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第五十一話:五日遅れのホワイトデー

「というわけで、パーティをしないか?」

「どういうわけなんだよ……」


 場所は男子寮の談話室。集まっているのは、第七十一期訓練生の男子全員とみらい。

 三回目の任務が終わってから、既に五日。未だに授業が再開されず、退屈を持て余していた男子全員に博孝が朝から招集をかけたのである。退屈とはいっても、半数ほどは任務で受けた精神的衝撃から抜け出せずに苦悶していたのだが。

 集まった男子達は、博孝の発言に『またいつもの病気が始まったぞ』と言わんばかりに目を細めていた。博孝はそんな周囲の視線を受けても揺るがず、自分の考えを口にする。


「理由を説明するためにはだな……はい、そこで欠伸をしている中村君! 今日は何月何日ですか!?」

「ふぁっ!? あ、欠伸の最中に大声出すな! 今日は三月十九日だろ!?」


 欠伸をした瞬間に大声で呼ばれ、中村は驚きの声を上げた。博孝はそれに構わず、話を再開する。


「そう、今日は三月十九日だ。つまり……ホワイトデーから五日が経っている」


 博孝が深刻そうに言うと、生徒の何人かは驚いたように顔を見合わせる。任務で受けた衝撃が強すぎて、ホワイトデーというイベントを忘れていたのだ。

 周囲に理解の色が浮かんだのを見て、博孝は静かに尋ねる。


「そんじゃまず、既にバレンタインデーのお返しを渡しちゃった人は挙手」


 そうやって問うと、まったく手が上がらなかった。任務が終わってから、三日間も病院にいたのである。任務にバレンタインデーのお返しを持ち込むような者はおらず、訓練校に戻ってからも雰囲気的に渡せなかったのだろう。


「というわけで、だ」


 傍にあった机を叩き、博孝は男子達を見回しながら言う。


「バレンタインデーのお返しも兼ねて、パーティでもしないか? 部屋に一人でいたら気分も落ち込むだろ? みんなで騒いで、ストレス発散しようぜ」


 博孝がそう言うと、小隊長を務めている男子生徒数名は合点がいったように頷く。今回行った任務では、ほとんどの生徒が『ES寄生体』と遭遇して戦うことになった。

 襲いかかってくる『ES寄生体』。

 緊張から訓練通りに動かない体。

 負傷して膝をつく仲間の姿。

 それらはまだまだ若年に過ぎない生徒達の心に深く刻み込まれ、ある種のトラウマになっている者もいる。

 悔やみ、悩み、苦悩するのも成長の糧となるだろうが、一人で塞ぎ込んでいても問題の解決には程遠い。


 ――それならいっそのこと、クラス全員で馬鹿騒ぎをしたらどうか?


 博孝が提案したのは、生徒達の間に漂う暗い雰囲気を吹き飛ばすための提案だった。


「でも、パーティって言ってもどこでやるんだ? さすがにここじゃ狭いだろ?」


 欠伸を指摘された中村が、談話室の床を指差しながら尋ねる。談話室はそれなりに広いが、クラス全員が入るとなると手狭だった。その質問を聞いて、博孝はニヤリと笑う。


「榊原のおねーさんと教官には、食堂使用の許可をもらっている。女子についても、松下さんに話を通して協力を取り付けた。女子側は問題なさそうだ。むしろ、この状況だからありがたいってよ」


 せっかくクラスメート達と騒ぐのだ。その辺りの許可は既に取り付けていた。砂原からは、『騒ぎ過ぎるなよ』と釘を刺されたが。


「食糧についても、おねーさんに融通してもらえる。料理は女子の一部と一緒に作ることになるけど、売店で飲み物やお菓子も買って……そして、あとは騒ぐだけだ!」


 博孝が拳を振り上げて力説すると、男子達は一拍を置いてから歓声を上げた。なんだかんだでノリが良い。食べるものや飲むものがあって、騒げる場所があるのなら、博孝達ぐらいの子供はいくらでも騒げる。

 実際のところ、場所と設備の利用については問題ない。ただ、食堂で使用する食材は当然ながら無料ではなかった。そのため、博孝は榊原にお金を渡して頭を下げ、食材の使用許可をもらっている。事情を聞いた砂原が経費の半分を出してくれたが、あとは博孝の自腹である。


(まぁ、金は天下の回りもの。どうせ訓練校の中にいたら、金を使うことってあんまりないし)


 クラスメート達と騒ぐために使うのだ。博孝としても後悔はない。こういう時にこそお金は使われるべきだと思った。

 今から準備を開始すれば、昼過ぎにはパーティを開催できるだろう。博孝は男子達の音頭を取り、食堂に向かうのだった。








 食堂では、希美を筆頭として五名ほどの女子が待っていた。希美に話を通し、料理が上手な者に手伝ってもらうのである。その中には、当然ながら里香の姿もあった。


「……がんばる」


 里香のもとへ駆け寄り、気合を入れるみらい。それを見た博孝は、魂消(たまげ)るほどに驚いて制止する。


「やめて! みらいに料理をさせないで!?」


 必死だった。せっかくのパーティで死人が出ては、一気にお通夜になってしまう。そう思ってしまうほどに、博孝にとってはみらいが作った謎物体(ダークマター)はトラウマだった。


「……なんで?」


 博孝の慌てた声を聞いて、みらいは心底不思議そうに首を傾げる。

 みらいとしては、“兄”が以前美味しいと言って喜んでくれた料理にチャレンジするだけなのだ。美味しいと喜びの声を上げてくれたのがみらいにとっても嬉しく、今回も張り切って取り組もうとしたのだが――。


「えっと……そ、そう! 指とか切ったらどうするんだ! お兄ちゃんは可愛い妹が傷つくところなんて見たくないですよ!?」


 さすがに『不味いからです』などとは言えず、博孝はある程度説得力がありそうな言葉を並べ立てる。


「『ES能力者』が包丁で指を切るわけないじゃん……むしろ包丁の刃の方が欠けかねないわよ。仮に切ったとしても、すぐに治せるし」

「ほらほら、兄馬鹿はさっさと野菜の皮を剥く!」


 だが、傍にいた女子達からツッコミの言葉と前蹴りを入れられ、博孝は敗北した。博孝はそれでも諦めず、救世主たる里香の手を取って頭を下げる。


「お願いだ里香! みらいにしっかりと料理を教えてやってくれ! この通り!」

「え、あ、う、うん……」


 突然手を握られたことに動揺するよりも、博孝の様子に驚く里香。そんな博孝をみらいが不思議そうに見ていたが、里香は承諾のために頷く。


「わ、わたしも人に教えられるほど上手じゃないけど……頑張るね?」

「お願いします師匠! マジでお願いします!」


 承諾してくれた里香に、博孝は何度も頭を下げる。そんな博孝を見て、里香は握られた手を見ながら頬を赤らめた。


「頑張るよ……そ、それで、ね? 博孝君って、好きな食べ物……ある?」

「え? 好きな食べ物?」


 突然の質問に、博孝は首を捻った。博孝は食べ物に対する好き嫌いがない。嫌いだと言って食べなければ、母親である博子から愛の鞭という名のお仕置きを受けたのである。そのため、博孝の辞書には食べ物に関して好き嫌いという単語は登録されていない。

 だが、反対に好きな食べ物と言われても一つに絞れなかった。なんでも食べられるのである。博孝はその中から現在一番食べたい物を頭に思い浮かべ、一つの料理を口にする。


「竜田揚げ。衣がザクザクの竜田揚げが食べたい」

「唐揚げじゃないんだ……」


 唐揚げでも良いが、博孝としては竜田揚げの方が好みだった。できるなら、食べると衣がザクザクとした食感を伝える竜田揚げが食べたい。


「まあ、里香の愛情がたっぷりとこもった料理なら、なんでも美味しく食べられるけどな!」


 親指を立て、冗談混じりに言う。博孝としては、ここで里香からのツッコミが欲しいところだ。さすがにローキックは勘弁だったが。

 しかし、博孝の希望に反して、里香からの反応は静かなものだった。頬を赤らめ、俯きながら博孝に握られた手を揺らす。


「え……と、うん。その……頑張るね」

「あ、はい」


 予定外のリアクションに、博孝も素に戻って返事をした。里香は頬どころか耳まで赤く染め、恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうにしている。だが、それを見ていたと思わしき女子生徒から怨嗟のこもった声が届く。


「ほらそこのバカップル! いつまでも手を握り合ってんじゃないわよ! あんまり見せつけてると、捌いて下ろして揚げて並べるわよ!?」

「ああん? カニバってんじゃねえ! 男日照りだからってひがむな冗談です包丁を投げようとしないでください!?」


 般若の如き様相で言われ、博孝は即座に撤退を決断。尻尾を巻いて逃げ出す。その場に残された里香は、周囲の女子からニヤニヤと笑いながら肘で突かれた。


「バカップル? ねえ、バカップルなの?」

「やっぱりバレンタインで決めちゃった? 決めちゃったの?」

「誰にも言わないから、教えてよ」

「うぅ……」


 周囲から言われ、里香は小さくなる。だが、そんな里香を見たみらいは、唇を尖らせながら里香を庇うように抱き着いた。


「……りかおねぇちゃん、いじめちゃだめ」


 非難するようにみらいが周りの女子達を見ると、全員慌てたように手を振る。


「ち、違うのよみらいちゃん! これはいじめとかじゃなくて、からかってるだけなの!」

「早くくっつけよコンチクショーとか思ってなくもないけど、悪気はないの!」

「そ、そうよ! いわば幸せのお裾分けをもらおうかなってだけなの!」

「……むー」


 クラス全員が可愛がっているみらいに非難の眼差しを向けられ、女子達は必死に弁解した。みらいはそれを不満そうに見ていたが、里香が嬉しそうに抱き締め返すことで霧散する。


「あ、ありがとうね、みらいちゃん。心配しなくても大丈夫だからね?」

「……ん。おねぇちゃんがそういうなら」


 里香の言葉を聞き、みらいは引き下がる。それを見た女子達は、羨ましそうに里香を見た。外見的に非常に幼く、その行動も言動も幼いみらいは、その容姿も相まって非常に可愛がられている。いわば第七十一期訓練生全員にとっての妹のようなものであり、女子達は今度はみらいを取り囲んだ。


「もう、みらいちゃん可愛い!」

「怒った顔も可愛いわ。連れて帰りたいぐらい!」

「いっそ食べちゃいたいぐらい!」


 最後の言葉にみらいは身を震わせると、里香の背後へと避難する。


「……おねぇちゃん、このひとたちこわい」


 本気で怖がっている様子のみらいに、女子達はショックを受けた。そして、互いに視線を交わし合って自重しようと決意する。

 そんな騒ぎを交えつつ、パーティの準備は進んでいくのだった。








 時計の短針が2を指す午後二時。第七十一期訓練生達は食堂に集まり、それぞれ雑談を交わし合っていた。

 テーブルの上には皿に盛られた料理や売店で買ってきたお菓子、ジュースなどが並び、パーティの準備は万全である。


「あーあー、テステス」


 そんな生徒達を前にして、博孝は訓練で使用するマイクを片手に声を発した。マイクの調子を確かめ、ニヤリと笑みを浮かべる。


「クラスメートのみなさん、今日は突然のお誘いにも関わらずよく集まってくださいました……というわけで、パーティを開催する!」


 博孝が宣言すると歓声が沸き上がり、同時に、開催の宣言をした博孝に野次と冷やかしとブーイングが殺到する。


「なんでお前が開始の挨拶してんだよ!」

「引っ込め!」

「何か一発芸をやれ!」

「ええいうるせぇ! 発案者なんだから当然だろ! あといきなり一発芸をやって滑ったらどうすんだ!?」


 そう言いつつも、博孝は傍にあった紙コップを手に取る。そして空中に“置く”と、手を離して自慢げに口の端を吊り上げた。


「見てください――なんと紙コップが宙に浮いている!?」

「『盾』を発現してその上に置いただけじゃねぇか!?」


 周囲からのツッコミが入り、そのツッコミを聞いて爆笑の渦が広がった。クラス全員で騒ぐということで、普段に比べて全員のテンションが高かった。みらいだけは、本当に紙コップが宙に浮いているのだと信じて目を輝かせていたが。


「はいはい、それじゃあ飲み食いするなりバレンタインデーのお返しを渡すなり好きにしろ。俺はまず食う!」


 そんな宣言を残し、博孝はマイクを置いてテーブルに置かれた料理を食べ始める。それに釣られて、他の生徒達もテーブルの料理やお菓子に手を付け始めた。すると、里香とみらいが手に皿を持って近づいてくる。


「あの……博孝君、これ」


 里香が差し出したのは、皿に盛られた鶏肉の竜田揚げだった。博孝は嬉しそうに笑い、早速箸を伸ばす。


「おお、美味そう! そんじゃさっそく一つ……」


 里香が作った竜田揚げは、鶏肉に醤油と少量のにんにく、しょうがで下味がつけてあり、衣は片栗粉をふんだんに使用して音が立つほどザクザクとしていた。噛むと耳に響く小気味良い音と、口の中に広がる鶏肉と調味料の味。博孝は無言で咀嚼すると、満面の笑みを浮かべる。

 初めて食べた里香の料理は、博孝にとってはとても美味しいものだった。


「うん、うめぇ! 里香は絶対良いお嫁さんになるな!」

「あぅ……あの、その……あ、ありがと」


 博孝が太鼓判を押すと、里香は嬉しそうに微笑む。そして、今度はみらいが博孝の袖を引いた。


「……おにぃちゃん、つくった」


 みらいが差し出したのは、里香と同様に皿に盛られた鶏肉の竜田揚げ――らしきものだった。何故判断できなかったのかというと、衣が真っ黒に焦げている。それでも形は里香が作った物と酷似しており、博孝は頬を引きつらせた。


「お、おう……み、みらいも頑張ったな」


 冷や汗を流しつつも、博孝は箸を伸ばす。せっかくみらいが作ってくれたのだ。食べないという選択肢はない。

 口の中でガリッと、ゴリッという奇妙な音が響く。口の中にコゲの苦みが広がるが、鶏肉のうま味があるため食べられないほどではない。博孝は真っ黒な竜田揚げを飲み込むと、哀愁が漂う儚げな笑みを浮かべた。


「……うん。美味しいな」


 そう言いつつ、里香を見た。今回は何が起きたのかと、僅かな疑問を瞳に込めて里香を見た。


「その……少し目を離しただけでこんな状態になっちゃって。せっかく作ったんだから、博孝君に食べてもらうんだって……」


 里香は苦笑するが、博孝としては“前回”に比べれば余程美味しく感じられた。なにせ、食べても胃が拒絶反応を起こさないのだ。みらいは博孝に褒められたことで嬉しそうに表情を緩め、皿を持ったままで他の場所へ歩き始める。きっと、新しい犠牲者を探しにいったのだろう。

 そうやって博孝と里香が談笑していると、沙織が笑顔で近づいてくる。そして里香が作った竜田揚げを発見するなり口に運び、瞳を輝かせた。


「美味しいわ! これなら里香は、絶対良いお嫁さんになれるわね!」


 博孝と同じことを言いつつ、里香の手を握って褒める沙織。里香は同い年かつ同性の沙織に褒められ、喜ぶべきなのか迷っていた。褒めるのは良いが、何故手を握るのだろうか。


「いやぁ、予想よりも盛況っすね。ところで、みらいちゃんが謎の黒い物体を配ってたっすけど、ありゃなんすか? でかいキクラゲの素揚げ?」


 そんなことを言いながら、恭介も近づいてくる。その手には皿に盛られた料理が乗っており、まずは食欲を満たすことを選択したようだった。


「食べてみろよ。美味いぞ?」

「マジっすか? ちょっともらってくるっすかね」


 先程の様子をおくびにも出さず、博孝は真顔で試食を促す。それを聞いた恭介はみらいの姿を探すが、女子達に囲まれたみらいの姿を見てすぐに諦めた。


「あれは近づくのも無理っすね。次の機会の楽しみに取っておくっすよ」

「そうだな……現在進行形で被害が拡大しているな……」


 女子達が引きつった笑顔でみらいを褒めているのが見える。博孝同様、みらいの仄かに誇るような笑顔を見て、不味いとは言えなかったのだろう。

 そんな微笑ましい光景を見なかったことにして、博孝は少しだけ中座して里香と沙織へのバレンタインデーのお返しとして用意したプレゼントを取りに行く。

 みらいと希美には既に渡しており、みらいにはお菓子作りの本を、希美には売店で買ったクッキーの詰め合わせを贈っていた。前者については、博孝が切実な思いからチョイスした一品である。

 博孝は三人のもとへ戻ると、里香と沙織にラッピングされたプレゼントを渡す。


「これ、バレンタインデーのお返し。二人とも、美味しいチョコをありがとうな」


 里香にはやたらと大きい箱に入ったプレゼントを、沙織には小さい箱に入ったプレゼントを渡す。希美へ渡したクッキーのように消え物を渡そうとも考えたのだが、それでは味気ないため形に残る物を渡すことにしたのだ。


「わぁ……ありがとう博孝君。えっと、開けてみて良い?」


 やたらと大きいプレゼントに首を傾げる里香。形は長方形で、厚みもある。ラッピングを開けてみると、中から出てきたのは一冊の本だった。『料理大全』と銘打たれたその本は分厚く、縦にして殴れば鈍器になりそうなほどである。

 内容は日本料理や中華料理、フランス料理などから代表的なものをまとめた一冊であり、料理が好きな里香にはぴったりだと博孝は思っていた。


(もしも同じものを持っていたらどうしようかって悩んだけどな……)


 そんな悩みがあったため、様々なジャンルの料理について書かれた物を選んだ。里香は目を見開いていたが、徐々にその顔が輝き始める。


「あ、ありがとうっ。こういうの、前から欲しいと思ってたの!」


 里香は本当に料理が好きなのだろう。早速本を開き、どんな料理が載っているのかと調べ始める。


「わたしも開けるわね」


 そんな里香の隣で、沙織もラッピングを開けて中身を確認した。そして、中から出てきた物を見て驚きの表情を浮かべる。

 博孝が沙織に渡したのは、桜色のリボンだった。女性に装飾品を渡すのは気が引けたが、それでも博孝には強く思う部分がある。


 ――リボンをつけたら、元の沙織に戻るんじゃないか?


 かなり失礼ながらも、みらいに渡したプレゼントと同様に切実な心境でチョイスしたプレゼントだった。

 沙織の様子が一変したのは、源次郎からもらったリボンを使用しなくなってからだ。それならば、新しいリボンをつけてもらうことで多少性格や行動が以前のようになるのではないか、と。

 博孝にとっての沙織は、入校当初から見かけていた髪を後頭部でひとまとめに縛るポニーテール姿が一番印象に残っている。源次郎のリボンはつけなくなったが、“仲間”からの贈り物ならつけてくれるのではないか。そんな風に博孝は思った。

 なにも、今の沙織の外見や性格が悪いと言っているのではない。腰まで届く黒髪を無造作に遊ばせたその姿は、少々目つきが悪い深窓の令嬢のようだ。性格だって、以前に比べると天と地ほどの差があるだろう――博孝の精神状態を除いては。

 せめて、無防備で無遠慮な行動さえ謹んでくれたら。博孝が願うのはそれだけである。


(そう、きっとあの白いリボンは沙織の本性を封印するための道具だったんだ。その封印が解かれたことで沙織は本性を取り戻し、今の性格になったんだ)


 冗談のように思う博孝が、事実だけを見ればその通りのため笑えなかった。


「リボン……か」


 桜色のリボンを見た沙織は、どこか複雑そうな顔をしていた。それを見た博孝は、言い訳をするように誤魔化しの言葉を口にする。


「いやね? 今の髪型が悪いとは思ってないよ? でも、戦闘中とかに髪がばらけて目に入ったりしたら危ないんじゃないかなー、なんて思った次第でして、ええ」


 言い訳のように言いつつも、それは博孝が思っていたことである。沙織は接近戦を好むため、その動きは激しい。しかし、動いている最中に髪が邪魔になるのではないか。邪魔になるだけならばまだしも、敵に髪を掴まれたら隙ができるのではないか。そういった配慮もあった。

 その点を見るならば、髪の毛を切ることも勧めるべきだろう。だが、髪の毛は女性にとっての命と呼ばれるもの。気軽に『邪魔だろうから切れば?』などとは言えない。沙織はリボンをじっと見ていたが、その視線を博孝に向けて口を開く。


「少し席を外すわ。すぐに戻るから」


 それだけを言い残し、沙織はリボンを手に持って中座する。博孝は首を傾げたが、沙織は一分もせずに戻ってきた。


「お待たせ」

「何を……って、それは……」


 沙織の手からリボンがなくなっている。それに気づいた博孝は沙織の後頭部に視線を向けるが、そこにもリボンはなかった。それならばどこに消えたのか――答えは、沙織の背面にあった。

 腰まで伸びている黒髪をまとめ、その“端”をリボンで縛っている。正面から見た限りではそれほど印象は変わらないが、後ろから見ると沙織の腰の高さで桜色のリボンが黒髪をまとめていた。

 例えるならば、入校した頃の沙織は女武士。源次郎からもらったリボンを解いた姿は深窓の令嬢。そして、博孝からもらったリボンで黒髪の端をまとめた姿は清楚な女学生のようだった。これで眼鏡をかけて本でも持てば、立派な文学少女の出来上がりである。

 それに気づいた博孝は、片手で顔を押さえながら床に膝をつく。


(また違う生き物になった……素直にポニーテールにすればって言えば良かった……)


 雰囲気が変わった沙織を見て、博孝は胃が悲鳴を上げるのを感じた。見慣れた姿に戻るかと思えば、返ってきたのは全く別方向からのアプローチ。里香などは素直に『可愛い』と喜んでいるが、博孝にとっては沙織への印象がリセットされた気分だった。


「博孝……何で自爆するっすか?」


 傍で料理を食べていた恭介が、沙織の姿を見て恐れ戦くように言う。


「言うな……言わないでくれ……」


 リボンを渡せば元の沙織に戻るのではという博孝の試みは、見事に失敗したのである。








 時間も経ち、パーティの騒ぎも下火になり始めた頃。博孝はマイクを握って場を盛り上げるべく新たな話題を提供する。


「はいはーい、注目ー! それではここで、チョコレートをもらった数が多い奴の順位を発表したいと思います! あ、同じ順位の奴が複数いても、他の順位に影響しませんので悪しからず!」


 突然の発言に、主に男子から悲鳴が上がった。やめろ、言うなと、周囲から抗議の声と視線が向けられた。だが、博孝は気にしない。こっそりと調べておいたメモを片手に、声を張り上げる。


「まずは第五位! というか、これは松下さんから義理チョコもらっただけの奴だから割愛するな!」


 親指を立てながら言うと、半数を超える男子が崩れ落ちる。それを見たみらいが、元気づけるように男子達の肩を叩いて回った。


「第四位! 武倉恭介と匿名希望四名で二個です! 匿名希望については、お付き合いされている方から名前を出さないでほしいと言われました。誰だろうねぇ……」


 ニヤニヤと笑いつつ博孝が男子を見ると、数名が気まずそうに目を泳がせる。周囲の人間にはほとんどバレているのだが、隠したい年頃なのだろう。


「第三位! 中村明良と城之内信也の三個です! 中村に城之内、お前らいつの間に三個もらったんだよ?」

「うっせー! 別に良いだろうが!」

「そういうお前は何個だよ!?」


 きょとんとした顔で博孝が尋ねると、中村と城之内は文句のように叫んだ。ちなみに、この二人と仲が良い和田がもらったチョコは、希美からもらった義理チョコだけである。

 意中の男子にチョコレートを渡せなかった女子がいる可能性が高いため、今回のランキングは本当に余興だった。それ故に、博孝は笑顔で続けた。

 第二位を発表するため、博孝は胸に手を当てながら恭しく一礼する。


「第二位――僭越ながら、この河原崎博孝めが受賞しております。数は四個です」

「引っ込めアホ司会!」

「自慢か!?」

「爆発しろ!」

「お前らひどくね!?」


 罵声と紙コップが飛び交い、博孝は必死に避けながら司会を続ける。


「そして、栄えあるチョコレート獲得数第一位は……」


 一拍を置き、博孝は周囲を見回す。さすがに紙コップが飛んでくることはなくなり、博孝は堂々と発表した。


「なんと、砂原教官です!」


 高らかに発表するが、周囲の反応は冷たい。


「あー……」

「うん、まあ……」

「そりゃそうだよな」

「テンションひっくいなぁおい!」


 そりゃそうだろ、という投げやりな雰囲気が周囲を漂う。最後に話題を掻っ攫っていったのは、砂原だった。おそらくは、いつもの軍人然とした表情を僅かに綻ばせつつ、女子達からチョコレートを受け取ったことだろう。


「電話して今回のパーティの許可をもらった時に聞いてみたところ、第七十一期訓練生からもらったチョコの数はなんと! 圧巻の十六個! うちのクラスの女子がみらいを含めると十七人だから、ほぼ全員からチョコをもらったと言えます! もちろん全部義理チョコだと思うけどな!」


 博孝が周囲を見回すと、数名の女子が視線を逸らしたことに気付いた。博孝は、それを見なかったことにした。


「え? 渡さなかったのって誰?」


 世の中の非情や無情を博孝が噛み締めていると、女子達の口から疑問が漏れる。砂原にチョコレートを上げることは、大半の女子が予め打ち合わせを行っていたようだ。普段“お世話”になっているということで、協力したのだろう。


「わたし、教官には渡してないわ。それどころじゃなかったもの」

「……わたしたの、おにぃちゃんだけ」


 そんな疑問に対して、沙織とみらいが自分は渡していないと言う。それを聞いた博孝は、なるほどと思いつつも声を張り上げた。


「つまり、教官は沙織とみらいを除く女子全員からチョコを――あれ? なんかおかしくね?」


 話しつつ、疑問を覚えた博孝は首を傾げる。周囲を見れば、同じように首を傾げている者が多数いた。

 砂原がもらったチョコレートの数は十六個である。クラスの女子は十七人いるが、沙織とみらいは渡していない。そうなると、チョコレートの数は十五個のはずだ。


 ――残りの一個は、一体どこから出てきたんだ?


 博孝を筆頭とした男子達は、何も言わなかった。互いに視線を交わし合うが、何も言わなかった。追及することが恐ろしかったのである。


「えーっと……そ、そう! きっと俺が聞き違いをしたんだ! 教官がもらったのは十五個だと思うんでこの話題はこれで終了な!」


 乾いた笑い声を上げつつ、博孝は撤収した。他の男子達も、互いに警戒するように視線を交わしながら笑っている。

 こうして、五日遅れのホワイトデーは騒がしくも賑やかに過ぎ去り、心が傷ついた生徒を僅かながらも癒したのだった。


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