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第三十三話:白の少女 その4

 必要な指示を砂原に出した後、源次郎は足早に治療室を去って行った。博孝達はそれを見送ると、肩の力を抜く。


「いやぁ……なんだあの人、威圧感があり過ぎ」

「たしかにそうっすね……というか博孝、『武神』に意見をするとか、傍から見ていて寿命が縮むかと思ったっすよ」

「う、うん……怒られるかと思った……」


 博孝が疲れたような声を出すと、それを聞いた恭介と里香が同意するように言う。それを聞いた博孝は肩を竦めつつ、額に浮かんだ冷や汗を拭った。


「向こうも訓練生相手に無茶はしないだろ、って思ったからなぁ……しかし、さすがは沙織っちのお爺さんだ。『構成力』が似ていてビックリしたのなんのって」


 そう言いつつ、博孝は沙織の方に視線を向け――そこで、睨むようにして自身を見ている沙織と視線がぶつかった。


「おおっと? どしたよ沙織っち。あ、さては、俺がお爺さんに生意気な口を利いたから怒ってるな? でも、あれはだな……」


 沙織の視線を受けて、源次郎との会話のことで怒っているのだろうと博孝は思った。そのため、なだめるように言葉を紡ぐ。しかし、沙織はどこか憎らしそうに博孝を見ると、深呼吸をしてから視線を外した。


「……別に、なんでもないわ」

「なんでもないって……いや、そうだな。なんでもないって言うのなら、そうなんだろうな」


 ここは踏み込むべきではないと判断して、博孝は身を引く。その代わりに、誤魔化すようにして白い少女へ視線を向けた。


「しかし、この子の面倒を見ろねぇ……」

「……?」


 博孝の言葉を聞き、白い少女は首を傾げる。その無垢な様子に、本当に森の中で襲ってきた者と同一人物かと博孝は不思議に思った。


「そういえばお嬢ちゃんよ、君はなんで俺達に襲いかかってきたんだね? 怒らないから言ってごらん?」


 膝を折り、視線を合わせながら尋ねる。これからこの少女の面倒を見ていかなければならないのだ。博孝としては、いきなり襲いかかられても困る。寝首をかかれては、洒落にならない。


「……そう、いわれた」

「そう言われた?」


 確認するように問うと、少女は小さく頷く。


「それは誰に?」

「……だれ?」


 しかし、今度は博孝の言葉が理解できていないようだ。白い少女は瞳に不思議そうな色を浮かべ、博孝の言葉を繰り返している。


「あー……それなら、なんで君はあの場所にいたのかな?」


 質問を変え、違う角度から斬り込む博孝。それを聞いた少女は、僅かな時間を置いてから口を開く。


「……いけって、いわれた」

「えっと……誰に言われたのかな?」

「……?」


 会話が成立していない。そう判断した博孝が砂原に視線を向けると、砂原は首を横に振る。少女が嘘をついている様子もないため、本当にわからないのだろう。

 困ったな、と内心で苦心しつつ、博孝は他に質問をすることにした。


「さっきも聞いたけど、君の名前を教えてもらえるかな? あ、なんて呼ばれていたのかって聞けばわかるかな?」


 名前と聞いても理解しなかったため、少しだけ言葉を変える博孝。すると、少女は無感情に告げる。


「おつ、ひとまるふたよんごう」

「んん? ごめん、もう一回言ってもらえるかい?」


 聞き間違いかと判断して、博孝は再度尋ねた。少女はその言葉を聞くと、先ほどとまったく同じ調子で答える。


「おつ、ひとまるふたよんごう」

「……乙1024号?」


 確認するように問うと、少女は頷く。博孝の聞き間違いでも少女の覚え間違いでもなければ、おおよそ人につけられる名前ではなかった。むしろ記号か整理番号に近く、博孝は怒りの感情が湧き上がってくるのを無理矢理抑える。


「そっか……ありがとう。でも、君にはもっとちゃんとした名前があるんだよ」


 そう言って、博孝は砂原に視線を向けた。源次郎が『戸籍』と発言していた以上、何かしらの名前があるだろう。そう思って博孝は視線を向けたのだが、砂原は困ったように眉を寄せている。


『……教官? まさかとは思いますけど……』


 そのリアクションを見て、博孝は嫌な予感を覚えつつ『通話』で話しかけた。


『戸籍を用意しているが、詳細な情報はまだこれからだ。中将閣下の口ぶりでは、本当にお前の妹……お前の両親の子供にするつもりだろう。年齢をどうするかわからないが、見た目の年齢相応の経歴も用意されると思われる』


 まさかの発言に、博孝は大いに焦る。その言葉通りになってしまえば、源次郎達は良いかもしれないが博孝の一家に大惨事が訪れるのだ。


『ちょっ!? それって、下手をしたらうちの父さんが母さんに浮気の容疑でボコボコにされるんですが!?』


 博孝にとっては血がつながっていない妹となり、博孝の母にとっては、父が別の女性との間に儲けた子供と認識されかねない。


『中将閣下は自分の娘にしようとしたようだが、『武神』が引き取るとなると、それはそれで問題になる。かといってその子のためにダミーで一家を作ると、そこから情報が漏れる可能性がある』

『いや、それはたしかにそうなんでしょうけど……『武神』が引き取って娘にしたら、長谷川にとってこの子が叔母になりますしね』


 国内外から注目されている源次郎が、義理とはいえ娘を迎え入れる。そうなれば、すぐさま白い少女について確認の手が入るだろう。かといって、砂原なども“その筋”では有名なため使えない。


『いずれ情報は洩れるだろうが、世話をするお前に近しい立場にしておいた方が良いだろう……世話をかけるがな』

『両親にはどんな形で話が伝わるんですかね……というか、そうなると本当にこの子が俺の妹ってことになるんですが……』

『すまんな。冗談のように言っていたが、先ほどの中将閣下の目は本気だった……と、少し待て』


 砂原は一度言葉を切ると、腰元から携帯電話を引き抜く。どうやらメールが来たらしく、内容を読んでため息を吐いた。


『……たった今、確定した。本当に、お前の妹として戸籍を作っている』

『おおう……なんということでしょう、父さんが母さんに殺されないことを祈るしかないです……そ、それで、名前の方は?』


 突然子供が増えてしまった両親が喧嘩をしなければ良いが、と博孝は不安に思いながら尋ねる。しかし、砂原の目が憐れむように自身を見ていることに気づき、博孝は理由もなく逃げ出したくなった。


『……お前に一任するそうだ』

『……あの人、俺が反抗したことに対して実は怒ってるでしょ? 内心では滅茶苦茶怒ってるでしょ? 丸投げって……』


 『武神』に対して博孝が抱いていたイメージが、ガラガラと崩れ落ちていく。

 博孝がそれまで抱いていたイメージは、完全無欠にして無敵。半世紀以上も日本を守り抜いてきた守護神だ。だが、今回のファーストコンタクトによって、博孝が勝手に抱いていたイメージ像は粉々に砕け散った。


『これから“家族”になるのだから、兄が名前をつけてやるというのも良いのではないか?』


 博孝の抗議を無視して、砂原はさも良い話のように言う。


『この歳で名付け親になるとか……いや、兄ですけどね! でも、名前ですか……』


 源次郎に抗議をしても覆りそうにもなく、博孝は早々に観念する。博孝とて、白い少女の境遇に対して冷徹に対応できるわけもない。今のところ『構成力』の暴走を抑えられるのが博孝だけであり、少女もどこか懐いた様子を見せており、博孝自身も同情的だ。


(しかし、情報の操作をして誰かの子供ってことにするのなら、俺の家じゃなくても良い……いや、むしろ俺の家にしちゃ駄目だと思うんだけどな)


 博孝自身も独自技能を発現しており、重要性は高い。元々“オリジナル”のESに適合していることもあり、『ES能力者』の中では注目されやすいのだ。

 そこに突然『ES能力者』の妹――それも、どう高く見ても十歳程度にしか見えない少女が加わるとなると、異常としか思えない。『何かありますよ』と大声で喧伝しているようなものだ。

 それは源次郎も理解しているだろう。間違っても、博孝に対する嫌がらせというわけではない。そこまで考えた博孝は、非常に嫌な予想を脳内で組み上げていく。


(まさか、“今のところ”秘匿の重要性が高い俺と、“今後も”極力秘匿した方が良いこの子を一緒にすることで、その身柄や情報を狙う奴を釣り上げようとしてるんじゃないだろうな?)


 源次郎の『構成力』を初めて『探知』した時以上に、ダラダラと汗を流し始める博孝。

 一緒に行動させると、二人同時に誘拐される可能性もある。博孝としても易々と誘拐されるつもりはないが、砂原クラスの『ES能力者』に襲われれば手も足も出ずに敗北するだろう。その危険を冒す必要性があるのかと、博孝は思う。

 たしかに、博孝の妹ということにした上で訓練校に押し込めれば、情報の露呈は最低限にできる。任務で訓練校から出る必要もあるが、その情報が漏れる可能性は少なくできるだろう。


 ――博孝自身に危険が及ぶ可能性は高まるが。


 博孝が自身の危険性が高まることに気付いたのを見て取った砂原は、博孝への特別手当は十分に与えてもらえるよう、源次郎に対して上申しておこうと思った。それと同時に、博孝を『ES能力者』として鍛え上げる必要性が高まったことに対し、内心でため息を吐く。

 本来ならば、特定の訓練生に対して強く肩入れすることは好ましくない。だが、放っておけば博孝だけでなく、その周囲の者にも被害が及ぶ。


(最低でも、訓練校にいる間に自力で窮地を切り抜けられるだけの力をつけさせなければならんか……)


 正規部隊の人員に『構成力』の暴走を抑えられる者がいれば、白い少女はそちらに預けられただろう。しかし、現状では博孝の『活性化』以外に手段がなく、新たに見つけようとしてもそれが通用する保証もない。

 常に二桁の『ES能力者』や銃器で武装した兵士が護衛を務め、教官職として一戦級の『ES能力者』が詰める訓練校ならば、安全度も高い。少なくとも、空戦の二個大隊でも引っ張ってこない限りは落とされないだろう。それに加えて、『ES能力者』の訓練校は“学校”である。源次郎の存在もあるため、政治的な干渉も減らすことができる。

 他の訓練生に対しても言えることだが、そんな比較的安全な環境にいる内に可能な限り鍛え上げなければならない。

 教官として、『ES能力者』の先達として、そして、一人の大人として、砂原は強く決意した。


「……ねえ」


 博孝が無言になったことを疑問に思ったのだろう。白い少女は、博孝の服の袖を引いて話しかける。


「あ、ああ。ごめんごめん。えーっと……そう! 君の名前についてだったな!」


 覚えた不安をひとまず放り出して、博孝は空元気を出す。今はこの白い少女に対して名前をつけてあげることが、この場での最重要事項だ。


「君の名前は……その、えー……うん、アレだよ、アレ」


 しかし、名前と言われてもすぐには出てこない。間違っても『乙1024号』などと呼ばせるわけにもいかず、博孝は少女に笑顔を向けつつもその裏で必死に思考する。


「ひろたか」

「え?」


 そんな中、少女が博孝の名前を呼んだ。博孝は思わず自分を指差すと、少女は首を横に振って自分を指差す。


「名前」


 言葉少ない少女を前に、博孝は頬を掻く。


「もしかして、俺の名前が良いのか?」

「……ん」


 どこか満足そうに少女は頷いた。それを見た博孝は、少女の頭を撫でながら苦笑する。


「女の子につける名前じゃないし、それは俺の名前だしなぁ。んー……そうだなぁ」


 少女の外見は、白一色と言って良い。瞳は鮮やかな赤色だが、それらは少女が望んで得たものではないのだ。紐付けて名前をつけるのは、博孝にとって憚られた。

 生まれた子供に名前をつける父親というのはこういう心境なのか、などと思いつつ、博孝は苦悩する。里香や恭介に助けを求めようとも思ったが、こういったものは“家族”がつけるものだと判断した。

 そうやって悩むことしばし。博孝は白い少女に対して穏やかな笑みを向けると、膝をついて目線を合わせる。


「それじゃあ、君の名前は『みらい』だ」

「……みらい?」

「そう。君の人生、君の『未来』はここから始まる。でも、漢字だと硬い気がするし、ひらがなで『みらい』だ」


 口にした通り、博孝は少女――みらいの人生、未来がここから始まると思い、そう名付けた。幸福な未来があるように『未幸(みゆき)』と名付けようとも思ったのだが、それは他力本願に願うのではなく、博孝自身も協力して幸福な未来を描ければ良いと思っていたため、『みらい』だけにしている。


「みらい……なまえ……名前……みらい……」


 みらいは自身の名前を理解すると、それを噛み締めるように何度も言葉にした。まるで生まれて初めて誕生日プレゼントをもらった幼子のような雰囲気で、みらいはその名前を口にする。


「名字はどうするっすか?」


 ふと、その様子を見ていた恭介がそんなことを尋ねた。


「博孝の名字になるっすか? 『武神』さんは妹って言ってたっすよ?」

「ああ……なんかね、本当に俺の妹になるらしいよ? いやもうビックリだよね! いきなり義妹ができたよ! やったね、ヒャッホウ!」


 無理矢理テンションを上げて博孝が叫ぶと、それを見た恭介は何度も頷く。


「河原崎みらいっすか……良い名前っすね」


 “何か”あったのだろうと察した恭介は、労わるようにそう言う。何かしらの困難に巻き込まれ、それを誤魔化すためにふざけているのだろう、と。

 そんな会話の傍では、砂原が携帯を操作して何かしらの行動を起こしている。源次郎に対して、みらいの名前が決まったと伝えているのだ。これで、すぐにでも『河原崎みらい』という名前で一人の日本国民が誕生するだろう。

 里香は微笑ましそうにみらいと博孝を見ており、沙織はどこか苛立たしげな無表情で博孝を見ている。だが、博孝は自分が名付けた妹の誕生を祝って無理矢理テンションを上げており、二人の視線には気づかない。

 みらいはテンションを上げている博孝を見て、不思議な生き物でも発見したかのように目を瞬かせる。博孝が喜んでいるようだが、何故喜んでいるのか、と疑問に思っているのだ。博孝はそんなみらいの視線を受けて、自分を親指で指差す。


「さあ、みらいよ。我が妹よ! 俺のことは兄と呼べ!」


 無理矢理テンションを上げたせいで、若干おかしなことを口走る博孝。その傍では、不機嫌そうな様子だった沙織が抜身の刃のような目で博孝を見ている。


「どうよべば……いいの?」


 不思議そうに尋ねるみらい。それを聞いた博孝は、真剣な顔で悩み込む。どう呼べば良いかと問われれば、博孝自身が一番呼んでほしい形を伝えるしかない。


「仕方がない……」


 少し経つと、博孝は真剣な表情から一転、温かみのある、にこやかな笑顔を浮かべながら両腕を広げる。さも、飛び込んで来いと言わんばかりの様子だ。


「さあ、みらい。俺のことを『博孝お兄ちゃん』と呼びつつ、この胸に飛び込んできてごらんっへぶっ!?」


 次の瞬間、馬鹿なことを口走った博孝の横っ面を、沙織の放つ物理的なツッコミ――回転(ソーク)肘打(・クラブ)ちが強襲した。間違ってもツッコミに使う威力の技ではなかったが、博孝は笑顔を浮かべたままで真横へと吹き飛ぶ。


「何をまた馬鹿なことを言ってんのよ!」


 笑顔で吹き飛んだ博孝に対して、沙織が言葉でもツッコミを入れた。それを聞いた博孝は、頬を抑えながら立ち上がる。


「あいたたたた……沙織っちのツッコミ愛が痛い。てか沙織っち、今のツッコミって絶対に不満とか恨みつらみとか鬱憤とかが混ざってたよね!? かなり痛かったですよ!?」


 もちろん沙織とて加減はしているのだろうが、博孝としては非常に痛かった。過去に沙織から受けた物理的なツッコミの中では、最も威力があったと言えるだろう。調子を確かめるように首の骨を鳴らしながら、博孝はそんなことを暢気に思う。

 そんな博孝の様子を見ていたみらいは、とてとてと博孝の傍まで歩み寄ると、その腰にしがみ付いて博孝を見上げ、小さく首を傾げる。


「……おにぃちゃん、だいじょうぶ?」


 みらいの表情は一見心配そうには見えないが、それでも僅かに眉が寄っており、博孝はみらいが多少なり心配してくれたのだと悟る。

 そして、博孝の望んだ通り『お兄ちゃん』とも呼んでくれた。少しばかり舌っ足らずな言い方だったが、それが逆に博孝の心に響く。詳細に言えば、響くどころかガッシリと心を鷲掴みにされた。


「――やばい、俺の心にクリティカルヒットした」


 未知の感動に打ち震える博孝。兄妹愛やら父性愛やらがむくむくと首をもたげ、満面の笑みを浮かべて未来を抱き上げる。そして、みらいを抱き上げたまま、その場で回転した。


「いやぁ、全然大丈夫! むしろ元気ですよ俺! みらいに心配してもらって元気になった! うん、ありがとう!」


 笑顔で回転しつつ、博孝は喜びの声を上げる。その様子を見た沙織は、さすがに殴って止めるわけにもいかず、小さな呟きを漏らした。


「殴られて元気になるなんて、変態ね……」

「はいそこ! ぼそっと不謹慎なことを言わない! てか、俺が殴られて元気になる変態なら、沙織っちは殴って元気になる変態じゃないか! やーいやーい! 沙織っちの変態うぬわぁっ!?」


 無言で放たれた拳を、博孝は首を傾けて薄皮一枚で回避する。それでも沙織が硬く握った拳が耳元を掠め、空気の震える音が鼓膜に響いた。


「――殴るわよ?」

「既に殴ろうとしたよね!? 避けなきゃ顔面陥没してたよね!?」


 みらいを抱き上げたままで、博孝は逃げるように後退する。そして、一度距離を取ってから首を傾げた。

 普段の沙織は、ここまで暴力的ではない。博孝から見れば十分以上にバトルジャンキーなところがあるが、それ以外の部分では排他的な一面が目立つ程度。それでも最近は第一小隊内では笑顔を見せることもあり、ここまで直接的な暴力に及ぶことはなかったのだ。

 もちろん、博孝がボケを繰り出せばそれに対するツッコミを入れるが、今回は度が過ぎているだろう。何かあったのだろうか、博孝は内心で首を傾げる。


「さ、沙織ちゃん? そ、それぐらいで……」


 里香もそう思ったのか、博孝を庇うようにして沙織の前に立つ。それを見た沙織は僅かに怯んだ様子を見せると、不貞腐れたように横を向いた。


「……おにぃちゃん、この人は?」


 そうやって沙織を止めた里香に、みらいの興味が向く。それを聞いた博孝は、どうやって紹介するべきかと頭を捻ってから口を開いた。


「この人か? この人は――里香お姉ちゃんだ」

「りか……おねぇちゃん?」


 博孝の言葉を復唱しつつ、みらいは里香を見上げる。その視線を受けた里香は、目を輝かせた。


「か、可愛い……ひ、博孝君、この子可愛いっ。そ、そうだよー、みらいちゃん、里香お姉ちゃんだよ?」


 みらいが『おねぇちゃん』と呼んだのを聞き、里香は嬉しそうに答える。


「いやまあ、そうやって喜んでいる里香も可愛いんですがね? でも、喜んでくれてなにより!」


 みらいの手を取り、そこから抱き締めて喜ぶ里香。博孝はその様子を眼福だと言わんばかりに眺めていた。すると、今度は恭介が自分を指差しながら言う。


「俺は恭介っすよ! 恭介お兄ちゃんと呼んでほしいっす! って博孝? なんで、そんな親の仇を見るような目で俺を見ているっすか?」


 自分もみらいに『お兄ちゃん』と呼んでもらおうとした恭介だったが、言葉の途中で博孝がやけに鋭い視線を向けてくるのに気づき、思わず尋ねた。


「恭介、てめぇ……みらいに『おにぃちゃん』って呼ばれて良いのは俺だけだ!」

「いきなりのマジギレ!? なんでそんな親馬鹿に!? いや、この場合は兄馬鹿って言うっすか?」


 怒りの声を上げる博孝に、驚きつつ後ろに下がる恭介。しかし、里香に抱き締められながらも博孝達の話を聞いていたみらいは、その小さな口を開いた。


「きょーすけ」


 兄呼ばわりではなく呼び捨てだったが、何かが琴線に触れたのか、恭介は嬉しそうに頷く。


「呼び捨てっすけど、なんかその呼び方はぐっとくるものが……って、博孝? だから、そんな目で見ないでほしいっすよ!?」

「今度、希美さんにチクってやる……恭介は、年下の小さい女の子に呼び捨てにされると悦ぶってな」

「ちょっと!? その言い方は明らかに悪意に(まみ)れてるっすよ!?」

「え? 事実だろ?」


 必死に否定する恭介を見て、博孝はきょとんとした顔で言った。


「違うっす! 俺はもっとバインバインなナイスバディなおねえさんが大好きっす!」

「ああん? テメェ、みらいに将来性がないって言いたいのか!?」

「いやいやっ!? 落ち着くっすよ博孝!」


 こめかみに青筋を浮かべる博孝を見て、どこまで本気かわからず必死で宥める恭介。しかし、さすがに目に余ったのか、無言で背後に立った砂原が殴り倒すことで博孝を沈黙させる。


「さて、それではこの子の検査についてだが」

「……そこで何事もなかったかのように話を始める教官に、マジで憧れますわ」


 検査という言葉を聞いて、真面目な顔で立ち上がる博孝。砂原はそんな博孝に呆れたような視線を向けるが、話を続ける。


「二日もあれば終わるだろう。だが、河原崎はこの子が『構成力』を暴走させた時に抑える必要がある。そのため、検査に付き添え。他の者は先に訓練校へ帰還しろ」

「了解です。小隊員の移動について、護送の兵をお借りしても?」

「もちろんだ。手配しておこう」


 博孝はみらいの付き添いをする必要があるが、他の小隊員については残る理由もない。里香は残念そうな顔をしていたが、いずれ訓練校で会えると自分を納得させた。


「それと、この子……河原崎みらいについてだが」


 砂原は真剣な様子で生徒達を見回し、告げる。


「河原崎が“オリジナル”のESに適合したことで、その妹でもあるその子にも特別に適性検査が行われた。その結果、その子も“オリジナル”のESに適合した――ということに“する”」


 その言葉の内容を理解し、里香は頷く。博孝の家系に『ES能力者』はおらず、“オリジナル”のESに適合したということにしておかなければボロが出るのだ。沙織は興味なさげに頷き、恭介は特に何も考えずに頷いた。しかし、博孝だけは気になることがあって首を傾げる。


「しかし教官、適性検査は十五歳からでしょう? 特別に適性検査を行ったといっても、だいぶ苦しいと思うんですが?」

「苦しいのは百も承知だ。だが、河原崎が“オリジナル”のESに適合したことで、その血族に対しての検査は“実際に”行われている」


 こともなげに言ってのける砂原。それを聞いた博孝は、頬を引き攣らせた。


「……それ、初耳なんですけど」

「“オリジナル”のESに適合する人間がいれば、その血族についても調査するのは当然だろう。なにかしらの因果関係が発見されるかもしれんしな」


 “オリジナル”のESに適合する人間について、その法則性は今のところ見つかっていない。そのため、適合した人間が現れる度に身辺調査も行われるのだ。

 それでも、外見年齢的にみらいに対して適性検査を行ったというのは無理があるだろうと博孝は思った。戸籍での年齢がどうなっているかはわからないが、博孝の妹ということは間違いなく博孝よりも年下である。さすがに双子として戸籍を作っているはずもなく、十五歳以下の人間に対して適性検査を行ったのは問題があるのでは、と思ったのだ。

 そもそも、何故ESの適性検査が十五歳以上を対象としているか。それは、統計的にES能力を発現するのが十五歳前後であると判明しているからだ。中には希美のように数年経ってから発現する場合もあるが、その割合は少ない。そのため、適性検査は十五歳になると受けるのが義務とされている。

 ただし、“オリジナル”のESについては多少事情が異なる。ある程度体が出来上がっていないと、“オリジナル”のESを受け入れても体が“もたない”のだ。かつて一桁の年齢で“オリジナル”のESに適合した例もあったのだが、その『ES適合者』はすぐさま『構成力』の暴走を起こして死亡している。


「バレるのが前提の“設定”ってわけですか……」

「そういうことだ。それと、河原崎みらいは第七十一期訓練生に特別編入させる。本来ならば来期の第七十二期か、再来期の第七十三期に入れるべきなのだが、存在が存在だ。河原崎が傍にいなければ、『構成力』が暴走する危険性もある」


 情報の漏えいを防ぐ目的もあるのだろう。それに加えて、砂原が教官を務める第七十一期生ならば、防衛の観点からしても優れていると言える。


「そして、諸君らに対しても機密保持が課せられる。今日見聞きしたことは、死ぬまで墓に持っていけ。口外を禁じる」


 いずれ情報は洩れるだろうが、それを極力防ぐためか、と博孝は納得した。それでも、みらいの存在をクラスメートが疑問に思った時には、誤魔化すぐらいはしなければならない。


「機密って言っても……何を喋らないようにすれば良いっすか?」


 そんな中、恭介が不思議そうに首を傾げて尋ねた。それを聞いた博孝は、笑いながら恭介の肩を叩く。


「何も気にすんなよ。誰かにみらいのことを聞かれたら、『河原崎みらいは河原崎博孝の妹っす。それ以上でもそれ以下でもないっす』って答えてくれれば良いよ」

「え? それだけで良いっすか? なら簡単っすね。てか、なんすかその声真似。気持ち悪いぐらい似てるっすよ……」

「ふふふ、俺の隠し芸の一つだ」


 博孝の言葉に納得したのか、恭介はそれで引き下がる。砂原の言葉を博孝と同様に理解している里香は、苦笑しながらそれを見ていた。砂原は呆れたように恭介を見ていたが、恭介の性格ならば博孝の言った言葉を愚直に繰り返すだけだろう。そう判断して余計な情報を言わないことにした。

 沙織については興味なさげにしており、本人の性格もあって他言することはないだろう。


「それでは、長谷川、武倉、岡島の三名は護送の人員が到着次第訓練校へ帰還。河原崎はこの場に残れ」


 その言葉を最後にして、この場は解散するのだった。



 第一小隊の隊員が護送の『ES能力者』達に連れられて撤収し、みらいも検査を受けている途中、博孝はふと気になることがあって口を開いた。


「そういえば教官、一つ気になることがあるんですけど」

「なんだ?」

「みらいが俺の同期になるのは良いですけど、住むための部屋はどうするんですか? 女子寮に住ませるってことで良いんですかね?」


 里香に頼めば喜んで身の回りの世話をしてくれそうだが、などと思いつつ博孝は尋ねた。里香もみらいのことを気に入っており、みらいも里香のことを嫌ってはいない。あるいは、同室にしても問題ないかもしれない。

 しかし、砂原はそんな博孝の質問を聞くと、どこか生暖かい視線を博孝に向ける。


「いつ『構成力』が暴走するかわからない者を、女子寮に置いておくわけにはいかんだろう」


 その言葉と砂原の視線を受けて、博孝は嫌な予感を覚えた。だが、その予感を否定するように言葉を紡ぐ。


「え? じゃあ、長谷川中将が訓練校で検査ができるように云々言ってましたけど、そっちに部屋でも作って住ませるんですか? それはそれでどうかな、と思うんですけど」


 みらい本人のための検査等は受けさせるが、実験動物のような扱いはしないと源次郎も言っていた。それでも、検査用の施設で寝泊まりするというのはどうかと博孝は思っている。


「河原崎、お前はわかっていて明言を避けているな?」


 言い募る博孝に対して、砂原は冷たく問う。その問いを前に、博孝は冷や汗を流した。


「えーっと……もしかしてですけど、俺の部屋に住ませるんですか?」


 まさか、と思いつつも、それしかないとも思っていた博孝は、恐る恐る尋ねる。すると、砂原は躊躇なく頷いた。


「『構成力』の暴走を抑えることができ、仮にあの子が暴れても単独で制圧することができ、そしてなにより“兄妹”だ。あの子用の住居を作る余裕も、それを見張るための人員の余裕もない。そうなると、だ」


 砂原は薄く笑いつつ、博孝の肩を叩く。


「お前の部屋に住ませるのが、最も効率的ということだ。ああ、安心しろ。あの子の分の給与もきちんと振り込まれる」

「安心するところってそこじゃないですよね!? いや、え? 俺が住んでる部屋って、男子寮なんですが! 名目上は妹とはいえ、一緒に住んで問題ないんですか!?」


 話の流れに焦り、勢い込んで尋ねる博孝。その問いを聞いた砂原は、意外そうに片眉を上げる。


「なんだ、河原崎はあの子に手を出すつもりなのか? 長谷川や岡島ならばともかく、あんな小さな子に手を出すのは、些か以上にお前の将来が心配になるな」

「ちげええええぇぇっ!? 一体何の心配をしてるんですか!? 男子寮に女の子を住まわせることとか、『構成力』を暴走させた時の被害とかのことを言ってるんですよ!」


 思わぬ濡れ衣に、博孝は全力で否定した。砂原は必死で否定する博孝を見て、苦笑を浮かべる。


「冗談だ。男子寮に女子を住まわせると言っても、“あの”外見だぞ? 俺の生徒の中に、あんな小さな子に対して欲情するような者はいないだろう。『構成力』の暴走についても、少しでも危険を感じれば『活性化』を使って抑えろ」

「俺の身の安全は考慮してもらえないんですね……」

「その点では、あの子を検査用の施設に放り込んでおくわけにはいかん。お前が駆けつけるのが遅れる可能性もあるしな。ああ、お前が一緒に検査用の施設に住むなら話は別だが、あの場所はあの場所で機密が多い。許可が下りんだろう」

「わーい、さらっと無視されたぜー。あと教官、俺もクラスメートのことは信じていますけど、みらいに手を出そうとする奴がいたら――その時はどうすれば良いんですかね?」


 この場合の手を出すとは、危害を加えるという意味である。もちろん、博孝としては『悪い虫がつく』という意味もあったが。


「その場合の対処は一任する……が、やり過ぎるなよ? 何かあれば、俺への報告を怠るな」

「了解です。といっても、みらいの検査が無事に終わらないことには、一緒に住めるかどうかもわからないですしね」


 初めて遭遇した時、みらいは博孝達に対して襲いかかってきた。その理由は未だに不明だが、当面は気を抜くわけにもいかないだろう。油断させておいて、寝首を掻くということもあり得る。

 また、“人”として生活できるかも不明だ。食事や睡眠を取るのか、何か特別な生命維持装置などは必要ないか、等々調べる必要がある。

 今後の展望を脳裏に思い描き、博孝は深くため息を吐く。


「ああ……なんか、どんどん機密とか負担とかが積み重なっているような……年末年始に、両親のところに帰れるのかなぁ……」


 無性に両親の顔を見たくなったが、その時はみらいを連れて帰る必要もあるため、両親の反応が怖い博孝だった。


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