第四十八話:Bloody white day その5
三月十四日十二時七分。中部地方にて発生した『ES能力者』による自爆は、山の半分を吹き飛ばすほどの威力があり、即座にニュースで放送されるほどの大騒動に発展した。
『ES寄生体』の警戒区域であり、近隣に人が住んでいなかったため建造物の被害がなかったのはせめてもの幸いだろう。それでも爆発によって空に舞い上がった木々や土砂が風に乗り、他の場所で降り注ぐことはあった。
人的被害については、“現場の人間を除けば”空から降ってきた木々に驚いて転倒し、その際に負傷した者が数名出た程度である。
――任務中の『ES能力者』訓練生を狙い、敵性の『ES能力者』が自爆を決行。
そんな見出しで夕刊の紙面を飾り、臨時ニュースが組まれて現場の様子が放送され、評論家やコメンテーターが我が物顔で意見を語る。街頭を歩く人々は屋外に設置されたテレビを見上げ、それらの情報を見聞きして顔をしかめ合う。
機密保持のために、一斉に出現した『ES寄生体』との戦闘や博孝達が戦ったラプターについては世間には公表されない。軍の内部だけで情報が処理され、市民に伝わることがないよう徹底された。
『ES能力者』による自爆が行われた直後、近隣の陸戦部隊と空戦部隊は現場に急行。『ES寄生体』の掃討や負傷者の治療、行方不明者の捜索などが行われた。
近年では例を見ない大事件で発生した物的被害は、国が管理する山の一つが“半分”に欠けたことだろう。場所によっては空に舞い上げられた木々や土砂が降ったが、そちらについては被害と呼べる被害は報告されていない。
人的被害――現場の『ES能力者』の被害は、とても大きかった。
軽傷を負った者が十四名に、重傷を負った者が八名。重傷者には、砂原が叩き落とした空戦小隊も含まれる。
第一小隊以外の小隊のほとんどは『ES寄生体』と戦闘中だったため、『防殻』を発現していたのが幸いとなった。それでも、第二小隊と第五小隊が爆発に巻き込まれている。この二つの小隊の人員は、大半が軽傷者と重傷者に数を刻むこととなった。
上記に加え、重体の者は三名。
そして、死亡した者は――。
『だから私は常々、『ES能力者』の存在について反対していたんです! 今回の件についても――』
『今回の件については、敵性の『ES能力者』によるものです! 訓練生に非は――』
『しかし今回の件では多くの被害が発生し――』
ブラウン管の中で口角泡を飛ばし、激論を交わす評論家達。その様子をベンチに座って冷めた目で眺めていた恭介は、深いため息を吐いた。
耳に届くテレビの声が、酷く耳障りに感じる。実際にその場に立ったわけでもない者が物知り顔で語るその様は、リモコンどころか光弾を叩き込みたくなる。
恭介は右手を拳の形に握り込むと、それを左手で覆って握り締めた。力いっぱい歯を噛み締め、自分の内側から溢れ出そうになる感情を必死に宥める。
「俺は……」
顔を伏せて、ポツリと呟く。テレビから響く声など、既に聞こえない。ただ静かに、悔やむように、恭介はうなだれた。
「何を……やってたんだ……」
血を吐くような、悔恨に溢れる呟き。
今回の任務では、恭介は何一つ満足に動くことができなかった。
ナイフ使いの男――ハリドに襲われた時も、突然現れた男――ラプターを前にした時も。恭介にできたのは、必死に震えを抑えることだけだった。いや、震えを抑えることもできなかった以上、何もできていないと言って良い。
恭介にとっては、今回は初めての“実戦”だった。初めての任務の時のように呆然としていたわけでも、二回目の任務の時のように沙織の補佐に回っていたわけでもない。博孝と共に戦い――。
「戦ってなんか……いねぇ」
浮かんだ言葉を、自分で否定する。握り締めた拳が、僅かに軋んだ音を立てる。
博孝がハリドの振るうナイフと渡り合っていた時も、敵の放つ光弾に狙われた時も、里香が人質に取られた時も、博孝がラプターに蹴り飛ばされた時も、沙織やみらいが立ち向かった時も――何も、できなかったのだ。
恭介が現在いる場所は、三回目の任務地から三十分ほど離れた場所にある『ES能力者』用の病院である。軽傷の者は駐屯施設で治療を受け、重傷者は救急車で運ばれ、重体の者は駐屯施設で必要最低限の治療を施してから、空戦部隊が護衛する救急ヘリで病院まで運ばれた。
無事だった訓練生は防御設備も完備されている病院に移動し、クラスメートや護衛についていた『ES能力者』の安否を気遣いながら待機時間を過ごしている。
「た、武倉君……」
ベンチに座ったまま自分の感情と戦っていた恭介に、里香が声をかけた。その手には缶ジュースが握られており、恭介へと差し出す。
「……博孝達は?」
缶ジュースを受け取り、言葉少なく尋ねる。里香は表情を曇らせると、首を横に振った。
「み、みらいちゃんは気絶しただけだったから、さっき目を覚ましてた。でも……その、博孝君と沙織ちゃんは……」
ラプターから逃げ出した後、恭介と里香、気絶していたみらいは急行した近隣の空戦部隊に保護された。そこから駐屯施設まで護送されたのだが、支援型の『ES能力者』である里香は負傷者の治療にも当たっている。
近隣から駆け付けた『ES能力者』が重傷者や重体者に必要な治療を施し、防衛設備も治療設備も整っている『ES能力者』向けの病院に搬送。その間、里香は博孝と沙織の容態についても確認することができていた。
「さ、沙織ちゃんは……心臓の近くを、撃たれてたって……それで、出血が酷くて……」
それを聞き、恭介は自分達を庇った時に負った傷だろうと推測する。
「……博孝は?」
「左腕が折れて……その、肋骨も何本も折れてて、折れた骨が、な、内臓を傷つけてて……」
話している内に限界が来たのか、里香は目に涙を溜めながら俯く。里香の顔には、いつもかけていた眼鏡がない。陸戦部隊の人間によって地面に引き倒された時に外れ、『ES能力者』の自爆によって文字通り消滅してしまったのだ。
「ひ、博孝君は……『構成力』も、枯渇寸前だって……」
恭介の隣に座り、里香は顔を伏せる。恭介同様、里香も今回の任務では満足に動けていなかった。人質に取られ、博孝に庇われ、挙句に“敵”を前にしながら呆然自失としてしまった。里香が我に返ったのは、恭介に腕を引かれて撤退している最中だったのである。
「ここにいたか」
項垂れる二人に、遠くから声がかかった。二人が顔を上げると、厳しい顔をした砂原が近づいてくる。
「第一小隊の任務状況について話を聞きたい。本来ならば、小隊長である河原崎に聞くべきなんだがな……」
そう言って、砂原は僅かに目を細めた。それを見た里香と恭介は、胸の内に大きな不安を感じる。
「あの、教官……博孝と長谷川は?」
恐る恐る恭介が尋ねると、砂原は二人を促して歩き出す。廊下を進み、角を曲がり、通路の奥を示す。そこにはICUというプレートがかけられた部屋があり、中に患者がいることを示して赤いランプがついていた。
「今は集中治療室だ……ん?」
集中治療室の扉の前に、小さな人影があった。その後ろ姿を見た里香は、思わず駆け出す。
「みらいちゃん!」
「……あ、おねぇちゃん」
集中治療室の扉の前に立っていたのは、みらいだった。目が覚めてから、博孝の姿を探していたのだろう。眉を八の字に曲げ、不安の感情を瞳に宿している。里香の姿を見ると、よたよたと歩き出す。
「……りかおねぇちゃん、おにぃちゃんは?」
「博孝君は……えっと……」
近づいてきたみらいに、どう答えたものかと里香は言いよどむ。みらいはそんな里香の様子を見て何かを察したのか、無言で里香に抱き着いた。里香の胸に顔をうずめ、悲しみを堪えるように服を握る。
「君の“兄”なら、きっと大丈夫だ。君を残して逝くことはない」
砂原はみらいの頭に手を乗せ、優しく撫でた。そして里香を促して傍にあったベンチに座らせる。みらいは里香から離れず、抱き着いたままだった。そんなみらいの姿を見て、砂原は遣る瀬無く思う。それでも教官として、今回の任務の現場責任者として口を開いた。
「……さて、今回の任務について報告を頼む」
砂原がそう言うと、里香と恭介は互いに視線を交わし合う。途中で男女に別れてしまったため、その部分を補足しながら報告を開始する。
敵性の『ES能力者』に襲われたこと。
陸戦部隊の人員に里香が人質に取られたこと。
敵性の『ES能力者』のうち、二人が意図的に『構成力』を暴走させて自爆をしたこと。
博孝の治療を行っている最中に、突然見知らぬ男に襲われたこと。
それらを端的に報告すると、砂原は顎に手を当てて視線を鋭くする。
(河原崎妹の身柄を要求した割には、その身柄に執着していない……あの男ならば、河原崎妹を攫って逃げ切ることもできただろうに。『ES能力者』二名を捨て駒にしたというのに、河原崎妹を放置……解せんな)
間違っても里香達に聞かれぬよう、内心だけで思考する砂原。そんな砂原の傍に立っていた恭介は、集中治療室の方が気になるのか時折視線を向ける。
「教官……それで、博孝と長谷川の容態はどうなんすか?」
「ん? ああ……河原崎については、体よりも『構成力』の枯渇の方が深刻だった。『構成力』をほとんど使い切った状態で、長谷川の治療まで行っていたからな。体の方は左腕と肋骨が七本折れ、内臓も傷ついていたが、そちらの処置は済んでいる。輸血もしているから、あとは目を覚ますのを待つだけだな」
砂原がそう言うと、みらいが音を立てて振り向く。砂原の言葉を、本当かどうか疑っているようだ。それを察した砂原は、安心させるように頷いた。
「よ、良かった……あの、さ、沙織ちゃんは?」
「長谷川については……まだ峠を越していない。敵の『ES能力者』から受けた攻撃が心臓付近に命中していてな。河原崎が『接合』で塞ごうとしていたが、血を流し過ぎた」
それを聞いて、恭介は唇を噛む。沙織がそれほどの傷を負ったのは、退却する恭介達を庇ったからだ。冷静になって考えてみれば、背を向けて走らずに『盾』を発現しつつ後退した方が良かった。そうすれば、沙織も余計な負傷をすることはなかっただろう。
もっとも、恭介にはラプターが放つ光弾を防げたかと聞かれると頷けない。四級特殊技能である『武器化』で発現した大太刀でさえ、三発弾いた段階で折れてしまったのだ。いくら沙織が負傷していたとはいえ、それほどの攻撃を防げたかどうか。
落ち込んだ恭介を見て、砂原は恭介の背を叩く。
「悔やむなとは言わん。自分を責めるなとも言わん。だが、長谷川は自分の意思でお前達を守ろうとしたのだ。“あの”長谷川が、だ。だから、お前達は長谷川が起きた時に謝罪だけでなく、感謝をしてやれ。それがきっと、あの子のためになる」
「……うっす」
砂原の言葉を聞いて、恭介の頬を涙が伝った。砂原は僅かに優しげな顔になると、もう一度恭介の背中を叩く。そして、恭介達に背を向けて歩き出した。
「俺はこれから、今回の件について大場校長へ報告を行ってくる。お前達は病院内で待機だ。絶対に外出するなよ」
そんな命令を残しつつ、砂原は脳裏に疑問が掠めるのを感じた。
(しかし……第一小隊の護衛につけたのは一個小隊だった。だが、第一小隊の前に現れたのは三人。残り一人はどこに……さては、そちらが本命か?)
今回の一件は、訓練校だけでなく軍部にも大きな波及をもたらすかもしれない。そのことを予感しつつ、砂原は病院の廊下を足早に進んでいくのだった。
第七十一期訓練生達が収容された『ES能力者』用の病院は周囲を塀に囲まれ、防衛用の『ES能力者』も配備されている地上の要塞である。特に、今回は事件の規模が規模だけに、配備される『ES能力者』の数も増員されていた。
病院の正門では、カメラやマイクを構えたマスコミが多く群がっている。敵性の『ES能力者』による自爆が行われた現場からもっとも近い『ES能力者』用の病院であり、普段と比べて人員の配備が増強されているのだ。
負傷者がこの場所に運び込まれたのだと推測するのは容易く、少しでも情報を得ようと躍起になっている。『ES能力者』が絡んだ事故や事件で、これほどの規模のものは珍しい。そのため世間の注目も集まっており、非常に高い視聴率を得ることができる。
中には塀を乗り越えようとした者もいたが、『ES能力者』だけでなく通常の兵士も配備されており、彼らの手によって問答無用で引き摺り下ろされた。
正門に群がるマスコミ達から僅かに離れた場所では、周辺から集まってきた野次馬の姿もあった。しかし、純粋な野次馬は意外と少ない。野次馬の大半は手にプラカードを持ち、大声を上げていた。
プラカードには『ES能力者』の存在を否定する文言や、今回の一件を糾弾する文言が並んでいる。しかしそれに対抗するように、病院に運び込まれた訓練生達を心配する声も多く上がっていた。
ニュースを見た『ES保護団体』と『ES抗議団体』が、自分達の主張をアピールするために遠路はるばる集まってきたのである。その様子は見たマスコミは『良いエサが転がっている』とばかりにカメラを回し、スタジオやお茶の間に新たな話題を提供した。
そんな混沌の坩堝と化した病院の正門に向かって、一台の黒塗りの要人警護用車両が近づいてくる。その周りには護衛のための車両も追従し、その存在を誇示していた。黒塗りの要人警護用車両を見て、正門を管理している兵士達は目を見開く。
黒塗りの要人警護用車両を護衛していた車から何人もの『ES能力者』や兵士が飛び降りると、正門に群がっていたマスコミ達を力尽くで押しのけ、道を開けた。裏門も同じようにマスコミが群がっているため、正門から堂々と乗り込むようだ。
正門を管理していた兵士達は、最敬礼を以って黒塗りの要人警護車両が通過するのを待つ。黒塗りの要人警護用車両は悠々と正門を潜ると、病院の敷地内に停車した。
車から降りてきたのは、『武神』長谷川源次郎とES訓練校の校長である大場恵次。訓練校の環境について陳情の会議に訪れた大場を引き連れ、『武神』がやってきたのだ。正確に言えば、砂原からの報告を直接受けるために会議を切り上げた大場に、源次郎が無理矢理ついてきたのだが。
「砂原君から、生徒に聞いた情報をまとめて報告すると聞いていますが……その、長谷川中将もお忙しいのでは?」
「なに、さすがに今回の件については大人しく情報を待っているわけにもいきますまい。大場校長との会議が終われば、あとは通常業務だけです。それならば、部下に任せて私が離れても問題はありません」
電話で報告を行うには、機密に該当する部分が多すぎる。そのため直接顔を合わせて報告を受けるのだが、源次郎は今回の件に対して色々と思うところがあるようだ。
病院に入ると、待合室で待機していた訓練生達が目を見開く。訓練校の校長として大場が駆けつけるのはある意味当然だが、源次郎まで駆けつけるとは思わなかったのだ。
幸いにも負傷しなかった者、軽傷で済んだため既に治療が終わった者が待機室に集まっていたが、慌てて立ち上がり、姿勢を正して敬礼する。それを見た源次郎は答礼を返すと、訓練生達を見回して口を開いた。
「諸君、今回の件は大変ご苦労だった。この病院には陸戦から一個大隊、空戦から一個中隊を配備している。今しばらくは体と心を休めたまえ」
『は、はい!』
『武神』から声をかけられ、訓練生達は声を震わせながら返答を行う。そしてそれぞれ顔を見合わせると、興奮したように小声で囁き合った。
「やべ、生で『武神』を見たのは初めてだよ」
「長谷川さんのお爺さんって聞いてたけど……ワイルドというかダンディというか……」
源次郎が現れたことで、任務で受けた衝撃を忘れたように訓練生達は話し合う。それを見た源次郎は僅かに苦笑する――が、一部の訓練生は表情を変えずに落ち込んでいたことに気づき、そちらへと歩み寄った。
「君達は……たしか、第一小隊の生徒だったか」
「……え? さ、沙織ちゃんのお爺さん!? あ、あわわ……ち、違った、は、長谷川中将閣下!?」
源次郎に声をかけられ、里香は誤って『沙織の祖父』として呼んでしまう。それに気づくと、すぐに顔を青ざめ、頭を下げながら訂正した。そんな里香を見て、源次郎は苦笑を深めた。
「ああ、それほど気にしていないから顔を上げたまえ。ただ、正規部隊に配属されればそんなことも言っていられなくなる。今のうちに直しておきなさい」
「は、はい……」
優しく諭され、里香は顔を赤くしながら俯く。みらいはそんな里香を見て、慰めるように肩を叩いた。そして、隣に立っていた恭介は、大場に視線を向ける。
「大場校長じゃないっすか……なんでここに?」
疑問を向けられ、大場は源次郎同様に苦笑した。
「私は訓練校の責任者だからね。今回の件について、砂原君から直接報告を受けるために駆け付けたんだ。長谷川中将は……直前まで一緒に会議をしていたんだが、私に同行したいと申し出てね」
そこまで言うと、大場は僅かに眉を寄せる。
「ところで……河原崎君と長谷川さんはどうしたんだい? 姿が見えないが……」
今回の件について、一報は受けていた。しかし、詳細な情報はまだ届いていないのである。今から砂原に聞くため、大場は博孝や沙織が負傷――重体になっていることを知らなかった。
「博孝と長谷川は……集中治療室っす」
「集中治療室!? だ、大丈夫なのかね!?」
恭介の言葉を聞き、大場は慌てたように集中治療室の場所を確認する。その大場を宥めつつ、源次郎は恭介に質問をした。
「河原崎訓練生と長谷川訓練生は集中治療室か……“また”何か仕出かしたのかね?」
その声には、僅かに咎めるような響きがあった。恭介はそれに気づかず、首を横に振る。
「博孝は敵の自爆から岡島さんを守ったり、強い敵の足止めしたりで負傷して……長谷川は、俺達を庇って……」
恭介は声のトーンを僅かに落とし、落ち込みながら言う。そして、恭介の言葉を聞いた源次郎は僅かに目を見開いた。
「長谷川訓練生が……君達を庇った?」
源次郎が放った言葉は、純粋に驚きの感情が含まれていた。
「え? ええ……あの、申し訳ないっす。俺達が……いや、俺が足を引っ張らなければ、その、長谷川が庇って負傷することもなかったっすよ……」
源次郎の反応を訝しく思いつつ、恭介は頭を下げる。だが、源次郎は何事かを考えるように目を細め、視線を宙に飛ばした。
「そうか……長谷川訓練生がな……」
何かしらの感情が込められた声だった。源次郎はしばらく宙に視線を飛ばしていたが、砂原が近づいてくるのを見て思考を打ち切る。
「大場校長……長谷川中将閣下もお越しでしたか」
「ああ。さすがに、今回の件についてはすぐに情報が欲しくてな。それと軍曹、今回の件はご苦労だった」
労わりの言葉をかける源次郎。砂原は源次郎の言葉を聞くと、首を横に振る。
「いえ……小官の力不足を嘆くばかりであります」
「軍曹が力不足となると、この国の『ES能力者』のほとんどが力不足ということになるぞ? まあいい。報告を聞かせてもらおう」
「はっ。それではこちらへ」
砂原は大場と源次郎を連れ、病院に設置されている小会議室へと案内した。小会議室は防音が完全に効いており、盗聴なども行えないよう管理されている。
源次郎は自身が無理矢理ついてきたという立場を考慮したのか大場を上座に座らせ、自身はその下座に座った。砂原は座らず、小会議室に備品として置かれたホワイトボードの前に立つ。
「では軍曹、報告を頼む」
「はっ」
源次郎に促され、砂原は今回の任務で起きた事件の状況を報告し始める。
任務開始から二時間弱――正確に言えば一時間五十五分が経った十一時五十五分までは何事もなかった。五分前に第一小隊から定時連絡があり、次は第二小隊からの連絡待ちという状況である。
しかし、時間になっても第二小隊から連絡が来ない。そのまま五分が経過して正午になり、砂原は無線にて第二小隊へ連絡。この時までは、『探知』でも異常を感じなかった。だが、無線が妨害されていることに気づき、周囲にいた人員を臨時に小隊として編成し、第五小隊から第八小隊の四小隊へ派遣。砂原は空へと上がる。
問題は、ここからだった。
「『ES寄生体』が同時に発生しただと? 間違いはないか?」
砂原の報告を聞き、源次郎は眉を寄せる。『ES寄生体』の発生のメカニズムについては解析されておらず、砂原の報告は俄かに信じがたかった。
「間違いなく、『探知』にて『構成力』を探知しました。その後、各小隊は戦闘状態へ移行しております」
「ふむ……その辺の新兵ならばともかく、軍曹が『ES寄生体』如きの『構成力』を見逃すわけもない、か。報告を続けたまえ」
「はっ。『探知』の結果、第一小隊が『ES寄生体』ではなく敵性の『ES能力者』と交戦していることを確認いたしました。他の小隊には護衛の『ES能力者』が加勢し、問題がないと判断したため第一小隊への急行を判断いたしました」
ここで、今回の“問題”はさらに大きなものへと変わる。
「しかし、護衛として配備したはずの空戦小隊と交戦。足止めを受けました」
「空戦小隊と交戦? 砂原君、一体どういうことかね?」
今度は大場が質問をする。その顔には疑問が浮かんでおり、事態を理解しかねたようだ。
「言葉の通りです、大場校長。一方的に攻撃を受け、已む無く戦闘になりました」
今回砂原が空戦小隊を護衛として配備したのは、本人からの強い要望があったからである。砂原も親交がある第五空戦部隊の隊長に話を行い、借り受ける形になった。
「借りたのは第五空戦部隊の小隊だったな……町田空戦少佐の部下か。“ネズミ”とつながっていたのか?」
机を指で叩き、源次郎が呟く。それを聞いた砂原は、首を横に振った。
「いいえ、違うかと。空戦小隊は小官と交戦しましたが、相手に妙な兆候がありました」
「妙な兆候? 軍曹、それは?」
「はい。あくまで小官の感想なのですが、相手には“意思”がないように感じられました。まるで人形のような……何者かに操られている印象を受けました」
『ES能力者』を操る。それを聞いた大場は言葉を失い、傍に座る源次郎へ視線を向けた。
「長谷川中将。機密に該当するのならば回答されなくて結構ですが、他の『ES能力者』を操るようなES能力があるのですか?」
大場は訓練校の校長を務めるが、『ES能力者』ではない。そのため軍の機密に触れるかもしれないと思いつつ、そう尋ねた。
源次郎は記憶を辿り――首を横に振る。
「さて……私も聞いたことがありませんな。そのようなES能力に覚えがありません。可能性があるとすれば、独自技能を持つ者の仕業でしょうな。“北”か“西”か……」
「小官も同意であります。話が前後しますが、第一小隊の護衛として配備した陸戦小隊にも同様の兆候がありました。これは第一小隊の岡島訓練生、武倉訓練生の両名が証言しております」
「ふむ……河原崎訓練生の意見も聞きたいところだが、現在は集中治療室にいるのだったな?」
源次郎は顎に手を当て、思案しながら言う。独自技能を持つ博孝ならば、何か他の意見が出るのではないかと思ったのだ。
「河原崎訓練生および長谷川訓練生は、現在集中治療室で治療を受けております。河原崎訓練生は峠を越しましたが、『構成力』が枯渇寸前のため意識を取り戻しておりません。長谷川訓練生については……まだ、予断を許さぬ状況であります」
「そうか……報告の続きを」
言葉少なく促す源次郎。砂原は頷くと、報告を続ける。
「第一小隊は敵性の『ES能力者』と交戦。相手は以前、河原崎訓練生と岡島訓練生を襲撃した『ES能力者』二名に、追加の二名の人員を加えた一個小隊です」
「相手の練度は?」
「以前の二名のうち一名については、『構成力』の規模が陸戦部隊の平均並み。もう一人は上手く隠れており、測定不能。新たな二名については、訓練生の上位程度の『構成力』でした。“自爆”したのは、この二名になります」
自爆と聞いて、大場が不快そうに顔を歪めた。大場はごく普通の感性を持っており、そのような手段を取ることに賛同できないのだ。
「交戦中、陸戦の小隊のうち三名が現場に到着。しかし、この三名は空戦小隊と同様に何者かに操られていたようで、岡島訓練生を人質に取っています。その際、敵性の『ES能力者』は河原崎妹……河原崎みらいの身柄を要求しています」
みらいの出自を知っている大場は、砂原の言葉を聞いて目を見開く。
「相手の目的は、みらい君の誘拐かね?」
「断言はできかねます。“可能ならば”という程度で、他に目的があったのではないかと小官は見ています」
「他の目的? 砂原君、相手には他の目的があったというのかね? 人工の『ES能力者』を確保するよりも重要な目的があったと?」
大場は信じられないように尋ねる。みらいは人工の『ES能力者』であり、その価値は非常に大きい。人工の『ES能力者』ならば、実験サンプルとして巨額で取引されるだろう。『ES能力者』の数が少ない国にとってみれば、喉から手が出るほどに欲しいはずだ。
「第一小隊の護衛につけていたのは、陸戦部隊から借り受けた一個小隊。つまり、一人足りません。現在も現地で捜索が行われていますが、発見の報告はない状態であります」
砂原がそう言うと、源次郎の瞳が僅かに危険な色を放つ。
「もしも『ES能力者』を操る独自技能があれば、情報も抜き取り放題か……厄介だな。軍曹、その一名の素性は?」
「はっ、丸山清香陸戦少尉であります。ポジションは支援型で、ES能力は四級特殊技能保持者。小隊の指揮を執っておりました」
「少尉か……それなりに機密情報を握っているだろう。まずは、暗号関係の変更を命じておく必要があるな。報告の続きを」
電話やメールで指示を出すのは危険である。そのため、源次郎は砂原の報告を受けた後にすぐさま指示を出そうと決めた。
「はっ。その後、先ほどの二名が自爆を行い、任務地だった山の一つが半壊。この際、第一小隊、第二小隊、第五小隊が爆発に巻き込まれております。その後、第一小隊が新たな敵性の『ES能力者』と遭遇。戦闘に移っております」
「新たな敵性の『ES能力者』? 砂原君、それは第一小隊が最初に戦っていた相手ではないのかね?」
『ES能力者』というのは、数が少ない。大場としては、いくらなんでもそう何度も新たな戦力を投入してくるとは思えなかった。
「違います。新たな敵性の『ES能力者』は、それまで第一小隊が交戦していた者達とは比べ物にならない練度でした。河原崎訓練生、長谷川訓練生が他の隊員を逃がすために足止めを行い、重体に陥っています」
「――相手の素性は?」
源次郎の声が、僅かに低くなる。それを傍で聞いた大場は、体が震えるのを感じた。源次郎から、『武神』から怒りのような感情が伝わり、大場の身を震わせたのだ。
「ラプター、と名乗っていました。所属は天治会で、その練度は……」
対峙したラプターの姿を思い出し、砂原は視線を鋭くした。源次郎に負けず劣らずの怒気を感じて、大場は首を竦める。
「小官とほぼ同等と推察いたします」
「ほう……軍曹と同等の使い手か。天治会がそんな輩まで抱え込んでいるとはな。しかし、ラプターか……」
源次郎は思考に沈み、その名前を頭に叩き込む。ラプターというのは、天治会の中での呼び名だろう。しかし、砂原と同等の実力を持つ者が天治会に所属しているというのは、決して看過できることではない。
天治会は、『ES能力者』によって『天下を治めるための会』という名目で設立したとされている。国に管理されることを拒んだ『ES能力者』や犯罪行為に手を染めた『ES能力者』が所属し、各国でも対応に苦慮していた。もっとも、その戦力に魅力を感じて深いパイプを持つ者が各国に存在するという問題点もある。
「ラプターは、『自分の任務は完了した』とも言っていました。丸山少尉の身柄を得たことが目的なのか、それとも他の目的を指しているのかは不明です。そして、今回の負傷者等についてですが……」
砂原は僅かに表情を緊張させた。それを見て、大場も緊張を顔に浮かべる。
「今回の一件では、軽傷者が十四名、重傷者が八名、重体者が三名。軽傷者には生徒を庇った護衛の『ES能力者』が三名含まれ、重傷者には小官が叩き落とした空戦小隊の者が四名含まれます。近隣に住宅等はなかったため、それ以外の被害は今のところ報告されておりません」
訓練生や傷の程度を考慮しなければ、合計で二十五名の『ES能力者』が負傷している。そのうち、沙織などは未だに峠を越えられていない。
「訓練生だけで言えば、軽傷者十一名、重傷者四名、重体者二名の計十七名が負傷しています」
「そうか……第七十一期生については、当面は授業や訓練は不可能だろうね」
痛ましげに俯き、大場が言う。源次郎は同意するように頷くと、感情が見えない声色で尋ねた。
「死亡者は?」
日本の『ES能力者』を監督する者として、聞いておかなければならない問題。その問いを受けた砂原は、源次郎と同様に感情が見えない声色で答える。
「――死亡者は、二名となっております」
その声は、小さな会議室に反響して消えるのだった。
博孝が目を覚ましたのは、気を失ってから一日が経った後のことだった。
集中治療室での治療が終わり、気を失っている間に移動させられた隣室の治療台の上で目を覚ましたのだ。様々な医療用機材が置かれた治療室を見回すと、静かにため息を吐く。
「あー……訓練校に入校して一年経ってないのに、何回死に掛けてるんだ俺……」
愚痴のように呟くと、それに気づいたのか治療を担当したと思わしき男性が近づいてきた。
「おや、目が覚めたのか。気分はどうだい? 意識ははっきりとしているかな?」
「気分は……なんか、滅茶苦茶だるいです。体が動きません」
「『構成力』が枯渇しかけた影響だろうね。しかし、それだけ喋れるのならもう大丈夫だ」
男性はそう言って朗らかに笑う。それを見た博孝は無事に助かったことに安堵し――その身を一気に起こそうとした。
「そ、そうだ! 沙織は!? 沙織はあだだだだっ!?」
力が入らない体に鞭を打ち、上体を起こそうとした博孝は悲鳴を上げながら治療台の上で悶える。左腕と肋骨から、畳針でも刺したような痛みが響いたのだ。
「おっとっと……無茶はいけないよ。左腕も肋骨もつないだし、内臓の傷も塞いだけど、まだ無理はできない。あと二、三日は安静にしていないと」
「いってぇ……戦闘中なら我慢できるのに、気が抜けていると痛みが激しいっ! 痛みで喜ぶような趣味はないってのに……そ、それで先生、沙織の容態は? 黒髪を腰まで伸ばした、外見と中身のギャップが非常に激しくなった困りモノの女の子なんですけど!?」
全身に伝わる痛みで涙を浮かべつつも、博孝は尋ねた。それを聞いた男性は、苦笑しながら肩を竦める。
「外見はともかく、中身は知らないからなんとも言えないね。でも……」
言葉を区切る男性に、博孝は再度体を起こそうとした。そんな博孝の様子を見て、男性は小さく微笑む。
「安心したまえ、彼女も峠を越えた。『ES能力者』は頑丈だからね。あとは元気になるのを待つだけさ。もう一人も峠を越している」
「そ、そうですか……良かった」
男性の言葉を聞いて、博孝は安堵のため息を吐いた。しかし、気になることがあって首を傾げる。
「あれ? もう一人って?」
「ああ、それは……っと、君の教官が来たようだね」
『構成力』に気付いた男性が扉に目を向けると、ノックの音が響く。通常の人間ならば重体に陥って一日程度しか経っていない患者などは面会謝絶だが、『ES能力者』は異なる。目が覚めさえすれば、戦闘行動でも行わない限り命を落とすことはない。それほどまでに“頑丈”だった。
「失礼する……む、起きたか」
「おお……河原崎君、目が覚めたんだね」
砂原だけでなく、大場の姿もあった。その後ろには里香や恭介、みらいの姿も見える。
「おはようございます教官、大場校長。こんな格好ですいません。またご迷惑をおかけしたようで……っ!?」
砂原と大場に向けて寝たままで頭を下げた博孝だったが、顔を上げて驚愕した。砂原の背後から駆け出したみらいが、眼前に迫っていたのである。
「あ、ちょ、みらい待ってぎゃああああああああぁぁっ!?」
飛びついてきたみらいを受け止めた衝撃と痛みで、博孝は悲鳴を上げた。つながったはずの肋骨が、僅かに軋んだ音を立てる。
「……おにぃちゃん……おにぃちゃんっ」
それでも、みらいを突き放すことなどできなかった。みらいは常の無表情無感情とは異なり、涙を流さんばかりの様子で博孝にしがみ付いている。博孝は指先を動かすことさえ億劫な気分だったが、手を持ち上げてみらいの頭をゆっくりと撫でた。
「心配かけちゃったな……ゴメンな、みらい。でも、もう大丈夫だからなぁ」
痛みを堪えつつ、博孝は優しい声でそう言う。みらいは博孝の胸元に顔を押し付けると、鼻をすするようにすんすんと鳴らした。里香はみらいの行動に驚いたようだが、博孝とみらいの様子を見て安堵したように微笑む。恭介は、どこかバツが悪そうに視線を逸らしていた。
「起きたばかりですまんが、今回の件について“上”から召喚を受けていてな。もう少ししたら出発しないといかんのだ。話せるようなら、任務の状況について報告が欲しい」
恭介の様子に内心で首を傾げた博孝に、砂原が声をかける。博孝はみらいにしがみ付かれたままで疑問符を浮かべた。
「召喚? 報告は構いませんけど……えっと、大丈夫なんですか?」
“上”からの召喚と聞いて、博孝は砂原の身を慮る。砂原は今回の任務での現場監督者であり、現場責任者だった。“上”から詳細な説明を求められており、場合によっては責任を取る必要があるだろう。
「大丈夫だ……などと明言はできん。だが、今回は長谷川中将閣下も参加する。まあ、なんとかなるだろう」
博孝を安心させるためか、砂原は軽い口調で言った。博孝はそれでも不安が尽きなかったが、時間がないようなので手短に報告を開始する。治療に当たっていた男性は、話が機密に触れると判断してすぐに退室した。
「――それで、里香が陸戦部隊の人に捕まったんですよ。でも、相手の様子がおかしくて……多分、操られてたんじゃないかと」
「ふむ……お前もそう思うか」
「ええ。俺の『活性化』だって、他者に影響を与えられるじゃないですか。だから、有り得ないとは言えないんですよね」
博孝の報告は、里香と恭介が行ったものと概ね一緒だった。ただ、ところどころに博孝自身の所感を入れている。
「あと、今回の相手の目的ですけど、みらいの誘拐は“ついで”って感じでしたね。ナイフを振り回してたやつの口振りといい、最後に出てきたやつといい、みらいの身柄にそこまで執着していないように思えました。他に何か目的があったんじゃないでしょうか?」
首を傾げながら博孝が行う報告は、砂原の予想と一致していた。
護衛についた者の中で一番階級が高い者を誘拐し、情報を奪う。それに加えて、敵性『ES能力者』二名の自爆によって可能な限り打撃を与える。この二点が目的では、と予想していた。そして、砂原としては気になることがもう一点ある。
(『ES寄生体』が同時に発生したことは、何らかの実験かもしれん……などとは、訓練生には言えんな)
そんなことを考えるが、砂原は内心だけに留めた。博孝は報告を終えると、疲れを吐き出すように息を吐く。
「それで教官、一つ聞きたいことがあるんですが」
「なんだ?」
博孝は僅かに逡巡すると、視線を彷徨わせる。何度か深呼吸をして自分を落ち着かせると、期待と不安を込めて尋ねた。
「俺達を襲った……いや、操られていた陸戦部隊の三人は……どうなりました?」
最悪でも重傷程度で済んだのではないか。そう自分に言い聞かせて尋ねた博孝だったが、その質問を聞いて表情を変えたのは砂原ではない。里香と恭介が、一瞬だけだが表情を歪ませていた。
二人の表情の変化に、博孝は体温が下がったような感覚を覚えた。砂原はそんな博孝の様子に気づき、『起きたばかりの者に伝えるのもどうかと思うが』と前置きをしてから告げる。
「重体者一名。こちらはすでに峠を越えている。そして……死亡者が二名だ」
それを聞いた時の博孝の反応は、静かなものだった。ただし、表情がなくなり、目を数度瞬かせていたが。
数十秒の沈黙が訪れる。博孝は言葉が聞こえなかったように視線を彷徨わせていたが、やがて、現実を受け入れるようにため息を吐いた。
「……ああ、そうですか……三人のうち、一人しか守れませんでしたか……」
その声は、どうしようもなく震えていた。守りきれなかった悲しみか、自身に対する怒りか、自爆を敢行した敵性『ES能力者』に対する憤りか。様々な感情が混ざり合い、博孝の声を震わせていた。
博孝は、最善と尽くしたと言って良いだろう。自分の身が危険になることを省みず、『活性化』で強化した『盾』を防御に割り振り、その身を守ろうとしたのだから。
もしも防御に手を割かなければ、博孝は負傷することなく敵の自爆を凌げた可能性が高い。もしもそうだったら、ラプターの強襲にももう少しまともな反応ができた――かも、しれない。
そんな“たられば”が脳裏に過ぎるが、博孝にとっては何の慰めにもならない。
普段は底抜けに明るい博孝が漏らした声に、里香も恭介も、砂原さえもかける言葉がなかった。みらいも、博孝の声を聞いて不安そうに眉を寄せている。
「あ、はは……いやぁ、可能な限り手を尽くしたんですけどねぇ。『活性化』を使って『盾』を張って……そう、ですか……駄目だったか……」
強がるように表情を繕う博孝だったが、その表情はすぐに暗いものへと変わる。顔を伏せ、歯を噛み締めながら肩を震わせた。
「駄目……だったか……」
確認するような、小さな呟き。みらいの頭から手をどけ、自身の顔を片手で覆う。
「……そっか……」
囁くような呟きには、震えと――そして、涙の色が混じっていた。