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第三十五話:帰省 その1

 年末年始というのは、社会人にとっては帰省の時期である。対外的には学生という身分ながらも、実態は社会人と変わらない訓練生にとってもそれは変わらない。

 みらいというイレギュラーな存在が転入したことで目が逸れていたが、年末が近づくとクラスの中にも浮ついた雰囲気が漂い始めた。

 訓練校に入校して早八ヶ月弱。『ES適性検査』を含めれば親元から離れた期間は十ヶ月にもなり、さすがに里心がつくというものである。もっとも、家族から『ES能力者』が出た者達は人質にされたり、差別を受けたりする危険性を考慮し、故郷を離れて国が用意した場所へ移住していた。そのため、“里心”が満たされるかは難しいところである。

 それでも、家族と会えることは十分に心の休息となるだろう。


「それにしても、帰省できるんすかねぇ……お盆の時は帰省できなかったし、そろそろ両親の顔が見たいっすよ」


 ぼやくように言ったのは、恭介である。家族への連絡は禁じられていないが、やはり直接顔を合わせた方が良いのだろう。博孝としても納得できたため、何度も頷く。


「たしかになぁ……でも、うちの場合はみらいのこともあるし、帰りたいような帰りたくないような……」

「ああ、そういえばそうだったっすね。でも、連絡はいってるんじゃないっすか?」


 さすがに戸籍をねつ造するとなれば、その家族に対して連絡はいっているだろう。そう楽観的に離す恭介だったが、博孝は素直に頷けなかった。


「いや、あの『武神』さんは意外と“お茶目”だからな。俺に丸投げしているかもしれん」


 みらいの名付けを丸投げされた身として、博孝はそう言った。

 みらいが妹になって、まだ五日も過ぎていない。本当に両親に対して連絡が行われているか、疑心暗鬼になっていた。かといって、博孝の方から電話で『妹ができました』などと言うのも問題である。砂原への報告ならばいざ知らず、みらいに関することは機密に抵触しかねず、電話を使って両親に告げることは憚られた。

 そんな二人の傍では、里香がみらいを膝の上に乗せながら椅子に座り、優しい手つきで髪を梳いている。里香だけでなく、数名の女子生徒がみらいの傍でお菓子をあげたり頬を突いたりと楽しそうにしているが、当のみらいは無表情にそれを受け入れるだけだ。


「ほーら、みらいちゃん。ビスケット食べる?」

「……たべる」

「あ、食べたっ! あーもう、可愛いっ!」

「……くるしい」


 手ずから差し出したお菓子をみらいが食べると、それを見た女子生徒が感極まったようにみらいに抱き着く。博孝と恭介はそれを見つつ、ぼんやりとした表情で言葉を交わす。


「クラスメートと美少女の戯れ……いやぁ、心が洗われるっすねぇ」

「心の底から同意するけど――その煩悩は、除夜の鐘の如く百八回殴って浄化してやる!」

「いきなりキレたっ!? 最近の博孝、キレる十代みたいな見出しで報道されるレベルで沸点低いっすよ!?」


 ドッタンバッタンと暴れる二人だが、教室の扉が開くとすぐに悪ふざけを止めて自分の席に戻っていく。止めなければ、砂原による“ありがたいご指導”を受けることになるのだ。


「ふむ……本当に、お前達二人はいつも元気だな」


 教室に入ってきた砂原は、ルーチンワークのように席へ戻った博孝と恭介を見て苦笑するように言う。他の生徒達もすぐさま自分の席につくと、静かに砂原の言葉を待った。ちなみに、みらいは博孝と里香の間に机が用意されている。これは、座学面で優秀な里香がみらいのサポートをするためだ。

 砂原は生徒達の顔を見回すと、そこに浮ついた雰囲気が漂っているのを感じ取り、口の端を吊り上げる。


「さて、諸君が気になっているであろう、年末年始についてだが……」


 そう言って切り出すと、何人かの生徒が前のめりになった。目は期待に輝いており、砂原は苦笑を深める。


「十二月三十日から翌年の一月五日まで……そうだな、“学校風”に言えば、冬休みとして帰省可能になる」


 冬休み、帰省可能。その単語を聞き、理解し――数秒経ってから、教室内に歓声が沸いた。

 三日おきに休日があるとはいえ、それ以外はほとんど訓練校にこもって座学や実技訓練の日々だったのだ。訓練校から外に出るのも、事前に申請して休日に数時間出るか、任務で出るだけである。

 学生だった頃に比べれば短いが、それでも一週間の“冬休み”というのは非常に嬉しかった。


「帰省しない者は事前に知らせろ。訓練生の多くが帰省するとあって、訓練校の警備が通常よりも若干手薄になる。そのため、残る訓練生は一つの建物に詰め込まれて一週間過ごすことになるからな。売店もほとんど開かないから、食事は毎食缶詰かインスタントか野戦食(レーション)だ。訓練校からの外出も禁止になる……と、ここまで言われて残る者はいないな?」


 砂原が問うと、生徒達は一斉に頷く。博孝は、自分やみらいも帰省できるのか、と内心で安堵の息を吐いた。それと同時に、両親にきちんと報告がいっているよう祈る。

 博孝が内心で切に願っていると、砂原は生徒達を見回して表情を引き締めた。


「冬休みといっても、それはまだ二日後の話だ。それまでは通常通りに座学や実技が行われる。浮ついて気を抜いていると、大きな事故につながるぞ? 気を引き締めたまえ」

『はいっ!』

「よろしい。それでは、午前の授業を始める」


 釘を刺された生徒達は気を引き締めると、真剣な様子で授業を受けていく。砂原はそんな生徒達を見て、小さく微笑むのだった。








 そして二日後、生徒達が待ち望んだ帰省の日となり、博孝はジーパンに青色のダウンジャケットという私服姿で校舎前に集合していた。傍にはみらいが立っており、こちらは黒のナチュラルチュニックに膝丈サイズの黒と白のチェック柄フリルがついたスカート、それに白いマフラーを巻いている。みらい自身が肌も髪も白いため、黒系統の服を着ていると映えて見えた。

 当初、博孝はみらいが着る服は適当にシャツとズボンを着せれば良いのでは、と思っていたのである。冬なので、スカートよりもズボンの方が寒くないだろう、と。

 そう思って売店に赴き、みらいの体型に合っているサイズの服を選んでいたところ、クラスメートの女子達に捕捉され、捕獲され、説教されたのだ。


「みらいちゃんにズボンを履かせるなんてとんでもない!」

「いいこと? 河原崎君、可愛い子には可愛い格好をする義務があるの! 寒そうだからズボン? はっ、そんな軟弱さじゃあスカートなんか履けないっつーのよ! そもそも、『ES能力者』なんだからある程度は平気でしょ!」

「折角の極上の素材であるみらいちゃんを台無しにするような行為――万死に値するわ」

「これだから男の人って……」


 等々、博孝は精神的にボコボコにされ、ついでに売店から蹴り出され、さらには騒ぎを聞きつけてきた他の女子生徒が加わり、どんな服がみらいに合うかと大いに揉め、ついには口だけでなく手と足が出るリアルバトルへ発展した。ES能力を使わなかったのは、彼女達の最後の理性がそうさせたのだろう。

 結局、みらいが着られる洋服全てをみらいに着せ、数時間に渡って着せ替え人形にした彼女達は、『どの服が一番似合うか』ではなく『似合う服は全部買えば良いじゃない』という結論に落ち着いた。『ES能力者』としてそれなりに高給取りなのが幸いし、彼女達は自分が選んだ服をみらいへプレゼントした。売店で売られている服は安いものが多かった、というのも理由の一つだろう。

 兄である博孝としては、嬉しいやら申し訳ないやら複雑な心境になる。みらいがクラスメート達に気に入られたのは嬉しいが、せっかくできた妹に洋服一つ選んでやれない自分が少しだけ悲しい。数時間に渡って着せ替え人形になっていたみらいはどこか不機嫌そうだったが、そのあと売店や食堂で振る舞われた甘味によってご機嫌になっていた。


「全員揃っているな」


 午前九時になると、砂原が姿を見せる。こちらはいつも通りの軍服であり、生徒達と違って浮ついた雰囲気はない。


「諸君らの家族については、『ES能力者』の家族を受け入れている指定都市に移住している。そのため、都市までの移動はバスで行う」


 砂原が顎で示すと、任務で移動する際に使用するバスが訓練校へと近づいてきた。護衛の兵士や『ES能力者』も同行するため、危険はないだろう。

 博孝は無事に帰省できることに対して内心で安堵し、それと同時に、両親へみらいについての連絡が届いていることを切に願う。そうでなければ、博孝は自身の父親が物理的精神的にボコボコにされると知っているのだ。

 自身とみらいの着替えや雑貨を詰めたボストンバッグを肩に担ぎ、博孝はなんとなくみらいの頭を撫でる。すると、みらいは不思議そうな顔で博孝を見上げた。


「……なに?」

「いやぁ、理由はないんだけどねぇ……可愛い妹に癒されようかなと」

「……そう」


 それで疑問が解消できたのか、みらいは視線を博孝から外す。それを見た博孝は、少しばかり苦笑した。


「撫でられるのが嫌だったら、嫌ってはっきり言ってくれよ? 『触るんじゃねぇよクソ兄貴!』と罵倒しながら……いや、そんな罵倒をされると、お兄ちゃん心が折れちゃうから、言わないでね?」


 撫でる手を乱雑に払い、汚物を見るような目で博孝を見るみらい――そんな光景を想像し、博孝は『みらいに反抗期がきたらどうしましょ?』と悩む。しかし、それは当分先の話だろうと自分を納得させた。

 みらいは博孝の言葉を聞くと、小さく首を横に振る。


「べつに……嫌じゃ、ない」

「……そっか」


 感情が読みにくいみらいではあるが、今は特に不機嫌な様子もない。そうやって博孝は、バスに乗り込むまでひたすらにみらいの頭を撫で続けるのだった。








 第七十一期訓練生達を乗せたバスは、『ES能力者』や兵士に護衛をされながら道路を走っていた。現在向かっているのは、『ES適性検査』にて『ES能力者』となった第七十一期訓練生達の家族が住まう都市である。

 『ES能力者』の家族は身の安全を確保するため、国が指定する都市への移住を強制されていた。ただし、移住と一言にいっても、仕事や学校等の関係もある。そのため、移住する際は職に就いていた者は国が斡旋する新しい職に就き、学校に通っていた者は指定都市内の学校へ転入をすることとなった。

 指定都市――これは正確に言うならば、政令指定都市のように人口五十万人以上の大都市としてつけられた名前ではない。『ES能力者』の家族の多くが住まうために、国から指定された都市という意味だ。

 市長が『ES保護団体』に属し、住んでいる市民も『ES能力者』に対して好意的な者が多いため、『ES能力者』の家族が比較的に住みやすい。また、『ES能力者』の家族を保護するために正規部隊が駐屯しており、問題が起きればすぐさま『ES能力者』が駆けつけることができる。

 訓練校のように周囲を高い壁に囲われていることはないが、治安維持のために投入されている『ES能力者』や兵士の数、そして帰省する『ES能力者』の多さから、非常に防衛力が高い都市でもある。

 博孝達の家族が住んでいるのは第二指定都市と呼ばれる都市で、三十年ほど前にできた指定都市だ。二十万人ほどの人口に、地方都市レベルには発展した街並み。住む際に不自由は少なく、端まで行けば山に囲まれているため緑も多い。

 バスは第二指定都市まで到着すると、生徒達をそれぞれの家に降ろし始める。初めて訪れた場所のため、案内しなければ家にたどり着くのが難しい。そうやって生徒達を降ろしながらも、砂原が一人一人に今年最後となる訓示を告げていた。

 指定都市の中とはいえ、敵性の『ES能力者』が侵入してくる可能性もあること。

 一週間程度の休みとはいえ、気を抜き過ぎないこと。

 気を抜き過ぎてはいけないが、久しぶりに会う家族に元気な顔を見せてくること。

 最後には生徒を思い遣る言葉を投げかけ、『良い年を』と締めくくる。一週間の帰省だが、帰る時は降ろした時と同じようにバスが回収し、訓練校へと運ぶ手筈になっていた。


「博孝、初詣とかはどうするっすか?」


 そうやって生徒達を家に送り届ける中、恭介が博孝へと話を振る。それを聞いた博孝は、顎に手を当てながらバスの天井を見上げた。


「初詣かぁ……良いねぇ。なんか、久しぶりに屋台で買い食いとかしてーなー」

「お、良いっすね。お金には困ってないし、食い倒れツアーでもやるっすか?」

「は、初詣は、お参りとかじゃないの?」


 二人の会話を聞いていた里香が、苦笑しながら釘を刺す。すると、今度はみらいが首を傾げた。


「……はつ、もうで?」

「ああ、初詣っていうのは、新年が明けてから神社やお寺に参拝することだよ。神社とかお寺ってわかるか? 神様とか仏様っていう、こう、すげー存在がいる場所なんだけど、そこで去年一年を無事に過ごせたことに感謝したり、新年も無事に過ごせますように、って祈るんだ」

「そして、その参拝客を狙って出店がくるから、色々と食べることができるっすよ」


 博孝が大雑把に説明し、恭介が補足するように言う。博孝達ぐらいの年齢の男子からすれば、信心よりも食い気だった。そんな二人の説明を聞いた里香は、苦笑を深めながら口を開く。


「あとは、その、おみくじを引いたり、お守りや破魔矢を買ったりするんだよ」

「おみくじ……」


 三人の説明を聞いて、無表情ながらも何かを想像するみらい。一体何を想像しているのかと気になる博孝ではあったが、話の流れで恭介と里香の顔を見た。


「んじゃ、みんなで初詣に行かね? みらいも連れて行きたいし、“学生らしく”はしゃぎたいし」

「俺は構わないっすよ。まあ、新しい家がどこにあって、神社やお寺がどこにあるかで行ける場所が変わりそうっすけど」

「う、うん。わたしも大丈夫だよ。お父さんやお母さんも一緒に来ると思うけど……」


 里香がそう言うと、博孝は目を輝かせる。


「何っ!? お義父さんとお義母さんだと!?」

「う、うん……え、あれ? あ、あの、今、何か発音がおかしくなかった?」

「いやいや、おかしくないおかしくない。でも、絶対に御挨拶には伺わないとな……小隊長として!」


 拳を握りしめて言い放つ博孝を、困惑したように見る里香。恭介は呆れたように博孝を見ていたが、博孝は拳を解くと、会話に参加しない沙織へと視線を向けた。


「というわけで、沙織っちも来るよな?」

「……どういうわけよ。あと、わたしは行かないから」


 沙織は視線も合わせず、窓の外を見ながらそう言う。それを聞いた博孝は、口を尖らせた。


「えー……付き合い悪いぜ沙織っちー」

「……親族の集まりがあるのよ」


 博孝の抗議を、沙織は面倒くさそうに切り捨てる。それを聞いた博孝は、沙織の――“長谷川”の家の複雑さを思い出し、それならば仕方がないとすぐに諦めた。


「さ、沙織ちゃん……来れないの?」


 里香が少しだけ困ったように言うと、沙織は里香と視線を合わせ、気まずそうに眉を寄せる。


「悪いわね、岡島さん。お爺様も来るから、予定を空けられないのよ」

「そ、そうなんだ……」


 顔を伏せ、落ち込んだ様子の里香。それを見た沙織は、慌てたように手を振る。


「予定が空いたら連絡するわ。その時は、二人で初詣に行きましょう?」

「あ……う、うんっ」


 沙織の言葉を聞くと、里香は嬉しそうな笑顔を浮かべた。それを見た沙織は、安堵したように息を吐く。


「……なんか、里香とそれ以外に対する扱いに非常に大きな格差があると思うんだ」


 里香と沙織のやり取りを聞いていた博孝が小さく呟くと、恭介も同意するように頷いた。


「女の子同士の友情……ということで、納得しておくのが吉じゃないっすか?」

「友情……ああうん、そうだねぇ……そういうことで納得するかぁ」


 ぼやくように博孝が言うと、バスが減速する。そして砂原からの声が響いた。


「次、武倉……と、岡島、それに長谷川だな。良かったな、三人とも家が近いぞ」

「え? マジっすか?」


 砂原の言葉を聞き、恭介が窓から周囲の様子を窺う。そして、すぐに『武倉』、『岡島』、『長谷川』という表札がかかった家を見つけた。


「あれぇ……教官、その流れでいったら、俺の家も近くにあるんじゃ?」

「お前の家はまだ先だ。順番的には最後だな」


 博孝が確認するように言うと、砂原は苦笑しながら答える。恭介達はそんな博孝に苦笑を向けると、手荷物を持ってバスの出入り口へと向かった。


「それじゃあ博孝、みらいちゃん、また連絡するっすよ。良いお年を」

「よ、良いお年を……」

「……ふん」


 沙織だけはどこか不機嫌そうに鼻を鳴らし、バスから降りていく。そんな沙織を見た博孝は、僅かに首を傾げた。


(沙織っちの機嫌、中々直らないな……)


 みらいを病院から連れて帰り、訓練校に戻って落ち着くと、博孝は沙織と恭介に対して『活性化』について説明を行っている。『活性化』がどういうものか、どんな効果があるかを説明したのだが、それ以来沙織の機嫌は悪いままだ。


(恭介なんか、『すげーっすね』の一言で納得してくれたんだけどなぁ……)


 何か思うところがあるのだろうか、と博孝は思考を飛ばす。そんな博孝の隣の席では、みらいが女子生徒からもらったチョコ菓子をリスのように齧っていた。しかし、博孝が何かを考え込んでいるのを見て、首を傾げる。


「……おにぃちゃん、どうかしたの?」

「ん? ああ、いや、なんでもないよ」


 みらいの指摘に笑って答え、博孝はリクライニングシートに体を預けた。みらいはそんな博孝をしばらく見ていたが、手に持っているチョコ菓子に視線を落とし、それを博孝の口元に持っていく。


「……あまい。元気がでる」

「みらい……心配してくれたんだな? お兄ちゃん、感動した!」


 思考を打ちきり、みらいの言葉に感動してそのまま抱き締める博孝。みらいは抱き締められるままに抱き締められたが、博孝がチョコ菓子を食べないと判断し、抱き締められたままで再度食べ始める。


「あ、やっぱりお菓子優先ですか、そうですか……」


 耳元からチョコ菓子を食べる音が聞こえ、博孝は苦笑しながら身を離す。そうやっている間にも残った生徒達はバスから降りていき、最後には博孝とみらいだけが残された。


「さて、そこのシスコン。お前達が最後まで残った理由についてだが……」

「呼び名が酷い!? ……え? 何か理由があったんですか?」


 砂原からの発言に、博孝は驚愕しつつも先を促す。


「さすがにお前達兄妹については、他の生徒のように家に降ろしてそのまま別れるわけにはいかん。幸いと言うべきか、俺の家族が住む家にも近い。そのため、平時は俺が護衛につくことになった」

「……つまり、年末年始も教官が近くにいると?」

「四六時中一緒というわけではないがな。生徒の家庭訪問をする予定もある。だが、俺としては、この休みの間にお前に教えておきたいことがある」

「はぁ……教えておきたいことですか。それは一体?」


 博孝が疑問に思って問うと、砂原は意味ありげに笑う。


「それについては、あとで詳しく説明する。今は先に、お前を家に送り届けないとな……っと、ついたぞ」


 砂原が窓の外を示すと、そこには『河原崎』という表札が掲げられた一軒家があった。

 博孝が『ES能力者』になる前に住んでいた家よりも広く、大きめの庭や車庫も隣接している。以前住んでいた家は一階建てだったが、今度の家は二階建てだ。


「うわ、前に住んでた家より大きいですよ。てか、二階建てって……両親が住むだけなら、広すぎるんですが」


 そう言いつつ家を観察していると、玄関前に人影があることに気付く。博孝はそれが自身の両親だと気付くと、自然と笑みを浮かべていた。

 バスが停車し、扉が開く。博孝は右手で手荷物を持ち、左手でみらいの手を引くと、小走りにバスから降りた。


「博孝!」


 博孝がバスから降りると、すぐさま壮年の男性と女性が駆け寄ってくる。男性の顔立ちは博孝と似ており、博孝の父親であることを窺わせた。女性も博孝に似た雰囲気を持っているが、こちらはどこかおっとりとした印象を受ける。

 みらいは博孝の両親を見て首を傾げているが、追うようにしてバスから降りてきた砂原がその肩を叩いた。


「河原崎妹、彼らが君の“両親”だ」

「りょう……しん?」


 理解していない様子のみらいに苦笑しつつ、砂原は博孝達へ近づく。約十ヶ月ぶりに息子と会った博孝の両親は博孝の無事を祝うように喜んでいたが、砂原の顔を見て目を瞬かせた。


「博孝、この人は?」


 軍服に身を包んだ砂原を見て、博孝の父親が首を傾げる。それを聞いた砂原は、踵を合わせて敬礼をする――が、一般人相手にそれはどうかと思い直し、敬礼を解いて一礼した。


「初めまして、博孝君の教官を務めております、砂原浩二と申します。階級は空戦軍曹であります」

「ああ、これはどうもご丁寧に。博孝の父の、河原崎(かわらざき)孝則(たかのり)です。息子がお世話になっています」


 そう言いつつ、博孝の父親――孝則は、約十カ月ぶりとなる息子の顔を見て、安堵の息を漏らしていた。その隣では、穏やかな笑みを浮かべた博孝の母親が、砂原に対して一礼する。


「博孝の母で、河原崎(かわらざき)博子(ひろこ)と申します。息子がご迷惑をおかけしていませんか? この子、昔から元気が良かったら、先生にもご迷惑がかかっているのではと心配で……」


 博孝の母――博子は、笑顔から一転して申し訳なさそうな顔で頭を下げる。それを聞いた砂原は、思わず笑みを浮かべながら首を横に振った。


「たしかに河原崎は元気が良く、授業中でも騒ぐことがあります。しかし、座学の授業でも率先して質問し、実技の授業ではとても優秀な成績を収めています。努力家で、周囲をよく観察し、率先して場を盛り上げることもあります。ムードメーカー、とでも言うのでしょうな。教官として、助けられている部分もあります」


 笑顔でそう答える砂原。それを傍で聞いた博孝は、思わぬ砂原の発言に戦慄を覚えた。


(やべぇ……なんか教官が俺のことをめっちゃ褒めてる。天変地異の前触れかっ!?)


 博孝は思わず、地震が起きるのかと地面に視線を向け、そのあと空に視線を向けて隕石が降ってくるのでは、と周囲を警戒する。砂原はそんな博孝の動きを見て、僅かに口の端を吊り上げた。


「もっとも、調子に乗り過ぎて“指導”を受けることも多々ありますが」


(上げて落とすとか、さすが教官だぜ……)


 言葉には出さず、博孝は少しだけ泣きたい気持ちになる。最初に上げてそこから落とすという所業に、さすがだと思った。


「それは……なんといいますか、博孝がご迷惑をおかけしているようで……それで、その子は?」


 砂原の言葉に苦笑した孝則が、最後には不思議そうな目でみらいを見る。その反応を見た博孝は、非常に嫌な予感を覚えながらもみらいの背を押した。


「連絡が届いていると思うけど……妹のみらい。ほら、挨拶をして」

「……河原崎みらい、です」


 妹のみらい、河原崎みらい。そんなフレーズが孝則と博子の耳を通過し、両者は凍ったように動きを止める。それを見た博孝は、『ああ、やっぱり情報がいってないんだ』と現実を逃避するように遠くを見た。


(『武神』さん……あなた、訓練生が生意気なことを言ったから、やっぱり怒ってたんでしょ……それともうっかり? うっかりなのか?)


 博孝の心の中で『武神』に対する幻像がさらに崩れる。そんな博孝の隣に立っていた砂原は、孝則と博子の反応に対して眉を寄せた。


(河原崎妹の戸籍が出来て、五日は経っている……それだというのに、その情報が“家族”に伝えられていない? 今回の件で中将閣下は“上”と揉めているようだが、その余波か?)


 自らが知らないところで何か起きたのか、と砂原は推察する。お役所仕事で通知が遅れた、という線は薄い。源次郎は時折冗談を口にするが、“こういった”ことには誠実に対応する。

 どこからか邪魔が入っているのか、ただの嫌がらせか。さてさて、どこの誰が動いたのやら、と砂原は内心でため息を吐き、孝則と博子に対して機密を伏せつつも事情を説明しようとした。

 しかし、それよりも早く事態が動く。


「あなた――これは一体、どういうことかしら?」


 博子の口から、絶対零度のように冷たい声が漏れた。その声を向けられた孝則と、傍で聞いていた博孝が大きく身を震わせる。


「い、いや……なんのことだかさっぱりでぬおっ!?」


 身に覚えがないと言おうとした孝則に、博子が手を伸ばす。

 博子は左手で孝則の袖を取り、右手で胸ぐらを掴んだあとに孝則の脇下に右肘を差し込みつつ体を回転。そして重心を見切り、背負い投げで芝生の生えた庭先に投げ倒してからマウントを取ると、そのまま両手で胸ぐらを掴みあげた。


「白状しなさい! どこで引っ掛けた女の子供なの!?」

「か、母さんっ、ぬ、濡れ衣だ! 俺は無実だ! 信じてくれ!」

「外国人なの? 外国人なのね!? さては、わたしよりも大きな胸の女性に惹かれたんでしょ!? 怒らないから答えなさい! さあ!」


 般若が如き様相で孝則を問い詰める博子。投げられ慣れているのか、しっかりと受け身を取った孝則ではあるが、博子の迫力を前に心底慌てている。


「ほう……見事な投げ技だ。中々に“できる”な」


 博子の一連の動作を見て、砂原は感心したように頷く。


「いやいや、そこじゃないでしょ! 感心している場合じゃないですよ!? か、母さん? ほら、余所様の目もあるから、それぐらいにして……」


 熟練の『ES能力者』である砂原に“できる”と言わせる自身の母親を、若干腰が引けつつも父親から離そうとする博孝。博子はこの場に砂原がいることを思い出したのか、表情を愛想笑いに変えてから孝則を解放する。


「あらいやだ、お恥ずかしい。おほほ、お見苦しいところをお見せしましたわ」


 口元に手を当てて、誤魔化すように博子が笑う。しかし、砂原に笑顔を見せつつも孝則には抜身の刃のような視線を向けており、それを見た砂原は真面目な顔で首を振った。


「いえ、こちらこそ見事な技を拝見させていただきました。失礼ですが、柔道の心得が?」

「心得だなんて……そんな大したものではありませんわ。どうぞ、お気になさらず」


 手を振って、砂原の言葉を否定する博子。砂原が博孝に目を向けると、博孝は目を逸らしながらも小声で答える。


「黒帯……というか、たしか、柔道は四段です」

「ほう、それは大したものだ……柔道“は”?」


 博孝の言葉に違和感を覚えた砂原が首を傾げると、博孝は口が滑ったと顔色を曇らせる。


「……合気道もやってて、そっちが三段です」

「なるほど。そういえば、お前は以前模擬戦で投げ技を使っていたな。あれは、母君の影響か」

「ああ……見様見真似で一本背負いっぽい背負い投げとかやってましたね、俺。ええっと……まあ、そんなところです。見様見真似といいますか、実体験をもとにした模倣といいますか……ははは……」


 どこか影を背負った様子で博孝が答えた。実体験というからには、自身も投げられたことがあるのだろう。

 それを聞いた砂原は、博孝も『ES能力者』になる前は武道や武術関係では素人だった割に、勝負度胸があるのはその辺りに由来するのか、と納得する。あるいは、母親の血が濃いのか。

 そんな考察をしていた砂原だが、みらいについて情報がないのはまずいと、博孝の両親に対して説明をしていく。もしもの時に備えて博孝を家に送り届けるのを最後にしたのだが、それが功を奏した。

 博孝の両親は困惑したように砂原の説明を聞いていたが、みらいに両親がいないこと、博孝の力がなければ生きていくのが困難なことを聞くと、顔色を変える。


「そうですか……」


 孝則は砂原の言葉を聞き、複雑そうにみらいを見た。戸籍上、孝則とみらいは既に親子の関係になっている。外見は孝則や博子に似ても似つかないが、幼い少女に両親がおらず、自身の息子の力がなければ生きていくことすら難しいと言われれば、同情する気持ちが湧いた。

 突然『娘』ができたと言われても、納得するのは難しい――が、博孝は孝則の息子であり、孝則は博孝の父親である。その性格は、非常に似ていた。

 複雑そうな表情を一転させ、穏やかな笑みを浮かべつつ両腕を広げる。


「――さあみらい、お父さんの胸に飛び込んできなさいぶへっ!?」


 博孝(むすこ)と同じようなことを口走った瞬間、孝則は妻である博子に再度投げ倒されて沈黙した。


「この親にしてこの子あり……いや、この子にしてこの親あり、ということか……」

「教官? そんなしみじみと納得したように言わないでくれますか?」


 孝則や博子の行動を見て、しみじみと呟く砂原。博子は夫である孝則を沈黙させると、穏やかな笑みを浮かべながらみらいの傍に歩み寄り、膝を折って目線の高さを合わせる。


「みらいちゃん……よね?」

「……うん」


 博孝に似た雰囲気のある博子に対して、みらいは素直に頷く。博孝は事態がどう転ぶかとハラハラしていたが、博子はみらいの頭を優しく撫でると、そのまま頬に手を添えた。


「色々と複雑な心境だけど、あなたが博孝の妹で、わたし達の娘だと言うのなら……」


 みらいは博子の言葉を静かに聞く。博子はそんなみらいを真っ直ぐに見つめていたが、不意に破顔すると、みらいの頭を掻き抱くように抱き締める。


「――おかえりなさい。今日から、ここがあなたの家よ」


 穏やかに、歓迎するように博子が言う。それを聞いたみらいは僅かに目を見開くと、あちこちに視線を彷徨わせた。

 どう反応すれば良いか、まったくわからない。心中に浮かんだ感情の温かさが、理解できない。形容できない感情に戸惑い、みらいは思考を混乱させた。


「この親にしてこの子あり、か……」


 そんな博子とみらいの様子を見て、砂原が誰にも聞こえない大きさの声で先ほどと同じことを呟く。

 孝則や博子は、心底から納得しているわけではないだろう。突然戸籍上の『娘』ができたと言われても、何故、と驚くだろう。それでもすぐさま受け入れたように振る舞うその度量に、砂原は密かに尊敬の念を抱く。


「なるほど……たしかに、河原崎の両親だ」


 この二人ならば、そう時間をかけずにみらいを『娘』として受け入れるだろう。

 みらいを抱き締める博子と、博孝から介抱を受ける孝則を見て、砂原はそう確信するのだった。








「……あの、教官? さすがにこれはおかしいと思うんですけど……」


 その日の夕方、家族で団欒をしていたところ、訪れた砂原に車で拉致された博孝は、みらいを連れて第二指定都市の傍にある小高い山へと移動していた。

 砂原は孝則と博子に対して、『申し訳ないですが、河原崎が今後生き延びるために必要なのです』と言い含め、この場まで博孝達を連行してきた。

 博孝の立場について詳しく説明することはできないが、一人の『ES能力者』、一人の大人として、博孝をこのままにしておくと危険だということを誠実に告げると、博子は苦笑しながら頷いた。


「砂原先生が息子のことを心配してくださっているのは、目を見ればわかります。手のかかる子ですが、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げられた砂原は、『先生』と呼ばれたことも相まって、真摯に一礼する。


「非才の身ではありますが、息子さんがどんな『ES能力者』にも負けないよう、徹底的に鍛えますのでご安心を」

「まあ……良かったわね、博孝。どんな『ES能力者』にも負けないようにしてくださるんですって。あなたは負けず嫌いだから、丁度良いわねぇ」


 穏やかに言ってのける自身の母親に、博孝は父親である孝則と共に戦慄する。


「息子よ……生きて帰れ」

「……ありがとう。まさか、帰省したその日に連れ出されるとは思わなかったけど……」


 博孝が震えながら言うと、砂原は穏やかに告げる。


「安心しろ、河原崎兄。遅くても二十一時には家に帰ってこれる」

「あらあら……それじゃあ、晩御飯はそれからにしましょうか。砂原先生も食べていかれますか?」

「は……ありがたいお話ですが、家に妻と娘がおりますので……」

「まあ、それは引き留められませんね」


 穏やかに微笑みつつ、約十ヶ月ぶりに会った息子を送り出す博子。博孝は訓練服に着替えると、牧場から市場に売られていく子牛の歌を口ずさみつつ、この場所まで連れてこられた。

 砂原は博孝の抗議を聞くと、真面目な顔で首を横に振る。


「久しぶりに再会した家族とすぐに引き離すことになって、申し訳なく思う。しかし、今後の予定としては今が一番都合が良いのでな」

「はぁ……まあ、これから七日間山籠もりをするってわけじゃないみたいですし、別に良いんですけど……こんな山奥で、一体何をするんです?」


 車で連れてこられたが、周囲に民家はなく、人気はない。既に夕方に差し掛かっており、あと一時間もすれば太陽が沈み切るだろう。そうなると、真っ暗になってしまう。


「教官、みらいは真っ暗な場所がトラウマなんです。車の中にいても良いですかね?」

「そういえばそうだったな……しかし、目の届かない場所にいるのは問題がある。トランクに電気ランタンを入れているから、それを使うか」


 砂原は車のトランクを開けると、中からしっかりとした作りの電気ランタンを取り出す。そして電池が切れていないことを確認すると、それをみらいへと手渡した。


「……ん」


 みらいが受け取った電気ランタンを眺めていると、砂原は僅かに苦笑しつつ博孝に向き直り、表情を一転させて真剣な表情へと変わる。


「このタイミングでお前を連れ出したのは他でもない……河原崎、お前の今後についてだ」

「俺の今後、ですか?」


 砂原に合わせて、真剣な表情で問う博孝。砂原は一つ頷くと、僅かに間を置いてから答える。


「河原崎、お前はこれから多くの苦難に直面するだろう。“オリジナル”のESに適合した者として、独自技能を持つ者として、河原崎みらいを妹に持つ身として、その身を狙う者は多くなっていく。そこで、だ」


 言葉を切り、砂原は目を閉じる。本来ならば特定の生徒に肩入れをし過ぎるのは良くないが、博孝の場合、放っておけば様々な危機に陥るだろう。本人の性格然り、立場然り、呼んでもいない危機に直面するに違いない。

 それならば、と砂原は教官として決断を下していた。一人の人間としては、『ES能力者』になって一年にも満たない者に教えるべきことではないと思いつつも、生徒を思い遣る砂原は、決断していたのだ。

 砂原や、周囲の『ES能力者』が博孝やみらいを手助けできる内は問題ないかもしれない。だが、入校して三年経てば訓練校を卒業し、正規部隊に配属される。博孝自身の才能や努力を見ている砂原からすれば、それは確実だった。

 博孝は素直に言葉を待つ。砂原がここまで言い、場所を用意し、告げる言葉だ。何事かと、直立不動の体勢で耳を澄ませる。

 そんな博孝に対して、砂原は『すぐに身につくものではないが』と前置きしつつも、言った。




「――これから、『飛行』の訓練を行う」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 母親も暴力女なのか...女キャラのレパートリーがね...
[良い点] クラスメートの女全員死なないかなー。煩いだけで魅力がない
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