第二百六十話:終わりの始まり その5
『いなづま』に帰還した砂原を迎えたのは、浮足立った様子の部下達だった。砂原と斉藤が戻ってきたことに安堵の息を吐き、柳の顔を見てからギョッと驚く。
「な、なんで柳さんが?」
「気にするな。それで市原兵長、何があった?」
「あ、は、はい……」
市原が驚きの声を漏らすと、砂原から事情を説明するよう求められる。そのため驚きを脇に置き、『いなづま』で何が起きたかを話していく。
出発する前と変わらず、『いなづま』は無事に航行している。そのため敵襲ではないだろうと思った砂原だったが、報告を聞くにつれてその表情を険しいものへと変えていく。
「松下が?」
思わず、信じ難いという思いが口を突いて出た。市原は砂原の剣呑な気配を敏感に感じ取り、直立不動の体勢を取って答えていく。
「はい! 『星外者』が松下伍長を通して喋っていたようで、長谷川曹長が鎮圧しました!」
「……死に掛けた癖に何をやっているんだあいつは」
希美が『端末』だったことから目を背けるようにして、砂原は呟いた。
希美は訓練校第七十一期生の中でも最年長であり、女子生徒のまとめ役でもあった。砂原からしても訓練以外では手のかからない、優秀な教え子だったのだが。
(……いや、優秀過ぎたのか?)
訓練以外で手を焼かせないということは、それ以外の面では砂原が目を向けにくいということでもある。
『ES能力者』としての実力、座学の成績、そして希美自身の性格。それらは手がかからない、希美に対してそれほど気に掛ける必要がないことを示す要素でもあった。
頻繁に事件に巻き込まれて死に掛ける博孝や、最初は一匹狼で騒動を起こしていた沙織、人工の『ES能力者』のみらいなどに比べれば、その印象は薄まる。
無論、だからといって砂原が希美の教導に関して手を抜いていたわけではない。他の教え子と同様、可能な限り鍛え上げた。そんな希美が『端末』だったという事実は砂原にとって衝撃だったが、同時に納得する部分もある。
(そうか、松下が……いや、話を聞く限り本人に“そんな意図”はなかったのか)
女子生徒のまとめ役で、男子生徒からも慕われていた希美。そんな彼女ならば、第七十一期全体の――博孝の監視にも向いている。もっとも、実際に監視していたのは『星外者』なのだろうが。
「何か喋ったか?」
「いえ……間宮大尉が調べていますが、松下伍長には操られていた時の記憶がないみたいで……」
市原が申し訳なさそうに言うが、砂原はそれを咎めるつもりはない。敵に操られた町田の部下と交戦したことがあるが、その時も彼らは何も覚えていなかったのだから。
「おいおい、下手したら他にも『端末』ってのがいるかもしれねえのか? おちおち“これから”のことも話せねえぞ」
そんな砂原達のやり取りを聞いていた柳は肩を竦める。最初から情報が漏れていては、博孝達の奪還は困難だろう。砂原は罠があっても食い破れるだけの戦力を揃えているが、成功率が下がるのは確実だ。
「……いや、部隊の中にこれ以上『端末』が潜んでいるとは思えんな」
しかし、砂原は首を横に振って柳の危惧を否定する。これまで得られた情報から判断する限り、『端末』は監視カメラのようなものだ。色々と“機能”がついているが、希美の体を借りて喋ったように操っている張本人からの干渉が必要と思われた。
数が増えれば、その分敵も管理に時間と手間を取られてしまう。重要な場所や人物の周囲に必要最小限潜ませているのではないかと考えたのだ。
それでも用心のため、限られた人員にだけ話した方が良いだろう。砂原は一通り部下からの報告を受けると、希美のもとへと足を運ぶ。
「あ……た、隊長……」
希美がいたのは、『いなづま』の船内に用意された一室だった。そこでは間宮と恭介が複雑そうに希美を見ており、当の希美は部屋に入ってきた砂原を見て顔を青ざめさせる。
これまでに見たことがないような、希美の気弱な表情。顔色は悪く、自分の立場を知ったことで大量の汗を掻いている。
「わ、わたし、何も知らなくて……」
声を震わせて呟く希美だが、それは事実だろう。何も知らず、ただ利用されていただけだ。砂原はそんな希美にかける言葉が見つからず、静かに首を振る。
「間宮、しばらく様子を見ておけ」
「はっ……」
落ち着かせるためにも、時間を置いた方が良い。希美が情報を持っていない以上、あとは直属の上官である間宮に委ねることにした。同期の恭介がいては落ち着かないだろうと目配せをして、恭介を部屋の外へと連れ出す。
「松下の異常に気付いたのはお前だったな?」
部屋の扉を閉め、十分に離れてから恭介へと問いかける。恭介は苦々しい表情でその問いかけに頷く。
「そうっす……話の内容がおかしかったんで指摘したら、口調が変わって……」
「ふむ……相手は女の口調だったと聞いたが、間違いはないな?」
重ねて問うと、恭介は再度頷いた。交戦した男の『星外者』が口調を変えていた可能性もあるが、希美を通しての言葉には女性らしい雰囲気があったのである。
「そうか……つまり、『星外者』は最低でも二人いるわけだな」
第三空戦小隊を壊滅させた『星外者』。それが最低でも二人いると判断し、砂原は目を細めた。
(二人……柳を連れてきて正解だったか)
希美を操った相手が男の『星外者』と同等以上の技量を持つかはわからないが、最初からそのつもりでいた方が良いだろう。敵の数もあくまで最低でしかなく、もしかすると大量の『星外者』がいるかもしれない。
(いや、それはならば単独で動くとは思えん……が、単独でも問題がないと判断するほどに隔絶した力を持つ可能性もあるな)
砂原達のように集団で連携して戦うことをしないのか、そもそも数が少ないのか。後者だろうと砂原は思うが、決めつけてかかるのは危険だ。そのため一度思考を中断すると、恭介が口を開く。
「あと一つ報告が……みらいちゃんが博孝の力を感じるって言ってます」
「……なんだと?」
「変色した海と陸地から感じると……本人も確証はないみたいっすけど」
変色した海だけでなく、陸地からも博孝の力を感じる。その報告は、砂原にとって非常に重要だ。
「伍長はどこにいる?」
ある種の予感を抱きながら、砂原は恭介に案内させる。恭介は砂原の様子に口を閉ざし、言われるがまま治療室へと案内した。
砂原が治療室へ到着すると、丁度治療を終えたのか服を着込む沙織の姿があった。その傍ではみらいが頬を膨らませている。
「さおり、むりしちゃめっ! まだなおってないんだよ?」
「体が動いたんだから仕方ないわ。それに、体術だけで止めたんだし……」
「それできずがひらいたらいみないの!」
説教をするみらいと、それを聞いて視線を逸らす沙織。その光景に少しだけ表情を緩める砂原だったが、すぐに表情を引き締める。
「河原崎伍長の言う通りだ。怪我人が無茶をするものではない」
「うっ……隊長」
さすがの沙織も砂原相手には強く出ることができない。そのため渋々頷き、ベッドに寝転がる。
「……万全でないのは、ある意味都合が良かったかもしれんな」
博孝と里香を救出しに行くと言えば、沙織は絶対について来ようとするだろう。しかし、怪我が完治していない沙織では足手まといになる。
「伍長、君に聞きたいことがある」
「みらいに?」
それでも、話だけはしておかなければ沙織も納得はしない。不調を押してついてこられても困るため、この場で言い含めるためにも砂原はみらいへ話を振る。
「河原崎少尉の力を感じ取ったというが、それは本当か?」
「っ!?」
博孝の話と聞き、ベッドに寝転がっていた沙織が跳ね起きた。しかし、それだけでも体が痛かったのか、眉を寄せて脂汗を掻いている。
「いたた……みらい、本当なの?」
「沙織っち、横になってた方が良いっすよ……」
体の痛みを堪えながら尋ねる沙織だが、恭介が呆れた様子でそれを咎めた。反射的に起き上がってしまった沙織だが、それもそうだと判断して再び横になる。
「……ん。おにぃちゃんのちから、あちこちからかんじる」
みらいは僅かに逡巡した後で肯定した。それを聞き、砂原の目が鋭く輝く。
「それはどこからかね?」
「んー……」
みらいは周囲を見回すが、『いなづま』の艦内ということで外の景色は見えない。それでも空中を何度も指差し、首を傾げる。
「あっちとあっち……あっちも?」
「……武倉軍曹、長谷川曹長を見ておけ。暴れるならベッドに縛り付けろ」
そんな指示を出し、砂原はみらいを連れて治療室を後にした。向かうのは艦橋であり、到着するなり鈴木が何事かと目を丸くする。
「失礼、この船の現在位置をお教え願いたい。それと地図を」
「う、うむ……」
平坦な口調で頼み込む砂原に、鈴木はただ事ではないと判断して言われた通りにする。部下に地図を持ってこさせ、なおかつ『いなづま』の航路を説明した。
「現在新潟県の佐渡島方面へ向かって航行している。方位は北東……この位置だ」
鈴木が地図を指して現在位置を示す。『いなづま』の航行速度は落としてあり、佐渡島まで二時間程度。現在位置と船首の方向を踏まえた上で砂原はもう一度みらいに尋ねる。
「伍長、もう一度だ。河原崎少尉の力を感じる方向を教えてくれ」
「ん……あっちとあっち、あっち……はとおい?」
みらいが示したのは『いなづま』が進む先、さらに進路とは逆方向、最後には自信なさげに東を指差す。
「遠いというのは?」
「ほかのにかしょとくらべてよわい? でもかんじる。あとはたくさん、よわい」
みらいが言うには、距離を問わず力を強く感じ取る場所が三ヶ所。その他にも大量に弱い力を感じていると言う。
「正確な距離はわかるか?」
砂原が確認するが、みらいは首を横に振る。あくまで力の大小だけであり、正確な距離はわからないらしい。
それでも一歩前進だ。砂原がそう思っていると、地図を見た鈴木が怪訝そうな顔をする。
「この方向……敵性の『ES能力者』が侵攻してきた方向ではないか? 距離はわからんらしいが、どの方向もまっすぐ進めば交戦地点が含まれている」
置かれた地図をトントンと指で叩く鈴木。それを聞いた砂原が説明を求めるように視線を向けると、鈴木は記憶を探るように目を細める。
「室町大将がクーデターを起こす前に“上”から来た情報だ。国後島、対馬海峡、小笠原諸島の周辺で『ES能力者』の侵攻があった。『零戦』が迎撃しているという話だったが……」
それ以降の情報に関しては、情報が遮断されたため鈴木も知らない。『いなづま』も撤退の途中であり、そこまで詳細な情報は求めていなかった。
「国後島、対馬海峡、小笠原諸島……」
鈴木から聞いた地名を口ずさみつつ、地図に印をつける砂原。その全てが日本国内であり、みらいが示した“距離がある強い力”は小笠原諸島の方向だ。
それぞれの地点を線で結ぶと二等辺三角形に近い形になり、砂原は思わず唸る。
(偶然か? 伍長の言う“河原崎の力”を俺は感じ取れん。距離さえわかれば……)
そう考えた砂原だったが、柳との会話を思い出し、みらいへと視線を向けた。
「伍長、陸地の方からも力を感じると言ったな? それはどの方向が強い?」
その問いかけに、みらいは視線を巡らせる。視界の良い艦橋から地平線を眺め、遠くにある陸地を見るように目を細めて一点を指差した。
「あっち」
「進路の東……いや、南東か?」
みらいが指差した方向を地図上で照らし合わせていく。みらいが示した方向に一本線を引いてみると、日本を二等分に、“背中から腹”へと突き抜ける形になった。
「……まさか」
その線上に存在する地名を目で追っていた砂原だが、先ほどの三地点で描いた二等辺三角形に線を加え、“重心”を割り出す。
みらいが示した陸地の方向、そして三地点の重心は重なり、その地名を導き出した。
「静岡……富士か!」
――日本の“中心”とも呼ばれる富士山。
それぞれの線が交差した場所にあった地名を口に出す砂原だが、それと同時に富士山近隣の情報を引き出していく。
「……中佐殿、富士駐屯地にいる部隊は?」
「対ES戦闘部隊が駐屯していたはずだが……」
砂原とて、日本全国に存在する駐屯地の全てにどこの部隊がいるか正確に覚えているわけではない。そのため鈴木と情報をすり合わせるが、互い記憶に相違はなかった。
「対ES戦闘部隊は室町大将が掌握している……敵に通じているのならば、これまで“その場所”が露見しなかったことも納得できるか」
日本の周辺海域で発生している変容、陸地でも感じ取れた違和感。みらいの感覚を信じるならば、陸地で最も強く感じるという博孝の力。
それらの中心に富士山が存在するのは偶然なのだろうか。みらいの感覚と『零戦』の交戦地点から割り出した砂原だが、証拠がない。偶然一致しただけという可能性もある。また、一致した地点に博孝達が囚われているとは限らない。
(どうする……他に手掛かりはない。かといって時間を無駄にできるか……いや、例え可能性が低くとも動かなければ……)
“何か”が起きているのは確実だが、それがどのようなもので、どれぐらいの時間を要するか。まったくの不透明な状態で動き、空振りをしている余裕があるのか。
砂原は様々な可能性を脳裏に描いていくが、そんな砂原を見た鈴木が笑い出す。
「はっはっは! そのように悩むのは君らしくないぞ? 教え子の命がかかっているからと慎重になるのは良いが、悩んでいるだけは解決せん。少佐、君が精鋭を率いた場合、富士までどれぐらいの時間がかかる?」
「……全力で向かえば、三十分程度かと」
「ならば話は簡単だ」
砂原の計算に、鈴木はニヤリと笑う。
「往復で一時間。大暴れしても合計で二時間もかからんだろう? 悩んでいる時間を行動に充てた方が余程有意義ではないかね?」
鈴木が提示したのは、シンプルに『行って暴れて帰ってこい』というものだ。そのあまりのシンプルさに砂原が言葉を失っていると、鈴木は地図を指で叩く。
「それに、大暴れしていれば他の部隊がコンタクトを取ってくるだろう。そうすれば他にも情報が集まるかもしれん。空振りだとしても、東京の近郊まで足を伸ばせば必ず他の部隊と接触して協力を得られる」
考えて足を止めるぐらいならば、動け。思考を止めるな。それは砂原が部下や教え子に叩き込んできたことであり、思わず破顔してしまう。
「なるほど、実にシンプルな案ですな」
「だろう? もしかすると長谷川中将閣下と連絡が取れるかもしれん。他にも有力な部隊は存在する。話を聞く限り敵に操られている『ES能力者』もいるようだが、君のあだ名らしく敵陣に孔を穿ってくれば良い」
連れて行くのは柳と斉藤、それに町田。例え空戦一個大隊が立ちはだかろうと、突破するのは容易だ。それこそ『零戦』をまとめて引っ張ってこない限り、敵陣を蹂躙できる自信が砂原にはあった。
『いなづま』にいたままでは博孝達がいるかどうかもわからない。それならば、実際に行って確認すれば良い。とても単純で、だからこそ実行も容易な案だ。
戦力は十分。体調も万全。敵がどのタイミングで気付くかわからないが、率いる戦力を考えれば十分に可能な強襲作戦。
――決断すれば、あとは早かった。
「河原崎伍長、君は動けるかね? 戦闘を行う必要はないが、“確認”のために途中まで同行してもらいたい」
「……いける」
博孝の力を感じ取っているのはみらいであり、可能ならば“レーダー役”としてついてきてほしい。戦闘には参加させず、敵がいたとしても砂原達が突破した後に追従すればそれで十分だ。
突撃して暴れるのは砂原達の役割だが、退路に空戦一個小隊程度は置いておきたいとも砂原は思う。状況次第だが、助け出した博孝達を託して砂原達が殿を務める可能性もあった。
『星外者』から受けた傷は完治していないが、飛ぶぐらいはできる。そう判断したみらいが頷くと、砂原は鈴木へ視線を向けた。
「中佐殿にはこのままの航路を進んでいただきたいのですが……」
「問題ない。吉報を期待するよ」
それ以上は何も言わず、快く送り出す鈴木。砂原はそんな鈴木に頭を下げると、『通話』を使って作戦に随行する部隊員達を甲板に集合させる。
そして、伝えられるのは富士駐屯地への強襲作戦。強襲するのは砂原を小隊長とし、柳と斉藤、町田を小隊員に加えた一個小隊。
その後詰にはみらいを守りながら砂原達に追従し、可能ならば撤退を支援するメンバーとして福井が選ばれた。沙織と恭介が外されたのは、もしも戦闘に巻き込まれた場合に抗戦することもできない状態だと判断されたからである。
もちろん、万全でないみらいと福井だけでは戦力が心許ない。そのため町田の部隊から分隊を借り受け、一個小隊として砂原達から距離を取って追従する形となる。
「それでは出撃する」
「隊長……」
砂原に声をかけたのは、不満そうな様子の沙織。博孝と里香が囚われている可能性がある場所への襲撃と聞き、居ても立ってもいられないのだ。
沙織や恭介に知らせないのはまずいと思って伝えた砂原だったが、そんな沙織の心情がよく理解できるため、苦笑しながら沙織の頭に手を置く。
「動きたい時に動けないのは辛い……それは俺もわかっている。だが、そんな体で助けに来られたとして、河原崎や岡島は喜ぶと思うか?」
子供をあやすように沙織の頭を撫で、砂原は苦笑を笑顔へと変えた。沙織は希美を鎮圧する際に傷が開いており、みらいから治療を受けたものの満足な戦闘ができるとは思えない。
「俺達に任せておけ。河原崎と岡島は絶対に連れて帰る。何があってもだ」
「……はい。隊長……いえ、“教官”になら託せます」
砂原が相手では、沙織も頷くしかない。砂原は沙織から向けられる信頼を受けてくすぐったそうにしていたが、沙織と同様に出撃したそうにしている恭介へと視線を向けた。
「武倉もだ。あの二人を助けたいのはわかるが、今は体を休めておけ。河原崎妹とて、必要でなければ寝かせておきたいんだぞ?」
「……うっす。ご武運を」
悔しそうに拳を握り締める恭介。そんな恭介の頭も乱雑に撫でると、砂原は二人に背を向けた。
「では、行ってくる」
柳達を引き連れ、砂原は飛び立つ。恭介と沙織は、砂原達の姿が見えなくなるまでずっとその場に立ち尽くしていた。




