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第六十五話:海上護衛任務 その4

 午前六時。『いなづま』艦内に起床を知らせるラッパの音が鳴り響く。昨日は『ES寄生体』との戦闘があったということで当直を免除された訓練生だが、その音を聞くなりベッドから飛び起きた。


「な、なんっすか!? 敵襲っすか!?」


 ラッパの音を聞いて目覚めた恭介は、起き抜けに叫ぶ。水兵用の部屋を宛がわれた訓練生達は、十二人で利用する部屋で寝起きをすることになっており、ラッパの音で全員が目を覚ました。そして恭介の『敵襲』という言葉に反応しそうになるが、博孝が欠伸混じりでそれを諌める。


「起床のラッパだろ? ほら、全員準備を整えろ。まずは朝食だ」


 普段は徹夜で自主訓練に励む博孝だが、不眠症というわけではない。眠ろうと思えば眠ることができ、寝付きも目覚めも良かった。

 女子も同室で寝起きをしているため、設置されたカーテンを引いている。女子と同室ならば緊張の一つもするものだが、それに浮かれて夜這いを仕掛けるような者はいない。休憩時間とはいえ、任務中なのだ。そんな馬鹿な真似をすれば、砂原の手によって鮫の餌にされかねない。

 博孝達男子勢は手早く着替えると、部屋から外へと出る。男子がいては、着替えや準備がしにくいだろうという配慮によるものだ。


「それじゃあ、廊下で待ってるから。なるべく早く頼むな」


 女子達に声をかけ、博孝達は廊下で壁に張り付くように一列に並ぶ。女子が着替えている様子に耳を立てている――などということはなく、艦内は狭いため、たむろするわけにはいかないのだ。

 ところどころに段差があり、壁にはパイプが走り、慣れないままでは移動も手間取る。特に、『ES能力者』である訓練生からすれば、うっかり何かにぶつかるとそのまま壊しかねない。


「しかし、昨晩は中々寝付けなかったっすよ……」


 女子達を待っていると、恭介がポツリと呟いた。その言葉を聞くと、第四小隊の男子二人も頷く。


「ああ……まさか、女子と同室になるとは思わなかったしな……」

「緊張して寝付けなかったぜ……」


 戦前の軍船に比べれば居住性は雲泥の差だが、それでも水兵に割り当てられる部屋というのは大きくない。二段ベッドが六つにいくつかの机があるぐらいで、本当に寝起きをするためだけの部屋なのだ。

 そんな三人の話を聞いた博孝は、咎めるようにため息を吐く。


「気持ちはわかるけど、休める時にはしっかり休めよなー。俺なんて、船の揺れが揺りかごみたいで爆睡してたっつーの」


 泊りがけの任務というのは初めてだが、それでも休める時に休まなくてはならない。それもまた任務の一環なのだ。博孝としても女子と同室というのは緊張するが、それはそれ、これはこれである。


「河原崎なら、真っ先に女子のベッドに突撃すると思ったんだけどなぁ……」

「そうそう。お前なら俺達の期待に応えてくれると思ってたんだが」


 第四小隊の二人は欠伸をしながらそんなことを言うが、博孝としては苦笑するしかない。


「これが普通の旅行だったら、喜び勇んで突撃したかもな」

「普通の旅行だったら、真っ先に女子の風呂場を覗きに行くタイプっすよね」

「失敬な! 覗きに行くなら男連中を全員引き連れていくぞ俺は!」

「悪化してるっす! それは“勇者”ってレベルじゃないっす!」


 男子達で馬鹿話をしていると、部屋の扉が開く。そして中から野戦服に着替えた女子達が姿を見せ、それまでの話を切り上げて博孝は小隊員達を促した。


「よし、それじゃあ朝食に行くぞ。迷子になるなよ」

「大丈夫。迷子になりそうなみらいちゃんは、こうやって確保してるから」


 博孝の言葉を聞き、みらいを抱きかかえた希美が言う。抱きかかえられたみらいは未だに夢の中にいるのか、ほとんど目が開いていない。それでも野戦服を着ているのは、女子達が着替えさせたのだろう。


「……ふか……ふか……」


 みらいが何事かの寝言を呟いているが、博孝が頬を突くとみらいは目を開ける。訓練校で生活をしている際は起きるのが午前八時前後なので、いつもと異なる生活サイクルに適応できていないのだ。


「ほらみらい、ちゃんと起きなさい。これから朝ごはんだぞ?」

「……んぅ……ごはん、たべ……る……」


 眠気眼を擦り、希美の腕から下りてみらいが歩き出す。どうやら、昨晩食べた夕食がお気に召したらしい。よたよたと歩くみらいに、訓練生達は思わず苦笑した。

 そうやって食堂につくと、昨晩と同じようにセルフで料理を金属トレーに盛っていく。水兵の姿は、“ほとんど”ない。総員起こしがあった後、水兵たちは体操や甲板掃除をおこなっているのだ。訓練生は体操を必要とする体ではなく、甲板掃除も邪魔になるため免除されている。


(……ん?)


 しかし、何故か食事を行っている水兵がいるのだ。そのことを不思議に思う博孝が相手の顔を確認すると、昨晩少しばかり気にかかった水兵だった。博孝が傍らの里香に視線を向けてみると、里香も同様に疑問を覚えているらしい。

 里香は博孝からの視線に気づくと、互いに視線を交わしてアイコンタクトを取り――それを遮るように、町田が姿を見せた。


「やあ、おはよう諸君。昨晩はよく眠れたかな?」

「おはようございます、町田少佐。おかげさまで爆睡してましたよ」


 博孝が代表して答えると、他の訓練生は思わず苦笑する。緊張せずに眠れたのは、博孝を除けば沙織とみらいだけだった。沙織はベッドに入ると博孝と同じ速度で眠りに落ち、みらいははしゃぎ疲れていたのか、二人よりも早く眠りに落ちていた。


「そうか、それは良かった。今日も航行が続くけど、『ES寄生体』との戦闘がなければ当直にも入ってもらうから」

「了解です」


 博孝が答えていると、先ほどの水兵は食事を終えたのか席を立って姿を消す。その背中を博孝と里香が目で追い――町田が体で視線を遮る。


「どうかしたかい?」


 少しばかり不自然な動作。そんな町田を見て、里香が博孝に『通話』で声をかける。


『ひ、博孝君……』

『どうやら、気にするなってことらしい』


 昨晩も思ったことだが、町田が“認識”しているのなら問題はないのだろう。博孝は里香に安心するよう言い含める。

 その後、町田を交えて朝食を取った博孝達は再度の警戒任務に就くのだった。








「今日も晴天、特に問題はなし、と……」


 『いなづま』の甲板で、博孝が呟く。その傍らにはみらいと里香の姿があり、博孝と同じように水平線を目視で監視している。

 一体とはいえ『ES寄生体』と遭遇したため、訓練生には目視での監視を言い渡されたのだ。

 昨日のように水面を飛行するような『ES寄生体』ならば、対空レーダーで探知できる。しかし、水中を移動する『ES寄生体』は対空レーダーに映らない。そうなるとソナーの出番だが、ソナーは対空レーダーに比べれば探知範囲が短い。そのため、せっかく訓練生がいるのだからと目視での監視が回ってきたのだ。

 正規部隊員は当直についていたため、今は艦内で休息を取っている。町田は訓練生の監督のために甲板にいるが、『探知』を発現しながらリラックスしている。

 博孝達は分隊単位で甲板の四方に散り、真剣に監視に努めていた。すると、博孝の腰からノイズ音が走る。


『こちら砂原。応答せよ』

『こちら河原崎です』


 砂原からトランシーバー機能での連絡だった。博孝は携帯電話を手に取ると、監視の目を逸らさずに応答する。


『問題はないか?』

『現在二個小隊で艦の四方を目視で監視中ですが、特に問題はないです』

『了解した。引き続き任務に当たれ』


 それだけの問答で通信が途切れ、博孝は携帯電話をホルダーに戻す。


「き、教官は、なんて?」

「問題がないって伝えたら、引き続き任務に当たれだってさ。しかし……」


 いつもに比べて、砂原の声に余裕がないように思えた。任務中ということで淡々としたやり取りになるのは仕方ないが、それ以上に張り詰めているような印象が拭えない。


(昨日も『ES寄生体』と遭遇したし、警戒してるんだろうな……)


 過去に行った三回の任務でも、何かしらの“アクシデント”があった。それらに比べれば五十メートルのトビウオに襲われることなど大したことでもないが、砂原には生徒達の監督責任もある。今回ばかりは無事に任務を終えたいと気を張っているのだろう。


「まあ、俺達も気を抜かずに任務に集中しよう」


 軽く注意を促し、博孝達は異常がないかを監視する。みらいなどは何が楽しいのか、海以外何もない水平線をじっと見つめている。博孝と里香は、その集中力を見習うべきだと思って会話も少なく監視に集中した。

 午前が過ぎ、昼食を取り、午後も監視。じっと海面を注視していた博孝だが、ぽつりと呟く。


「……暇だ。いや、暇なのは良いことなんだけど」

「そ、そうだね……」


 気合を入れて監視を行っているが、何も起きずに船団が海原を進んでいく。風が強く、監視用に日差し避けが設置された場所で監視を行っているので、それほど暑くはない。だが、何も起きないというのは退屈の虫が騒いでしまう。


「みらい、ずっと海を見てるけど楽しいか?」


 無言で海を眺めているみらいに声をかけると、みらいは小さく頷く。


「……うみ、すごい。どこまでいっても、うみ」

「まあ、海だからなぁ」


 初めて海を見た感動が持続しているのだろう。みらいは海から視線を外さずに返事をする。


「いや、待てよ……こういう油断が命取りになるな。気を引き締めないと」


 陸上の『ES寄生体』よりも、海洋の『ES寄生体』の方が多様性に富んでいる。五十メートルのトビウオが良い例だろう。何が起きるかわからず、博孝は緩みそうになる思考を引き締めて監視を行う。傍らにいる里香は、そんな博孝の横顔を見つめて小さく微笑んだ。



 ――だが、何も起きない。



 午後も何事もなく過ぎてゆき、太陽が沈み始める。それまで青々としていた海が茜色に染まり始め、みらいが感嘆の声を上げた。


「……おー……きれい」

「さすがに眺めが良いな」

「う、うん……良い景色」


 水平線に太陽が沈んでいくその様は、言い知れぬ感動をもたらす。博孝と里香は言葉少なに称賛し、みらいは無言で沈みゆく太陽を見つめる。その瞳には涙が溜まっており、それに気づいた博孝と里香は微笑みながら頭を撫でた。


「この風景をみらいに見せられただけでも、今回の任務は大成功だな」

「うん……」


 そう言って笑い合う博孝と里香。しかし、みらいの涙は止まらない。それから僅かに時間が経てば、今度は満天の星空を見上げて涙を流すのだ。『いなづま』や他の船も最小限の明かりをつけているが、人工の明かりに溢れていた場所で見る星空とは大きく異なる。宝石のように散らばる星々を見上げて、みらいは非常に楽しげだ。

 昨晩は眠りについたとあって、今晩は訓練生も当直に回されている。『ES能力者』として徹夜に慣れている博孝は問題ない。いつもは眠りを取るみらいも、輝く星々に夢中で眠気など感じていないようである。

 さすがに夜間に目視で監視を行うのは難しいため、『ES寄生体』の発見は正規部隊員の『探知』や『いなづま』の対空レーダーとソナー頼りだ。それでも有事の際に即座に動く必要があるため、訓練生達は食堂や甲板で時間を潰している。みらいは甲板から動こうとしないため、博孝達も甲板で夜風に当たっていた。

 第四小隊の男子達も一緒にいたが、その内の一人がふと話題を見つけたように口を開く。


「そういえば、昔の船では船幽霊っていうのを警戒していてだな……」


 夏ということで、怪談を思い出したらしい。だが、それを口にするよりも早く、女子全員によって沈黙させられる。


「そんな話をしたらダメよ? みらいちゃんが怖がるでしょう?」

「アンタ、ちょっと海に落ちて頭を冷やしてきたら?」


 希美と沙織によって切って捨てられ、男子生徒は沈黙した。それを見て、博孝は真顔で注意を促す。


「お前……自分が昨日やったことを忘れたのか?」


 その男子は、トビウオの『ES寄生体』が出現する直前に話をしていた男子だった。その話の直後に警報が鳴ったため、周囲から白い目で見られたのである。


「だからアレは偶然だって! 俺のせいじゃないって!」


 必死に否定する男子だが、博孝は周囲を注意深く警戒している。しかし、数分経っても何も起きない。もしも柄杓を持った生き物が出てくれば、『射撃』を叩き込もうと思ったのだが。


「ちっ……命拾いしたな。今度何か起きたら、沙織の言う通り海に落としてやろうと思ってたのに」

「ひどくね!?」


 眠気覚ましと時間つぶしを兼ねて雑談をする博孝達。そんな博孝達を見て、町田は苦笑するだけだ。

 軍船にも貨物船にもオートパイロットが搭載されているため、停泊することなく目的地を目指して進み続ける。護衛任務といえど、『ES寄生体』が出現しなければ静かなものだ。鈴木の話では、広い海原で『ES寄生体』に遭遇することは稀らしい。昔に比べると『ES寄生体』の数も増えているが、精々二十回の航海で一度遭遇する程度だ。

 その点を考えると、町田が言った通り運が良かったのかもしれない。このまま予定通り進めば、翌朝には船団の引き渡し場所まで到達する。あとは合衆国側の船団を引き受け、大阪港まで戻るだけだ。

 博孝は警戒しながら時間を潰すが、本当に何も起きない。船が風を切る音が聞こえるだけで、あとは傍らの仲間たちが話す声が聞こえる程度だ。


「任務って、“普通”はこんなに平和なものなんだな……」


 しみじみと、博孝は呟く。初めての任務では死にかけ、二回目の任務ではみらいと出会い、三回目の任務ではまた死に掛けた。それ以外にも、里香との初デートで出かけてみれば敵性の『ES能力者』に襲われ、訓練校の中でも沙織に斬られて死に掛けたこともある。訓練では砂原が猛威を振るい、死にはせずとも気絶することも多々あった。


(……あれ? 『ES能力者』って、こんなに大変な生き物なんだっけ……)


 訓練校に入ってからの日々を思い返し、博孝は思わず目頭に手を当ててしまう。


「ひ、博孝君? なんで泣いてるの?」

「泣いてないっす……ただ、ちょっと悲しくなっただけっす」

「ちょ、なんっすか博孝。俺のアイデンティティを取らないでほしいっす」

「お前のアイデンティティってこの舎弟口調なのかよ!?」


 恭介の抗議にツッコミを入れ、博孝はため息を吐く。何もないと、逆に落ち着かない。


(いやいや、それは良いことなんだよ、うん)


 任務の度に斬り合い殺し合いを期待するのは、沙織だけで良い。しかし、その沙織も今では穏やかな顔で夜の海を見つめている。


「夜の海と星空が綺麗ね……ロマンチックだわ」

「お前誰だよ!?」


 かなり失礼なことを口走る博孝だが、“昔”の沙織を知る身としては違和感が激しい。違和感の激しさに、久しぶりに胃が痛みを訴えるほどだ。そのため中座すると、町田が笑いかける。


「落ち着かないかい?」

「何もないと、逆に異常に感じるぐらいには……」


 包み隠さず伝えると、町田は笑みの種類を変えた。それまでの穏やかな笑みではなく、どこか苦みが混じった笑みである。


「何もないっていうのは良いことさ。昔は、一睡もできずに戦場を駆け回ることだってあったんだ。今の『ES能力者』は多少“抜けている”けど、それも時代の流れだろうねぇ」

「そんなものですか……失礼ですけど、少佐の年齢をお聞きしても?」

「ん? 年齢かい? 今年で四十三歳になるよ」


 そう言って笑う町田は、外見的には二十代の半ばに届くかどうか。それでも年齢を聞いた博孝は、僅かに姿勢を正す。


「戦場っていうと、『ES世界大戦』ですか?」

「そうだね。いや、アレは酷かったよ。先輩に鍛えられてなかったら、途中で死んでただろうね」

「その先輩というのは、砂原教官のことですよね?」


 博孝が問うと、町田は頬を引きつらせる。そして、視線を遠くに飛ばした。


「そういえば、『収束』も見られてたか……まあ、隠すことでもないね。砂原先輩にはお世話になったものだよ……色々な意味で」


 過去を思い出したのか、町田の額に冷や汗が浮かぶ。だが、博孝としては教官である砂原の過去はそれほど知らない。興味は大きかった。


「教官って、昔から“あんな感じ”だったんですか?」

「いや、今はだいぶ丸くなったかな。同じ部隊にいた時は、当時の同僚と一緒に毎日血反吐を吐かされたよ」

「……血反吐を吐かされないだけで、丸くなったようには思えないんですが」


 訓練校で受ける指導を思い出し、博孝も顔を青くする。少しでも反撃をすれば、嬉々として叩き潰しにくるのだ。それを聞いた町田は、視線に強い同情を乗せる。


「そうか……君達も大変なんだね」

「いえ……慣れました」


 大きなシンパシーを感じて、二人は沈黙した。町田はその空気を感じ取ると、空気を変えるべく笑う。


「でも、安心して良い。あの人に鍛えられているのなら、間違いなく強くなれるから」

「それって、安心する要素なんですかね?」


 そう言って、博孝と町田は笑い合う。

 結局、夜が明ける時間になっても何かが起こることはなかった。








 夜が明け、食事を取った博孝達には休憩時間が与えられた。仮眠を取っても良いし、水兵の邪魔にならない程度に艦内を見学しても良い。しかし、護衛してきた船団の引き渡しが行われるということで、博孝達訓練生は全員甲板に姿を見せていた。


「あれが合衆国の軍船か」


 博孝が視線を向けたのは、合衆国側からの船団を護衛してきた軍船だ。大きさは『いなづま』とそれほど変わらないが、やや兵装過多な印象を受ける。日本側と同じように『ES能力者』を搭乗させており、船の上空では旋回している人影が見えた。

 互いに船団を引き渡すと、軍船は回頭して往路を逆にたどり始める。訓練生達は緊張していたのか、遠ざかっていく軍船を見て大きく息を吐いた。


「何もなかったな……」

「何かあったら困るっすよ……」


 博孝と恭介は緊張を解すように言うが、外国の軍船や『ES能力者』を見たのは初めてだったのだ。そんな訓練生達の様子を見て、町田は苦笑する。


「そんなに緊張することはないよ。合衆国とは同盟を組んでるし、護衛任務に就いている相手を沈めでもしたら宣戦布告にも成り得るからね。国際ES法でも、交戦状態にない国の船や飛行機を攻撃すれば、無条件での経済制裁も可能としているぐらいだし」


 気軽に言い放つ町田だが、博孝達からすれば気軽に考えられる問題ではない。町田は苦笑を深めると、頭上を指差した。


「むしろ、向こうの方が緊張していたと思うよ。なにせ、『穿孔』が護衛についているんだからね」

「……教官って、そこまで有名なんですか?」


 そう言いつつ、博孝達の視線が動く。笑い話の例えとして砂原の存在を口に出した町田はそれに気づかず、有名かどうかという質問に頷くしかなかった。


「それはもう。日本の『ES能力者』の中でも、トップクラスの実力を持っているからね。教官になるって言われた時は、大騒ぎになったものだよ。まあ、過去に交戦したことがある敵部隊なんかは、胸を撫で下ろしたんじゃないかな」

「へぇ……教官、そうなんですか?」


 その言葉は、町田に向けたものではなかった。町田の背後――丁度、休憩のために訪れた砂原に対しての言葉である。


「気にするな、昔の話だ」


 低い声が響き、それを聞いた町田の顔が急速に青ざめていく。さらにそこから赤くなり、青くなり、最後には真っ白になった。錆び付いた機械のような動きでゆっくりと振り返ると、そこには町田を見下ろすように砂原が立っている。


「す、砂原先輩!? いつの間に背後に!?」

「『飛行』を切って、ついでに気配を消して“落ちてきた”だけです。それにしても、いけませんな少佐殿。任務中に背後を取られるとは」


 たまたま博孝達の視界に入る形で落下してきた砂原だが、視界に入らなければ博孝達も気付けなかっただろう。町田の気が抜けていたというよりも、背後を取った砂原の方が技量的にも上というだけの話である。


「――どうやら、少しばかり気が抜けておられるようですな」


 にこやかに話しかける砂原だが、町田はガタガタと震えている。しかし、砂原が休憩のために訪れたのだと判断して、『飛行』を発現して飛び上がった。


「で、では、軍曹が休憩を取っている間は私が警戒に当たろう! ゆっくりと休憩を取りたまえ!」


 それだけを言い残し、町田が高速で遠ざかっていく。それを無言で見送った博孝達は、砂原に視線を向けて恐る恐る尋ねた。


「教官……町田少佐に何をやったんですか?」

「さて、覚えがないな」


 そう言って、砂原は博孝達を連れて食堂へと足を向ける。不眠不休で飛び続けていたため、少しばかり疲れた――などということはなく、少しばかり腹に物を入れておこうと思っただけだ。後で町田には“お礼”を言うとして、今は訓練生の報告を聞くことにする。


「異常は?」

「何もないですね。初日に『ES寄生体』が出て以来、平和なもんです」

「そうだろうな。だが、艦船の護衛任務というのはこういうものだ。適度に気を張りつつ、有事に備えるようにしろ」


 博孝達の報告を聞き、砂原は簡単な訓示を行う。手早く食事を取り、コーヒーで一息をつくとすぐさま立ち上がった。


「他の艦の生徒の様子を見てくる。その後は空に上がるが、諸君らは継続して任務を行え」

「了解です」


 食事と休憩にかかった時間は、十分程度。砂原は『飛行』を発現して飛び立つと、他の生徒のもとへと向かう。それを見送った博孝達は、砂原の代わりに船団の護衛を行う町田に視線を向けた。


「先輩と後輩の関係って聞いたけど、一体何があったんだ……」


 その問いに答えられる者は、誰もいなかった。








 復路は何事もなく、予定通りの航路を辿って大阪港へ向かっていく。既に任務も四日目に突入しており、予定では夕方には大阪港へ到着する。その後は出港した基地まで戻り、訓練校までバスでの移動だ。日付が変わるまでには訓練校に戻れるだろう。

 船上での生活にも慣れを感じ始めた博孝達だが、気は抜かない。今日中に任務が終わるとはいえ、大阪港に到着するまでまだ十時間近くある。水平線を見渡すように目を細め、何も異常がないかを確認していく。

 そんな訓練生の傍には町田の姿もあったが、目がどこか虚ろだった。『船から降りたくないなぁ……』と呟いており、何かに怯えているようである。

 ここ最近続いた快晴は一転し、空は生憎の曇り模様だ。雨は降り出していないが、天候が悪化すれば大荒れになるかもしれない。

 艦橋で部下の報告を聞いていた鈴木は、ガラス越しに見える空模様を見て大阪港に着くまでは持つと判断する。雨が降っても航行不能になるわけではないが、視界が悪くなるのは避けられない。空を飛んでいる『ES能力者』も、豪雨になれば難儀するだろう。『防壁』を常時発現する羽目になるかもしれない。


「っ! 対空レーダーに感あり!」


 その時、対空レーダーの観測手が声を張り上げる。それを聞いた鈴木は表情を引き締めると、観測手の読み上げを促す。


「方位、南西。距離20000。速度……速いです! 約100ノット! こちらに向かってきます!」

「警報発令! 戦闘配置!」


 艦内に警報が鳴り響き、『ES能力者』が甲板へと飛び出てくる。甲板にいた博孝達は、鳴り響く警報にげんなりとした顔をした。


「またトビウオか?」

「アレは勘弁してほしいっすね……腕の生えた魚がバタフライをしているみたいで、夢に出てくるっすよ」


 戦闘前の緊張を雑談で誤魔化し、追加の情報を待つ。すると、スピーカーから鈴木の声が響いた。


『こちらに向かって『ES寄生体』を思わしき生物が接近中。方位は南西、距離……現在、19キロだ。速度は約100ノット。目視は可能かね?』


 そう言われて、博孝達は目を凝らす。それだけ離れているのなら、対空レーダーに引っかかったのだろう。そうなると、また巨大なトビウオかもしれない。


「……おにぃちゃん、あれ」


 みらいが袖を引き、博孝はそれに釣られて視線を向ける。今回もみらいが真っ先に発見したようだが、博孝の視力では確認ができない。


「んん? どこだ?」


 前回戦ったトビウオのような巨体ならば、発見は容易だ。しかし、それらしい姿は見えない。


「……うみから、へんなのがでてる」

「変なの?」


 みらいが言いたいことがわからず、博孝は首を傾げた。みらいは博孝に目を向けると、身振り手振りで自分の言いたいことを伝え始める。


「……こう、にょきって」

「にょき? もしかして、海面から背びれが出てるのか?」


 言われて視線をずらしてみると、たしかに海面から“何か”が突き出ているのが見えた。トビウオよりは小さいが、それでも遥か遠くにある“何か”が近づいてきているのがわかる。


「背びれであの大きさってことは、百メートル級が出てきたかな?」


 町田も気付いたのか、目を細めて呟く。百メートルという言葉を聞いて、博孝達は顔をしかめた。


「デカくないですか?」

「元々の体が大きいんだろうね」


 あっけらかんと答える町田。そこに焦った様子はなく、町田にとってみれば先日のトビウオと大差はないらしい。


「デカいっすね……そういえば、こんな映画があったような気が……」

「あれはホラー映画だろ。というか、背びれを見せるのはサメだけじゃねぇ」

「し、シャチとかイルカも見せるよね?」


 そんな会話を交わしつつ、トビウオの時と同じように戦闘配置につく。


「艦長! 相手はサメかシャチ、あるいはイルカです!」


 町田が叫ぶと同時、背びれが海中へと沈む。海上で接近してくる背びれが海中に消えたことで、対空レーダーからも反応がロストした。


『少佐、アレを炙り出せるかね?』

「『探知』の範囲に入れば、どうとでも料理してご覧に入れます」

『頼もしいことだ。それでは一任しよう』

「了解です」


 手短に会話を行い、町田は『探知』で対象の『ES寄生体』を待ち受ける。自身で言葉にした通り、『探知』の範囲内ならばいくらでも対処可能だ。しかし、それよりも先に砂原から『通話』で声が響く。


『『探知』に反応あり! 船団の前方から『構成力』が迫ってきています!』

「なんだと!? 艦長! 砂原軍曹から報告! 船団の前方にも『構成力』反応あり!」

『『あけぼの』と『いかづち』から連絡があった! ソナーに感あり! 数は二だ! そちらはそれぞれの艦に対処させる!』


 町田達の会話を聞き、何やらきな臭くなってきたなと博孝は内心で呟く。“たまたま”、“運悪く”『ES寄生体』の群れと遭遇してしまったのだろうか。


「いや、ねぇな……小隊各員、警戒を強めとけ。里香は俺と一緒に『探知』だ」


 砂原や町田がいるため大丈夫だとは思うが、博孝は里香に『探知』を発現するよう指示を出す。今回ばかりは平和に任務が終わると思ったのだが、どうにも嫌な予感がする。

 その時、対潜ソナーの観測をしていた観測手が悲鳴のような声を上げた。


「艦長! 水中に感あり! 潜水艦です!」

「こんな場所で潜水艦だと!? 自殺願望でもあるのか!?」


 水棲の『ES寄生体』が出現してからというものの、潜水艦の用途は酷く限られることになってしまった。『ES寄生体』の体当たりでも食らえば、それだけで沈みかねないのだ。そのため、潜水艦を単独で運用することは常識の外にあるといって良い。運用するとしても、他の水上艦船と共に行動させる必要がある。

 そもそも、何故こんな場所に潜水艦がいるのか。そんな疑問を感じつつ、鈴木は潜水艦の居場所を他の艦船とリンクさせる。しかし、潜水艦は特に何かを行うということもなく、船団に背を向けて距離を取り始めた。

 国籍も目的も不明の潜水艦を問答無用で沈めるわけにはいかないが、このまま取り逃がすわけにもいかない。鈴木は『ES寄生体』の対処を町田に委任すると、潜水艦の拿捕を行おうとする。


「っ! 潜水艦から射出音あり!」

「魚雷か!?」

「違います! 射出方向は上方――海面から何かが出てきます!」


 その報告に、ミサイルを発射したのかと鈴木は思った。だが、海面から出てきたのはミサイルではない。

 海面から出てきたのは、人間だった。『構成力』を纏い、『飛行』を発現しながら『ES能力者』が飛び出してくる。


『総員警戒! 敵性の『ES能力者』が突っ込んでくるぞ! 砲術士は対『ES能力者』戦闘準備!』


 鈴木の声が響き渡り、海上は一瞬にして戦場へと変わるのだった。








 ちょっとした補足など。


・ソナーについて

 旧海軍および海上自衛隊ではソナーのことを『ソーナー』と呼称しますが、本作ではソナーで統一しております。そちらの方が馴染みがあると思いますので。


 それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。


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