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第七十九話:空中戦闘訓練

 夏の日暮れは遅い。場所によって異なるが、博孝達が住む訓練校では午後六時を過ぎても明るく、午後七時を過ぎても視界が確保されているほどだ。それに加えてグラウンドに設置された外灯も点けられており、例え完全に日が落ちてもある程度の視界は確保されていた。

 そんな環境の中で、博孝は茜色に染まりつつある空を見上げてポツリと呟く。


「俺、今日ここで死ぬかもしれん……」

「安心しろ。死ぬ半歩手前ぐらいまでしか追い込まん」

「そこはせめて一歩手前にしましょうよ!?」


 博孝が死を覚悟した元凶――砂原は、自明の理を諭すように告げる。それを聞いた博孝はツッコミを入れるが、例え一歩手前でも死ぬ直前まで傷つきたいとは思わない。


「博孝、頑張るっすよー」

「……おにぃちゃん、がんば」

「え、えっと……が、頑張って?」


 恭介やみらい、里香が声援を送るが、博孝としては素直に返答することもできない。

 一日の訓練課程が終わり、放課後へと突入した時間帯。博孝は、砂原の前言通りに稽古をつけてもらうことになっていた。余談ではあるが、沙織はうずうずとした様子で『飛行』の練習を行っている。隙あれば、砂原に向かって跳びかかっていきそうだ。


「博孝、わたしに『活性化』を使って! 博孝だけ教官の指導を受けるのはずるいわ!」

「『飛行』を発現した上で他人に『活性化』まで発現できるか!? 『飛行』の制御をミスって落ちるわ!」


 自分自身に使うならまだしも、他人に『活性化』を使うのは『構成力』の制御が不可欠だ。そのため不満そうな沙織に言い返し、博孝は目を閉じて精神を集中させる。『構成力』をよく練り、『構成力』で体を持ち上げるようにして浮かび上がっていく。


「ほう……きちんと浮かんでいるな」


 『飛行』を発現する博孝を見て、砂原が感心したように言う。ほんの僅かに浮き上がっていた博孝の体が、時間の経過に合わせて徐々に上昇していく。そして五メートルほど浮かび上がったところで上昇を止めた。

 博孝はゆっくりと目を開け、そして自分の体が高く浮かび上がっていることを確認してガッツポーズを取った。


「よっしゃああああああああぁぁっ! 俺、浮いてる! 完全に浮いてるよ! ってあああああああああぁぁぁっ!?」


 初めて完全に浮くことができ、博孝は歓喜の感情を爆発させた。しかし、それが原因で『構成力』の制御に失敗して落下していく。博孝は空中で回転しながら落下すると、足から着地して再度ガッツポーズを取った。


「見たか!? 今、ちゃんと浮いたよな!?」


 実技訓練でも『飛行』もどきを使ったことはあるが、その時は僅かに浮き、“地面に沿って”移動していただけだ。飛ぶというよりは、水平に移動しただけになる。だが、今回はきちんと浮かぶことができた。飛行というには動きが少ないが、それでも自力で浮かび上がれただけ大きな進歩である。

 ここまでくれば、『空を飛ぶ』という夢も実現間近だ。実現の切っ掛けがハリドとの殺し合いというのが博孝としては引っかかるが、それを気にしていても仕方ない。


「もう一度浮かんでみろ」

「うっす! 了解です!」


 砂原からの指示を受け、気合を入れて博孝は浮き上がる。そして先ほどと同様に五メートルほど上昇すると、『飛行』を発現した砂原は興味深そうに頷いた。


「なるほど……きちんと制御ができているな。その状態から移動できるか?」

「ちょっと待ってください……」


 地面に足がついていた時とは異なり、『飛行』を発現している状態では『構成力』の制御によって移動する必要がある。だが、『構成力』だけで移動する感覚を掴むのが難しく、博孝は亀の歩みに近い速度で前進していく。


「お、遅い……」

「いや、初めてで移動ができるだけ上出来だ。『構成力』の制御を磨いていた甲斐があったな。そうなると、次は……」


 そう言いつつ、砂原は博孝の背面へと回る。博孝は何事かと首を捻るが、背後から砂原に羽交い絞めにされて顔色を青ざめさせた。


「……あの、教官? なんか、すごく嫌な予感がするんですが……」

「気のせいだろう。少しばかり、『飛行』でどの程度の速度が出せるかを体験させるだけだ。口は閉じていろ。舌を噛む」

「や、ちょ、待――」


 その瞬間、博孝の視界が歪んだ。突然の急加速に視界が狭まり、顔を強風が叩く。着ていた野戦服がはためき、博孝は思わず悲鳴を上げた。


「目が! 目が!? 風が強すぎますよ!」

「慣れろ」

「そんな無慈悲な!?」


 淡々と言われ、博孝は『防殻』を発現して『構成力』を身に纏う。そうすると風の抵抗もほとんど感じなくなり、周囲の様子を見る余裕も出てきた。

 瞬時に景色が背後へと流れ、耳朶を叩く風の音が心地良い。眼下に見える景色は遥かに遠く、訓練校の敷地すら見えなくなっていた。



 ――自力ではないが、間違いなく空を飛んでいる。



「どうだ? 初めて生身で空を飛んだ感想は?」


 どこか楽しげな砂原の声を聞き、博孝は満面の笑みを浮かべて頷く。


「最高ですよ! うわぁ……俺、本当に空を飛んでる……」


 『飛行』自体は発現しているため、飛行機に乗った時のような重力も体にかからず、『防殻』によって風もそれほど感じない。それでも吹き飛んでいく景色に、博孝は魅了されるように呟いた。


「そうか、それは良かった……さて、ここからが訓練だ」

「……え? この状態で訓練ですか?」


 何をするのかと博孝は警戒する。もう少し感動に浸っていたかったが、砂原の言葉に不穏なものを感じたのだ。


「現在『探知』を使っているが、周囲に敵性の存在はいない。そして、今は訓練校に向かって戻っているところだ。速度は『飛行』の巡航速度であるマッハ1程度。高度は……まあ、千メートルというところだな」

「そんな情報を伝えられるということに、嫌な予感しかしませんが」


 じわじわと、嫌な予感が強くなっていく。そんな博孝に向かって、砂原はにこやかに告げた。


「つまり、この状態から“自力”で訓練校に着地できれば、『飛行』によって加速した速度を相殺できるだけの制御力が身につく。あるいは、落下している途中で上昇するだけのコツが掴めるかもしれん」

「……失敗すれば?」


 たらればが過ぎる言葉に、博孝は恐る恐る尋ねる。もっとも、砂原の回答は残酷極まりなかったが。


「グラウンドに大きな穴が開くか、お前の体が潰れるか……掃除が大変だから、潰れるなよ? あと、施設にはぶつかるな。施設が壊れる」

「酷すぎる!?」


 叫ぶ博孝だが、砂原は取り合わない。笑顔を浮かべたままで、爆撃機が爆弾を落とすように博孝を手放した。


「習うより慣れろだ。最初だからな、『活性化』を使っても良い」

「手を離す前に言ってくださいよおおおおおおぉぉっ!」


 初めて空を飛んだ感動すらも、容易く消し飛ぶ。砂原の羽交い絞めから解放された博孝の体は、既に斜め下方向への突撃を開始している。発現していた『飛行』で速度の減衰を試みるが、速度が速すぎて減衰が間に合わない。博孝は一直線に訓練校の敷地へと突っ込んで行き――さすがにまずいと判断して『活性化』を発現した。

 『構成力』に物を言わせ、全力で『飛行』を制御。加速していた勢いを保持したままで体を浮かせ、勢いよく上昇していく。その際、グラウンドにいた恭介がぽかんとした顔で見上げているのが見えた。

 突然砂原に連れられて姿を消したと思えば、今度は博孝一人で砲弾のように飛んできたのである。驚くのも当然だろう。


(恭介……これは近い未来のお前の姿だ!)


 恭介も『飛行』を発現すれば、同じような事態に見舞われるに違いない。自分はその先駆けになってしまったのだ――などと考えつつ、博孝は『飛行』を制御して上昇していく。複雑な挙動を行わず、上昇するだけなら今の博孝でも容易かった。それと並行し、それまでの勢いを利用して空を飛ぶ感覚を学んでいく。


(なるほど……陸上と違って、『構成力』で自分の体を操れば良いのか)


 『防殻』のように『構成力』で体を覆い、あとはその『構成力』を“体ごと”動かせば良いのだ。そうすることによって空中での移動を可能とするが、一定以上の技量がないと『飛行』が発現できない理由もわかった。『構成力』の制御が下手な場合、空中での移動どころか浮くことすらできないのだ。

 しかし、『構成力』の制御が得意な『ES能力者』ならば、『飛行』での姿勢制御も移動も手に負えないものではなかった。


「あとはどれだけ『飛行』を熟練しているかだけど……っ!?」


 砂原によって加速した勢いに任せて上昇を続けていた博孝だが、瞬きの間に砂原が頭上へ出現したことに驚愕する。それも、何故か右の踵を振り上げた状態でだ。


「うおわぁっ!?」


 奇妙な悲鳴を上げつつ、咄嗟に体を回転させてバレルロールで砂原の踵落としをかわす博孝。しかし、砂原はすぐさま博孝に追いつくと、今度は“真下”から攻撃をしかけてきた。


「ちょ、ちょちょっ!?」


 姿勢を無理矢理制御して、今度は真横へと逃げる。砂原は攻撃を回避した博孝を見ると、実に楽しそうに笑う。


「そうだ、良いぞ。空中では陸上と違い、足元から攻撃が来ることもある。頭上を取られることもザラだ。そのために必要なのが、避ける技術と空間把握能力だ」


 いきなり攻撃を仕掛けてきたかと思えば、空中戦闘における講義を開始する砂原。博孝はその話に耳を傾けつつ、砂原の一挙動を窺う。


「そして……」


 だが、何の前触れもなく砂原の姿が消えた。博孝は咄嗟に周囲を見回すが、背後から飛び蹴りを食らって一気に落下していく。


「陸上とは異なり、筋肉の動きで相手の挙動を見切るのが難しくなる。目だけに頼っていると、こうやって不意を突かれるぞ」


 必死に姿勢を制御しようとする博孝だが、砂原は容赦なく追撃を行う。動きが鈍重な博孝の背後を取り、蹴り飛ばし、殴り飛ばし、ピンボールのように博孝の体が空中で跳ね続ける。


「『飛行』の発現を途切れさせるなよ! 千メートルの高さから落下すれば、いくら『ES能力者』でも死ぬ可能性があるぞ!」


 そんなことを言うぐらいなら、攻撃の手を止めてほしい。強制的に上下左右へ弾かれる博孝は、心の底からそんなことを思った。『飛行』の発現を維持する訓練と言えば聞こえは良いが、その実態はサンドバッグである。

 陸上とは異なり、空中に浮いているため打撃を受けても衝撃を逃がすことは容易い。それでも砂原の動きは目で追えないレベルであり、博孝にできるのはサンドバッグ役を演じることだけだ。

 『探知』を使って砂原の位置を探れれば良いのだが、『飛行』の制御だけで精一杯だった。


「空戦では『探知』が必要不可欠だ。相手の『構成力』を探り、“立体的”に対応する必要がある」


 指導を交えながら拳を振るう砂原だが、ぎこちない挙動ながらも回避機動を取ろうとしている博孝を見て驚くしかない。『活性化』を使っても良いとは言ったが、減速して着地するのではなく、『構成力』を操作することでそのまま上昇して飛行体勢に入ってしまった。そのあとも、不意を突いた強襲に反応して回避している。


(好きこそものの上手なれとは言うが、空を飛ぶことに憧れていたことが良い方向に作用しているのか? これは、鍛えればかなり伸びるぞ)


 前線を離れ、出来得る限り家族と過ごせるようにと望んだ教官職。娘が幼い頃だけはと思っていたが、教え子を鍛えるというのは存外に楽しさを感じてしまう。

 部隊にいた頃は部下や後輩の教導も行っていたが、その時とは異なり、『ES能力者』となった訓練生を一から鍛え上げていくのだ。教育の内容に迷うこともあるが、教え子の確かな成長を感じることができ、砂原としては予想外の満足感にも包まれる。

 第七十一期訓練生は、教官の質が良いのか生徒の質が良いのか、例年に比べると遥かに優れた訓練生が育ちつつある。入校から一年と半年程度で『飛行』を発現している博孝など、その最たる例だろう。他にも、沙織やみらい、恭介なども大きく育っている。

 もっとも、博孝は独自技能を発現し、みらいは人工の『ES能力者』、沙織は『武神』の孫である。それらの状況を勘案すれば、一番“伸びている”訓練生は恭介になるのだが。

 慌てた様子ながらも攻撃を回避しようと足掻く博孝を見て、大きな充足感を感じ、砂原としては笑うしかない。


「まったく……楽しくて仕方がないな!」

「俺は楽しくないですよ!?」


 嬉々として繰り出される拳を前に、博孝は必死に逃げ回るのだった。








 翌日、博孝は死んだ魚のような目をしながら教室に顔を見せた。何が起きたかを知っている恭介などは、同情の眼差しを向けるしかない。


「博孝、大丈夫っすか?」

「『構成力』が尽きるまで、空中で教官との楽しい楽しい鬼ごっこだぞ……愉快すぎて泣けるわ!」


 結局、昨晩は博孝の『構成力』が尽きるまで空中での戦闘訓練が行われた。地上に戻ってからは、『構成力』と疲労の回復のために徹夜での自主訓練は控えて休んでいる。それでも疲労が抜け切れておらず、博孝は眉を寄せてしまった。

 そんな博孝を見て、恭介が心配そうに尋ねる。


「朝食の時、食堂にいなかったっすよね? 食ってないっすか?」

「食ったら戻しそうだから、ゼリー飲料で済ませた……ふふふ、昨晩空中で撒き散らさなかった俺を褒めてくれ」

「雨じゃなくて吐瀉物が降ってくるとか、怖すぎるっすよ……」


 激しい上下動に、博孝の精神状態は限界寸前だった。それに加えて、嬉々として砂原が攻撃を叩き込んでくるのである。必死に逃げ回る内に、『飛行』での移動方法も自然と身についた。それでも砂原から見れば鈍重極まりなく、十分に加減された上でボコボコにされている。砂原のように自在に空を飛べるまで、どれほどの時間がかかるかもわからない。


「『飛行』で空を飛べた喜びも吹っ飛んだぜ、まったく」

「俺、『飛行』を覚えるのが嫌になってきたっすよ」


 そんな雑談を交わし、博孝は自分の席に向かう。すぐ傍の席には里香も座っており、博孝は気軽に手を挙げて挨拶をした。


「おっす、おはよう里香」

「あ……お、おはよう、博孝君」


 里香は博孝に挨拶を返すものの、目は合わせない。どこか距離感を感じるその態度に、博孝は内心でため息を吐きつつ椅子に座る。


「…………」

「…………」


 だが、二人の間に無言の時が訪れた。里香は博孝に対して意識を向けているものの、口を開かない。博孝はそんな里香にどんな話題を振って良いかわからず、口を開けない。

 みらいがいればと思うが、みらいは源次郎に頼んだことで早速増えた売店の品揃えを確認することに夢中だった。今頃は、食事時や自室で食べるための甘味に目星をつけているだろう。


「あの……」

「ん、んん? な、なんですかね?」


 里香から恐る恐るかけられた声に、博孝は動揺したように返事をする。里香はそんな博孝の動揺を感じ取り、僅かに視線を彷徨わせてしまった。


「さ、最近、あんまり食堂に来ないよね……ど、どうかしたの?」

「……食べる暇がなくてね。売店で買ったやつで手軽に済ませてるんだ」


 里香からの言葉に、博孝は落ち着いた様子で答える。ハリドの一件以来、首都での表彰式に『飛行』の訓練と、時間を取ることができなかった。だが、里香はそんな博孝の態度に違和感を覚えてしまう。

 以前の博孝ならば、食堂での料理は喜んで食べていたはずだ。時間がなくとも、詰め込む勢いで食べるほどである。

 その博孝が、食堂で食事を取る頻度を減らした。そのことに疑問を覚える里香だが、里香自身“負い目”があるため強く聞くこともできない。


「そ、そうなんだ……」

「ああ。でも、そればっかりだと体がもたないからなぁ。昼は食堂で定食でも……」


 博孝はそこまで言うと、閃いたと言わんばかりに手を叩く。


「そういえば、里香の手料理って全然食べてないなぁ」

「……え?」


 突然の話に、里香は目を丸くして博孝を見る。博孝はそんな里香に笑顔を向けると、楽しげに言う。


「バレンタインデーに手作りのチョコをもらったり、ホワイトデーに宴会用の料理を作ってもらったりしたけど、なんかこう、家庭的な手料理が食べたくなってきたなぁ……」


 ワクワクと、期待に満ち溢れた子供のように博孝は言う。その際、チラチラと横目で里香を見るという演技付きだ。里香はしばらく困惑していたが、博孝の言葉と仕草に小さく笑ってしまう。


「それなら……その、今度、お弁当を作ってこようか?」

「え? マジで!? 良いの!?」

「う、うん。あんまり手の込んだものは作れないけど……」

「よし! それなら、腹を空かせて待ってるから! いっそのこと、それまで何も食わずに待ってるから!」


 里香の言葉に大喜びする博孝。そんな博孝を見て、里香は先ほど覚えた違和感は気のせいだったのかと思う。博孝が食堂に姿を見せなくなったのは、何か“理由”があるのだと思ったのだ。しかし、自分の拙い料理でも喜んでくれるというのなら、気のせいなのだろうと里香は思った。食欲がないのなら、料理を作ってほしいなどと希望するわけもない。

 博孝に対する負い目が、僅かに軽くなったようにも感じる。しかし、それだけで消えるほど浅い“負い目”でもない。それでも僅かに気が軽くなったのを感じつつ、里香は小さく微笑んだ。

 そんな里香の笑顔を見て、博孝は内心で安堵の息を吐く。


(ここ最近の里香は思い詰めた顔をしてたけど、少しは解れたか)


 余計なことはするなと砂原に言われているため、博孝としては別の方面からアプローチするしかない。だが、これぐらいなら許容範囲だろうと思う。

 自身の無力を痛感した里香に、別の方面から手を差し伸べる。それが正しいかはわからないが、同じ場所で足踏みを続けるよりはマシだろう。


(まあ、問題はそれ以外にあるんだけどな……)


 洞察力が高い里香に悟られない程度に、博孝は表情を歪める。それでも砂原が教室に入ってきたのを見て、表情を完全に取り繕うのだった。

 







 そして午後、博孝は再び死んだ魚のような目をしながら項垂れていた。その体は宙に浮いており、二十メートルほどの高低差を挟んでクラスメート達が見上げている。


「そういうわけで、河原崎兄が『飛行』を発現した。良い機会だから、今日は対空戦闘について学んでもらう」


 そんな言葉と共に『飛行』を発現させられた博孝だが、続いた言葉は更なる絶望へと叩き落とす。


「河原崎兄、お前はその高さを維持しながら逃げ回れ。他の者は――『射撃』で河原崎兄を撃ち落せ」


 にこやかに、残酷に、砂原は言う。それを聞いた博孝は、思わず大声を上げてしまった。


「ちょっと待ってください教官! さすがにそれは俺が不利過ぎると思うんですが!?」

「ああ、お前はきちんと『防殻』を発現していろよ。訓練用に威力を抑えるとはいえ、当たると痛いぞ。それと、可能なら反撃も許可する。可能ならな」

「無茶を言わないでくれます!? 『飛行』を使いながら射撃系のES能力なんて使えませんよ!」


 抗議を軽く流され、博孝は絶望と共に叫ぶ。たしかに良い訓練にはなりそうだが、付け焼刃の『飛行』でクラスメートが放つ『射撃』を避けられるかどうか。


「諸君らも知っておくべきことだが、『飛行』を発現した『ES能力者』同士が戦う場合、最初は射撃系ES能力での攻防になる。移動速度が速いため、接近戦で戦うのはほんの一瞬だ。つまり、『飛行』を発現した『ES能力者』を射撃系ES能力で狙い撃つのは良い訓練になる」


 その言葉には、博孝も頷くしかない。問題は、狙われるのが自分一人という点だ。


「また、陸戦の『ES能力者』が空戦の『ES能力者』を相手にすることもある。その場合は、急接近してくる相手を射撃系ES能力で狙う必要がある。つまり、対空戦闘だな。熟練の陸戦部隊員の中には、偏差射撃で相手を撃ち落す者もいるほどだ。諸君らも、それぐらいの技量を得られるよう努力したまえ」

『はいっ!』


 砂原が話を振ると、博孝を除く全員が返事をする。だが、“撃ち落される側”としては“撃つ側”の気合いが充足しているのは恐ろしいだけだ。


「河原崎兄は『飛行』で相手の『射撃』を避ける訓練、他の者は『飛行』で逃げ回る河原崎兄を『射撃』で撃ち落とす訓練だ。光弾の威力は抑えろよ? 河原崎兄は頑丈だが、集中砲火を食らえば落ちるかもしれん」

「そう思うのなら、やらなければ良いのでは……」


 そんな抗議をする博孝だが、砂原は取り合わない。そのため、前向きに捉えることにした。


(たしかに、俺の訓練にもなる……でも、教官が生徒を訓練の“的”にしようと考えるのもおかしな話だな……習うより慣れろって言ってたけど、まさか本当に射撃系ES能力の回避訓練にするつもりか?)


 昨晩初めて『飛行』を使った博孝としては、『飛行』は非常に“慣れ”が必要な技能だと思う。前進や後進、左右への移動だけでなく、上下の動きまで加わるのだ。自分の思い通りに動くには、それこそ慣れるまで飛ぶしかない。


(これも教官なりの愛の鞭かねぇ……クラスメート全員から『射撃』狙われるなんて、過激すぎるけどなぁ)


 少しでも博孝が『飛行』の訓練ができるようにという、砂原なりの思い遣りか。昨晩は砂原による空中近接戦闘の手ほどきを受けたため、今日は遠距離攻撃の回避を行うのだろう。あるいは、『飛行』を発現しながら他のES能力を使用するための訓練かもしれない。


(とりあえず、『飛行』での機動に慣れないと……その後は『防壁』も覚えないとな。空中で防御手段が少ないのは怖すぎる)


 これが訓練だというのなら、博孝としては乗り切るだけである。『飛行』は発現して数日も経っていないため、砂原がいない場所では使用しないよう言われていた。もしも『構成力』の制御に失敗すれば、そのまま落下死する可能性もある。空中に『盾』を発現して着地しても良いが、それすらも失敗すればあとはノーロープバンジーだ。


(早く、教官に一人前だと認めてもらえるようにならないとな……)


 そうなるのは、一体どれほど先のことになるか。そんなことを考えつつも、博孝はクラスメート達から放たれる光弾の雨を前に、意識を切り替えるのだった。

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