第二百五十八話:終わりの始まり その3
砂原と斉藤が『いなづま』から飛び立ってから一時間後。『いなづま』に残る即応部隊の面々は間宮の指揮下で周囲の警戒に当たっていた。
「これまでそれなりに経験を積んできたつもりですが、さすがに“アレ”は理解できないですね」
肩を竦めながらそう言ったのは、マーブル模様の海を見た市原である。様々な色が混ざり合い、仄かに光を放っている海というものは、敵に対する恐怖とは別種の得体の知れない気持ち悪さがあるのだ。
『ES寄生体』などの敵ならば、まだ理解できる。しかし、広い海原が気色の悪い色と光を放っているというのは理解したくない。
「たしかに気持ち悪いわ……」
二宮が市原の言葉に同意する。『いなづま』は変容している海を避けるようにして航行しているが、遠目に見える光景が気持ち悪くて仕方がない。色も光もそうだが、奇妙な違和感を覚える。
「あれ? みらい先輩?」
警戒しながら変容した海を眺めていた市原達だが、視界の端に映った人物を見て声を上げた。市原が視線を向けると、そこにはふらふらと歩くみらいの姿がある。
どこを見ているのか、中空を見詰めて歩き回るみらいに市原は疑問を覚え、みらいの傍へと駆け寄る。
敵と交戦した第三空戦小隊はそれぞれが重傷を負っており、まだ完治していない。恭介とみらいは沙織と比べると軽傷だったが、それでも万全とは言い難かった。沙織を含め、治療室で治療を受けているはずなのだが。
「先輩? どうしたんですか? まだ治療中だったはずじゃ……先輩?」
心配と疑問から声をかける市原だが、みらいからの反応はない。みらいは不思議そうに首を傾げ、変容した海へ視線を向ける。
「……おにぃちゃん?」
「え? お兄ちゃん? 河原崎先輩ですか?」
博孝が敵に攫われたというのは、市原も聞いている。“あの”博孝が敵に負け、攫われたというのは市原としても衝撃の出来事だった。しかし、この場でみらいの口から博孝を呼ぶ声が出てくるのはどういうことなのか。
「あっ、先輩!?」
みらいは市原の言葉に何も言わず、そのままふらふらと歩いていく。視線は相変わらず変容した海へと向けられており、『いなづま』の甲板を歩き回ってあちらこちらへと移動する。
「みらい先輩、どうしちゃったの?」
「さあ……」
二宮が怪訝そうに言うが、市原としても答えようがない。甲板にいた即応部隊の面々も歩き回るみらいを見て不思議そうにしているが、おいそれと声をかけられるような雰囲気でもなかった。
「いつつ……あ、市原。いいところにいたっす。みらいちゃんを見なかったっすか?」
みらいの行動を理解しかねた市原だったが、そんな言葉をかけられて振り向く。すると、今度は横腹を押さえた恭介が近づいてきた。
「武倉先輩……大丈夫ですか?」
「大丈夫っすよ? ただ、ところどころ痛みが残ってるだけっすから」
「それって、大丈夫じゃないってことじゃ……」
恭介の返答に二宮が表情を引きつらせる。程度の差はあれど、恭介や沙織、みらいが受けた傷は打撲と裂傷が満遍なく全身に及んでいた。沙織などは内臓も痛めていたが、比較的軽傷である恭介とて“比較的”でしかない。
砂原が言うには『爆撃』が至近距離で炸裂した場合に負う傷と似ているらしいが、そのような目に遭ったことがない二宮にとっては十分に重傷の部類だった。
「なあに、こちとら何度も死にかけてるっすからね。このぐらいだったら軽い軽い。全身ローストされた時はマジで死ぬかと思ったっすけど、今回は全身くまなく殴ったり斬られたりしたようなもんっすから」
「……普通は死にますよ?」
後輩達を心配させないように笑う恭介だったが、二宮はその内容に軽く引く。しかし市原はそれで納得したのか、甲板を歩き回るみらいへと視線を向けた。
「みらい先輩ならあちらに……何かあったんですか?」
市原がみらいのいる場所を示すと、恭介はそちらに視線を向けて安堵の息を吐く。
「いや、急にいなくなったから心配だっただけっすよ。何も言わずにふらっといなくなったから……」
それだけを言い残し、恭介はみらいのもとへと足を運ぶ。市原に言ったことは間違っていないが、どちらかといえば今の状況でみらいが勝手な行動をしないか心配する面が強い。
「みらいちゃん、勝手にいなくなったら駄目っすよ?」
そう言って声をかける恭介だが、みらいは反応しない。普段ならば何かしら言葉を返すというのに、まるで恭介の言葉が聞こえていない様子で変容した海を見ている。
「おにぃちゃん……」
「……博孝?」
みらいの呟きを拾い、恭介もみらいが視線を向けている場所を見たが、そこにあるのはマーブル模様の海だけである。何を思って博孝のことを呼ぶのかわからないが、恭介はみらいの様子を疑問に思い、みらいの前面へと回り込む。
「みらいちゃん! しっかりするっすよ!」
『星外者』に攫われた博孝の心配して、という雰囲気ではない。そのため恭介はみらいの両肩を掴み、軽く揺らしながら声を張り上げた。するとみらいは瞬きを数度繰り返し、その視線を恭介の顔に合わせる。
「……きょーすけ?」
不思議そうに恭介の名を呼ぶみらい。恭介はみらいが我に返ったことを確認すると、優しく諭すように尋ねる。
「博孝がどうかしたっすか?」
「……ん。おにぃちゃんの“ちから”をかんじるの」
みらいはたどたどしく、自信なさげに答えた。その発言に恭介は目を見開くと、先ほどまでみらいが見ていた海域へ視線を向ける。しかし博孝の『構成力』は感じ取れず、困惑した様子でみらいへと視線を戻した。
「博孝の『構成力』を感じた……なんて話じゃなさそうっすね」
「うん……あのへんないろのうみに、おにぃちゃんのちからがまざってる……ようなきがする?」
やはり確信がないのか、首を傾げるみらい。
「ちいさい……ううん、とてもおおきい? おおきいのにちいさくかんじる……わたがしみたい?」
「……どういうことっすか?」
みらいが何を言いたいのかわからない。それでも恭介はみらいの話に“何かある”と感じ取り、話を促す。
「おにぃちゃんだけじゃない……あうたー? ににたちから?」
(『星外者』に似た力? それって……)
『星外者』が使っていた力だろうか。恭介は首を傾げながらみらいの話を聞くが、答えが出ない。それでもみらいは何かしらの確信があるのか、しきりに博孝の名を呼んでいる。
「……もしかして、『活性化』っすか?」
博孝が『構成力』以外に持つ力は、『活性化』ぐらいだ。恭介が尋ねると、みらいはしばらく悩んでから頷く。
「……たぶん」
「つまり、あの変色した海から『活性化』の力を感じる?」
「……んー、わかんない」
歯切れ悪く答えるみらいだが、恭介には感じられない以上判断のしようがない。
「つよくなってるような……よわくなってるような………あれ? あっちからもかんじる……あっちも?」
そう言うなり、みらいはそれまで見ていた変色している海から視線を外し、遠くへ視線を投じる。恭介もそれにつられて視線を向けるが、何も異常はない。
(いや、みらいちゃんの言葉自体が異常っすよね……)
みらいは幼いが、意味もなくこのようなことを言うことはない。そのため、きょろきょろと視線を彷徨わせるみらいを見た恭介は、『飛行』を発現して飛び上がる。全力での戦闘は無理だが、周囲の索敵ぐらいならば問題はないのだ。
(みらいちゃんが見ていた方向は……海と陸地?)
目を細めて遠くを見ると、かすかに海が変色しているのが見て取れた。しかし、次いで視線を向けた方向には薄っすらと陸地の影が見えるだけである。何かあるのかと目を凝らすが、海の変色以外は目立った異常がなかった。
目を閉じて意識を集中させてみるが、何も感じ取れない。恭介は腑に落ちないものを感じながらも『いなづま』の甲板に降り立ち、みらいに詳細を尋ねようとする。
「あ、二人ともここにいたのね。長谷川さんが呼んでるわよ?」
しかし、それよりも先に声をかけてくる者がいた。恭介が視線を向けると、そこには希美が立っている。
「沙織っちが?」
「ええ。多分、治療のお願いじゃないかしら? “早く行った方が良い”わよ?」
沙織がそう言うということは、みらいの治療をアテにしているのだろう。恭介はそう“納得して”みらいを艦内に連れて行こうとしたが、ふと疑問を覚える。
たしかにみらいの治療は強力だ。技術は乏しく、『構成力』に物を言わせて治す強引かつ単純なものだが、それ故に効果が高い。
軍医である里香がいたならば治療を担当しただろうが、その里香がいない以上は仕方がない――わけが、ない。
「……希美さんじゃ駄目なんすか?」
知らず、僅かな緊張を覚えながら恭介は尋ねた。既に峠を越した沙織の治療に必要なのは、みらいのように強引な方法で傷を塞ぐことではない。それぞれの傷に合わせた細やかな治療法こそが必要なのであり、残念ながらみらいはその手の技術を会得していないのだ。
そんなみらいに対して、希美は治療技術を会得している。里香と同様に『支援型』であり、みらいと比べれば『構成力』の扱いも上手い希美ならば何の問題もないはずだ。
それだというのに、何故沙織が希美ではなくみらいに治療を頼むというのか。みらいの力はたしかに強いが、元々は治療に向いているわけではない。『ES能力者』としての適性も『万能型』であり、『支援型』の希美と比べれば不向きだ。
みらいが治療系ES能力を覚えたのは頻繁に死に掛ける博孝を治すためだったが、自身の巨大な『構成力』に振り回されており、その腕は未熟に過ぎる。強引に傷を塞ぐのは得意でも、細かい治療は苦手としていた。
加えて言えば、恭介は奇妙な違和感を覚えていた。希美の言葉を聞いて一度納得したものの、すぐに『それはおかしい』と気付いた時に生じた違和感。真綿で絞められていた状態から突然解放されたような、思いがけず難問が解けたような、不思議な開放感があった。
「今の沙織っちなら、希美さんが治療するべきっすよね? みらいちゃんよりも細かい治療ができる希美さんの方が向いてるっすよ?」
「……そう、かしら?」
何故そこで言いよどむのか。恭介が希美の目を真っ直ぐ見つめると、希美は不思議そうに首を傾げながら微笑む。
「どうかした?」
「どうかしたも何も」
「――ねえ、あなただれ?」
言葉を交わす恭介と希美だったが、それを遮るようにしてみらいが尋ねた。心底不思議そうに、希美の顔を見ながら尋ねている。
「……みらいちゃん?」
みらいの言葉に対し、困惑した様子を見せる希美。みらいはそんな希美をじっと見つめ、再度尋ねる。
「のぞみちゃんじゃない……あなた、だれ?」
「希美さんじゃない?」
自分よりも踏み込んだ発言――希美ではないと言い放つみらいに、さすがの恭介も困惑した。希美の話と様子がおかしいため問い詰めようとしてみれば、みらいは『希美ではない』という。
恭介としてはそこまで言うつもりではなかった。しかし、みらいは純粋に、不思議そうに眼前の存在に問う。
「のぞみちゃんだけどのぞみちゃんじゃない。へんなかんじがする……『あうたー』?」
「…………」
問いかけに対する答えは、無言。希美はみらいの言葉に対し、笑みを深めるだけだ。恭介が僅かに腰を落として警戒していると、希美は口元に手を当てて笑い始める。
「ふふふっ……“なりたて”でもわかるものなのね。そっちの子も殻を破りつつある……少し甘く見すぎたかしら?」
その口から、希美の声色で希美とは異なる口調が漏れた。心底おかしそうに、感心したように言葉を紡ぐ。
「さすがに誤魔化すのは無理ね。こっちの“誘導”も通じないんだから」
「アンタ……誰だ?」
ここまでくれば、恭介もみらいの疑問が理解できた。目の前にいるのは希美だが、話しているのは希美ではない。
少なくとも味方ではないだろう。そんな友好的な気配など、微塵もない。痛む体を無視して臨戦体勢を取る恭介を周囲の部隊員達が驚いたような目で見ているが、それに構う余裕はなかった。
「わたしが誰か? それは貴方も御存知ではなくて?」
「……みらいちゃんの言う通り、『星外者』か」
先日戦った男の『星外者』とは話す雰囲気が違う。それでも敵であることに変わりはないだろう。そう判断した恭介は拳を握って『構成力』を集中させていくが、それに気付いた清香は笑みを深めた。
「ああ、攻撃するならどうぞ? この体はただの『端末』……壊れても惜しくはないから」
死んでも良いではなく、壊れても良い。その言葉のニュアンスに、恭介は否応なしに交戦した『星外者』のことを思い出す。あの男もまた、人間を人間とは思っていないような節があった。
喋っているのは敵でも、その体は希美のものだ。恭介は攻撃して良いものかと逡巡するが、その姿を見た希美は恭介から視線を外してみらいを見る。
「ふふっ……もう少しだけ時間を稼ぎたかったのだけど、そっちにその子がいたんじゃ仕方ないわね」
希美は笑顔を向けたままだが、それに対するみらいはどこか不機嫌そうだ。警戒する猫のような、不信感が滲んだ目を希美に向けている。
「一応聞いておきましょう。ねえ、みらいちゃん。あなた、わたし達の仲間にならない?」
みらいの反応を気にせず、希美はそんなことを言い出す。そのまさかの勧誘に、恭介は思わずみらいと希美の顔を見比べてしまった。
「“アイツ”はあなたを不要と判断したけど、わたしはそうは思わないわ。貴重な成功例ですもの。あなたのお兄さんはこっちの手の中にいるし、あなたの妹もいるわよ?」
囁くようにして仲間になるようみらいに促す希美。みらいはその言葉に沈黙したが、すぐに首を横に振った。
「……おにぃちゃんなら、きっとこういう」
みらいが大きく一歩前に踏み出す。そんな動作と言葉に希美は気を取られ。
「――寝言は寝て言え、ってね」
その声は、希美の背後から聞こえた。その声に弾かれたように希美が振り向くが、既に遅い。懐に潜り込んだ沙織が折りたたんだ肘を鳩尾に叩き込み、強制的に希美の意識を刈り取る。
沙織の肘打ちの威力は尋常ではなく、踏み込んだ衝撃で甲板が凹み、『いなづま』の船体が僅かとはいえ揺らいだ。希美の体は水平に吹き飛び、甲板の手すりを大きく凹ませて停止する。
「変な気配がすると思って来てみれば……やっと尻尾を出したのね」
「さおり、ころしてない?」
「松下さんの練度は知ってるわ。骨は折ってないし、内臓も無事。意識を絶っただけよ」
みらいが咎めるように問うが、沙織は淡々と答えた。そして何度か咳き込み、湿った息を吐く。それを見た恭介は心配そうに尋ねた。
「動いて大丈夫なんすか?」
「大丈夫じゃないわ……今の攻撃で内臓の傷が開いたみたい。みらい、治療をお願い」
喉元をせり上がり、口の端から零れた血を乱雑に拭い、沙織はみらいに治療を頼む。完治していない状態で戦闘行動を取ったため、一度は塞いだ傷が再び開いたのだ。
「松下伍長は敵だったのか?」
慌てた様子で治療を始めるみらいと、何度か咳き込んで血の塊を吐き出す沙織。恭介はそれを呆れたように見ていたが、間宮が険しい表情で尋ねてきたためそちらへと視線を向ける。
「敵というには語弊があるような気が……メッセンジャーっすかね?」
「……伍長を拘束してから詳しく話を聞くとしよう」
傍から見れば沙織が希美を不意打ちしたように見えたが、間宮も砂原からある程度は説明を受けている。そのため何かしら情報を持っているかもしれないと判断し、部下に希美を拘束するよう命令した。
「隊長に連絡を……む、『通話』可能な範囲にいないか。通信は死んでるし、帰還を待つしかないな」
間宮は砂原に連絡を取ろうとするが、『通話』の範囲に砂原がおらず、なおかつ通信機器が役に立たないことを思い出してため息を吐く。恭介は陸戦部隊員によって拘束される希美を複雑そうに見た後、意識を切り替えるために沙織へ話を振ることにした。
「ところで沙織っち。やっと尻尾を出したって言ってたっすけど、前々から希美さんを疑ってたんすか?」
少なくとも、恭介は希美のことを疑ったりはしなかった。沙織も希美に対してそんな素振りは見せていなかったように思う。
「疑っていたというか、やたらと博孝を見ていたから……何かあるんじゃないかと思っていたのよ。こんな風に敵に利用されるためだとは思ってなかったけどね」
(……つまり、沙織っちもそれだけ博孝のことを見てたってことっすか。そっちは触れない方が良いっすね)
内心だけでそうぼやき、恭介はため息を吐く。博孝を攫われたのは恭介としても辛いが、連れ戻してこの戦いを終わらせ、以前のような生活を送りたいと思った。
(そのために必要なのはみらいちゃんっすか……博孝の力を感じるって言ってたし、どうにか博孝の居場所がわかれば……)
あとは救出に向かうだけだ。“その時”が早く訪れるよう、恭介は拳を強く握り締めるのだった。
「残念、バレてしまったわ」
「……どうした?」
清香の呟きに、傍にいた『星外者』が声をかける。その手には色の濃い『進化の種』が握られていたが、清香は何でもないと言わんばかりに手を振った。
「『端末』が一つ潰れただけよ」
「……あまり無駄遣いはするなよ」
『星外者』はそれだけを言うと、再び“種を蒔く作業”に戻っていく。仕掛けは順調であり、手を止める理由はない。
「まあ、あの娘がどれぐらいの完成度かわかったから良しとしましょう。よちよち歩きの赤ちゃんみたいなものだけど、こっちの気配を探ることぐらいはできるみたいだし……」
一人ごちて、清香も作業に戻る。しかし、手の中の『進化の種』を見下ろしながら僅かに悩んだ。
「少し急がせましょうか……それなりに厄介な相手が動いているし、上手くやればアイツを殺してくれるかも」
そう言って、清香はクスクスと笑う。その瞳に浮かんでいたのは、どこか無邪気な好奇心だった。
どうも、作者の池崎数也です。
累計ポイントが35000を超えました。これも拙作を評価してくださった皆様のおかげです。ありがたい限りです。
以前のあとがきで260話までに完結できればと書いていましたが、ご覧の有様です……270話までには終わるかもしれないので、もう少しお付き合いいただければ嬉しく思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




