第二百五十一話:戦線
「あー……こりゃまずいなぁ……」
即応部隊の基地からやや離れた場所にある林。そこに伏せていた野口は、戦況の推移を確認して思わず呟いていた。
先ほどまでは向かってくる『ES寄生体』達を撃ち落すだけの“簡単なお仕事”だったのだが、明らかに戦場の空気が変質していた。直截に言うならば、戦線が崩壊している。
「さて伍長、俺の視力が落ちてなけりゃ間宮大尉の中隊に襲い掛かってる連中、こっちの味方だと思うんだが?」
「良い視力ですよね、小隊長。その視力を分けてほしいです……お隣の陸戦部隊ですよ」
副官として傍に置いていた伍長に尋ねてみると、双眼鏡から目を離しながらそう言う。それを聞いた野口はため息を吐き、懐から煙草とオイルライターを取り出した。
「おいおい、味方を狙うとか正気か? 基地とは連絡が取れなくなってるし、他の小隊の連中も混乱してるしよ……」
ため息を吐きつつ煙草を咥え、オイルライターで着火。大きく息を吸いこみ、呆れた様子で紫煙を吐き出す。
「ちょっ!? 暢気に煙草を吸ってる場合ですか!?」
「はいはい落ち着け落ち着け。慌てた奴から死んでいくぞ? ほら、お前も一本どうだ?」
伍長のツッコミに笑って答え、煙草の箱を差し出す。伍長は余裕綽々な野口の様子に呆れると、煙草を受け取って火を点けた。周囲にいた他の部下達は野口の傍に集まり、周囲の索敵を行っている。
「……で、どう思います?」
「よりにもよってうちの部隊……『穿孔』相手に喧嘩を売るなんて正気とは思えねえな。あいつら寝惚けてんのか?」
煙草を吹かしながら答える野口だったが、“正気ではない”という言葉は正鵠を射ていた。だが、野口がそれを知るはずもなく、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付ける。
「何のつもりか知らねえが、俺達に出来ることはねえよ。訓練生が相手ならともかく、どっちも正規部隊の『ES能力者』だ。下手な横槍入れたらこっちが吹き飛ぶ」
「上手な横槍なら吹き飛ばないんですか?」
「……どう頑張っても吹っ飛ぶだろうさ。こっちは大人しく情報収集を……っ! 全員伏せろ!」
野口が叫ぶなり小隊の全員が地に伏せ、次の瞬間には一条の光線が頭上を掠める。それは目視することすら困難なほど長距離から撃たれた『狙撃』だったが、ほんの数秒とはいえ時間があったため野口も気付くことができたのだ。
撃ってきたのは鳥型の『ES寄生進化体』だったが、もしも射角が一度でも地面側へずれていたら野口達は消し飛んでいただろう。野口が声をかけなければ上半身が消滅していた可能性もあり、小隊の中に動揺が走った。
「被害報告! それと間宮大尉に連絡を入れろ! 手一杯かもしれねえが、『ES寄生進化体』が相手となるとこっちじゃ動きを妨害するだけで精一杯だ!」
野口が声を張り上げて指示を出すと、即座に落ち着きを取り戻す。それぞれがすぐに動き、返答は速やかに行われた。
「被害は極めて軽微! 伏せるのが遅れて少しばかり焼かれた奴がいますが、戦闘は継続可能です!」
「間宮大尉から返信です! 一個分隊を回すのでそれで“適当”にやれと!」
「反応が遅れた奴は後でみっちりと鍛え直してやるからなるべく下がってろ! 大尉には感謝だ!」
一個分隊の『ES能力者』がいれば、仮に錯乱した『ES能力者』が襲ってきてもどうにかなるかもしれない。問題は誰が来るかだが、即応部隊の陸戦は優秀な人員が揃っている。
間宮はどこからともなく現れた、味方のはずの『ES能力者』の一団と交戦しているが、一個分隊を割いても相手の攻撃を捌ける自信があるのだろう。事実、間宮が率いる一個中隊は優勢に戦いを進めている。
そこには砂原が基地に向かわせた空戦の軍曹が加わっていたが、野口がそれを知る由もない。
「さあて、一体誰が……お?」
到着する人員次第で執れる戦術が変わる。『ES寄生進化体』の位置を確認しつつも増援の到着を待っていた野口は、“何か”が接近してきたことに気付いて視線を向ける。
「お待たせしました、野口曹長」
「……手伝いに来た」
姿を見せたのは、『瞬速』で移動してきた三場と紫藤だ。野口は二人の顔を確認すると、小さく笑みを浮かべる。
「おう、三場に紫藤か。壁役と狙撃手が来たのは素直に助かるぜ」
「壁役って……三場陸戦一等兵、これより野口曹長の指揮下に入ります」
「任せて……紫藤陸戦上等兵、指揮下に入ります」
あくまで一時的なものだが、三場と紫藤が指揮下に入ったのは大きい。三場は『防御型』のため敵が接近してきても受け止めることができ、紫藤は射撃系ES能力が得意なため長距離からの狙撃にも適している。
他部隊の『ES能力者』達の攻勢を凌いでいる間宮だが、『ES能力者』同士の戦いとしてはかなり接近してしまったため、接近戦に向かない紫藤は『ES寄生体』達の迎撃に、三場はその補佐に回したのだろう。
そう思いつつ、野口は自分達の仕事に取り掛かる。小隊の部下達は野口の指示を待っており、各々の顔を見回して頭を掻いた。
「これで撤退の許可が出てりゃあ遠慮なく逃げるんだが、残念ながらそんなもんは出てねえ。というわけで、俺達はこの場で『ES寄生体』や『ES寄生進化体』の迎撃を継続する。質問は?」
野口が問うが、部下達からの質問はない。それどころか不平不満の声も上がらず、苦笑を浮かべるだけだ。
「今の状況で逃げても仕方ないでしょうよ」
「どれだけ持ち堪えることができるかわかりませんが、やれる限りやりましょうや」
野口が即応部隊に異動してきてから持った部下だが、この状況を苦笑で済ませることができる程度には鍛えてきた。そんな部下達の反応に野口は笑い、傍らの対物ライフルを手に取る。
「よし、よく言った。そんじゃあ給料分は働くぞ。今の時点で給料以上働いているかもしれねえが、オーバーした分は酒でも奢ってやる」
弾倉を入れ替え、ニヤリと笑って野口が言う。それを聞いた部下達は一様に笑みを浮かべた。
「おっ、太っ腹ですねぇ小隊長殿!」
「それなら遠慮なく飲ませてもらいますよ!」
「おう。でも、お前らさっきまでの“射的”で負債が溜まってるからな? まずはそこから天引きだ!」
意地悪そうに言う野口。すると、それまで笑顔だった部下達がブーイングを飛ばす。野口はそのブーイングを笑って受け流しつつ、三場と紫藤に視線を向けた。
「三場は俺の部下と一緒に周囲の警戒だ。あと、攻撃が飛んできたら防いでくれ。お前がミスったら俺達はまとめて吹っ飛ぶからな?」
「さらりとプレッシャーをかけないでくださいよ!?」
「紫藤はこっちで長距離狙撃だ。海上で動いてる奴を……」
三場に笑顔でプレッシャーをかける野口だが、紫藤の表情を見て僅かに疑問を覚える。紫藤は元々感情の起伏が乏しい方だが、付き合いが浅い野口でも雰囲気が暗いことを感じ取ったのだ。
戦場の空気に怯える性格でもないため、何か“別の理由”があるのだろう。しかし、この状況で躊躇していれば死ぬ可能性があるため、野口は挑発するように口の端を吊り上げる。
「……いや、俺達が敵の動きを止める。お前さんは動かない的に当てるだけの簡単なお仕事だ。できるな?」
その言葉に、紫藤の眉が動いた。どこか不満そうな様子であり、紫藤は負けん気を発揮して野口を睨む。
「……飛んでる敵でも撃ち落せる。問題ない」
「そうか? 何があったかは知らねえが、殺し合いの場に迷いなんて持ち込んでる奴は大抵失敗するからな。迷ったり悩んだりなんて贅沢は終わった後で楽しみな」
冷たく言い放ち、対『ES能力者』用の弾丸を取り出す野口。現状では補給できるかも怪しいため温存しておきたかったが、紫藤の様子を見る限り必要になりそうだ。
しかし、紫藤に関しては付き合いが浅いものの、付き合いが深い博孝からは後輩達の特徴について聞いている。
紫藤は狙撃に関して天性の才を持ち、なおかつその自負も持ち合わせているため、挑発すれば乗ってくるだろう。そう判断して紫藤を煽る野口だったが、紫藤は唇を噛み締めて視線を遠くへ向ける。
「……大丈夫。ちゃんと撃てる」
まるで自分に言い聞かせるような声色に、野口は困ったようにため息を吐いた。どうやらかなり根深い問題らしく、紫藤がこの調子ならば間宮が自分達の方へと回したのも納得できる。
『ES能力者』と戦うよりも、長距離から『ES寄生体』を相手にしている方が遥かに安全だろう。戦力が乏しい状況で三場を同行させたのは、それほど紫藤が不安定ということか。
(ま、それでも手持ちの戦力でどうにかするしかねえな……)
心中で呟きつつ、野口はスコープを覗き込む。先ほど『狙撃』を撃ってきた『ES寄生進化体』は間宮達が排除したのか、その姿は空から消えていた。その代わりに、新しく鳥型の『ES寄生体』が三体向かってきている。
「チッ……敵が増えてねえか? 各自十秒後に通常弾で一斉射。動きを止めろ。俺が撃ち落とす。紫藤上等兵、当てられるか?」
「……いける」
野口の言葉に頷く紫藤。野口はその返答に頷くと、スコープ越しに狙いを定める。
「それじゃあ俺は左の奴を狙う。残りは任せた……っ! 敵の攻撃を確認! 防げ三場! 他の奴は狙撃体勢を維持! 狙いを外すなよ!」
「了解です!」
飛来する光弾に気付いた野口が指示を飛ばし、三場が前に出る。飛来する光弾の数は三。速度はそれほどでもないため、『狙撃』ではなく『射撃』だろう。
そう判断した三場は『盾』を三枚発現すると、全ての光弾を容易く防ぎきる。
「やるじゃねえか! よし、撃てっ!」
信頼はしていたが、実際に三場が『射撃』を防ぎ切ったため野口は安心して引き金を引く。
周囲の部下達が通常弾を撃ったコンマ数秒後、スコープ越しに狙いを定めて弾丸を発射。弾道が逸れることを考慮して僅かに銃口をずらすと、放たれた弾丸は狙い通り『ES寄生体』に命中した。
それも、開いた嘴を通すようにである。『ES寄生体』の口内に侵入した対『ES能力者』用の弾丸はそのまま頭部を突き抜け、一射で敵を即死させた。
スコープの視界内で落下していく鳥型『ES寄生体』を見た野口は、敵が死んでいることを確認しながらボルトを引いて弾丸を再装填する。
「おっと、こいつはラッキーだ。良い具合に弾が逸れやがった」
「あの、野口さん? いくら対『ES能力者』用の弾丸だからって、一発で『ES寄生体』を殺されると僕の立場がですね……」
「もっと鍛えろ。恭介の奴を見習え。あいつも『防御型』だけど『ES寄生体』なら素手で倒せるらしいぞ?」
弾丸を装填し終えると、野口は紫藤に任せた二匹の『ES寄生体』の様子を確認した。紫藤は野口に合わせて『狙撃』を二発放っており、一匹は野口と同じように頭部を破壊している。
しかし、残り一匹は首筋を抉られただけで済んでおり、血を流しながら『射撃』を発現した。
「ちっ!」
光弾が発現されるのを目視するなり、野口は引き金を引く。装填している弾丸は対『ES能力者』用のままだが、今度の狙いは敵本体ではない。
さすがにキロ単位で離れている動体を悪条件の中で撃ち抜くことは困難のため、放たれた光弾を狙ったのだ。発現された射撃系ES能力は、風などの影響を受けない。一度放たれれば直線的に飛んでくるため、迎撃することは可能だった。
野口が放った銃弾は飛来する光弾三発の内一発に着弾し、その場で炸裂させる。その爆発は残り二発の光弾を誘爆させ、白い光と爆音を連鎖させた。
敵の『ES寄生体』は発射したばかりの『射撃』が爆発したことに驚いており、動きを単調なものに変えている。その隙に弾丸を装填した野口は銃口を向け、引き金を引いた。
「……ふぅ」
スコープの先、狙った『ES寄生体』が力をなくして落下していく姿を見て野口は息を吐く。そしてスコープから右目を離すと、弾丸を再装填しながら『狙撃』を外して動揺した様子の紫藤に視線を向けた。
「自信があったのかもしれねえが、外したなら次の攻撃を頼むぜ。こっちもフォローにゃあ限界があるんだ」
「……はい」
自信があった『狙撃』を外してしまい、紫藤は素直に頷く。一発は命中していたが、もう一発は掠める程度で多少の出血を強いただけで終わった。もしも続けて『狙撃』を放っていれば、野口がフォローをする必要もなかっただろう。
何があったのかは知らないが、これは重傷だ。そう考えた野口は三場を呼び寄せ、耳元に顔を寄せて小声で指示を出す。
「お前も気付いてるだろうが、紫藤の調子が悪い。俺の方でも気に掛けるが、『ES能力者』同士で連携しあってくれや」
「さっきの野口さんみたいなこと、到底できないんですけど……」
射撃系ES能力が苦手なため三場がそう言うが、野口は困ったように頬を掻いた。
「接近戦ならともかく、『射撃』が命中しただけでこっちは吹き飛ぶんだぞ? つーか、そろそろ弾が底を尽きそうなんだよ。他の部隊は混乱中だし、この状況で基地に補給しに戻るのは危ないしよ……」
ポリポリと頬を掻きつつ、野口は傍らの対物ライフルへ視線を向ける。通常の銃弾ならばまだまだ余裕があるのだが、対『ES能力者』用の弾丸は数が限られていた。野口はほぼ確実に命中させてきたが、それでも弾薬の消耗が激しいのである。
「お前と紫藤は同期で今は同じ部隊の仲間だろ? 気を配って守ってやれ」
「接近戦ならどうにかなるっていうのは……いえ、了解いたしました。意識はしていましたし、もっと注意しておきます」
そう答える三場に、野口は満足そうに頷く。さすがに野口がフォローをするにも限界があるため、『ES能力者』同士、三場に頑張ってほしいと思っていた。
「それに、ここで格好良いところを見せとけば紫藤もお前に振り向くかもよ?」
「ぶっ!? な、な、なんっ!?」
真剣な顔で話を聞いていた三場だが、思わぬ話に噴き出してしまう。慌てた様子で周囲を見回すが、紫藤は海上へ視線を向けているため気付いた様子もない。
慌てふためく三場を眺めた野口は楽しげに笑うと、三場の背中を力強く叩いた。
「冗談だよ冗談。ちったあ緊張もほぐれたか? あとは気楽に俺達を守ってくれや。なに、失敗しても俺達が吹っ飛ぶだけだしな?」
「だからなんでプレッシャーをかけるんです!?」
野口達の命を簡単に預けられてしまい、三場は悲鳴のような声を上げる。野口はそんな三場の姿に笑みを深めていたが、不意に真剣な表情へと変わり、鋭い視線を遠くに向けた。
「……おい、三場。お前はあいつらに勝てるか?」
「え?」
野口に言われて視線を向けた先。そこにはいつの間に接近してきたのか、『ES能力者』用の野戦服に身を包んだ者達の姿があった。
三場も紫藤も索敵はそれほど得意ではなく、見ていた方向の関係上野口が先に気付いたのだが、野口の優れた視力は無表情のままで距離を詰めてくる者達をしっかりと捕捉する。
「小隊長殿!」
「ああ、気付いてる……どこの部隊か知らねえが、一個小隊じゃ済まねえな」
周囲を囲まれていると判断した野口は対物ライフルを脇に放ると、腰のホルスターから拳銃を抜いて左手に持つ。さらに柳から贈られた山刀を抜くと、右手に構えた。ここまで近付かれたのでは、取り回しが困難な対物ライフルなど役に立たないのだ。
「……野口さん」
「で、どうだよ三場。あいつらに勝てるか?」
緊張した様子で声をかける三場だが、野口は飄々とした態度を崩さずに尋ねた。野口の部下達も決意を固めたように表情を引き締めると、それぞれ拳銃とナイフを抜く。
「……僕と紫藤だけじゃ勝てません」
「俺達が援護しても無理か?」
「……ええ」
冷静に戦力差を計算し、三場は悔しそうに言う。紫藤は優れた『ES能力者』だが、得意なのは遠距離戦だ。接近戦の技量は高くない。
三場は『防御型』らしい頑丈さを活かした接近戦が得意だが、相手の数が多すぎる。せめて一個小隊ならばどうにかなったかもしれないが、苦手ながらも周囲の『構成力』を探った結果、『構成力』が十以上存在していた。
「そうか……」
野口達を狙っているのか、それとも『ES能力者』の三場と紫藤を狙っているのか。それはわからなかったが、野口は即座に決断を下す。
「折角応援に来てもらってなんだが……間宮大尉達のところに戻れ。これは命令だ」
「そんなっ!? 野口さん達はどうするんです!?」
『ES能力者』達が周囲を囲んでいるが、その動きはそれほど俊敏ではない。野口達が敵対行動を取っていないからか、それとも別の理由があるのかはわからないが、包囲網と呼ぶには雑な配置だった。
「こいつらの目的がお前らなら、俺達は放置されるだろ。それならお前らは『瞬速』で大尉のところに向かえば俺達も助かる。だが、もしも相手の目的が俺達、あるいはこの場の“全員”なら……」
野口は拳銃のセーフティを外しながら肩を竦め、三場と紫藤に笑いかける。
「俺達の足じゃあ逃げ切れねえから置いていけ。なあに、お前らが逃げる時間ぐらいは稼いでやるよ」
周囲を円状に包囲しているため、一ヶ所を突破すれば三場と紫藤も逃げることができるだろう。それは二人任せになるが、“数秒”程度なら時間を稼ぐことができるはずだ。
「でも……」
「議論はなしだ。それに、俺は“命令”したぞ? 総員、射撃準備!」
三場の言葉を遮り、野口は部下に指示を出す。部下達は文句一つ言わずに拳銃のセーフティを外し、苦笑を浮かべた。
「こいつら、小隊長があまりにも暴れるから寄ってきたんじゃないですかね?」
「ああ、ありえる。小隊長、どこかで『ES能力者』の恨みを買いました? 過去に倒した『ES能力者』の仇とか」
「ねえよ! さすがに正規部隊の『ES能力者』に勝てるわけねえだろ!?」
部下から笑い混じりにかけられた声にツッコミを入れる野口だが、未だに動こうとしない三場と紫藤を見て、犬でも追い払うようにナイフを振る。
「ほれ、しっしっ。こっちも一斉射撃して包囲に穴を開けるから、さっさと抜けろ」
「野口さんっ! 僕達も一緒に――」
「うっせぇ。お前らが『ES能力者』だろうが関係ねえ。死ぬ時は年功序列だ。ガキはさっさと逃げろっての。あんまりぐずると逃げられなくなるぞ? ほれ、命令には従え」
三場がどれほど言葉を尽くしても、野口達はこの場から撤退しようとしないだろう。三場としては野口達を助けたいが、この場に留まっても死体が二つ増えるだけである。
「っ……すぐに、すぐに応援を呼んできますから!」
そう言って、三場は紫藤を促す。紫藤はそれに頷くと、野口達に悲しげな視線を向けてから『狙撃』を発現した。
「……可能な限り減らすから」
「無駄弾は撃つなっての。お前らは逃げることだけ考えて、逃走経路にいる奴だけ狙え。お前のソレに合わせてこっちも撃つからな」
「……わかった」
紫藤は野口の言葉に頷き、間宮の中隊が防戦を行っている方向へと視線を向ける。その方向にも『ES能力者』の姿があったが、数は二人だ。強引に突破することもできるだろう。
「よし……行けっ!」
野口の指示に従い、三場と紫藤が駆け出す。紫藤は進路上にいる『ES能力者』に対して『狙撃』を二発放って牽制すると、それを引き継ぐようにして野口達が発砲した。
自動小銃を装備していた者はありったけの弾をばら撒き、野口を始めとした数名は拳銃で狙いを定めて発砲する。装填している弾は通常弾と対『ES能力者』用の弾丸が半々だったが、動きを止めることぐらいはできるのだ。
その間に『瞬速』を発現した三場と紫藤が駆け抜け、包囲網から抜け出した。すると、その後ろを追って『ES能力者』達も走り出す。
だが、この場に残った者達もいた。三場と紫藤を追ったのは二個小隊であり、一個小隊分の『ES能力者』が野口達を囲んだままである。
「あー……どうやらこっちにも用があるみたいだな。それとも今の攻撃が原因かね?」
残ったのが一人ぐらいならばどうにかなったかもしれないが、四人も残られては打つ手がない。野口は困ったようにため息を吐くが、その瞳に諦めの色は浮かんでいなかった。
「小隊長、良いことを思いつきました」
「お、なんだ? 聞かせてみろよ」
「小隊長が彼らを倒せば俺達は無事に脱出できます」
「よし、お前らが俺をどんな風に思っているかよくわかった」
この状況でも冗談を言える部下達が誇らしく、心強い。柳の山刀があるため一人ぐらいは道連れにできるかもしれないが、それでは部下達を脱出させることもできないだろう。
「嫌っていうほど説教してやるから覚悟しとけ……するのはあの世でだけどな」
「そこは勘弁してくださいよ……」
それぞれが笑い、武器を構える。少しずつ距離を詰めてくる『ES能力者』達は相変わらずの無言、無表情であり、降伏も受け付けないだろう。
(……さすがに死ぬなぁ)
『ES寄生体』ならば勝てる自信があるが、『ES能力者』相手に勝てると思う程自惚れていない。そのため野口は覚悟を決め、拳銃を捨てて山刀だけを構えた。
野口の脳裏に一人の少女の姿が浮かんだが、それもすぐに振り払う。どれほど先になるかわからないが、“彼女”があの世とやらに来たら誠心誠意謝ろう。そう思い定め、僅かに腰を落とす。
「さすがにこんな死に方は予想してなかったし、アンタらが何で襲ってきたのかはわからねえが……」
向かってくる『ES能力者』を睨み付け、野口は殺意を込めて言い放つ。
「喧嘩を売ってきたのはそっちが先だ――道連れにしてやるよ」
何故味方である間宮達や自分達に襲い掛かってくるのかわからないが、襲ってくる以上は敵だ。野口はそう考え、迎撃のために駆け出す。
「っ!?」
野口の視界で、『ES能力者』が姿を消した。『瞬速』か純粋な体術かはわからないが、目で追えないという点では変わらない。それでも野口は殺気を感じ取り、山刀を構え。
「――折角の覚悟だが、どちらとも殺させるわけにはいかんよ」
そんな野口の近くで、轟音が響いた。それと同時に声が聞こえ、野口に迫っていた『ES能力者』が吹き飛ばされる。それは他の部隊員達も例外ではなく、向かってきていた『ES能力者』がまとめて後方へと吹き飛ばされていた。
「な、なんだ!?」
思わず声を漏らす野口だが、すぐに気付く。それまでこの場にいなかった人物が、砂原が傍に立っていることを。
「砂原少佐!?」
海上で指揮を執っているはずの砂原がこの場に現れたことに驚愕する野口。砂原はそんな野口に視線を向けると、真剣な表情で口を開いた。
「“こちらは”間に合ったようだな……無事でなによりだ、曹長」
どこか苦々しそうに声を発する砂原だが、それが何を意味するのか野口にはわからない。それでも砂原が救援に駆け付けたのだと理解し、安堵のため息を吐いた。
「はぁ……助かりましたぜ、少佐殿。さすがに今回ばかりは肝を冷やしましたよ」
「なに、死ぬ時は年功序列だろう? 俺が死んでいないというのにお前達を殺させるわけにはいかんよ」
野口は額に浮かんだ冷や汗を拭いながら礼を述べる。それを聞いた砂原は何でもないように答えるが、相変わらず表情は真剣なままだ。
「……殺したんですかい?」
「いや、殴り飛ばしただけだ。もう動けんだろうがな……貴官らは間宮のもとへ向かえ。ここまで“掃除”してあるから安全だ」
間宮達を助け、三場と紫藤を助け、さらには野口達のところまで駆け付けたらしい。そのことに感謝する野口だが、砂原の放つ気配があまりにも刺々しかったため疑問に思ってしまう。
「了解しました……少佐殿はこれから何を?」
その問いかけに、砂原は怒気と殺気を滾らせながら答えた。
「まずは基地へ向かう。誰が“安全”かも確認しなければな」
そう言うなり、『飛行』を発現して飛び立つ砂原。野口はそんな砂原の姿を呆然と見送ったが、頭を振って我に返る。
何が起きているのかは相変わらずわからないが、それでも生き延びることができた。その幸運に感謝しつつ、部下をまとめて撤退するのだった。




