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第二十六話:Date and Battle その2

「ふんふーん……ふんふふーん……」


 博孝の部屋にて、朝から上機嫌な鼻歌が響く。今日は里香とのデートの日であり、博孝は朝からその準備に余念がなかった。

 売店で購入した薄いカーキ色のカーゴパンツに、ところどころラインが入った白シャツ、そして上着として黒いスタジャンを羽織り、鏡の前でチェックをする。


「うん……うん。まあ、こんなもんか」


 最後に“青色”の『ES能力者』用のバッジを胸に付け、博孝は頷く。五級特殊技能である『通話』などが使えるため、新しく渡されたのだ。黒いスタジャンにつけると、それほど目立たない。バッジには『万能型』であることを示す五芒星と、訓練生であることを示す桜のマークが彫られていた。

 そして、訓練校の外で買い物をするために売店に設置されているATMから引き出した現金が入っている財布を手に取り、携帯とは別のポケットに入れる。ついでに、知り合いの兵士である野口に聞いた、デートスポットになりそうな場所についてまとめた紙を手に取った。

 訓練校から近いとはいえ、市街地には一度も行ったことがない。どこに何があるかもわからない状態で初デートに行きたくはなかった。もっとも、紙の一番下に『ご休憩所』という名前でラブホテルらしき場所まで書いてあるのは、野口の悪戯か気遣いか。


「まぁ、純粋にデートなら良かったんだけどねぇ」


 本当の目的は、里香の気分転換とその悩みの解消である。前者はともかく後者は難しいだろうが、それでも、何かしらの切っ掛けにはなるかもしれない。

 そんなことを考えつつ博孝は部屋を出て、寮から出ようとした。すると、談話室で喋っていたクラスメート―――この一ヶ月でだいぶ仲良くなった中村と和田、それに城之内が博孝の姿を見てサムズアップする。


「頑張ってこいよ!」

「岡島さんが大人しいからって、押し倒したりすんなよ!」

「結果報告よろしくな!」


 それぞれ、好き勝手に声援を送ってきた。それを聞いた博孝は、同じようにサムズアップをして答える。


「おうよ、頑張ってくるわ! あと和田! お前は後で校舎裏に来い!」


 とりあえず笑顔で答えて、博孝は男子寮から出る。すると、丁度女子寮から出てくる里香の姿が見えた。里香も博孝の姿に気付いたのか、歩み寄ってくる。


「おっす、おはよう岡島さん」

「あぅ……そ、その、お、おはよう……」


 小さな声ながらも挨拶を返す里香。博孝は里香の姿を見ると、小さく感嘆の息を漏らす。


「いやぁ、岡島さんの私服姿は初めて見たけど、似合ってるなー。うん、可愛さがぐっと増してるね」

「うぅ…………」


 博孝が直截に感想を述べると、里香は顔を赤らめて俯いてしまう。

 里香は厚手で白色のタートルネックの長袖に、丈が膝下まである白と黒のチェックスカート。黒い長めのソックスに、手には小さめのトートバッグを持っている。

 里香が履いているソックスの長さはわからないが、さすがにそんなことを聞くわけにもいかない。『その靴下は二ーソックスですか?』などと質問したら、その瞬間に里香は女子寮へ戻っていくだろう。

 里香は『ES能力者』の証として白いバッジをつけているが、土台の色が長袖と同じ白色のため、一種のアクセサリのようにも見える。

 博孝は里香の服装を見ると、もう一度頷いた。


「うん、清楚な感じが岡島さんにぴったりだ」

「そ、その、あ、ありがと……」


 世辞ではなく本心からの言葉に、里香はどこか複雑そうに、それでいてどこか嬉しそうに頷く。

 その時、不意に視線を感じた博孝は肩越しに振り返った。すると、女子寮の方から複数の視線が向けられていることに気付く。おそらくは自分達も外出するのだろうが、それよりも博孝と里香の様子を観察する方に集中しているのだろう。中には声援を送っているらしき女子の姿も見えた。


「さて、それじゃあ行こうか?」


 里香を促しつつ、さり気なく視線を散らすように腕を振る。すると、遠目に観察していた女子達は慌てたように視線を外した。

 これで恋人同士だったら手の一つもつなぐところだが、生憎と二人はそんな仲ではない。里香も、両手でトートバッグを握り締めている。それを見た博孝は、苦笑を一つ残して正門へ向かう。

 正門までは多少距離があるが、『ES能力者』の足ならば疲れることもない。里香と適当に雑談しつつ、歩いていく。

 そして正門に到着すると外出する旨を伝え、携帯に届いた許可のメールを提示する。それを見た兵士は問題がないことを確認すると、博孝と里香の姿を見て口元を綻ばせた。


「なんだ、デートかい?」


 若者をからかうのは年上の特権と言わんばかりの態度である。その言葉に里香は顔を赤くして俯くが、博孝が笑顔で頷いた。


「そうなんですよ。俺が拝み倒して、なんとか初デートに漕ぎ着けました!」

「はっはっは、そりゃいい。いやはや、若いってのは良いねぇ……おじさん、羨ましくなっちゃうよ」


 正門で受付を行っていた中年の兵士が、楽しげに笑う。そして、訓練校の傍にあるバス停を指差した。


「あと五分もすればバスが来るから、それに乗って行くと良い。バスは大体三十分に一本。街の方からも同じ頻度でバスが出ている。タクシーを使っても良いけど、なるべくバスを利用した方が安上がりだ」

「なるほど、ありがとうございます」

「おう。それじゃあ、頑張ってこいよ?」

「うっす、頑張ります!」


 そう言って、博孝と里香は正門の横に設けられた通用口から外に出る。

 任務以外で初めての外出。それも、異性とデートだ。博孝のテンションは否応にも高まる。それでも『ES能力者』としての警戒心は残しつつ、里香と時折会話を交わしながらバスに乗り込む。すると、同じように市街地へ向かうのか、何人かの訓練生がバスに乗り込んできた。

 博孝はそちらに目を向けるが、見覚えがない。それでも外出許可が出ている以上は先輩なのだろう。向こうも博孝に気付いたようだが、そこから隣の席に座る里香を見て片眉を上げた。


「見ない顔だな。何期生だ?」

「第七十一期生です。先輩は?」

「俺は第六十八期だ……で、もしかしてデートか?」


 にやっと笑いつつ、先輩が尋ねる。それを聞いた博孝は、同じようににやっと笑った。


「初デートです」

「あっはっは! そりゃいい。頑張ってエスコートしてやれよ? 街で困ったことがあれば、気軽に声をかけろ。良い店紹介してやるよ」

「あざっす。気張ってエスコートしますよ」


 そんな会話をすると、先輩は気が済んだのか博孝達とは離れた座席に座る。それとなく気を利かせてくれたのだろう。博孝がそんなことを考えていると、隣に座った里香が博孝の服の袖を引いた。


「あ、あの……その、河原崎君って、け、けっこう、慣れてるの?」

「ん? 慣れてるって?」

「え、と……こうやって、その、お、女の子と、で、デート、とか」


 里香が疑問を呈すると、それを聞いた博孝は苦笑する。


「いや、人生初のデートだよ。昨晩は緊張して眠れなかったぐらいさ」


 眠れなかったので一晩中自主訓練をしてました、とは言わない。さすがに人生初のデート前夜ということで睡眠を取ろうとしたのだが、テンションが上がって寝付けず、一晩中体育館で『防殻』や『盾』を発現しつつ体術の稽古を行っていたのだ。


「そ、そうなんだ……」


 表面上はまったく緊張した様子がない、いつも通りの博孝を見て里香は少しばかり俯いた。それを見た博孝は、口元に笑みを浮かべ、俯いた里香を覗き込むようにして尋ねる。


「岡島さんは? こういうデートとか、経験あったり?」


 少し意地悪げに尋ねると、里香は顔を真っ赤にして首を横に振る。


「う、ううん……は、初めて……だよ」

「そっか。それはなんとも光栄なことですな」


 おどけるように言うと、里香はそんな博孝の言葉に小さく微笑む。

 それを皮切りとして雑談をしていると、二十分ほどで市街地が見えてきた。地方都市というほど大きくはないが、それなりに栄えているようだ。あちこちに背が高いビルも見え、博孝は久しぶりに訪れる街並みに心を躍らせる。

 野口から聞いた話によると、一つ目の停留所で降りると良いと聞いていた。学生向けの遊び場や店が集まっており、デート向きだと言われたのである。

 バスが一つ目の停留所に止まると、博孝達だけではなく一緒に乗り込んでいた先輩達も降りていく。博孝は里香を促してそれに続き、バス代を二人分払ってから降りた。それを見た里香が何かを言いたそうな顔になるが、博孝は苦笑する。


「俺が誘ったんだし、気にしないでくれよ。それにほら、『ES能力者』はそれなりに高給取りだし」


 博孝達が受け取る給料は、訓練校の中ではほとんど使い道がない。こういう時にこそ使うべきだろうと、博孝は里香に笑顔を向ける。里香はそれでも申し訳なさそうな顔をするが、その顔を見た博孝は自身の胸に片手を当てて、芝居がかった様子で一礼した。


「エスコートはお任せください、レディ」


 そう言いつつ、ウインクを一つ。それを見た里香は、花が咲くように笑った。


「……す、少し、恥ずかしい、かな?」

「言わないで!? やってる俺が一番恥ずかしいんだから!?」


 里香の笑顔が見られたのは嬉しいが、気にしていたことを言われて博孝はショックを受ける。それでも二人は、当初よりも明るい雰囲気で歩き出すのだった。








「へー、けっこう色々あるんだなぁ」


 市街地を適当に散策していた博孝は、そんなことを口にした。野口の言った通り、若者向けの店としてカラオケやゲームセンター、映画館、飲食店や服飾を扱う店が集まる集合型店舗が軒を連ねている。女性向けの小物や雑貨が売られている店やアンティークショップもあり、野口のアドバイスは的確だったようだ。


「あ、これかわいい……」


 そんな中、里香は女性向けの雑貨屋に目を向けていた。店頭には様々な商品が並んでおり、目を惹かれるものがあったらしい。


「どれどれ? お、うさぎのぬいぐるみか」

「う、うん……」


 里香が目を惹かれたのは、デフォルメされたうさぎのぬいぐるみだった。大きさは二十センチほどであり、テーブルの上でちょこんと座って道行く人を眺めている。


「で、でも、ちょっとこどもっぽい……かな?」


 その可愛らしさに、里香は心を掴まれたらしい。買いたいと思ったのか、トートバックに手が伸び始めている。しかし、ぬいぐるみを買うのはこどもっぽいと思ったのか、躊躇しているようだ。

 それを見た博孝は、口の端を吊り上げて雑貨屋の扉を開く。


「すいませーん! 店頭に飾ってるぬいぐるみが欲しいんですけどー!」

「はいはーい! ちょっと待ってねー!」


 博孝が声をかけると、中から女性の声が響いた。そして、三十路に届くかどうかといった風体の女性が出てくる。女性は博孝の顔を見て少しだけ不思議そうな顔をするが、隣に里香がいるのを見て納得したように頷く。


「なに? 彼女にプレゼント?」

「あっはっはー、残念ながら彼女じゃないんですよ。でもまあ、プレゼントっていうところは合ってます」

「あら、そうなの? ちぇっ、カップルだったらあっちのペアリングも薦めようと思ったのに……って、もしかして、あなた達『ES能力者』?」


 博孝達がつけているバッジに気付いたのだろう。女性は僅かに目を細めた。


(なんだろう……まさか、『ES能力者』に売ってやるものはねえ! とか言って追い出されるんだろうか……)


 女性の反応に、博孝は少しだけ身構える。しかし、女性は相好を崩すと、レジの操作を始めた。


「ここに来たってことは、訓練生? わたしの弟も『ES能力者』なんだけどねぇ。忙しいとか言って、中々実家に顔を出さないのよ」


 しかし、博孝の予想と違って身内に『ES能力者』がいたらしい。女性は砕けた態度になると、うさぎのぬいぐるみに付けられたバーコードをバーコードタッチスキャナで読み取る。


「せっかく来てくれたんだし、ちょっと値引きしてあげる。んー……ええい、端数は全部取っちゃえ」


 レジを操作して金額を変更すると、女性は博孝に目を向けた。


「それじゃあ、三千円ね。ラッピングはする? これもおまけでやってあげるわよ?」

「お願いします」


 好意に甘えて、博孝は三千円を出す。受け取る相手がすぐ傍にいるのだが、ラッピングぐらいは良いだろう。そう思う博孝だが、里香は思わぬ展開に目を瞬かせる。


「えっと……その……河原崎君?」


 何故博孝が払うのか、と視線で尋ねる里香。博孝は、笑顔で首を振る。


「さっきも言っただろ? プレゼントだよ。あ、いらないならゴミ箱に叩きこんでくれていいからな? そしたら部屋に帰ってから咽び泣くけど」


 里香ならば間違ってもゴミ箱に叩きこむようなことはしないだろうが、おどけるように博孝は言った。里香はどう答えて良いかわからずに戸惑うが、そうしているうちに透明の袋と赤いリボンでラッピングされたぬいぐるみを博孝が受け取る。


「それじゃ、これプレゼントな」


 照れ臭そうに笑いつつ、博孝が手渡す。里香は受け取って良いものか迷うが、それを見た女性が苦笑しながら頷くのを見て、おずおずと受け取った。


「ぁ……う、そ、その……ありがと」


 渡されたぬいぐるみを両腕で抱き締め、里香は小さく礼の言葉を口にする。それを見た博孝は、これだけで外出した甲斐があったな、と笑みを深めた。


「そのまま持ち運ぶのは大変でしょ。袋もあげるわ。なんなら、預かっておこうか?」

「あー……それじゃあ、袋だけいただきます。これでも『ES能力者』だから、多少荷物が増えても問題ないんで」


 女性の申し出を受け、博孝は袋を受け取る。袋と言ってもビニール袋ではなく、紙袋に取っ手として紐がついた袋だ。


「それじゃあ、良かったらまた買い物に来てね?」


 そんな言葉を背に受けて、博孝達は雑貨屋を後にする。本当なら色々と見終わった後に買うべきだったかと思わないでもないが、ぬいぐるみ一つなら重くもない。

 笑顔になった里香と共に色々な店を冷やかしつつ、博孝は休日を過ごしていく。

 昼食は野口お勧めの紙に書かれていた場所に行ったが、値段の割には味も良く、里香も笑顔で舌鼓を打っていた。

 午後からは尻込みする里香を誘ってホラー映画を見たり、カラオケで顔を真っ赤にして歌う里香を“鑑賞”したりと、訓練漬けだった博孝にとっても良い息抜きになったと言える。

 そして夕方が近づいてきたため、そろそろ訓練校に戻ろうかというところで博孝は小さな公園を見つけた。

 昨今の子供事情によるのか、遊ぶ子供の姿もない、静かな公園。滑り台にブランコ、それに砂場とベンチがあるだけの小さな公園だったが、博孝は少し休憩をしようと里香を誘った。

 里香はベンチに腰を掛けると、体を休めるように力を抜く。博孝は公園の傍にあった自販機でコーヒーと紅茶を買うと、里香と同じようにベンチに腰かけた。


「ホットの紅茶にしたんだけど、大丈夫?」

「あ、うん……ありがとう」


 互いにプルタブを開け、静かに口に運ぶ。博孝は里香の顔を見るが、思ったよりも楽しめたのか、そこには小さな笑顔があった。

 少なくとも、気晴らしにはなっただろう。そう判断した博孝は、ベンチに背を預けて赤く染まり始めた空を見上げる。すると、カラスが鳴きながら山間へと飛んで行く姿が見えた。そんなカラスの姿をなんとなく眺め、博孝はポツリと呟く。


「いやぁ、楽しかった」

「う、うん……その、わ、わたしも楽しかった……よ?」

「そっか。それはなにより。でも、歌う岡島さんの写真が撮れなかったのだけが心残りだなぁ……」


 支給されている携帯は、カメラといった不要な機能がついていない。そのため、顔を真っ赤にしながらもマイクを両手で持って歌う里香という、レアな写真が撮れなかったのだ。

 人前で歌うのが恥ずかしかったようで、ところどころたどたどしく歌うその姿は非常に可愛らしいものだったと言える。

 『良いもの見たわー』と、博孝は心から思った。しかし、博孝としては、ここからが“本番”である。


「それでさ、ちょっと岡島さんに聞きたいことがあるんだけど」

「な、なに?」


 夕焼けの公園に、デートの締め括り。普通ならばこれから告白でも行うのでは、というシチュエーションだが、博孝の頭の中にはそんな感情は一切ない。

 それでも、今日一日“デート”に付き合ってくれた里香を前にすれば、多少なり照れ臭さを感じた。


「少しは気が晴れたのならいいなーってね」

「あ…………」


 博孝がそう言うと、里香はそれで全てを察したのか、視線を地面に向ける。博孝は里香の反応を待つために缶コーヒーを飲むと、その苦さに眉を寄せた。

 里香が悩んでいるであろう“何か”を話してくれるなら、それで良い。しかし、里香が話したくないなら、これ以上無理に聞くつもりもなかった。そもそも、何度かこういった話はしているのである。

 場所と状況を変えたら少しは話しやすく思ってくれれば良いが、と博孝は思っていた。

 里香は缶の紅茶を何度か口元に運ぶと、視線を下げたままで目を閉じる。そして十秒ほどすると目を開き、口を開いた。


「そ、その、ね?」


 うん、と博孝は頷く。少しでも里香が話しやすいように、視線は向けない。


「初任務で、その、河原崎君が怪我したよね?」


 実際には怪我で済む話ではなかったが、博孝は静かに頷いた。それが見えたのか、見えていないのか、里香は話を続ける。


「わ、わたし……それまで、『ES能力者』について、それほど深く考えてなかったの……でも、河原崎君が、わ、わたしを、か、庇って……」


 言葉の途中で、涙が混じった。里香は博孝が死に掛けたことを思い出したのか、目の端に涙を浮かべている。


「と、友達、が、し、死にそうなのにっ……な、何も、できなくて……」



 ―――ごめんなさい。



 懺悔するように、里香は言う。



 ―――助けることができなくて、ごめんなさい。



 まるで、己の罪を告解する罪人のように。

 涙を流しながら、里香は博孝へ謝罪する。

 岡島里香という少女は、人見知りをする上に気が小さいところがある。責任感も強く、他人の不和を嫌う。それでいて言うべきことは言い、聞くべきことは聞く。

 そんな、普通の少女“だった”。

 『ES能力者』になったことで“普通”の生活とは無縁になってしまったが、その性格まで変わるわけではない。

 その里香が、自分には博孝を助けられたかもしれないというのに、その手段を講じることができなかったことを深く悔いていた。無論、その時の里香は平常の精神状態ではない。気軽な初陣と思いきや『ES寄生体』に襲われ、引率の藤田は倒れ、その治療に当たっていたのだ。

 その上、半年もの間共に過ごした博孝が自身を庇って死に掛ければ、まともにES能力を使えるほど落ち着くこともできない。

 里香は、決して博孝という人間を嫌っていない。異性としては非常に判断に迷うが、クラスメートとして、友達として、仲間として、その人柄は好意的に見ていた。

 自分にはない、明るい気性。『空を飛びたい』という夢を語る表情。ES能力が使えなくとも真剣に授業や訓練に励むその姿勢。時折羽目を外して砂原に“指導”を受け、里香自身を困らせ、恥ずかしいと思うことも多々あるが、総合的に見て、里香は博孝のことを好ましく思っている。

 そんな博孝に庇われ、死にかけ、その傷を治すこともできない。『ES能力者』という存在を知ってはいたが“理解”していなかった里香にとって、それは大きなトラウマになっていた。

 それが初任務以降、訓練にも身が入らず、その成長を阻害した理由である。


「ご、ごめっ、ごめん……なさい……」


 故に、里香には謝ることしかできない。謝れば博孝が負傷した事実が消えるわけでもないが、それでも、里香には謝ることしかできなかった。

 里香の話を聞いた博孝は、里香がそこまで思いつめていることに気付けなかった自分に大きく怒りを感じる。里香が“何か”を抱え込んでいるのはわかっていたが、そこまで踏み込んで良いものかと迷っていたのだ。なにより、念願のES能力が扱えるようになったことで、訓練に注力してしまった部分もある。

 だが、小隊長として、仲間として。そしてなによりも“河原崎博孝”という一人の人間として、里香の告解は胸に沁みた。

 もしも博孝が初任務で死んでいれば、里香はこれよりも酷い状態になっていただろう。それを思えば、砂原が博孝に指摘した『庇われた仲間のことを考えろ』という言葉も納得できる。

 さすがにこの状況でボケるようなことはせず、博孝は乱暴に頭を掻いた。


「岡島さんが“何”を思っていたかは、大体わかった。その点では、わざわざ言わせてしまってゴメン」


 まずは、博孝が頭を下げる。この状況を作り出したのは博孝だが、里香がそこまで思い悩んでいるとは思わなかったのだ。それでも吐き出すように全てを語ってくれた里香に、感謝の念を覚える。


「う、ううん……わ、わたしが……」


 涙を流しながら、首を振る里香。それを見た博孝は、『ちょっと泣き虫』という情報も里香の特色に付け足す。


「なんだかんだで俺も助かったし、任務も一応達成。俺はES能力も扱えるようになったし、みんなハッピー……とは、いかないよね?」


 実際、ハッピーでない人物が自分の隣に座っている。里香は博孝の言葉に頷くと、それを見た博孝はポケットから未使用のハンカチを取り出して里香に手渡した。


「ほら、これで涙を拭いて」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 里香は素直に博孝からハンカチを受け取ると、頬に伝った涙を拭く。だが、里香の言葉を聞いた博孝は指を鳴らした。


「それだ」

「……え?」


 突然指を鳴らされ、里香は驚いたように目を見開く。博孝はそんな里香に構わず、言うべきことを見つけた。


「岡島さんってさ、さっきから『ごめんなさい』ってしか言ってないじゃん」

「え? で、でも……」


 他にどう謝罪しろと言うのか。里香はそんな困惑を露わにするが、それを察した博孝は笑ってみせる。


「『庇わせてごめんなさい』とか、『何もできなくてごめんなさい』なんて言わないでくれよ。『庇ってくれてありがとう』、『助けてくれてありがとう』って言われた方が、俺は嬉しい」


 博孝の言葉に、里香は呆気に取られたように固まった。

 博孝としては、『ごめんなさい』と言われるよりは『ありがとう』と言われた方が余程心地良い。里香が謝罪したい気持ちもわかるが、博孝としては、里香に謝罪されても逆に困るだけだ。


「うぅ……でも、その……」


 納得しかねるのか、里香は顔を上げて博孝を見る。その視線には意外と強い光が宿っており、それを見た博孝は肩を竦めてみせた。


「男が女の子を守るのは当然でしょ。それに、岡島さんは謝罪した。俺はそれを受け取った。それでこの問題は解決! それじゃ駄目かな?」


 そんな単純な話でもないが、博孝はそう言う。里香は博孝の言葉を聞くと、すぐさま首を横に振った。どうしても、納得できないらしい。


「むう……仕方ない。こうなると、残された手段は一つだな……言わば、最終手段を使わざるを得ない!」

「さ、最終……手段?」


 何を言い出す気だろう、と里香は首を傾げる。


「沙織っちと“同様”に、小隊長権限で岡島さんに罰を与えたいと思います」

「……えっ、ば、罰?」


 罰という言葉の響きに、里香は少しだけ身を引いた。その様子を見た博孝は、敢えてちょっと下種な罰でも、という誘惑に駆られるが、そこはぐっと我慢する。


「うん、岡島さんには……」


 一度言葉を切り、間を置く博孝。里香は喉をごくりと鳴らし、博孝の言葉を待つ。その真剣さは、博孝が言う罰を全て受け入れてしまいそうな感じがした。


「沙織っちと同じく、小隊内での呼び名を好きにされる罰を申し渡す!」

「……………………え?」


 博孝の言葉が理解できず、里香は首を傾げる。しかし、すぐさま理解すると、口を開いた。


「あの、その……それ、罰?」


 名前ぐらいどうとでも呼べば良いのに、と里香は思う。さすがに初対面の人間に名前を呼ばれるのは嫌だが、それなりに親しくなった友人だ。名字ではなく名前で呼ばれても、里香に拒否感はない。

 だが、博孝は里香のリアクションを見て意地悪げに笑った。


「くっくっく……本当に良いのかな? この罰を受け入れて良いのかな? あ、もちろん岡島さんも俺のことを好きに呼んでいいから。ただし、名字は禁止! 気軽に博孝でもヒロ君でもヒロタッカーでも、気に入る名前で呼んでよ」

「え? あ、う、うん」


 同世代の異性を名前や愛称で呼ぶのは、たしかに恥ずかしい。里香にとっては罰になるかもしれない。それでも、里香は自分のしたことを思えば、納得できるほどの罰ではなかった。


 ――しかし、博孝はその上をいく。


「ふふふ、頷いたね? 今、頷いちゃったね? やっぱやーめた、とかは聞かないからね? クーリングオフもなしだからね?」


 ニヤニヤと、悪役のように笑う博孝。クーリングオフという制度について、間違っているという突っ込みもない。

 そして、種明かしをするように、言う。


「では問題です。俺達が“デート”に出かけたことは、クラスのみんなが知っています。そして、帰ってきたと思ったら、その二人は名前や愛称で呼び合っていました。さて、クラスのみんなはどう思うでしょうか?」


 クイズ番組の司会者のように、博孝は言った。

 里香はその問題を聞き、理解し、遠からず訪れるであろう展開を予期し、顔を真っ赤に染め上げる。


「あっ……」


 驚きから、声が続かない。それでも里香は、自分が頷いたことで近い未来に訪れるであろう“騒動”を理解した。実際には付き合ったりしているわけではないが、それでも周囲の反応はすさまじいものになるだろう。

 理解が及んだ様子の里香を見て、博孝はベンチから立ち上がる。そして、自身の“恥ずかしさ”を隠すように、持っていたコーヒー缶を投げた。コーヒー缶は弧を描き、自販機傍に置かれた缶入れに突き刺さる。


「あっはっは! これが“里香”への罰な! おっ、ナイスシュート!」


 早速名前で呼び始める博孝。それを聞いた里香は、顔を赤くしたままで俯く。

 博孝としては、沙織を『沙織っち』呼ばわりしているのに、里香だけ名字を呼ぶのも座りが悪かった、というのもある。里香もいずれ呼び名を変えるかもしれないが、当面は名前で呼んでみたいと思った。


(ま、これで小隊員全員を気軽に呼べるなぁ)


 沙織などは相変わらず他の小隊員を名字で呼んでいるが、それは今後どうにでもなるだろう。気楽にそう考え、博孝は里香が自分の名前を呼んでくれるのを待つ。それはもう、期待していますと言わんばかりに、目をキラキラさせながら待つ。

 里香は顔を真っ赤にしたままで、口を開いては閉じ、閉じては開くという動作を何度か繰り返した。


「ひ……ひ、ひ……ひろ、たかくん」


 たどたどしく名前を呼ぶ里香。それを聞いた博孝は、満面の笑みを浮かべる。


「よし! これで“対等”な! これまでのことも、何も気に病む必要はなし! 里香はいつも通りの里香に戻ること! 良いな!?」

「う、うん」


 勢いで押す博孝に、押されるまま頷く里香。

 本当に、全てをなかったことにして里香の“重荷”が減るかはわからない。それでも少しは楽になるだろうと考えた博孝は、ふと、夕日が沈みかけていることに気付く。

 慌てて携帯電話を取り出して時間を確認すると、時刻は午後六時過ぎを指していた。


「あ、やべぇ……」

「ど、どうしたの?」

「時間がちょーっと、危ないかな?」


 博孝の言葉に、里香も自分の携帯で時間を確認する。ここからバス停までは歩いて十分程度で着くが、問題はバスが何時何分から出るかだ。訓練校まで二十分ほどかかるため、時間的にはだいぶ厳しい。

 博孝も同じ判断をして、タクシーを拾うかと考えた。すると、丁度公園の傍にタクシーが止まっているのを見つけて、里香をそちらに促す。里香もタクシーが止まっているのを見て、ほっとしたように息を吐いた。タクシーを使えば、十分に間に合うだろう。砂原に連絡を入れる必要もない。


「お客さん、どちらまで?」


 タクシーに乗り込むと、運転手の男性が尋ねてくる。外見はだいぶ若く、二十歳を過ぎたかどうか、という程度だ。


「『ES能力者』の訓練校まで。ここからなら十九時までに間に合いますよね?」


 博孝がそう言うと、運転手は少しばかり思案したように目を細めた。しかし、すぐに頷く。


「十分間に合うと思うよ。それにしても、デートかい?」

「ははは、まあ、そんなところです」


 博孝の言葉に、運転手はにやりと笑ってタクシーを発進させる。タクシーならば、途中で信号に捕まっても十分間に合うだろう。そう思った博孝は、荷物なども全て持ってきていることを確認して、里香に視線を向ける。


「なんか、悪いね。最後で慌てるようなことになっちゃって」

「う、ううん……」


 里香は涙が止まったのか、目を赤くしたまま俯いている。そんな里香の様子を見た博孝は、『なにこの可愛い生き物。からかいたい』と思春期の男の子としては些かおかしな思考をした。

 さて、どうからかうか、と思考している間にも、タクシーは道を進んでいく。僅かに揺れる車体の中で、博孝は無駄なことに思考を使っているとわかりつつも、里香をいじるネタを考えた――が、僅かに違和感を覚える。

 タクシーの速度と、流れる街並み。そして――タクシーの進む方向。


『……里香』

「ひゃ、ひゃいっ」


 さり気なく里香の手を握り、『通話』で話しかけた。すると、いきなり手を握られた里香は驚いたような声を上げる。


「お、お客さん? どうかしましたか?」

「いや、その……ちょっと手を握ってみたら、驚かれちゃって」


 博孝が恥ずかしそうに言うと、運転手の男性は苦笑を浮かべた。


「お客さん、“がっつく”男は嫌われますよ?」

「ははは、注意します」


 運転手に苦笑を返しつつも、博孝は里香の手を離さないように握り締める。里香からは激しく動揺の気配が伝わってくるが、博孝としてはそれどころではなかった。


(これは、まずい……か?)


 内心の焦りを隠しつつ、里香の手を握ったままで『通話』を行う。対象に接触していれば、『構成力』を使って『通話』を行っていることには気づかれにくい。そのため、無断で手を握ったのだ。


『慌てずに聞いてくれ。あと、不自然な動きはしないで。できれば、恥ずかしそうな感じで俯いていてくれると、それが一番良い』

『え? う、うん……』


 里香からの返答を受け取り、博孝はどこか恥ずかしそうな表情をする。具体的に言うと、好きな女の子との距離を測りかね、とりあえず距離を詰めようとする男の子のような図だった。

 そんな博孝をミラー越しに運転手が見るが、博孝の様子を見て苦笑するだけである。博孝はさり気なく、里香と距離を詰めた。そして、腕を伸ばせばそのまま肩を抱ける距離まで近づく。

 出来得る限り甘酸っぱい雰囲気を出す博孝。それを受けた里香は、動揺しながらも顔を俯かせ続ける。耳まで赤くなっているため、傍目には博孝の取った行動に対して照れつつも、それを受け入れているようにしか見えないだろう。


『多分……いや、確実に、まずい状況だ』

『ど、どういうこと?』


 里香が返してくる言葉を聞きつつ、博孝は里香の肩に手を回し、その小さい体を自分の方へと引き寄せる。まるで抱きしめるような形になり、里香は本気で硬直した。


「お客さーん……できれば、そういうのは降りてからにしてもらえませんかねぇ」

「あ、そ、その、ごめんなさい。つい……」


 博孝は心底照れたように、顔を赤らめながら頭を下げる。そして、頭を下げた状態で『通話』を続けた。


『このタクシー、向かっている方向が訓練校とは逆なんだ。もしかしたら近道を通っているのかと思ったけど、このままだと訓練校から離れる』

『っ……そ、そんな……』


 里香は硬直したままで、博孝の言葉を検証する。たしかに、タクシーは訓練校へ向かっていない。この付近の地理には明るくないが、周囲の状況を見る限り、人気の少ない道へ進んでいるようだった。いずれは、山間部まで到達するかもしれない。

 里香は携帯に手を伸ばそうとするが、それは咄嗟に博孝が腕を掴んで止める。そしてアイコンタクトを一つすると、博孝は里香の頬に手を添えた。

 まるで、このままキスでもするような体勢である。運転手から視線が飛んでくるが、さすがに口を挟むのは自重したのか、どこか気まずそうだ――しかし、その瞳に危険な色が混じっているのを、博孝は見逃さなかった。

 博孝は里香を抱き締めたままで、僅かに肩の力を抜く。


「――運転手さん、道が間違っている気がするんですけど」


 そして、不意打ち気味にそう言った。すると、運転手は僅かに身を震わせ、次いで笑みを浮かべる。


「間違っていませんよ――なにせ、お前らはもう訓練校には戻れないんだからな」


 ――その言葉が届くと同時、博孝は里香を抱き締めた状態で座席の扉を蹴破り、外へと飛び出すのだった。


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