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平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)  作者: 池崎数也


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第二百九十四話:最終決戦 その21

 ベールクトが放った『火焔』の濁流。それは自身の右腕を焦がしながらもみらいを飲み込み、周囲一帯を巻き込んで焼き払う。

 今までの『火焔』がただの炎ならば、『収束』して放った一撃は火山より溢れ出した溶岩に等しい。その熱量はベールクトの右腕以外の無事な手足にも熱を伝え、そのまま焼け焦げてしまいそうなほどだ。

 自身がもたらした壮絶な破壊。それを目の当たりにしたベールクトだったが、油断せずに意識を集中させる。


 今の攻撃は命中していれば本気の砂原でさえ焼き払える自信がベールクトにはあった。全身全霊を賭けた一撃はそう確信させるだけの威力があり、眼下に見える富士山周辺の山林が一部だけとはいえ余波で燃えるほどだ。

 それほどの熱量の中心で正面からの直撃を許したみらいは、到底無事とは思えない。それでも警戒を解かないのは、ベールクト自身信じきれない思いがあるからか。

 徐々に『火焔』による炎が消え、激しい熱波で揺らいだ空気も元に戻っていく。頭上に存在していた雲も蒸発したのか姿を消し、隠れる場所も遮蔽物も存在しないという空戦を行うには最高の状況へと変化していた。


 ベールクトは動かなくなった右腕を無視して左腕一本で構えを取り、周囲に警戒の目を向ける。右腕からは激しい痛みが断続的に襲ってくるが、痛みを感じている暇もないと無視し、己の感覚を総動員してみらいの気配を探す。

 疑似『収束』による『火焔』を発射した際、みらいは回避する余裕がなかった。『射撃』で逃げ場をなくし、『砲撃』を目隠しにして放ったのである。『探知』などが得意ではないみらいでは気付くのが遅れ、逃げ出す暇もなかったはずだ。


 実際のところ、ベールクトはみらいが離脱しないか目視で確認していた。そして己の目に狂いがなければ、みらいは確実に爆発に巻き込まれている。

 ベールクトとみらいの身体能力には大差がなく、それは『飛行』による移動速度も同様だ。みらいはラプターのように瞬時に目視圏内から離脱するような速度を持っておらず、ベールクトが放った攻撃を相殺するだけの射撃系ES能力も持っていない。

 ならば、先ほどの攻撃は確実にみらいを巻き込んで炸裂したはずだ。


 炸裂して、殺したはずだ。


「――ハ」


 爆発から一分経ったが、みらいは姿を見せない。その事実を前にベールクトの口元から小さな声が漏れ、それは連鎖するように口から零れ落ちていく。


「――アハハ」


 堪えきれない笑みが唇に弧を描かせる。望んだことを自分の手で成し遂げたという実感が、ふつふつと湧き上がってくる。


「アハ……アハハッ、アハハハハハハハハハハハハッ! アハッ、勝った! 勝ったっ! わたしが! お姉様に!」


 みらいの姿と『構成力』が消え失せ、現れる様子がない。歓喜の声を上げながらもベールクトの視線は周囲を窺っているが、ベールクトの油断を突いてみらいが強襲してくることもなかった。

 眼下に見える湖面を確認するが、みらいが飛び込んだ様子もない。先程の爆発の余波で小さく波打っているが、人が飛び込んだことで生じる波紋は確認できなかった。


 ――本当に、みらいに勝ったのだ。


 ベールクトは己の勝利を確信し、その味を噛み締め、大きく身を震わせる。歓喜を抑えきれないように両手を握り締めると右腕から激痛が伝わってきたが、今はその痛みすら心地良かった。


「これでお姉様はいなくなった……お兄様、わたしは……っ……」


 みらいがいなくなった以上、博孝の“妹”は自分だけだ。そう考えたベールクトの頭が軋み、ずきりと痛む。まるで太い杭でも打ち込まれたように、強烈な痛みとなってベールクトを戸惑わせた。


「あ、れ……あたま……いた、い……なんで……」


 ずきずきと、己の行いを責め立てるように頭が痛む。ベールクトは思わず左手を額に当てるが、それで慰めになるはずもない。直接脳を掻きむしられるような痛みに顔をしかめつつ、頭を小さく振る。


「これでお兄様はわたしのモノ……ええ、そのはず……あれ? でも、なんで、わたしはそんな……ことを……」


 己のことを“見てくれる”博孝に焦がれたのは事実だ。自分と同じような生まれでありながらも温かな環境で育ったみらいを憎らしく思ったのも、また事実。


(でも、お兄様と過ごす内にお姉様のことも……え、と……どう……思ったんだっけ……?)


 頭痛に合わせて疑問が噴き出す。たしかにみらいのことは許せないと思ったが、その思いも博孝と共に過ごすことで変化していたような気がするのだ。


 おかしい、おかしい、おかしい。“何か”がおかしい。


 頭に響く痛みと共に浮かんだのは、『おかしい』という言葉。何かがおかしい、ズレている。頭痛と共にベールクトの本能とでもいうべき部分がそう叫んでやまない。

 頭痛を堪えるために身をよじるが、その動きだけで右腕が激痛を伝えてくる――が、頭の方が痛い。それこそ本当に割れてしまいそうだとベールクトは思った。


 ベールクトは治療系ES能力を修めておらず、自分の手で治すこともできない。ましてや医術などを学べたはずもなく、自分の体に何が起こっているのか理解すらできなかった。

 戦闘で負った外傷ならばともかく、頭痛の対処法など知らない。そもそも通常の医療方法で治るような痛みにも思えず、ベールクトは眉を寄せて痛みに耐えるだけだ。


「いつっ……いたい……いたい、どうして……」


 時間が経っても痛みは引かず、ベールクトを苛む。先程までは思考が冴え渡り、かつてないほど体調が良かったというのに。


「どう、すれば……そう、だ、おにいさま、に……あたまをなでて、もらいましょう。そうすればきっと……」


 痛みを堪えながらブツブツと呟くベールクト。思考の八割を痛みが占めているが、残りの二割が“名案”を導き出す。


 みらいはいなくなった。だから博孝のところへ行って、頭の痛みを取ってもらおう。博孝に頭を撫でてもらえれば、それだけで治りそうな気がする。

 その際は笑顔で報告するのだ。みらいを倒したのだと、博孝を兄と呼ぶのは自分だけになったのだと。


「……うん、そう、そうです……おねえさまはいなくなったから、あとはわたしだけが……」


 絞り出すようにして浮かんだ案は、頭痛を抜きにしても魅力的だった。博孝が“褒めて”くれるのならば、それだけできっと――。


(おねえさまをころしたのに?)


 思考にノイズが走る。ザリザリと、ヤスリがけするように脳が痛む。

 自分がみらいを殺したと告げた時、博孝がどう出るか。“あの”博孝がどう考えるか。それは考える余地もないほどに単純で、悩む必要もないほど明瞭に答えられる。


 みらいを殺したベールクトのことを、博孝は許しなどしないだろう。いくらベールクトに対して同情的だとしても、それはありえない話だ。

 博孝には自分がみらいを殺したらどう思うか、直接尋ねたこともある。その時の博孝は『星外者』に囚われたことで精神的に参っていたが、答えを返すこともなかった。


 ――その答えは、尋ねずともわかっていたはずなのに。


「なんで……なんでわたしはっ!」


 頭痛を無視して、みらいを殺した際に使った右腕を左手で握り締める。ボロボロになった右腕は意識を失いそうになるほど強烈な痛みを伝えてくるが、激情に駆られたベールクトの意識を飛ばすには到底足りない。

 着ていた服が血肉で汚れていくがそれに構わず、ベールクトは“頭痛を誤魔化す”ために右腕を痛めつけていく。


 思い起こすのは、博孝と共に過ごした数日間の記憶。博孝からすれば迷惑だったかもしれないが、ベールクトからすれば初めて得られた穏やかな日々の記憶だ。

 最初は好奇心で、次はみらいへの対抗心で、最後には自分の心が惹かれるまま博孝へ近づいた。そこに後悔はなく、初めて得られた様々な感情に心が満たされたのだ。


 そんな博孝との間に育んだ感情が、刃となってベールクトの心を責め立てている。先程までは感じなかったはずの後悔で胸が張り裂けそうになる。

 最初はみらいとの立場の違いを羨み、妬み、殺そうと思った。だが、博孝と話す内にそれは筋違いな恨みだと薄々気づいていた。


 誠心誠意謝罪し、これまでの罪を償うことができたならば――もしかしたら、ベールクトが望んだ未来が訪れていたかもしれない。何年、年十年と後のことかもしれないが、博孝だけでなくみらいとも笑って過ごせる未来があったかもしれないのだ。

 そして、それを自分の手で壊した。何故、どうしてと思う心はあるが、間違いなくベールクト自身の手で壊したのだ。


 みらいを殺した後に残ったのは、『何故』という疑問の感情。頭痛と共に押し寄せてくるその感情は重く、ベールクトの心すらも押し潰してしまいそうだ。


「でも、もう……」


 いくら『ES能力者』と云えど、死んでしまえばそれで終わりだ。“致命傷”だろうと治療者の技量次第では回復することがありえる存在でも、一度死ねば蘇生は不可能である。ましてや、肉の一片すら残っていないのでは助かる道理はどこにも存在しない。


 ベールクトは神に祈ったことなどないが、もしもみらいが生きているとすればそれは奇跡か、何かしらの神業か――あるいは必然か。


「…………?」


 最早こうなれば、博孝の手で幕を下ろしてもらった方が楽かもしれない。もしくは博孝を助けるために自爆覚悟で清香へ挑みかかるか。

 そんなことを考えていたベールクトだったが、頭痛でリソースを占めていた脳が小さく警鐘を鳴らした。それは小さな、下手すればそのまま気付かずに見過ごしてしまいそうな感覚である。


 頭痛を堪えていた顔をのろのろと上げ、違和感を覚えた場所へと視線を向けた。それはベールクトが焼き払うまでみらいがいたはずの場所であり、感覚に“何か”が引っ掛かるだけで異常は発見できない。


「いま……なに、か……」


 自分の感覚を信じるならば、見過ごせないものがあったはずだ。それが何なのかベールクトにはわからなかったが、頭痛を堪えながら目を細める。


「……え?」


 空間が軋みを上げ、大きく波打つ。その現象に思わず声を漏らしたベールクトだったが、そんなベールクトに構わず空間に裂け目が走り、そして――。








 河原崎みらいは人工の『ES能力者』だ。

 『天治会』が――『星外者』が命じ、人の手によって生み出された存在である。


 『星外者』に“必要となる”『ES能力者』を生み出すべく実行された乙計画。その失敗作という烙印を押されたみらいだが、それは生まれながらにして膨大な『構成力』を持ち、成長する前に自滅すると判断されたからだ。

 本来ならば破棄される予定だったが、博孝が『活性化』を発現したことで実験として博孝の元へと転がり込み、『活性化』を頻繁に受けることで『活性化』自体を発現できるよう願われた存在である。


 もっとも、『構成力』の暴走こそは抑えられたものの、『星外者』の期待通りに『活性化』を発現することはなかった。その代わりに一人の『ES能力者』として成長し、『星外者』に近い存在へと“進化”している。

 通常ならば長い研鑽を経て身に付けるはずの莫大な『構成力』。それを生まれながらにして高い身体能力と共に持ち合わせたみらいは、砂原の教育と博孝達との生活によって更に大きく伸ばすこととなった。


 そんなみらいを姉と呼び、“同じように”生み出されたベールクトも当然ながら人工の『ES能力者』と呼べる。

 みらいとは違い、より『星外者』に近い存在である『アンノウン』として生み出されたベールクトだが、二人を比べて異なる点と言えば何か。

 先に生まれたみらいと比較するために同一の『ES能力者』の遺伝子を使用し、されど、二人には様々な違いがある。


 身長も違えば体重も違う。性格も違えば趣味嗜好も違う。二人を並べてみれば姉妹だという点に疑いはないだろう。外見の育ち具合からどちらが姉でどちらが妹か間違えることはあるだろうが、『ES能力者』として見れば顕著な違いが存在する。

 優れた身体能力、莫大な『構成力』に大きな違いはない。だが、ベールクトにはあってみらいにはないものが存在している。


 それは、ベールクトだけが独自技能を発現しているという点だ。同一の遺伝子を使用し、似たような容姿に育ちつつも、その点は明確な差異と呼べるだろう。

 紅い『構成力』によって発現される『火焔』はみらいには発現できず、似たような能力(スペック)でありながらも二人の戦い方すら違うものにしている。


 ――同一の遺伝子を使用しているというのに、みらいには独自技能がないのだ。


 ベールクトの『火焔』、フェンサーの『猛毒』、そして博孝の『活性化』。博孝の『活性化』に関しては真似することができず、みらいの成長を助けるに留めた。他の独自技能に関しても、『独自』とつくだけあって同一のものを発現することなどできていない。

 もしも可能性があるとすれば、『火焔』かそれに似た能力を発現するだろう。同じ遺伝子を用いて生まれたベールクトが発現した能力である以上、みらいも同様である可能性は存在する。

 だが、クローン技術というものは似たような容姿には育っても、まったく同一の存在が誕生するわけではないのだ。育った環境によって大きく変わり、姉妹とは呼べても同一の存在などと呼べる生き物に育つはずがなかった。


 みらいはみらいでしかなく、ベールクトはベールクトでしかない。置かれた環境の違いが二人に明確な違いをもたらし、そして今。


 ――みらいも“自分だけの力”を発現する。








「なん、ですか……それ……」


 呆然と、信じられないものを見たような声がベールクトの口から零れ落ちた。街角で死人を見かけたような、己の目を疑う心境である。

 この時ばかりはベールクトも頭痛を忘れ、攻撃することすら忘れ、眼前の光景を理解しようと必死になった。


 熟練の『ES能力者』が死にもの狂いで防御しようと、その防御ごと蒸散させたであろう全力の一撃。それによって影も形もなく吹き飛んだはずのみらいが、“空間の裂け目”から姿を見せたのだ。

 ES能力という超常の現象を操るベールクトですら、手品か何かかと目を疑う。ベールクトが知るES能力に該当するものはなく、かといってそれを独自技能と呼ぶのも憚られた。


 独自技能と呼ばれるES能力は、会得しようとして会得できるものではない。砂原の『収束』のように他に使える者がいなかった時期に独自技能と呼ばれた能力は存在するが、難易度は高くとも習得可能な技術として二級特殊技能に再分類された。

 そんな独自技能だが、一つの特徴が存在する。それはベールクトの『火焔』に存在し、フェンサーの『猛毒』に存在し――博孝の『活性化』には存在しない特徴だ。

 『火焔』も『猛毒』も、その名の通り自身の『構成力』が特定の影響を及ぼす。『火焔』ならば燃やし、『猛毒』ならば毒によって身を蝕む。


 名前が示す通りの能力であり、その効果は地球上に存在するものを踏襲しているのだ。

 故に、みらいが行ったのは『ES能力者』の独自技能などではない。ベールクトの攻撃を回避するために“空間の裏側”に飛び込むなど、『ES能力者』ができることでは断じてないのだ。


「……しぬかとおもった」


 ベールクトが放った『火焔』の濁流によって負傷したようには見えないが、みらいは何故か激しく消耗した様子だった。姿を消す前よりも『構成力』が半減しており、顔には疲労の色が見て取れる。

 そして、放った言葉はベールクトの攻撃と自身の行動の二つに対しての感想だった。


 ベールクトが予想した通り、みらいはその場から離脱することで放たれた『火焔』から逃げることはできなかった。ベールクトがばら撒いた『射撃』で逃げ道を防がれ、足止めのために放たれた『砲撃』の対処でその余裕がなかったのである。

 しかし自身が蹴り砕いた『砲撃』の向こう、『構成力』の爆発によって遮られた壁の向こうでベールクトの殺意が冷たく研ぎ澄まされたことは感じ取れた。同時にこれまで感じたことがないほどに濃密な死の気配を感じ取り、自身の死を明確にイメージする。

 回避は間に合わず、防御は無謀。すべての『構成力』を防御に回しても焼殺して余りある熱量だと見抜き、みらいは自分自身にできることを必死に模索した。


 みらいには博孝のような万能性はなく、沙織のような全てを切り裂く刃もなく、恭介のように優れた盾もなく、里香のように優れた知力もなく、砂原のような完成度もない。

 技術も未熟であり、身近な仲間に勝る点があるとすればその身に宿る莫大な量の『構成力』だけだ。


 ――“だからこそ”みらいは自身の『構成力』に全てを賭ける。


 以前恭介が撃墜されたことで暴走した際、みらいは周囲の空間を断絶させるほどの『構成力』を放ったことがある。それは肉声も『通話』による声も防ぎ切り、博孝が『収束』を用いてこじ開けることでようやく“外部”からの干渉を許すほどの強固さだった。

 その時の明確な記憶はみらいにはない。だが、体が覚えている。激情によって無尽蔵に溢れ出た『構成力』を、体が覚えているのだ。


 何度も死地を乗り越え、激情を幾度も体験してきたみらいが保有する『構成力』の量と質は『星外者』に匹敵する。『ES能力者』という殻を破壊し、『星外者』に近づいた今だからこそみらいは活路を見出した。


 イメージするのは男の『星外者』が発現した無色の盾。空間を操作して押し固めるという『ES能力者』でも容易に成し得ないその技を、みらいは全身から『構成力』を放出することで実現させようとする。


 ――防御できないのならば防御できるようにすれば良い。


 だが、ベールクトが放つ一撃はどんな防御すらも焼き尽くしてしまいそうだ。


 ――回避できないのならば回避できるようにすれば良い。


 だが、周到に放たれた『射撃』と『砲撃』によって逃げる場所がない。


 この状況で生存を可能とするには、防ぐよりもベールクトの攻撃を回避しきることが最良である。しかし逃げ場がなく――みらいは逃げ場を“造り出す”。

 様々な法則、『ES能力者』としての理すらも超越し、正しく『星外者』としての領域へとみらいは到達する。


 全力で『構成力』を発現して周囲の空間を歪ませると、強引に切り裂いて中へと飛び込む。それこそが活路だと、それ以外に生存の道はないという己の直感に従い、空間を操作することでこの世界から消失する。

 それがみらいの肉体や『構成力』すらも消失させた正体だった。空間の裏側という、『ES能力者』では到達できない領域に踏み込んだからこそ成せる業だ。


 『火焔』を“発現してしまった”ベールクトには実現できない、明確にして絶対的な差異だった。


「どうして……死んでないんですか……」


 『火焔』の一撃から“隠れ切った”みらいを見たベールクトは、理解できないように呟く。みらいの姿を見てから頭痛が収まっており、思考は澄み渡っていたが、状況を理解できないでいた。


「……いきてるから?」


 何故死んでいないと言われても、みらいからすれば生きているからとしか答えられない。

 一見無傷で何事もなかったかのように振る舞っているが、空間の裂け目に飛び込むというのはみらいでもハイリスクな能力だった。


 全力で『構成力』を発現し、空間をこじ開けて飛び込んだは良いが、閉じた空間に押し潰されそうになったのである。そのため潰されないよう全力で『構成力』を発現することで抵抗し続け、脱出の際には再度空間をこじ開けるために莫大な『構成力』を消耗した。

 ベールクトの攻撃をやり過ごすことができればそれで良かったのだが、“内側”から脱出するためには外側から飛び込むよりも時間と『構成力』を必要としたのである。


 だが、“それだけ”だ。己の能力で右腕を焼き、他の手足にまで火傷を負ったベールクトと比べてみらいは軽傷である。

 傍目から見れば両者の優勢は明確であり、それはベールクトも認めるところだ。疑似『収束』によって消耗した『構成力』に、動くだけで激痛が走る体。その二つを認識すれば嫌でも不利を悟ってしまう。


「生きて、る……生きている……お姉様が、生きている……」


 冷静に彼我の戦力差を計算する傍らで、思考の大半が急速に塗り潰されていく。眼前にみらいが立っている。五体満足に、ベールクトと比べれば遥かに無事な姿で立っている。


「――なら、殺さないと」


 先程まで心を占めていたはずの後悔が消え失せ、みらいに対する殺意が引きずり出された。


 みらいは敵であり、殺すべき相手なのだ。

 だから殺す、殺さなくてはならない。


 ベールクトは苦痛も悔恨も忘れ、表情すら消して『火焔』を発現する。疑似『収束』を放つ前と比べれば弱々しいが、それでも湧き出てくる怒りと殺意に後押しされて轟々と燃え盛る。

 先程『収束』を発現した右腕は使い物にならない。炭化一歩手前でまともに動かず、激し痛みを伝えてくるだけだ。ベールクトとしては斬り落としてしまいたいが、急激にバランスが変わると『飛行』が困難になりそうだったため自重する。


「…………」


 再度『火焔』を発現したベールクトだったが、そんなベールクトの行動をみらいは止めなかった。その代わりに無言で見つめ、どこか悲しげに眉を寄せる。


「なんですか……その目は」


 一向に動こうとしないみらいを見て好機だと思うものの、それ以上に気に障ることがあった。そのためベールクトは声をかけるが、みらいは無言を貫き、じっとベールクトを見詰める。

 憐れんでいるわけでもない。同情しているわけでも、見下しているわけでもない。ただただ静かに、悲しそうな目を向けてくる。


「ッツ!」


 その瞳が気に食わなくて、ベールクトは咄嗟に『火焔』による光弾を放っていた。威嚇のためだったが、攻撃を行えばみらいとて余裕がなくなる。そんな判断から放った光弾だったが、みらいはベールクトの心を見透かしたようにその場から動かなかった。


 威嚇として放たれた光弾はみらいのすぐ傍をかすめたが、みらいに動きはない。相変わらず悲しそうにベールクトを見詰めるだけである。


「っ……その、目を――」


 怒りと殺意と“それ以外の感情”が湧き上がり、ベールクトは『火焔』に乗せて左腕を振るう。みらいを薙ぎ払うよう、津波のように赤い光を生み出してみらいへと叩きつける。


「やめろおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!」


 放たれた殺意と暴力に反して、その声はどこか悲鳴染みていた。みらいの視線に耐えきれず、視線ごとみらいを焼き払おうとする。

 迫り来る『火焔』の波に対し、みらいは相変わらず動かなかった。ベールクトを見詰めたまま、『構成力』を集中することで自身の周囲に力場を発現して『火焔』を受け止める。


 ――その間もずっと、みらいは目を逸らさない。


「あ、あああ……あああああああああああああぁぁぁっ!」


 喉が裂けんばかりに叫び、ベールクトは無暗矢鱈に『火焔』を発現する。自身の消耗を省みず、『射撃』を『狙撃』を、『砲撃』を放ち、みらいを殺そうと躍起になる。

 しかし、死力を振り絞ってもみらいの防御を抜くことはできなかった。空間の扱い方を理解し始めたみらいの前では、消耗したベールクトの力も届かない。

 右腕が使えない今、接近戦を挑んだとしてもみらいには勝てないだろう。それが理解できるからこそ射撃系ES能力を叩きつけるベールクトだったが、それすらも通じない。


「ごめんね」

「――は?」


 ベールクトの攻撃が防がれ、次の攻撃を放とうとしたその合間。そのタイミングで放たれたみらいの言葉に、ベールクトは震える声を吐き出す。


 今、何を、言われたのか。


「みらい、ばかだからうまくいえない。でも……」


 ごめんね。


 ベールクトの目を見詰めたままで、みらいは言う。それが何に対しての謝罪なのか、ベールクトにはわからない。


「何、を……」


 怒りと殺意を上回る呆然。ベールクトはみらいの言葉が理解できず、混乱を滲ませながら呟いた。


 そんなベールクトの反応に対し、みらいの瞳に宿っていた悲しみが深みを増す。

 ベールクトの置かれた立場は、もしかすると自分の立場だったかもしれない。もしも立場が逆だったならば、みらいも同じようにベールクトを殺そうとしたかもしれない。

 ベールクトからすれば、みらいが置かれた立場は羨むに足るものなのだろう。ベールクトからすれば、比べるのもおこがましいほど満ち足りた立場なのだろう。


 “もしかしたら”自分がいたかもしれない立場にみらいがいる。それを妬んで殺そうとするのは筋違いな恨みでしかないが、当人のベールクトからすれば憎んで余りある。


 ――ならば、何故ベールクトはみらいを姉と呼ぶのか。


 いくら同一の遺伝子から生み出された存在と云えど、殺す相手を姉と呼ぶ必要はない。例え皮肉だとしても、姉という呼び名は“身内”を指すものだ。

 そしてそれは、みらいにも覚えがある感情である。


 生み出された研究室から放り出され、博孝に救われて兄や姉、友人や師を得た。普通と違う生まれのみらいには両親も兄妹もおらず――だからこそ求めてしまう。


「きづいてあげられなくて、ごめんね」


 他の誰でもない、自分こそが気付くべきだったとみらいは後悔する。初めて会ったみらいを姉と呼び、みらいの兄だからと博孝を兄と呼んだその裏に何があったのか、みらいは気付くべきだったのだ。

 みらいが博孝達から得られた“当たり前の日々”を、ベールクトも欲していたということに。


「――ッ!」


 ギリィ、と噛み締めた奥歯が鳴る。ベールクトはみらいが何を言っているのか理解し、その顔に怒りの色を浮かべた。

 ベールクトの体から『火焔』の光が溢れ出し、周囲を熱で歪ませていく。消耗していたにも関わらず、その勢いは疑似『収束』に届きそうだった。


 ベールクトは左手に『構成力』を集中させると、一直線にみらいへと襲い掛かる。『収束』とまではいかないが十分に『構成力』を集中させた左手が弧を描き、みらいの防御へと叩きつけられた。

 だが、それだけでは届かない。みらいが発現した力場に食い込みはしたが、それ以上左手が進まない。


「この……こんな、もの――」


 そこで、みらいと目が合った。手が届く距離から向けられたみらいの視線は相変わらずであり、そんなみらいの瞳には必死に足掻くベールクトが映り込んでいる。


 それはまるで、泣きわめく幼子のような顔だとベールクトは他人事のように思う。実際には泣いてなどいないが、一人ぼっちで孤独で、迷子に絶望した子供のような顔だった。


 そんな自分の表情に気付いたベールクトの心が揺れる。先程“消された”はずの悔恨が心の底から湧き上がってくる。それに合わせて頭が痛み始めるが、ベールクトの複雑な感情を揺らすことはなかった。 

 殺意と怒りと嫉妬と悔恨が混ざり合い、ベールクトの心をかき乱す。己の攻撃を受け止めているみらいの顔を見ていると、何もかもを吐き出したくてたまらなくなる。


「ぐ……うううううぅぅ!」


 左手に力を込めるが、みらいが発現した力場を切り裂くことができない。口から漏れた声には悔しさが滲んでいたが、それを止めることができない。

 無性に泣きたい気分だった。気を許せばそのまま涙が溢れてきそうだった。


 ――だから、涙の代わりに言葉を溢れさせた。


「ええそうです! そうですとも! わたしはお姉様が羨ましかった! そして憎らしかった! 平和に、穏やかに、優しい人達に囲まれたあなたが!」


 口から溢れたのは、みらいを羨む言葉。その立場を心底から羨み、同時に憎む言葉だった。


「わたしとあなたの違いは何だというんですか!? もしかしたら、あなたの“立っている場所”はわたしがいた場所かもしれない!」


 左手を引き、蹴りを放つがみらいの防御は揺らがない。ベールクトはそれにめげず、何度も蹴りを繰り出すが結果は変わらなかった。


「お姉様は以前、わたしに寂しいのかと聞きましたよね!? 今なら素直に肯定できます! そして肯定したからこそ、その寂しさを埋めたくなったんです!」


 みらいの立場を奪えば、寂しさが埋まるかもしれない。少なくとも今よりは満ち足りた人生に変わる。


 そう思っていた――はずだったのだ。


「でもっ! お兄様と過ごす内にそれは間違いだったって! でも、お姉様を殺さないといけないって!」


 力場に爪を突き立て、剥がれるのも構わずに切り裂こうとする。常軌を逸した行動だが、それを行うベールクトの瞳には困惑の色があった。


「止められない……止まらないんです! お姉様を殺せって、殺さないといけない、殺すべきなんだって! わたしの中で叫んでるんです!」


 怒りと嫉妬が激しい殺意をもたらすが、ベールクトの中で育っていた良心が辛うじてそれを押し留める。みらいを殺してもどうにもならないのだと、むしろ状況が悪化するだけなのだと理解するが故に、自身の凶行を止めようとする。

 実際には回避されていたが、みらいを殺したと確信を得たことで“枷”が緩んでいた。その緩みがベールクトに理性を取り戻させ、自分の体を止めようとしている。


 しかし止まらない。みらいを殺したくないと訴える理性を、みらいを殺せと吠える本能が押さえ込んでいる。

 自分の体だというのにどうして言うことを聞かないのか。ベールクトは必死に体を制御しようとするが、どうにも上手くいかない。


 今のベールクトが振るう力は、その多くが清香によって与えられたものだ。それを頭の片隅で“覚えていた”ベールクトは、自身に訪れるであろう未来を幻視する。

 このままいけば、ベールクトは遠からず『構成力』を枯渇させて死ぬだろう。みらいに攻撃が通じないとわかっていても、みらいを殺そうと足掻く。怒りと殺意、他の様々な感情を燃料にして、己の独自技能のように燃え尽きるまで暴れるのだ。


 そんなベールクトの魂からの叫びに、みらいは一度だけ目を閉じた。そして数秒を経て開けた目には、先ほどまでの悲しみは存在しない。その代わりにあったのは、明確な決意だけである。


「じぶんのことばでいって」

「……え?」


 瞳だけでなく、言葉にも決意が宿っている。みらいは己の身を省みず暴れるベールクトに対し、淡々と告げた。


「みらいにどうしてほしいか。あなたのことばでいって」


 自分の言葉で自分の気持ちを言ってほしい。そう願うみらいに対し、ベールクトはどこか呆然とした面持ちになる。


 みらいを殺したい――もう嫌だ。


 みらいさえいなくなれば全てが片付く――そんなはずがない。


 みらいを殺せればもう死んでも良い――生きていたい。


 様々な相反する気持ちが浮かび上がり、ベールクトの体を動かそうとする。みらいが発現した力場に叩きつけたことで骨にヒビが入っているにも関わらず、左腕と両足を繰り出してその防御を破壊しようとした。

 ベールクトは激しい頭痛と勝手に動こうとする体を抑え付け、じっと見つめてくるみらいと視線を合わせる。


 そして、その一言は涙と共に零れた。


「――助けて」


 生まれて初めて、ベールクトは姉に願う。

 助けてほしいと、もう嫌だと。何度も襲い掛かり、みらい本人だけでなく恭介なども殺そうとした身で都合の良いことを言っているとわかっている。だが、最早ベールクトの心に凶行を起こす気持ちはなかった。


「うん……たすけるよ」


 ベールクトの願いを聞き、みらいは静かに頷く。それと同時に『構成力』を掻き集め、全力で発現していく。


 どのような理由があろうと、自身を姉と呼んだ妹を助ける。それがみらいの選択であり、みらいという存在の“根幹”を支える柱だ。


 河原崎みらいは人工の『ES能力者』である。


 その名前は兄である博孝によって与えられ、名付ける際には告げられたことがあった。


 ――君の人生、君の『未来』はここから始まる。


 それはベールクトというコードネームを与えられた少女が得られなかった、『河原崎みらい』が誕生して初めてもらったプレゼント。過去を持たず、両親すら持たないみらいに与えられた唯一無二の宝物だ。


 ベールクトはみらいを姉だと呼ぶ。ならば、博孝(あに)から与えられたようにみらいもベールクトに渡してあげたかった。

 これから始まる新しい未来を、ベールクトにも見せてやるのだ。


「だって――おねぇちゃんだからっ!」


 ベールクトと戦うために吠えた理由を、今ここで繰り返す。それに合わせてみらいの『構成力』が一気に跳ね上がる。

 ベールクトはこのまま諦める必要などない。『構成力』を暴走させて死にそうだったみらいを救った博孝のように、みらいはベールクトを救うべく『構成力』を集中させていく。


 今のベールクトは清香に操られている部分が大きい。それならば、みらいは単純にして簡潔な手段を選ぶ。

 可能な限り『構成力』を右拳に集中させ、同時にベールクトを取り込むようにして力場を展開する。そうすることで清香の妨害を遮断すると、自分の体が勝手に動かないよう必死に抑え込むベールクトを見据え、弓のように右拳を引き絞った。


 体ごと空間の裂け目に飛び込むという荒業を行ったことにより、みらいの限界も近い。ベールクトを救うために『構成力』を絞り出しているが、既に底が見えている。

 だが、この一撃だけは絶対に外さない。みらいは今にも飛びかかってきそうなベールクトを見詰めると安心させるように微笑む。


「これでぜんぶおわり……だから、いまはやすんで」


 ベールクトが目を覚ました頃には、全てが終わっている。ベールクトを止めるだけでみらいは限界を迎えたが、清香に関しては博孝と沙織がどうにかするという信頼を込めて呟く。


「目が覚めたら……色々な人に償わないといけないですね」

「うん。みらいもいっしょにあやまってあげる」


 苦笑混じりのベールクトの言葉に、みらいは至極当然と言わんばかりに答えた。妹の不始末は姉の責任だと、それが当然だという態度に、ベールクトは思わず苦笑を浮かべてしまう。


「よろしくお願いします……あと、ごめんなさい」

「んっ……ゆるした」


 迷惑をかけたのはみらいに対してだけではないが、少なくともみらいはベールクトの罪状を許す。そのことにベールクトは安堵の息を吐くと、目を瞑った。


「では、また“あとで”」

「うん。また“あとで”」


 近い未来の話をして、みらいは拳を放つ。その一撃はベールクトの意識を刈り取り、清香の“操作”を手放させるに足る威力だった。

 腹部に拳がめり込み、ベールクトの体が脱力する。みらいはそんなベールクトの体を優しく抱き留めると、安堵したように息を吐いた。


「……おにぃちゃん、さおり、あとはおねがい」


 ベールクトを抱きかかえたまま、みらいの体がゆっくりと落下していく。『構成力』が尽きかけており、『飛行』を維持するのも困難になったのだ。

 それでもみらいは陸地を目指して滑空していく。気を失った妹の体を大事そうに抱き締め、満足そうに笑って。

 



 ――こうして、初めての姉妹喧嘩は(みらい)の勝利で終わったのである。


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