ち目がある。

 砂原は町田の質問を受け、町田に対して視線を向けた。睨んだわけでも、凄んだわけでもない。無表情に視線を向けただけである。


「感心しませんな、少佐殿。階級が下の者にそのような言葉を使われては、他の者に示しがつきません」


 軍規が緩みましょう、と淡々と注意する砂原。町田はそんな砂原の言葉に頬を痙攣させると、唇を震わせながら傍にあった小さな会議室を示した。


「で、では軍曹。階級が上の者として、何か不満があるのなら聞きたいと思う。時間はあるかね?」

「少しならば」

「そ、そうか。では、先に部屋に入って待っていてくれたまえ」


 頷く砂原を見て、町田はひとっ走りして缶コーヒーを買いに行く。そんな町田の背中を見送った砂原は、大きく息を吐いて会議室に入った。


(いかんな……俺もまだまだ未熟というわけか。感情を抑えきれんとはな)


 自制するように内心で呟く砂原だが、怒りの感情が消えることはない。意識して深呼吸を繰り返し、怒りを呼気に乗せて吐き出そうとする。そうやって砂原が気持ちを落ち着けていると、ノックをしてから町田が入ってきた。


「ブラックコーヒーで良かったかね?」

「感謝いたします」


 言葉とは反対に、殿様に献上品を捧げる農民のような振る舞いで町田が缶コーヒーを差し出す。砂原は缶コーヒーを受け取ると、プルタブを開けて口をつけた。


「それで……本当にどうしたんですか? 先輩がそこまで怒っているのなんて、今年の頭に訓練生の任務で“上”から文句をつけられた時以来じゃないですか?」


 周囲に他の者の目がないということで、町田は普段通りの口調になる。砂原はそんな町田に対して呆れたようなため息を吐くが、その“厚意”に乗ることにした。


「俺としては、あの時以上だ。まったく、“上”の連中を縊り殺したくなる」


 ポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点け、紫煙と共に物騒な言葉を吐き出す砂原。砂原から差し出された煙草を受け取り、同じようにライターで火を点けた町田は苦笑しながら話を進めることにした。


「昨日から大騒ぎになってますけど、新種の『ES寄生体』が発見されたんですよね? それに関係することですか?」


 町田としても驚くべき情報だが、第七十一期訓練生の一部と砂原が交戦し、生きたままで捕獲をしたらしい。二匹捕まえた内の片方は自決したと聞いているが、新種の『ES寄生体』を捕獲したとなれば大戦果だ。今後の世界情勢に与える影響を考えれば、敵性の『ES能力者』一個大隊を撃破するよりも優れた功績だろう。

 新種の『ES寄生体』に関する研究と、それによって得られる情報の数々。また、各国に注意を促すだけでも一つの貸しになる。

 そう思えばこそ、砂原が不機嫌になる理由がわからない。下手をせずとも、勲章を叙勲されるレベルの功績である。コーヒーと煙草を供に話を聞く町田だが、砂原が語り始めたのは町田としても眉を潜めてしまう内容だった。








 砂原が所属しているのは訓練校であり、防衛省の直轄である。『ES能力者』を管理する日本ES戦闘部隊監督部とも所属が被ることになるが、基本的には防衛省が優先だ。そのため、砂原は最初に防衛省――“上”に報告を行った。

 用件の重要度が非常に高いため、“上”の中でも重責を担う室町大将や山本元帥、他複数の将官の前で報告を行うことになったのだ。事前にある程度の情報が伝えられていたとはいえ、“上”の反応は大きかった。

 他にも新種の『ES寄生体』が存在する可能性があり、その危険性も予測が難しい。既存の陸戦部隊で対応ができるのか、また、対応させるとしても現場の負担がどれほど増大するか。そうなれば、人員や装備の補充や一新を行う必要もある。人員の面でも、費用の面でも、これまでとは異なる大きな変化が必要となるだろう。

 室町を含んだ将官達は、口々にそれを指摘した。砂原としても同意すべき内容であり、そこまでは納得しながら聞いていたのである。だが、問題はその後にやってきた。

 博孝率いる第一小隊と、中村率いる第六小隊。その二小隊と砂原によって回収、捕獲された新種の『ES寄生体』について、一部の将官から砂原に対して疑問の声が上がったのだ。


「一匹は生きているが、もう一匹は死んでいる。しかも、その死因が自決とはどういうことかね?」

「報告の通りであります。第七十一期訓練生の第六小隊が交戦していた『ES寄生体』については、小官が救援に駆けつけるなり自決を行いました。自分自身の手で心臓を貫き、治療を施す暇もなく死亡しております」


 少将の男から尋ねられ、砂原は報告書を読み上げるように返答する。


「そんなものは報告書を見ればわかる! 私が聞いているのは、『ES寄生体』が何故自決したのかということだ! 『ES寄生体』といえど、元は動物。それが自決する? 軍曹が手加減を誤って殺したのではないのかね!?」


 少将がそう言うと、他の将官からも同意するような気配が漏れた。『ES寄生体』は動植物を元としているが、これまで『ES寄生体』が自決したという話は一度たりとも聞いたことがない。

 新種の『ES寄生体』が得た、新たな行動かもしれない。だが、それが自決では納得もし難かった。それならば、砂原が加減を誤って殺してしまったと判断した方が納得しやすい。


「……小官が、報告内容をねつ造したと?」


 砂原の声が、僅かに低くなる。室内に緊張感が満ち、帯電したように空気が張り詰める。その空気に気圧された少将は僅かに身を引くが、すぐに鼻を鳴らして口を開いた。


「第一小隊が遭遇した新種の『ES寄生体』は、自決していない。報告によれば、『天治会』の者と思わしき『ES能力者』による攻撃で負傷しただけではないか。同時に二匹の『ES寄生体』が現れて、片方は自決して片方は自決しない。これまでの『ES寄生体』の行動からも考えて、自決したという報告は信じ難いものだ」


 捲し立てる少将の言葉を聞いた砂原は、たしかにと納得する。難癖をつけているだけと思ったが、それは尤もな疑問だと砂原も思う。砂原も感じた疑問である以上、否定することはできなかった。


「そういった不可解な行動も含めて、新種の『ES寄生体』ってことなのだろう」


 口を閉ざした砂原に助け舟を出したのは、山本だった。刈り込まれた白髪と顔に刻まれた皺が老いを感じさせるが、瞳の鋭さは苛烈なものだ。指を組みつつ、先ほど発言した少将に鋭い視線を向ける。


「君は自決した『ES寄生体』の写真を見たかね? 写真を見れば、砂原軍曹の手によるものではないとすぐにわかるぞ」

「は……写真は見ましたが、心臓部分に穴が開いているだけでは? それこそ、『穿孔』と呼ばれる砂原軍曹なら容易に成し得るかと」


 元帥という最高位の軍人の言葉だが、少将は疑問を呈する。しかし、山本は首を横に振った。


「馬鹿を言うな。砂原軍曹が手を出したのなら、あんな汚い傷口にはならん。少将、君は『穿孔』の名前の由来をよく知らんようだ」

「と、申しますと?」


 怪訝そうに尋ねる少将。そんな少将に対して、山本は口の端を吊り上げて凄惨に笑う。


「本当に綺麗に穴を開けるんだよ。砂原軍曹と交戦した敵性『ES能力者』の写真はデータベースに残っているから、後で確認すると良い。あんな不細工な手際はしとらんさ」


 地の口調を僅かに覗かせながら、山本は断言する。砂原が手を下したのなら、『穿孔』の名に相応しい傷口になっているだろう、と。


「お褒めに預かり恐縮であります、閣下」


 山本の言葉に応える砂原の態度は、どこかふてぶてしい。軍曹と元帥という階級差でありながら、平然としている。そんな二人のやり取りを聞いた少将は口を閉ざし、椅子に腰を落ち着けた。

 場の空気が僅かに緩むが、今度は別の少将が口を開く。


「しかし、第七十一期訓練生は何かと問題に巻き込まれています。これは何かしらの対策が必要なのでは?」


 それは純粋な提案だったのか、それとも別の意図があったのか。間違いないのは、砂原の心中が爆発寸前の火山へと変貌する切っ掛けであったということだ。


「第一小隊が、というよりは、特定の訓練生が原因のように思えるがね……独自技能保持者に、人工の『ES能力者』。それに加えて、『武神』殿の孫娘だ。ここまで目を惹く人材が一つの小隊に揃っていれば、テロリスト共が手を伸ばしたくなるのもわかる」

「今の時点でも、致命的な状況に陥っていたことがある……それを潜り抜けたことで評価されても、それはマッチポンプのようなものだ」


 ピクリと、砂原のこめかみが痙攣する。だが、感情を爆発させるわけにもいかない。そのため沈黙を守っていると、少将が報告書を手で叩きながら呆れたように言う。


「今回の件でも、『天治会』と思わしき『ES能力者』が接触した上で忠告してきたのだろう? 忠告をしてきた相手の意図は読めんが、『天治会』は特定の訓練生に御執心らしい。これでは、他の訓練生にとっても危険では?」


 それはある意味では正論だろう。博孝やみらいの存在が他の訓練生を危険に巻き込んでいると言われれば、砂原としても反論が難しい。しかし、他の訓練生は博孝やみらいの存在に触発され、その力を伸ばしてもいるのだ。


「いっそのこと、特例としてすぐに卒業させてみるのも一つの手かもしれませんな。その上で適当な部隊に放り込み、『天治会』なり他の敵なりを釣る……良い手だと思いますが」

「釣り餌にするわけですか……良いですな」


 今思いついたと言わんばかりに提案する声が上がり、それに賛同する声も上がる。それを聞いた砂原は静かに拳を握り締めた。

 博孝やみらいが原因で問題が起きるなら、いっそのことこちらから“餌”をぶら提げても良いかもしれない。そうすることで『天治会』や他の脅威が“餌”に飛びつき、それを横から捕まえる。

 博孝やみらいに生じる危険性を考慮しなければ、一つの手として有効だろう。しかし、教官である砂原としては断じて賛同することはできない。そのため、怒りを押し殺しながら口を開こうとし――それよりも先に、室町が口を開いた。


「落ち着きたまえ、諸君。河原崎博孝、河原崎みらいの両訓練生はあくまで“学生”だ。それを目先の欲に囚われて放り出せば、世論が黙ってはいまい。『ES抗議団体』は喜ぶかもしれんが、『ES保護団体』からは非難の嵐が起きるだろう」


 騒いでいた将官達を手振りで黙らせ、室町は続ける。


「それに、訓練状況を考える限り両訓練生は将来的に素晴らしい『ES能力者』になるだろう。手厚い保護こそすれ、危険な博打に投じるわけにはいかん。そんな彼らを今すぐ放り出そうなど、正気かね?」


 博孝とみらいの身を案じるように、憂慮の表情を浮かべる室町。砂原としては有り難い援護だが、それを口にしているのが室町というのが腑に落ちない。砂原が密かに視線を向けてみると、山本も怪訝そうに眉を寄せている。


「考えてもみたまえ。河原崎博孝訓練生は、現時点で正規部隊員クラスの力を持つ敵性『ES能力者』を単独で撃破する戦闘力を有する。報告によれば、『飛行』を発現してその習熟に努めていると聞く。小隊長という役目を過不足なく全うし、周囲との不和もない。“妹”である河原崎みらい訓練生も、高い能力を有している」


 室町はそこまで口にすると、今度は砂原へと視線を向けた。


「これも砂原軍曹の教練の賜物だろう。しかし、本人達の資質と努力も称賛すべきだと私は思う」


 砂原と博孝達を褒める室町だが、それを聞いている砂原は疑念が深まるだけだ。室町が何を意図しているのかわからず、怒りと警戒心だけが砂原の胸の内に積もっていく。そんな砂原から視線を外すと、室町は身振り手振りを交えながら言葉を吐き出した。


「諸君、敢えてもう一度言うが、正気かね? たしかに、“魚”の前に“餌”を垂らせば食いつくかもしれん。だが、その“餌”は時間が経てば“魚”を飲み込むかもしれない。砂原軍曹の、名高き『穿孔』の教練を受けることで、その可能性は大きくなるだろう。私としては、諸君らの案に反対せざるを得ない」


 “上”の中でも大きな発言権を持つ室町の言葉に、幾人かの将官が賛同の声を上げようとする。しかし、それよりも先に室町が言葉をつなげた。


「だが、諸君らの危惧も理解できる。将来性は評価すべきだが、危険性も考慮すべきだろう。降りかかる火の粉で他の訓練生が“火傷”をすることもあり得る」


 褒めたと思えば、その危険性を口にする。話の着地点が見えず、砂原は僅かに目を細めた。室町が何を企んでいるのか、それを見極めようとする。


「火の粉と言うが、それを振り払うための教官だろう? 特に、砂原軍曹は日本の『ES能力者』の中でも指折りの腕利きだ。訓練生を鍛え、守り、導けると思うがね」


 室町の言葉の勢いを遮るようにして、山本が言葉を挟む。山本も室町の言葉から“何か”を感じており、いくら『ES能力者』の訓練生とはいえ、危険を排除するのは教官である砂原や周囲の“大人”であるべきと主張した。

 山本は“上”の人間だが、立場としては親『ES能力者』のスタンスを取っている。そもそもが、日本の『ES能力者』を取りまとめる源次郎の“戦友”なのだ。元帥という立場を誇示するわけでもなく、淡々と理論を以って反論する。

 しかし、そんな山本の言葉を聞いた室町は大きく頷く。


「私も同じ思いであります、山本閣下。故に、一つ提案を行いたいのですが――」


 口元に僅かな笑みを浮かべ、室町は一つの提案を口にする。だが、その提案は砂原の思考を強く、赤い怒りの色に染めた。








 ゴキゴキという“何か”がひしゃげる音で、町田は我に返った。砂原の話を聞いていたが、思いの外熱が入っていたらしい。そう思考しつつ、砂原の手元に視線を向ける。

 手慰みか、あるは怒りの発露か。砂原に渡した缶コーヒーは中身を飲み干され、その姿を球体に変えている。スチールで作られたコーヒー缶は砂原が加える握力によって圧縮され、ビー玉サイズへと変貌していた。

 怒りをぶつけられた“元”コーヒー缶が机の上へと落ち、硬質な音を立てる。砂原はそれで多少は落ち着いたのか、深々と息を吐く。そんな砂原を見て、町田は労わるような視線を向けた。


「ですが、俄かには信じられることではありませんね。たしかに先輩の教え子の周辺では色々と“問題”が起こっていますが、まさか“上”が……」


 半信半疑という口調で、町田は砂原から聞いた話を繰り返す。



「――“問題”に関する即応部隊の設立を提案するとは」



 砂原が怒りを抱いているのは、その点についてだった。

 第七十一期訓練生――絞り込めば、博孝やみらいの周囲で“問題”が頻発している。その点については砂原としても認めるところであり、頭が痛い。先日の任務も含めて、過去五回の任務全てで何かしらの問題が発生している。偶然も三回続けば必然と言うが、五回続けば何と形容すれば良いのか。その上、任務外で発生した“問題”も含めれば五回では済まない。

 博孝がそのような星の下に生まれてきたのか、それとも別口か。みらいは人工の『ES能力者』である以上、ある程度の“問題”が起きるのは想定されていた。だが、博孝はそんなみらいを上回っている。

 先日の任務に関する報告だったはずが、室町による独演会へと変貌していた。砂原がそう思う程に、室町の提案は理に叶っている。

 博孝やみらいを即座に卒業させて部隊に押し込むという案は却下されたが、案そのものが否定されたわけではない。室町は、時期の問題だとしたのだ。

 入校から三年後、訓練生は卒業する。そうなれば、あとは各自の力量に見合った部隊へと配属されるのが常だ。だが、周囲に“問題”が頻発する訓練生の扱いをどうするのか。

 室町は、言う。それならば、“問題”に専門的に対応する部隊を作れば良い、と。

 博孝達を“魚”への“餌”にするのではない。その将来性を見込んで、“魚”を逆に食らい尽くす“鳥”へと変化させるのだ。

 日本の『ES能力者』が所属する各部隊は、それぞれが割り振られた任務に従事する。しかし、任務と言ってもそのほとんどは定められた所定の目標を達成するものであり、突発的に発生した変事への対応力は低い。そのため、博孝やみらい、あるいは沙織といった“問題”が発生しそうな訓練生を特定の部隊に放り込むのでは、もしもの際に対応が遅れる。

 日本における『ES能力者』の部隊の中に、特殊性が高い部隊はいない。人間のように、特殊工作員も存在しない。あるとすれば、最精鋭の空戦部隊員が所属する『零戦』ぐらいだろう。かといって、『零戦』に博孝達を放り込んでは“魚”が警戒してしまう。

 適度に食い応えがありそうに見えて、その実、味は食いついてみないとわからない。叶うならば、食いついた“魚”が猛毒でのた打ち回れば最高だ。

 そのために、室町は部隊を新設したいと言う。既定の任務に従事する、判子を捺したような部隊ではなく、どんな問題にも対応できる専門部隊を。

 以前から、その手の専門性が高い部隊を希望する声はあった。しかし、世界情勢や国内に発生する『ES寄生体』の対処、あるいは日々の任務によって、余剰の『ES能力者』はいない。半年ごとに訓練校を卒業した訓練生達が部隊に配属されるが、任務によって減った人数を穴埋めしているだけだ。

 訓練生一期分程度ならば、多少無理をすれば捻出できる。室町は、第七十一期訓練生の卒業に合わせて新部隊を設立するつもりだった。

 もちろん、第七十一期訓練生をそのまま新部隊に移すわけではない。部隊を新設する際に基幹要員となる古参兵がいないのでは、張りぼてにもならないのだ。

 幸いと言うべきか、砂原の教練によって第七十一期訓練生達は例年に比べると高い水準で成長を続けている。既存の部隊から“適当”な人材を引き抜くと同時に、その穴に第七十一期訓練生を宛がおうと室町は考えていた。訓練校の卒業生と古参兵が釣り合うはずもないが、通常の卒業生に比べれば穴埋めしやすいだろう。

 つまり、砂原が室町から求められたことはたった一つの、それでいて砂原の堪忍袋の緒を根こそぎ引き千切る事柄だった。


「――“上”は、教え子を卒業までに可能な限り鍛え上げ、その後は危険性の高い死地に放り込めと言っている」


 訓練生を卒業までの期間で鍛え上げるのは、教官の責務と言って良い。だが、手塩にかけた教え子を死地に近い場所へ投入しろと言われれば、砂原は頷くことが出来なかった。

 新設の部隊が上手く機能するとは、到底思えない。専門性の高い部隊と言えば聞こえは良いが、実験的な側面もあるだろう。

 新種の『ES寄生体』――暫定で『ES寄生進化体』と名付けられた存在よりも、新部隊の設立に関する興味の方が大きかったことも砂原を苛立たせた。まるで、最初から狙っていたようにすら感じる。博孝や恭介と接触した『天治会』所属と思わしき『ES能力者』のことなど、話題の端にすら登らなかった。


「しかし、長谷川中将閣下が頷くのですか?」


 机の上に落ちたスチールの球体を握り潰す砂原を見て、町田が疑問を呈した。日本ES戦闘部隊監督部は防衛省に属するが、それでも源次郎という象徴の元、独自的な権力を持っている。名目上は“上”と“下”になっているが、実際には対等に近い立場だ。

 そんな町田の疑問に対し、砂原は首を横に振る。


「頷かざるを得まい。あの男の発言と意図は癇に障るが、正論だ。中将閣下に対しても、現場の部隊からその手の部隊の設立が陳情されていた。突発的に発生する特殊な任務によって危険を冒すよりも、最初から専用の部隊を用意してほしい、とな」

「……では?」

「相手の提案を受け入れて“貸し”を作るしかあるまい。あるいは、新部隊の人事権を日本ES戦闘部隊監督部が握るように仕向けるか、だ」


 それでも、博孝やみらいの所属だけは変えられないだろう。沙織は可能性としては半々だ。他の教え子についても、人数的には多くて半数程度を新部隊に持っていかれる可能性が高い。


「『ES寄生進化体』や『天治会』に加えて、卒業後の配属先も危険な気配がする……ですか。河原崎君はうちの部隊に欲しかったんですがね」


 砂原の曇った表情を見て、町田はおどけるように言う。砂原はそんな町田に視線を向けると、小さく笑った。


「それが可能なら、そうしたいところだ。無理矢理でも『零戦』に押し込むか、お前の部隊にでも引き取ってもらうつもりだったんだがなぁ」


 本当に新設の部隊が誕生するかは、確定していない。もしかすると、事情が変わって話が流れる可能性もある。しかし、砂原としては室町がその辺りの根回しに失敗するとは思えなかった。


「今の俺にできることは、教え子の力量を少しでも高めることだけか……」


 生徒を、教え子を守るのは当然だ。それ以上のこととなると、砂原が持つ力の全てを以って教え子を鍛え抜き、例え死地に踏み込もうが笑って生還できるようにするしかない。

 拳を握り締めて呟く砂原を見て、町田は盛大に頬を引きつらせた。


「気合いを入れるのは良いですけど、卒業前に生徒を殺さないでくださいね?」


 砂原の教練によって文字通り血反吐を吐いた身としては、訓練生達の安寧を祈るしかない。もっとも、町田としては自分の言葉が砂原に届いているようには思えなかったが。






 博孝が与り知らぬ場所でも、事態は動く。その動きは暗闇のように不確かであり、あやふやなものだ。博孝と紫藤の間で交わされた話よりも重大で、危難に見舞われるであろう事態は遠くも近い未来として差し迫っている。

 そんな博孝が自分自身の未来を知るのは、まだまだ先のことである。


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