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第三十七話:帰省 その3

 祖父に『武神』を持つ沙織は、一般家庭とは異なる家庭環境に置かれている。

 地球上を見渡しても最古の『ES能力者』であり、その実力においても最強と目される『ES能力者』。自国を守る最強の盾にして、最強の矛。『武神』長谷川源次郎の“直系”――長谷川夫妻が産んだ子供の、その子供。それが長谷川沙織という人間である。

 源次郎の血縁者である沙織や沙織の両親は、国の手厚い保護の中にあった。 

 そんな沙織が子供らしい幼少期を送ることができたのは、八歳の頃までだった。

 沙織の父親は、源次郎の血縁の中でも数少ない『ES能力者』。そんな彼は、『武神』であり父親である源次郎のことを誇りに思う――などということは、なかったのである。

 彼が『ES能力者』となった時、彼はその身に訪れた“変化”を呪った。

 “人間”を遥かに超える身体能力に、長い寿命。ES能力と呼ばれる、特殊な技能。平穏な生活を望んでいた彼は、『ES能力者』となったことを一切歓迎しなかった。

 元々、『武神』の子供として注目されていたという面もある。周囲からは奇異や畏怖の目を向けられ、自身が希望した生き方をできなかったという面もある。

 彼は生まれた時から自分の生き方を、人生を、結婚相手すら強制され、生きていた。

 そんな彼と、名義上は妻となっている女性の間に生まれたのが沙織である。彼は沙織が生まれたことに喜んだものの、源次郎に懐くことに関しては拒否的だった。しかし、沙織にとって源次郎は優しい祖父である。顔を合わせる機会は少なかったが、その少ない機会で沙織は源次郎にべったりと懐いていた。

 幼心に、源次郎と父親の不仲を察していた部分もある。だが、沙織が気にかかったのは、源次郎のことを嫌う血縁者の数の多さだった。

 彼ら、あるいは彼女らにとって、源次郎が『武神』という名を冠することは迷惑でしかない。

 『武神』の身内ということで、敵性『ES能力者』から報復を受けて皆殺しにされた家庭もある。『武神』の情報を少しでも得ようと、一家丸ごと誘拐された家庭もある。それらの理由によって、源次郎という存在は身内から煙たがられている節が多々あった。

 幼い沙織は、そんな源次郎を見て思ったのだ。


 ――周りの家族(みんな)が助けないのなら、自分が助けになろう、と。


 その時の沙織は幼く、源次郎のことを祖父でありながら正義のヒーローのように思っていた。両親になんと言われようと、源次郎は平和を守る正義のヒーローであり、自慢の祖父だと、思っていたのである。

 そんな祖父の手助けができれば、祖父も喜んでくれるだろう、と。

 沙織のことを両親が冷めた目で見始めたのが、八歳の頃。

 その頃の沙織は、久しぶりに会った源次郎に対してひどく駄々をこね、源次郎が持つ大太刀――『斬鉄』と呼ばれる、数少ない対『ES能力者』用の武装を見せてもらった影響で剣道を始めていた。将来は自分も絶対に『ES能力者』になるのだと決意し、両親にもそう伝えたのだ。

 両親に伝えて、それが間違いだったのかは、歳を経た沙織にもわからない。

 両親が沙織を見る目、態度、雰囲気が変わり、どこか余所余所しくなった。元々、両親の間に愛情はない。それでも生まれた沙織のことは可愛かったのか、その仲も多少は改善されつつあり――成長した沙織がそれを砕いたのは、何かの皮肉だったのか。

 虐待などはなかったものの、沙織にとって両親から愛情と呼べるものを受け取った記憶もほとんどない。それは幼い頃に僅かに得たものが大半を占めており、物心ついてからは記憶になかった。

 そんな生活の中でも、祖父である源次郎に会う時だけは沙織も満たされていた。沙織にとっては優しく、強く、尊敬ができる自慢の祖父。源次郎も、目を輝かせて甘えてくる孫を前にしては、自然と口元が緩む。他にも多くの、それこそ何百人もの孫がいたが、沙織ほど甘えてくる孫は片手の指で足りるほどしかいなかった。

 沙織にとって、『ES能力者』になることができたのは運命だったのだろう。

 十五歳になると、第七十一期訓練生として訓練校へ入校。同期の中でもすぐさま頭角を現し、その成績を閲覧できる立場にある人間からすれば、『さすがは『武神』の孫だ』と口にするほどの力量だ。

 今回沙織が帰省したのも、両親に会うためというよりは源次郎に会うためという側面が強い。沙織も『ES能力者』になったということで、他の第七十一期訓練生と同様に第二指定都市に引っ越しているが、帰省しても両親と話すことはほとんどない。

 事実、父親は空戦部隊に所属しているため年末年始も家にはおらず、母親は帰省初日に顔を合わせただけで、あとは親類の家に身を寄せている。

 これならば、訓練校に残って自主訓練をしていた方がマシだったかもしれない。沙織は心の片隅でそう思うものの、今回は目的があって帰省したのだ。

 源次郎は血縁者が多いため、全員が一堂に会する機会はまったくない。それでも年末年始は源次郎の血縁者が指定都市ごとで集まるため、沙織はその場に顔を出すつもりだった。

 一つの家に入りきる人数ではないため、源次郎がホテルの一室を借り切り、その場に集まるのである。もっとも、源次郎も多忙のため集まる日時は直前までわからないことも多い。そのため、沙織は連絡が来るまでは帰省した家の庭先で自主訓練に励む毎日だ。

 訓練校の敷地内ではなく、非常時でもないため、ES能力はほとんど使えない。そのため、無手や木刀を使っての型稽古を一心に行う。帰省した初日だけ体と精神を休めると、翌日からは朝から晩までひたすら型稽古を行い、基本を固め直す。

 一見すれば、無心に訓練に励んでいるように見えるだろう。しかし、自身が持つ携帯電話が震えた瞬間にその集中は途切れ、一秒と経たずに木刀を放り出し、携帯電話を取り出す。

 届いたのは源次郎からのメールであり、内容は一月三日の十八時にホテルで新年会をやるという趣旨のものだった。それを見た沙織は、花が咲くように表情を綻ばせる。そしてすぐさま参加する旨を返信すると、どこかウキウキした様子で木刀を拾い上げる。

 現在、新年が明けたばかりの一月一日。早く三日にならないか、と内心に湧き上がる歓喜の情を押し殺しつつ、沙織は訓練を再開する。



 そんな沙織が所持する携帯電話のメールボックスでは、受信したものの閲覧すらされることのなかったメールが、何通も開封の時を待っているのだった。









 一月三日、午後六時。沙織にとって待ち遠しい時間が過ぎ、とうとう待ちに待った新年会。

 その日も、早く時間が過ぎろと言わんばかりに自主訓練に打ち込み、時間が近づくと訓練を切り上げ、そのまま訓練着でホテルへ――とは、さすがの沙織もいかず、シャワーを浴びて汗を流し、どんな服を着て行けば良いかと首を傾げ、結局は訓練校の制服に身を包んで出発した。私服を持っていないわけではないが、その数は非常に少なく、どれを着れば良いかわからなかったのである。

 タクシーを捕まえてホテルへ直行すると、早足で源次郎が借りた一室へ向かう。その途中で他の親族も視界に入ったが、声をかけることはない。一室に入り、源次郎がいないか見回し、まだ到着してないことに肩を落とすと適当に席に座った。

 ソワソワとした様子で待つことしばし。源次郎が扉を開けて入室し、上座に着席した。最近見かけた軍服ではなく、灰色のフォーマルスーツである。その姿を見た沙織は表情に喜色を浮かべて椅子から腰を浮かしかけるが、最初は源次郎の挨拶がある。その挨拶が終わってから話しかけるべきだと、必死に自重した。

 そして、会場に料理や飲み物が運び込まれ、源次郎が新年の挨拶をする。あとは各々食事を楽しむなり、久しぶりに会った親族との交流を楽しむ場へと変わった。

 会場に集まった親族は、およそ三十人。第二指定都市に住む源次郎の親族だけでも百人を超えるため、その数と比較すると少ない。しかし、その上で親族達は源次郎に視線を向けるだけで、積極的に話しかける様子はなかった。

 『武神』である源次郎に遠慮をしている、というわけではない。この場に参加こそしたものの、それを歓迎している雰囲気ではなかった。

 それでも、その雰囲気を無視するように沙織は立ち上がる。そして一直線に源次郎のもとへ向かうと、恐る恐ると口を開いた。


「その……お爺様」


 そう呼びかけ、沙織は怒られないかと僅かに不安を抱く。つい先日、任務中にそう呼びかけて叱責されたばかりだ。

 源次郎は沙織の声を聞くと視線を向け、沙織の様子を見て小さく苦笑する。


「沙織か。あけましておめでとう。どうした? 家の花瓶を割った子供のような顔をしているぞ」

「あ……」


 穏やかに、沙織の知る“祖父”の顔で答えた源次郎を見て、沙織は体から緊張を抜く。親しい人間にしか向けない笑みを浮かべ、腰を折った。


「あけましておめでとうございます、お爺様」 

「ああ、おめでとう。しかし、今日は身内の集まりだ。訓練校の制服ではなく、私服で良かったのだぞ?」


 どこか怯えた様子から一転、笑顔になった沙織を見た源次郎は、苦笑を深めながら言う。


「……その、何を着て行けば良いかわからなかったもので」

「そうか。沙織のことだから、持っている服が少なく、消去法で制服を選んだのかと思ったぞ」


 からかうように源次郎は言うが、沙織が持っている服が少ないのは事実だ。その事実に恥じ入り、沙織は頬を染めて視線を下げる。その様子を見た源次郎は、楽しげに微笑んだ。


「今度の誕生日は、似合いそうな洋服でも贈るか。お前も良い年頃だ。そろそろ、着飾った姿を見せたい男もできただろう?」

「お爺様ったら……そんなやつ、いません」


 源次郎の言葉に、拗ねたようにそっぽを向く沙織。その様子がおかしかったのか、源次郎は小さいながらも笑い声を上げた。


「はっはっは。可愛い孫が着飾り、意中の男を前にして顔を赤くするところなども見てみたかったんだがな」


 そう言って源次郎は立ち上がると、膨れた様子の沙織の頭に手を乗せ、『許せ』と言いながら撫でる。頭を撫でられた沙織はますます顔を赤くすると、照れたように視線を逸らした。


「もう、頭を撫でられて喜ぶ年齢じゃないです……」


 言いつつも、沙織の表情は非常に嬉しそうだ。源次郎はそんな孫の顔を見て、笑みを深める。


「なに、年寄りにとって、孫はいつまで経っても可愛い孫だ……おや、そのリボンはまだつけていたんだな」


 頭を撫でている時に気付いたのか、源次郎は沙織が髪をまとめているのに使っている白いリボンに目を向けた。


「お爺様から誕生日プレゼントにもらったものですから……大事にしています」

「ふむ……沙織の唯一のお洒落といったところだな。服も良いが、今度の誕生日は別の装飾品を贈るか」


 幼い頃に源次郎から贈られ、それ以来ずっと身に付けている白いリボン。大事に使っているが、さすがに年数の蓄積による傷みが目立ち始めている。それでもまだまだ使用することができるため、沙織はせめて大人になるまでは使っていようと思っていた。

 源次郎は沙織の顔を見てもう一度笑うと、椅子に腰を下ろす。そして傍にある椅子を沙織に勧めると、ワイングラスを手に取った。


「訓練校の方はどうだ? 報告は受けているが、楽しくやっているか?」


 日本国内の『ES能力者』を統括する源次郎は、当然ながら訓練生に関する報告も全て受け取っている。そのため、『ES能力者』としてではなく、“学生”としての沙織の様子を聞きたいと思っていた。


「訓練校では……お爺様の孫として恥じないよう、努力しています」


 だが、源次郎の言葉を聞いた沙織は僅かに表情を曇らせて言う。源次郎から見れば、沙織など未熟な『ES能力者』に過ぎない。そのため、『すべて上手くいっている』などと見栄を張るわけにはいかなかった。

 そんな沙織の言葉を聞き、源次郎はワインを飲みながら思考を巡らせる。久しぶりに祖父と孫として会ったは良いが、沙織の性格もあって話題が少ない。そのため、源次郎は沙織も答えやすいだろうと判断して聞いた。


「そういえば……河原崎君はどうしている? 突然妹ができて、困っていなかったか?」

「……え?」


 源次郎の言葉を聞き、沙織は発言が理解できないように首を傾げる。



  ――何故、ここで博孝の名前が出てくるのか。



 それが、沙織には理解できない。


「彼には悪いと思っているが、これも乙1024号……おっと、今は違うな。河原崎みらい君を守るためでもある。砂原軍曹からも報告を受けたが、余計な横槍が入って情報の伝達に齟齬があってな……少しばかり、心配していたのだ」


 当然のことではあるが、博孝が冗談半分に予想したように嫌がらせなどの理由でみらいを博孝の妹にしたわけではない。

 みらいの特殊性、博孝の『活性化』によって抑えられる『構成力』の暴走、そして博孝やみらいの教官を務める砂原の存在。政治的な理由も多少あるが、みらいという“一個人”を守るための措置という部分が大きい。

 それに巻き込まれる博孝には申し訳なく思うものの、僅かな時間とはいえ博孝と言葉を交わした源次郎は、博孝が必要以上に苦に思う性格ではないと見ていた。砂原の報告では、今では立派な兄妹――というには、兄が妹を溺愛している様子である。


「しん……ぱい?」


 源次郎の言葉を聞き、沙織が呆然としたように尋ねる。源次郎はその問いを受けて、周囲に聞こえない程度の声で答えた。


「ああ。みらい君のこともそうだが……沙織には情報が開示されていたから知っていると思うが、河原崎君自身、独自技能を持つ身だ。我が国にも複数の独自技能保持者は存在するが、あの若さで発現した例は少ない。敵対する『ES能力者』からすれば、さぞ厄介な存在になるだろう」


 ワイングラスを揺らし、それに合わせて薄紫色の液体が揺れるのを見ながら、源次郎は言葉を続ける。


「彼の成績を見たが、入校半年以降の伸び具合は大したものだ。半分冗談だったが、訓練生のうちに『飛行』を発現できれば、『零戦』に配属させることもあり得る。みらい君も『飛行』を発現できれば言うことなしだ。彼らの身を守るためにも、成長させるためにも」



 ――その言葉を聞いた時の沙織の心境は、筆舌に尽くしがたい。



 膝の上に置いた両拳を握り――強く、握り締める。


「まあ、それも今後の成長次第だがな……だが、彼は“伸びる”だろう」


 祖父と孫の会話にしては少々物騒なところがあるが、周囲に寄ってくる親族はおらず、声も落としている。源次郎としては、博孝についてもみらいについても情報を知っている沙織に対して、『可能なら手助けしてやってほしい』という程度の話題のつもりだった。

 『武神』を前にして舌戦を挑む者など、そうはいない。しかもそれが訓練生の身で、絶対的な力量差を感じつつ、恐怖を押し殺しながらとなれば、その数は一気に減るだろう。

 どこか上機嫌な様子でワイングラスを傾けつつ、源次郎は笑う。

 砂原の生徒として三年間鍛えられれば、一端の『ES能力者』になって卒業する可能性も高い。砂原が担当する第七十一期訓練生達は、例年の訓練生に比べれば成長の度合いも高いのだ。

 砂原が『零戦』を辞めて教官職を希望した時は頭を痛めたものだが、後方である程度自由に動かせる者が確保でき、生徒を鍛え上げる腕も優れているとなれば歓迎すべきである。

 もっとも、砂原の力量は『零戦』の後任を任せるに足るものだったため、惜しい気持ちも持っていたのだが。


「砂原軍曹が鍛えるのならば、他の教官に比べて成長できるだろう。沙織も頑張りなさい」


 穏やかに、温かく。沙織の努力を知る源次郎は、優しくそう言った。


「……はい」


 その言葉を受け取る沙織の心中には、気付かないままで。








 時は遡り、年の明けた一月一日。

 目が覚めた博孝は体を伸ばして眠気を払うと、起きようとする――が、寝間着の側面をみらいに捕まれていたため失敗。僅かに起き上がった体がベッドに戻り、思わず苦笑を浮かべた。

 みらいが妹になって以来、夜中にみらいがベッドに侵入してくることが非常に多い。最近では開き直って最初から一緒に寝ているのだが、まるで博孝を離さないようにがっちりと寝間着を掴んでいるため、みらいを起こさないと動けないのだ。


「おーい、みらいー。朝ですよー。新年ですよー」


 体を丸めて眠るみらいの頬をつつき、声をかける。ぷにぷにとした触感が博孝の心を和ませるが、起こさないと動けない。そのため頬を指先で連打し、みらいの覚醒を促す。


「ほーれ、ぷにぷにぷにぷに」

「……んぅ」


 博孝がひたすらに頬をつついていると、みらいがむずがるような声を上げた。そして数秒経って目を開けると、博孝の顔を見て小さく欠伸をする。


「……お……はよ」

「おう、おはようさん。ほら、そろそろ起きて、朝飯食って、初詣に行くぞー。恭介や里香おねぇちゃんが待ってるぞー」

「んー……」


 博孝がそう言うと、みらいはゆっくりと体を起こす。そして両手で目元を擦ると、ぼんやりとした目を博孝に向けた。博孝はみらいが気の抜けた目を向けてくることに苦笑しつつ、ベッドから降りる。すると、みらいもベッドから降りて博孝の後ろを追うようにして歩き出す。

 二人は洗面を済ませると、そのまま階段を下りて一階のリビングへ向かった。リビングには既に孝則も博子も揃っており、ソファーに二人並んで腰を掛けている。


「あら、博孝、みらいちゃん、起きたのね。あけましておめでとう」

「おお、二人とも起きたか。あけましておめでとう」


 孝則と博子は博孝とみらいの顔を見ると、笑顔で新年の挨拶をした。それを聞き、博孝も笑顔を浮かべる。


「あけましておめでとう」

「……?」


 だが、みらいだけは不思議そうに首を傾げていた。それを見た博孝は、みらいの頭に手を乗せ、撫でながら説明を行う。


「いいか、みらい。新年になったら、『あけましておめでとうございます』って挨拶するんだ」

「……なんで?」

「新しい年を迎えられたことを祈って……だったかな?」


 みらいの疑問に対して、博孝は自信なさげに答える。それでも納得できたのか、みらいは無表情のままで小さく頭を下げた。


「あけまして……おめでとう……」


 みらいがそう言うと、孝則と博子は笑顔を浮かべる。


「はい、おめでとう。みらいちゃん、よくできました」

「おめでとう、みらい。うんうん、よくできた」


 博子などは笑顔を浮かべつつみらいを抱き締め、孝則はそれを穏やかな様子で見ていた。

 博孝はそんな“親子”の光景を見て、拳を握り締める。


「ああ……こうして見ると、初日のドタバタが嘘のようだ」

「というか息子よ、なんで前もって教えてくれなかったんだ! わかっていたら、父さんが母さんに投げられることもなかったんだぞ!」


 しみじみとした博孝の言葉を聞き、孝則は食いつくように尋ねた。


「ええい! 俺もまさか、情報が伝わってないなんて冗談半分にしか思ってなかったんだよ! というか、父さんは投げられ慣れているから問題ないっしょ!?」

「馬鹿言うな! たしかに父さんが母さんに投げられた回数は千を超えるだろうけど、痛いものは痛いんだ!」

「受け身上手だから大丈夫だろ!」

「お前も投げられたことがあるからわかるだろ! それでも痛いんだよ!」


 朝から孝則と騒ぐ博孝。孝則の表情は真剣であり、博子に投げ飛ばされることが日常茶飯事とはいえ、痛いものは痛いようだ。しかし、その会話を聞いていた博子は、どこか悲しそうに目を伏せる。


「そうだったのね、あなた……あなたがそんな風に思っていただなんて……」

「あ、いやっ! 違うんだ博子! 痛いのは痛いけど、これはそう! 愛のある痛みというかだな!?」


 博子の様子を見て、孝則は慌てて弁解を始めた。


「そうよね……ついうっかり投げちゃうけど、あなたにとっては迷惑よね。これも愛情の裏返しだけど、あなたにとっては迷惑よね……」


 目元に手を当て、涙をこらえるような仕草をする博子。それを見た孝則は、勢いよく首を横に振った。


「とんでもない! お前の愛情は、どんな形だろうとも受け止めるさ!」


 その愛情の形が、投げ技だったり絞め技だったり関節技だったりするのはどういうことだろう、と博孝は真剣に悩む。博孝自身も、悪さをすれば容赦ないお仕置きをその身に受けたことがある。だが、それを愛情と言って良いのか。

 しかし、そうやって悩む博孝を余所に、孝則と博子は互いに手を取って見つめ合った。


「孝則さん……」

「博子……」


 目と目で通じ合う、とでも言うべきか。先ほどまでの騒ぎはどこにいったのか、孝則と博子は二人だけの空間を作り上げていた。


「はーい、そこの万年新婚夫婦はいい加減にしてくださーい。息子と娘がいるんだから、自重してくださーい。てか、父さん……騙されてるよ。愛があっても痛いものは痛いだろ」


 手を叩いて解散を促しつつ、博孝は言う。すると、それまで様子を見ていたみらいが博孝の手を引いた。


「あいがあれば……いたくてもいいの?」

「ほらぁっ! みらいが変なことを言い出してる! みらいが将来、好きな男が出来た時に加虐趣味に目覚めたらどうするんだ!」


 将来、見知らぬ誰かがみらいから愛情という名の暴行を受ける様を想像する博孝。そして、その想像を慌てて振り払う。


「さて、それじゃあ朝ごはんにしましょうか」

「そうだな。母さん特製のお節が待っているからな」


 博孝からのツッコミを受けたからか、それともみらいのことを慮ってか。博子と孝則はそれまでの甘い雰囲気を打ち消してテーブルへ視線を向ける。そこには重箱に入ったお節料理が所狭しと並んでおり、それを見た博孝はため息を吐きながら椅子に座った。

 そしてお節を食べ始めると、みらいが小さく呟く。


「……甘くて、おいしい」


 どうやらみらいは栗きんとんがお気に召したらしく、目を輝かせながら口に運んでいる。博孝はそれを笑って見ていたが、みらいが他のおせちに手を出さないことに気付いて口を開いた。


「こら、みらい。栗きんとんばっかり食べてないで、他のも食べなさい。そんなことじゃ、大きくなれないぞ?」


 まだ短い付き合いながらも、みらいは甘いものが好きだと看破した博孝は他のお節料理も食べるように促した。


「……でも、これ、おいしい」


 すると、みらいはどこか不満げに答える。


「あらあら、良いじゃないの。折角のおせちだし、美味しいものを美味しく食べる。それで良いと母さんは思うわ」

「そうだぞ博孝。それにお前、その言い方はどっちかというと兄というより父親みたいだぞ」

「この歳でまさかの子持ち!?」


 両親からの援護がなく、博孝は愕然とした。そう言っている間にも、みらいは博子が差し出すお節料理を平らげていく。栗きんとんだけでなく、黒豆やだて巻きなど、基本的に味付けが甘いものばかりだ。

 それを見て、訓練校に戻ったらみらいの食生活をしっかりさせよう、と密かに誓う博孝。

 それでも、ぎこちなさが残るものの温かみのある食事風景に、少しだけ安堵するのだった。







「あー……駄目だ。沙織っちからメールの返信がこねー。さすがに電源を切ってるってことはないと思うけど……」


 博孝は携帯電話を片手に愚痴のように呟きながら、みらいや両親と一緒に新年の初詣に向かっていた。沙織は参加できないと言っていたが、それでも予定が変わっているかもしれないと思ってメールを打ってみたのだ。しかし、結果は返信すらない。


「沙織っち? なんだ博孝、女の子……いや、もしかして、お前のコレか?」


 博孝の呟きを聞き、ニヤニヤ笑いつつ小指を立てる孝則。それを聞いた博孝は、呆れたように表情を歪めた。


「さすがにその仕草は古いと思うわー。うちの小隊の一人だけど……なんだろう、猪突猛進な暴れ馬?」


 沙織本人が聞いたら殴られそうな評価を下し、博孝は携帯をポケットにしまう。そんな博孝の隣では、お年玉袋を手に持ってどこかご満悦の様子のみらいがいた。初めてもらったお年玉に、興味津々らしい。

 そうやって家族と連れ立って歩いていると、最寄りの神社に到着する。住宅街の中にある割には大きく、出店なども多く出ているようだ。

 神社の様子を確認しつつ博孝が周囲を見回すと、恭介や里香の姿を見つけてそちらへ足を向ける。博孝の両親は、『友達と会うのなら自分達は邪魔だろう』と告げて別れて歩き出した。


「おーっす。恭介、里香、あけましておめでとう。今年もよろしく」

「あけましておめでとうっす。今年もよろしくっす」

「あ、あけまして……おめでとう。今年もよろしくね」


 博孝が声をかけると、恭介と里香は新年の挨拶を口にした。それを聞き、みらいも口を開く。


「……あけ……おめ……」

「みらい、言うのが面倒だったんだろうし、それはそれで通じるけど、こういう挨拶はしっかりしないと駄目だぞ?」

「……あけまして……おめでとう」

「うん、よろしい」


 きちんと挨拶をするみらいを見て、里香も相好を崩してみらいの頭を撫でる。みらいは頭を撫でられると、僅かながらもどこか嬉しげな気配を発した。


「君が河原崎君か」


 そんな、里香とみらいの様子に博孝が頬を緩めていると、横合いから声がかかる。その声を聞き、声をかけた人物に目を向けた博孝は、少しだけ驚きつつも答えた。


「あ、はい。里香のお父さん……で、合ってますかね?」


 声をかけてきた人物――どこか里香と似た面影がある男性にそう尋ねると、里香の父親は鷹揚に頷く。その隣には里香の母親らしき人物が並んで立っており、こちらも里香と似た面影があった。


「里香の父です。里香がお世話になっているそうだね」


 フレンドリーに、笑顔を浮かべながら右手を差し出してくる。それを見た博孝は、若干押されているのを感じつつも右手を取った。

 里香の両親の胸には『ES能力者』であることを示すバッジがついており、博孝はある種の納得をする。


(そういえば、里香の御両親は『ES能力者』だって言ってたっけ……陸戦で、攻撃型と支援型……四級特殊技能持ち、か)


 バッジから情報を読み取り、博孝は眼前の男性が優れた実力を持つことを悟る。対する里香の父親も、博孝が胸につけているバッジを見て感心したような声を漏らした。


「万能型に、五級特殊技能か……最近の訓練生は優秀なんだね」


 博孝がつけているバッジ――正確には、独自技能をきちんと操れる前からつけている青いバッジを見て、里香の父親はそう言った。馬鹿正直に独自技能保持者を示す黒いバッジをつけていては、即座に目をつけられるのだ。


「いえ、まだまだ未熟な身です。教官にはしょっちゅう“指導”を受けますし、里香……いや、岡島さんに怒られることもありますから」


 さすがに里香の父親が相手とあって、ふざけずに答える博孝。里香を名前で呼ぶのもまずいと思い、名字で呼ぶ。すると、握り合った右手に少しずつ力が込められていく。


「君のことは、帰ってきた里香から色々と聞いたよ。元気で明るく、小隊長として小隊員達を引っ張っている、と。任務に関することだから詳細は聞いていないが、身を挺して娘を救ってくれたそうじゃないか。親として、感謝するよ」


 何故か強くなっていく、里香の父親の握力。博孝は冷や汗を一筋流し、必死に力を込めて対抗する。


「いやぁ……小隊員を守るのは、小隊長として当然ですよ」


 ミシミシと、右手が悲鳴を上げ始める。博孝の額に、冷や汗だけでなく嫌な種類の汗が浮かぶ。


「娘は引っ込み思案なところがあってねぇ……そんな娘にも気さくに接してくれて、引っ張ってくれて――デートにも、連れて行ってくれたそうじゃないか」

「あ、ははは……折角の休日だったので、クラスの仲間として、命を預ける戦友として、お誘いした次第でして」


 里香はみらいに構っていて、自身の父親と博孝が繰り広げる会話に気付いていない。恭介は気付いているが、いきなり始まった握力勝負に驚いて思考を停止している。


「見慣れないぬいぐるみを持ち帰ってきたから尋ねてみたら、照れながら教えてくれたよ。最近の若者にしては、見上げたものだ。小隊長として、小隊員を命がけで庇う……中々できることじゃない。大したものだ」


 帰省だというのに、里香は博孝がプレゼントしたうさぎのぬいぐるみを持ち帰っていたようだ。そのことに博孝は嬉しさを覚えるものの、今はそれどころではない。


「は、は、は……それは、なんとも、恐縮です……」


 『ES能力者』としての年季の差か、身体能力の差か。握力勝負は博孝の敗戦色が濃くなっていく。


「……ん」


 そんな中で、里香に構われていたみらいが不意に博孝を指差した。その動作を見た里香は指の先を視線で追い――自身の父親が、クラスメートを相手に握力勝負をしている光景を目撃する。


「お、お父さんっ!? な、なにしてるの!」


 里香は慌てたように、顔を真っ赤にして叫んだ。それを聞き、里香の父親は余裕の笑みを浮かべながら首を傾げる。


「んん? いやなに、父親として娘を救ってくれたことに対する感謝と、ちょっとした挨拶をだな……」

「あなた、さすがにやり過ぎですよ」


 それまで静観していた里香の母親が、父親を止める。それを聞いた里香の父親は、困ったように笑いながら博孝の手を離した。


「ごめんなさいね、うちの人が……この人ったら、里香のことになると頭のネジが外れちゃうのよ」


 さらりと酷い発言をしつつ、里香の母親は博孝の手に『治癒』をかける。それだけですぐに痛みはなくなり、博孝は小さく頭を下げた。

 里香の父親もそうだが、母親も外見は非常に若い。里香と並べば、親子というよりは姉妹といった方が通じそうな風貌である。

 博孝は、里香が成長したらこうなるのか、などと思いつつ口を開いた。


「ちょっと驚いただけなんで……気にしてないですよ」


 訓練校に入った愛娘に、悪い虫がついたと思ったのだろう。博孝としては抗議したい部分もあるが、みらいに良からぬ輩が手を出せば非常に怒りそうだったので、里香の父親の気持ちを汲んで引き下がる。


「河原崎君、だったわね。里香の母として、あなたには感謝しているの」


 そんな博孝に対して、里香の母親は真剣な目を向けた。里香とは違い、『ES能力者』として修羅場を潜った者の目だ。博孝は自然と背筋を正す。


「『博孝君に命を助けてもらった。庇ってもらわなかったら、死んでいた』って……里香に聞いてね」


 頬に手を当て、里香の母親は心底沈痛な感情を吐き出す。里香の父親もその隣に並ぶと、先ほどとは違って真剣な様子で頭を下げた。


「改めて、感謝をするよ河原崎君。娘の命の恩人だ。何か困ったことがあったら相談してほしい。力の限り助力するよ」

「わたしもよ。娘を助けてくれて、本当にありがとう。いつか、このご恩は返させてもらうわね」


 里香の両親は揃って頭を下げ、それを受けた博孝は照れたように頬を掻く。命がけで里香を助けたことに、他意はない。それでも、こうやって感謝されれば嬉しかった。


「そんな……頭を上げてください。大したことはしてませんよ。男が女の子を守るのは、当然のことですって」


 博孝がそう言うと、里香の両親は少し間を置いてから頭を上げた。そして、里香の母親は博孝に微笑みかける。


「それを“当然”と考えて、なおかつ実行に移す子は中々いないのよ」


 微笑む里香の母親の顔は、やはり娘の里香に似ていた。それでも、里香にはない大人の色香を感じて博孝は照れたように視線を逸らす。


「いやぁ、そんな風に言ってもらえると照れますねぇ」

「ふふふ……あ、そうだわ。お礼と言ってはなんだけど、うちの娘のことを気に入ってくれたなら、喜んで応援するわよ。母親のわたしが言うのもなんだけど、料理は上手だし、他の家事も得意なんだから。ちょっと子供っぽいところがあるけど、良いお嫁さんになってくれるわよ?」

「お、お母さんっ!」


 自身の母親の言葉を、里香は慌てて遮る。


(料理だけでなく、他の家事も問題ないのかぁ……うーん、良いねぇ)


 里香の母親の言葉を聞いた博孝は、それも良いな、と少しばかり思った。すると、そんな博孝の肩にゴツい手が置かれる。


「――だが、里香を手に入れたければまず私を倒すことだ」

「あだだだだだっ!? 指が肩にめり込んでるってか食い込んでる!?」


 無表情の里香の父親に肩を掴まれ、その五指が肩にめり込む。博孝は素で悲鳴を上げると、それを見た里香が頬を膨らませた。


「もうっ、お父さん!」

「あ、いや、これは男親としては避けては通れない道というかだな」

「そんな道はどうでもいいからっ。博孝君を離して!」


 里香が怒ったように言うと、里香の父親はしぶしぶ手を離す。そして里香の母親が手を引くと、博孝達からは離れるように歩き出した。


「せっかくお友達がいるんだもの。わたし達は別々にお参りしてくるわね」

「待ってくれ母さん。娘の身に危険が……」

「ないわよ。あなたもそろそろ子離れしてちょうだい」


 そんな会話をしながら里香の父親は引きずられていき――それでも、雑踏に消える直前に、夫婦そろって博孝に小さく頭を下げた。それを見た博孝も、会釈を返す。


「ご、ごめんね博孝君。お父さんが……」


 会釈をした博孝に、里香が申し訳なさそうに声をかけた。それを聞いた博孝は、里香の両親が消えた雑踏に視線を向けて小さく笑う。


「いや……良いお父さんじゃないか」


 里香に関して牽制は受けたが、それでも里香が助けられたことに関しては真摯に礼の言葉を口にしていた。博孝に釘を刺したのは、それだけ里香のことを愛しているからだろう。


「里香のお母さんだって、良い人だったよ……美人だし。可愛い系の美人って、良いよね?」


 最後に余計な一言を付け足すと、里香は博孝の言葉が理解できなかったように首を傾げる――が、すぐに理解して、理由は不明だが顔を真っ赤にした。


「友達の母親に対する評価じゃないと思うっすよ……というか、置き物みたいになってたっすね、俺」

「あ、いたのか恭介」

「最初っからいたっすよ! 新年の挨拶もしたじゃないっすか!」


 場の空気を整えるように口を挟んだ恭介に、真顔でボケる博孝。里香は何事かを口にしようとしたようだが、タイミングを逃して沈黙する。ただ、博孝に対してどこか恨みがましいような視線を向けるだけだ。その視線を受け、博孝は話題を逸らすべく口を開く。


「しかし、里香も家族が相手だとけっこう強く出るんだなぁ。意外な一面を見たような気がする」

「確かにそうっすね。あんな大きい声を出す岡島さんは、珍しいと思うっすよ」


 恭介が同意するように頷く。里香は二人からの評価を聞くと、顔を赤くしたままで下を向いた。


「そ、それは……その……」

「家族が相手だから、遠慮はいらないってところ?」

「う、うん」


 髪をいじりつつ、照れながら里香は頷いた。博孝はそんな里香の様子を若干新鮮に思いつつ、みらいの手を引く。


「それじゃあ、初詣を済ませようか。出店はその後に回るってことで」

「賛成っす。今日はたくさん食べるっすよ! あ、みらいちゃんには何か甘いものでも買ってあげるっすからね?」

「……ありがと」

「あ、あんまり食べ過ぎたら、体に悪いよ?」


 四人で並んで歩き出し、神社の本殿まで向かう。初詣ということもあって、長い列ができていた。それでも喋りながらならば、時間が経つのも早い。

 三十分ほどかけて賽銭箱の前まで到着すると、二礼二拍手一礼をする。みらいがそれを不思議そうな顔で見ていたが、博孝が促すと真似をして二礼二拍手一礼をした。


(『ES能力者』になってもうすぐで一年……今年も健康で過ごせますように)


 若者らしくない現実的な願いを心中で口にして、博孝は里香達を促して歩き出す。そして、その途中で『おみくじ』と書かれた張り紙を見つけて足を止めた。


「おみくじかぁ……よし、今年の運勢を占ってみようか?」

「おお、良いっすねぇ」


 博孝の言葉に恭介も同意し、里香もどこか期待をした面持ちで動き出す。みらいだけは首を傾げていたが、里香がおみくじについて説明をすると、少しだけその瞳に興味の色を宿した。

 恭介や里香はお金を払っておみくじを受け取り、博孝はみらいの分も合わせてお金を渡す。


「さあ、今年一年の運試しっすよ! 大吉……大吉……うん、吉っすか。なんというか、普通っすね」

「えっと……わっ、だ、大吉だっ。内容は……」


 恭介は吉、里香は大吉だったようだ。二人とも内容に目を通しているが、里香などは恋愛運について熱心に読んでいる。みらいも二人を真似ておみくじを受け取ると、内容を読んで首を傾げた。


「おお……きち?」

「それは大吉って読むんだよ。良かったな、みらい。一番良いやつだぞ」

「ふーん……」


 みらいは大吉と書かれたおみくじを見て、『これは良いものなのか』と頷く。博孝はそんなみらいに対して苦笑すると、自身もおみくじを受け取った。


「さーて、俺の運勢はなんでしょうかねぇ、っと」


 折りたたまれたおみくじを開き、博孝は内容に目を通す。



 ――最初に飛び込んできたのは、『凶』という一文字だった。



「ぎゃあああああああぁぁっ!?」

「うおっ!? ど、どうしたっすか!?」


 突然博孝が上げた悲鳴に、ビクリと身を震わせる恭介。博孝はおみくじを恭介に見せると、恭介は災厄から逃げるように身を引いた。


「うっわぁ……凶を引いた人間、初めて見たっすよ」

「俺だって初めて見たよ! というか、引きたくて引いたんじゃねえよ!」


 博孝が凶を引いたということで、里香も若干身を引く。それでも苦笑すると、博孝に内容を見るよう促した。


「で、でも、書いてあること次第じゃないかな? 凶っていっても、内容が悪くなければ良いと思うけど……」

「そ、そうだよな! 肝心なのは内容だよな! なになに……健康運、『災い潜む。身の回りに注意せよ』……ってなんだこれ!? 災いってなんだよ!? 断じて健康運のところに書く言葉じゃねえよ!?」


 他の内容も酷いものであり、博孝は思わずおみくじを地面に叩きつけた。それでも我に返っておみくじを拾い上げると、傍に生えている木へ目を向ける。


「たしか、利き手と逆の手だけでおみくじを木に結んだら、運勢が逆転するって聞いたような……破れたああああっ!?」


 片手で木の枝におみくじを結ぼうとした博孝だが、力を入れ過ぎておみくじが破れてしまう。破れて真っ二つになったおみくじが地面に落ちるのを見て、博孝は思わず膝をついてしまった。


「今年……何が起きるの? 去年以上のことが起きるの? 去年以上のことが起きたら、死にそうなんだけど……」


 絶望から、ぶつぶつと呟く博孝。去年“オリジナル”のESに適合したことで、一生分の運を使い果たしたのでは、と割と本気で思う。それでも気を取り直して立ち上がると、元旦から晴れ渡った青空を見上げた。


「身の回りに注意すれば良いって書いてあったし、大丈夫だろ……うん、大丈夫大丈夫」

「うわぁ……今の博孝を見ていると、吉でも十分に幸運な気がするっすよ」


 必死で自分に言い聞かせる博孝を見て、恭介は同情するように言った。その言葉を聞くと、博孝はそれまでの陰鬱さを振り払う。


「さて、いつまでも凹んでいても仕方がない。とりあえず出店でやけ食いだ!」

「滅茶苦茶気にしてるじゃないっすか……」


 悪い運から逃げるように、博孝は走り出す。

 おみくじの結果は散々だったが、それでも今年も良い一年になるのではないかと思い、それが叶うよう強く願う。



 その願いが叶うかどうかは、神のみぞ知ることであった。


以下、おみくじ的な余談。各人が引いたおみくじの主な内容など。


・恭介

 運勢:吉

 仕事:足元に注意せよ

 学業:励んだ分だけ伸びる

 健康:不摂生は慎むべし

 恋愛:焦るべからず。気長に待て

 争事:控えるが吉

 

・里香

 運勢:大吉

 仕事:自信を持って進め。計画は早めに実行すべし

 学業:新たな発見あり

 健康:心配なし。病気は長引くため注意

 恋愛:今の人が最上。迷うな

 争事:勝つが退くがよし


・みらい

 運勢:大吉

 仕事:思うこと願う事、叶わぬということなし

 学業:興味なきことにも目を向けよ

 健康:流行り病に注意すれば大過なし

 恋愛:見に徹せよ

 争事:逃げるが勝ち


・博孝

 運勢:凶

 仕事:悪し

 学業:壁にぶつかれど、諦めることなかれ

 健康:災い潜む。身の回りに注意せよ

 恋愛:軽挙は慎むべし

 争事:負けるが勝ち


もう一つ余談ですが、感想欄とメッセージにてリクエストをいただいたので拙作の絵を描いてみました。よろしければ、以下もどうぞ。


※男子制服+小物(恭介)

http://29.mitemin.net/i98375/


※女子制服+小物(里香)

http://29.mitemin.net/i98376/

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