第二十五話:Date and Battle その1
博孝達が訓練校に入校して七か月。秋から冬へ近づき、徐々に気温もそれに見合った低さへ変わり始めた頃。
第七十一期訓練生の教官である砂原は、自身に与えられた教官用の机で腕組みをしながら一枚の書類と向き合っていた。初任務から一ヶ月が経ち、生徒達への影響も“ほとんど”なくなってはいる。しかし、砂原にはここ最近、頭を悩ませている事柄があった。
色々な意味でクラスの問題児であった博孝は、一ヶ月前に無事ES能力を扱えるようになっている。その切っ掛けが、おそらくは初任務で死に掛けたことであるというのは問題だが、今では上手く回っているのだから目を瞑るべきだろう。
博孝は半年間で培った集中力が功を奏しているのか、『ES能力者』としての技量をメキメキと伸ばしている。汎用技能は全てを等分に修め、今では五級特殊技能の習得に取り組んでいるほどだ。
中でも、『探知』や『通話』は既に形になりつつある。それでも例の薄緑色の『構成力』を発現することはできていないが、『ES能力者』として著しい成長を遂げていることに違いはない。『ES能力者』としてのタイプは、『万能型』になるだろう。
『『通話』が使えたら盗聴とかもできるんじゃね?』と阿呆なことを口走っていたので何度か殴り倒したが、おおよそ順調と言えるだろう。第一小隊では問題児だった沙織も、博孝の指示を渋々ながらも聞くようになっていた。そのため、小隊としての完成度は他の小隊に比べても突出している。
本来ならば、生徒達の小隊ごとの力量を均等にするために小隊の再編を行いたいところだ。しかし、第一小隊は各人の能力のばらつきが上手く噛み合っており、崩しにくい。それに加えて、第一小隊を倒すべく他の小隊も奮起しているため、良い意味での闘争心が生徒達に根付きつつあった。
では、砂原が何を悩んでいるのか。
それは、第一小隊の『支援型』である里香が、以前に比べて明らかに精彩を欠いているのが原因だった。
博孝は順調に力量を伸ばしているが、それに比較して里香の成長の悪さが目につく。むしろ、以前の方が良かったのでは、と砂原が思うほどだった。
当然、博孝もそれに気づいてそれとなく行動を起こしている。もっとも、その行動と言うのが、恭介と一緒に里香の前で“馬鹿”なことをやるという内容のため、砂原の拳骨が一日に何度も振り下されている状態だ。里香はそれを見て控えめに笑っているが、それもすぐに影を潜めてしまう。
「もう限界です! 俺じゃ駄目なんです! 助けてください教官!」
教官用の部屋の扉を開け放つなり、そんなことを泣きながら博孝が訴えかけてくるような状態だ。その時は礼儀を弁えろと問答無用で殴り倒したが、博孝が助けを求めてきたのは、沙織が命令違反を繰り返していた時ぐらいである。そのため、事態の重大さを砂原に実感させたのだ。
肉体的な問題はないという報告も受けている。そうなると精神的な問題があるということになるが、と砂原は疲れたように息を吐いた。
男子連中のように、ある意味わかりやすい存在ならば手の打ちようもある。だが、里香は年頃の女の子であり、長年生きてきた砂原としても、未だに理解が難しい存在だ。言うなれば、未知の生物に近かった。
正規の部隊ならば四の五の言わずに殴り飛ばすこともできるが、ここは訓練校である。生徒達は、世間的には普通の“学生”として扱われている場所なのだ。
「それでも座学に問題はなし、か。問題は実技の方だな……」
ここ一ヶ月の里香の実技の結果についてまとめた資料を前に、砂原は何度目かになるため息を吐いた。
「やはり、初任務が原因か……」
実戦を経験した新兵が、その時のショックで体調や精神に異常を来たすのはよくある話だ。おそらくは、里香も似たような状態なのだろうと砂原は思う。
『ES能力者』向けのカウンセラーも存在はするが、その専門性から数が少ない。しかも、実働部隊の方に優先的に回されており、今から要請しても今年中に訪れることが可能かどうか、といったレベルだ。
将来を担うという意味では大事にされている訓練生だが、将来の戦力よりも今いる戦力を大事にしている部分もある。かといって、“人間”向けのカウンセラーでは役に立たないだろう。もしも里香が“普通”の女の子のような理由で悩んでいるのなら役立つだろうが、『初陣で心に傷を負った可能性がある『ES能力者』のカウンセリング』となれば話は別だ。他にも理由があるかもしれないため、砂原としては『ES能力者』向けのカウンセラーに頼りたい。
「……教官としては未熟に過ぎる、か」
愚痴のように呟き、砂原は煙草を咥えて火を点ける。そして紫煙をため息と共に吐き出すと、灰皿に灰を落とした。
長い間空戦部隊で戦ってきた砂原は、『ES能力者』として戦う術を教えることは得意だ。しかし、“教官”として生徒の精神的な教導は中々に難しい。
「せめて、女性の教官がいれば良かったのだが……」
『ES能力者』の男女比はほぼ同じだが、女性の『ES能力者』で教官職が務まるほどの腕を持つ者は一握りだ。その上、女性の『ES能力者』は次代の『ES能力者』を産むために産休に入ることもある。ただでさえ数少ない『ES能力者』で国土の防衛や『ES寄生体』の対処を行っているため、人手不足の部隊も多い。
「大場校長にも相談してみるか……いや、しかし……」
紫煙を燻らせつつ、砂原は呟く。しかし、机に置かれた卓上カレンダーに目を向けてから、僅かに眉を寄せた。間の悪いことに、大場は訓練校の校長として出張をしている。あと二ヶ月もすれば、新しい年になるのだ。そのため、来年の訓練校や訓練生に割り当てられる予算について大詰めとなる会議に出ている。大場ならその辺りも“上手く”やるだろうが、一生徒について相談を行うには時期が悪い。
里香と一対一で面談を行ったこともあるが、気の弱いところがある里香は砂原相手だと心情を明かしてくれなかった。信頼はされているのだろうが、相談できるかどうかは別ということだろう。
「そうなると、気晴らしでもさせた方が良いか……」
短くなった煙草を灰皿に押し付けつつ、砂原はもう一度カレンダーに目を向ける。
初任務の影響で、第七十一期訓練生の外出許可は未だに下りていない。しかし、生徒達への影響を考えても、そろそろ訓練校からの外出許可は与えるべきだろう。本来ならば訓練校に半年入校し、ES能力を適切に扱うことができると認められれば許可されるのだ。大場からも、砂原が適切だと判断したタイミングで許可を出すよう言われている。
砂原が担当する生徒達は、特に問題もない。問題があるとすれば博孝についてぐらいだが、“普通”の『ES能力者』として『構成力』の扱いにも慣れている。外出許可を出す分には問題ないだろう。可能ならば密かに護衛もつけたいところだが、それほど人員に余裕があるわけではない。
「しかし、外出許可を出せば騒ぐ者も多そうだな」
そこはきちんと引き締めておこう。そう判断し、砂原は大場に対して第七十一期訓練生に外出許可を与える旨をメールで送信する。メール自体は暗号化しているため、情報が漏れる可能性も低い。
そして三十分もしないうちに許可を与える旨のメールが届き、砂原はもう一度だけため息を吐くのだった。
その日、第七十一期訓練生達の間に激震が走る。
「きょ、教官……も、もう一度言ってもらって良いっすか?」
生徒達を代表するように、恭介が震えるような声で尋ねた。その言葉を聞いた砂原は、一字一句違わずに今しがた口にした台詞を繰り返す。
「諸君ら第七十一期訓練生に対し、外出許可が出た。本来は入校半年後に許可されるものだが、初任務の影響で先延ばしにしていたからな。平日は許可されないが、休日ならば訓練校から出て良い」
その言葉を聞いた生徒達は沈黙し、互いに顔を見合わせ、聞き間違いでないことを悟る。
そして五秒後、教室内に歓喜の声が爆発した。
訓練校に入校して早七ヶ月。初任務以外では外出できなかったのだ。年若い生徒達にしてみれば、非常に喜ばしいことだろう。
(せめて、訓練校の敷地内に娯楽施設があれば良いのだろうがな……)
笑顔で喜ぶ生徒達を見て、砂原は複雑な心境を吐露する。
国民の血税で生活をしている以上、『ES能力者』は訓練に邁進すべし、という風潮が世間にはあるのだ。そのため、訓練校の敷地内には娯楽施設と呼べるものがない。大場などはカラオケやボーリング場ぐらいは建てても良いのではないかと主張しているが、許可が下りていない。これは『ES能力者』の存在を許容しようとしない、『ES抗議団体』の主張に依るものが大きい。
『ES能力者』や『ES寄生体』によって家族や友人が死傷した者が中心になって組織している団体だが、彼らは生活を守る『ES能力者』さえも声高に非難していた。『ES能力者』は人間ではなく、“兵器”であると、人間のように保護する必要はないと主張している。中には政治家の中にも『ES抗議団体』に所属している者もおり、その影響力は侮れない。
彼らとは反対に、『ES能力者』を家族に持つ者達が中心になって組織する『ES保護団体』も存在する。『ES能力者』も人間であり、“一般人”との区別は必要でも差別は必要ないとしていた。
今のところ『ES保護団体』の方が規模が大きく、世間的にも『ES能力者』に対する感情は好意的な者が多い。そのため税金の他にも寄付金などもあり、『ES能力者』達はその恩恵を受けている。
この訓練校は市街地から多少離れた場所に建てられているが、最も近い市街に住む人々は『ES能力者』に対して好意的な者が多い。何せ、訓練校から外出してきた少年少女が非常に楽しそうな様子で訪れるのだ。見ている側からすれば、多少なりとも心和む光景である。その上、普通の学生に比べて多くのお金を落としていってくれるのだから、文句も出にくかった。
騒ぐ生徒達を砂原が見回すと、三人ほど周囲と違う反応をしている者がいる。
一人は沙織だ。休日に外に出るよりも、自己鍛錬に身を費やそうと考えているのが容易に見て取れる。砂原としても、予想通りの反応だった。むしろ、ここで沙織が笑顔で喜んでいたら、この七ヶ月で砂原が長谷川沙織という人間を測りきれなかったことにもなる。
二人目は、里香だった。喜んでいるようにも見えるが、他に何か気になることがあるのか反応が鈍い。周囲に比べると、その反応は十分に異質なものだった。
そして三人目は、博孝だった。恭介と共に大騒ぎをすると思った砂原だが、その予想に反して大人しい。何やら考え込むように目を細め、それとなく里香に視線を向け、次いで砂原に視線を向ける。
『教官、一つ質問があるのですが』
そして、『通話』を使って話しかけてくる。僅かな『構成力』の動きに気付いたのか沙織が博孝に視線を向けるが、その視線を受けた博孝はウインクを一つ返した。沙織はそれで何かを察したのか、視線を外す。
『通話』を行う対象に接触していれば『通話』に使う『構成力』が漏れないため気付かれにくいのだが、少しでも距離があると、沙織のように勘が鋭い者には気づかれるのだ。
『なんだ?』
『外出許可は、俺にも下りるんですか? 色々と問題があるような気がするんですが』
どうやら、自分の現状を正確に把握した上での質問らしい。砂原は博孝から『通話』を聞きつつ、生徒達に落ち着くよう指示を出す。
「喜ぶのは結構だが、外出の際には事前に届け出る必要がある。遅くとも二日前までには届け出るように。諸君らが持つ携帯電話に専用のメールフォーマットが入っているから、それに必要事項を記入して送信しろ」
砂原はそう言いつつ、博孝からの『通話』に対しても言葉を返す。
『今のところ、お前は“普通”の『ES能力者』として扱われている。外出許可は問題なく下りるだろう』
『なるほど、了解です』
「あ、紙に書いて出すんじゃないんすね?」
「そういった申請の類は、訓練校中央の校舎で処理をしているからな。裁可は遅くても一日で返信されるから、許可が出たら正門の受付に携帯を見せろ。許可が出ていればそれで外出できる」
『ただ、お前の場合は常に注意していろ。休日である以上、外出して常に気を張っているというのは難しいだろうが、最低限の警戒心は残しておけ』
「教官、質問ですが、外出は何時から何時までなら問題ないんですか?」
「八時から十九時までだ。万が一この時間を超えそうな場合は、事前に連絡を入れろ。連絡がない場合、逃亡したと見做される可能性がある」
『当面は訓練校に引きこもって訓練をしてそうですけど……了解です。それにしても、『通話』をしながら他の生徒と喋るって、器用ですね……』
『慣れだ』
生徒との質疑応答に並行して博孝と『通話』を行う砂原に、博孝は純粋な驚きを覚えた。なんとも器用なことだと思う。それでも博孝は聞きたいことが聞けたので『通話』を切ると、今度は里香にそれとなく視線を向けた。
初任務以降、博孝はそれまでES能力が使えなかったことが嘘のように成長している。好きこそ物の上手なれとも言うが、博孝はまさにその典型だった。
それでもES能力だけに没頭せず、体術をさらに磨くことも忘れない。頻繁に体育館を利用して徹夜で訓練に励むので、管理者の野口などは呆れ顔をしていた。
ES能力が使えるようになって以来、以前にもまして集中力が増したように感じる。そこで集中して自己鍛錬を行っていると、あっという間に時間が過ぎるのだ。その上で自身の技量が成長していることを実感できるので、博孝としては中々止められない。一度恭介が博孝に付き合って徹夜で自己鍛錬を行ったが、それ以降付き合ってくれないほどだった。
(まあ、そのおかげで多少は成長できたし……うん、いいよな!)
自分に言い聞かせるように博孝は内心で呟く。そして、それと同時にここ最近頭を悩ませている問題へと思考を移した。
初任務以降、それまでは命令を無視していた沙織がある程度は博孝の指示に従うようになっている。それでも好機を見つけると無断で斬り込むこともあるが、博孝もES能力が使えるようになったことでカバーができるようになり、沙織が一人で突っ込んで敵小隊を仕留めるという、何のために他の小隊員がいるのかわからないような事態にはならない。
恭介も実戦を経たことで肝が据わったのか、自身の『防殻』を維持しつつ他のもののサポートとして『盾』を飛ばして防御する、といった戦法も取れるようになっていた。
しかし里香だけは、成長しているかと聞かれれば否としか答えられない状況である。元々『支援型』のため戦闘能力は高くないが、それでも、他の小隊の『支援型』は治療系の技能だけでなく『射撃』などの攻撃手段も会得し始めていた。
第一小隊では、博孝も『接合』を使えるようになっている。今のところは里香に比べれば数段劣る治癒能力だが、それでも一小隊に『接合』が使える者が二人いるというのはかなりの好条件だ。だが、里香が攻撃系のES能力を持たないため、誰か一人を傍につけて防御に回しており、残り二人で相手の小隊と戦うというパターンが多い。
訓練生の小隊が相手のため、突出した実力の持ち主である沙織に加えて、博孝か恭介が前線に加わるだけで圧倒することができた。しかし、これが実戦になると話は異なるだろう。
防御手段が『防殻』しかない里香を庇いつつ戦うというのは、非常に難しい。里香は運動能力がそれほど高くないため、他の誰かに追従して動くというのも難しかった。
里香が何かに悩み、その成長を阻害しているというのは博孝も察している。博孝自身、何度かその点について話をしたのだが、里香は何かを言いたげにしつつも、口を開かなかった。砂原も一対一で面談を行ったが、結果は変わらない。
(こうなると、この外出許可を利用するしかないか……)
いつもと違う環境になれば、里香も精神的にリフレッシュして抱えている“何か”を解消するきっかけになるかもしれない。そう判断した博孝は、次の休日が三日後であることを確認し、頭の中で速やかに計画を立てる。
本当は休日も訓練校に引きこもって自己鍛錬に励みたかったが、自身の指揮する小隊に関することだ。自己鍛錬と秤にかければ、里香の方が重要である。
(さてさて、そうなると問題はどうやって連れ出すか、か……)
同じ小隊員である沙織に頼む――どう考えても、無理だ。そもそも、里香と沙織で楽しそうに街を回るというイメージが湧かない。
いっそ小隊全員で行く――恭介は乗るだろうが、沙織が断る可能性が高い。小隊長の強権を使っても良いが、それは何かが違うだろう。
希美などの面倒見が良いクラスメートに頼む――アリだと思うが、普段はそれほど親しく接していない。里香はそこまで親しい友人がおらず、全てを任せて頼めそうにない。
(そうなると、手段は一つかぁ……)
すなわち――博孝自身が連れ出す。
名目はなんでも良い。一緒に遊びたい、仲を深めたい、相談がある。そんな口実で連れ出すのはどうか。ただ、博孝は男子であり、里香は女子だ。
(こ、これは、俗に言うデデデデートというやつではありませんか!?)
誘ってオーケーをもらえるとは限らないが、それでもオーケーをもらえたら、世間一般で言うデートになるのではないか。
そう思った博孝だが、思考の冷静な部分が、小隊長としての思考が、『すべては里香の抱えているであろう問題を解決するため』と囁く。それだけで、博孝はすぐに冷静になった。
自分に何ができるのか、と思う気持ちはある。しかし、だ。
(なーんか、岡島さんが抱えている問題って、俺に関係している気がするんだよねー)
初任務を乗り越えてから、里香と話す機会が減っている。それでいながら、里香から時折意味ありげな視線を向けられるのだ。
『もしかして、俺に惚れてる!?』と思春期特有の思考に囚われた博孝だが、里香の向ける視線には“そういった”方面の感情が籠っておらず、どちらかといえば負の感情に近いものが宿っていた。かといって、里香に恨まれるような行いをしたことはないと博孝は思っている。
(あ、もしかして、胸にタッチしたのがまずかった? 後になってから怒りが湧いてきたとか?)
初任務の際に、正気を失った里香を元に戻すために自分でも馬鹿だと思う行動を取ってしまった。そのことが原因かとも思うが、里香の向けてくる視線に怒りの色はない。だから違うのだろうと、半ば願望を込めて判断する博孝である。
(でも、うん。とりあえず話はしてみるべきだな)
そう決断すると、博孝の行動は早い。午前の授業が終わり、食堂で昼食を取ってすぐに、里香へと話しかけたのだ。
「というわけで、岡島さん」
どういうわけだと聞かれたら答えられないが、それでも博孝は里香に笑顔で話しかける。突然話しかけられた里香は目を白黒とさせるものの、博孝の視線から逃げるように俯いた。
そんな里香の反応に心が挫けそうになるが、思い込んだら一直線に突き進むのが博孝の美点であり、欠点でもある。
「今度の休日、俺とデートしない?」
故に、周囲に生徒がいるとか、ここが食堂だとか、そういった事情は一切合切無視して、そう切り出した。
「………………え?」
博孝の言葉が理解できず、里香が固まる。そして、博孝の傍にいた恭介やクラスメートも、驚愕に固まっていた。
「ちょ、ちょちょちょ博孝!? なんっすかそのストレートな誘い文句!? てか、普通はもっと人のいないところで聞くべきっすよ!」
「あん? いいじゃんか、別に。疾しいことじゃないんだし。てか、折角外出できるんだぜ? 同性連中と騒ぐのも良いけど、やっぱ異性と出かけたいじゃん。具体的に言うと、可愛い子とデートとか良くね?」
里香の性格を考えると、恭介の言ったように人のいない場所で切り出すべきだっただろう。しかし、博孝はその点をまったく気にしなかった。最悪、里香を連れ出すための“最終手段”がある。そのため、博孝は堂々と、衆人環視の中で里香にデートの誘いを申し込んだ。
そんな博孝の態度を見た男子連中は、顔を見合わせてから再度博孝を見た。その視線には、衆人環視の中で異性をデートに誘った勇者に対する称賛と羨望、そして、『断られたら大惨事だぞ』という同情がある。
対する里香は、顔を真っ赤にして俯いた。何かしらの返答をしなくてはならないだろうが、それでも、多くの人にここまで注目された経験はない。
里香に対しては、博孝と違って女子達が期待と興奮の視線を向けていた。日々『ES能力者』として訓練漬けの生活を送っているとはいえ、そこは花の乙女。他人の恋愛ごとには興味津々だった。
具体的に言うと、昼食を取っていた手を止め、かぶりつくようにして注目している。それと同時に、『外出するなら異性と一緒に』という博孝の言葉を聞いて、自分の意中の男子生徒にそれとなく視線を送る者もちらほらといた。
「……ぇ……ぅ……」
里香は上手く頭が回らず、声も出ない。そもそも何故こんな状況になっているのかわからず、里香は少しだけ顔を上げて博孝を見た。
「どう? デートのお誘い、受けてくれる?」
博孝は緊張とは無縁そうな表情で、それでいて、何かしらの意図を秘めた目で里香を見ている。その目を見た里香は、博孝に何か意図があるのだと気付く。
そもそも、わざわざ口に出して尋ねなくても、博孝なら『通話』を使えば良いのだ。だから、何か意図があるのだろうと里香は思った。もっとも、博孝は『デートを申し込むならやっぱり直接言わないとね』と考えただけだが。
しかし、だからといって衆人環視の中でデートの承諾をするのは恥ずかしく、里香は小さく首を横に振り――その瞬間、博孝が何かに苦しむように崩れ落ちた。右腕を押さえ、何かを堪えるように口を開く。
「ぐああああああああぁぁっ! きゅ、急に初任務で怪我をした右腕が痛くなってきたっ! お、岡島さんがデートのお誘いを受けてくれないと、この痛みは引きそうにないっ!」
そして、そんなことを口走る。その言葉を傍で聞いていた恭介は、さすがに身を引いた。
「いや、博孝……それはさすがにドン引きするっすよ……」
デートを断られそうだからといって、そんな手段に出るのはどうなのだろうか。
自身を庇って死に掛けた博孝にそんなことを言われれば、当事者である里香がどう思うのか。それに気付かないはずはないのだが、と恭介は博孝を見る。
さすがに博孝を止めようと恭介が声をかけようとすると、それよりも先に肩を掴まれた。
「黙って見ていなさい」
「沙織っち……でも、さすがにアレはやり過ぎっすよ」
珍しいことに、肩を掴んで話しかけてきたのは沙織だった。『沙織っち』と呼ばれることにも慣れたのか、恭介の言葉にも大した反応は返さない。ただ、静かに呟いた。
「あいつも馬鹿よね……わたしには、あそこまでして他人に踏み込む理由がわからないわ。それも、自分を道化にしてまで、ね」
それまで騒いでクラスメートの様子も、博孝の取った“手段”によってだいぶ毛色を変えている。
男子は、そこまでしてデートがしたいのかという同情と憐れみ。
女子は、そんな博孝にデートを申し込まれた里香に対する同情。
これならば、里香がデートの申し出を受けたとしても、“好んで”受けたようには見えないだろう。沙織は、そう考えた。
「え? どういうことっすか?」
そんな沙織の言葉を聞いた恭介は、不思議そうに首を傾げる。
「……少しは自分で考えなさい」
さすがに全部を説明する気もなく、沙織はそれだけを言って背を向けた。
何故そこまで他者の事情に踏み込むのか沙織には理解できないが、それも小隊長としての役目なのかと自分を納得させる。
「ホント、馬鹿なやつ……」
小さく呟いて、沙織は食堂を後にする。
里香がデートの申し出を受け入れたのは、それからすぐのことだった。