第四十六話:Bloody white day その3
博孝と沙織が戦いを挑んだナイフ使いの男は、博孝の予想に反して二人を相手にしても拮抗の状態を作り出していた。沙織の振るう大太刀を体捌きだけで避け、博孝の放つ光弾は切り払われる。
フェイントをかけ、時折自分の命を晒しつつも、男は沙織と博孝の攻撃を捌き続けていた。
「ハッハッハァッ! いいねぇ! 最高だよお嬢ちゃん! 惚れちまいそうなほど苛烈な攻撃だなぁ!」
それどころか、沙織と切り結んでいる内に笑顔を浮かべてそんなことを言い放つ始末だ。戦いにおける高揚感が男を包み、それが『構成力』にも影響して動きを鋭くする。
沙織は懐に男が踏み込まないよう大太刀を振るうが、男はそれを掻い潜って間合いを詰めようとする。それを見た博孝は男の足を狙って『盾』を発現するが、すぐにそれに気づいて男は後退した。
「おっと、足を引っ掛けようなんざみみっちいぜ! どうした!? お前もこいよ色男! 一緒に殺し合おうぜぇ!」
沙織が接近戦を担当し、博孝がその防御や補助、時には『射撃』による攻撃を行うのだが、男には通じない。戦い、命がかかった状況にこそ本領を発揮するのか、先ほど博孝が戦った時よりも男の動きは激しいものだった。男が放つ言葉も気迫も、先ほどの比ではない。
しかし、沙織も負けてはいない。男の気迫に怯えることもなく立ち向かい、手に持つ大太刀を振るう。男はナイフを交差して大太刀を受け止めると、衝撃を受け流すように後ろに下がってから笑った。
「カカカッ! 本当に良い女だ! 最高だ! 連れて帰りたいぐらいだぜ! なぁ、俺の女になってくれよ!?」
「アンタなんか死んでもお断りよ! 叩き斬ってやるから大人しくしなさい!」
「お、良いねぇ! そそるねぇ! お嬢ちゃんになら斬られるのもいいなぁ!」
沙織の振るう大太刀が視界を掠める度に、男は哄笑する。楽しそうに、愉しそうに、沙織との白刃を交え合う。
「だが、俺は斬られるより切り刻みてぇ! お嬢ちゃんは――イイ声で鳴いてくれそうだ!」
舌なめずりをしつつ、男は執拗に沙織の懐へ飛び込もうとする。それを見た博孝は頭にくるものを感じ、五つの光弾を発現した。
「俺の仲間に色目使ってんじゃねぇ! 目ん玉叩き潰すぞこの野郎!」
「おおっと! 嫉妬か色男!? いいぜぇ、お前もイイ! このお嬢ちゃんを切り刻んだらお前の番だ! それまで待っててくれよ!」
博孝の放った光弾の内三つを切り裂き、残りの二つは紙一重で避ける。男の動きは時を追うごとに鋭敏になっており、博孝は眉を寄せた。
(スロースターターってやつか……これ以上調子に乗らせると、手に負えなくなるぞ)
博孝が手をこまねいていると、沙織も攻撃の苛烈さを増す。男がスロースターターならば、沙織は実戦で成長するタイプだ。男の動きに合わせるように、少しずつ動作が研ぎ澄まされていく。
男は博孝から受けた打撃を気にしていないのか、それとも戦いの中で治療したのか、動きによどみがない。その動きは戦いに慣れたものであり、博孝達よりも高い経験値を蓄積している証拠だ。
ナイフ使いの男の言葉を聞き、沙織の攻撃が苛烈さを増す。
「博孝に色目使ってんじゃないわよ!」
「それは俺に対する嫉妬かい? 嬉しいぜお嬢ちゃん!」
沙織と男の斬り合いは加速し、竜巻同士がぶつかり合うような連撃の応酬に変わる。男は大太刀という間合いの違う得物を相手にしても、二刀のナイフを巧みに操って傷を負うことを許さなかった。
その動きの激しさに、さすがの博孝も援護が難しくなる。立ち位置を入れ替え、刃を交え、一定の場所に留まらない沙織と男を見て、博孝は狙撃手への警戒に意識を向けた。
そして、周囲に意識を向けた博孝の『探知』に、『構成力』が引っ掛かる。いつの間に近づいていたのか、自らの存在を誇示するかのように『構成力』を発現していた。その数は三つであり、思わず舌打ちを零す。
「沙織はそのままソイツを押さえこんでくれ! 恭介、みらいは周囲を警戒! 里香は気絶している二人を見張れ! 何かくるぞ!」
博孝が指示を出すと同時に、森の陰から複数の人影が姿を見せた。それを見た博孝は敵の増援かと警戒するが、その姿を見て僅かに安堵する。
姿を見せたのは、戦闘服を着た男達だった。その胸には陸戦部隊の所属であることを示す正方形のバッジをつけており、赤色に輝いている。色から察して四級特殊技能を操る『ES能力者』であり、砂原が手配した護衛であることが窺えた。
増援は増援でも、博孝達に対する増援だったようだ。男達は三人一組になり、里香達のもとへと駆け寄ってくる。
「これでそっちの勝ち目はなくなったわ。大人しく捕まりなさい」
こちらに向かってくる男達の姿を見て、沙織が告げる。沙織も駆けつけてくる男達の所属を悟っており、それを見たナイフ使いの男は、不満そうに沙織を見た。
「ちっ……これで“おしまい”か。あーあ、残念だぜ。このままお嬢ちゃんと、心行くまま斬り合いたかったんだがなぁ」
ナイフを持った男は、肩を竦めて殊勝なことを言う。沙織は男の様子を訝しく思うが、油断はしない。虚を突いてくる可能性もあった。そのため、大太刀を向けたままで様子を窺う。
里香や恭介は、陸戦部隊の戦闘服を着た男達が近づいてくるのを見て安堵の表情を浮かべる。駆け付けた『ES能力者』の数は三人だが、正規部隊の『ES能力者』ならば心強い。沙織がこれまで戦っていたナイフ使いの男も、これで拿捕することが可能だろう。
だが、博孝の思考は警戒を告げていた。
――何故、このタイミングで彼らが現れたのか。
それが、どうしても引っかかる。ナイフ使いの男達と戦闘を始めて、すでに十分近くが経過していた。第一小隊だけで対処ができると判断したため、様子を見ていたのだろうか。
(でも、そうなるとこのタイミングで出てくる理由がない……)
沙織とナイフ使いの男の戦いは一進一退の様相だったが、目立って不利ということはなかった。第一小隊だけで対応できると判断したのなら、彼らが姿を見せるのはもっと危機的な状況に陥ってからだろう。
そもそも、敵性の『ES能力者』と戦っている時点で訓練生が行う任務の範疇を超えている。このタイミングで登場するには、理由がない。
男達は博孝と沙織を避けるように、離れた場所にいる里香達に向かっていく。戦闘力が低い者を守ることを優先しているのか、それとも別の理由があるのか。
里香は安堵し、恭介も僅かに肩の力を抜き――みらいは、眉を寄せて男達を見ている。
博孝は救援に駆け付けた男達の様子を、その表情を見て、全身に悪寒が走るのを感じた。まるで能面のように、人としての感情が見えない顔だったのである。
「っ!? 三人とも逃げろ!」
叫びつつ、博孝は駆け出す。その声を聞いた恭介は、先ほどから博孝に叱咤されていた影響か咄嗟に反応してその場を離脱。みらいも、博孝の声を聞いてその場から跳躍した。里香も博孝の声に反応してその場を離脱し――途中で腕を掴まれ、地面に引き倒される。
「あぅっ!?」
「里香!」
「岡島さん!」
駆け付けた男達の内、一人は里香の腕を捻り上げてから地面に引き倒して拘束。もう一人は宙に光弾を発現すると、それを里香の頭上に固定した。残った一人は、みらいを捕らえようと手を伸ばす。
「……んっ、じゃまっ」
地面に組み伏せられた里香を見たみらいは僅かに怒りの感情を見せ、右手に『固形化』で一メートル程度の棒を発現。そして自身を捕らえに来た男に殴りかかる。みらいを捕らえようとした男は防御をしたものの、みらいの外見に見合わぬ膂力に押され、大きく後退した。
恭介は博孝のもとへと駆け寄り、表情に困惑の色を浮かべる。
「な、何が起きてるっすか!?」
説明を求めるような声。しかし、博孝にはそれに答えることができない。
「今回の任務では、密かに一個小隊が護衛についていた……はず、なんだけどな。なんだって敵に手を貸すような真似を……みらい、戻ってこい!」
博孝が指示を出すと、みらいは不満そうにしながらも博孝のもとへと駆け付ける。博孝は恭介やみらいと共に三人の男と対峙するが、向こうには里香が捕らわれていた。迂闊に手出しはできない。
「というわけで……これで“おしまい”だ。ああ、抵抗するのは大歓迎だぞ。俺ももう少し斬り合いを楽しみてぇ。まあ、その前にそっちの嬢ちゃんの頭が柘榴みたいに弾けるけどな」
ナイフ使いの男が言うと、里香の頭上で僅かに光弾が揺れる。里香は支援型のため、『防殻』では防ぎきれないだろう。かといって博孝が『盾』で防いでも、里香を押さえている男と光弾を維持する男は別だ。別の方法で里香が殺傷される。
(どうする……どうする!?)
博孝は第一小隊の小隊長であり、この場での決断が求められた。沙織はナイフ使いの男と対峙しているものの、里香が捕らわれたことに動揺している。
「抵抗しないなら、下手な動きはするんじゃねえぞ。まずは……そうだな、お前ら後ろに下がれ」
ナイフ使いの男は、愉しそうに笑いながら命令する。それを聞いた博孝達は、歯を噛み締めながらも後ろに下がった。その間にナイフ使いの男はゆっくりと移動し、沙織が気絶させた二人に近づく。
「おら、テメーらもいつまでも寝てんじゃねえよ。ったく、役に立たねえなぁ……“最期”ぐらい役に立てよ」
乱暴に蹴り飛ばすと、気絶していた男二人も目を覚ました。両手両足のタオルの拘束を引きちぎると、ゆっくりと立ち上がる。そして、博孝達が下がったことで合流できた沙織に視線を向けた。
「いてて……班長、あの女だけは俺にくれませんかね?」
「ああん? 最期だからって盛ってんじゃねえぞ? 先に逝っちまうか?」
「……すいません」
博孝には理解できないやり取り。それでも、決して良い結果をもたらすものではないことが窺えた。
「……博孝、どうするの?」
博孝達と合流した沙織が、小声で呟く。それを聞いた博孝は、歯を噛み締めながら渋面を作った。
「狙撃手を入れたら、これで相手は七人だ……普通に戦っても勝てる見込みが少ない。その上、里香が捕まってる。迂闊には動けない」
拳を握りしめて、博孝は言う。里香の様子を確認すると、地面に押し倒された時に眼鏡が外れ、里香から離れたところに落ちていた。腕を捻られ、苦痛に表情を歪めてもいる。
(落ち着け……落ち着け俺。焦るな、怒るな……)
里香の背中に馬乗りになり、腕を捻り上げている男に博孝は怒りを覚えた。しかし、それと同時に疑問を覚える。
(目に……力がない? なんだ、あの目は……)
救援に駆け付けたと思った男達は、全員がその目から意思の光を失っていた。まるで人形のような様相で、里香を押さえこんでいる。
(人形みたいな……いや、まさか……相手を操るようなES能力があるのか!?)
博孝は、砂原が思い浮かべたものと同様の予測を弾き出す。砂原はその経験から看破したが、博孝は自身も他者に影響を与える独自技能を持つが故の発想だった。
(まずい……これは本当にまずい。教官が言ってた“上”の連中の仕業か? それとも別口? くそっ、情報が足りねぇ……)
少しでも情報を整理しようと思考を巡らせる博孝の耳に、遠く離れた場所から“何か”が激突するような音が響く。その音は秒が経つごとに位置を変え、激しい戦闘が行われていることを窺わせた。
(空中戦闘? 教官か? まさか、空戦小隊も同じように操られているのか?)
異変を悟った砂原が救援に赴いているのだろうか。それとも、それ以外の戦闘音か。砂原ならば時間をかけても必ず救援に駆けつけてくれるだろうが、博孝達の置かれた状況は時間がかけられるものではない。
「……お前らの要求はなんだ? なんで俺達を襲った?」
博孝に可能なことといえば、相手の要求を引き出すこと。そして、少しでも時間を稼ぎ、砂原が駆けつけるのを待つことだ。そう思い、博孝は“交渉”を開始する。
「んん? 要求? 理由? あー……そうだな。そうだった。いやいや、あんまりお嬢ちゃんと坊主が“できる”から、ついつい羽目を外しちまったよ」
博孝の言葉を聞き、ナイフ使いの男がニヤニヤと笑う。目的もなくこれほど大掛かりな仕掛けを施すとは思えず、博孝はどんな要求があるのかと身構える。
男達と博孝達の間には、二十メートル近い距離が開いていた。沙織でも一足飛びでは詰められない距離である。里香を救うためには、他の手段が必要だろう。
「そこの銀髪のちっこい嬢ちゃん。お前さんがこっちに来れば、この眼鏡の嬢ちゃん……ああ、眼鏡がどっかいっちまってるな。ま、この嬢ちゃんは解放しよう」
その要求に、博孝はある程度の納得をした。砂原が危惧した通り、みらいを狙う勢力による犯行だったようだ。しかし、博孝の身柄に関する要求がない点を考えると、博孝の情報はそれほど洩れていないのかもしれない。
博孝がどうにか話の引き伸ばしをできないかと思考を巡らせると、ナイフ使いの男は笑みを深めて博孝を見る。
「上空にはこわーいお兄さんがいるし、あんまり時間をかけられねえ。早く決断しな。迷うようなら――その間にこの嬢ちゃんで遊ぼうか」
ナイフ使いの男が言うと、それまで里香を拘束していた男が里香の上から退き、里香を無理矢理立たせる。
「さてさて、ど、こ、に、し、よ、う、か、な?」
里香の体を適当に指をさし、ナイフ使いの男は凄惨な笑みを浮かべた。間近で男の笑みを見た里香は、顔面を蒼白にする。その体は震え、里香を拘束する男がいなければそのまま倒れ込んでしまいそうだった。男は里香の左半身、肋骨の下で指を止めると、ナイフを構える。
「よし、それじゃあ左の腎臓からいってみようか。良かったな、腎臓は二個あるから一個なくなっても平気だ」
そう言うなり、男はナイフを里香の体に突き立て――博孝が発現した『盾』に、その刃先をめり込ませる。距離が離れていた上に時間がなかったため、『活性化』を使って強度を底上げしたが、『盾』はその凶刃を防ぎ切った。
「待て! 待ってくれ! 人質ってのは、無事だからこそ意味があるものだろ!? 里香に手を出すな!」
「おいおい、せっかく良いところだってのによ。ああ、内臓はお気に召さない? それなら仕方ねぇ、剥いちまうか。こっちの嬢ちゃんは貧相な体つきだから、剥くなら黒髪の嬢ちゃんの方が良いんだけどなぁ」
博孝が焦りの声を上げると、男はますます笑みを深める。
「それと坊主、人質ってのは無事だから意味があるんじゃねえ。“生きてる”から意味があるんだ。死ななきゃどうとでもなるだろ? ああ、それでも次勝手に動いたら、その時はこの嬢ちゃんの頭を吹き飛ばすからな。そのあとは楽しい楽しい鬼ごっこだ」
男の笑みを見て、博孝は理屈と常識が通じる相手ではないと感じた。笑顔で楽しみながら殺し合いに臨めるような男なのだ。そのことを実感し、博孝は焦りの感情を強くする。
時間はない。だが、みらいを差し出すわけにもいかない。そもそも、みらいを引き渡しても里香を解放するとは限らない。
冷徹に考えるならば、ここは里香を犠牲にしてでも退くべきだろう。みらいは人工の『ES能力者』であり、その“価値”は非常に高い。訓練生一人と比べれば、その身柄の重要さは到底釣り合うものではなかった。
この交渉を打ち切り、沙織と博孝が死力を尽くして血路を開けば、四人で脱出できる可能性が高い。大多数が生き残るには、そうするべきだろう。
時間を稼ぐほど砂原が救援に来る可能性が高まるが、それはあくまで可能性でしかない。
要求に従う振りをして、相手の油断を誘って全力で不意打ちを実行。里香を見捨て、相手が混乱している間に脱出。
――そんな判断ができれば、どれだけ楽だったか。
砂原のような強さが、その身の速さが、ES能力の多彩さがあれば、こんな状況でも打破できるのだろう。しかし、博孝はそれらを持ち得ない。仲間達も、それらを持ち得ない。
沙織は今にも飛び出しそうなのを、博孝の手で制される。みらいは怒りの感情を僅かに見せつつ、ナイフ使いの男を見ている。恭介はこの事態を前に、何かできないかと必死に思考する。
苦悶する博孝達を見て、ナイフ使いの男は嗜虐的に笑う。配下の男二人も、どこか楽しげだ。
それを見た博孝は――決断を下した。
『里香』
博孝は相手に悟られないようゆっくりと腰を落としつつ、里香に語りかける。
『ひ……ひろ、たかくん』
里香の声は震えていた。今にも涙が溢れそうな、怯えの混じった声だった。博孝はその声を聞き、これから自分が話す言葉の残酷さを感じて嫌な気分になる。
『今の状況は正直手詰まりだ。みらいを引き渡しても、里香が解放されるとは限らない。そうなると、俺は小隊長として多くの人員が助かる選択をしないといけなくなる』
『……う、うん』
里香も同じことを考えていたのか、比較的冷静な声が返ってきた。しかし、狂気を感じさせる男に命を握られている状況に、その精神は限界が近い。博孝はそれを悟り、大きく息を吐く。
『だから、一つだけ聞かせてくれ』
このままでは、里香を犠牲にして逃げ出すしかない。一年近くを共に過ごした里香を見殺しにして、尻尾を巻いて逃げるしかない。多くの人間を救うための、少数の犠牲だ。仕方がない。そう、仕方がないのだ。
小隊長としてそう判断し――河原崎博孝という“一人の人間”は、それを否定した。
博孝がこれから行おうと考えているのは、小隊長としては確実に間違っていることだ。部下一人を切り捨て、残りの部下を生還させる可能性を減じる、間違った手だ。だが、部下を――仲間を、里香を切り捨ててこの場から逃げ出すなど、博孝には選択ができなかった。
私情に流されたと笑われるのなら、それでも良い。指をさされ、糾弾されるというのなら甘んじて受け入れる。
博孝は、迷いを捨てて真摯な声で尋ねた。
『俺に――命を預けてくれるか?』
『……え?』
博孝の言葉に、里香は理解できないような声を漏らす。
「おい、『通話』を使うんじゃねえよ。勝手に動くなっつっただろ」
距離が離れているため、『通話』に使う『構成力』を感じ取ったのだろう。ナイフ使いの男が、眉を寄せて言う。それを聞いた博孝は、小さく苦笑した。
「この状態じゃ、できることはないだろ? 最期に言葉を交わすぐらい、許してくれよ」
「あん? あー、なるほどな。そいつは気が利かなくて悪かったな坊主。こっちの嬢ちゃんはお前の“コレ”か」
そう言って、ナイフ使いの男は小指を立ててみせる。博孝はそれに肯定も否定もしなかったが、男は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「カカカッ、そいつを聞いたらやる気が出てきたぜ。あまりそそらなかったが、以前くらった腹の傷の意趣返しといこうか。剥いて、犯して、バラして、晒して――」
「そういえば、大事な約束があったな」
男の言葉を遮り、博孝は世間話のように話し始める。男はそんな博孝の様子に、虚を突かれた。絶望的な状況を前に、気が狂ったのかと怪訝に思う。
「今度、手料理を食べさせてくれるって話だった。あー、いかんいかん。俺としたことが、こんな大事な約束を忘れるなんてな」
突然の博孝の話に、敵どころか味方も不思議そうな顔をした。
ただ一人――里香だけは、博孝の言葉に目を見開く。それと同時に、里香は気付いた。博孝は、里香のことを諦めてなどいない。“何か”を行うために、場の空気を乱しているのだと。
「……何の話をしてやがる」
ナイフ使いの男は、博孝の話が理解できない。気の弱い者が戦場に出た際、精神が崩壊してしまうことがある。それでも、それほど精神が弱いようには見えなかったが、と思った。
博孝は自身の“内部”で着々と準備を進める。あとは――里香が博孝を信じてくれるかどうかだ。
博孝から視線を向けられ、里香は内心で思う。博孝が、この状況を打破しようとしている。それならば、里香にできることは一つだけだ。
博孝には、これまで二回も命を助けられている。初めての任務の時も、ナイフ使いの男と初めて戦った時も、博孝は命がけで、身を呈して里香を助けた。
だから、里香は頷いた。迷いもなく、博孝に命を預けるべく頷いた。
頷く里香を見て、博孝は獰猛に笑う。そして全力で『活性化』を発現し、その体に薄緑色の『構成力』を纏う。
「っ!? その『構成力』の色は――独自技能だと!?」
ナイフ使いの男や、その配下の二人の男も驚愕に目を見開く。博孝が突如発現した『構成力』の光は激しく、博孝の心情を表すかのように大きく揺らめいた。
――そして、その一瞬の驚愕こそがチャンスだった。
博孝の体が、その場から消え失せる。博孝が取った行動を察して、沙織も地を蹴る。
博孝が行ったのは、四級特殊技能の『瞬速』だ。その瞬間的な加速は、並の『ES能力者』では反応もできない高速移動技能である。
これまで、博孝は一度も『瞬速』を成功したことがない。移動速度の速さに足を取られるか、最後の着地に失敗して地面を転がってばかりだった。この局面で失敗すれば、それだけで命取りとなる。
だが、博孝は『瞬速』の実行に踏み切った。可能性としては、かなり低い。それでも、その可能性を乗り越えれば“五人”で脱出することも可能なのだ。
(だったら――迷わねぇ!)
普段『瞬速』を発現する際は、薄緑色の『構成力』を隠すために他のES能力と一緒に発現していた。だが、それは二種類のES能力を同時に発現した上で『瞬速』を行うということである。
少しでも成功率を高めるために、博孝は『防殻』すら発現しない。純粋に、全力で『活性化』のみを行って決行した『瞬速』だった。
博孝の移動に合わせて、落ち葉が舞い上がる。二十メートルという距離を、一瞬で踏破する。
驚愕の表情を浮かべていたナイフ使いの男の傍を通り、その配下の男達の傍を通り、里香のすぐ傍で制動。瞬間的な移動で発生した運動エネルギーを渾身の踏み込みで相殺し、地面を陥没させながらブレーキをかけ、里香の腕を掴んでいた陸戦部隊の男を全力で殴り飛ばす。そして、すぐさま里香を抱き寄せつつ、光弾を浮かべていた男に回し蹴りを叩き込んだ。
「消え――なっ、テメェ!」
ナイフ使いの男が真っ先に反応し、振り向きざまに博孝へとナイフを繰り出す。博孝は再度『瞬速』を発現すると、ナイフの軌道から逃れて一気に距離を取った。今度は、失敗しても問題はない。博孝が動くと同時に飛び出した沙織が、博孝達を追撃しようとしたナイフ使いの男に怒りの形相で斬りかかっている。
「っ! とっ! あだっ!?」
里香を抱きしめたままで『瞬速』を発現した博孝は、距離を取ることには成功したものの着地には失敗。数回地面をバウンドし、大きく距離を離したところで動きを止める。
「あいたたた……最後の脱出まで着地が上手くいったら最高だったんだけど……」
そう呟きつつ、博孝は身を起こす。そして、抱きかかえたまま脱出した里香に怪我がないことを悟ると、安堵したように笑みを浮かべた。
「怪我がなくて良かった……ありがとうな、里香。命を預けてくれて」
「ううん、わたしの方こそ……助けてくれてありがとう、博孝君」
博孝の言葉を聞き、里香ははにかんだように微笑んだ。しかし、すぐにその表情を曇らせる。
「で、でも……これで博孝君の独自技能が……」
「バレただろうねぇ……でもまぁ、もともと情報が流出しかけてたんだ。切れるカードの中で、一番効果的なカードを切っただけだよ。その配当で里香が救えたんなら、大儲けさ」
言いつつ、博孝は自分の足で立ち上がった。全力で『活性化』を発現したため僅かに体がだるいが、動けないほどではない。これも、普段みらい相手に『活性化』を行っていた賜物だろう。
博孝が視線を向けた先では、沙織とナイフ使いの男が戦闘を再開している。だが、他の男達の動きが妙だった。
距離を開けた博孝の追撃に移るでもなく、みらいの奪取に向かうわけでもない。ナイフ使いの配下の男二人は、一定の距離を開けて目を閉じている。
「……なんだ?」
それを見て、博孝は眉を寄せた。博孝が殴り、蹴り飛ばした陸戦部隊の人間は動かない。もう一人陸戦部隊の人間がいたが、こちらは完全に棒立ちしている。陸戦部隊の三人は『防殻』も発現せずに、その場で待機するだけだ。
博孝は周囲を警戒しつつ、『探知』を発現し――その“異常”に気付いた。
ナイフ使いの男の配下二人から感じる『構成力』が、それまでとは比べ物にならないほど増大している。時間を追うごとにその規模を増大させ、まるで風船のように膨らんでいく。
かつて、博孝は似たような状況に遭遇したことがあった。それは――。
「おい……まさか、自爆する気か?」
震える声で、博孝は呟く。『探知』で感じる『構成力』は、みらいが『構成力』の暴走を引き起こした時と似ている。ナイフ使いの男が連れていた配下二人は、“自分で”暴走を引き起こしていた。
「っ! 正気かてめぇ! 部下を切り捨てんのか!?」
事態に気付き、博孝は糾弾の声を上げる。それを聞いたナイフ使いの男は、沙織と切り結びながら楽しげに笑った。
「“最低限”の仕事はこなすってだけだ。あと、こいつらは部下じゃねえ。ただの駒だ」
残酷に、酷薄に、男が告げる。それを聞いた沙織は非常に不快なものを感じて、攻撃の手を激しくした。
「『ES能力者』二人分の自爆だ。ヒヒッ、さぞかし派手になるだろうよ」
沙織の攻撃をいなし、男は笑いながら手に持ったナイフを投げつける。手から離れても消滅しないナイフに沙織は僅かに驚くが、大太刀で弾き飛ばした。
「まぁ、“次回”があったらまた遊ぼうや」
それだけを言い残し、ナイフ使いの男は走り出す。沙織は咄嗟にそれを追おうとしたが、森の隙間を縫って飛来する光弾に気付いて慌てて回避した。
『探知』で感じ取る『構成力』は、すでに破裂しそうなほどに膨れ上がっている。それを悟った博孝は、この場からの避難が不可能だと判断した。
博孝は記憶を手繰り、かつてみらいが『構成力』の暴走を引き起こした時、砂原が言っていたことを思い出す。
(『ES能力者』なら、爆発に巻き込まれても死なない……でも、それは防御を固めていたらって話だ)
そう思考する博孝の視線の先には、『防殻』すら発現せずに棒立ちする陸戦部隊の三人がいた。至近距離で爆発に巻き込まれれば、無事では済むまい。純粋な敵なら見捨てるのも手だったが、何者かに操られていた可能性があるのなら極力助けたかった。
だが、三人を回収する時間的な余裕は――絶望的なまでにない。
自爆を行おうとしている男二人の『構成力』が、それを肯定するようさらに膨れ上がる。残された時間は、五秒もない。『瞬速』を使って回収するにも、陸戦部隊の三人は距離を開けている。『瞬速』が成功する保証もなく、誰一人として回収できる保証もない。
それでも、博孝は足掻く。陸戦部隊の三人を守るために、『活性化』を行いつつ『盾』を発現。博孝が同時に発現可能な『盾』の枚数は、『活性化』を併用すれば七枚が限度だ。それを二枚重ねで陸戦部隊の三人の前面に配置し、少しでも自爆の威力を防ごうとする。
「沙織は『防壁』で恭介とみらいを守れ! 恭介は『盾』! みらい、里香は『防殻』を張って耐えろ!」
この場にいる全員の位置関係を見て、博孝は叫ぶ。それと同時に里香を地面に押し倒し、その上に覆いかぶさる。そして発現可能な『盾』の限界である七枚目を発現し、自分達の身を守るように展開した。
そして爆発の瞬間が訪れる。眩い白い光と共に、『構成力』による爆発が発生する。
――この日、その爆発によって山の半分が消滅することとなった。