第二百三十二話:咲く花、散る花 その4
「いやぁ、買った買った。こんなにたくさんの服を買ったのは久しぶりね」
そう言って満面の笑みを浮かべたのは、優花である。宅配を頼んだため手ぶらだが、十着近い洋服を購入してご満悦だ。
「喜んでもらえたなら嬉しいっすよ」
そんな優花の様子に苦笑する恭介。買い物にはそれなりに時間がかかったが、疲れが見えないのは恭介自身も楽しんだからだろう。女性の買い物は長いと言うが、久しぶりの外出ということもあって十分に楽しめた。
「でも、本当に良いの? わたしの分まで買わなくても……これでもそれなりに稼いでるわよ?」
それまでの笑顔から一転、優花は心配そうな顔で尋ねる。みらいの服に関しては恭介と優花の二人で金を出したが、優花の服に関しては恭介が全て購入してプレゼントした。
一着一着はそこまで高額ではないが、数が増えれば値段も増す。さすがに悪いと思った優花だが、恭介は優花の質問を受けて視線を逸らした。
「……自分でもビックリするぐらい、お金が溜まってたんすよ……使い道も使う暇もないんで、たまには使わないと……」
訓練生時代でも給料が出ていたが、正規部隊員になってからはその額も跳ね上がる。しかも恭介はただの兵士ではなく『ES能力者』、それも下士官である軍曹だ。基本給に危険手当や任務手当などを足すと、受け取る本人が驚くほどの額になる。
「そ、そうなんだ……」
「そうなんっす……ま、優花ちゃんとみらいちゃんのために使うのなら、惜しむ必要もないっすね」
そう言って恭介が視線を向けたのは、恭介と優花の間で手をつなぐみらいだ。みらいについては優花以上に服を購入したが、これは恭介と優花が二人がかりで買い与えたからである。
みらいの分は即応部隊の寮に送ったが、問題があるとすれば箪笥に入り切るかどうか。みらいはその外見と性格の幼さ、または可愛さにより、即応部隊内でも可愛がられている。
訓練校第七十一期卒の仲間達以外にも、階級の上下を問わずに猫可愛がりされていた。中にはみらいに洋服をプレゼントする者もいるため、みらいの部屋に置かれた箪笥のキャパシティを超えてしまいそうである。
「おようふくをかうの、たのしかった!」
「そっかー、楽しかったのならわたしも嬉しいわ」
満面の笑みを浮かべて買い物の感想を述べるみらいに、優花も同じような笑みを浮かべて答えた。優花は一人っ子であり、妹がいればこんな感じなのだろうか、と感慨深く思う。
優花とみらいは友人同士だが、やはりその外見の差、性格の差もあって優花が世話を焼く。それは優花自身が望んで世話を焼くのであり、みらいの可愛らしい反応を見るのが楽しいのだ。
「ああ……やっぱりうちに連れて帰りたいわ……一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり……」
「ソレ、傍から聞くと物騒で怪しい発言っすよね」
恍惚とした表情で呟く優花に、恭介は待ったをかけた。気持ちはわからないでもないが、表情と発言が危険すぎる。
恭介は優花のことを止めつつ、さり気なく周囲の様子を窺った。みらいがニット帽をかぶっているからか、先ほどよりも視線の集中が少ない。
(危険な気配はなし、と……)
いくら街中と云えど、危険はいつでもやってくる。何度も襲われたことで警戒を止めることができず、恭介は洋服を選ぶ間も密かに気を張っていた。
(今日は本当に平穏っすね……)
しかし、今日はまったくといっていいほど危険な気配がしない。これまで何度も危地を踏破することで養われた勘も、警鐘を鳴らさなかった。優花の存在を周囲に知られることは避けなければならないが、今のところ不審な動きをする者もいない。
――だからこそ、その直後に目撃した光景に恭介は驚愕する。
「なん……だと……」
とりあえず博孝達と合流しようと思っていた恭介だが、遠目に見えた光景に目を見開いた。『ES能力者』として尋常の域を超える優れた視力は、“その光景”を余すことなく網膜に映し出す。
『探知』を習得していないとはいえ、優れた『ES能力者』である恭介は周辺の『構成力』に敏感だ。『探知』ほどの精度はないとはいえ、博孝達がどこにいるかはある程度わかる。
その感覚に従って探すと、予想通りの場所に博孝と沙織がいた。だが、二人の雰囲気がおかしい。
二人がオープンカフェでコーヒーとクッキーを片手に談笑しているのは、別に良いだろう。恭介達と離れて時間を潰している以上、何をしていようと自由だ。
博孝と沙織ならば敵の襲撃があろうと撃退するであろう。それだけの信頼を寄せている。だが、遠目に見ても二人から放たれる気配は尋常ではなく、恭介は思わず足を止めてしまった。
一体何があったのか、沙織の顔は真っ赤である。そして、そんな沙織と向き合う博孝も顔が真っ赤だ。それでいて互いに視線を逸らすこともなく、コーヒーを飲みながら談笑している。それはとても仲睦まじい様子であり、恭介は内心で驚愕した。
たしかに、博孝と沙織は仲が良い。恭介は二人と長い付き合いであり、その付き合いの中で沙織が博孝を膝枕していたり、『お前らいつ結婚するんすか?』と尋ねたくなるようなシーンにも出くわしてきた。
しかし、二人の関係が明確になることはなく、恭介としてはどうなるのかと気になっていたことでもある。そんな二人が顔を赤くし、まるでその辺りを歩くカップルのように睦まじく言葉を交わしているのだ。
『いや、こっちの話だよ。タイミング的にも丁度良いなぁって』
驚愕する恭介の脳裏にふと、博孝が最近口にした言葉が過ぎる。その時は一体何のことかと疑問に思っていたが、まさか――。
(まさか……とうとうゴールインしやがった!? 博孝の雰囲気がちょっとおかしいとは思ってたけど、初デートで正面から突撃!? しかも無事に任務達成だと!?)
あまりの衝撃に、恭介は素で驚く。まだ確定したわけではないが、それでも二人の間に漂う空気は甘酸っぱい。それこそ五十メートル近く離れている恭介が即座に気付けるほどである。
「ひ、博孝、オメェ――ぐわっ!?」
街中だというのに『瞬速』を使って駆け寄ろうとした恭介だが、いつの間にか隣に移動していた優花が足を引っ掛けたため派手に転倒してしまう。アイドルとは思えない隠形術、足捌きに、恭介はなすすべもなく地面を転がることとなった。
「ま、まま待ちなさい恭介! う、うわ、アレって“そういうこと”なの!?」
そして、恭介を地面に転がした優花は高いテンションで恭介の襟首を掴み、興奮した様子で揺さぶる。どうやら優花も遠目に二人の様子を見たらしく、即座に察したらしい。
「怪しいと思ってたけど、わたし達が離れている間にそんな!?」
「や、やっぱりそうなんすか!?」
「そりゃそうよ! あの空気は間違いないわ!」
地面に転がる恭介と、そんな恭介からマウントポジションを取りながら大喜びする優花。みらいは恭介と優花の突然の奇行を見るなり、無言でそっと距離を取る。
「きゅーきゅーしゃ……ひゃくとーばん?」
こういう時は通報する必要があるのだろうか。そんなことを真剣に考えるみらいは、携帯電話を片手にどうしたものか迷う。周囲の通行人も、突然始まった二人の奇行を見て距離を取った。
そんな周囲の様子に気付かず、恭介と優花のテンションは鰻登りに上がっていく。
「こりゃお祝いが必要っす! まずは祝福の言葉を!」
「そうね!」
恭介の言葉を聞き、優花は嬉しげにガッツポーズを取る。
「アイツにはからかわれてばかりだったけど、まさかここまで格好のネタが飛び込んでくるなんてね! 見てなさい! これまでの恨みを晴らしてやるんだからっ!」
「予想に反して考えがゲスいっすね!?」
嬉々として言い放つ優花に、恭介はツッコミを入れながら冷静さを取り戻す。遠目に見ても“何か”があったのは明白だが、このまま勢いに任せて突撃して良いのだろうか。
「おにぃちゃんとさおりのじゃましたら、めっ」
恭介の考えを後押しするように、みらいが止めに入った。みらいは何があったか理解していないようだが、それでも今の二人を邪魔するべきではないと察したのである。
「みらいちゃん、これは好機なのよ?」
「だめっ」
「で、でもね……」
「だめったらだめっ!」
ぷくりと頬を膨らませつつ、みらいは優花を止めた。優花はそんなみらいの言葉を受け、数秒置いてから残念そうに肩を落とす。
「絶好の機会が……ま、さすがに野暮ってやつかしらね。このネタでからかうのは今度にしましょうか」
やれやれ、とため息を吐きつつ恭介の上から退く優花。恭介はようやく立ち上がると、服についた汚れを払いつつ苦笑する。
「つーか、さすがに気付かれてるっすよ」
「え?」
優花が不思議そうにしていると、恭介は博孝達がいた場所を示す。そこでは博孝と沙織が不思議な生き物でも見るような顔をしており、一体何事かと優花は首を捻った。
そして優花が思考していると、恭介の携帯電話が着信を告げる。何事かと恭介が携帯電話を取り出してみると、電話をかけてきたのは博孝だった。
「も、もしもし……え? あ、はい……」
恐る恐る電話を取る恭介だが、すぐに携帯電話を優花へと渡す。
「博孝からっす」
「……嫌な予感しかしないんですけど」
遠くでは博孝が携帯電話を片手に優花を見ており、嫌な予感が膨らんでいく。直接ではなくわざわざ恭介の携帯電話にかけてくる辺り、周囲には聞かれたくないことだろうか。
『……もしもし?』
『あ、神楽坂さん。いやー、いくらなんでもさっきのはアイドル以前に女性としてまずいでしょ?』
『は、はい?』
まるで咎めるような言葉に、優花は困惑してしまう。何か問題があったのかと首を傾げるが、電話越しの博孝は笑いを噛み殺しながら言う。
『路上で恭介を押し倒して、なおかつマウント取るなんて……みらいの教育に悪いんで、せめて人目につかない場所でやってくれるか?』
『は、はあああああああぁぁっ!? なっ、ち、ちがっ!?』
思わぬ爆弾に焦ったような声を出す優花だが、視線を向けると博孝は申し訳なさそうな顔で視線を逸らす。
『その、な? まさかあのアイドルの神楽坂優花さんが、白昼堂々、衆人環視の中、路上で『ES能力者』を押し倒して、なおかつマウントを取るなんて……ねえ? ファンとしては、人目がつかないところでやってほしいと思うわけですよ』
『だ、だから違うって! そんなわざわざ詳しく説明しないでよ!』
『みらいはこっちで引き受けますので……あ、迎えが十六時ぐらいに来る予定なので、それまでに恭介を解放してくれると助かります』
『なんで敬語!? ねえ、なんで敬語なの!?』
どこか距離と壁を感じられる物言いに、優花は目を剥きながら怒鳴った。
(いや、落ち着くのよわたし……こっちにも武器はある!)
それでも冷静さを取り戻すことが出来たのは、己の職業によって精神的に鍛えられていたからか。優花は一度だけ深呼吸をすると、意識して声色にからかいの色を混ぜる。
『そっちこそ、わたし達がお邪魔したみたいでごめんなさいね? 沙織さんと良い雰囲気だったんでしょ?』
『あー……』
優花の攻撃に、博孝の声が僅かに揺らいだ。それを聞いた優花はここが好機と判断して畳み掛けようとするが、それよりも先に幸せそうな声が響く。
『告白してな……オッケーをもらったよ。良い雰囲気ってのは否定できない。幸せだからな』
『もう……博孝ったら』
『あ、そうですか……なんというか、その、ご、ごめんなさいね? 本当にお邪魔しちゃって……』
だが、優花の攻撃には強烈なカウンターが飛んできた。沙織の恥らうような声も聞こえてきたため、優花はいたたまれなくなってしまう。
『それじゃあ……えっと、わたし達は向こうで買い物してるから……うん』
それだけを告げて、優花は電話を切る。そして無言で携帯電話を恭介に渡すと、疲れた様子で恭介とみらいの手を引いた。
「時間ギリギリまでそっとしておきましょ……これ以上邪魔したら、馬がサマーソルトキックをしてくるわ……」
「それ逆に見てみたいんすけど……とりあえず、そっとしておくのには賛成っす」
「……んっ」
この場からの撤退を選択する恭介と優花。みらいもそれに続くが、最後にチラリと博孝と沙織に目を向ける。
「すなおにおめでとーって、いっていいのかな?」
そんな疑問が滲んだ呟きは、恭介と優花の耳には届かなかった。
その日、里香は朝から執務や陸戦部隊員の訓練に追われていた。訓練といっても部隊指揮や怪我をした場合の治療が主であり、戦力としての訓練は少ない。自分が戦うよりも、他の戦う者を治せるようにと思っているのだ。
今後も軍医として生きていくなら、せめて『修復』を会得したい。そう考える里香だが、三級特殊技能に数えられる『修復』は『支援型』にとって一つの壁だ。
そもそも、三級特殊技能というものはそう簡単に習得できる技能ではない。『ES能力者』として習得すれば一つの節目となる『飛行』も、三級特殊技能に分類される。それを思えば、三級特殊技能は“本来”難易度が高い技能なのである。
(博孝君や沙織ちゃんを見ていると、そう思えないからちょっと……)
里香の周囲には、三級以上の特殊技能を習得した者達が多くいる。それは『飛行』であったり、『飛刃』であったり、挙句の果てには『収束』であったりと、一般的には高難度のES能力を習得している。
それが例外的なことだというのは、里香もわかっていた。しかし、身近な者達がどんどん先に進んでいくのを見るのは辛い。
特に、つい最近みらいが発現したという謎の能力。射撃系ES能力を逸らし、博孝が全力で発現した『収束』によってようやく穴を開けることができたというその能力。その頑丈さもそうだが、それ以上に性質の異常さが目についた。
(射撃系ES能力を逸らす……受け止めるでもなく、回避するでもなく、逸らす……そんなことが可能な能力……)
里香は『支援型』だが、それなりに射撃系ES能力も得意である。訓練生時代は同期の中でも博孝に次いで『射撃』の同時制御ができたほどだ。威力に関しては低いが、『構成力』の扱いに関しては高い技量を持っている。
そんな里香からすれば、射撃系ES能力を逸らすというのは尋常の能力ではない。それも相手は『猛毒』と思われる『ES能力者』に、『火焔』を操るベールクトだ。
真正面からぶつかっても強固な盾となり、遠距離から攻撃をされても逸らしてしまう。身近なところで言えば砂原の『収束』に近い頑丈さがあるように思えたが、『収束』では射撃系ES能力を逸らすことなどできない。
(それに、この前の一件で得られた情報の数々……『天治会』の戦力と内情、それに目的……ラプターの目的が世界平和……)
得られた情報に関して精査しているが、この前の戦いで得られた情報の数々はどれも貴重なものだ。特に『天治会』の空戦戦力に関して知ることができた。
第二空戦部隊のラファールに、第四空戦部隊のフェンサー。訓練生時代の任務では第五空戦部隊のフレスコと交戦して砂原が撃破したが、全容が見えつつある。
陸戦部隊に関しては、それほど脅威ではないだろう。脅威なのは空戦部隊に加えて『アンノウン』ぐらいだ。
(でも、『アンノウン』がどれぐらいいるのかが……)
この点は里香にとっても推測が難しい。現在知っている情報としては、『天治会』の中でみらいが乙1024号、ベールクトが丙256号と呼ばれていることだけだ。
(さすがに『アンノウン』が千人以上いるとは思いたくないけど、“上限”が見えないし……)
どんな法則に従ってナンバーが振られているのかわからないが、まだまだ大量の『アンノウン』がいる可能性も捨てられない。これまでの交戦で多くの『アンノウン』を仕留めているが、ほんの一部という可能性もあった。
さすがに何百何千もの『アンノウン』に襲われれば、例え大国だろうとひとたまりもない。他の部隊と比べても即応部隊には『アンノウン』を撃退できる人材が多く配置されているが、それでも“確実に”撃退できるのは砂原と斉藤、博孝と沙織の四人だけである。
攻撃力だけでみればみらいもそこに含まれ、能力的に恭介も可能だろうが、この二人に関しては確実性がない。これが他の部隊になればエースクラスの『ES能力者』でしか撃退できないため、多くても一人か二人程度しかいないだろう。
里香はこれまでに『天治会』と交戦して得られた情報と、味方の情報を脳裏に浮かべていく。それらの情報を組み合わせると、脳裏にはある程度の形が描かれ――。
(駄目……考えがまとまらない……)
組み上げたはずの推論が、“何故か”液体のように形を崩す。奇妙な違和感が思考を邪魔し、里香に明確な答えを導き出させない。
(何か……“何か”が欠けてる……とっても重要で、大切で、キーになることが欠けてる……)
みらいが発現したという能力。その詳細を聞いた時にも違和感を覚えたが、それが形になることはなかった。無理に考えようとすれば頭が痛み、気が付けばそれまで考えていたことが重要に思えなくなっている。
(でも、この違和感は……)
一体、いつから纏わりついているのか。それすらも明確に思い出せず、里香は眉を寄せながら即応部隊の寮へと向かう。
考えても答えが出ないのならば、時間を置いた方が良い――その判断すらおかしい気がした。
腑に落ちない、歯に物でも挟まったような違和感が胸中を占める。里香はどうにも落ち着かず、意識して深呼吸をする。
「ふぅ……はぁ……あれ?」
その途中で車のエンジン音が耳に入り、意識がそちらへと向いた。視線を向けて見れば、やけに疲れた顔で車のハンドルを握る野口と同乗する博孝達の姿が見える。車は部隊員用の駐車場で止まると、扉が開いて博孝達が降車してくる。
博孝の顔を見た里香は、自身が抱えている違和感について相談しようと思った。休日に仕事の話を持ち込むのは申し訳なかったが、直感的にそれが“正しい”と感じたのである。
「…………え?」
しかし、踏み出した足が止まった。里香の目に飛び込んできたのは、車から降りる沙織に手を貸している博孝の姿だ。その行動自体は、博孝ならばおかしいものではない。博孝ならば気を利かせて手を貸すこともある。
――博孝と沙織の間に漂う空気が、これまでにないほど親密なものに変わっていた。
ごくりと、勝手に喉が鳴った。里香は己の目を疑うように瞬きをするが、現実は変わらない。
「博孝……君?」
思わず博孝の名を呼ぶが、それが聞こえるはずもなかった。勘違いだと自分を納得させるには、里香は賢すぎた。そして、直接確認を取れるほど強くもなかった。
踏み出した一歩を引き、背を向けるようにして寮へと足を向ける。
――先ほど浮かんだ違和感や疑問は、全て消えていた。
『ええ、はい、はい……あれはもう俺の手に負える相手じゃないです。監視も限界が近いですね。街中でもまったく気を抜いていませんでした……ええ、これまで通りの襲撃はもう“意味がない”かと……』
即応部隊の基地から三キロメートルほど離れた山の中。ES能力に頼らず、双眼鏡や望遠鏡を使って長距離から基地を監視する人影があった。
『最も気を抜きそうなタイミングを狙ってみましたが、あそこまでいくと動く前に察知されます。これ以上となるとラプターに命じるしかないのでは?』
その人影は携帯電話を片手に持って何者かと会話をしつつ、周囲の気配を窺っている。
『そもそも、あの『穿孔』も常に警戒しています。現在位置も彼にとっては索敵範囲内……いくらなんでも動きにくい』
そう言った後、人影――紫藤の父親である武治は疲れた様子で頷いた。
『……了解しました。可能な限り任務を継続します』
その言葉を最後に通話を切り、武治は大きなため息を吐く。
「……そろそろ、覚悟を決める必要があるか。妻子と“それ以外”なら、俺は……」
苦悩が混じったため息をその場に残し、武治は闇の中へと姿を消すのだった。




