第二百十一話:それぞれの休暇 その5
電灯が照らす機密保管庫の中に、小さな音がいくつも響く。それはパソコンに接続されたマウスを操作する音であり、紙媒体の資料をめくる音であり、里香が白い息を吐く音である。
里香が機密保管庫で作業を始めて既に三日近い時間が過ぎていた。机の上には鍵付きの棚から引っ張り出した資料が山のように置かれ、里香は手慣れた様子でディスプレイ上の情報と紙媒体の資料を突き合わせ、多くの情報を貪るように得ていく。
「……ふぅ」
自分の集中力が切れたことを自覚し、里香は椅子に背を預けて体を伸ばす。三日三晩休むことなく情報を調べていたが、里香の表情に浮かぶのは疲労ではなく思案の色だ。
里香は自分に付与された権限が許す限りの情報を漁っていたが、短期間で全てを調べられるほど資料が少ないわけではない。それでも自分が調べたいと思っていた事項を重点的に調べ、様々な情報を得ることができた。
「『ES能力者』、『天治会』……それに独自技能」
里香は天井に視線を投じ、自分の考えをまとめるように呟く。本当ならばノートなどに情報をまとめておきたいが、里香が見ているのは少佐クラスでないと閲覧できない機密情報だ。間違ってもそれらの情報を形として残すわけにはいかない。
里香が最初に調べたのは、自分達が訓練校に入校してから起きた事件の数々について。そこには博孝と里香が初めてデートをした際に発生した事件――ハリドに襲われたことに関してもまとめてあった。
事件の詳細に、逃げたハリド達を捜索した部隊。事件の当事者である博孝と里香、当時担当教官だった砂原、さらには大場による報告書も存在している。
他にも第七十一期訓練生が行った任務と、それに付随して発生した“問題”の数々についてもしっかりと情報が残っていた。客観的な情報ばかりだが、それでも自分の名前が記されているのは里香としても複雑な気分である。
それらの情報は里香の認識と齟齬がなく、何かしら手が加えられたとも思えない。情報を漁る内に第七十一期訓練生の評定に関しても出てきたが、それも里香が知るものばかりだった。
気を惹かれた点があるとすれば、それは博孝やみらいにかけられていた情報規制に関してだろう。博孝の『活性化』については『大規模発生』まで、みらいの出自については現在も機密指定されていた。
特にみらいに関しては人工の『ES能力者』であるという立場上、里香に与えらえた権限でも閲覧は不可能になっていた。おそらくは少佐相当の権限ではなく部隊長や高位の佐官、あるいは将官クラスにしか閲覧できないのだろう。
里香は資料が置かれた机から離れ、機密保管庫の隅に置かれた小さな机に移動する。そこには売店で買い込んだ飲食物が置かれており、里香は缶コーヒーを手に取ってプルタブを開けた。
考え事をするため、ミルクも砂糖も大量に入った缶コーヒーである。もはやカフェオレに近いが、それでも里香は考え事をしながら缶コーヒーを傾けた。機密保管庫は地下一階で、なおかつ冬ということもあって缶コーヒーは氷のように冷たい。
(機密情報がきちんと扱われているのなら、どこかの“ネズミ”が漏らさない限り伝わらない……日本ES戦闘部隊監督部の環境は知らないけど、中将閣下が引き締めてるから情報漏洩の可能性は低い……そうなると“上”の高官が?)
どこの誰がどうやって情報を『天治会』に漏らしたのか。それは里香にもわからないことであり、調べようのないことだ。しかしその疑問は以前から抱えていたものであり、里香の頭を悩ませている。
『天治会』が何度も襲ってきた件。これは間違いなく意図的なものだろうが、“最初”の頃までそうだったのかはわからない。偶然も三度続けば必然だろうが、だからといって一度目と二度目が“たまたま”起こった可能性もある。
二度目までは本当に偶然で、三度目からは意図的に襲撃を起こした。もしもそうならば、どのタイミングで『天治会』が自分達の――博孝のことを知ったのかと里香は疑問に思う。
『天治会』が博孝を襲う理由に関しては、里香は薄々見当がついていた。博孝にあって他の『ES能力者』にないものを考えれば、それはほぼ確定的だろうと考えている。
「……やっぱり『活性化』に何かある?」
呟きと共に白い息が漏れ、里香は再度缶コーヒーを傾けた。
博孝は訓練校に入校して僅か半年で独自技能をしている。ただし通常のES能力は全く使えず、発現したのは独自技能の方が先だ。
『活性化』が強力な能力だと判断し、早めに博孝を潰したかったのか――だが、それでは『天治会』の動き方が腑に落ちない。もしも『天治会』が博孝を殺すつもりならば、とっくの昔に命を落としていただろう。
里香は缶コーヒーを飲み干し、再び机へと向かう。そしてディスプレイに映し出した情報に目を細め、思考を進めた。
里香が見ているのは、初めて行った任務に関してである。訓練校に入校して半年経った時点で行った、初めての任務。本来ならば簡単に終わるはずだというのに、博孝率いる第一小隊は『ES寄生体』の襲撃を受けた。
この時のことを思い出すと、里香は今でも頭を抱えたくなってしまう。いくら初陣で不意打ちを受けたからといって、呆然自失してしまったのはいただけない。挙句に里香を正気に戻すために博孝が取った手段が――。
「……それは横に置こう、うん」
記憶を頭の隅に追いやり、誰もいないというのに言い訳をするように呟く里香。意識して何度か呼吸をすることで平静を取り戻すと、今になって浮かんできた疑問に考えを巡らす。
初めての任務の際、『ES寄生体』に襲撃を受けた。この点に関して里香はこれまで疑問を持ったことがない。相手は元々動物であり、気配を隠すのにも長けているだろう。そんな生き物の不意打ちを訓練を始めて半年程度の『ES能力者』が察知するのは不可能に近い。
そう、里香達が察知するのは不可能だっただろう。だが、任務には正規部隊員が同行していたのだ。
『ES能力者』として腕を磨いた今だからこそ疑問に思うことだが、任務の際には引率として藤田伍長が同行していた。資料にもきちんとそのことが載っているのだが、藤田は『支援型』の『ES能力者』である。
初任務ということで藤田の技量に関して問う機会はなかったが、藤田は『通話』を発現することができた。そうなると、同系統の技能である『探知』も使えた可能性が高い。それだというのに不意打ちを受けたのは何故なのか。
(藤田伍長が油断していたっていうのもある……かな?)
当時の藤田は引率していた博孝達に任務内容の説明を行っており、周囲にまで意識を配っていたかはわからない。しかし、訓練生が緊張しないようにと若手の『ES能力者』を選んだとしても、ある程度の腕はあったはずだ。
藤田は『支援型』であり、戦闘能力に劣る可能性が高い。だが、その分索敵などは得意だろう。引率する訓練生を危険な目に遭わせないという目的に限れば、『支援型』以上に適切な者はいない。敵が接近する前に逃げるなり応援を呼べば良いのだから。
更に言えば、第七十一期訓練生は初めての任務だった。そのため藤田が所属していた部隊を気を遣い、事前に『探知』を使って『ES寄生体』がいないかを確認していたのだ。
それに加えて、何かあればすぐに駆け付けられるよう部隊の人員を警戒区域のあちらこちらに配置していた。
それらの情報から、里香は一つの結論を導き出す。
――初めての任務の際に遭遇したのは『ES寄生進化体』ではないか?
普通の『ES寄生体』ならば『構成力』を垂れ流しにしているため、勘が良い『ES能力者』なら『探知』が使えずとも気付く。第一小隊の面々も当時は未熟だったが、博孝や沙織は何が起きても反応できるように気を張っていた。
それだというのに、襲撃に気付いたのは藤田が攻撃を受けてからだ。その襲撃自体も時間差があり、二体目の『ES寄生体』の不意打ちも博孝が“目視”することで気付いた。
その時の博孝はES能力どころか『構成力』を扱うこともできなかったが、敵の発見が遅れたことで瀕死の状態に追い込まれている。だが、いくら不意の戦闘で混乱していたとはいえ、里香も恭介も『ES寄生体』の接近に気が付かなかったのは異常だ。
その点、『ES寄生進化体』ならば『隠形』で『構成力』を隠せる可能性がある。里香もこれまで何度か戦ったことがあるが、『ES寄生進化体』は“変身”するまでは『構成力』を感じない。不意打ちを行うには適した存在と言える。
この三日間、過去に起きたことも含めて情報を確認すると、そういった“おかしな点”がいくつも浮かび上がってくる。
初めて戦った『ES寄生体』。休日に外出した先で襲ってきたハリド。さらに、二回目の任務で保護をしたみらいについても作為的なものを里香は感じた。
ハリドに関しては偶然性が高い部分もある。もしも博孝と里香のデートが長引かなければ、タクシーなど利用しなかっただろう。しかし、博孝と里香がタクシーに乗ったのは人気の少ない公園だ。最初から狙われていた可能性を否定することはできない。
そして、里香としてはあまり考えたくないことだが、みらいに関しても疑問がある。第七十一期訓練生は二回目の任務として駆り出され、“安全な”場所に配置された。
任務の詳細に関しては知らされていなかったが、不法な研究を行う施設の制圧だと聞いている。今回里香が改めて情報を確認してみたが、当時聞いていた話と大きな差異はなかった。差異があるとすれば、今回はより深い情報を閲覧できたことか。
資料によると、人体実験を含めて『ES能力者』に関する研究が行われていたらしい。さすがに研究の詳細までは載っていなかったが、それでも正規部隊の警戒が薄い区域に研究所が存在し、それなりに長い期間研究を行っていたようだ。
(研究所を制圧した後、偉い人が何人か“行方不明”になってる……関係者だったと見るべきだよね?)
里香が閲覧した情報には、政府内でポストを得ている人間が複数名失職していたり、行方不明になったと追記されていた。あくまで事件に関する付記だったが、深く考えずともその裏が理解できる。
だが、里香にとってはどこの誰がどうなったかなど気にするところではない。現在里香の思考を占めているのは、何故みらいが第一小隊のところに姿を見せたかだ。
人手が足りないということで駆り出されたが、第七十一期訓練生が配置されたのは警戒網の中でも最外縁部。訓練生を危険に遭わせず、それでいて研究所からの脱出者を漏らさないための配置だったが、みらいは全ての警戒網を潜り抜けてきた。
それは地下を移動することで成されたものだが、いくらなんでも出来すぎているだろう。そして、みらい本人も『誰かに言われたから』博孝達のもとに姿を見せたと証言している。
ただし、みらいに関しては里香もそこまで危惧していない。三年以上共に過ごしたが、不審な点は何もなかった。砂原でさえも警戒を解いている以上、みらいが敵性の存在である可能性は限りなく低い。
里香達が訓練校に入校してからの情報を漁るだけで、これだけの疑問が出てきた。他にもいくつか気になる点があったが、里香にとって重要なのは“最初から”何かしらの介入が存在していた可能性である。
もしも里香の疑問全てが仕組まれたことならば、それを仕組んだ相手は余程“腕”が長く、用意周到で、なおかつ執念染みた“何か”を抱えているのだろう。一介の訓練生だった博孝に対してわざわざここまで手を打っていたのなら、いっそ狂気すら感じる。
無意識の内に、里香は背筋が震えるのを感じた。機密保管庫の中はたしかに寒いが、『ES能力者』が震えるほどではない。純粋に恐怖と畏怖が里香の体を震わせたのだ。
全ては里香の推論であり、確証があるわけではない。しかし里香の勘は己の考えが正しいと訴えており、思わず頭を抱えてしまう。
軽く藪を突いたつもりで、蛇どころか魑魅魍魎が溢れ出た気分だ。『天治会』は世界各国にシンパがいると聞いているが、日本だけに限っても深く根を張っているように思える。それが世界中となると、どれほどになるのか。
自分達が戦っている相手は予想以上に厄介かもしれない。里香はそう内心で呟き、口元に手を当てる。下手に言葉にすれば、それすらも聞かれるかもしれない。そんな荒唐無稽な心配すら頭を過ぎるが、その可能性を否定できるわけではなかった。
優花の護衛任務の際、里香は一つの手を打っている。それは敵の動き方を誘導することにより、どこからどの程度の情報が漏れているかを確認するためだ。
その結果、博孝が率いていた第三空戦小隊と砂原は白、士官組は限りなく白に近いグレー。部隊員は――黒に近いグレー。
部隊員が怪しいと言っても、全員がそうではない。里香が疑っているのは第二空戦小隊のメンバーと陸戦部隊員の数名だ。
第二空戦部隊は優花を連れて避難しようとした博孝達を途中まで護衛しており、博孝達の動向を最後まで確認することができた。陸戦部隊員の中には配置的に博孝達の進路を把握できる者が存在し、里香の判断を迷わせている。
同じ部隊の仲間を疑いたくはない。そんな感情と冷静な理性がぶつかり合い、里香は大きなため息を吐く。
予測は立てられるのだが、内通者がいたとしてもどうやって情報の受け渡しをしているかわからない。即応部隊全員に気取られない技量を持つ諜報員が伏せていた、と考えた方が無難かもしれない。
手慰みに自分の髪を指に巻き付け、里香は何度目かになるため息を吐く。里香が想定もしてないような監視方法が存在する可能性まで考えれば、いくら考えても埒が明かなかった。
「全部推測の域を出ないのが厄介だよね……」
里香からすれば様々な糸がつながっているように見える。しかし、客観的に見れば偶然で片付けられる要素が混じっているのも事実だ。
もしも本当に里香の推測通りであり、なおかつそれ以外にも“目的”が存在していたらお手上げである。参謀という役職に就けられた身で情けなく思うが、現状の見えない相手ですら自分よりも遥かに上の指し手だ。
操り糸を手繰る相手がわからない以上、即応部隊は受け身になるしかない。相手は自由に手を打てる以上、この差は致命的だろう。『天治会』が所有する秘密基地でもあれば襲撃を陳情するが、それすらも可能とは思えない。
ひとまずこれらの情報をまとめ、後で砂原に報告するべきだろう。対策に関しては砂原と協議し、部隊としての意思決定をしなければならない。
里香は疲れを解すように目の周辺を指で揉むと、気分転換を兼ねて他の資料を読み始める。ここ数年の資料を重点的に漁っていたが、過去の資料を調べることで見えるものもあるかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、里香は七十年近い過去の資料を開く。第二次世界大戦の半ば、世界で初めて『ES能力者』が確認された時期に関してまとめた資料だ。
資料の中で目立つ名前は里香も知っている源次郎のものだ。『武神』と呼ばれ世界で最古、現代においては最強とされる『ES能力者』。
しかし、源次郎の活躍に関しては一般の学校でも歴史の一環として学ぶ。さすがに訓練生時代にはもっと詳細に学んだが、精々一般の学校で学んだことを掘り下げた程度だ。
過去の大戦において劣勢だった日本。それをほぼ対等な状態まで持ち直した存在こそが源次郎である。結果的に講和という形で落ち着いたが、他に『ES能力者』が存在しない時代ならば源次郎一人でも世界を相手に戦えただろう。
(……え?)
いや、待て、と里香の理性が警鐘を鳴らした。たしかに『武神』と呼ばれる源次郎ならばそれも可能かもしれないが、戦争とはそんなに簡単に片付くものではない。いくら源次郎の力が突出していたとしても、一人で全てを覆すのは不可能だ。
源次郎の名前が歴史に出てきたのは1943年2月1日。当時ガダルカナル島に展開していた敵戦力と交戦し、単独で全てを討ち果たすという大功を残している。詳細な数まではわからないが、多くの戦闘機や軍艦を撃退していた。
里香は資料を漁ってみるが、同時期の日本ではガダルカナル島から一万人近い戦力を撤退させる『ケ号作戦』を予定していたらしい。源次郎の行動はその作戦を支援するためかもしれないが、敵を混乱させるどころか殲滅している。
源次郎ならばそれも可能だろう。だが、里香は真逆に考える。
――何故源次郎はそれが可能だったのか?
戦闘の詳報は紛失したのか、大まかな話しか載っていない。空を飛んだ源次郎が戦闘機を破壊し、海を往く軍艦を破壊したという情報が残っているぐらいだ。
(中将閣下は空を飛んでいた……つまり、『飛行』を発現していた……『ES能力者』にとっては大きな壁である『飛行』を使いこなしていたと考えて……“どうやって”『飛行』を覚えたの?)
現代の『ES能力者』ならば、数は少ないとしても空戦の者がいるため『飛行』の存在を知ることができる。しかし、源次郎は世界で初めて確認された『ES能力者』――正確には『ES適合者』のはずだ。
『構成力』の扱いに関しても、独学で学ぶには難しい。ましてや、『飛行』を発現できるほどに精緻なコントロールを身につけるのは至難の業である。
手本となるべき師もいない状態でどうやって『飛行』を身につけたのか。もしかすると、他人の教えを必要としないほど源次郎の才能が優れていたのかもしれない。その可能性はあるが、才能だけで『飛行』を身につけるのは不可能だろう。
『ES能力者』に関してある程度の情報が存在する現代ならばともかく、一人目の『ES能力者』であるはずの源次郎が何故『飛行』を発現したのか。
世界的に見れば初めての事例であり、例えるなら砂原が『収束』を開発したことと同様の難事だ。先達がいないことを思えば、砂原以上の困難があったとしても不思議ではない。
(世界で初めて確認された『ES能力者』……それなのに『飛行』を使って空を飛んで、戦闘機や軍艦を破壊する攻撃力もあった……)
里香にとって身近な人物で言えば、博孝や沙織も似たようなことができるだろう。ただし、博孝も沙織も砂原の元で厳しく鍛えられ、何度も実戦を経験したからこそ現在の技量まで至ったのだ。
“本当に”源次郎が世界初の『ES能力者』ならば、一体何年の研鑽が必要になるのか。
(中将閣下よりも先に『ES能力者』が存在した? でも、それなら歴史にも残っていないのはおかしい……意図的に改ざんされているとか……そうだとしてもわざわざ改ざんするメリットが……)
様々な考えが頭を飛び交うが、まるで頭の中の霧が晴れたような気分だった。次々に疑問が浮かび上がり、それに対する推察が湧き出てくる。
他の年代の資料に目を通しても、おかしな点が転がっていることに気付いた。『ES寄生体』の発生や『天治会』の活動が目立ち始めた時期、『ES世界大戦』など、どうして気付かなかったのかと言わんばかりの情報が載っている。
それらの情報を頭の中で整理し、里香はふと時計に目を向けた。考え事に没頭していたせいで気付かなかったが、日付が一月三日になっている。前半組として帰省していた部隊員達も昨日の内に基地に戻り、後半組が帰省を開始する日だ。
時刻は午前五時を指しており、里香は一体何時間集中していたのだと自分に対して呆れてしまった。もう少し時間が経てば日勤の者達も活動を始めるため、そのタイミングで一度砂原と話をしておこうと里香は思う。
(……あれ? わたし、何を調べていたんだっけ?)
解く予定がなかった難問が解けたような快感が頭を支配していたが、里香は冷静さを取り戻す。『天治会』などについて調べることによって今後の部隊運用に役立てるはずだったが、脇道に逸れ過ぎた。
里香としては非常に重要な情報を得た気分だったが、七十年近い昔に起きた事象に関して突然報告されては砂原も混乱するだろう。
(いけない……興味が惹かれるままに思考が暴走しちゃった……)
研究者としては良いのかもしれないが、里香は軍人だ。まずは必要と思われる情報をまとめるべきだった。
(色々と“つながる”情報は手に入った……あとは『天治会』が博孝君を狙う理由、『活性化』についてかな……)
博孝が保有する独自技能の『活性化』。これは里香にとっても馴染みのある能力であり、博孝には何十、何百回と使用してもらった。そのためどんな効果があるかは体感しており、『活性化』の便利性についてはよく理解している。
『ES能力者』の身体能力や『構成力』を増強し、『構成力』のコントロールすら正確にするため、ES能力の使用、習得にも向いた能力だ。戦闘面でも役に立つが、普段の訓練などにも使用できるため汎用性が高い。
能力の発現についても複数の相手に発現が可能であり、指揮官適性が高い博孝にはピッタリな能力だと里香は思う。さすがに大量の相手に発現することはできないが、博孝にとって最も適性がある小隊指揮には過不足ない。
欠点があるとすれば、発現の際に『構成力』ではなく博孝の体力を消耗することだろう。『活性化』に慣れた現在はまだマシだが、発現したての頃には五分程度発現するだけで倒れていた。体力の調節さえ上手くできれば支援系の能力としては最上級だろう。
独自技能に相応しい能力だと里香は思う。だが、『天治会』が博孝の身柄を狙うには物足りない気がした。
自分自身だけでなく仲間の能力を一時的に底上げできるため、劣勢を巻き返すなどの戦術的な効果は期待できる――しかしそれだけだ。ベールクトが操る『火焔』の方が余程戦闘向きな能力だろう。
(わたしがそう考えてるだけで、『天治会』から見れば狙う価値がある能力なのかな……)
博孝はハリドから『天治会』に来るよう誘われたこともあり、その点からも『天治会』が博孝に執着しているのは明らかだ。かといって敵に回ったからと殺すわけでもなく、ラプターと戦った際は博孝を見逃している。
里香は独自技能に関する資料が納められたフォルダを開き、これだと思うファイル名の閲覧を始めた。データベースに納められている情報では、世界各国でも有名な独自技能に関して記されている。それらの名前と説明を見た時、里香は大きな疑問を覚えた。
(使い方次第かもしれないけど、データベースにある能力って全部攻撃向きな気が……)
博孝の『活性化』のように味方を支援するために使えそうな能力は載っておらず、里香は首を傾げる。
独自技能の全てが載っているわけではないため、他の国には『活性化』に似た独自技能を持つ『ES能力者』がいる可能性を否定できない。しかし、データベースに並ぶ名前を見る限りその可能性は低く思えた。
(以前博孝君が交戦した敵……時間の経過と共に能力が向上した技能は……載っていないや。きちんと確認された能力じゃないからかな?)
これも一つの疑問だろう。里香はしっかりと記憶し、他の独自技能と『活性化』の差異について考える。
(自分だけでなく他者にも使える……でも、その能力を使って他者に影響を与えるという意味では一緒……直接攻撃か能力の向上かの違いぐらい……能力の向上……向上……)
自分の思考に引っかかる部分があったため、里香は心中で何度か『能力の向上』と呟く。能力の向上と一言で片づけていたが、それはどうやって成されているのか不明だった。
ゲームの魔法のように呪文を唱えて能力が向上する、というような単純な話ではない。その点で言えば治療系ES能力も似たようなものであり、他の『ES能力者』の傷を治せるのはおかしな話だ。
以前博孝が敵と交戦したことで左腕が千切れた際、宇喜多の『修復』によって治療を行った。その時は完治するまでに一ヶ月近くかかり、里香は疑問を覚えたのである。
綺麗に切断されたのならば短時間で回復し、逆に腕がなくなっていれば『復元』を使って長い時間を治療に当てる必要があった。
博孝の場合は殴られたことで腕が千切れたため、傷口はボロボロである。宇喜多の『修復』で“欠けた肉体”が補填された形になるが、その結果が完治まで一ヶ月という期間だ。
里香は『ES能力者』ではなく普通の人間、通常の医学として考えてみる。指などを切断した場合、傷口が綺麗なら縫合することで元に戻る可能性はあるだろう。しかし、博孝が負った傷は通常の医学で治すのは限りなく不可能に近い。
千切れたことでなくなった肉体部分に対し、『修復』を発現することで足りない部分を“埋めた”。そうすることで腕はつながったが、元通り動くようになるまで時間がかかっている。
それでも一ヶ月という短期間で元通り動くようになるのだから、現代医学に喧嘩を売っているようなものだ。普通ならばリハビリだけで長い期間が必要になるだろう。
いくら『ES能力者』の肉体が人間離れしているといっても、肉体の構造は人間の頃のままだ。傷つけば痛みがあり、血も流れる。普通の人間だった頃と比べれば差はあるが、食欲や睡眠欲、性欲などの三大欲求も存在する。
欲求に関しては、『ES能力者』として長く生きると徐々に減じていく。博孝のように数年で一気に技量を伸ばした場合もそれに近く、今の博孝は訓練校に入校した当時と比べてその辺りの欲求が減っているだろう。それは里香も同様だ。
――そもそも『構成力』に関してもよくわからない。
『ES能力者』の根幹を成す力だが、その実態は解明されていない。里香も考察と検証を行っているが、上手く説明はできなかった。
尽きれば死ぬという、『ES能力者』を構成する力。時には光弾として飛ばし、時には武器に姿を変え、時には傷を癒し、時には空を飛ぶための力になる。ここまで解明や説明が難しい力は他になく、里香は頭を悩ませていた。
だが、里香は最近になって一つの仮定を組み上げる。その切っ掛けとなったのは『天治会』の先兵である『アンノウン』だ。
死ねば露と消えてしまう『アンノウン』の姿に、里香は『ES能力者』を重ねている。『アンノウン』を倒すことができる『ES能力者』は少なく、高い攻撃力を発揮しなければ傷をつけることもできない。
『アンノウン』は『防壁』すら発現していないというのに、『射撃』などを容易く防いでしまうのだ。
そして、その結果こそが里香に推測の取っ掛かりを与える。何故ならば、相手に攻撃が通用しないというのは里香が何度も苦しんできたことだからだ。
もしもの話だが、全力で『収束』を発現した砂原に対してどれだけの『ES能力者』が傷をつけられるだろうか。本気の砂原と対峙した場合、生半可な攻撃では効果がなく、一方的な蹂躙を受けるだろう。
そのことを思えば、『アンノウン』は自分達よりも上位の存在なのではないか、と里香は思う。『アンノウン』に攻撃が通じる者は、『ES能力者』以上のステージに立っているのではないか。
『アンノウン』は体術も戦術も未熟極まりないが、その身体能力だけで並の『ES能力者』を圧倒する。その攻撃は『ES能力者』の防御を貫き、その防御は『ES能力者』の攻撃を防ぐ。
里香は『アンノウン』を『探知』で見つけることができない。しかし、博孝やみらいは『アンノウン』が接近すればそれを感じ取る。
その精度が砂原よりも上というのは腑に落ちないが、“一定以上”の技量に達した『ES能力者』ならば『アンノウン』に気付いている節があった。それは、『アンノウン』と同等以上の存在だからと考えられないだろうか。
(でも、もしもそうだったら……)
里香は己の思考が行きつく先を悟り、その身を震わせた。
――多少の違いはあるかもしれないが、『ES能力者』は『アンノウン』と“同じモノ”になる可能性がある。
ベールクトと戦った博孝によれば、ベールクトも『アンノウン』の一種らしい。『アンノウン』と同様の身体能力加えて『構成力』を持ち、独自技能を発現している。そういう点では、ベールクトこそが『アンノウン』の発展系ではないか。
『ES能力者』は人と同じ姿をしており、その趣味嗜好は普通の人間だった頃のままだ。普通の人間に比べれば遥かに遅いが時間の経過で加齢し、外見も変化する。寿命で死んだ者がいないため確証はないが、普通の人間と比較すれば三百年程度で寿命を迎えるだろう。
――寿命で死ぬ体ならば、だが。
『アンノウン』が死んだ場合、霧のように消えてしまう。その点、『ES能力者』は体が残る。しかし、“今後”もそうである保証はない。
『ES能力者』として成長することは、人間から離れることと同義だ。各種法則を無視したような能力を振るい、挙句には空を飛ぶようになる。その先に何があるのか里香にはわからないが、ロクなものではないだろうと思う。
(人間の体というよりも、『構成力』の塊が人間の体のように見えているだけなんじゃ……)
自分の両手を見下ろしながらそんなことを考え、里香は血の気が引くのを感じた。血の気が引いた感覚すらも、実際にはただの錯覚かもしれない。
(でも、そうなると博孝君の『活性化』って……)
考え過ぎたのか、頭が痛い。里香は額に手を当て、根を詰め過ぎたかと頭を振る。
(と、とにかく隊長と話をしなきゃ……)
考えはまとまっていないが、非常に重要なことだと里香は思う。一人で抱え込むには荷が重く、機密を調べて推察した以上は砂原ぐらいしか話せる相手がいない。
時間を確認すると、いつの間にか三時間も経っていた。今ならば砂原は自室か食堂にいるだろう。時間を取らせる形になるが、情報は共有しておきたい。
そう判断した里香はパソコンの電源を落とし、紙媒体の資料も鍵付きの棚に戻して鍵をかける。再度情報を確認する際に手間だが、機密資料である以上は仕方なかった。
機密保管庫の鍵をかけ、里香は外に出る。細い廊下の先にある階段を登り、扉を開けて業務用施設の一角へ出た。
もしもこの時里香が冷静さを保っていたならば、直接足を運んで砂原を探すという行動は取らなかっただろう。『通話』を使うなり、携帯電話を使うなり方法があったはずだ。
心のどこかで盗聴を警戒していたのだろうが、先に砂原と連絡を取ることができていれば――。
「…………?」
声をかけられたような気がして、里香は振り返った。すると次の瞬間、急速に意識が遠のき始める。膝から力が抜け、床に倒れ込む。
「ぁ……」
里香は咄嗟に助けを呼ぼうとするが、それも叶わない。遠のく意識を止めることはできず、里香はそのまま意識を失うのだった。
「そういえば、博孝は結局おみくじを引きに行ったんすか?」
「……ああ。行ったよ、行ったさ……気合いを入れて引きに行ったさ……」
「……その反応を見る限り、今年も悪かったみたいっすね」
「いや、白紙だった」
「え?」
「印刷ミスなのか、何も書いてなかった。これはアレか――自分の未来は自分で決めろってことなのかね」




