第二百二話:要請 その7
ベールクトは、初めて相対した“強者”に対して戦慄に近い思いを抱いていた。自身と『アンノウン』による一個中隊を率いて正面から突撃してみたものの、砂原は驚異的な技量で対抗している。
砂原が率いる部下三人に同数の『アンノウン』を当て、砂原には様子見を兼ねて『アンノウン』二個小隊をぶつけ――その判断をベールクトは後悔した。
ベールクトの『火焔』は多対一に向いている能力だが、制御が甘いため味方を巻き込む恐れがある。そのため、『アンノウン』が群がるように砂原へ襲い掛かっている現状では、迂闊に『火焔』を使うわけにはいかなかった。
「……すごいわぁ」
砂原の戦い振りを眺めながら、ベールクトは震えるように息を吐き出す。『穿孔』とあだ名される砂原に関しては、『天治会』の中でも要注意人物として扱われている。
日本だけでなく世界各国に存在する『ES能力者』――その中でも強者かつ警戒に値する者だけが要注意人物としてリストアップされているが、砂原はリストの中でもトップに載っている。
それがどれほどのものかとベールクトは思っていたが、“こういうこと”かと深く納得した。何故『武神』を差し置いて砂原がトップなのかと、強く実感した。
常に全身を『収束』で覆っており、その攻撃力も然るものながら、防御力がずば抜けている。『万能型』として発現できるES能力もバランスが良く、体術も指揮も得意だ。接近戦においては世界を見回しても指折りだろう。
下手をすると器用貧乏という一言で片づけられそうだが、砂原は全ての分野を高いレベルで修めている。そこに『収束』という技能を加えれば、難攻不落の要塞じみた性能を発揮してしまう。
どんな相手の攻撃だろうと防げるだけの防御力を持ち、なおかつどんな相手の防御だろうと貫けるだけの攻撃力がある。一撃に特化しているというわけではなく、単純に“強い”のだ。
「ラプターが仕留め損なったというのも、納得ね……」
熱のこもった視線を向けた先には、砂原の姿がある。一対八、それも並の『ES能力者』では撃退すら容易ではない『アンノウン』が相手にも関わらず、己の体術だけで全ての攻撃を捌いていた。
戦いの場は地面の上ではなく、空中だ。前後左右だけでなく、上下に斜めまで加わり、四方八方から襲い掛かってくる八人の動きを捉えることすら困難だろう――本来は。
「ふむ……以前戦った者と比べ、僅かとはいえ技量が向上しているな。君達も訓練などを行うのかね?」
しかし、砂原は全ての攻撃を捌きながらベールクトに話を振ってくる。繰り出される拳を、蹴りを、その全てを両手と両足、さらには肘や膝まで駆使して捌き、余裕の態度を崩さなかった。
例え背面から攻撃を行おうと、まるで背中に目があるのかと思う程に軽々と対応する。砂原の部下達は一対一で対応するのがやっとの有様であり、その技量差にベールクトは敬意と称賛を抱いた。
「あら、技を磨くのが自分達だけだと思うのかしら? 強くなるのは自分達だけで、相手はただ怠惰に過ごすとでも?」
「正論だな。まだまだ未熟だが、多少なりとも研鑽の跡が見える」
ベールクトの言葉に頷きつつ、砂原は『アンノウン』の攻撃を捌き続ける。やはりと言うべきか『天治会』、それも『アンノウン』は自分達の“性能”だけに頼って戦うわけではないらしい。
砂原からすればまだまだ粗削りで、率いている部下にも到底届かない技量でしかない。しかし、今後もそうであるという保証はなく、ベールクトの言葉によってそれは肯定された。
「数を恃んで戦うのも手だが、君達にはそれほどの戦力があるのかね?」
「さあ……それはどうかしら?」
攻撃を捌きながらも情報を聞き出そうとした砂原だが、さすがのベールクトでもそこまで話しはしなかった。防戦一方に見えれば口を滑らせるかと思ったのだが、余裕があると見抜かれているらしい。
砂原は内心で嘆息しつつ、『通話』で後方に声を飛ばす。
『こちら砂原。状況に変化は?』
『こちら岡島です。遺体を安置していた倉庫で異常が発生、第六空戦部隊の方が斉藤中尉に襲い掛かりました』
ピクリ、と砂原の眉が動く。応答したのは里香だったが、その内容は看過できない。
『被害は?』
『倉庫が半壊しましたが、部隊に被害はありません。暴走した方は斉藤中尉が強引に眠らせました』
敵の襲撃ではなく、味方が襲い掛かってきた。普段ならば驚愕するべきだが、砂原としては“初めて”の事態ではない。
『警戒を強めろ。おそらくだが、『ES能力者』を操る敵が潜んでいる』
過去にも同じ事態に遭遇したことがある砂原は、警戒の度合いを高める。駐屯地に配置してある戦力は大きいが、その戦力自体が敵に回るのは厄介過ぎた。
『倉庫にいたのは二名です。一名が攻撃、一名は気絶していました』
『もう一人も拘束だ。何があるかわからん』
戦力としては、心配する必要はない。斉藤に間宮、それに博孝達がいる。護衛対象である柳が残った面子の中では最も腕が立つというのも、安心材料だ。
「あらあら、何かあったのかしら?」
無言で攻撃を捌く砂原を見て、ベールクトが笑顔で問いかけた。その口調には含みがあり、砂原も“笑顔”で返答する。
「なに、思わぬところにネズミがいたのでね」
「ネズミですか。大変ですねぇ」
他人事のように言い放つベールクトの姿に、砂原は笑みを深めた。
「ああ、大変だ。だから――」
声が一気に低くなる。両横から繰り出されていた『アンノウン』の攻撃を弾いて逸らし、攻撃に転じた両手が二人の『アンノウン』の心臓を同時に抉り抜く。
「君には“他のネズミ”について聞きたいのだが……どうかね?」
一撃で防御を貫き、二人の『アンノウン』を即死させた砂原は笑顔のままで尋ねた。一秒にも満たない時間で戦力の四分の一が消滅した『アンノウン』達は、思わず砂原から距離を取る。
だが、それは悪手だった。距離が開くや否や、砂原は全力で『爆撃』を発現。体ごと消滅させると言わんばかりに空間が炸裂し、二体の『アンノウン』が文字通り吹き飛んだ。
「少々頑丈だが、俺にとってはそれだけだ。技量も未熟、遠距離攻撃の手段もない――それだけの戦力で止められると思うな、小娘」
厳然と言い放つ砂原に、ベールクトは体の芯が震えるのを感じた。砂原に関しては、保有するES能力や技量に関して豊富な資料がある。『ES能力者』として何度も激戦を潜り抜け、あだ名されるほどに有名なのだから当然だ。
しかし、資料と実物では大きな差があった。ここまでとは、とベールクトは心底称賛したくなる。
たしかに『アンノウン』の技量は高くない。だが、それを補って余りある身体能力と“特性”を備えている。それらによってもたらされる戦闘能力は、並の空戦『ES能力者』では防戦するのがやっとだろう。
それに対して、砂原は並の『ES能力者』ではない。『収束』の頑丈さは『アンノウン』の上を行き、攻撃の鋭さは『アンノウン』の肉体を容易く貫く。
「すごい……すごいわおじ様! どうしてそこまで強いの!? どうしてそこまで強くなれたの!?」
ベールクトの口から漏れたのは、純粋な疑問だった。その疑問には多くの称賛と敬意が混ざっており、砂原は敵からの賛辞に思わず眉を寄せてしまう。
「何十年も研鑽を積めば、誰でもこうなる」
「何十年……」
まるで、砂原が口にした何十年という時間に思いを馳せるようにベールクトは呟く。何十年も訓練を行い、何回も、何十回も、何百回も死線を潜り抜ければ嫌でもこうなる、と砂原は言う。その“過程”に、ベールクトは何故か羨ましそうな、切なそうな顔をした。
「そう……本当にすごい。でも、“勿体なく”も思うわ」
思わぬ言葉に、砂原は小さく首を傾げる。何故『勿体ない』という感想が出てくるのか、砂原にはわからなかったのだ。
「それはどういう――」
ベールクトの様子から、聞けば答えるかもしれない。そう思った砂原だが、言葉の途中で『探知』の範囲に『構成力』が出現したため口を閉ざす。
その『構成力』の数は十二。第六空戦部隊の一個中隊が地上を移動してベールクト達の背後を取ろうとしていたのだが、隠していた『構成力』を突然発現したのだ。そして、来た道を辿るようにして駐屯基地へと向かい始める。その速度は速く、僅かに視線を向けて見ると『飛行』を発現しているのが目視できた。
『北条少佐、貴官の部下達が基地へ戻っていますが、何か問題が?』
ベールクト達と相対しつつ、砂原は第六空戦部隊の隊長である北条へ『通話』で声を飛ばす。すると、怪訝そうな声が返ってきた。
『そんな指示は……大尉、応答したまえ大尉!』
中隊を率いている大尉に呼びかけるが、返答はない。そのことに北条は疑問を覚えるが、部下に指示を出して迎撃態勢を取らせる。先ほどの軍曹の件もあるため、油断はできない。
「……一応聞いておくが、君が何かしたのかね?」
「わたしが? 笑えない冗談ね。あんな陰湿な真似は嫌いだわ」
尋ねる砂原に対し、嫌そうな顔をするベールクト。そこに嘘は見当たらず、ベールクト以外の“何者”かの仕業ということだろう。
この時点で砂原は味方の一個中隊に“何か”が起きたと断定している。
(だが、基地の内部でも問題が起きている……『ES能力者』を操るような敵が複数潜んでいるのか?)
それはまずい、と砂原は思った。空戦の『ES能力者』だろうと操られるのならば、戦力が一気に減ってしまう。駐屯基地に一個中隊が操られているのならば、それは大きな脅威となるだろう。
『北条少佐、彼らは操られている可能性があります。戦闘不能な状態まで追い込めば正気に返るでしょう』
『それは……』
北条の声色に、得体の知れない事態に対する不安が混じる。『ES能力者』を操る“かもしれない”敵が存在するという情報は、一個大隊を率いる北条の耳にも届いていた。それによって第七十一期訓練生が惨事に巻き込まれたと、ある程度の情報は知っている。
(……少しばかりまずい、か)
叶うならば、一個中隊を操る敵を捕捉したい。しかし、眼前にはベールクト達がいるのだ。更に、一個中隊は山林を移動していた。夜間に敵を捜索するのは困難極まる。
『探知』に引っかかる者がいれば楽なのだが、敵も『構成力』を漏らすという真似はしていない。もしかすると、『アンノウン』のように『探知』に引っかからない可能性もある。
悩む砂原を前に、ベールクトは動かない。静かに微笑み、砂原を眺めている。
駐屯基地へ戻りたいところだが、そのためにはベールクト達を片付ける必要があった。だが、現状では攻守が逆転している。今まではベールクト達を足止めしていたが、今度はベールクト達が砂原達を足止めするだろう。
『こちらは時間がかかる。斉藤、部隊を取りまとめて護衛対象の安全を確保しろ』
向かってくるのならば、時間がかからなくて済む。だが、ベールクト達は防戦の構えを取っていた。
そのため砂原は斉藤に指示を出し、柳の安全を優先するように命令する。
『あー……隊長、そいつはちょっと厳しいかもしれません』
『……何?』
芳しくない斉藤の言葉に、砂原は耳を疑った。戦力で言えば、まだ余裕がある。個人的な武勇においても、斉藤や柳がいるのだ。一個中隊が操られようとも、持ちこたえるのは容易だろう。
『河原崎兄妹が何かに反応しています。おそらくは『アンノウン』かと』
『……河原崎少尉、何があった?』
博孝に『通話』をつなげると、即座に返答がある。
『妙な気配があります。『アンノウン』だと思うんですが……気配が曖昧で確証がもてません。みらいも同じように感じています』
その報告に、砂原は一体どこから敵が湧いてきたのかと舌打ちをしたくなった。『探知』に引っかからないというのは、厄介極まる。
『可能な限り早急に合流する。それまで柳の身を守れ』
『了解!』
博孝からの返事に少しだけ満足すると、砂原はベールクト達を殲滅すべく飛び出すのだった。
砂原との『通話』を終えた博孝は、周囲に意識を向けながら小さくため息を吐く。その隣には毛を逆立てる小動物のような様子で警戒するみらいの姿があり、自分だけの思い過ごしではないのだと確信を深めた。
「『アンノウン』といい、“この気配”といい、最近は変な敵ばっかりだなぁ……」
「うん……へんなの、いる」
ため息が混じった博孝の声に、みらいは言葉少なく答える。沙織と恭介も臨戦態勢であり、第四空戦小隊と共に柳の前後を挟んで布陣した。斉藤が率いる第二空戦小隊は遊撃であり、頭上に浮かんでいる。
博孝とみらいが妙な気配を感じ取ったのは、ついさっきのことだ。ただの『構成力』ではなく、背中が寒くなるような気配が漂っている。それに気付いたのは博孝とみらいの二人しかおらず、情報を共有したもののそれらしい敵の姿は見当たらない。
即応部隊の陸戦各小隊は対ES戦闘部隊と共に基地の四方に散らし、目視の監視も行わらせている。しかし、何か異常を見つけたという報告はなかった。
そうしている内に、今度は間宮からの『通話』が届く。
『こちら間宮。隊長の言う通り、一個中隊の接近を目視した』
『了解ですぜ、大尉。可能なら迎撃しながら後退してください』
『相手は飛んでいるが……まあ、なんとかしよう。北条少佐、増援を願います』
間宮からの報告に応えたのは斉藤だが、その声も硬さが目立つ。間宮が率いる小隊は砂原の援護が目的で基地の正門に陣取っていたが、さすがに空戦一個中隊の相手は厳しい。間宮は部下と共に『射撃』を発現して対空迎撃を行いつつ、北条に救援を求めた。
『一個中隊を向かわせる……が、その、なんだ。本当に俺の部下なのかね?』
自身の部下である第三空戦中隊を向かわせつつも、北条の声色は半信半疑のものだ。操られている可能性が高いとはいえ、己の部下が自分達に向かって弓を引くのは気分が良いものではない。
『間違いなく』
間宮の声は緊張を孕んでおり、部下と共に夜空を数十発もの光弾が染め上げている。その勢いは少しでも“敵”の接近を妨げようとするものであり、北条は臍を噛む心境を噛み殺した。
砂原はベールクト達と戦っており、一個中隊に一個中隊をぶつけて戦力を拘束。まだ戦力は多いが、これだけで終わると思うのは楽観が過ぎるだろう。
「岡島少尉、これから何があると思う?」
即応部隊において参謀という職に就く里香に、北条は意見を求めた。突然部下である軍曹が襲ってくることも、一個中隊もの戦力が自分達に向かってくることも、北条にとっては悪夢に近い。
「……少佐殿の部下である軍曹と兵長は押さえたものの、一個中隊が反転して襲ってくるこの状況……戦力的にはまだこちらが有利です。しかし、これだけで終わるとは思えません。基地内に敵は見当たりませんが、敵の増援がどの程度現れるかで――」
対処療法的な対策しか浮かばず、それを口に使用とした里香。しかし、その視線が遠くを見つめた時、不意に言葉が途切れた。
「……少尉?」
言葉を切った里香に対し、北条が訝しげな声をかける。視線を向けて見ると、里香は理解し難いものを見たように顔色をなくしていた。
「……わたしの、目の錯覚……でしょうか?」
里香は震えと怯え、疑問と困惑を等分に混ぜながら呟く。北条は眉を寄せつつ里香の視線を辿り――里香と同様に言葉を失った。
「馬鹿な……」
二人が視線を向けていたのは、倉庫の方向である。位置関係上倉庫を目視することはできないが、建物の端から姿を見せた“ソレ”は絶句するに値するものだった。
そこにいたのは、迷彩服を着込んだ複数の男性だ。草木が生えない場所では逆に目立つ服装だが、今問題なのはそこではない。
外灯に照らされた彼らはゆっくりと歩を進め、感情の宿らぬ瞳を向けてくる。お面でも被っているかのように表情も変わないが、それはある意味当然だ。
――死体が歩くだけでも異常だというのに、表情まで変えれば異常の域を超えるに違いない。
「…………」
「…………」
里香と北条が思わず顔を見合わせたのも、無理のないことだろう。里香達の方向へと歩み寄ってくるのは、ここ最近、毎日のように発見されていた謎の遺体だったのだから。
いくら各種法則を超越する『ES能力者』と云えど、理解をするには常識が枷となって存在した。
寿命、病気、事故、他殺。人が死ぬ原因は数あれど、人が生き返る道理はない。それは『ES能力者』とて同様であり、里香は自分の思考が硬直したのを自覚した。
死の一歩手前、重傷を負おうが、四肢を失おうが、『復元』などの治癒系ES能力を使えば五体満足まで回復することは可能だ。しかし、例え『ES能力者』だろうと死から生還することはできない。
「……一応聞くがね、少尉……“彼ら”は確かに死んでいた……そうだね?」
「……はい……わたしも検死に立ち合いましたが、それは確実です」
呆然とした声色で尋ねる北条に、里香も似たような声色で答えた。里香よりも遥かに長い間『ES能力者』として生きてきた北条としても、理解できない――したくない光景だったようだ。
そしてそれは里香も同様である。付近の山林で発見された遺体に関しては、後学も兼ねて確認した。さすがに解剖まではしていないが、どのような死因で命を落とし、死んだ後はどうなったかまで確認したのだ。
「里香? どうした……っ」
里香と北条の様子がおかしいことに気付き、博孝が声をかけた。そして二人の視線の先を確認し、息を呑む。
「へぇ……見ろよ、沙織。死体が動いてら」
里香達とは違った印象を受けたのか、博孝は軽口を叩くように言う。その言葉を聞いた沙織は何を馬鹿な、と言わんばかりに振り向き、次いで感心した様子で口を開く。
「あら……不思議なこともあるものね。さすがに死体が歩くのを見るのは初めてだわ」
「二人とも何を言って……うわっ! なんっすかアレ!?」
「……?」
博孝と沙織の言葉に釣られ、驚愕の声を上げる恭介。みらいは理解しかねたのか、不思議そうに首を傾げる。他の者達もその“異常”に気付いたのか、口々に驚きの声を上げた。
『……ありゃ本当に死体か? 上に陣取った俺達から死角の位置を移動してきたみたいだが……』
上空に位置する斉藤から疑問の声が届くが、その内容もどこかがおかしい。建物の陰を移動してきたようだが、そもそも死体がそんな選択をするということ自体が異常だ。
『ある程度の知性があるのでしょうか……先制攻撃を仕掛けたいところですが、手を出していいのかすらもわかりません……』
困惑した様子で里香が応答するが、歩く死体はゆっくりと近づいてくる。その数は八体だが、手を出して良いのか躊躇してしまう。
『妙な気配はあの死体から感じますが……アレも『ES能力者』ですかね? もしもゾンビとかなら、近くのお寺からお坊さんを連れてきましょうか?』
『ゾンビ退治を依頼されるとか、お坊さんもビックリっすよね……』
博孝と恭介の言葉に乾いた笑いが生まれるが、それも虚しく消えていく。軽口を叩いた博孝でも、さすがに精神的な余裕が少ない。
向かってくる死体は『ES寄生体』でもなく、『ES寄生進化体』でもない。『アンノウン』である可能性は否定できず、もしかすると死んでいたと思った彼らは生きていただけという可能性もある。
何らかの方法で仮死状態になっていた可能性もあった。もしも彼らが『ES能力者』ならば、時間差で生き返るような独自技能が存在する可能性もある。
可能性を語れば、いくらでも挙げることができるだろう。しかし、問題なのは死体が自分達の方へ近づいてきているということだ。
『……岡島少尉、どうしますか?』
臨戦態勢を保ったままで博孝が尋ねると、里香はそこでようやく我に返った。歩く死体からは敵意が感じられない――そんなものが存在するかも謎だが、このままにしておくわけにはいかないのだ。
『……射撃系ES能力で一当てして反応を見ましょう。ただし、護衛対象の安全を最優先してください』
異常な事態だからこそ、堅実な手段を取るべきだ。そう判断した里香だが、護衛対象である柳はどこ吹く風と言わんばかりの反応を示す。
『俺のことは気にしなくていいぞ? むしろ俺が手を出していいか? さすがに動く死体なんて斬ったことがないからな』
腰の刀に手を這わせつつ、柳はそんなことを言う。それを聞いた博孝は、傍の柳に冷たい眼差しを向けた。
「いいわけないでしょう。隊長がいない今、この中だと柳さんが一番強いと思いますけど、護衛対象に率先して動かれるわけにはいかないですって」
「固いな……お前さん、能力だけでなく性格まで砂原に似てるぞ」
「そいつは最高の褒め言葉ですね。まずはこっちで一当て……ん?」
そこまで口にして、博孝は違和感を覚える。向かってくる死体の数は八体だが、それでは計算が合わないのだ。倉庫に安置されていた死体は全部で十二人分である。
死体が動くという異常事態でなければ、他の者も即座に気付いただろう。非日常に身を置く『ES能力者』と云えども、感じた衝撃の大きさは普通の人間と大差ない。
“本当に”死体だったのか、半壊した瓦礫の下に埋もれているのか――それとも別の場所に向かっているのか。
『斉藤中尉! 倉庫に安置されていた死体の数と目視できる数が合いません! 上空から発見できますか!?』
『っ……ちょっと待ってろ少尉』
博孝も部下を率いて飛びたいところだが、柳の護衛が優先だ。そのため斉藤に尋ねたのだが、その反応は芳しくない。
斉藤が索敵を行っている間、博孝は歩み寄ってくる死体を睨み付けた。ゆらゆらと、蠢くように歩く姿はホラー映画のようである。
「もしも本当にゾンビなら……どうなると思う?」
「噛まれたら感染する……とかっすかね」
「……だよな」
さすがにそんなことはないと思いたいが、警戒心が先に立つ。仮にそんなES能力があるとすれば、接近戦は愚策だろう。
博孝は用心として『収束』を発現したまま、『射撃』を一発だけ発現した。相手はゆっくりと近づいてくるだけだが、攻撃を行うことで何らかの変化があるかもしれない。意識が博孝に向けられるのならば、柳の傍から離れて引き付けても良い。
そう考えて光弾を放つ――それよりも早く、斉藤から声が飛んだ。
『数はわからねぇが作業場に侵入してるぞ!』
どうやら残りの死体を発見したらしい。だが、作業場と聞いて博孝達は首を傾げた。何故そんな場所に、と不思議に思う。
しかし、その疑問を解消するよりも先に、博孝は嫌な予感を覚えた。先ほどから感じていた奇妙な気配が強くなり、次の瞬間、轟音が響く。
その轟音が発生したのは、作業場からだ。まるで大量の爆薬でも炸裂したかのように作業場を、地面を揺らす。眩しいほどの白い閃光を伴った爆発は、ただの爆発ではなかった。
「自爆か!? 『構成力』が集中した様子はなかったぞ!?」
北条が驚きの声を上げるが、それは周囲の者達も同意である。『ES能力者』が自爆するためには、『構成力』を集中させた上で制御を失敗する必要があった。
作業場は二重の壁で囲われ、その頑丈さは多少の攻撃でもビクともしない。しかしさすがに内側から自爆されれば意味がなく、爆発と共に作業場の建材が宙に飛散した。
次いで、連鎖するように爆発音が響く。それらの乾いた音は火薬の炸裂音であり、自爆によって発生した爆発によって引火したのだろう。
博孝がかつて見たことがある自爆に比べると、その規模は非常に小さい。以前見た際は『ES能力者』二人による自爆だったが、その半分だとしても威力が小さいように思えた。
作業場を囲う壁によって周囲に被害は及んでいないが、行き場を失った『構成力』の奔流は夜空を照らすように上空へと飛び出していく。
その光景に、その場にいた者達は思わず夜空を見上げていた。轟音もそうだが、白い光が空へ登るようにして噴き出れば注意を引かれてしまう。
何も知らなければ、綺麗な光景だと思うだろう。作業場に急行しようとしていた斉藤達は各々が防御を固めて遣り過ごしているが、被害らしい被害はない。突然の自爆と閃光を前にして、防御態勢を維持するだけだ。
その間隙を突くようにして、それまでノロノロと歩いていた死体達が一斉に駆け出した。まるで爆発を合図としたように、それまでの鈍重さが嘘のように、爆発につられて視線を上げた者達へと襲い掛かる。
「ちぃっ!」
「……だめっ」
それに真っ先に反応したのは、博孝とみらいだった。視線と意識を上方に割かれた周囲と異なり、察知していた奇妙な気配をずっと警戒していたのである。
博孝とみらいの行動に呼応したのは沙織と恭介であり、飛び出した二人にコンマ数秒遅れる程度で戦闘に移った。迫り来る八体の動く死体の進路を遮るように陣取り、迎撃の体勢を整え――。
「っ!?」
博孝の全身に鳥肌が立つほどの悪寒が駆け抜ける。反応が遅れた周囲を庇うようにして飛び出てしまったが、その悪寒は博孝の背後――柳の傍に現れていた。
いつの間に現れたのか、そこには一人の男が立っている。咄嗟に振り返った博孝は、その男の顔を見て目を見開いた。
初見の相手ではない。むしろ博孝にとっては怨敵と呼んでも良いほどに憎らしい存在であり、その強さによって沙織と共に瀕死の重体に追い込まれた相手だ。
「――ラプター!?」
柳の救援に向かおうと急制動をかけるが、それも遅い。ラプターは既に攻撃態勢に入っており、柳を仕留めるべく貫手を繰り出すのだった。




