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第五十九話:一手御指南 その3

 三場俊郎は、一言で言えば平凡な少年である。両親が『ES能力者』であり、自身も『ES能力者』としてES訓練校に入校した以外は、いたって普通の少年だ。

 容姿も平凡で、性格も平凡。人の良さが目立つ部分はあるものの、それは翻せば苦労性と言い換えることもできる。

 そして、第七十二期訓練生として訓練校に入校し、第一小隊に配属されてからもその扱いは変わらない。

 小隊長の市原は自信過剰で、何事にも率先して首を突っ込む。

 二宮は訓練校以前から市原と知り合いだったらしく、極力市原の傍にいようとする乙女な一面があるものの、支援型の『ES能力者』とは思えないほど接近戦重視。

 紫藤は寡黙ながらも向上心は人一倍で、よく三場を的にして『狙撃』の練習を行う。

 そんな三人に振り回された三場はある日、気がつけば先輩である第七十一期訓練生に殴り込む事態に巻き込まれていた。

 やめよう、勝てない、危険だ。そんな言葉をかけてみるが、返ってくるのは様々な苦笑混じりの声だ。


「一期上の先輩程度、俺達なら余裕ですよ」

「なに? ビビってるの?」

「うん、余裕」


 その自信はどこからくるのかと、三場は声を大にして聞きたかった。しかし、二回目に行った任務で『ES寄生体』を第一小隊で倒し、三場も多少の自信をつけている。

 普段から連携訓練を重ね、教官以外には負けていなかったのも大きかっただろう。市原達の言葉に背を押され、第七十一期訓練生の男子寮に殴り込み、あとは希望通りの模擬戦だ。

 最初はまだ良かった。中村達は手強かったものの、まだ戦えるレベルだった。それが崩れたのは、みらいと里香が参戦してからだろう。

 それでもまだ、辛うじて抗し得た。みらいを市原が押さえ、里香を紫藤が押さえたのだ。戦況は膠着の様相を呈したが、まだ戦いになっていた。

 それが完全に崩壊したのは、博孝と沙織が駆けつけた時だろう。瞬きの間に市原の前後に姿を現した博孝と沙織を見て、三場は直感したのだ。

 相手は、明らかに格上。それも、下手すれば単独で自分達の小隊と戦えるような存在だと。

 その直感は当たった――というよりも、その身を以って味わった。模擬戦を再開して僅か一秒で博孝に間合いを詰められ、腹部に強烈な衝撃を感じて意識がブラックアウト。あとのことは、まったく覚えていない。

 そんな三場も三十分ほどで目を覚まし、そして、自分が地獄に叩き込まれたことを悟る。


 ――周囲には、悪鬼羅刹が群れを成していた。


「で、この後輩君たちがみらいちゃんを泣かしたのね?」

「良い度胸じゃない。腕試しっていうのなら、わたし達とも戦いましょうよ」

「一分で叩き潰すわ。物理的に」

「生まれたことを後悔させてあげるわ」


 見慣れない女子生徒達が、三場達を取り囲むようにしてギラギラとした眼差しを向けてくる。その視線を集中的に浴びていたのは、市原だ。凸凹になったグラウンドに正座し、周囲からの罵詈雑言の雨に晒されている。常の市原にしては珍しく、頭を垂れて意気消沈していた。


「い、一体何が?」


 呟き、周囲の様子を確認する。だが、それと同時に僅かに腹部が痛んだ。骨や内臓に異常は感じないが、腹筋に痺れるような痛みがある。


「おっと、起きたっすか」


 状況を理解しかねる三場に、恭介が苦笑交じりに話しかけた。声を掛けた相手が、市原を取り囲む女子達よりも話が通じそうだと判断して三場は口を開く。


「あの……一体何が起きたんですか? 模擬戦は?」

「模擬戦は終わったっすよ。博孝と沙織っちが暴れて、君らはすぐに全滅したっす」

「はぁ……」


 全滅と言われても、何が起きたのか。三場は不思議そうな顔をするが、恭介は苦笑するだけだ。


「博孝も沙織っちも、ちゃんと手加減してて良かったっすね。あっちで正座している……市原だったっすか? 彼なんて、沙織っちが手加減をミスったら肩からバッサリいってたっすよ」


 バッサリいくのは博孝だけで十分っす、などと付け足され、三場は博孝なる人物の身に何が起きたんだと恐怖する。三場は混乱を深めるが、恭介は苦笑するだけだ。


「挨拶が遅れたっすね。俺は武倉恭介。君らが戦った二人と同じ小隊のメンバーっす」

「あ、これはどうもご丁寧に。三場俊郎です」


 恭介の挨拶に対して、三場は頭を下げながら自分も名乗る。なんとなく、恭介とは仲良くなれそうな気がした。


「それで武倉先輩、市原はなんであんな状態なんですか? 周囲にいる人達も、さっきはいなかったですよね?」


 恭介が話しかけたため視線は向けられていないが、市原を囲む女子達から怒気のようなものを感じる。恭介は三場の質問を聞くと、今度は引きつったような笑みを浮かべた。


「いやぁ……誰かが、みらいちゃんが泣かされたってリークしたみたいで。すごかったっすよ? 情報が伝わった瞬間、女子寮からほぼ全員が同時に出てきたっすからね」


 その時の光景を思い出し、恭介はみらいを泣かしたのが自分ではなくて良かったと思う。

 みらいが泣かされたという情報が女子寮に伝わった瞬間、談話室にいた女子は全員全速で駆け抜けてきた。それだけに飽き足らず、部屋にいた女子は全員同時に窓を開け、一糸乱れぬ動きでグラウンドへ向かって跳躍してきたのだ。

 それを見ていた男子達は、恐ろしいものを見たと言わんばかりに首を竦めている。もっとも、男子達もみらいを泣かされたということで怒り心頭だった。女子達に混じり、不穏なことを口走っている者もいる。


「それはなんとも……」


 女子寮から同時に女子達が飛び出てくる光景を想像し、三場は気絶していて良かったと思った。次いで、市原の状態以上に気になる光景が展開されていたため、そちらに目を向ける。


「あと……あれは?」

「ああ、あれはお説教っすね」


 三場が向けた視線の先。そこでは、三場を含めて一個小隊を撃破した博孝と沙織が、何故か正座をしていた。二人の前には里香が仁王立ちし、その胸元に泣いていると思わしきみらいが顔を寄せている。


「あのね、いくらなんでもやり過ぎだと思うの。相手は下級生なんだよ?」

「すいません。調子に乗りました」

「ごめんなさい。昔の自分を見ているようでイラッとしたの」


 反省しているのか、していないのか。博孝と沙織は真顔で答える。それを聞いた里香は、頬を膨らませた。


「わたしもね、みらいちゃんを傷つけられて怒ったよ? でも、『瞬速』で接近して殴り倒したり、何十発も『射撃』を撃ち込んだり、大太刀で真っ二つにしようとするのは駄目だと思うの」

「え? 実際に真っ二つにしてないんだから、別に大丈夫でしょう?」

「そういう問題じゃないの!」


 里香の言葉に首を傾げる沙織。沙織としては、きちんと寸止めしたのだ。周囲から見れば危うかったかもしれないが、沙織としては問題があったようには思わない。“模擬戦”で人を斬るのは、博孝の一件だけで十分なのだ。斬られたと錯覚して硬直するような未熟な相手を前に、寸止めに失敗するような腕は持っていない。

 沙織に対して言い募る里香を見て、博孝は異議ありと言わんばかりに挙手をする。


「師匠も怒りの下段蹴(ローキック)を炸裂させたと伺いましたが?」

「ち、違うのっ。あれは、その、つい……し、師匠って呼ばないで!」

「つい、で上下が逆さまになるレベルの蹴りを叩き込んだ、と……さすがは我が師匠!」


 称賛するように拍手をする博孝。沙織も『さすが里香ね』と同意しつつ拍手をする。そんな二人の拍手を受けて、里香は実力行使に出た。


「も、もうっ、もうっ!」


 里香は博孝の言葉に顔を真っ赤に染め、抗議するように博孝の肩を叩く。だが、博孝としては痛みよりも先に和むだけだ。

 しばらく博孝の肩を叩いていたが、やがて諦めたのか里香はため息を吐く。


「もう……あの人達が全員起きたら、ちゃんと謝ってね? 大人げないんだから」

「大人って呼べるほど歳を取ってないんだけど……でもまあ、さすがにやり過ぎた。わざわざ腕試しに来たってのに、悪いことをしたかねぇ」

「そう? みらいを泣かしたんだから、あれぐらいは当然でしょう?」


 お説教が終わったと判断して、博孝と沙織は立ち上がる。そしてズボンについた砂を払い、第七十一期訓練生女子多数と男子少数による一方的な裁判の現場へ足を運ぶ。


「ほらほら、お前らもそんなに取り囲んで後輩イジメてんじゃねぇよ。滅茶苦茶凹んでるじゃねえか」


 解散しろと博孝が告げると、女子達から一気に視線が集まった。しかし、博孝はその視線を特に気にしない。


「えー……折角、みらいちゃんを泣かしたことに対する罰を話し合ったのに」

「まだまだ責めたりないわ」

「せめて、話し合って出てきた罰ぐらいは試した……もとい、受けてもらいたいのよ」


 明らかに状況を楽しんでいる者がいたが、博孝は聞き流すことにした。一体どんな罰を考えたのか、そちらの方が気になる。


「ちなみに、考えた罰って?」

「え? 釜茹でとか」

「石川五右衛門!? いや、『ES能力者』なら耐えられるだろうけど、そんな拷問紛いな判決を出すなよ!」


 きょとんとした顔で残酷な発言を行うクラスメートに、博孝は全力でツッコミを入れた。それは罰というより、処刑だろう。

 博孝が手を打ち鳴らして解散を促すと、男子達はそれに従って撤収を始める。女子達はいまだに不満そうだったが、この場は博孝に預けることにした。博孝は正座したまま俯く市原の前に立つと、苦笑を向ける。


「よう、後輩君。散々だったな」

「……いえ、俺が悪いんですから。これも敗者の責務ですから」


 気さくに声をかけた博孝だったが、市原は死んだ魚のような目をしながら答えた。三十分近く罵倒され続けたため、精神的に参っているのだろう。


「あとそっちの……って、まだ気を失っている子が二人いたか。里香、ちょっと治療を手伝ってくれ」

「あ、うん。ほら、みらいちゃん」

「……ん」


 二宮と紫藤は気を失ったままのため、博孝は里香にも声をかけて治療に当たる。里香はみらいにしがみ付かれたままだったため、若干動き辛そうだ。


「ほらみらい、こっちにおいで」


 里香が動き辛そうなのを見て、博孝はみらいに声を掛けつつ両腕を広げる。あまり甘やかすのは良くないと思うのだが、どうにもみらいの様子がおかしい。そのため博孝が声をかけると、みらいはすぐさま博孝の胸へと飛び込んだ。


「おっとっと……ほらほら、良い子だから泣き止みなさいって。あんまり泣いてると、せっかくの可愛い顔が台無しだぞー?」


 みらいを落ち着かせようとして、博孝は頭を撫でる。みらいは博孝に力いっぱいしがみ付き、顔を胸板に押し付けるだけだ。可能なら『活性化』で“治療”を行いたいが、この場では人目があり過ぎた。

 博孝はコアラの赤ん坊のようにしがみ付くみらいに苦笑しつつ、グラウンドに寝かされた紫藤のもとへと歩み寄る。


「どうやって起こすかな……みらい、正面から抱き着かれると少し動きにくいから、背中に移動してくれ」


 紫藤に手を触れつつ、『活性化』を併用した『接合』でも行えば目を覚ますか。そう考えた博孝は、紫藤の額に右手を当てた。みらいが真正面からしがみ付いていると治療がしにくいため、みらいは背中に移動させる。

 そうやって治療を行うと、紫藤は一分もかからずに目を覚ました。すでに覚醒が近かったのだろう。

 紫藤は目を開き、自分の額に博孝が右手を当てているのを確認し――咄嗟に、蹴りが出た。目を覚ますと、すぐ近くに見慣れない男がいたのだ。しかも、何故か自分の額に手を当てている。

 それらの状況から、紫藤は博孝を不埒な人物と判断。気を失った一時的な混乱で、それまで戦っていた相手とも気付いていない。

 仰向けの体勢だったため、博孝の右手を押さえて逃げられないようにし、腹筋を使って膝を一気に引き寄せる。狙いは、博孝の側頭部だ。


「おっと、起き抜けに元気がいいねぇ」


 だが、博孝はまったく動じずに片手で紫藤の膝蹴りを受け止めた。それと同時に、背負ったみらいから不規則な『構成力』を感じ取る。


「みらい、『防殻』を張ってくれ」


 どうやら、紫藤が突然繰り出した膝蹴りに再び怯えの感情を刺激されたようだ。暴走とまではいかないが、『構成力』が不安定になっている。そのためみらいに『防殻』を発現するよう指示を出し、『活性化』の光を誤魔化しつつ“治療”を行う。

 博孝がみらいに指示を出していると、紫藤はそれを隙と見たのか博孝の右手を振り払い、全身をバネのように使って博孝から距離を取った。


「……模擬戦は?」


 そこでようやく、紫藤は周囲を見回す余裕を取り戻す。正座した市原に、恭介と話し込む三場、里香に治療されている二宮。そして、今起きた自分。


「落ち着きなさいよ。模擬戦はとっくに終わってるわ。それでも戦いたいなら、わたしが相手になるけど?」


 沙織が面倒臭そうに教え、それを聞いた紫藤は気絶する前の光景を思い出す。

 押し寄せる光弾の雨。揺らぐ『防殻』。数多の衝撃を受けて遠くなる意識。それらを思い出し、紫藤は博孝に畏怖のこもった目を向けた。


「ということは……」

「博孝はアンタの治療をしていただけ」


 端的に告げられ、紫藤は赤面する思いだった。勇んで模擬戦を挑み、圧倒的な実力差で破れ、その上、目が覚めるなり治療をしていた博孝に膝蹴りを敢行したのだ。紫藤は割合冷静な性格をしているが、それらの事実を前にして何も感じないほど面の皮が厚いわけではない。


「……ごめんなさい」


 そして、素直に頭を下げる程度には常識も備えていた。博孝は紫藤の謝罪に苦笑して手を振ると、紫藤の様子を確認する。


「どこか痛いところはないか? 手加減はしたけど、何十発も『射撃』を撃ち込んじまったからな。痛いところがあれば治療するよ」


 そう言われて、紫藤は自身の調子を確認した。何十発もの『射撃』を受けた割に、深刻な痛みはない。

 手加減をしたというのは本当なのだろう。もっとも、紫藤としては手加減された状態で一方的に負けたことが悔しくもあったが。

 里香の方も治療が終わったのか、二宮が身を起こして周囲を見回している。そして模擬戦が終了していることを確認すると、深々とため息を吐いた。


「負けちゃったか……先輩、治療してくれてありがとうございました」


 二宮も潔いのか、負けを認めて里香に頭を下げる。里香は恐縮するように頭を下げ返し、今後は市原に目を向けた。


「最後に……えっと、あなたも」


 里香は最後に、正座したままの市原の治療を行うことにした。傷はほとんどないが、斬られたと錯覚して呆然としたところに沙織が前蹴りを叩き込んだのである。痛みはあるだろうと、沙織が蹴り飛ばした腹部に手を当てて『接合』を発現する。


「あの、その、痛くはない?」


 心配そうな顔で尋ねる里香。それは純粋に、傷ついた後輩を慈しむものだった。みらいを傷つけたことに対して怒りを覚えはしたが、これは模擬戦だ。模擬戦が終わったのなら、確執は持ち越すべきではない。

 甲斐甲斐しく治療を行う里香の顔を間近で見た市原は、慌てたように首を振る。


「い、いえ! 全然大丈夫です! わざわざありがとうございます!」

「そ、そう?」


 市原の剣幕に、里香は僅かに身を引きながら頷いた。それでも治療は継続し、痛みが引いたと判断してから手を離す。

 市原は正座の状態から立ち上がると、姿勢を正して里香に一礼する。


「治療をしていただき、ありがとうございます。差支えなければ、先輩のお名前をお聞きしたいのですが」


 殊勝な様子で里香の名前を尋ねる市原。その様子に博孝は『おや?』と片眉を上げるが、里香は名前を聞かれたのだからと素直に答える。


「だ、第七十一期訓練生の岡島里香です」

「岡島先輩、ですか……」


 何かを噛み締めるように里香の名字を口にする市原だが、すぐに自分が名乗っていないことに気付いたのか再度頭を下げた。


「申し遅れました。第七十二期訓練生、第一小隊を預かる市原一樹です」


 畏まった様子で自己紹介をする市原だが、その様子を見ていた二宮が怪訝そうな顔をする。普段から慇懃なところがあるが、それにしても度が過ぎているような気がしたのだ。


「はいはい、自己紹介するなら全員してくれ。話がしにくい」


 途中から乱入した博孝達は、市原達の名前を知らない。個別に挨拶をされても、聞く側としては手間だ。


「話……ですか? 一体何を?」


 博孝の言葉を聞き、市原が首を傾げた。第七十一期訓練生女子発案による拷問(おしおき)は、なしだと思ったのだが。そんな疑問を読み取ったのか、博孝は苦笑する。


「ん? 何を話すって、お前ら腕試しで模擬戦しに来たんだろ? それなら、先輩として後輩にアドバイスをするべきじゃないか。それにはまず、自己紹介をしてくれよ。俺達も自己紹介をするから」


 事情を把握している博孝は、みらいをあやしながらそう言う。市原達は顔を見合わせると、気圧されるように自己紹介を始めた。


「岡島先輩には名乗りましたが、市原一樹です。この小隊の小隊長を務めています。攻撃型で、接近戦が得意です」

「二宮四葉です。支援型ですけど、接近戦が得意です」

「三場俊郎です。防御型の『ES能力者』です。この度は御迷惑をおかけしまして、本当に申し訳なく……」

「紫藤遙。攻撃型で、射撃が得意……です」


 少し前に中村達に自己紹介を行った時とは違い、今度はきちんと姿勢を正しながら名乗る市原達。博孝達は頷くと、自分達も自己紹介を行う。


「第七十一期訓練生、第一小隊を預かる河原崎博孝だ。『ES能力者』としては万能型だ」

「第一小隊所属、長谷川沙織よ。攻撃型で、接近戦が得意ね」

「お、同じく第一小隊に所属している、岡島里香です。支援型です」

「俺は武倉恭介っす。俺も第一小隊っすよ。戦う機会はなかったっすけど、防御型の『ES能力者』っす」


 互いに簡素な自己紹介を行うと、博孝は市原達に真剣な目を向ける。アドバイスをするとは言ったが、その前に話しておきたいことがあった。


「さて、アドバイスをするって言ったけど、その前に聞きたいことがある。腕試しに模擬戦を挑みに来たんだろうけど、発案者は?」

「俺です」


 博孝が問うと、市原は教官に対するように姿勢を正したままで答える。先輩であり、実力的にも上の博孝に対して敬意を払っているのだろう。


「市原か。そうだろうとは思ったけど、なんでわざわざ俺達の校舎まできたんだ? 訓練なら、自分達だけでもできるだろ? 腕試しとして他の期の生徒にちょっかいをかける必要があったのか?」


 自分達の実力を知りたいと思うのは、悪いことではないだろう。正確に実力を把握しておかなければ、要らぬ危険に巻き込まれる可能性もある。今回も、結果として博孝と沙織に惨敗することになったのだ。


 ――今回の件で、十二分に懲りたとは思うが。


「同期だと、俺達の相手になりません。それに、俺達はこの前の任務で『ES寄生体』を一体倒しました。ここまでくれば、次は先輩方と腕を競ってみるべきだと判断しました」


 悪びれもせずに答える市原だが、自信はあったのだろう。例え一期上の先輩が相手でも、勝てるという自信が。

 市原の話を聞いた博孝は、顎に手を当てて視線を宙に飛ばした。何かを思考しているようだが、考えがまとまらなかったのか恭介に視線を向ける。


「同期が相手にならない、『ES寄生体』を一体倒した……そこでどうして、その次に『先輩と戦う』になるんだろうな?」

「さあ……俺もよくわからないっすよ。そんなことをしている暇があったら、訓練をした方が有意義だと思うっすけど」

「で、でも、自分達よりも経験を重ねた『ES能力者』との模擬戦は、十分に訓練になるんじゃないかな?」

「そうかしら? 格上相手というなら、普段から教官を相手にしているじゃない。教官以上に腕が立つ『ES能力者』なんて、望んでも戦えるものじゃないわ」


 博孝達は意見を交わすが、里香の意見が最も正しいように思えた。戦ったことがない相手との模擬戦は、貴重な経験になるだろう。しかし、博孝は一応の確認として話を振る。


「まさかとは思うけど、同期より強い、『ES寄生体』も倒した……それで過信して喧嘩を売りに来たんじゃないよな?」


 この時点で、博孝は市原達が“指導”を求めてこの場に訪れたと思っていた。わざわざ一期上の先輩のもとに模擬戦を申し入れるのである。さぞ訓練熱心で上昇志向なのだろうと、心の底から思っていた。同時に、過信を抱いて訪れた可能性も考慮する。


「負けた今となっては言い訳のしようもありませんが、その通りです。俺達は、先輩方にも勝てると自信を……いえ、河原崎先輩の言葉を借りれば、過信していました」


 しかし、市原はその可能性を肯定した。博孝としては、『まさかそんなわけないよな』という極小の可能性。それを肯定されたことで、博孝は目を細めた。


「そっか……良かったな」


 次いで漏れたのは、どこか感情が見えない冷たい声。その声を聞いて、里香や沙織、恭介は博孝と同様に目を細めた。


「良かった、とは?」


 何故そこで良かったなどと言われるのか。それがわからず、市原は首を傾げた。


「いや、過信を持ったままで次の任務に出なくて良かったな、ってことだよ」

「それは……そう、ですね」


 博孝が何を言いたいのかわからず、市原は追従するに留める。三場は博孝の意図に気付いたのか、顔色を変えた。

 三場の表情の変化を視界の隅に捉えつつ、博孝は敢えて感情を排した声で言う。


「そのまま任務に出ていたら――下手すりゃ死んでたぞ? あるいは、仲間を死なせる羽目になっていた」


 冷たく言われ、市原や二宮、紫藤は目を瞬かせた。三場はその気性から自分達が抱える危険性を感じていたのか、博孝の言葉を真摯に受け止める。


「自分達の実力を過信して任務に出て……まあ、この場合は『ES寄生体』や敵性の『ES能力者』に遭遇したとするか。市原、その場合はどうする?」

「……もちろん、戦います」

「そして全滅か」


 戦うことを選択する市原に、博孝は現実を叩きつけた。実際に訓練生が任務で『ES寄生体』や敵性の『ES能力者』に遭遇する機会は少ないが、博孝達は過去の任務の全てで遭遇している。


 ――市原達にも同じことが起きないと、誰が保証できるというのか。


「任務に関わることだから詳細は伏せるが、俺の小隊は過去三回の任務で『ES寄生体』に一回、敵性の『ES能力者』に三回遭遇している。それも、相手が単独だったことはほとんどなかった」


 敵性の『ES能力者』にはみらいも含んでいるが、出会った時は素性がわからずに戦ったのだ。さらに言うならば、博孝の言葉には“任務外”で遭遇した『ES能力者』は含んでいない。

 そこまで言われれば、市原達にも思い当たる話があった。第七十一期の訓練生達は、任務中に大規模な『ES寄生体』や小隊規模ながらも敵性の『ES能力者』に遭遇し、戦ったと。その際に『自爆』を敢行され、護衛の『ES能力者』から死者も出たと。

 最近ではニュースでも流れないが、その“事件”があった時は全国ニュースでも取り上げられた。


「で、でも! 先輩方は勝ったんでしょう!? そうでないと、生きて戻れるはずがない!」


 博孝の言葉に反発する市原。しかし、博孝は視線を鋭くしたままそれに答える。


「俺と沙織は重体。一歩間違えば、そのまま死んでたな。俺は『構成力』を枯渇寸前まで消耗した上に、左腕はオシャカ。肋骨も何本折れたっけな……」

「わたしは脇腹と心臓付近に穴が開いた上に、折れた肋骨が内臓を傷つけてね。博孝が『構成力』の枯渇を覚悟で治療を施してくれなかったら、今頃ここにはいなかったわ」


 どれほどの負傷を負ったかを博孝が語ると、沙織も自身が負った負傷について語る。その凄惨さに、市原達は無言で唾を飲んだ。

 博孝と沙織は、市原達が揃って戦っても遠く及ばない実力を持っていた。そんな二人がそれほどの負傷を負ったことが、にわかには信じられなかったのだ。


「ちなみに、教官が助けに来てくれなかったら死んでたと思うぞ。俺と沙織は小隊員を逃がすために足止めをしていたけど、相手の強さは教官クラスだった。知ってるか? うちの教官は、教官になる前は『零戦』の中隊長だったんだぞ。それと同格クラスの相手だ」


 『零戦』の中隊長と聞いて、市原達は度肝を抜かれた。市原達の教官も、背中が見えないほどの実力差を感じさせる人物ではある。しかし、砂原程に卓越した戦績を持ってはいないのだ。


「俺も、沙織っちが庇ってくれなかったら死んでたっすよね……」

「わ、わたしも死んでた、かな……それよりも先に、人質に取られちゃったけど」


 淡々と語るが、市原達としては信じ難い。訓練生の任務とは思えないほどに、修羅場が多すぎた。


「う、嘘……ですよね? 俺達のために、わざと誇張した話をしているんですよね」


 特に、市原は信じられないのか博孝達の言葉を疑う。話半分に聞いたとしても、訓練生の戦績とは思えない。


「それが全部本当なんだよなぁ。戦ったのはソイツ一人じゃないけど。あ、これはお前らの同期や教官に話すなよ? お前らの教官なら“何が起きたか”を知ってるだろうけど、あまり口外できる話じゃないんだからな」


 口元に指を当て、沈黙を促す博孝。周囲には第七十一期訓練生達が残っていたが、聞こえないように注意して話している。

 市原は信じられないと言わんばかりに視線を彷徨わせていたが、その様子を見た沙織がポツリと呟く。


「博孝、なんだか昔の自分を見ているようで目に悪いわ」

「良かったな。沙織の目は正常だよ」


 沙織としては、市原達と同様に――それ以上に、過信に満ち溢れていた。その結果として初めての任務で博孝が死にかけ、自分の手でも殺しかけ、今では更生できたと思っているが、苦々しく思うのは止められない。

 博孝は沙織に苦笑を向けると、市原達への“指導”を締めくくることにした。


「自信を持つなとは言わないさ。でも、過信はするな。俺達がいくら『ES能力者』だっていっても、死ぬ時は死ぬんだ。自分の命一つで済むならまだマシだけど、仲間を巻き込んだらどうする? 後悔してもしきれないぞ?」


 戦うことに恐怖し、思うように動けなくて死ぬこととは違う。自身の実力を過信し、その結果死んでしまうのだ。それに加えて仲間も巻き込んでしまえば、死んでも死にきれないだろう。

 市原達は悄然としたように俯く。それを見た博孝は、小さく苦笑した。


「まあ、“先輩”として偉そうに話しちまったけど、少しは役に立つと嬉しい。さて、厳しい話はここまでだ。次はさっきの模擬戦についての話をしようか」


 雰囲気を和らげ、博孝は手を叩いて意識を切り替えさせる。市原達は深刻そうな顔をしていたが、話を聞くべく姿勢を正した。

 市原達を見回し、博孝は紫藤に対して口を開く。


「まずは紫藤。紫藤は良い腕をしてるな。『狙撃』が使えるっていうのは、羨ましい限りだ」

「……恐縮です」


 そう言われても、博孝にボコボコにされたのだ。素直には喜べない。だが、博孝の言葉には純粋な賞賛しかなく、紫藤としても受け止めざるを得ない。博孝は最初に褒めると、次に駄目な点を指摘することにした。


「ただ、威力が弱い。その分弾速に回してるんだろうけど、簡単に反応できる速度だしな。一発必中の精神は良いけど、当たっても効かないんじゃ意味がない」

「いやいや、あの速度にきちんと反応できるのは博孝と沙織っちぐらいっすよ。俺だったら、『盾』で弾くぐらいしかできないっす。それに、防御にミスって『防殻』に食らったら、きっと痛いっすよ」


 博孝の発言にツッコミを入れる恭介だが、紫藤からすれば恭介の発言も無視し難い。『盾』を張って防御できるということは、十分に対応できる弾速ということだ。博孝や沙織のように避ける、あるいは手で掴むことはできずとも、防御自体は可能であると恭介は言う。

 仮に防御に失敗しても、痛いで済むというのも聞き逃せない部分だ。


「次に三場。一撃で気絶させたから評価が難しいけど、お前は防御型の『ES能力者』だったな。小隊の盾になるべき防御型が、たった一撃で沈むのは評価できない。せめて防御態勢を取るか、できれば『盾』を張って攻撃を受け止めないと」

「目視して、体が反応する間に攻撃を受けたんですが……というか、僕の見間違いでなければ、河原崎先輩は素手で『防殻』を破りましたよね?」


 ハハハ、と虚ろに笑いながら三場は指摘した。沙織のように『武器化』で武器を発現していたわけでもなく、博孝は掌底で『防殻』を打ち抜いてきたのである。三場としては、笑うしかない。


「お、よく見てたな。あれはちょっとした手品だ。でも、『防殻』を抜かれた程度で驚いてたら、うちの教官の訓練にはついていけないぞ? あと、動体視力を鍛えれば『瞬速』にも反応できるって。うちのクラスメートなんて、こっちが『瞬速』使ったら即座に防御態勢を取るかカウンターを狙うようになってるしな」


 博孝達の教官は、普段どんな訓練を施しているのだろうか。三場としては恐怖しか浮かばないが、博孝達としても三場と立場は変わらない。砂原が施す訓練は、非常に“辛い”ものが多いのだ。


「市原については、沙織から評価してもらおうか。実際に戦ったのは沙織だし」


 博孝は沙織にバトンを渡すと、沙織は面倒臭そうにしながらも頷く。市原は自分の評価ということで、食い入るように集中する。


「『瞬速』に反応したのは及第点。でも、そのまま防御したのが減点ね。避けるか、せめて受け流さないと。それに、斬られそうだからって動きを止めたのは最悪だわ。実戦だったら死んでるわよ?」

「ははは……斬られそうでも冷静に動ける人間って、あんまりいないと思うんですけどね……」


 乾いた笑い声を上げる市原。沙織の評価は的確なものだが、だからといって無理な注文はやめてほしい。


「そう? 案外多いと思うけど……」


 市原の表情を見た沙織は、心底不思議そうに首を傾げた。

 少なくとも、死なない程度の傷――例え死にかねない重傷を負ってもなお、なんの迷いなく動ける人間が、市原の目の前に二人いるのだ。それに比べれば、その身に受けていない傷に怯えて動きを止めることは愚策にしか思えなかった。


「冗談……ですよね?」

「そこは流しといた方が良いっすよー。さっきの任務の話、忘れたっすか?」

「そうそう。おかげで、俺なんて入校してから何回死に掛けたか」


 笑うように言い放つ博孝だが、聞く側からすれば正気の沙汰とは思えない。訓練校の任務というのは、将来の国防を担う『ES能力者』を育成するために安全が重視される。市原達も『ES寄生体』と戦ったが、それすらもレアケースなのだ。

 機密ということで詳細は語られなかったが、博孝達の話を聞く限り正規部隊――それも、実戦経験を積んだ部隊が行うような任務にしか聞こえなかった。


「次に二宮。アンタ、なんで接近戦を挑んだの?」


 沙織は心底不思議そうに尋ねた。二宮は『ES能力者』としては支援型に分類されるため、接近戦を挑むのは下策としか言えない。支援型の本分は、仲間の傷を癒すことだ。それに加えて、補助的なES能力を扱うことが求められる。


「なんでと言われても……得意だからです」


 二宮としては、理由はそれだけだ。だが、博孝達としては眉を寄せるしかない。


「得意、ね。沙織、二宮の腕はどんなもんだった?」

「そうね……どんなに好意的に見ても、並という程度にしか評価できないわ。厳しく見れば、下の上に届くかどうかってところかしら。わたしや博孝からすれば、真っ先に潰せるカモね。恭介でも余裕でしょう」


 接近戦が得意だと自称する二宮を、沙織は軽やかに切って捨てる。

 訓練生としては、並。実戦では――例えばハリドのような『ES能力者』が相手だったら、鼻歌混じりで三枚に下ろされるに違いない。

 たしかに、正規部隊員の中には攻撃型を叩きのめすような“例外的な”支援型も存在する。しかし、沙織の目から見た限りでは二宮は“例外”に当たらない。二宮が前衛として戦うのは、戦術的にも意味がない。


「アンタは適材適所って言葉を学ぶべきよ。支援型が前に出るなんて、余程のことがない限りは悪手になるんだから。市原と三場が前衛、紫藤が後衛、アンタは三人の補佐をするぐらいがちょうど良いと思うわ」

「わかりました……」


 その言葉自体は、二宮も教官から言われたことがある。だが、三場よりも接近戦の腕が立つということで、“一時的”には理解を示されたのだ。それを、先輩とはいえほとんど歳が変わらない沙織に指摘されては、二宮としても頷くことしかできない。


「こんなところか。どうする? もう一戦ぐらいしていくか?」


 今度は小隊同士でぶつかるか、と博孝は思う。手加減をすれば、十分に市原達の訓練になるだろう。そう思っての申し出だったが、市原は首を横に振った。


「いえ、今日のところは引き上げたいと思います。先輩方から頂いたアドバイスを元に、訓練を行いたいので」


 模擬戦を行っても、先ほどの二の舞を演じるだけだろう。市原は速やかに撤収することを決断し、博孝達だけでなく中村達に対しても頭を下げる。


「お騒がせして申し訳ありませんでした。このお詫びは、またいずれ」


 謝罪の言葉を口にして、市原達は引き上げていく。博孝達はそんな市原達を見送ると、騒がしい休日になったものだと苦笑しあうのだった。








 翌日の昼休み。博孝は教官室へ足を運んでいた。昨日行った、市原達との模擬戦について報告をするためである。さすがに報告を行わない、あるいは電話だけで報告するというのは問題があるため、直接足を運んだのだ。

 本当は朝一で報告をしたかったのだが、砂原が捕まらなかったのである。休日は自宅に帰っており、戻ってきたのが朝方だったため、タイミングが合わなかった。

 だが、報告に訪れた博孝を見た砂原は、開口一番に核心を突く。


「昨日の件か?」

「そうですけど……もしかして、誰かから聞きましたか?」


 機先を制され、博孝は首を傾げた。砂原は自宅に帰っていたため、目撃していたというわけでもないだろう。砂原はコーヒーを啜ると、どこか楽しそうにニヤリと笑みを浮かべた。


「第七十二期の教官から話は聞いている。ずいぶんと可愛がってやったそうじゃないか」

「可愛がるなんてそんな……少しばかり、先輩風を吹かせただけですよ」


 砂原の言葉に苦笑するが、博孝としては少しばかり“お灸”を据えただけだ。少しでも市原達の身になったなら良いのだが、と先輩として思考する。


「午前中の授業を受ける時、人が変わったように真剣に話を聞いていたそうだぞ。第七十二期の教官も驚いていた」

「それは良かった。後輩の“指導”ってことで問題はないと思いましたけど、一応は教官の耳に入れておくべきかと判断して報告に来たんですが」

「ああ、それならば気にするな。この前第七十二期の教官に相談を受けたんだが、その時に俺が勧めたんだからな」


 大したことでもないように、砂原は言う。しかし、博孝としては聞き逃せない部分があったため目を丸くした。


「教官が勧めたって……第七十一期に模擬戦を仕掛けろって言ったんですか?」

「そこまで直接的には言っていない。だが、教官の前では真面目ヅラをしているが、どうにも自信過剰な奴がいると聞いてな。そこまで折れ曲がっているなら、確実に格上の教官よりも、ほとんど同い年の人間に自信を圧し折らせた方が手っ取り早いのではないか……という話をした」


 淡々と答える砂原だが、博孝としては呆れるしかない。

 何故市原達があれほどまでに増長していたのか疑問だった博孝だが、どうやら教官の前では良い子の皮を被っていたらしい。

 第七十二期訓練生を鍛える教官としても、任務で『ES寄生体』を倒した上に、普段の訓練では真面目にしている市原達を“矯正”するのは困難だったのだろう。

 『ES能力者』として自信を持つことは、別段悪いことでもない。ES能力は精神状態に左右される部分があるため、過信していると言っても“適度”に叩き直すのは難しい。

 教官の指導力不足とみるべきか、それとも市原達の面の皮の厚さを称えるべきか。博孝としては、後者なのだろうと思った。


「それで、報告は以上か?」


 砂原としては、博孝達の行動はまったく問題がないようだ。正規部隊に配属されれば、新兵や補充兵の訓練は先達の仕事である。砂原としては、むしろ良い経験になったのでは、と思っていた。

 他人に教えを施す場合、他人に教えられるだけの技量を持っている必要がある。模擬戦で感じた改善点を指摘することならば、博孝達でも十分にできる。それ故に、良い経験だと思ったのだ。


「模擬戦については以上ですけど……みらいについて一点報告が」

「聞こう」


 みらいに関する報告と聞いて、砂原コーヒーカップを机に置いた。博孝の表情を見る限り、良い報告とは思えなかったのだ。


「みらいが後輩……市原って言うんですが、市原と交戦してから様子がおかしいんです。以前に比べて甘えたがると言いますか、何かに怯えてると言いますか……そのせいで『構成力』が多少不安定になっています。今のところは『活性化』ですぐに落ち着きますし、暴走を起こすような兆候はないんですけど」


 そう言って、博孝はみらいのことを思い出す。博孝や里香に甘えることは珍しくないが、何かから逃げるようにしがみ付いてくるのだ。博孝などは、昨晩みらいを寝かせるのにも苦労した。博孝が夜間の自主訓練に出かけようとすると、泣きそうになるのだ。結局博孝は自主訓練に行けず、みらいにしがみ付かれたままで眠ることになった。


「ふむ……怯えている、か。模擬戦の中で何か変わったことはあったか?」

「変わったこと、と言って良いのかわかりませんが、戦闘中に市原にだいぶ追い込まれたみたいです。里香の話だと、『固形化』で作った棒で攻撃を受けたそうです」

「攻撃を受ける、か。河原崎妹はあまり模擬戦に参加させたことがなかったが、戦うことに恐怖を覚えたのか?」


 みらいは出自が出自だけに、まずは『ES能力者』として“生存”できるよう鍛えている。『構成力』を安定させるための訓練が主で、模擬戦等は後回しだ。それ故に、戦うことに恐怖を覚えても仕方がないと砂原は思う。


「それはなんとも……でも、みらいは三回目の任務で敵性の『ES能力者』とも交戦しています。戦いに対して恐怖を覚えるなら、もっと早い段階でそうなっていてもおかしくないのでは?」


 博孝と砂原は互いに意見を交わすが、答えは出ない。そして、博孝の考えは的を外していた。確かにみらいはラプターとも戦ったが、立ち向かって一撃で意識を断たれている。それこそ、“痛み”を感じる暇もなく気絶したのだ。


「河原崎妹は何か言ってないか?」

「それが、俺が聞いても答えてくれないんですよね。もしかすると、みらいは自分の状態がわかってないのかもしれません」


 博孝もみらいの様子が気になって何度か尋ねたのだが、みらいは何も答えずに抱き着くだけだ。砂原は顎に手を当てて思考するが、過去にそういった経験を持った者と接したことがない。

 “実戦”で命の取り合いに恐怖を覚え、まともに戦えなくなった者なら知っている。特に、砂原は『ES世界大戦』と呼ばれる地獄のような戦場も戦い抜いてきた。配属されたばかりの新兵が恐怖に負け、精神に異常を抱えるのも珍しくはなかった。


「……やはり、『ES能力者』向けのカウンセラーが欲しいところだな」

「カウンセラーですか? そういう人がいれば、色々と助かるんでしょうけどね……」


 砂原の呟きに、博孝も苦笑して頷く。砂原はここで話していても問題は解決しないと判断し、博孝に命令を下すことにした。


「河原崎妹に何か変化があれば、すぐさま報告しろ。俺の方でも気にかけておく」

「了解です。里香にも協力をお願いして、みらいのケアに努めます」


 博孝は敬礼をすると、教官室を後にする。砂原は博孝の報告を反芻すると、椅子に背を預けた。


「カウンセラーの派遣を上申しても、“上”の反応は悪い。やはり、長谷川中将閣下に話を回すか……」


 教官として、生徒達の精神状態をケアできる人材の派遣なり育成なりを上申しよう。そう判断した砂原は、次回源次郎と会う際に報告すべき事項として書き留めるのだった。








 市原達と模擬戦を行った三日後、再び市原達が第七十一期訓練生の男子寮へと押しかけてきた。それに気づいた中村達は、あれだけボコボコにされたのに良い度胸だと思いつつ、今度は自分達の手で“指導”をしてやろうと相対する。

 しかし、先頭に立った市原は中村達の顔を見ると、腰を九十度に曲げて頭を下げた。


「先輩方、先日は申し訳ございませんでした。自分達の未熟さを知り、恥じ入るばかりです。本日は先輩方に対するお詫びと、思い上がりを正してくださったことに対するお礼に参りました」


 そう言って、市原だけでなく二宮達も頭を下げる。その手には紙袋が握られており、中にはお菓子の詰め合わせが入っていた。


「お、おう……一気に態度が豹変したな」


 前回訪れた時の威勢はどこにいったのか。中村がそう問いかねないほどに、市原達の態度は一変している。


「いえ、お恥ずかしいことです。これからは心を入れ替えて励みますので、どうかご指導御鞭撻の程よろしくお願いいたします」


 博孝達に惨敗して、過信が根こそぎ消えたのだろう。市原は真面目な様子でそう言うと、中村達は顔を見合わせた。さすがに、“後輩”にそこまで下手に出られると、対応に困る。


「あー……そこまで反省してるなら、俺達から言うことはねえよ。わざわざ菓子折りまで持ってきたんだ。遺恨は流そう」

「ありがとうございます。ところで、その……河原崎先輩の妹さんは? 模擬戦とはいえ傷つけてしまったので、そのことについて一言謝罪をと思ったんですが」


 中村の言葉に頷いた市原だったが、談話室に博孝やみらいの姿がないことを確認し、またどこかで自主訓練を行っているのだろうかと首を傾げた。


「みらいちゃんか? 河原崎と一緒に食堂にいると思うぞ」

「そうですか……ありがとうございます。それでは先輩方、これで失礼いたします」


 再度頭を下げる市原に、二宮達も追従して頭を下げる。中村達はそれを見送ったが、市原達の姿が見えなくなってから顔を見合わせた。


「なんか、昔の自分を見ていたみたいで辛かったんだけど……」

「俺達も、教官や河原崎がいなかったらああなってたのかな?」

「調子に乗ってたからな……」


 中村と和田、城之内は訓練校に入校したての頃を思い出し、大きくため息を吐く。『ES能力者』になって調子に乗ってしまうというのは、彼らとしても理解ができたのだ。

 三人がそんな話をしているとは露知らず、市原達は食堂に足を運んだ。第七十二期訓練生が利用している校舎と構造は一緒なため、迷うこともない。

 中村の話の通り、食堂には博孝とみらいがいた。少しばかり早い昼食を取っているのかと市原は思ったが、博孝は何も食べていない。みらいの目の前に大きいプリンが置かれており、博孝はプリンを食べるみらいに付き合っているだけのようだ。

 市原達が食堂に足を踏み入れた瞬間、博孝が振り返る。それなりに距離は開いていたが、気配に気付いたのだろう。市原はその事実に内心で舌を巻くが、今回は戦いに来たわけではない。

 自分達の方へ向かってくる市原達を見て、博孝は椅子から立ち上がった。みらいも市原達に気付いたのか、プリンを食べる手を止め――椅子から立ち上がって博孝の陰に隠れる。

 そんなみらいの動きを見た市原は、みらいに対して頭を下げた。


「みらい先輩、先日は申し訳ございませんでした。本日はお詫びに参りました」


 そう言って頭を下げる市原だが、市原の顔を見たみらいは怯えたように博孝の陰に隠れたままだ。博孝はそんなみらいの様子に苦笑すると、頭に手を乗せて落ち着かせるように撫でた。


「あー……わざわざ悪いな。みらいはちょっと、怯えちゃっててな」


 みらいの代わりに博孝が応対すると、市原はゆっくりと頭を上げる。その後ろでは、博孝の陰に隠れるみらいの姿を見て、二宮と紫藤が目を輝かせていた。模擬戦をしている時は気にならなかったが、平時になって改めてみらいを見ると、その容姿を気に入ったようである。博孝が視線をずらすと、三場も驚いたようにみらいを見ていた。


「というか、わざわざお詫びにお菓子まで持ってこなくても……」

「いえ、今回の件ではご迷惑をおかけしましたので。それに、訓練生ではお金の使い道がほとんどないですから」

「それもそうか。んじゃ、ありがたくいただくよ。ほら、みらい。クッキーもらったぞ。きっと美味しいぞー」


 市原からクッキーの詰め合わせを受け取った博孝は、みらいの怯えを拭うように箱詰めされたクッキーを見せる。甘い物が好きなみらいならば、何かしらの反応があると判断したのだ。


「……いらない」


 しかし、思ったよりもみらいの反応は手強かった。市原は頬を引きつらせるように苦笑し、それを見た博孝は困ったように笑う。


「まあ、なんだ、あまり気にしないでくれ」


 さすがに市原が不憫になり、博孝は気にするなと肩を叩く。そして、ついでとばかりに先輩風を吹かせることにした。


「あと、困ったことがあったら相談に来いよ。模擬戦がしたくなったら顔を出せば良い。その時はまた相手になるさ。純粋に訓練がしたいっていうのなら、それも大歓迎だ。“先輩”として、“後輩”の成長に期待する」


 みらいから話を逸らすように博孝は言うが、それを聞いた市原達は目を輝かせた。


「良いんですか!?」

「是非お願いします!」

「今度はもっと手加減してもらえると嬉しいです……」

「『射撃』のコツを教えてほしい、です」


 三場だけは後ろ向きな発言をしたが、概ね歓迎されているようだ。紫藤にいたっては、『狙撃』の代わりに『射撃』の扱いについて学びたいらしい。


「なんだよ紫藤、『狙撃』の訓練はしないのか? あと、歳もそんなに変わらないし、無理に敬語で話さなくても良いぞ」


 向上心が旺盛なのは良いことだ、と思いつつ博孝は指摘する。それと合わせて、無理に敬語で話す必要はないと伝えた。先輩後輩といっても、年齢的には半年程度の差だ。正式な軍学校ならばともかく、ES訓練校は体外的には“ただの”高校である。敬意さえ感じられれば、話し方はどうでも良いと博孝は思った。

 紫藤は博孝の言葉に頷くと、期待を込めて博孝に詰め寄る。


「基本に立ち返って、『射撃』の練習をしたい。『射撃』の方が『構成力』の扱いが容易だから、良い練習になる」

「たしかになぁ。『射撃』で複数の光弾を作れるようになったら、次は『狙撃』で練習すれば良いしな」


 射撃が得意な者として、紫藤は博孝に教えを乞うつもりだった。博孝は遠距離戦では『射撃』を中心に戦いを組み立てるため、紫藤に教えることも多少はある。反対に、博孝が『狙撃』について教わるのも有益だろう。


「あとは、プライベートの相談でも良いぞ? そういうのも先輩っぽくて良いしな」


 後輩達の思わぬ反応に、博孝は調子に乗ってそんなことを口走る。すると、それを聞いた市原が表情を変えた。


「河原崎先輩、早速で恐縮なんですが……一つお聞きしたいことがありまして」

「お、早速相談か。なんだ?」


 相談があるとすれば三場だろうと思った博孝だが、予想外にも声を上げたのは市原だった。市原は博孝を連れて二宮達から距離を取ると、どこか気まずそうに眉を寄せる。ちなみに、みらいは博孝の背中にしがみついている。


「その、ですね……」

「なんだよ、話し難い類の相談か? さすがに、いきなりヘビーな話題を持ってこられると、俺も困るけど」

「いえ、そういうわけではないんですが」


 市原は深刻そうな顔をしているが、博孝としては市原からいきなり“重たい”相談をされるとは思っていなかった。一体どんな相談をする気だと、僅かに身構える。

 深刻そうに、悩むように。市原は重々しく口を開いた。


「――岡島先輩って、彼氏とかいるんですか?」


 ただし、発言の内容は予想外の方向だったが。


「……はい?」


 思わず、博孝は首を傾げてしまう。プライベートな相談もして良いと言ったが、いきなり“その手”の相談をされるとは思わなかったのだ。


「河原崎先輩って、岡島先輩と仲が良いじゃないですか。先輩なら、知っているかと思いまして……あ、もしかして、河原崎先輩が岡島先輩と付き合っていたりしますか?」

「別に付き合っていたりはしないけど……市原君よ、そいつは本気での相談か?」


 一目惚れでもしたのか、と博孝は眉を寄せる。しかし、市原は真剣な様子で答えた。


「本気と言われると答えにくいですが、惹かれるものを感じています。みらい先輩を守るために戦った時といい、模擬戦が終わってから治療してくれたことといい、優しい女性ですよね。家庭的な雰囲気ですし、きっと料理とかも上手だと思うんです」

「いやまあ、たしかに里香は料理上手だけどさ」


 どうやら里香の内面に惹かれたらしい。市原は博孝同様、他人を褒めることや好悪を告げることに躊躇がないようだ。市原は拳を握り締めると、宣誓するように言う。


「彼氏がいないんでしたら、アプローチをしてみようかと思います。お答えいただき、ありがとうございました」

「ああ……」


 市原の言葉に頷きはするが、博孝はそのまま視線を外した。その視線の先には、相談ということで距離を取った市原を不思議そうな目で見ている二宮の姿がある。


(……良いのかねぇ?)


 “色々”と問題がある気がしたが、博孝は当人達の問題だと静観することにした。

 なにはともあれ、後輩達の来訪が発端となって巻き起こった今回の騒動は、こうやって幕を下ろしたのである。








どうも、作者の池崎数也です。

更新が遅れまして、申し訳ございません。三連休にぎっくり腰を発症し、ダウンしていました。もうしばらく更新のペースが不定期になります。


ご指摘ご感想および評価等をいただけると、大変嬉しく思います。

それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただけると幸いに思います。

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