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第三十六話:帰省 その2

「――これから、『飛行』の訓練を行う」


 真剣な表情で告げる砂原に、博孝は虚を突かれたように目を見開く。その顔は年齢相応の幼いものであり――言葉を理解するにつれて、堪えきれないように笑みを浮かべた。

 それは、博孝の夢を現実のものにするという言葉。

 幼心に憧れ、『ES能力者』になったことで『道』が見えた『空を飛ぶ』という夢。


「『飛行』……え? ええっ!? ま、マジですか!?」


 それが手の届くところに現れて、博孝は興奮しながら確認を取る。しかし、砂原の表情は真剣なままであり、それを見た博孝は昂る心境を無理矢理抑えつけると、何度か深呼吸をしてから口を開く。


「何か、理由があるんですね? 俺が『飛行』を使えるようにならないといけない理由が」


 静かに問うと、砂原は首肯する。そして博孝から視線を外すと、茜色に染まり始めた空を見上げた。


「何故『飛行』を教えるのか……それは、お前が今後『飛行』を発現できる『ES能力者』と対峙した時に、一方的に殺されないようにするためだ」


 空戦が可能な『ES能力者』と陸戦のみが可能な『ES能力者』を比較した場合、例外的な実力差がない限りは前者に天秤が傾く。

 『射撃』などで空にいる相手を撃ち落すことも可能だが、それができるのは陸戦部隊でも最精鋭の者達――その中から、さらに一握り程度だ。

 足を地面につけて戦う陸戦と、空を翔けて三次元に機動する空戦。両者の優越は明瞭なものであり、空戦の小隊で陸戦の大隊を拘束することも可能なほどに、その力量は隔絶する。


「教えてすぐに身につくほど、『飛行』は簡単な技能ではない。三級特殊技能に分類され、『ES能力者』としては一つの到達点と言ってもいいだろう」


 そう言った瞬間、砂原の姿がその場から消える。博孝がそれに驚きの声を上げようとするが、それよりも早く背後から声がかかった。


「『飛行』の訓練を行えば、こういった高速での移動も可能だ。そして、もしも俺が敵だったら、お前は既に三回は死んでいる」


 言葉と共に、博孝の視界の中に砂原が姿を見せる。『飛行』か、あるいはそれに準ずる技能を使った高速移動だろうとアタリをつける博孝だが、同時に、今の自分では反応することもできないと頬を引き攣らせた。


「『飛行』の訓練の過程で身につく、『瞬速』という四級特殊技能だ。これは空を飛ぶわけではないが、地上で高速移動するための技能だ。今後のことを考えれば、覚えておくに越したことはない」


 砂原は自身が行った技能について説明をすると、博孝に真剣な眼差しを向ける。


「良いか、河原崎。お前は独自技能を発現し、訓練にも意欲的に取り組む。時折羽目を外すが、夜を徹して自主鍛錬に励むその姿勢も褒められるだろう……が、所詮は“その程度”だ。腕の立つ空戦可能な『ES能力者』に遭遇すれば、十秒ももつまい。陸戦の正規部隊員が相手でも、一分もてば良い方だろう」


 真剣な、それこそ博孝を睨み殺さんばかりに真剣な目を向ける砂原。博孝はそんな砂原の視線を受け、心臓が恐怖で高鳴るのを感じた。


(これが……“本物”の『ES能力者』、か……)


 今にも足が震えそうになるのを、気合でねじ伏せる。拳を握り締め、引きつらせながらも頬を吊り上げた。そして、博孝は不格好に笑ってみせる。


「空戦可能な『ES能力者』を相手に十秒、ですか……つまり、十秒は立っていられるんですね?」


 負け惜しみのように言うと、砂原はようやく表情を崩した。


「そうだな……十秒は立っていられる。だが、それでは話にならん」

「そこで、『飛行』を発現できるようにすると。『飛行』が発現できれば、勝てるようになりますかね?」

「ふん、その程度では話にならん……が、相手と同じ土俵に立つことができれば、勝ち目も見えるだろう」


 気丈にも視線を返す博孝を見て、砂原は僅かに笑みを浮かべる。

 博孝は体術もES能力も、まだまだ未熟。尻に殻がついたヒヨコどころか、まだ殻を割れてすらいない。しかし、その度胸だけは認めていた。


「『飛行』を発現するには、ある程度熟練した陸戦の『ES能力者』でも時間がかかる。訓練生のお前ならば……そうだな、卒業までに発現できれば御の字といったところか。『瞬速』は半年もかからずに習得できるだろうがな」

「二年とちょっと、ですか。道のりは長いような、短いような……」

「十分に短いぞ。だが、これをさらに短くすることが可能だ」


 砂原がそう言うと、博孝は首を傾げた。しかし、すぐに砂原の言いたいことを理解する。


「『活性化』を使えってことですね?」


 確認するように博孝が問うと、砂原はよく気付いたと言わんばかりに頷く。


「そうだ。それに、『飛行』はコツを掴めば上達しやすい。『瞬速』の習得にもつながる。『活性化』を使ってコツを掴めれば、一年とかけずに発現できるかもしれん」

「なるほど……みらいの『構成力』が安定するまでは『活性化』を使いまくるわけにはいかないですけど、それでも覚えやすくなりますね」


 博孝が使う『活性化』は、一時的に『ES能力者』の肉体やES能力を強化させることができる。それを使えば、『飛行』の習得が現実味を帯びてきたように思えた。


「それで教官、『飛行』や『瞬速』はどうやれば発現できるんですか?」


 肝心のことを博孝が聞くと、砂原は顎で“ある場所”を示す。それに従って視線を向けた博孝は、盛大に頬を引き攣らせた。


「あの……教官? どう見ても崖なんですが……それも、かなり深い……うわぁ、五十メートルぐらいあるんじゃね?」


 砂原が示したのは、道路脇にある崖だった。恐る恐ると崖の下を覗き込み、博孝は砂原に小さく抗議する。まさかとは思うが、と少しばかり逃げ腰になりながら砂原の言葉を待った。しかし、砂原は真顔で言う。


「――飛べ」


 端的に告げられた言葉に、博孝は盛大に頬を引き攣らせた。命綱もなしに飛び降りるには、戸惑わざるを得ない高さだ。『ES能力者』である以上、運が悪くても骨折ぐらいで済むかもしれないが、“人間”として培ってきた本能が拒否をする。

 若干腰が引けた博孝を見て、砂原が一歩前に踏み出す。


「そもそも、何故熟練の『ES能力者』が空を飛ぶことができるのか。お前はそれを不思議に思ったことはないか? 人間を超える筋力や持久力、それに耐久力。それだけではない。人間の頃よりも食事や睡眠を必要としないのは何故だ? 俺ぐらいになると食事は嗜好品、睡眠は精神の安定に少し取るだけだ。何故『ES能力者』はそれを可能とする?」

「えっと……そうですね……」


 博孝は問いの答えを探すが、すぐには見つからない。


「それは、『ES能力者』は時を経るごとに“人間から遠ざかっていく”からだ。熟練の『ES能力者』ならば『飛行』を発現できる可能性は高いが、若い『ES能力者』では難しい。その理由は長年研究されてきており、現在ではおおよその目途がついている」


 さらに一歩、砂原が博孝へと近づく。それに合わせて、博孝は一歩後ろへ下がった。


「『ES能力者』には、徐々に地球上のあらゆる法則が適用されにくくなるのではないか、とな」


 その言葉に、博孝は思わず沈黙する。

 何故、『ES能力者』になった途端に持久力や筋力が上がったのか。そういうものだと思っていた博孝だが、砂原の説明に納得もする。

 博孝達の筋力が異常発達したのではなく、地球上にある物質が博孝達――『ES能力者』に与える影響が減じているのだ、と。


「『飛行』を発現するにあたって、何が必要だと思う?」


 もう一歩、砂原が踏み込んでくる。博孝は徐々に崖の端に追いやられつつ、思考を働かせた。


「……『構成力』のコントロールですか? 体を浮かしたり、空を飛んだりするのは難しいと思いますし」

「半分正解といったところだな。たしかに『構成力』の制御は重要な要素だが、それ以上に重要なことがある」


 最後に一歩、砂原が距離を詰めた。博孝の背後には夕暮れに照らされた赤い谷底が口を開けており、谷の間を抜ける風が博孝の髪を揺らす。


「重力に縛られなくなることだ。『構成力』を使って飛ぶのは合っているが、その前にお前自身の体が“空を飛べる”と認識しなければならない。『瞬速』も、自身にかかる重力を軽減しながら移動する技能だからな」


 そう言って砂原はどこか楽しげに――愉しげに笑う。


「なに、この程度の高さならば頭から落ちても死なんよ。昔は、パラシュートなしでヘリから飛び降りて練習していたんだぞ?」


 トン、という軽い感触に押され、博孝の体が傾く。上体が泳ぎ、崖の端から博孝の体が乗り出す。


「あ……」


 みらいが小さく声を出し、博孝がそれに反応しようとした。だが、それよりも早く、重力に引かれて博孝の体が落下し始める。


「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「重力に逆らうことを意識しろ!」


 ドップラー効果を残して、博孝の体が谷底へ落下していく。そんな博孝に対して、砂原が声を飛ばした。

 重力に引かれて落下し、血液が無理矢理体の上部へ押し上げられ、背筋を凍らせる。言い様のない不安感、不快感を覚えた博孝だが、それでも砂原の言葉通りに『重力に逆らう』ことを意識しようとした。


「がっ!?」


 しかし、それよりも先に谷底に到達し、足から着地する羽目になる。足の半ばまで地面にめり込み、嫌な類の痺れが両足を満たす。


「……痛い痛い痛い。足が痛い……」

『地面についたな? それならすぐに登ってこい』

「少しは労わりましょうよ!?」


 『通話』で声をかけられ、思わず絶叫する博孝。谷間に反響してその声が届いたのか、砂原から苦笑するような声が響く。


『元気があるじゃないか。ほら、あと一分以内に戻ってこい。戻らなければ、俺がお前を高度五百メートル程度まで連れて行って、そこから自由落下だ』

「今すぐ戻ります!」


 十倍の高さから落下させられると聞いて、博孝は埋まった地面から抜け出す。訓練服に着替えておいて良かったと安堵し、どうやって崖を登るかと思案した。だが、時間はほとんどない。そのため思い切り跳躍すると、空中に『盾』を発現して足場にし、同じ要領で崖の上を目指して跳躍を続ける。

 崖の上では砂原が興味深そうに博孝の行動を見ており、博孝が崖の上まで戻るとその口を開いた。


「『盾』を足場にしたか……良い発想だ。それならば、限定的ながらも空戦が可能になる」


 博孝が『盾』を足場にしたのを見て、砂原はそう褒める。博孝が取った行動は、正規部隊でも使用されている手法だ。訓練校でも、生徒達の修練がもう少し進めば授業で取り入れる予定だった。


「どうだ? 少しは重力に逆らえたか?」

「いや、いきなり過ぎて慌てるだけでしたよ……重力に逆らうことを考えた瞬間、地面に足がつきました」

「そうか……それならもう一回だな」


 言うなり、砂原が博孝の体を押す。


「え? は……ちょっ!?」


 そして、博孝は再度谷底へと落下していくのだった。








「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすって言うけど、さすがに這い上がってきた子供を何度も突き落すことはしないと思う……」


 既に日が落ち、暗闇に支配された谷間を駆け上がりながら博孝が呟く。谷底までの距離が見えなくなったため、いつ地面に足がつくのか恐怖を覚える。しかし、それを聞いた砂原は、笑って言った。


「そっちの方が、恐怖で訓練に身が入るだろう?」


 砂原は絶対にサディストだと、博孝が再確認した瞬間である。

 谷底に突き落とされること五十回。戦闘と違って『盾』を発現するのは瞬間的とはいえ、さすがに『構成力』が底を尽き始めている。あと数回ならば谷底から往復できるが、『構成力』を操るための集中力が欠けていくのを博孝は自覚した。


「きょ、教官……さすがに『構成力』が限界に近いです」

「そうか……」


 博孝が限界を告げると、砂原は周囲を見回す。博孝が崖と谷底を往復している間も、『探知』を発現して周囲に敵性の『構成力』が存在しないことを確認していたが、それに加えて視線が向けられていないことも確認する。

 周囲が暗闇に包まれているとはいえ、それだけで向けられた視線に気づかないほど砂原は鈍くない。その結果、少なくとも視認できる範囲に外敵がいないと判断すると、肩で息をしている博孝に視線を向ける。


「では、今度は『活性化』を使いながらだ」

「……あの、教官? 『活性化』の発現って地味にきついんで、『飛行』の訓練どころじゃないんですけど?」


 たしかに、『活性化』を使いながらならば違った結果が得られるかもしれない。博孝とてそう思うのだが、通常のES能力と違って『活性化』は不自由なく発現できるほど熟達しているわけではないのだ。

 そんな博孝の抗議を聞くと、砂原は顎元を撫でながら言う。


「なに、これも訓練だ。落下中でも『活性化』を維持する訓練だな」

「訓練の一言で片づけるなんて、さすが教官ですねぇ……いいです、わかりました、やります、やればいいんでしょ!?」


 泣き言のように言いつつも、博孝は精神を集中して『活性化』を発現する。それに合わせて博孝の体が薄緑色の光に包まれ――準備が整ったと見た砂原が、博孝を谷底へ突き落す。


「うわあああああああああぁぁぁぁいいいいぃぃぃっ!」


 まさか無言で突き落されるとは思わず、博孝は悲鳴を上げつつ落下した。それでも『活性化』を維持し、ついでとばかりに五十回繰り返した『飛行』の訓練に意識を向ける。

 落下の衝撃に備えつつ、一心に、自身にかかる重力を振り払おうとする博孝。

 重力に逆らえなければ、『飛行』は発現し得ない。『活性化』を発現し、一時的とはいえ『ES能力者』として肉体的精神的に力を増した博孝は、歯を食いしばりながらも自身の体に絡みつく重力の鎖を幻視する。

 幼少の頃から空を飛びたいと願い、その夢に向かっての訓練だ。少しだけでも、浮くだけでも良い。

 そう願い――浮くこともなく、博孝は谷底に着地した。


「……いや、うん。わかってたけどね?」


 砂原に『卒業までに修得できれば御の字』と言われた技能だ。さすがに、すぐさま習得できるはずもない。

 博孝は『活性化』を切り、崖の上に登るべく地面に埋まった両足を引き抜こうと力を込め――そこで、違和感を覚えた。

 両足が、地面に埋まっていない。


「……え?」


 崖上から落下する度、博孝は足の半ばまで地面に埋まっていた。地面が柔らかい場所では、腰まで埋まったこともある。それが、埋まっていなかった。さすがに着地の衝撃で凹んではいるが、それも靴の半ばまで。


「お……おお? こ、これはもしかして……」


 飛ぶことも浮くこともできなかったが、“減速”することはできたのではないか。そう結論付けて、博孝は喜びから目を見開く。


「よっしゃあああああぁぁっ! 教官教官きょうかーん!」


 ガッツポーズを決め、その場から跳躍し、崖上を目指して疾駆する。そして喜色満面に崖上に到着すると、勢い込んで口を開く。


「教官! 飛ぶことも浮くこともできませんでしたけど、なんかこう、落下速度を減速することはできたみたいです!」

「ほう……まさかとは思ったが、『活性化』の影響か。しかし、減速することができたか」

「はい! ちょっとだけでしたけどね!」


 テンションが上がり、元気に答える博孝。砂原はそんな博孝の様子に苦笑すると、崖を示す。


「まだ時間はあるが……続けるか?」

「もちろんです! いってきまーす!」


 『活性化』を発現し、崖から飛び降りる博孝。ES能力の発現には精神状態も関係するため、コンディションで言えば最高の状態といえるだろう。その上で、博孝は『活性化』に割り振る『構成力』を全開にする。

 普段は消耗が激しくて『活性化』を全開で発現することはあまりないが、落下にかかるのはほんの五秒弱。それぐらいならば、まったく問題はない。

 博孝は空を飛ぶことを強く意識して落下すると、再度谷底へと降り立つ。すると、先ほどよりもゆっくりとした着地が出来た――ような、気がした。


「よおぉっし! この調子で減速ができれば……あれ? 浮くぐらいできないと、意味なくね?」


 落下速度を殺すだけならば、空中に『盾』を発現して足場にした方が早く、『構成力』も少なくて済む。いくら『飛行』を発現するための訓練とはいえ、僅かに減速したことで大喜びしていた博孝は、冷静さを取り戻すと頭を抱えた。


「全力で『活性化』をしても、ちょっと減速するのが精々か。教官が見せてくれた『瞬速』にはつながるかもだけど……うーん、これは練習を続けないと身につかないな」


 訓練校に戻ったら、可能な限り『飛行』の練習をしようと強く誓う博孝。そもそも、『活性化』を発現しなければ『飛行』が不可能では、意味がない。数分飛んだだけで力尽き、そのまま墜落死するのがオチだ。


「自力で『飛行』を習得する、か……『活性化』でコツはつかめそうだけど、最終的には『活性化』なしで『飛行』を発現しないと……前途多難だなぁ。訓練の過程で『瞬速』も習得できるって言ってたけど、そっちも訓練しないといけないし」


 先程までのはしゃぎっぷりはどこにいったのか、消沈した様子で崖を登る博孝。砂原は博孝が登ってきたことを確認すると、僅かに片眉を上げた。


「この一分程度で何があった? 顔が死んでいるぞ」

「いえ……なんというか、自力で『飛行』を発現するのって難しいなぁ、と」


 博孝がそう言うと、砂原は苦笑しながら頷く。


「気付いたか。『活性化』を使いながら『飛行』を発現したのでは、すぐに『構成力』がなくなるだろう。自力で『飛行』を発現し、『活性化』を使って加速する……という使い方ならできそうだがな」

「ああ、それは夢が広がりますね」


 砂原の言葉通りにできるのなら、『活性化』を活かすこともできるだろう。博孝は先の未来を空想し、ため息を吐く。石段を一段登ったと思ったら、まだまだ数百段近い石段が待ち構えていたような気分だ。


「この練習を続ければ、『構成力』の操作について習熟することが可能だ。そうすれば、他のES能力にも活かすことができる。俺も、この訓練を行うことで腕を磨いたものだぞ」


 少しばかり落ち込んだ様子の博孝に、砂原がそんな言葉を投げかけた。それを聞いた博孝は、落ち込んでいても仕方がないと気分を切り替える。

 一段一段しか登れなくても、いずれは頂上にたどり着けるのだから。

 そう自分に言い聞かせ、『構成力』の操作と聞いて博孝は手を打つ。前々から砂原に聞いてみたかったことがあったのだ。


「そういえば教官、以前から聞きたかったことがあるんですが」

「なんだ?」


 博孝が水を向けると、砂原は眉を寄せる。


「教官って『穿孔』って呼ばれているんですよね? それって、なんでなんですか?」


 問うと、砂原眉間のしわを濃くした。どこか雰囲気が鋭くなったように感じられ、博孝は質問した口を閉じる。


「……河原崎、お前、それを誰から聞いた?」

「……あ」


 以前、体育館の管理をしている野口から聞いたのだが、機密に該当するかもしれないから黙っているように言われた。博孝は遅まきながらそれを思い出し、視線を明後日に逸らす。


「いえ、なんでしょう……そう、風の噂で聞きまして」


 視線を逸らして誤魔化す博孝を見て、砂原はため息を吐きつつ拳骨を落とす。


「さては、この前大佐殿と話している時に盗み聞きしていたな?」


 みらいを運び込んだ病院での一件を思い出し、砂原はそう言った。それを聞いた博孝は、目を瞬かせると内心で『しめたっ!』と叫びながら頷く。

 それを見た砂原は、眉を寄せたままで頭を振った。


「正規部隊でやったら懲罰ものだぞ? まったく……それで、俺が『穿孔』と呼ばれている理由についてだったな」

「あ、はい」


 呆れたような声と視線を向けられるが、それでも博孝は頷いた。砂原は思案するように目を細めたが、やがて考えがまとまったのか、重々しく口を開く。


「そうだな。これも後学になるか……」


 そう言うなり、砂原は歩き出す。博孝と、電気ランタンを持ったままぼんやり宙を見ていたみらいは、慌ててその後に続いた。


「突然どうしたんですか?」

「ん? ああ、これだ」


 博孝が疑問の声を向けると、砂原は山肌に突き出た巨大な岩を叩く。大きさは二メートルほどあり、『ES能力者』である博孝でも持ち上げるのは骨だろう。砂原はその岩の前に立つと、博孝に向かって口の端を吊り上げてみせる。


「河原崎、お前ならこの岩をどうやって破壊する?」

「え? この岩をですか? そうですね……素手で破壊するのは骨なんで、『射撃』で破壊します」

「ふむ……まあ、妥当な手段だな」


 そう言って、砂原は体を解すように軽く腕を振る。何をする気なのか見当がつかず、博孝は再度首を傾げた。


「今の質問の意味はなんだったんですか?」

「ん? ああ、ただの余興みたいなものだ。今から、“違った”手法を見せてやる」


 どこか楽しげに言うと、砂原の体が白い『構成力』に包まれる。汎用技能の『防殻』だ。しかし、博孝は砂原の発現した『防殻』からかつてないほどの力強さを感じ、一歩後ろに下がる。

 砂原はそんな博孝の様子に構わず、僅かに腰を落とし、そのまま右の掌底を岩へ叩きつけ――ドンッ、という鈍い音と共に、岩が“粉砕”した。しかも、ただ砕くのではない。まるで砂の塊を叩いたかのように、岩が目の細かい石粒となって砕けたのだ。


「は?」


 目の前の光景が理解できず、博孝は間の抜けた声を漏らす。


「よし、次だ」


 目と口を真ん丸に見開いた博孝を気に留めず、砂原は隣にあった岩へ視線を向ける。今しがた粉砕された岩と同程度の大きさを持つが、気負うことなく砂原は岩の前へ移動した。そして右手で手刀を作ると、大上段から振り下し――何の抵抗もなく、岩が両断される。


「……は?」


 再度、間の抜けた声を漏らす博孝。だが、砂原は気にしない。


「これが最後だ」


 両断して真っ二つになった岩の側面へ砂原が回ると、その側面に向けて掌底を叩き込み――今度は、周囲を破壊することなく、掌底が岩を貫通した。


「はあああああああぁぁぁっ!?」


 真っ二つになっているものの、岩の厚みは五十センチ近くある。それだというのに、砂原が叩き込んだ掌底によって綺麗な真円の穴ができ、その中を砂原の右腕が貫通していた。

 その光景を見ていた博孝は驚きの声を上げ、顔の前で何度も手を振る。


「いやいやいや! おかしいでしょ!? なんで掌底で岩が粉砕されるんですか!? あとその右手! ただの『防殻』でしたよね!? なんで岩をバターみたいに斬れるんですか!? 最後にこの穴! さっきは粉砕したのに、なんでこんな綺麗な穴が開くんですか!?」


 目の前で起きた事象が理解できず、博孝は理解できない手品でも見たように抗議した。

 博孝とて、ES能力を使えば岩を粉砕することは可能だ。しかし、砂原が行ったように、均一に目の細かい石粒になるまで粉砕することはできない。岩を両断したこととて、沙織のように『武器化』で刃物でも作り出せれば可能かもしれないが、砂原は素手で行っている。

 そして極めつけは、岩に掌底で穴を開けたこと。こればかりは、博孝にも理解が及ばなかった。手の平から『射撃』でも撃ち出したのかと思ったが、そんな形跡もない。

 博孝の言葉を聞いた砂原は、掌底を引き抜いて残心を取ると、構えを解く。


「これが、俺が『穿孔』と呼ばれた理由だ」

「うーん……実践してもらって恐縮ですけど、何がなんだか……」


 原因を考えつつもそう答えると、砂原は小さく笑う。


「正確に言うと、最後に見せたものが『穿孔』の由来だな」


 そう言って、砂原は穴が開いた岩を軽く叩く。すると、それに合わせて岩の表面が抉れた。


「『活性化』みたいに力を底上げしている、ってわけでもなさそうですね。んー……なんだろう? 何か特殊なことをしてるんですか?」


 こんな時に里香が傍にいれば、と博孝は思う。里香ならば、砂原が見せた一連の動きで何かを掴んだのではないか、と。

 腕を組んで悩む博孝に対して、砂原は右手を見せる。砂原の全身は『防殻』によって覆われており、右手も『構成力』によって白い光を放っているが、それだけだ。


「わからんか? なら、これならどうだ?」


 言うなり、砂原の右手に『構成力』が集まり、他の部分の肉体に比べて強く光を放ち始めた。それを見た博孝は、まさかと思いながら砂原の顔を見る。


「『構成力』を……一点に集めている?」

「気付いたか。これが、俺が編み出した二級特殊技能の『収束』だ。その名の通り、『構成力』を“収束”させる技能だな」


 こともなげに言いつつ、砂原は砕けた岩を見る。


「対象に接触した瞬間に『構成力』を放出すれば、こうなる。そして、放出せずとも収束した『構成力』によって『武器化』以上の切れ味にもなる」


 言葉と同時に岩へ右手を突き出すと、何の抵抗もないように岩を貫き、反対側から砂原の右手が姿を見せた。


「普段は、ここまであからさまに『構成力』を見せるわけではない」


 そう言うと、砂原は右手の構成力を減らす。だが、博孝は砂原から力強い『構成力』を感じ取り、思い切り頬を引き攣らせた。


「あの、教官? まさかとは思いますけど……今発現してるのって、『防殻』じゃないとか?」


 砂原が身に纏っている白い光が、訓練の時に見るよりも力強く感じる。それ故の問いだったが、砂原は感心したように頷いた。


「よく気付いたな。そうだ、これは『防殻』ではない。『収束』によって発現した『構成力』だ」


 その言葉を聞き、博孝は今しがた砂原が言った言葉を理解する。現在砂原が発現している技能が『収束』だとしても、遠目に見る分には『防殻』にしか見えないだろう。それだというのに、その性能は『防殻』とは比べ物にならない。見破るには、『探知』を使って『構成力』の規模から推察するしかない。

 『防殻』の発現に使用している『構成力』を一とすれば、砂原が全身に発現している『収束』は十程度。『探知』を使えば、見分けることは可能だ。

 しかし、砂原の話を聞く限りでは、わざわざ最初から発現しておく必要もない。敵に接近し、攻撃を加える瞬間にのみ発現することも可能と思われた。

 それらの特色を理解した博孝は、音を立てて唾を飲み込む。

 もしも、砂原が『防殻』すら発現していないと“勘違い”をして不用意に接近したとしよう。しかし、砂原の“攻撃”を受けた時には、既に遅い。その一撃を以って、即死させられる。

 それこそ、体に風穴を開けられる――まさに、『穿孔』という呼び名に相応しい。


「こうやって全身に発現すれば、攻防一体の技能になる。一点に『収束』させれば、並の防御系技能では防げん」


 そう言われて、博孝は試しに『盾』を発現してみる。『活性化』も併用し、今の博孝にできる、最も強固な『盾』だ。それを見た砂原は博孝の意図を悟って僅かに笑うと、軽く踏み込み、『盾』目がけて右手を突き出す。

 例え沙織が『武器化』で生み出した大太刀だろうと、防げるだろうと博孝は思う。しかし、そんな予想を立てた博孝の『盾』を、砂原が突き出した右手はいとも容易く貫通した。


「……わーい、まるで障子紙を破くみたいにあっけねえやー」


 『盾』を貫通し、博孝の眼前で止まった砂原の右手を見て、博孝は両手を上げてホールドアップしながら投げやりに呟く。それを聞いた砂原は、右手を戻しながら口を開いた。


「そう悲観するな。障子紙よりは硬かったぞ? そうだな……厚紙ぐらいの感触はあった」

「紙っていうカテゴリからは外れないんですね。しっかし、すげぇなぁ……これが二級特殊技能か。どうやって身に付けるんだ……才能?」


 難易度的には、三級特殊技能の『飛行』よりも上である。さらに上には一級特殊技能もあるのだが、そこまでいくとどんな技能なのか、博孝には予想がつかなかった。

 才能があれば身につくのか、と博孝は首を傾げる。独自技能こそ身に付けているものの、それ以外の部分は繰り返しの鍛錬を行う“努力”によって習得している博孝にとって、砂原が見せた『収束』は、非常に難易度が高い技能に見えた。

 だが、砂原は博孝の呟きを聞くと、顔に苦みのある表情を貼り付ける。


「才能、か……俺は才能が乏しくてな。『構成力』を操ることを、ひたすら修練して身に付けた技能がこの『収束』だ」


 才能が乏しいという言葉を聞き、博孝は驚きに目を見開く。博孝が知る砂原は、かつて『零戦』の中隊長を務め、近接戦闘では第七十一期訓練生をまとめて倒し、訓練生達を厳しくもどこか暖かく鍛えるという、限られたものだ。

 博孝の目から見て、砂原が非才の身であるというのは冗談に等しい。しかし、砂原は右手を拳に変えて握り締めると、視線を鋭くする。


「着想し、構想し、修練し、実戦を経て、完成と呼べるまで磨き上げるのに十年。完成させた当時は独自技能として扱われていたが、今ではこの技能を継ぐ者も現れている。俺よりも短時間で身に付ける部下達の姿を見た時は、少しばかり気落ちもしたがな」


 最後におどけるように言って、砂原は笑った。その言葉を聞いて、博孝は静かに思う。


(十年頑張れば、身につくかもしれないのか……)


 『飛行』や『瞬速』を身に付けることが最優先だが、それでも、砂原が見せた『ES能力者』の“可能性”を感じ、博孝は砂原が風穴を開けた岩をじっと見る。

 砂原は博孝の内心を肯定するように頷くと、笑みの種類を変えて笑った。


「『飛行』とは方向性が異なるが、これも『構成力』の操作における一つの到達点と言えるだろう。俺もまだまだ満足はしていないがな。それでどうだ――参考になったか?」


 笑みを浮かべているものの、どこか獰猛な気配を漂わせる砂原に対して博孝ができたのは――ただ、無言で頷くことだけだった。


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