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第五十話:決意

 博孝達第七十一期訓練生が病院に収容されてから、早くも三日の時が過ぎた。

 その間に世間の騒ぎも多少は落ち着き、今では大物政治家が行っていた汚職が発覚したことでニュースの話題を攫っている。

 訓練生達は、肉体的にはほとんど完治していた。精神的にも立ち直りつつあったが、戦闘に参加した中で負傷した者は未だに引きずっている者も多い。例え負傷していなくても、落ち込んでいる様子の者もあちこちで見かけるほどだ。

 そんな中、博孝は毎日を気が抜けた様子で過ごしていた。他の人間がいる時は明るく振る舞うのだが、一人になると宙に視線を向け、何かを考え込んでいるのである。

 里香などは博孝の様子に気づいているが、何も言えなかった。博孝が落ち込んでいる遠因に、里香自身の力不足がある。


 ――自分がもっと強ければ、もっと何事にも動じなければ、博孝が二人分の命を取りこぼすこともなかったのではないか。


 里香は、そんな風に考えていた。

 みらいは可能な限り博孝の傍にいようとしたが、博孝自身、まだ体調が回復していない。特に、『構成力』の回復が遅かった。そのため、『活性化』によるみらいの“治療”は行われていない。

 訓練で『構成力』を消費した時などは、時間を置けば回復する。しかし、今回は枯渇寸前まで使用したのだ。『活性化』に使用するための『構成力』については、底がついてなお無理矢理絞り出した。それが影響しているのか、今の博孝は平時の半分程度しか『構成力』が回復していない。

 恭介も毎日博孝の見舞いに訪れるが、その顔色は暗かった。だが、博孝がそれを気にして尋ねても、恭介は答えない。曖昧に笑って誤魔化すだけだ。

 沙織は負傷の治療が終わり、なんとか峠を越している。それでも、三日経った現在でも目を覚ましていない。博孝と同じく、集中治療室に隣接する病室に寝かされており、今も寝息を立てるだけだ。


「医者の話だと、そろそろ目を覚ましてもおかしくないって話なんだけどなぁ……おーい、沙織ー。そろそろ起きてくれよ」


 一人で病室から出るわけにもいかず、退屈を紛らわせるように博孝は沙織の名を呼ぶ。しかし、沙織からの返答はない。

 さすがに起きるわけもないか、と博孝は苦笑し――沙織が、何の前触れもなく飛び起きた。目を開くなりばね仕掛けの機械のように跳ね起き、床に着地すると拳を構えたのである。関節を曲げずに跳ね起きたその動きは、まるでホラー映画のワンシーンのようだった。


「博孝! 敵は!?」

「なんだよその動き、キョンシーかよ!? というか、起き抜けにテンションたっけぇなぁおい!」


 油断なく周囲を見回す沙織に、博孝は思わず大声でツッコミを入れる。

 沙織の治療は終わっていたため、バイタルチェックの機材が張りついていただけなのが幸いした。もしも沙織の頭上に医療器材が設置されていれば、今頃オシャカになっていただろう。

 博孝が横になるベッドに近づきつつ、沙織は首を傾げた。現在の状況が理解できていないのだろう。沙織が気を失ったのは、博孝がラプターの発現した『防壁』を破り、沙織が殴りかかって失敗したすぐあとだ。


「ここはどこなの? 見覚えがないわ」

「任務地に一番近い病院だよ。任務が終わって、みんな運び込まれたんだ。今日は、任務が行われてから三日後だよ。沙織は三日間眠ってたんだ」

「三日も……そうなの。いつっ!」


 博孝の言葉に納得したのか、沙織は頷く。だが、その途中で体に痛みを感じて動きを止めた。


「無茶はすんなよ? 沙織は心臓の近くと脇腹に穴が開いてたんだ。それと、“あの男”に殴られて肋骨も何本か折れて内臓を傷つけてた。骨は全部つないで、傷も塞がってるって聞いたけどな」

「ふーん……そうなんだ。傷跡は残っているのかしら?」


 沙織は博孝の言葉を聞き、治療服の胸元を指で引っ張り、心臓の近くに傷が残っていないか確認する。博孝は即座に視線を伏せつつ、起きたばかりの沙織の元気さに呆れの感情を覚えた。


「沙織も大概頑丈だなぁ。傷跡は残ってないか?」


 沙織が負った外傷は、心臓付近と脇腹の傷だ。博孝が底を尽きかけた『構成力』で治そうとしたものの、ほとんど塞がらなかった傷である。


「ああ、胸と脇腹の傷ね……見る?」


 そう言うなり、沙織は治療服の端に手をかけて(まく)り上げようとする。博孝はコンマ一秒で顔を横に向けて目を閉じると、気を動転させつつ咎めるように叫んだ。


「やめろ見せんなはしたない!」


 突然の沙織の行動に、博孝は頭が痛くなった。まるで、みらいを相手にしているような気分である。治ったはずの内臓が、胃が、ズキリと痛む。


「……冗談よ」

「嘘言うんじゃねぇ! 声が本気だったぞ!」


 抗議するように博孝が言うと、不意に扉がノックされた。そして、一拍を置いて扉が開き、恭介達が入室してくる。


「博孝、入るっすよ。具合はどうっす……か?」

「ひ、博孝君、売店で果物売ってたの。食べ……え?」

「……おー」


 恭介と里香は、入室するなり硬直する。みらいは何かに感心するような声を上げた。博孝は三人の様子に首を傾げ、三人の視線を追う。

 そこでは、沙織が治療服を捲り上げようとした体勢――実際に体の半ばまで捲り上げた体勢で止まっており、それを見た博孝は全てを察した。寝台に横になっていた博孝は、もう少しで沙織の胸が見えそうだった。


「なんで服を下ろしてないの!? 君は一体何を考えているの!? ねえ、何を考えているの!? 俺の胃に穴を開けたいの!?」

「なんでって言われても……博孝は見なくても、わたしは脇腹に傷跡があるか確認したいわ。これでも女の子なのよ? 体に傷が残っているかどうかは気になるわ」

「自分のベッドに戻ってカーテンを引いてから確認しろや! てか、女の子って自分で言うぐらいならもっと恥らえよ!」


 素で答える沙織に、博孝はベッドの手すりを叩きながら抗議する。胃痛が加速し、傷が治ったばかりだというのに今度は胃に穴が開きそうだ。

 博孝も沙織も同じ小隊の重体者ということで一つの病室にまとめられていたのだが、もっと抗議して別室にしてもらうべきだったと博孝は後悔する。眠りっぱなしの沙織と同じ病室にされたのは、博孝が信頼されていた以上に、同じ小隊員の容態を博孝が気にするだろうという砂原の配慮だった。


「博孝君……そんな……」


 里香は、絶望したような表情と声色で呟く。手に持った、果物が入っているビニール袋が指先から落下しそうになる。恭介はみらいの両目を手で塞ぎつつ、気まずそうに視線を逸らした。


「いやぁ、その、博孝の具合とか、沙織っちはそろそろ起きてるかとか、色々確認したかったっすけど……お邪魔だったみたいっすね」

「……きょーすけ、みえない」


 両目を塞がれたみらいは、抗議するようにぺしぺしと恭介の手を叩く。手を叩かれた恭介は、小声で咎めるように言う。


「駄目っすよみらいちゃん! みらいちゃんにはまだ早いっす!」

「……はやい? なにが?」


 本気で疑問を感じたことが窺える声色で、みらいは呟く。何故恭介が自分の視界を塞いでいるのかを、全く理解していないのだろう。

 博孝は里香の指先からビニール袋が落下しかけていることに気を取られつつも、必死に弁解を開始する。


「待て、待ってくれ、今、お互いの認識に重大な齟齬が発生している。こちらとしてはその認識を正すことが可及的速やかに行われるべきであると愚考する次第ですがどうでしょう?」


 向けられる視線に耐えきれず、口調をおかしくしながらも弁解を試みる博孝。沙織はそんな博孝を放置して、先ほど博孝に言われた通り自分のベッドに戻る。そしてカーテンを引き、治療服を脱いで傷口を確認し始めた。

 沙織が服を脱ぐ音が、沈黙に満ちた病室に響く。その音を聞いて、里香はようやく正気に返った。

 里香は手に持ったビニール袋を博孝に渡し、カーテンに閉ざされた沙織のベッドに突撃。そして、すぐさま“お説教”を開始した。


「さ、沙織ちゃん!? こ、ここには男の子がいるんだよっ。ぬ、脱いじゃだめ! カーテンがあっても脱いじゃだめっ!」

「え? 別に見られても減るものじゃないでしょう?」

「た、たしかに減らないけど……それでも駄目なのっ! 男の子はおおかみさんなんだよっ!?」


 カーテンの向こう側で、必死になって言い募る里香の姿が見えるようだった。博孝はベッドによじ登ろうとするみらいをあやしつつ、恭介と顔を見合わせて首を横に振り合う。


「相変わらずみたいっすね」

「誤解が解けたと思って良いか? そんで、いつも通り過ぎて胃が痛い……」


 そろそろ本当に慣れないと、などと考えながら博孝は胃を押さえる。カーテンの向こう側では、今でも“お説教”が継続していた。


「狼……まあ、男はそれぐらい強引で強い方が良いわよね」

「そ、そういうことじゃなくて! その……た、たしかに、ちょっとくらい強引な方がいいかも、だけど……」


 里香と沙織の話を聞きながら、博孝は体を起こす。そして里香が買ってきてくれたビニール袋を開け、中からミカンを取り出した。ミカンの皮を剥き、一房口に放り込んで咀嚼する。


「こういうのも、ガールズトークっていうのかねぇ?」

「いや、違うんじゃないっすか? 色々と間違ってる気がするっすよ」


 博孝がミカンを食べているのを見て、みらいが僅かに目を輝かせながら口を開く。まるで親鳥にエサをねだる小鳥のような仕草に、博孝は苦笑しながらミカンを一房みらいに食べさせた。

 みらいにミカンを食べさせつつ――博孝は、どこか遠くを見るように目を細める。

 恭介はそんな博孝の様子にすぐさま気付き、博孝と同じように目を細めた。ここ最近、博孝がよく行う仕草だ。何かを考えるように、何かに苦悶するかのように、鈍い感情の色が宿っている。


「博孝は……」

「ん?」


 恭介の口から、自覚しない声が漏れた。それを聞いた博孝は“いつも”の様子を取り戻すと、僅かに首を傾げる。


「……いや、なんでもないっす」

「なんだよ、気になるなぁ。あ、もしかして、カーテンの向こうを覗く相談か? 俺としても突撃したいところだけど、みらいの情操教育に悪いしな!」


 親指でカーテンの向こうを指差し、博孝はおどけるように笑った。それを見て、恭介の瞳に複雑な感情が浮かぶ。今度は逆に、博孝がそれを見咎めた。ミカンをみらいに食べさせつつ、感情を抑えながら尋ねる。


「恭介さ……どうかしたか? 最近っつーか、任務が終わってから何か抱え込んでるだろ?」


 その問いに、恭介は心臓を高鳴らせた。博孝と恭介は似た性格をしているが、現状での大きな違いがあるとすれば、博孝は必要とあれば“踏み込む”ことだろう。小隊長として、友人として、踏み込む必要があると判断すれば躊躇なく踏み込む。

 恭介は視線を逸らし、宙に向けて彷徨わせる。博孝の言う通り、恭介は気にかかる――気にしていることがあった。


「そう……っすね。たしかに、色々と抱え込んでるっすよ」

「そっか。んで……それは聞いた方が良いか? それとも、聞かない方が良いか?」


 踏み込んだ上で、博孝は恭介の意思を尊重する。

 かつての沙織のように、それが大勢の他者や本人自身に悪影響を与えると判断すれば無理矢理にでも介入しただろう。だが、恭介が抱えているものは他者に話して片付くことなのか。それとも、博孝同様に自分との折り合いの問題なのか。

 恭介は博孝の優しさと厳しさを感じつつ、力を抜いて苦笑する。


「もう少し……もう少しだけは、自分で考えてみるっす」

「……了解。ま、愚痴ぐらいならいつでも聞くよ」


 ミカンの最後の一房をみらいの口に運び、博孝は穏やかに笑う。二人の会話を聞いていたみらいは、ミカンを食べ終えてから首を傾げた。


「……なんのはなし?」

「んー……色々あるんだよって話かねぇ。みらいもいつかわかる日がくるさ」

「……んー?」


 博孝の言葉を納得したのかしないのか、みらいは甘えるようにして博孝に抱き着く。博孝が重体に陥り、目を覚ましてからはよく見られる行動だ。里香に話を聞くと、意識が戻らない博孝をとても心配していたらしい。


(その反動かな……まあ、可愛い妹に甘えられるのは嬉しいけどさ)


 みらいの頭を撫でると、みらいは心地良さそうに目を細めた。まだまだ感情が読みにくいが、初めてみらいに出会った頃に比べるとだいぶ感情に起伏が出てきたように思える。

 そんなことを博孝が考えていると、カーテンの向こうから不穏な会話と音が飛び交い始めた。


「里香は強引な方が良いの? こんな風に?」

「え……きゃっ!?」


 カーテンの向こうで、ベッドが軋む音が響く。それは、人を押し倒してベッドに乗せた際に発生する音に似ていた。


「あの……さ、沙織ちゃん?」


 怯えたような里香の声。それを聞いた博孝は、恭介とアイコンタクトを交わす。


「さて、と……教官は戻ってるかな? 沙織も起きたし、そろそろ今後の予定を確認しないと」

「そうっすね! さすがに病院の中に缶詰じゃ、ストレスが溜まるっすよ!」

「……なんでみみ、ふさぐの?」


 博孝はベッドから降り、みらいの両耳を塞ぎながら歩き出す。恭介も相槌を打つと、冷や汗を流しながら青空のような笑顔を浮かべた。みらいは博孝に両耳を塞がれた理由がわからず、きょとんとした顔をしている。


「ま、待って! ひ、博孝君、助けてっ」


 お邪魔をしては悪いと、撤退しようとした博孝達。それに気づいた里香が転げるようにして沙織のベッドから脱出し、博孝達を追いかけてくる。里香の衣服が僅かに乱れかけているように見えたのは、博孝にとっては理解不明な事象が発生した結果であり、きっと気のせいなのだろう。そう自分に言い聞かせ、博孝は笑顔で片手を上げる。


「あ、ごゆっくりどうぞ。ミカン美味しかったよ。サンキューな。ちょっと教官がいるか探してくるから」

「三十分ぐらい経ったら戻るっすよ!」


 博孝と恭介は互いに乾いた笑い声を上げつつ、病室から脱出しようとした。おそらくは、これから沙織による過剰なスキンシップが開始されるだろう。同性の仲間かつ友人である里香のことを、沙織は非常に気に入っているのだ。“初めて”の同性の友人である。大切にしたいと思っているのだ。

 最近では、“大切”の方向性が少しおかしいのではないかと思っている博孝だが、それは人それぞれである。他人が口を出すことではない。


「わ、わたしもついてくから! 沙織ちゃんはちゃんと休んでてね!」


 里香にしては珍しく、焦ったような様子で病室の扉を閉めた。カーテンの向こう側では、何か里香を怯えさせるような出来事が起こりかけたのかもしれない。

 里香は大きく息を吐くと、恨めしげに博孝を見る。そして不満を表すように唇を尖らせて横を向いた。


「博孝君、ひどい……」

「場の空気を読んだというか、飛び火したら大惨事になっていたというか……俺の中の何かが、全力での撤退を叫んだんだ。まあ……沙織もきっと、三日ぶりに里香とスキンシップを取りたかったんだよ」


 不満の視線を向けてくる里香から、博孝はそっと視線を外す。それでも里香の不満そうな雰囲気を感じ取ったため、話題を変えることにした。


「それにしても、里香は眼鏡をどうするんだ? 任務で失ったんだから、経費で新しい物が買えるんじゃないか?」


 そう言って、博孝は里香の目元に視線を向ける。里香は任務中に陸戦部隊の人間に人質に取られ、その時眼鏡を落としていた。それに加え、自爆に巻き込まれたため眼鏡が“文字通り”消滅したのである。

 博孝の話題変更に気付きつつも、里香はそれに答えた。


「も、もともとそこまで目が悪いわけじゃないから、眼鏡がなくても視界が少しぼやけるだけなの。でも、今後のことを考えると眼鏡も考えものだなって……」

「あー……たしかに、戦闘中に外れたら洒落にならないっすよね。それならコンタクトにするとか……いや、あれも外れる時は外れるか。むしろ、目に装着するコンタクトの方が、外れた時に厄介っすね」

「う、うん。だから、視力をどうにか回復したくて……」


 里香は恭介の話に首肯しつつ、自分の考えを話す。それを聞いた博孝は、思わず首を傾げた。


「視力を回復するっていうのは、手術をするとか? でも、『ES能力者』って外傷の手術ならともかく、視覚を治したりできんの?」

「えっと……病院の人に聞いたんだけど、正規部隊の『ES能力者』だと視力が悪い人って珍しいみたいなの。時間がかかるけど、治療系のES能力を使って自分で治せるって。でも、訓練生だと『構成力』の扱いが下手だから、けっこう時間がかかるかもしれないの。普通なら、正規部隊に配属されるレベルになってから行うらしいんだけど……」

「へぇ……『接合』とかでもそんなことができるのかな? でも、それは『構成力』の扱いについての良い訓練になりそうだ」


 里香の話を聞いて、博孝は何度も頷く。恭介は、そんな博孝の言葉にげんなりとした表情をした。


「やっぱ、博孝って訓練馬鹿っすよね……いや、でもそれぐらいはしないと強くなれないっすか……」


 後半は自分に言い聞かせるように呟く恭介。博孝と里香はそれに気づいたが、敢えて何も言わない。博孝は空気を払うように、里香に視線を向けた。


「でも、視力が回復したら里香の眼鏡姿が見られなくなるのか。それはちょっと残念だな」

「え、と……ひ、博孝君は、眼鏡をかけていた方が良いと思う?」


 どこか期待するような里香の問いに、博孝は視線を宙に飛ばす。脳裏に眼鏡をかけていた里香の姿を思い出し、首を傾げた。


「んー……今まで眼鏡をかけてる姿ばっかりだったから、違和感があるぐらいかな。まあ、かけてもかけなくても可愛いし、問題ないんじゃね?」

「……博孝って、本当にそういうところは明け透けっすね」


 真顔で可愛いと言ってのける博孝に、恭介は話の流れに乗ってツッコミを入れる。里香は顔を赤くして俯いた。


「何度も言ってるけど、俺は可愛い子には可愛いって言うし、綺麗な子には綺麗って言うぞ? っと、ありゃ教官か」


 博孝達が病院のロビーに足を向けると、丁度砂原が玄関に入ってくるところだった。扉を抜け、博孝を見て眉を寄せる。


「河原崎……もう歩き回れるのか?」

「おかげさまでなんとか。『構成力』の方は、まだ半分ぐらいしか回復してませんけどね。あ、それと、沙織が目を覚ましました。向こうは起きるなり元気いっぱいでしたよ」


 博孝がそう言うと、砂原は話半分に頷く。まさか、目を覚ますなりキョンシーのような動きで跳ね起きたなどとは夢にも思っていないだろう。


「そうか。それで、俺に用があったのか?」

「ええ。いつまでも病院にいるわけにもいかないでしょうし、今後の予定を聞ければと思いまして」


 沙織が目を覚ましたのなら、訓練校へ帰還することもできる。沙織は二日前に目を覚ました博孝よりも、余程元気が良いぐらいなのだ。バスで移動するだけならば問題はないだろう。


「そうか……そうだな。では、バスと護衛の者を手配するか。幸い、この病院には多くの『ES能力者』が護衛に回されている。護衛には困らん状況だしな。今から長谷川の様子を見に行くが、問題がなければヒトロクマルマルには移動を開始する」


 言われて時計を確認すると、まだ正午にもなっていない。バスの手配や護衛の編成に時間がかかるのだろう。そして、沙織の様子次第では時間が変更されるかもしれない。


(まあ、沙織のあの様子なら大丈夫そうだけどな)


 まだ体が痛むようだが、『ES能力者』の頑丈さは折り紙つきだ。沙織のことだから、砂原が様子を見に行けば『早く訓練がしたい』とでも言い出すかもしれない。

 そして、そんな博孝の予想通りに沙織は訓練校への帰還を望み――訓練校への帰還が決定された。

 







 訓練校に戻った博孝が最初に感じたのは、クラスの雰囲気の悪さだった。険悪だとか、ギスギスしているわけではない。全体的に暗いのだ。

 移動中のバスの中でも、ほとんど喋る者がいなかった。そのため博孝は三回目の任務に向かった時のように“ボケ”に走ってみたのだが、周囲からのリアクションはなかった。あまりの無反応さに、思わず『あ、すいません』と謝ったほどである。

 生徒達は訓練校に着くと無言で自室に戻り、夕食はバラバラに食べていた。それを見た食堂の榊原などは、博孝に何があったのかと耳打ちするほどである。さすがに任務に関わることだったため誤魔化したが、ニュースで何が起きたかを知っているのだろう。榊原は気遣うような顔をしていた。

 博孝は食堂にいたクラスメートの雰囲気をなんとか盛り上げようとするが、すこぶる反応が悪い。それを見て、もう少し時間が必要だと感じた。体は元気になっても、精神的には元気になっていないようだ。


 ――そしてそれは、博孝も同様だった。


 夜になり、甘えてくるみらいを寝かしつけた博孝は、一人で寮の外へと歩き出した。自主訓練をするわけではない。さすがに、『構成力』が回復していない状態での訓練は控えるべきだった。

 目的もなく歩き、体育館にたどり着いた博孝は屋根に登る。そして屋根の淵に腰をかけると、気が抜けた顔で息を吐いた。そして何をするでもなく、ところどころ外灯が点いたグラウンドを眺める。

 三月の夜風は、まだまだ冷たい。それでも『ES能力者』である博孝はそれほど寒さを感じず、時間が流れるままにグラウンドを眺めていた。

 脳裏に過ぎるのは、三回目の任務のことだ。

 ハリド達との戦い自体は、問題なくこなせていただろう。博孝としては恭介の様子が気になるものの、本人が自分で乗り越えるか、打ち明けてくるまで待つつもりだった。友人として相談してほしくはあるが、博孝も恭介も男である。他人の手を借りずに“壁”を乗り越えたいと思うほどには、意地があった。


「もっとこう……なぁ……」


 闇夜に指を走らせ、博孝は一人呟く。みらいが生理現象を催したとはいえ、小隊を分けたのは失敗だった。もしも相手の戦力がもっと高いものだったならば、各個撃破されていただろう。これは大きな反省点である。

 次に、操られた味方の『ES能力者』。これについては、予想のしようもなかった。まさかそんなES能力があるとは微塵も思わず、むざむざ里香を人質に取られてしまった。これも、大きな反省である。様々な、ありとあらゆる想定をしておくべきだったのだ。


「難しいもんだなぁ、小隊長って。他人の命を預かるってのは……まぁ、重いわな」


 小隊長でこれなら、中隊長や大隊長、一部隊を率いる部隊長になればどれほどの重圧がかかるか。


 ――もし仮に部下を、仲間を失っていればどうなっていたか。


 敵性『ES能力者』による自爆で、操られていた陸戦部隊の二人が命を落とした。博孝も必死に防御の手段を講じたものの、救えたのは一名のみ。


「そういえば、一個小隊ってことは残りの一人はどこにいったんだ? 操られてなかったのか……今度教官に聞かないと」


 二名が死亡したという事実。そのインパクトが強すぎたために、博孝は見落としていた。護衛が一個小隊だったのならば、もう一人いたはずである。


「はぁ……本当に気が抜けてんな」


 そんな、いつもならすぐに気付くことに思い至らなかった自分に、大きなため息を一つ。

 砂原は今回の件の後始末で忙しく、生徒が被った精神的被害も大きいため、訓練校での授業も当面は中止になっている。長くても五日程度で再開されるらしいが、砂原はその間に寝る間も惜しんで後始末に奔走するだろう。砂原が不在の間は、通常よりも防衛の『ES能力者』が増員される手はずになっている。

 もしも第一小隊の仲間が死んでいたら、五日で立ち直れただろうか。そんな『IF』の話を想像して、博孝は目を瞑った。

 里香が、沙織が、恭介が、みらいが。その誰かが、あるいは誰もが死んでいたら――博孝は、どう思っただろうか。


「ああ……ドンドン悪い方向に思考が沈んでるな。いかんいかん」


 際限なく負の感情に沈みそうになった自分に気づき、博孝は頬を叩く。そんな仮定など、今は無意味だ。第一小隊は全員無事――とも言えないが、生きて訓練校に戻ってこられた。

 それならば、これから何を成すかが重要だ。

 三回目の任務については色々と反省点があった。それについては洗い出し、対策を練り、今後の糧とするしかない。

 博孝は小隊長としてそう決意し――再度、思考が沈む。

 ここ最近の博孝が思い浮かべるのは、守りきれなかった二名のことだ。周囲に誰もいない時、気が抜けた時、ふとした拍子に脳裏に過ぎる。

 誰からでも、どんな時でも守れるなどと博孝は自惚れていない。博孝は所詮訓練生であり、その技量も精神もまだまだ未熟。発展途上と言い換えれば前向きに聞こえるが、その実態は未熟なだけだ。


 ――何か手があったのではないか。


 ――どうにかやって救えたのではないか。


 気がつけば、そんなことばかりを考えている。

 博孝は頭を掻き、野口にコーヒーでもたかるかと考えた。誰かと話していた方が、気が紛れる。

 そう思った博孝だったが、馴染みのある『構成力』を感じて屋根の端に目を向けた。すると、ゆっくりとした動作で沙織が屋根に這い上がってくる。


「あいたたた……なにこれ、体中が痛いわ。『構成力』もあんまり回復してないし」


 そんなことを言いつつ、沙織が屋根の上に姿を見せた。さすがに今晩ぐらいは部屋で休んでいるだろうと博孝は思っていたが、その予想を超える“頑丈”ぶりである。


「……おっす。こんな夜更けにどうしたよ?」


 まさか沙織が訪れるとは思わず、声を出すのに僅かな時を要した。沙織は夜風にたなびく黒髪を押さえつつ、博孝の傍まで歩み寄る。


「体が鈍っているから、自主訓練をしようと思って。そうしたら博孝を見つけたから、何か話せればなって」


 僅かに微笑んで話す沙織に、博孝はなんとなく視線を逸らす。夜空は博孝の心情を映すかのように薄い雲がかかっており、月の光は遮られている。雨が降る心配はしなくても良いが、月明かりがないため外灯の光が暗闇に眩く映えて見える。


「今日の午前中に起きたばっかりのくせに、もう自主訓練かよ……さすがに体に悪いから自重してくれ」

「そうね。ここに登ってくるだけで体が痛んだもの。あと一晩ぐらいはゆっくりしないと、体調が戻りそうにないわ」


 言いつつ、沙織は博孝の隣に腰を下ろした。両者共屋根の淵に座り、足を空中で躍らせる。

 両者の間に会話がなくなり、静寂が訪れた。耳に届く音など、風が吹く音と互いの呼吸音ぐらいのもの。そんな静寂の中で、沙織がポツリと呟く。


「……負けたわね」

「……負けた、な」


 だから、博孝も小さな呟きで返した。

 沙織が言ったのは、ラプターについてだろう。博孝も沙織も、手も足も出ずに負けた。『防壁』を一枚破りはしたものの、その体に指一本すら触れることができなかったのである。


「……強かったわね」

「……ああ、強かった」


 沙織と二人がかりで挑んでも、毛ほどの傷も与えられなかった。ラプターの目的は今でも不明だが、命を奪うことが目的だったのならば既に死んでいるだろう。

 博孝と沙織は視線を交えることなく、暗闇に沈むグラウンドを見る。

 砂原との訓練とは異なる、命を賭けて戦った上で敗北したのだ。生きて帰れたが、その衝撃は大きい。


「わたしって、やっぱり弱かったのね」


 他人事のように、沙織は言った。以前の沙織ならば、頑なに否定したであろう言葉。それを自ら口にして、透明な笑みを浮かべる。


「博孝の言う通りだったわ。井の中の蛙大海を知らずっていうのか……あのナイフ使いの男と戦った時は、まだ勝てるって思った。でも、あの男には手も足も出なかった」

「それを言ったら、俺だっていきなり左腕を折られた上に、肋骨まで圧し折られちまったよ」


 いくら思い返しても、ラプターを相手に勝てるビジョンが浮かばない。博孝がラプターの姿を思い出しながら言うと、沙織は唇を尖らせた。


「博孝はアイツの『防壁』を破ったじゃない。わたしは何もできなかったのよ?」

「つっても、無我夢中だったしな。もう一回やれって言われても、できるかどうか……」


 その言葉を最後に、両者は再度沈黙した。例え万全の状態でも、傷一つ負わせることができないと思わせる相手だ。それを思えば、自分達は本当に未熟で、どうしようもなく弱い。


 ――それが、とても悔しい。


「でも……」


 沈黙を引き裂いて、沙織が言葉を放つ。その声色に含まれた“強さ”に、博孝は沙織へと視線を向けた。


「わたしと一緒に……強くなってくれるんでしょ?」


 その顔に浮かんでいたのは、儚さが混じった柔らかい笑み。

 沙織とて、今回のことが悔しくないわけではないのだろう。それでも、博孝を元気づけるように微笑んでいる。

 そんな沙織の笑顔を受けて、博孝は夜空を見上げた。夜空にかかっていた薄い雲が風に流され、欠けた月が姿を見せる。今の自分達を表すように、細く、欠けた月だった。

 目を細めるようにしてそれを眺め、視線を横にずらす。

 夜風に吹かれ、沙織の黒髪が穏やかに揺れる。博孝は揺れる黒髪を見て、沙織の顔を見て――最後に、肩の力を抜いた。


「ああ、そうだな……強くならないとな。今度は、誰も死なせないぐらいに。みんなを守れるぐらいに」

「そうね。今度戦ったら、あの男にも勝てるように」


 そう言って互いに笑い合い、博孝と沙織は傍で座り合ったまま無言の時を過ごす。

 かつての沙織のように、闇雲に強さを求めるわけではない。

 大切な人達を守れるよう、もっと強くなりたいと願う。


 穏やかで、緩やかな夜の闇の中に、胸に浮かんだ悔しさが溶けていくのを感じる博孝だった。






 さっそくのご感想およびご指摘、評価をいただきありがとうございました。

 最近読者の方からの感想を見て、ふと気になったことがあったので50話時点で以下を調べてみました。


・名前がある登場人物の男女比率

 男性16名(30歳以上9名)、女性7名の合計23名

 パーセンテージでいうと男性69.6%(30歳以上39.1%)、女性30.4%

 女性キャラよりも、おじ様の方が多かったです……この物語の約4割はおじ様でできています。


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