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平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)  作者: 池崎数也


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エピローグ その5 次代への願い

 一度は致命傷を負い、里香の治療によって辛うじて命をつないだ砂原は、『いなづま』から下船した後に即応部隊から最も近い『ES能力者』用の病院へと運び込まれていた。


 『構成力』を限界まで使用し、ラプターの不意打ちによって心臓を失い、なおかつ大量の出血。一命を取り留めたものの、重体であることに変わりはない。

 清香と戦うべく『いなづま』から飛び立った博孝達を見送った後、再び意識を失って治療室に運び込まれ、絶対安静と判断されて回復に努めなければならないほどの負傷だったのである。


 味方の治療のために日本中を飛び回っていた博孝達を除き、即応部隊の面々は当然ながら見舞いに行こうとした。激戦後の疲労が激しい体を押して、眠る時間を削ってでも砂原の見舞いに行こうとしたのである。


 だが、意識を取り戻した砂原はこれを断った。

 見舞いに来る暇があるのならば少しでも体を休めて、今後に備えろと。『星外者』との戦いは終わったものの、今回の戦いで日本各地に刻まれた戦いの爪痕を消すことにだけ注力しろと。そう言って断ったのである。


 ――そんな砂原のもとへと、博孝達は足を運んだ。


「隊長……」

「そうか……お前達が来たか」


 砂原は病院の屋上で一人、ベンチに座って空を眺めていた。


 常の如く野戦服を身に纏い、足元は軍用ブーツで固められている。その姿は入院患者とは思えず、一見するだけならば怪我人には到底見えない。

 そんな砂原に声をかけた博孝だったが、その後ろには沙織と里香、恭介の姿もある。

 訓練生時代、砂原の教え子として小隊を組んだメンバーだ。第七十一期訓練生だった者は他にもいるが、即応部隊に所属している中村達は博孝達に全てを託し、送り出した。


 病院に到着してから砂原を探し出すのに“時間がかかった”が、無事に発見することができて沙織と恭介は安堵の息を吐いている。

 そんな二人とは対照的に、博孝と里香の表情は強張っていたが。


「河原崎、妹はどうした?」

「……みらいなら、今回の戦いで捕縛したベールクトの面倒を見てます。戦力的に仕方ない部分もありますが、妹の面倒を見るのが姉の仕事だって言って。俺が言ったからってのもありますけど、妹ができたのが嬉しいみたいですよ」


 どこか穏やかな様子で問いかけてくる砂原に、博孝は努めて明るい声で答えた。

 万に一つもないと博孝は考えているが、もしもベールクトが暴れれば並の『ES能力者』では束になっても止められない。そのため直接対決でベールクトを下したみらいが傍につき、“監視”を行っている。


 今回の戦いによって清香の束縛から脱した『天治会』の面々も、同様に捕縛されていた。自分の意思ではなかったとはいえ、他国に侵攻してきたのだ。清香に操られていたという側面を考慮しつつも、どう扱うかで“上”が揉めているらしい。


「そうか……あの子も成長したものだ」


 遠くを見るように目を細め、感慨深そうに呟く砂原。その声色はどこか透き通っており、不穏なものを感じた博孝は隣に立つ恭介へと話を振った。


「ええそうなんです、みらいも成長してるんですよ! なあ恭介!? 成長に一役買ってくれてるもんな!?」

「なんでキレ気味でこっちに話を振ったんすかねぇ!?」

「そりゃお前……わかるだろ? わかれよ」

「声のトーンが洒落になってないっすよ!?」


 病院とはいえ場所が屋上だったため、博孝は恭介と騒ぎ始める。話を振られた恭介もそれを察したのか、あるいは博孝の剣幕に本気で脅威を覚えたのか、拳を構えて間合いを測った。


「くくっ、お前達は変わらんな」


 襟首を掴んで投げ飛ばそうとする博孝と、それを牽制するよう小刻みに拳を繰り出す恭介。そんな博孝と恭介のやり取りを見た砂原は口の端を吊り上げると、心底愉快だといわんばかりに笑う。ベンチの背もたれに体を預け、懐かしむように目を細める。


「その明るさと騒がしさ……教官だった頃にずいぶんと救われたものだ。お前達が率先して騒いだからこそ他の者達も委縮せずに済んだ。もしもお前達のようなムードメーカーがいなければ、教え子達には暗い三年間を送らせていたかもしれん」

「そんなことは……」

「ない、とは言えん。自分で言うのもなんだが、俺の訓練は正規部隊員でも辛いレベルだ。もちろん新兵以下の訓練生が相手ということで加減はしたが、下手すれば一人か二人は潰れていただろう」


 遠くを見たままでそう語る砂原に、博孝達はどう返せば良いか迷ってしまう。

 砂原の言葉を否定することに対して迷っていたわけではない。砂原の言葉は独白のようであり、下手に返答するのは躊躇われたのだ。


「……武倉」

「う、うっす! なんっすか!?」


 遠くを見ていた砂原の目が、恭介へと向けられる。その視線と言葉を受けた恭介は慌てて背筋を正すと、何故か挙手の敬礼をして砂原の言葉を待った。


「柳の奴と一緒にラプターを倒したそうだな?」

「え、あ、うっす! 隊長の仇は取うごっ!?」


 元気良く返事をしようとした恭介だったが、返答の拙さにすかさず沙織がツッコミを入れた。折りたたんだ肘を叩き込んで強制的に黙らせると、眼光鋭く睨み付けた。


「馬鹿恭介。それじゃあ隊長が死んだみたいじゃない」

「ぐ、ぎぎ……つ、ツッコミがきつすぎる……博孝に向ける優しさの半分で良いから欲しいっすよ……」

「残念ね、わたしの優しさは博孝と里香、それにみらいの分で売り切れだわ」


 沙織が肩を竦めると、恭介は降参だと言わんばかりに両手を上げる。砂原は沙織の気遣いを目の当たりにして、本当に成長したものだと思った。


「いや、仇というのも間違ってはいない。俺の手で直接引導を渡してやりたかった気持ちもあるが、な」


 だから気にするな、と砂原は笑う。教え子の一人である恭介が、柳と協力したとはいえラプターを倒したのだ。砂原としては喜ぶ他ない。


「柳の手を借りたとはいえ、大したものだ。間接的にとはいえ、俺を超えてくれたな」

「いやいやっ! 例えそうだとしても俺が一対一で隊長と戦ったら瞬殺されるっすよ!」


 柳と組んで二対一で戦い、なおかつとどめを刺したのも柳なのだ。間接的に超えたと言われても、恭介としては頷けるはずもない。

 何度も首を横に振って否定する恭介の姿に砂原は微笑むと、今度は沙織と里香、そして博孝へと視線を向けた。


「河原崎、長谷川……それに、岡島。『星外者』を、あの女を倒したそうだな」

「……はい」


 三人を代表して博孝が頷く。砂原はそんな博孝を数秒眺めていたが、その視線は博孝の右手へと移動した。


「長谷川中将閣下から話は聞いている。お前が得たという新しい力……それを見せてくれないか?」

「隊長、それは……」


 砂原の言葉に反応したのは里香である。博孝の『収束活性化』はその難易度もそうだが、それ以上に博孝の体を『星外者』へと近づけてしまうのだ。

 今の博孝でも既に『星外者』寄りの『ES能力者』だが、“これ以上”となるとどうなるかわからない。


 『構成力』さえあれば短時間で体を復元できるほどに人間離れしてしまった博孝。里香としては、今の博孝の状態が詳しく判明するまで無理をしてほしくなかった。


「大丈夫だ、里香。戦うわけじゃないし、そんなに影響はないって」


 里香の懸念を吹き飛ばすよう、博孝は笑う。里香は沙織に止めてほしそうな視線を向けたが、沙織は博孝の決断を尊重するだけだ。


「隊長が何の意味もなくこんなことを言うはずがないわ。わたしは博孝の決断を信じるだけよ」

「沙織ちゃん……」


 里香はそれ以上何も言えず、事の成り行きを見守る。恭介は博孝の表情からその意思が固いことを見て取り、小さく肩を竦めるに留めた。


 博孝は砂原達から少しだけ距離を取ると、意識を研ぎ澄ませる。それに合わせて『活性化』を発現すると、『収束』の要領で右手へと集中させていく。

 戦闘中ではないためゆっくりと時間をかけ、確実に『活性化』を収束。そして一分ほど時間をかけて右手に『収束活性化』を発現してみせると、安心したようにため息を吐いた。


「里香と飛び回った一週間で使い方を忘れなくて良かった……じゃじゃ馬過ぎて暴発しそうなのが怖いけど」


 右手に集中した薄緑色の『構成力』は『収束』を超える規模であり、話には聞いていても初めて目にした恭介が息を呑む。

 清香を仕留めたと聞き、ラプターを仕留めた柳の渾身の一撃と同等程度に考えていた恭介だったが、博孝の右手から放たれる威圧感は柳の力すら上回る。試す気にもならないが、全力で防御しても防ぎ切れる自信が微塵も湧かないほどだ。


「――見事だ」


 博孝が発現した『収束活性化』を見た砂原は短く、それでいて心底からの称賛を口にした。それを聞いた博孝は一瞬、何を言われたのか理解できずに首を傾げる。

 だが、砂原が何の含みもなく褒めたのだと悟ると、思わずガッツポーズを取り――『収束活性化』の制御が乱れ、慌てて押し留めた。


「うぉっ!? やべぇ……危うく自分の右腕を吹き飛ばすところだった」

「それって絶対俺らにも影響あるっすよね!?」


 すぐさま『収束活性化』を制御し直した博孝は、右手の『構成力』を散らしてからため息を吐く。そんな博孝の呟きを聞いていた恭介は目を剥いて叫ぶが、博孝は手を合わせて謝るだけだ。


「悪い悪い。隊長から……教官から普通に褒められた機会って滅多にないから、つい」

「俺もついさっき同じことを思ったっすけどね……」


 砂原は本人の気質なのか、褒めるよりも先に殴り飛ばすような性格である。褒めることで増長させるよりも、欠片も慢心しないよう先んじて殴り倒すという非常に“生徒想い”の性格なのだ。


 しかし、砂原に褒められたことを喜んだ博孝だったが、砂原の浮かべる表情を見て言葉をなくす。

 素直に褒める機会が少ない砂原だが、それでも褒めるべき時はしっかりと褒めるのだ。何度か褒められたことがある博孝の記憶の中では、教え子を褒める時の砂原はどこか楽しげで、嬉しそうな顔をしていたものである。


 そんな砂原が浮かべている表情――それは安堵が一番近いだろうか。


 博孝の『収束活性化』を目の当たりにした砂原は博孝の成長を喜び、そして、それ以上に安堵している。

 思わず絶句する博孝だったが、砂原は肩の力を抜き、晴れ晴れとした様子で大きく息を吐いた。


「ああ……教え子に追いつかれ、追い越されるというのも存外悪くない。先達として役目を果たすことができた……ああ、これで安心だ。安心、できた」

「……隊長? 一体何を……」


 言葉にした通り、心から安心したようにため息を吐く砂原。そんな砂原の反応が博孝には理解できず、疑問に濡れた声で呟いていた。

 そんな博孝の様子に気付いていないのか、それとも敢えて無視しているのか、砂原はベンチから立ち上がって博孝達を見回す。


「斉藤と間宮から話は聞いたな?」

「即応部隊の解隊について、ですか?」


 砂原の言葉に答えたのは里香である。信じられないように目を見開く博孝の代わりに言葉を返し――その口元が震えていたことに、里香本人は気付いていない。


「そうだ。今回の戦いでは被害が大きかったからな……陸戦空戦問わず、部隊の再編が行われる」


 里香の様子にも砂原は何も言わず、言葉を続ける。


「お前達も今回の戦いで活躍して軍功を得た。そしてそれ以上に、『星外者』への切り札としての立場もある。各自が昇進し、各自が部下を持ち、これまでとは違った道を歩くことになるだろう」


 そこまで行って、砂原は言葉を切った。そしてもう一度博孝達の顔を見回し、どこか誇らしげに微笑む。


「お前達はもう、一人前の『ES能力者』だ。自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の手で未来を手繰り寄せることができるようになった……元教官として、誇りに思うぞ」


 もう教えることはない。そう聞こえる砂原の言葉に真っ先に反応したのは博孝である。


「で、でもですね! いくら『星外者』に勝ったからといってもまだまだ技術的には未熟なわけですし、隊長にはこれかもご指導ご鞭撻の程をお願いしたいですよ!」

「そ、そうっすよ! 昔と比べたら少しは強くなれたと思うっすけど、俺達はまだまだですし!」


 博孝に続いて恭介が声を上げる――が、砂原は静かに笑うだけだ。

 そんな砂原の顔を見た博孝は勢いをなくし、その視線を床へと落とす。そして数回深呼吸をすると、声を震わせながら尋ねた。


「……そんなに悪いんですか?」


 抑えようとしても抑えられない声の震え。博孝はそれを隠す気力もなく、隠せるとも思えず、ただ、否定してほしいと思った。


「体の方は問題ない。血を流し過ぎて少しばかり貧血気味だが、これはすぐに治るだろう。傷口も塞がっている……まあ、あと三日もすれば退院できるだろうな」


 体調に関しては何の問題もない、と砂原は笑う。ほぼ死んでいた体が十日程度で完治するのならば、驚きと喜び以外に必要ないはずだ。

 それでも、博孝達は誰一人としてそれを喜ぶことができない。ただ静かに、砂原の言葉を待つ。


「だが、一度心臓を失った影響なのか、怪我はともかくとして『構成力』が戻らん。今までと比べれば十分の一程度か、もっと少ないか……今までのように戦うのは難しいだろうな」


 そして砂原はあっさりと、何でもないことのように自身の状況を口にした。


 肉体的な負傷は完治が近く、砂原の感覚的にもそれは間違いがない――が、『構成力』だけは別だ。

 ラプターと戦う前と比べれば十分の一以下程度しか『構成力』が存在せず、なおかつそれ以上回復するようにも感じられない。

 まだ試していないが、砂原の経験から判断する限り『飛行』を発現しながら戦闘することすら困難そうだ。今の状態では空戦ではなく陸戦、それも訓練校を卒業したての新兵かそれ以下の『構成力』しか保有していなかった。


 砂原の言葉を聞いた博孝は思わず顔を上げるが、すぐに表情を歪めて再び視線を床へと落とす。


 ――その予兆を感じなかったと言えば、嘘になるだろう。


 この病院に到着して砂原を探し出すのに時間がかかったのは、砂原が持つ『構成力』が微弱で探りきれなかったからだ。“これまで”との差があまりにも大きすぎたために、今の『構成力』の量から砂原だと気付けなかったのである。


「今の状態では隊長職など以ての外。試してみなければわからんが、空戦部隊員としての資格も返上だろう。陸戦部隊員として働くか……もしくは中将閣下に願い出て、鍛え直す時間をもらうか」


 最後は冗談のように話す砂原だが、博孝達は笑うことなどできるはずもない。


「わた、しが……わたしがもっと、上手く治療できていれば……」


 沈黙が場に満ちる中、里香がぽつりと呟く。砂原に治療を施したのが里香だったが、もっと上手くできていれば、と。


「……それを言ったら、俺がアイツらに攫われたのが元々の原因だ。隊長が『星外者』と戦う原因さえ作らなければ……」


 今にも泣き出しそうな里香に、博孝は首を横に振った。もしも博孝が男の『星外者』に敗れて攫われていなければ、砂原が負傷することもなかったのだ。

 砂原が負傷する切っ掛けになったことを悔む博孝と、自分の治療が駄目だったのだと嘆く里香。それを聞いた恭介は何と声をかけるべきか悩み、沙織は何も言わずに沈黙を保つ。


「――自惚れるな」


 故に、博孝と里香を止めるのは砂原に他ならない。それまでの穏やかな様子を一変させ、“いつも通り”に厳しさを前面に押し出して博孝と里香の言い合いを止めた。

 砂原は最初に里香を睨み付けると、威圧するように鼻を鳴らす。


「本来ならば死んでいた身だ。命をつないだだけでも奇跡だというのに、それ以上を望む? 岡島、貴様は神にでもなったつもりか?」

「い、いえ、そんなことは……」


 砂原ほどの『ES能力者』でも死んでいたほどの重傷。それを生き永らえさせ、今もこうやって言葉を交わすことができるのは一種の奇跡だ。“それ以上”など砂原は求めず、また、里香が思い詰めないよう冷徹に切って捨てる。


 それだけのやり取りで里香は砂原の言いたいことを察し、口を閉ざした。そんな里香の様子にほんの僅かだけ目尻を下げると、すぐに表情を険しいものへと戻してから博孝へと視線を向ける。


「お前もだ、河原崎。あの時お前と『星外者』が交戦したのは、俺の指揮が拙かった部分が大きい。それに、お前の救出を決断したのは俺で、『星外者』と戦うことを選んだのも俺だ」

「それは……そう、かもしれませんが」


 里香とは異なり、ある意味では今回の戦いの引き金を引いてしまった博孝は納得できずに言いよどむ。全てとは言わないが、責任の一端が自分にあるのだと博孝の表情が物語っている。


「かも、ではない。それが全てで、俺は自分の決断に従っただけだ」


 しかし、博孝の後悔も砂原が切って捨てた。博孝はそれでも何か言おうとしたが、それを制するように砂原は言う。


「――“それだけ”は、誰にも曲げさせん」


 そう言い切る。致命傷を負ったことも、生き永らえた後に『構成力』のほとんどを失ったことも、全ては自身の決断の結果だと断言する。


 これから様々な苦難が待ち受けているであろう教え子達に後悔を背負わせるなど、できるはずもない。即応部隊の隊長として、博孝達の元教官として、“そんなもの”は砂原の矜持が許さない。


 博孝はそんな砂原の剣幕に言葉を飲み込むと、拳を握り締めて体を震わせる。

 砂原が言いたいこともわかった。博孝達に後悔を背負わせたくないという砂原の“親心”も、痛いほどわかった。


 言葉を失った博孝と里香、更には何を言えば良いのかわからない恭介。そして、ただ一人沈黙を保っていた沙織が一歩前へと足を踏み出す。


「隊長……いえ、教官。これまでのご指導ご鞭撻、ありがとうございました。わたしは自分の道を進みます。博孝の隣で、博孝を支えて進んでいきます」


 砂原の決断を即座に理解し、それを飲み下した沙織は敬意を込めてそう宣誓する。


 訓練生の頃は砂原の庇護下で守られ、即応部隊に入ってからも立場的に大きな変化はなく――それでも、今度こそ師の元から飛び立つ時が来た。

 砂原が戦う力のほとんどをなくしたことは、沙織としても思うところがある。しかし砂原の意思を尊重し、それ以上のことは何も言わなかった。


「……色々な意味で問題児だったが、一番成長したな。お前に言うべきことは何もない。自分の信じる道を進め」

「はい!」


 迷いのない瞳で“これから”のことを語った沙織に対し、砂原は表情を綻ばせる。そんな砂原と沙織の言葉に後押しされたのか、何を言えば良いか迷っていた恭介が頬を掻きながら口を開いた。


「博孝や岡島さんみたいに頭良くないし、沙織っちみたいに割り切れるわけでもない……でも、教官の言いたいことは理解したっすよ……その、なんとなくだけど」

「ああ、それで良い。全てがわかる必要はないし、全てがわかるなどと言うものでもない。お前も長谷川と同じように、自分が信じる道を進めば良い」


 そこまで言った砂原は恭介の胸に軽く拳を当てると、口の端を吊り上げて笑う。


「それと、よくぞラプターを討ってくれた。元教官として、上官として鼻が高い……それに溜飲も下がった」

「ははは……柳さんの協力があってこそっすけどね」


 砂原に認められ、褒められることがくすぐったく、それでいて嬉しい。そのため恭介は指で鼻の下を擦り、照れ隠しのように笑った。

 そんな恭介の謙遜を聞いた砂原は穏やかに微笑むと、次いでその視線を里香へと向ける。里香の言葉を切って捨てた時と違い、その顔は微笑ましそうにしていた。


「この中では唯一空を飛べなかったが、自分の成すべきことを成し、それだけに留まらず多くの戦友を救ったその手腕……尊敬に値する。よくぞ腐らず、めげず、ここまで至ったな」

「隊長……わたしは……」

「戦いが終わっても戦友の治療に奔走したお前の行いは、褒められこそすれ責められるべきことは何もない。例えそこに“河原崎のため”という思いがあったとしても、お前が多くの戦友を救ったのは事実だ」


 砂原の言葉を聞いた里香の肩が大きく震える。

 今回の戦いの後処理として負傷者の治療者を行うために博孝を連れて飛び回ったが、里香には負傷者の治療以外にも一つの目的があった。


 それは、清香を倒す代償として『星外者』の領域に足を踏み入れた博孝の“今後”を考えてのことである。


 博孝が清香を倒すことで今回の戦いに終止符を打ったが、別の視点から見れば清香を超える存在が誕生したとも言えた。『ES能力者』を操る清香と比べれば脅威に思われないかもしれないが、それでも博孝の存在は一定以上の脅威として見られるはずである。


 それは他国のみならず、自国の『ES能力者』にとっても同様だ。『武神』と呼ばれる源次郎ですら倒せるかわからず、もしも博孝が反旗を翻せば止められる保証がない。

 博孝の為人を知る者ならばそんなことはありえないと言うだろうが、全員が共通の認識を抱くことなど不可能だ。


 “だからこそ”里香は動いた。激戦の後にも関わらず博孝を連れて全国を飛び回り、体力の限界を超えてでも治療を行い続けたのだ。


 命の恩人を悪く思う者など皆無であり、戦友を救った者を悪く思う者もまた皆無。少なくとも治療を行った者達が博孝を脅威に思う可能性は低いだろう。


 ――全ては“戦後”を見据えてのことである。


「うぅ……そ、それはその、わざわざ言うことじゃないと思うんです、けど……」


 里香としては隠していたつもりであったし、博孝に気付かれたとも思っていない。それでも砂原は里香の行動から何を考えているか察し、真実を見抜いたのだろう。

 そのためわざわざ口に出した砂原に対して拗ねたように唇を尖らせると、砂原は楽しげに笑う。


「なに、河原崎はアホだが馬鹿じゃあない。お前の今後を思えば、こうやって言葉にしておくのも大事だと思っただけだ」

「しれっとアホ呼ばわり!? ひどいですよ隊長!」


 話が予期せぬ方向に転がりそうだったため割って入る博孝。先程までの空気を払拭するように明るく――“表面だけでも”明るく振る舞う。


「昔からそうだっただろう?」

「ぐっ……たしかに否定できねぇ。でもですね、あの頃は清香に操られていた部分もあったわけで、全部が全部俺の意思だったわけじゃないですよ!?」


 無駄にはしゃいで、無駄に騒ぐ。そういった空気が嫌いなわけではないが、“本来の”博孝ならばもっと早い時点でブレーキをかける。

 思い返してみれば色々と無謀なことや馬鹿なことをしていたなぁ、などと場違いに昔の自分を振り返る博孝だった。


「そうだな。だが、あの女はお前が自分の手で倒した。これからお前は自分の意思で、自分の足で歩いていかなければならん」


 そして、過去の自分の行いを振り返る博孝に対し、砂原は断固たる態度でそう言い切る。


 たしかに清香の手によって思考を操られていた面があるとはいえ、行動の全てに影響があったわけではない。その時々、状況によって大きく異なるだろうが、博孝本人の意思として決断した時も多くあった。


 今後は全ての決断を、自分の意思で行う。砂原が言いたいのはそれだけだ。


 『星外者』を倒した者として、今後訪れるであろう『星外者』の戦いを主導する者として、博孝は自らの意思で様々な決断を下していかなければならない。

 清香を、『星外者』を退けたといっても、全てが終わったわけではないのだ。おとぎ話のように、全てが終わってめでたしめでたしとはならない。

 だからこそ、これからは自分の足で歩いていけと砂原は言う。博孝の置かれた立場、今後求められる役割を考えた上で、そう言い切る。


 砂原の言葉を受けた博孝は真っ直ぐな視線をぶつけるが、砂原は表情を崩さずに微笑むだけだ。その砂原の態度に、博孝は感情が溢れないよう両手を握り締める。


「本当は……本当、は、もっと、教わりたいことが……たくさん、あったんです……」


 涙が声に混じらないよう堪えながら、博孝は言う。


 たしかに清香を倒すことはできたが、まだまだ未熟だと痛感している。

 『星外者』に匹敵する今の博孝を倒せる可能性があるのは、身近なところでは沙織とみらい、源次郎ぐらいだ。並の『ES能力者』の攻撃では傷一つ負わず、仮に傷を負ったとしてもすぐに塞がるだろう。

 しかし、技術的にも精神的にも未熟で、砂原に教わりたいことはいくらでもあった。訓練生の頃のように、即応部隊へ入隊してすぐの頃のように、教わりたいことがいくらでもあったのだ。


 その思いは博孝だけのものではなく、沙織達も同様だろう。

 それでも沙織は砂原の言葉を素直に、敬意を以って受け入れた。恭介もまた、思うところはあっても飲み下している。


 受け入れられなかったのは砂原に救われた博孝と、砂原の治療に携わった里香の二人。だが、砂原と言葉を交わすうちにそれでは駄目なのだと思い知った。

 博孝は深呼吸をして精神を落ち着けようとする。何度も、ゆっくりと呼吸を繰り返すことで身の内から溢れそうになる激情を抑え込む。


「ここから先は……自分の足で歩いていかないといけないんですね」

「そうだ」


「隊長達みたいに、隊長達に負けないように……」

「ああ」


 静かに問いかける博孝に対し、砂原もまた静かに答える。その短い返答こそが砂原らしさだと博孝は笑い、無理矢理口の形を笑みに変えた。


「なあに、お前ならできるさ。なにせ……」


 そんな博孝の不格好な笑みを見た砂原は、博孝の決意が固まったのを見て満足そうに頷く。


「――俺の、自慢の教え子だからな」


 そう言って博孝達の顔を見回す砂原。その言葉に博孝達は何も答えることができず、砂原の言葉によって抱いた感情を噛み締めるように俯く。


「繰り返しになるが、お前達はもう一人前になった。だが、これから多くの困難に直面するだろう。お前達が置かれた立場、環境を思えばそれは確実だ」


 俯いた博孝達の頭上から、砂原の声が降ってくる。俯いてしまったため博孝達は砂原の顔を見ることはなかったが、かけられる声がどこか震えて聞こえたのは錯覚か。


「多くの苦難が待ち受けているだろう。それらを前に、膝を折りたくなることもあるだろう。周囲からの期待や不安に押し潰されそうになることもあるだろう」


 砂原が語るのは、今後訪れるであろう未来についてである。『星外者』を倒した博孝達には多くの者が期待を寄せ、その重圧は並大抵のものではないはずだ。


「そんな時は“これまで”のことを思い出せ。お前達が積み上げてきたものを、お前達が守り抜いたものを思い出せ。その全てがお前達を支え、力となる」


 そう言って砂原は不器用に、少しばかり乱暴に頭を撫でていく。こうやって子ども扱いするのもこれで最後だと、その決別を示すように力強く、教え子の巣立ちを祝う。


「困った時は隣を歩く仲間を頼れ。お前達が力を合わせれば、どんな困難でも乗り越えていける」


 『構成力』の大半を失った身では博孝達を助けることはできず――そんな助けも、最早必要ないだろうと砂原は思った。


「お前達の元教官として、上官として、『ES能力者』の先達として、一人の人間として……これがお前達に贈る、最後の教えだ」


 その力も、その精神も、その在り様も。まだまだ未熟な点が見えたとしても、磨き上げるのは博孝達個人の役目だ。これから先は他人が磨くのではなく、自己の力で磨き上げていくのだ。


 そうするべきだと、それができるのだと、砂原は信じている。


「――はいっ!」


 だからこそ、その期待に応えるべく博孝が真っ先に返事をした。砂原の現状を悔やむのは砂原に対する侮辱であり、砂原が求めているのは謝罪でも贖罪でもない。


 ――前を向き、胸を張って自分の足で歩いていくことなのだ。


 後悔も不安も全てを飲み込み、博孝は不敵に笑う。そんな博孝の笑みに対し、砂原も笑い返すのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱ教官カッコ良すぎるよね! ずっと隊長で居てもらいたかった…。
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