第二十二話:退院
『ES能力者』用の病院に搬送された博孝は、脳の精密検査とES能力での治療を受けるために三日間拘束されることになった。それでも必要なことだと納得し、軽く検査を受けた今は病室に運び込まれている。
博孝としては、“学生”として家族にも連絡を入れたいところではあったが、『ES能力者』として任務に従事していたため、負傷したことや関わった任務については守秘義務が課せられていた。そのため、大人しく検査や治療を受けるしかない。
「あー……入院って嫌なんですよねぇ……ES適性検査を受けた時の検査も嫌でしたけど」
そのため、思わず砂原に対してそんな愚痴を言ってしまう。それを聞いた砂原は、苦笑を浮かべて博孝の頭を指差した。
「『ES寄生体』の攻撃を受けた場所が場所だからな。検査は必要だ。それ以上馬鹿になったら困るだろう?」
「うっわ、ひでえ! 間違っても教え子に言う台詞じゃねえ!?」
「はっはっは。まあ、それだけ元気があれば問題ないだろう。そうだ、そういえば原田少佐があとで見舞いに来られるそうだ。『ES寄生体』の出現に関する後始末もそろそろ終わるだろうしな」
「そうなんですか……」
博孝はお偉いさんと会うのは嫌だなぁ、と内心で呟く。どんな態度を取れば良いのかわからないのだ。そうやって博孝がどうしたものかと考えていると、病室の扉がノックされる。
「む? 少佐が来られるにはまだ早いが……『構成力』も感じないが、誰だ?」
来客が来たことに疑問を覚える砂原だが、ノックを受けたからには応対する必要がある。軽く警戒しながら扉を開けると、そこには訓練校の校長である大場が立っていた。
「大場校長……今日は大事な会議があったのではなかったのですか?」
大場の姿を確認し、砂原は困惑したような声を出す。大場は訓練校の校長ということもあって、多忙な身なのだ。しかし、そんな砂原の問いに大場は苦笑する。
「会議は早めに切り上げた。我が校の生徒が大怪我を負ったと聞けば、じっとしていられないからね。河原崎君、失礼するよ」
そう言って、大場が病室に入ってくる。それを見た博孝は身を起こそうとするが、大場がそれを手で制した。
「ああ、そのままで構わないよ」
「そうですか……では、お言葉に甘えます」
言葉に甘えて、博孝はベッドに身を預ける。まさか校長が駆けつけてくるとは思わず、博孝は柄にもなく緊張した。『ES寄生体』との交戦から、まだ半日も経っていない。
大場は本当に急いで来たのだろう。学校で着ているような普通のスーツではなく、博孝から見ると高級でどこか“偉そう”なスーツを着ていた。その様子からも、会議を切り上げてきたということが窺える。
「怪我の具合はどうかね? 重傷だと聞いたが……」
「ええ。仲間を庇ってちょっと死に掛けましたけど、なんとか生き返りました。いやぁ、体を鍛えておいて良かったです」
沈痛そうな大場の表情をなんとかしたくて、博孝は努めて明るく振る舞う。それを聞いた大場はそれでも表情を硬いままにしていたため、博孝は大場が手に持っている“モノ”に視線を向けた。
「と、ところで校長先生……その右手に持っているものは……」
「ん? ああ、これか。まだこの時間ならお店も開いていたからね。お見舞いだよ」
そう言って、大場は手に持った果物の詰め合わせを持ち上げてみせる。中にはマスクメロンやリンゴ、桃や葡萄、バナナやみかんなどが入っており、高級感溢れるお見舞いだった。
「ひゃっほーい! ありがとうございます! やったぜ! メロンを丸々食べられるなんて初めてですよ! あ、でも全部食べて良いものなのかな……」
大げさに喜ぶ博孝。そんな博孝の様子を見た大場は、驚いたものの笑みを浮かべた。
「どうやら、大事はないようだね。安心したよ」
「一時は危なかったみたいなんですけどね。でも、今はこの通りです。なんなら、リンゴの丸かじりもできますよ!」
そう言って手を伸ばそうとすると、砂原によって叩き落とされる。
「馬鹿者。さきほどの検査結果が出るまで食事は禁止だ」
「ちぇ……そうでした」
手の届かない位置にお見舞いを移動され、博孝は拗ねてみせた。すると、大場は楽しそうに笑う。
「なるほど……砂原君の報告にあった通りだ。なんとも元気が良い」
「うわ……教官の報告とか、すごく気になるんですが……」
きっと、『お調子者』とか『馬鹿』とか報告しているのだろう。そう確信する博孝だった。
大場は博孝の言葉にもう一度笑うと、砂原に目を向ける。
「河原崎君はどれぐらいで退院できるのかね?」
「治療を担当した『ES能力者』によれば、三日もあれば退院できるそうです。小官も同じように見ています。検査の結果次第で変わるでしょうが、この様子なら問題もないでしょうな」
「そうか……たった三日、か」
どこか、陰のある声で呟く大場。死の淵までいっていながら三日で退院できるのは喜ばしいが、それでも、三日後には『ES能力者』として再び訓練校に戻ることになる。それが、とても残酷なことに思えたのだ。しかし、その言葉を聞いた博孝の感想は大きく異なる。
「そうなんですよ、三日も病院にいないといけないなんて……体が鈍るなぁ。あ、そうか、夜中にこっそりと筋トレでも……」
「駄目に決まっているだろうが」
博孝の言葉を、砂原が斬って捨てた。訓練に対しては非常に真面目だが、さすがにそれは許可できない。
大場は博孝の発言を聞くと、どこか悲しそうな顔をした。そして、僅かに逡巡したものの博孝に対する問いを口にする。
「君は先ほど、自分で死に掛けたと言っていたが……それでも、すぐに訓練校に戻りたいのかね? 何か理由があるのかい?」
大場には、博孝の心情が理解できない。十五歳という若さで『ES能力者』となり、未だに訓練校の敷地から出ることもできず、連日授業や訓練に身を費やす。砂原からの報告によれば、博孝は休日でも自主的に鍛錬に励んでいるらしい。
何故そこまで、というのが大場の偽らざる気持ちだった。そこまでして、何になるのか、と。
大場の問いを聞いた博孝はきょとんとした表情を浮かべると、腕を組んで首を捻った。
「何か理由があるのか、と聞かれても……」
理由がないのか。大場は博孝の態度を見てそう思った。疑問を思うこともなく、さしたる理由もなく、『ES能力者』だから訓練に励むのか。この国で『ES能力者』になる“子供”は、それほど悲しい存在なのかと、大場は思った。
しかし、博孝はそんな大場の感情を吹き飛ばすように笑う。
「校長先生、俺はですね、将来空を飛びたいと思っているんですよ」
「……空を、飛ぶ?」
「はい! 明確な切っ掛けとか理由があるってわけじゃないんですが、子供の頃から憧れていまして……今はまあ、『構成力』の感知も出来ない落ちこぼれですが、いずれは夢を叶えたいな、と。だから、早く訓練に戻りたいですね」
一片の迷いもなく、己の“夢”を口にする博孝。笑顔で告げられたその“夢”に大場は大きく息を吐く。
空を飛ぶ。それは普通の人間で言えば、飛行機などのパイロットになるようなものだ。その夢に向かって勉強や努力をしていると言われれば、大場としても頷かざるを得ない。しかも、博孝は『ES能力者』が戦う手段として『飛行』を覚えるのではなく、ただ空を飛んでみたいからだと言う。
(なんとも純粋なことだ……)
そのことを微笑ましく思い、大場は自身が抱いた感情がただの杞憂なのだと悟った。
「そうか……それはなんとも目指し甲斐のある夢じゃないか。私は応援するよ」
「ありがとうございます!」
だからこそ、大場は笑顔で博孝の夢を応援する。それに対して、博孝も笑顔で感謝の言葉を返した。しかし、博孝は途中で何かに思い至ったように額に手を当てる。
「あー……あとはですね、訓練校に戻って友達と会いたいからっていうのもあって……」
「ほう、友達か……もしや、友達ではなく彼女かね?」
博孝の様子を見て、大場はニヤリと笑みを浮かべた。
「あっはっは。女の子の友達もいますけど、彼女じゃないですよ。気が合う親友と、めっちゃ可愛いんだけどからかうと涙目になるんで弄りたくなる子と、“これから”は気が合うかもしれない子ですねー」
なんとも子供らしい言葉に、大場は笑みを深める。
「そうかそうか。では、早く怪我を治さないといけないな」
「まったくです。特に、俺が無事ってわかるなり泣いてくれた女の子がいるんですけど、そのまま気を失いましてねー。ちゃんと無事ってわかってくれていれば良いんですが」
「おや? 河原崎君はその子が気になるのかな? 以前言ったが、恋愛相談にも乗るよ?」
少しばかり笑みの種類を変える大場に、博孝は顎に手を当てて思考を巡らせる。里香が好きかと言われれば、見た目も性格も普段のリアクションも大好きなのだが、異性として好きかと言われると頷けなかった。
「んー……気になるは気になるけど、まだ友達ですねぇ。ま、好きになるか、好きな子ができたら遠慮なく恋愛相談をさせてもらいますよ」
「はっはっは! そうか、その時は遠慮なく来たまえ。いくらでも時間を作ろう。もちろん、その他の相談事でも大歓迎だ」
「うっす! ありがとうございます!」
楽しげに笑う大場に、博孝は頭を下げる。そんな博孝を好ましげに見て、大場はあまり長居をしても迷惑だろうと退室することにした。
大場を見送るために砂原もついてくるが、そんな砂原に向かって大場は楽しげな口調で話しかける。
「君が気に入るのもわかる気がするよ。いや、実に元気で明るく、良い子じゃないか」
「……小官としては、非常に恥ずかしく思います」
そう言って渋面を作る砂原に、大場はもう一度だけ笑うのだった。
入院から三日も経つと、博孝は予定通り退院することができた。検査の結果、特に問題がなかったのである。体の方も、連日『支援型』の『ES能力者』が治療を施してくれたため、問題はない。右腕の傷も額の傷も、全て綺麗に治っていた。
「しかし……額に傷が残っていたら、ちょっと格好良かったんじゃね?」
そんなことを呟きつつ、博孝は訓練校まで“護送”してもらう。『ES能力者』になった当初の時のように、護衛の兵士や『ES能力者』がついたのだ。これには第三十五陸戦部隊の隊長である原田が人員を回しており、四人もの『ES能力者』が護衛についている。
博孝が入院している間に原田と、第一小隊を引率していた藤田が訪れ、博孝へのお見舞いと、藤田が無事であったことに対する感謝を伝えに来たのだ。
『これで訓練生でなければ勲章の申請をするんだが』と笑顔で言われたので、勲章代わりにお見舞いの果物をありがたくいただいた博孝である。そんな博孝の態度が気に入ったのか、訓練校卒業後はうちの部隊に来いとも言われた。その上、訓練校までの護送は任せろと言われたのである。
『ES能力者』が四人、一小隊もの面子を揃えられれば、何の問題も起きないだろう。それでも自分一人のためにここまでしてもらうのは恐縮に思う博孝だったが、藤田の同僚でもある彼らは率先して引き受けてくれたらしかった。
そして何の問題もなく、二時間ほどで訓練校まで辿り着く。
次に敷地外へ出られるのはいつになるのか、と思いつつも兵士が守る正門を通り、敷地内へと運ばれた。そして第七十一期訓練生が使用している校舎が見えてくると、窓から顔を出して周囲の様子を窺う。
現在時刻は午後三時。訓練生は通常ならばグラウンドで実技を行っているはずだった。しかし、生徒達の姿は見えない。
「あれ? おかしいな……」
そう呟きつつも、車は校舎へと近づいていく。教室にも電気はついておらず、授業を行っているわけでもなさそうだった。しかし、寮の傍まで近づくと、玄関で餌を求める熊のようにうろうろとしている恭介がいることに気付く。
「おーい! 恭介ー!」
声を出しつつ手を振ると、恭介もすぐに気付いた。そして驚きつつも笑顔を浮かべると、携帯を取り出してどこかにかけ始める。博孝はそんな恭介の行動を不思議に思いつつ、車が停車するなり扉を開けた。そして護衛をしてくれた兵士や『ES能力者』に礼を言うと、すぐさま駆け寄る。
「おっす恭介、三日ぶり」
「うわ……本当に三日で退院できたんっすね。いや、良かったっすよ……って、その手に持っているのは何っすか?」
「あ、これ? 校長と原田少佐からもらったお見舞い。全部は食べきれなくてさー。つい持ってきちゃったよ。良かったら恭介も食ってくれ。腐ったら勿体ないし」
そう言いつつ、博孝は“右手”に持った籠を持ち上げてみせた。中にはまだいくつかの果物が残っている。もちろん、マスクメロンは残っていない。
「ほれバナナ」
「お、サンキュっす……うーん、俺はあまり柔らかくなってないほうが好きなんすけど」
「贅沢言うなよ。美味いぞ」
「マジっすか……うわ! マジでうめぇっす! なんっすかこれ!? 高級品!?」
「だろ? いやぁ、一体いくらだったんだろ……」
そんなことを呟きつつ、玄関の階段に腰をかけてバナナを食べ始める二人。死に掛けた人間の三日後の行動とは思えないが、本人たちは何も気にしていない。
博孝と恭介は二人並んでバナナを齧り、そこでふと、博孝は先ほど疑問に思ったことを恭介に尋ねることにした。
「そう言えば、なんで寮にいるんだ? 今日って授業じゃなかったっけ?」
「あー……本当はその予定だったんすけど、ほら、初任務で『ES寄生体』と戦うことになったじゃないっすか。あれ、俺達以外の小隊でも『ES寄生体』に遭遇したのがちらほらいたみたいで、けっこうショックが大きかったんすよね……それで、今日までは休みを与えられたんっすよ」
「なるほど……道理で授業も実技もやってないわけだ。恭介はもう大丈夫か? 岡島さんは? 長谷川は聞くだけ無駄だろうから聞かないけど」
「俺はもう大丈夫っすよ。沙織っちもいつも通り。岡島さんについては……」
恭介の言葉に納得し、小隊員の近況を尋ねる博孝。それを聞いた恭介は、にやっと笑って視線を移動させた。
「本人に直接聞いてみたらどうっすか?」
「あん?」
恭介に釣られて視線を移動させると、女子寮の玄関から慌てた様子で里香が飛び出してくる。そして博孝の姿を見つけると、急いで駆け付け―――焦り過ぎたのか、その途中で転んだ。
「ワオ! 顔面から突っ込みましたよ!?」
「……いやぁ、知らせた俺が言うのもなんっすけど、焦りすぎっすよね」
そう言いつつ、恭介は携帯を持ち上げてみせる。どうやら、先ほど連絡を取っていたのは里香だったらしい。里香は何かに躓いたのか、足がもつれたのかは不明だったが、まるでコントのようだと博孝は思った。それでも里香も『ES能力者』であるため、道端で転んでも怪我一つないのだろうが。
「あとは沙織っちと、教官にも連絡したっす。沙織っちは体育館で自主練中で、教官はこの前の件で色々と忙しいみたいっすけどね」
「へぇ……さすが沙織っちはブレねえな。お、岡島さんが起き上がったぞ」
博孝の視線の先で転んだ里香が起き上がり、今度は早足程度の速さで近寄ってくる。ただし、転んで恥ずかしかったのか、顔は真っ赤で涙目だったが。
「おっす、岡島さん」
「か、河原崎君……」
博孝が気軽に挨拶をすると、里香は転んだのとは別の理由で涙を浮かべる。そしておずおずと博孝の傍まで歩み寄ると、僅かに震えながら右手を伸ばした。
「ん?」
里香の右手が、博孝の胸に触れる。そしてしっかりと脈を打っていることを確認すると、安堵するように息を吐いた。
「……うん……良かった……も、もう、大丈夫なの?」
「いやいや、俺よりも岡島さんの方が大丈夫じゃないっぽいけど……鼻、赤いよ?」
転んだ時にぶつけたのか、里香の鼻が赤くなっている。それを指摘すると、里香は顔を真っ赤にして両手で顔を隠した。
「い、痛くないから……」
「そっか。なら良いんだけど……ま、とりあえずこっちは無事回復したよ」
「そ、そう……」
博孝の言葉を聞いた里香は、所在なさげに自身の黒髪を指先でいじる。しかし、不思議そうな目で博孝が見ると、里香は何かを覚悟するように両手を握り締めた。
「あの、あのね? そ、その……ね?」
言い出しにくそうに、里香が博孝を見る。そんな里香の様子に『おや?』と思いながら、博孝は里香の言葉を待った。里香は博孝を真っ直ぐに見つめると、口を開く。
「か、“庇わせて”、その、ご、ごめんなしゃい!」
「あ、噛んだ」
無意識の内に呟く博孝。それを聞いた里香は、口元を押さえながら顔を真っ赤にして俯いた。
「う……うぅ……な、なんで噛んじゃうかなぁ……」
本気で恥ずかしかったのか、里香はかつてないほど顔を真っ赤にしている。それを見た博孝は、口元をにやけさせた。
「いやぁー、退院早々良いものが見れたわー」
「なんっすかねぇ……俺、激しくお邪魔虫な感じがヒシヒシと……」
博孝と里香のやり取りを見ていた恭介は、博孝が持って帰ってきたお見舞いの中からバナナをもう一本取り出し、皮を剥きながらそんなことを呟く。このまま見ていて良いものかと思うが、博孝が戻ってきて嬉しいのは恭介も同じだった。そのため、気を利かせて撤収とはいかない。
俯いてしまった里香を見た博孝は、苦笑を浮かべる。
「心配をかけちゃったみたいで、ゴメンな? でも、岡島さんに怪我一つなくて良かったよ」
「で、でも……わたしを庇ったから、河原崎君が……ぅ……ぐすっ……あ、あんな……お、大怪我し、しちゃ、って……」
博孝の言葉を聞いた里香は、その返答をしている間に博孝の重傷ぶりを思い出したのか、目に涙を溜めてしゃくりを上げ始めた。それを見た博孝は、砂原から言われたことを思い出してため息を吐く。
もしも博孝が死んでいれば、里香はこれ以上の落ち込み様を見せていただろう。下手をすると、立ち直ることもできなかったかもしれない。そのことを考えれば、迂闊な行動だったと言えるだろう。しかし、里香を庇っていなければ、今度は博孝達が逆の立場になっていたのだ。そのことを考え、博孝は困ったように頬を掻く。
「うーん……俺は小隊長として、仲間として、できることをやっただけだからなぁ……あとは、まあ―――」
博孝は僅かに腰を折って里香と目線を合わせ、同年代の女の子にすることではないと思いつつも、里香の頭に手を乗せて軽く撫でた。
「―――これでも、男の子だからな。女の子に傷の一つも負わせたとあっちゃあ、自分を許せないって」
それで死んだら元も子もないと思うが、それでも、今回は生き延びることができたのだ。それならば良しとしようと、博孝は思っていた。
「っ……うぅ……」
そんな博孝の言葉を聞いた里香は、余計に涙を流してしまう。それを見た博孝は、慌ててポケットからハンカチを取り出した。
「あーあー、そんなに泣かないでくれよ。俺は無事だったんだし、な? 鼻も赤いままだし……くっそー、ホントこういう時に治療系のES能力が使えればって思うぜ」
そう言いつつ、博孝は無意識のうちに里香の赤くなった鼻の頭を指で撫で―――瞬く間に、赤みが引いた。
「ん?」
里香が転んで打ち付け、赤らんでいた鼻が一瞬で元の色に戻る。博孝は『何事?』と首を傾げた。
「ふぅ……なんか、本当にお邪魔虫な感じがするっす……嗚呼、バナナうめぇ……ぶふっ!? ひ、博孝!? な、何してるんっすか!?」
そして、そんな博孝を見て恭介が驚愕の声を上げる。ついでに食べていたバナナを噴き出してしまったが、そのことに気付いていないように博孝を指差した。
「な、なにって……岡島さんが泣き止んでくれないから、涙を拭ってだな……」
「違うっすよ! 体! 体! なんで“薄緑色”に光ってるんっすか!?」
「はぁ?」
言われるままに視線を下ろし、博孝は自分の体を見る。
「………………oh」
何故か、英語が口から出てきた。恭介の言葉の通り、博孝の体は薄い緑色の光に包まれていたのである。発色の仕方からして『構成力』が表に出ているだけのようだったが、恭介達が『構成力』を使ってES能力を使う時に現れるのは白い光だ。
「―――って、なんじゃこりゃああああああああああああああ!?」
思わず絶叫する博孝。そんな博孝の声に驚き、里香も体を震わせる。そして、博孝の体が薄緑色の光に包まれているのを見て、目を見開いた。
「あ……そ、それ……」
「なに!? 何か知ってるの!? やばい状態じゃないよね!? このまま一定時間が過ぎたら爆発したりしないよね!?」
「う、うん……ば、爆発はしないと思う……よ?」
「ああっ!? 自信のなさそうなところが不安を誘う!?」
自分の体が突然薄緑色の光に包まれた博孝は恐慌しかけるが、次の瞬間には光が消える。そして自分の体に異常がないことを確認すると、首を傾げた。
「お? おお? な、なんだったんだ……」
その場で軽くジャンプをしてみるが、やはり体に異常はない。強いて言えば、少し疲れたような気がする程度だ。自分の体の様子を確認する博孝を見て、涙が止まった里香が口を開く。
「い、今の……か、河原崎君が治療室に運び込まれた後にも見た、よ? き、傷口を覆っていた光に、似てる……」
「ああ! そう言えばそうっすね! なんか、博孝の体がさっきの光に包まれていたっすよ。博孝はそのあとに目を覚ましたっす」
恭介と里香からそう言われ、博孝はもう一度自分の体を見下ろす。
(二人の話と状況から考えると……もしかして……)
博孝は目を閉じて意識を集中する。入校してから半年間、毎日欠かさず集中力を高めるよう訓練をしてきたのだ。すぐさま集中すると、博孝は自分の中に大きな違和感があることに気付いた。入院している間は体を休めることに注力していたため気付かなかったが、一度意識してみるとその違和感は驚くほど強く大きい。
集中を継続したままでその違和感を“動かし”、全身に行き渡らせる。そして目を開くと、体中が“白い”光に包まれていた。
「―――よっしゃああ! これが『防殻』か―――って、さっきと色がちげえええええ!?」
思い描いた通り『防殻』が発現できたことに喜ぶ博孝だったが、体を包んでいるのは白い光である。先ほどの薄緑色の光ではなく。博孝は頭を抱えた。
「え? なに? なんなんですか? これじゃ駄目なんですか? いや、『防殻』ができたのは嬉しいけど……」
そう言いつつも、『防殻』の発現を維持する博孝。
ようやく、ES能力が使えるようになったのだ。博孝としてはいまいち理由がわからなかったが、それでも、ES能力を使えることに変わりはない。
博孝が恭介と里香の方を見てみると、二人も驚愕で固まっていた。半年間も博孝がES能力を使えないところを見てきたのだ。それがあっさりと『防殻』を発現してみせたことに驚き―――次いで、大きく喜んだ。
「良かったじゃないっすか!」
「う、うんっ。お、おめでとう」
「おお! ありがとう! いや、これがES能力を使うってことなのかぁ……くうっ、涙が……」
あまりの嬉しさに、涙が出そうになる。しかし、博孝の予想とは違い、白い『構成力』が身を覆っているのだ。先ほどはたしかに薄緑色の『構成力』だったのだが、と首を傾げる。
「―――退院早々、騒がしいな」
そんな三人に対して、不意に声がかけられた。博孝達が慌ててそちらを見ると、砂原が苦笑を浮かべながら立っている。そして博孝が『防殻』を発現しているのを見ると、目を細めた。
「“やはり”ES能力が使えるようになっていたか……」
博孝が発現している『防殻』。それは、たしかに自身の『構成力』を感知し、操れていることの証だ。だが、砂原の言葉を聞いた博孝は慌てたように砂原へ詰め寄った。
「やはり……って、わかっていたならなんで教えてくれなかったんですか!?」
「ん? いや、ちゃんと言っただろう? お前の傷がすべて治ったら教えてやる、ただしその前に自分で気付くかもしれん、とな」
さすがに、重傷者にその場でES能力を使ってみろとは言えない。そのため怪我が完治してからと思ったが、見事に博孝はES能力を扱えるようになったようだ。砂原はそのことを嬉しく思うが、同時に疑問も覚える。
「ふむ……“あの時”は薄緑色の『構成力』だったが、今は白色か……何かしらの条件があるのか?」
「え? あ、そういえばさっきも薄緑色の『構成力』が体から出てましたよ。なんでなのかはさっぱり不明ですけど」
「そうか……」
砂原は何かを考えるように目を細めていたが、博孝の状況からある程度推測をつける。おもむろに自身の指を噛み切ると、博孝に示して見せた。
「この傷を治せるか?」
「い、いきなりですね……」
砂原の取った行動に少しだけ引きながらも、博孝は砂原の指の傷に手を伸ばしてみる。しかし何も起こらず、砂原は僅かに眉を寄せた。
「治療系のES能力だと思ったのだが……条件が違うのか、それとも河原崎自身、能力の制御ができていないのか……」
可能ならば色々な条件で調べてみたいが、博孝自身にも何が起きるかわからない。安全に調べるには、博孝自身の『ES能力者』としての腕を向上させ、自力で制御できるようにする必要があるだろう。
そういった研究を行う者もいるにはいるが、ES能力が操れない博孝を送り出したら“どうなるか”わからない。目の色を変えて実験動物扱いされる可能性もあるため、砂原としてはその手は打てなかった。
故に、訓練を通してこれから知っていけば良いだろうと砂原は判断する。そして、楽しそうに博孝を見た。
「折角だ。河原崎、『防殻』を発現したまま両手を重ねて構えろ」
「……なんか嫌な予感がしますけど、こうですか?」
言われるままに、博孝は自身の前面で両手を重ねて砂原に向ける。すると、それを見た砂原が『防殻』を発現させた。その防殻は非常に力強く、『『ES能力者』の技量を見たければ『防殻』を見ろ』という言葉を実感させるほどである。
砂原は気軽に博孝との間合いを詰めると、そのまま博孝の両手に向かって掌底を叩きこむ。すると博孝の体は大きく後ろへと弾かれ―――しかし、倒れることなく踏みとどまった。
「ほう……」
踏みとどまった博孝を見て、砂原が感嘆したような声を漏らす。しかし、掌底を受け止めた博孝は驚きから抗議の声を上げた。
「ビックリしたぁ!? 退院したばかりの生徒にやることじゃないですよね!? やると思いましたけど!」
少しばかり痛む両手を振りつつ、博孝が言う。だが、砂原はそんな博孝を見て、実に楽しそうに笑った。
「『防殻』をきちんと維持できたか……これはますます鍛えがいがあるな」
「……そんな楽しそうな笑顔で言われても、嬉しくないんですが……」
砂原が何を考えているかわからず、博孝は肩を落とす。そんな博孝を見た砂原は、笑みを苦笑の形に変えた。
「すまんな。これまでES能力を使えなかったお前が、まともにES能力を使っているのを見て試したくなった。しかし、中々の防御力だな……今後の訓練次第だが、かなり“伸びる”かもしれんぞ」
「え? マジっすか!?」
砂原の賛辞に近い言葉に、一転して博孝は喜色の色を浮かべる。それを見た砂原は、苦笑のままに頷いた。
「“オリジナル”のESに“適合”した場合、“普通”の『ES能力者』に比べて『構成力』が膨大だったり、特殊な技能を持ったりする場合がある。それでも確率的には一、二割程度だがな。しかし、薄緑色の『構成力』を発現した上、『構成力』も保有量が多いようだ。どうやらお前はその両方だな。“オリジナル”のESに“適合”した者の中には普通の『ES能力者』と変わらない者もいるが、今後の訓練次第では大きく成長できるぞ」
「ほ、本当ですか!? 俺の時代が来る!? 来ちゃう!?」
『防殻』を発現したままで両手を突き上げる博孝。それを見た砂原は、苦笑を引っ込めて真面目な顔になる。
「だが、それも今後の訓練次第だ。怠けたり、増長したりすれば成長を阻害するぞ」
「うっす! 了解です! これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
博孝は砂原の言葉を受け止め、大きく頭を下げる。嬉しいのは事実だが、ようやく他の訓練生と同じスタートラインに立ったのだ。他の訓練生が『防殻』以外のES能力を扱えている以上、早めに追いつきたい。
笑顔の博孝を見た砂原は、これから言おうとしていたことを言うべきか悩む。しかし、重要なことだと判断して、この場にいる三人以外から視線が届いてないことを確認してから三人を促して移動する。
砂原は三人を伴って校舎に入り、教室に入ってカーテンを閉め、周囲に三人以外の『構成力』がないことを『探知』してから口を開いた。
「河原崎……お前が薄緑色の『構成力』を発現したこと、これは他の訓練生には言うな。まだどうやって発現するかもわかっていないが、俺がいない場所で無暗に見せることも禁じる」
「―――え?」
砂原の表情がかつてないほど真剣なものになっているのを見て、博孝は首を傾げる。
砂原は恭介と里香を見て少しだけ思案するが、どの道博孝が薄緑色の『構成力』を発現しているのを知っているため、同時に釘を刺すことにした。
「おそらくだが、お前が発現した薄緑色の『構成力』、あれは独自技能によるものだと思われる。以前話したことがあると思うが、ロシアの『猛毒』、アメリカの『溶解』……独自技能を持つ者は何人か知っているが、それぞれ独自技能を使う際、『構成力』の色が通常と異なるからな。その点を考えると、お前も何かしらの独自技能を使える可能性が高いだろう」
独自技能。その言葉の意味を知識として知っている博孝ではあるが、さすがに自身がその独自技能を使える―――かもしれないと言われれば、砂原の言いたいことも自然と理解できた。
「もしかしてですけど……他の『ES能力者』に知られたら危険、ですかね?」
「使える能力にもよるだろうが、少なくとも他国の『ES能力者』からすれば非常に“邪魔”だろうな」
邪魔という言葉を聞いて、博孝や恭介、里香は体を震わせる。その言葉が意図するところは明白であり、事の重大さに気づいたのだ。
「訓練校の中ならば危険も少ないだろうが、今後は身の回りにも注意しろ。俺も可能な限り注意を行う」
「りょ、了解です」
博孝が想像したよりも深刻そうな砂原の様子に、博孝は僅かな不安を覚えつつ頷いた。
「長谷川も目撃したからな……長谷川には俺の方から言っておく。河原崎は当面“普通”のES能力の制御に注力しろ。そして、もしも薄緑色の『構成力』を発現することができたら、すぐに俺に報告しろ。これは“命令”だ」
「はい!」
少しばかり硬くなった様子で返事をした。すると、それを見た砂原は表情を緩める。
「安心しろ。訓練校にいる限り、俺が手出しはさせん。それに、そこいらの『ES能力者』がお前を襲っても、余裕で返り討ちにできるよう徹底的に鍛えてやる」
「……ありがたいんですが、お手柔らかにお願いします」
砂原の表情に安堵したものの、発言の内容が気になって素直に頷けない博孝だった。そんな博孝を見て、砂原は楽しそうに笑う。
「教導部隊などがあれば、そこに放り込むのが一番安全かつ成長も早いんだろうが……『ES能力者』の教導部隊はないからな。徹底的にしごけば、早い段階で一人前の『ES能力者』になるだろう」
「うわっ、駄目だ、聞いてねぇ……」
お手柔らかに、と言ったはずなのに、砂原は『徹底的にしごく』と言っている。それでも、博孝は『望むところだ』と思う気持ちもあった。ようやくES能力が使えるようになったのだから、いずれは空を飛べるようになるかもしれない。
そう思えば、砂原の言う徹底的なしごきにも耐えられる―――ような気がした。あくまで、気がするだけである。
「とりあえず、明日からの訓練を楽しみにしておけ。今日は退院したばかりだからな。体を休めろ……ああ、『防殻』の練習ぐらいなら許可する」
「了解です」
「岡島と武倉も良いな?」
「りょ、了解っす!」
「は、はい……」
砂原からの言葉に、恭介と里香も頷く。色々と気になることはあったが、混乱していて質問もできなかったのだ。落ち着いてから尋ねようと、二人は思った。
「それでは解散とする」
そう言って、砂原が教室から出ていく。『ES寄生体』と訓練生が戦ったことによる報告書の作成に加えて、博孝の現状についてもまとめる必要が出たのだ。
(訓練校の防衛を行う『ES能力者』や兵士の数をそれとなく増やすよう、大場校長にも相談が必要だな……)
周囲に異常を悟られない程度で、訓練校の防衛を行っている『ES能力者』や兵士の数を増やす必要もあるだろう。少なくとも、大場には博孝の現状を報告する必要がある。
そうやって今後のことを組み立てながら歩き去る砂原を、博孝達はどこか困ったような表情で見送るのだった。