第四十話:来訪
その日、訓練校の正門を管理していた兵士は非常に困惑した表情を浮かべることとなった。
目の前には黒塗りの要人警護用車両が止まっており、その後部座席に乗る人物が困惑の原因である。車を運転する人物に身分証と訓練校への入所許可証を提示されても、にわかに信じがたい。
手続きを行う兵士は、失礼と思いつつも職務のため質問した。
「職務につき、確認させていただきます……訓練校への来訪理由は?」
「なに、近くを通りかかってな。折角だから、訓練校の様子を見ておきたいと思っただけだ」
そう言って、後部座席に乗っていた人物――『武神』長谷川源次郎は、僅かに細めた瞳を訓練校へ向ける。それを聞いた兵士は、源次郎の孫が入校していたことを思い出した。
どの道、源次郎は日本の『ES能力者』を統括する存在だ。身分証や入所許可証も本物である以上、止めることはできない。
兵士は正門を通って訓練校の敷地内へ進んでいく車を見送り、ため息を吐くように呟いた。
「突然『武神』が来るなんて……何かあったのか?」
その呟きに答えることができる者は、いなかった。
翌日、博孝の切実な願いも虚しく、昨晩の “喧嘩”の件が砂原に発覚した。
朝食時に食堂に顔を見せ、砂原は血が抜けて体をふらつかせる博孝を見て目を細める。そして博孝の傍まで歩み寄り、感情の見えない声で呟いたのだ。
「グラウンドのところどころに凹凸が発生しているのだが……河原崎兄は何か知らないか?」
「うえっ!? きょ、局地的に巨大な雹でも降ってきたんじゃないですかね!?」
前フリもなしに言われたため、挙動不審な様子で答えた。大量に血が抜け、頭の巡りが非常に悪いのである。そんな博孝の様子に、砂原は淡々と言う。
「昨晩は快晴だったが?」
「い、隕石とか……」
目を逸らし、しどろもどろになって答える博孝。砂原はそんな博孝を見て、小さく鼻を鳴らすと目つきを鋭くする。
「……血の臭いがするな」
「えええぇっ!? どんな嗅覚ですか!? ちゃんとシャワー浴びたのに! ……って、しまった!」
気のせいでは、ととぼければ良かったと博孝は後悔する。だが、砂原はそんな博孝に対して淡々と告げる。
「上半身から血の臭いがするぞ。かなりの出血量だったようだな。肩から脇腹にかけて斬られれば、それぐらいの血が出そうだが」
「うわっ、こえぇっ!? 正確すぎて怖い!」
自分の血の臭いがついたため、博孝は念入りにシャワーで洗い流していた。事実、起きたみらいなどには何も言われていない。僅かに不思議そうな顔をしたものの、今は博孝の隣で朝食として何を食べようかと悩んでいる。
「さて……河原崎兄は教官室に来い」
「……了解です。みらい、先に朝ごはんを食べといてくれ」
「……ん」
博孝の言葉を聞き、どこか不満そうながらもみらいは頷く。
昨晩博孝は自分が『射撃』で穴を開けたグラウンドの隠蔽工作を行ったのだが、疲労から隠蔽が甘くなっていたようだ。里香や恭介が手伝いを申し出てくれたものの、それは申し訳なさ過ぎて謝絶している。
沙織は連帯責任として巻き込んだのだが、何か思うところがあったのか上の空だったため、結局は役に立たなかった。
砂原に連れられて教官室に入ると、博孝は思わず頭を抱えてしまう。何故なら、教官室には第一小隊のメンバーが全員揃っていたからだ。どうやら、砂原は昨晩に何が起きたかを理解しているらしい。
「何故この場に集められたか……わかるな?」
そして、砂原は博孝達を見回してそう言う。それを聞いた博孝は、半分諦めつつも尋ねた。
「グラウンドの整備……もっとちゃんとしておけば良かったですかね?」
「そうだな。破壊痕を隠しきれていなかったぞ」
肯定する砂原に、博孝は肩を落とす。今更言っても始まらないが、恭介達の好意に甘えておけば良かったかと後悔する。
「野口伍長からも報告があった。夜間に“誰か”が行き過ぎた訓練を行っている、とな」
次いで、砂原から告げられた名前に博孝はため息を吐いた。“誰か”とぼかしている辺りに野口の配慮を感じるが、それでも報告だけはしなければならなかったのだろう。
「河原崎、お前は『活性化』を使ったそうだな。それも目撃されていたぞ。伍長の他にも数名、目撃者がいる」
「あー……それは、その……申し訳ないです」
沙織と戦う際に、博孝は『活性化』を隠すことなく使っていた。他のES能力と併用する際は気付かれないのだが、『瞬速』を使う際にはそこまで考えが回らずに『活性化』を使ってしまったのだ。
「伍長や他の者には口止めをしてある。他に目撃者がいないかは現在調査中だ」
日付が変わる時間とはいえ、まだ起きていた者もいるだろう。里香のように、博孝と沙織が戦っていたところを見た者がいないとは限らない。また、訓練校の警備を行う者などは気付いてもおかしくなかった。短時間とはいえ、『ES能力者』が全力でぶつかり合っていたのだから。
「さて、その上で尋ねよう。昨晩は何をしていた?」
砂原は椅子に座らず、横一列に並んだ博孝達の顔を見渡しながら問う。恭介や里香を巻き込んだことを申し訳なく思いつつ、博孝は口を開いた。
「喧嘩です。俺と長谷川で、ちょっと派手に喧嘩しました」
「ほう……喧嘩か」
隠しきれるとは思えず、博孝は白状する。自主訓練として組手を行い、その延長で傷を負ったと言い張るには、使ったES能力の規模が大きすぎた。もっとも、事実を多少歪曲しているが。
それを聞いた砂原は目を細め、沙織を見た。
「長谷川、河原崎だけではなく、お前からも血の臭いがするぞ。人を斬った者特有の、酷い臭いだ。喧嘩程度の争いでつく臭いではない」
砂原がそう言うと、沙織は表情を強張らせる。博孝には何も感じ取れないが、砂原が言うからには間違いはないのだろう。博孝は沙織を庇うように一歩前に出ると、砂原の視線を遮る。
「いえ、昨晩は喧嘩をしただけです。喧嘩の範疇から逸脱はしていません」
事実をありのままに話せば、砂原がどう出るかわからない。ただでさえ、沙織は初任務の際に命令違反をしているのだ。あの時は沙織に対する裁量権が博孝に譲られたため大事には至らなかったが、今回はそうはいかないだろう。
博孝の言葉を聞いた恭介は怒りに眉を寄せて口を開こうとするが、気配でそれを察した博孝は手で制する。砂原はそんな博孝の様子をじっと見ていたが、ため息を吐くように呟く。
「なるほど。喧嘩をしたということは、私闘禁止の命令を破ったということだな?」
「はい。その通りです。申し訳ございません」
博孝は以前、砂原から私闘を禁止すると言い渡されている。博孝はそれを破った――と、眼前の問題に対するすり替えを行う。
「命令に逆らうということが、どういうことかはわかっているんだな?」
「わかっています。例えここが普通の学校でも、喧嘩をすれば罰せられますからね」
どんな罰になるか、博孝はわからない。それでも、博孝は砂原の言葉を待つ。
「そうか……それでは、罰を言い渡さなければならないな」
博孝の態度に、砂原一つ頷く。それを見た恭介と、事の成り行きを見守っていた里香は、さすがにまずいと思って動こうとした。
「――と、俺が言うと思うか?」
だが、砂原が怒気のこもった目つきに変わったのを見て、動きを止める。熟練の『ES能力者』が発する怒気を前に、呼吸すら止まるようだった。
「今回の件については、どう見てもお前が被害者で長谷川が加害者だ。一目見れば、その程度はわかる」
教官室に呼んだ時点で、砂原は昨晩の件について全容を掴んでいたのだろう。
そんな砂原を前にしても、博孝は引かない。さすがに冷や汗が浮かんでいるが、毅然とした態度で頭を下げる。
「虚偽の報告をして申し訳ございません。しかし、小隊員の不始末は小隊長の責任です。俺が売られた喧嘩を買わなければ、今回のこともなかったはずです」
博孝がそう言うと、今度は沙織が何かを言おうと口を開く。しかし、それを察した博孝は手で制すると、砂原を真っ向から見返した。
「つまり、今回の件は俺に責任があります。教官、罰するなら長谷川ではなく、虚偽の報告も含めて俺が罰せられるべきかと」
そう言って、博孝は頭を下げる。最初に虚偽の報告をしたのも、このためだ。沙織に向けられるであろう罰則を、少しでも負担できればと思っての小細工である。
「たしかにお前は小隊長だ。しかし、任務中でもなく、お前は長谷川に斬られた……いわば、被害者だ。そのお前が責任を取るというのか?」
「長谷川が抱えている問題を放置したという点では、責任があるかと」
「それを言うと、俺には生徒の監督責任が出るわけだがな」
「それは……」
博孝は、思わず言葉に詰まった。たしかに、砂原には生徒達を監督する義務がある。今回の件も、下手をすれば責任を問われかねないだろう。目撃者は少ないが、独自技能保持者である博孝の情報が漏えいする危険性が増大したのだから。
博孝と砂原は真っ向から視線をぶつけ合う。だが、博孝は自分の言葉に理がないことを悟っていた。小隊長として沙織を庇おうとしても、ここは訓練校だ。正規部隊や任務中ならばともかく、日常生活を送っている最中に部下が仕出かした失態の責任が発生することもない。それを理解する博孝は、下を向いて唇を噛む。
「それなら……せめて、罰を与えるのは俺と長谷川の二人だけにしてください。里香と恭介は、まったく関係ありません」
「話をすり替えようとするな。岡島と武倉は事情を聴くために呼んだだけで、最初から罰するつもりはない。そして、それは被害者であるお前も同様だ」
博孝の口車にも、砂原は全く乗らない。砂原は必死に沙織を庇おうとする博孝を見て、眉の皺を深くした。
「お前は斬られた側だろう。何故そこまで庇う?」
小隊長だからという理由は、使えない。それは先ほど否定されたばかりだ。故に、博孝は顔を上げて砂原を真っ直ぐに見る。
「仲間だからです。仲間だから、庇いもすれば助けもします」
「その仲間に斬られたんだぞ? それに、何事に対しても庇おうとするのは、仲間ではない。それは仲間ではなく、単なる保護者だ」
違う方向から庇おうとしても、切って捨てられる。それでも、博孝はめげずに言い募った。
「人間、誰しもが聖人君子ってわけじゃないですよ。腹の立つことがあれば、それをぶつけたくなることもある。今回は、それが悪い方向に転がっただけです」
「悪い方向に転がれば、仲間を斬るのか?」
砂原が冷たく言い放つ。そして、今度は里香と恭介に視線を向けた。
「岡島、武倉。お前達の意見を言え」
二人は話を振られると、互いに顔を見合わせる。だが、恭介はすぐに答えた。
「俺は全面的に長谷川が悪いと思うっす。今回の件では、博孝は長谷川に襲われただけっすよ」
さすがにこの場での『沙織っち』呼びは控えたのか、恭介は不機嫌な様子で答える。
「ふむ……岡島は?」
「さ、さすがに、今回の件は度が過ぎていると……」
「河原崎の傷を塞いだのはお前だな? それを踏まえた所感を言ってみろ」
「え、と……」
里香は、少しだけ博孝の方へ視線を向けた。それに気づいた博孝は、懇願するように瞳を揺らす。里香はそんな博孝の様子に気づいたものの、小さく首を横に振った。
「致命傷ではなかったと思います……けど、その、喧嘩と言うには……」
「度が過ぎていた、と。さて、河原崎。これでもお前は長谷川を庇えるのか?」
見るというよりは、睨むと形容すべき眼差しで砂原が博孝を見据えた。博孝は歯を噛み締め、必死に思考を回転させる。
多少なりといえど、沙織が“変われる”かもしれないのだ。ここまでくれば、最後まで庇い通して大団円といきたかった。
「…………」
だが、言葉が出ない。
直接戦った博孝は沙織の心情を一番理解しているだろうが、だからといって効果的な説得ができるはずもなかった。
客観的に見るならば、沙織は私情で博孝に戦いを挑み、結果的に博孝に重傷を負わせている。いくら博孝が気にしないと言っても、砂原からすればそれで済ませるわけにもいかないだろう。
それでもなにか、と思考する博孝の肩に、沙織が手を置く。
「ありがとう。その……庇ってくれて、嬉しかったわ」
博孝が視線を向けると、どこか思いつめた様子の沙織が首を振っていた。沙織は博孝の肩から手を離すと、砂原と相対する。
「教官の仰る通り、今回の件はわたしが一方的に河原崎に斬りかかりました」
そう言った沙織の顔を見て、砂原は僅かに驚きの感情を覚えた。つい先日まであった、執念にも似た強い感情が瞳から薄れている。昨晩の一件で何かしらの心境の変化があったのか、砂原や博孝が危惧した“危うさ”がだいぶ減っていた。
「そうか……斬りかかった理由は?」
「私怨です。いえ……嫉妬、ですね」
淡々と、それでいて抱えていた感情を完全に抑え込んだ様子で、沙織は言う。
「嫉妬か」
「ええ」
砂原の確認に対しても、素直に頷いた。砂原は目を閉じると、小さく息を吐く。
「そうやって最初から素直に話してくれれば、今回の件は起こらなかったんだろうがな……もう、“遅い”か」
「……遅い?」
何のことだと、博孝は首を傾げた。すると、教官室の扉が音を立てて開く。
博孝は突然開いた扉に驚いた視線を向け――今度は驚愕した。
「失礼する」
そんな断りを入れて、『武神』が入室してきたからだ。何故こんなところに日本の『ES能力者』の取りまとめたる源次郎がいるのか。里香や恭介は突然現れた『武神』に体を硬直させ、博孝は思わず砂原を見た。
源次郎は沙織の祖父であり、孫である沙織がクラスメートに怪我を負わせたために謝罪に来た――などという、平和な理由ではないだろう。
「この度は申し訳ございません。小官の監督不行届きであります」
砂原は源次郎に対して、腰を折って謝罪をする。源次郎は砂原の謝罪を受けると、沙織に対して厳しい眼差しを向けた。敬愛する祖父から厳しい目で見られたことで、沙織は顔面を蒼白にする。
しばらく沙織を見ていた源次郎だが、砂原に頭を上げるよう命令すると、今度は博孝のもとへ歩み寄った。そして、それまで浮かべていた表情を和らげる。
「砂原軍曹から報告を受けたが……傷は大丈夫かね?」
「……ええ。この通り、ピンピンしていますよ。ところで、今日はどういったご用件でしょうか?」
源次郎が来訪した理由がわからず、博孝は警戒しながら答えた。そんな博孝に対して、源次郎は表情を再び厳しいものにする。
「“たまたま”近くを通りかかってな。それで訓練校の様子を見に来た……というのが建前だ」
時刻は午前八時を多少回った程度だ。“たまたま”近くを通りかかるにしては、時間が早すぎる。建前という言葉に博孝が警戒すると、源次郎は博孝に対して小さく頭を下げた。
「用件は二つ。一つは、“孫”が起こしたことに対する謝罪をするためだ」
小さくとはいえ、『武神』が頭を下げる。そんな驚愕の事態を前に、さすがの博孝も思考を凍らせた。だが、源次郎の言葉には警戒すべき点がある。それを意識して、無理矢理に舌を動かす。
「こういった場合……普通は“親”が来るものかな、と思ったりするんですが?」
「“アレ”は駄目だ。親としての責任と義務を放棄している」
アレというのは、沙織の両親のことだろう。どこか苦しげに言う源次郎に博孝は僅かな不信感を覚えるものの、他人の家庭のことだ。そこまで口にするのはお門違いである。
源次郎は懐に手を入れると、封筒を一つ取り出した。そして、博孝に対して差し出す。
「少ないが、慰謝料だ。受け取ってほしい。それと、治療に特化した部下を呼んである。あとで治療を受けて、問題がないかを確認してくれ」
「は、はぁ……」
言われるままに封筒を受け取ると、その厚みに気付いて博孝は頬を引き攣らせた。小口径の銃弾程度なら受け止められそうなほどに、封筒は分厚い。額でいえば、三百万程度だろうか。
戸惑う博孝に対し、源次郎は真摯な眼差しを向ける。
「本来ならばもっときちんとした謝罪を行いたいのだが、非公式といえど簡単に頭を下げられない身になってしまった。非常に煩わしいと思っているが……納得してほしい」
そう言いつつも、源次郎は小さく頭を下げた。『武神』として、孫が起こした不始末に対する最大限の謝罪なのだろう。博孝は頭を掻くと、頷いて謝罪を受け入れる。
「いや、その、そこまでされなくても……俺は、今回の件はそこまで気にしてませんよ。傷も塞がったし。あとでちゃんとチェックしてもらえるのは、素直にありがたいですけど……」
源次郎の姿は、たしかに“祖父”のものだった。沙織などは顔を俯かせ、肩を震わせている。源次郎に迷惑をかけたことに対して、呵責の念を覚えているのか。
頭を上げた源次郎は、そうやって肩を震わせる沙織に視線を移す。
「もう一つの用件は、“長谷川訓練生”に対する処罰についてだ」
厳しい声色で告げる源次郎に、つい先ほどまで浮かんでいた祖父らしい表情はない。『武神』として、日本の『ES能力者』を統括する者として、一介の訓練生に対する中将としての顔で、沙織のことを見ていた。
そんな源次郎の表情と声色に、沙織は肩の震えを大きくする。博孝としては源次郎ならば味方についてくれるかと思ったが、公私は分けているのだろう。その表情からは、情けを得られるようには思えない。
「通常の訓練以外で他の訓練生に重傷を負わせるなど、滅多にあることではない。砂原軍曹、処罰の内容は?」
「はっ、“当面”の謹慎および減俸を考えております」
明確に期限を設けていないのは、砂原なりの優しさだろうか。場合によっては、すぐに謹慎が解かれる可能性もある。沙織は砂原と源次郎の会話を黙って聞いており、里香や恭介も同様だ。博孝だけは、話を聞きつつも口を挟むタイミングを窺っている。
「謹慎と減俸か……まあ、妥当だろう」
砂原の言葉に納得を示しつつ、源次郎は俯く沙織の様子を見る。沙織に向ける視線は、相変わらず冷たい。
「だが、問題行動はこれで“二回目”だ」
ビクリと、沙織の肩が震えた。源次郎の言葉を聞き、博孝は無意識の内に砂原へ視線を向ける。今回の件が二回目というならば、一回目は初任務の時の命令違反についてだろう。さすがに、命令違反という問題行動を握りつぶしてはくれなかったようだ。砂原の職務は生徒の教育および監督のため、生徒に関する報告を誤魔化すわけにはいかなかった。
「さすがにここまで頻繁に問題行動を起こすとなると、考課にも大きな影響がある。卒業後の進路としても……」
源次郎は、沙織の傍へ歩を進める。そして、怯えたように見上げてくる沙織の顔を無表情に見返し、告げる。
「長谷川訓練生の望む部隊配属は――不可能になるだろう」
その言葉を受けて、沙織の顔が絶望の色に包まれた。
「問題行動を起こす者など、正規部隊には必要ない。何の役にも立たん。無力な味方よりも、余程有害な存在だ。敵の方が可愛げがある」
無感情に、源次郎は言葉の刃を突き立てていく。
「だが、『ES能力者』である以上はどこかしらの部隊には配属されることになるだろう。それまでに、少しは『ES能力者』としての自覚を磨け」
「……は……い」
絶望が瞳を揺らし、体を震わせながら沙織は声を絞り出す。普段の泰然とした様子はどこにもなく、まるで親に叱責された幼子のようだ。瞳を、声を、体を震わせ、目の端に涙を溜めつつも、沙織は源次郎の言葉に頷く。
里香はそんな沙織を心配そうに見つめ、さすがの恭介も気の毒そうに眉を寄せる。砂原は、険しい顔で“博孝”を見ていた。
「ん?」
風を切る音が聞こえ、源次郎が無意識の内に飛来する物体を掴み取る。それは先ほど源次郎が博孝に渡した封筒であり――博孝が、封筒を投げた体勢で動きを止めていた。
「なんのつもりだ、河原崎訓練生?」
受け止めた封筒を手の中で弄びつつ、源次郎が尋ねる。博孝は大きく息を吐くと、体勢を整えて源次郎に様々な感情が混じった視線をぶつけた。
「慰謝料っつーか、金を粗末に扱って申し訳ないです。ただ、そんなもんはいらないんで、一つだけ話を聞いてもらっても良いですかね?」
博孝が取った行動に、里香と恭介はさらに固まった。『武神』に対して、慰謝料として渡された封筒を投げつけたのだ。それがどれだけ無礼な行いか、わからない二人ではない。それは博孝も同様だ。源次郎から向けられる視線には、不愉快と興味の色が混在している。一体何の理由があってこんなことをしたのかと、観察するように博孝を見ていた。
「話、か。慰謝料を拒否してまで話そうとすることには興味が湧くが」
博孝の発言を受け入れるように頷く源次郎。だが、その雰囲気が一変する。
「――身の程を知れ、小童」
殺気にも似た、圧倒的な気配。まるで周囲の空気が消滅したように感じられ、博孝は息苦しさを覚える。以前砂原が発した殺気と同様――否、それ以上の濃密な暴力の気配に、博孝は足が震えるのを感じた。
沙織も、里香も、恭介も、源次郎の剣幕を受けて思考を停止させる。出来得るならば、今すぐにでも逃げ出したい。それだというのに、足はおろか指先一つ動かない。
「長谷川訓練生に同情したか? 義憤に駆られたか? いくら被害者とはいえ、今回の件については一介の訓練生如きが口を挟めることではない。もう一度言おう――身の程を知れ」
重ねて言われた言葉に、博孝は膝を折りそうになった。初めて会った時の様子から、話ぐらいは聞いてくれるかもしれないと楽観を抱いたのは、間違いだった。博孝は、ただでさえ減っていた血が全身から引いていくのを感じる。
「身の程を知れ、か……」
小さく、博孝は呟いた。この状況で言葉を発することができた博孝に、源次郎は片眉を上げる。
身の程を知らないと言われれば、頷くしかない。いくら独自技能を持つとはいえ、博孝は所詮一介の訓練生だ。日本の『ES能力者』を統括し、世界中を見渡しても最強と呼ばれる『武神』に比べれば、塵芥のような存在に違いない。
しかし、博孝は怒っていた。目の前で行われた沙織と源次郎のやり取りを聞いて、昨晩と同様に激しい怒りを覚えていたのだ。
博孝では庇えないほどの事態を引き起こした沙織が罰せられるのは、避けられないだろう。今回の件で謹慎や減俸で済むのは、まだ良心的とも言える。
だが、それでも――源次郎の口から、沙織の掲げた“夢”を潰すような言葉を吐かなくても良いじゃないかと、博孝は思う。
沙織に対する罰としては、最も辛いものだろう。謹慎や減俸などとは、比べ物にならない。沙織は『ES能力者』として腕を磨き、源次郎の役に立てるようにと頑張っていたのだ。今回の件は負うべき責があるとはいえ、長谷川沙織という存在の根底を、柱とも呼べるものを叩き壊すことを、よりにもよって源次郎の口から告げる。それがどれだけ残酷なことなのか、源次郎は気にしないというのか。
博孝は昨晩、沙織に対して源次郎が自身の役に立つよう言ったのかと聞いた。沙織はその問いに答えを返せなかったが、その答えがこれではあまりに報われない。自業自得と言えばそれまでだが、博孝にとって許容できることではなかった。
これから一緒に強くなっていこうと決意したばかりなのだ。昨晩の様子を見れば、沙織とてこれから“成長”していくと思えたのだ。
博孝は怒りを胸に、命を削る心境で言葉を紡ぐ。源次郎は、博孝に身の程を知れと言った。それならば、博孝が言うべきことは一つだけだ。
「だったらアンタは――身の周りを知れ」
震える足で床を踏みつけ、可能な限りの気力を振り絞り、源次郎にそう言った。挑むように睨み、汗を流しながらも、博孝はそう言った。
源次郎はそんな博孝の様子に目を細めると、静かに問う。
「身の回りを知れ、とは?」
「そのまんまの意味だよ……なんで長谷川が、アンタの孫が俺に喧嘩を売ったのか、わかってんのかよ」
敬意も敬語も取り払い、博孝は敵意を込めて源次郎と相対する。源次郎は瞳に興味の色を宿しつつ、顎に手を当てた。
「君が独自技能を持っているから……だろうか。強い者と戦いたいと願うのは、『ES能力者』の性だからな。だが、その感情を御しきれない辺りは、まだまだ未熟と言わざるを得ない」
その回答に、博孝は愕然とする。ある意味、沙織の祖父として正しい回答だ。強い者との戦いを望む沙織と、非常に似ている。こんな状況でなければ、博孝はおそらく笑っていただろう。どれだけ似ているんだと、気軽に笑っていたに違いない。
そして、博孝は悟る。
沙織が源次郎の『役に立ちたい』と願っていることを、源次郎は知らないのだ。おそらく、予想だにしていないに違いない。博孝自身沙織に向かって言ったことだが、それが図らずしも正鵠を射ていた。
源次郎は、沙織が強くなって役に立つことなど全く望んでいないのだ。そんなこと、考えもしないのだろう。
沙織にとって源次郎は敬愛すべき祖父であり、“たった一人の家族”だ。強くなって、いつかはその役に立ちたいと思えるほどに。
源次郎にとって沙織は孫だ――“数百人いる孫の内の一人”だ。沙織が努力していること自体は知っている。砂原からの報告にも、その内容は記載されていたからだ。
博孝は目の前の源次郎が、得体の知れない生き物のように思えた。
沙織のことを孫として認識してはいるだろう。訓練校で努力し、訓練生としては優秀な力をつけていると。だが、それだけだ。
沙織のことを身内の中でも数少ない『ES能力者』として認識してはいるだろう。だが――それだけだった。
「長谷川は……強くなって、『武神』の役に立てるようになりたいって思ってるんだ。今回の件だって」
「くだらん――誰もそんなことは望んでいない」
言い募る博孝を、源次郎は切って捨てた。博孝は一瞬源次郎の言葉が理解できずに言葉を失い、言葉の意味を理解した瞬間に源次郎へ向かって踏み込む――よりも早く、沙織に肩を抑えられた。
肩を抑えられた博孝は沙織の方へ視線を向けると、感情が抜け落ちた沙織の視線をぶつかる。沙織は力なく首を横に振ると、小声で言う。
「いいのよ、河原崎……もう、いいの」
感情どころか、生気すら失った声だった。その声を聞いた博孝は、怒りの感情が高まる。
「ふざけんなっ! これでいいわけないだろ!」
沙織の手を振りほどき、博孝は再度源次郎へ向かって踏み込もうとする。だが、今度は砂原がそれを遮った。
「生徒が失礼をしました、中将閣下」
「いや、構わん。相変わらず元気が良くてけっこうなことだ。これからも教導の方を頼む。それと、監督不行届きについて軍曹の処罰は追って言い渡す。精々減俸程度だろうがな」
「はっ、了解いたしました」
先程までの会話がなかったように、話を進める源次郎。それを見た博孝は、得体の知れない感情が強くなるのを感じる。それでも沙織のために、“仲間”のために抗議をしようとしたが、それも砂原によって遮られる。
「そこまでにしておけ、河原崎」
「教官……でも!」
博孝が砂原に止められている間に、源次郎は教官室を後にする。博孝は咄嗟に追おうとするが、砂原によって腕を取られて押さえ込まれた。
「お前の感情はわからんでもない。しかし、あの方は言ったことを取り消すことがない」
「っ!」
博孝は拳を握り締め、歯を噛み締める。源次郎は、沙織以上に言葉が通じない。そのことを悔しく思いつつ、沙織に目を向けた。
「…………」
沙織は源次郎が出て行った教官室の扉を見て、静かに涙を流していた。ただし、その表情に悲しみという感情はない。そもそも――感情自体がなくなったように見えた。
源次郎がいなくなってようやく動けるようになった里香が、そんな沙織の手を優しく握り締める。恭介は同情するよう顔を歪め、視線を逸らした。
そんな生徒達の様子を見て、砂原は告げる。
「河原崎と長谷川。その様子では、お前達は授業を受けても身につかんだろう。河原崎は保健室で療養だ。中将閣下が治療系の『ES能力者』を用意してくださっている。輸血と治療を受ければ、明日には回復するだろう。長谷川は……」
瞬きもせずに教官室の扉を見つめる沙織に、砂原はため息を吐く。
「当面謹慎しろ、と言いたいところだが……お前が傷を負わせた相手だ。お前が責任を持って河原崎を看護しろ。謹慎は、河原崎が完治してからだ」
「……わかりました」
視線を動かすことなく、沙織が答えた。そして、この場は解散となったのである。
「滅茶苦茶腹が立った! こんなに頭にきたのは初めてだ!」
教官室から退室し、廊下に出た博孝は地団駄を踏みながら叫ぶ。そんな博孝を見て、恭介は額に浮かんだ汗を拭った。
「博孝……今回ばかりは、本当に寿命が縮むと思ったっすよ」
友人が『武神』に噛み付いたのだ。それも、以前みらいを確保した時とは異なり、今回は状況が状況だ。傍から見ていて、寿命が一気に削れる心境だった。
「なんだよ恭介、お前は頭にこないのか? くっそー! もっと強くなって、絶対にあの爺さんに一発叩き込んでやる!」
恭介の反応に唇を尖らせ、博孝は空想の源次郎に向かって拳を突き出す。それを眺めた恭介は、疲れたように肩を落とした。
「いや、確かに沙織っちには同情するっすよ? あれを見ていたら、昨晩の怒りもなくなったっす」
そう言って恭介が向けた視線の先では、里香が支えになった状態で立ち尽くす沙織の姿があった。心配した里香が何度も声をかけているが、沙織は生返事しか返さない。普段の様子を知る恭介としても、今では心配の感情しか湧いてこなかった。
博孝も沙織に視線を向けると、足音高く歩み寄る。そして沙織の傍まで歩み寄ると、その頬を軽く叩いた。
「おい、長谷川。しっかりしろ。意識ははっきりしてるか?」
博孝が尋ねると、沙織はのろのろと顔を上げる。そして博孝と目を合わせるが、すぐに逸らした。
「……滑稽な話、よね」
「あ?」
泣くような声での呟きに、博孝は眉を寄せる。沙織は里香に支えられたままで、ぼそぼそと呟く。
「アンタの言う通り……わたしは、お爺様に何も望まれていなかった。役に立てとも、強くなれとも、言われなかった……」
「沙織ちゃん……」
里香が、悲しみを共有するように名前を呼ぶ。沙織はそんな里香に対して、小さく微笑もうとした。だが、頬を引き攣らせただけで笑えてなどいない。それを見た里香は、手ではなく沙織の体を両腕で抱き締める。沙織は僅かに驚いたものの、すぐにその意識を博孝に向けた。
「ねえ、河原崎。教えてよ……」
「……何を?」
相変わらず絶望を瞳に宿したままで、沙織は博孝に問う。
「わたしが……わたしがこれまでしてきたことって……一体、なんだったの?」
沙織は幼い頃から、源次郎の役に立つ人間になろうと努力してきた。それが当の源次郎に必要とされていないことに、まったく気づかないままで。
博孝は、どう答えるべきか悩む。迂闊なことは言えない。昨晩博孝が与えた衝撃を遥かに上回る衝撃に襲われ、今の沙織は非常に不安定になっていた。
「さて、ね……俺にはわからねぇよ」
しかし、博孝の口から出たのは突き放すような言葉だった。それを聞いた沙織の瞳が揺れ、里香は非難のこもった眼差しを向ける。博孝は里香からの視線に苦笑すると、瞳を揺らした沙織と視線を合わせる。
「だってさ……まだ、今までしてきたことの結果が出てないだろ?」
「……結果?」
問い返す沙織に、博孝は頷く。結果ならば出ていると、沙織の表情は語っていた。源次郎は沙織に対して、役に立つ存在になることなど望んでいないのだ。そんな、沙織にとっては残酷な結果が出ていた。
そう思った沙織に対して、博孝は指を振ってみせる。
「長谷川は爺さんの役に立とうと思って、強くなろうとしていた。そのために訓練は真剣に行っていたし、自主訓練も熱心に行っていた。でも、それはまだ途中だ」
ちっちっ、と指を振り、博孝は今まで源次郎に対して浮かべていた怒りの色を全て飲み込んで笑みを浮かべてみせた。
「長谷川が望んだことは、あの爺さんはまったく望んでいなかった。それは事実かもしれないけど、長谷川が望んでいたことを諦める理由にはならないと思うんだ」
「どういう……こと?」
口から出まかせの慰めと思っているのか、沙織の表情は変わらない。そんな沙織に対して、博孝は親指を立てる。
「あの爺さんが望んでいなくても、長谷川が強くなって、役に立つことはできる。昨晩はああいったけど、こうなると逆に長谷川を応援したくなった」
昨晩は、『源次郎が沙織に強くなることを望んだのか』と問うた。しかし、例え望んでいなくても、それを承知はしていると思っていたのだ。それだというのに、当の源次郎は沙織に対して格別の思いは抱いていないらしい。沙織の努力は知っていても、“何故努力をしているか”という点には気を払っていないのだから。
「だから、昨晩言ったことをもう一度だけ言うぞ」
博孝は笑顔を消すと、力を込めて拳を握り締める。
「これから、一緒に強くなっていこうぜ。そして強くなって、あの爺さんを見返してやれ。自分が間違っていたって、そう言わせてやれ。アンタの孫は、こんなに強いんだって、こんなに強くなったんだって――胸を張って言ってやれよ」
そう言って、博孝は握った拳を突き出した。
「あの爺さんのために強くなるんじゃない。あの爺さんの役に立つこと“だけ”を目的にして強くなるんじゃない。自分のために強くなれ。そして、その“結果”を自分で確かめてから……そうだな、いつかあの爺さんに拳の一発でも叩き込んでやれよ。自分のことをしっかり見ろってな」
理屈の通った説得ではない。博孝としては、昨晩説得した通り沙織には“仲間”と共に強くなっていき、そして、最終的な目標を変えてもらえればと思った。
源次郎の役に立つためではなく、沙織自身のために強くなり、源次郎の目に留まって沙織の話を聞かせられるように。その時に、今日の一件について殴れれば最高だろうと博孝は笑う。いくら源次郎でも、孫に殴られれば目が覚めるだろうと思った。
「だからまあ、今日のところは俺の看病はいらねぇ。謹慎ってことは授業にも出られないだろうし、朝食を食べて部屋に戻って、しっかり休んで、泣くなら泣いて……」
ここまで話した博孝は、照れ臭そうに頬を掻く。さすがに、踏み込み過ぎたと自省した。それでも、締め括るように笑顔で言う。
「気持ちを切り替えて――明日からは、“俺達と一緒に”頑張ろうぜ」
博孝がそう言うと、恭介も笑みを浮かべて拳を作り、博孝が突き出した拳にぶつける。それを見た里香も微笑むと、拳を突き出してぶつけた。
沙織は、そんな三人の姿をじっと見つめる。
源次郎が沙織のことを“それほど”きちんと見ていなかったことは、正直に言えばショックだった。それこそ、地面が崩れ落ちたと錯覚するほどに。源次郎の役に立てるようにと努力してきた日々が否定されたことは、涙が出るほど悲しかった。
しかし、博孝は言う。昨晩と同じように、『これから強くなろう』と言うのだ。
すぐに気持ちの整理がつくとは思えない。それでも、博孝が言う『仲間』という存在を少しは信じてみようと思った。
沙織は里香から身を離すと、自身の足でしっかりと立つ。そして右手で拳を作ると、何かを振り切ろうとするかのようにじっと見つめた。
拳を見つめること数秒。沙織は無言で拳を突き出し、三人の拳にぶつける。それを見て、博孝達は笑い合った。先ほどまでの暗い空気を振り払うように、声を上げて笑う。
沙織の顔にも、小さいながらも飾らない笑顔が浮かんだことに、当の沙織は気付かないのだった。
「本当にめげない奴だな」
博孝達がいなくなった教官室で、砂原は一人呟く。廊下での博孝達の会話は、聞き耳を立てずとも聞こえてきていた。あとで沙織に対してサポートをする必要があると思っていたが、この様子ならば大丈夫だろう。
本来ならば砂原が『指導』を行うのだが、今回の件については源次郎が“たまたま”近くにいたため出張ってきた。本来教育の場に出てくる人物ではないが、自身の孫が起こした事態だ。表に出さずとも、心配をしたのだろう。早朝に報告したにも関わらず、すぐさま訓練校を訪れる程度には。
「それにしても……相変わらず、不器用な人だ」
脳裏に先ほどまでこの場にいた源次郎の姿が浮かべ、砂原は思わず苦笑した。
砂原と源次郎は長い付き合いである。それこそ、沙織が生まれるよりも先に知り合い、上官と部下という関係とはいえ共に戦ってきた。それ故に、砂原は源次郎の魂胆もある程度読めている。
「“長谷川が望む部隊配属”は不可能、か……」
沙織が望むのは、『零戦』への配属だ。だが、『零戦』は最精鋭の空戦部隊のため、その練度も任務の危険度も高いものになる。最精鋭という呼び名に恥じず、他の部隊と比べて任務の達成率も非常に高いのだが、危険であることに変わりはない。
――それならば、他の部隊に配属された方が安全だろう。
源次郎の不器用な愛情を思い、砂原は苦笑を深める。
「しかし……」
ぽつりと呟き、砂原は窓の外へ視線を向けた。
思い起こすのは、かつて夕暮れ時にグラウンド寝そべり、拗ねたように空を見上げていた博孝の姿だ。入校し、他のクラスメートがES能力を扱い始める中で、ただ一人ES能力を発現させることができずに過ごしていた頃。和田達に絡まれて三対一で喧嘩をして、敗北した上にボロボロになっていた博孝の姿だ。
砂原は“あの時”と同じように煙草を咥えると、火を点ける。そして息を大きく吸うと、先ほどの博孝の様子を思い返した。
博孝は、他者を庇う傾向がある。身を盾にして里香を守った時のように、場合によっては自分の命を投げ出してでもだ。それは一見美徳の行動に見えるが、庇われた人間に与える影響は非常に大きい。そのことは、博孝も学んでいるはずだ。
それだというのに、今回は沙織を庇うだけでなく源次郎に噛み付きまでした。一介の訓練生が、日本において『ES能力者』のトップである『武神』に対して噛み付いたのだ。
普通ならば肝を冷やす場面だったが、思い返した砂原は感慨深そうに呟く。
「あの河原崎がなぁ……」
入校当初は、“オリジナル”のESに適合して『ES能力者』になったことで浮かれ、調子に乗っているだけの子供だった。独自技能を持ったが故の弊害か、他の生徒に比べてES能力の発現が非常に遅く、一時期は周囲との差に拗ねるような子供だった。それでもめげずに体術の訓練を続けてはいたが、砂原の目から見ればただの子供だったのだ。
「あれも一つの成長……と、呼べるのか」
“仲間”のためといえど、『武神』に噛み付くなど早々できることではない。それも、並の『ES能力者』なら尻込みするような空気の中でだ。
若さゆえの無鉄砲さか、それとも博孝本人の情の深さか。どちらかは判別しかねるが、砂原にとっては良い成長だと思った。
可能な限り家族の傍にいたいがために、せめては子供が小さい時ぐらいは傍にいられるようにと望んだ教官職だったが、教え子の成長を目の当たりにすれば違った感慨が浮かぶ。
正規部隊にいた頃に、部下を鍛えていたのとは違う。自身の教えによって成長する教え子の姿は、砂原に温かみのある達成感を与えた。
沙織が抱えていた問題は、砂原では解決することが難しかっただろう。力尽くで解決できる事象ならば、大抵の困難は打ち破れる自信が砂原にはある。しかし、砂原から見れば幼い少年少女達が抱えている問題を解決するのは、困難に尽きた。
それだというのに、当の子供達同士で解決できるよう努力している。博孝の取った行動を見れば、それこそ死力を尽くしてでも解決するという姿勢だった。
『ES能力者』になって日が浅く、危ういところがあるが、それでも教え子達に学ばされることも多々ある。その中でも、今回の一件は最大級の驚きだ。
「教え子の成長というのは……嬉しいものだな」
紫煙を吐きつつ、砂原は穏やかに笑うのだった。