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閑話:とある女子訓練生の慕情と野口伍長の災難 その2

 訓練校の内部および正門周辺には、防衛部隊が利用する施設が用意されている。生活を送るための寮に、執務や会議を行うための建物。武器弾薬の保管庫もあれば、軍用車両の車庫や整備用の設備も存在する。

 その中でも防衛部隊の隊長が使用している執務室に、野口の姿があった。


「転属願い……かね?」


 心底不思議そうな顔で尋ねたのは、四十代に見える少将だ。訓練校に駐屯する防衛部隊――対ES戦闘部隊や一般の兵士などを統率する彼は、眼前に立つ野口へ不思議そうな視線を向ける。


 普段の勤務態度には少々問題があるが、それを補って余りある戦功を持つ野口。人の身でありながら単独で『ES寄生体』を撃破できる技量を持つなど、本来ならば対ES戦闘部隊の中でも稀有な存在である。

 しかしながら三年ほど前に実戦が想定されていない後方勤務を希望し、降格を飲んでまで移動してきた変わり種でもあった。

 本人が言うには戦うことに疲れたらしいが、『大規模発生』の際に部下二名の犠牲を出しつつも二匹の『ES寄生体』を狩っている。その際の戦功が評価されて異動と昇進を打診されたが、それを蹴り飛ばしていた。


 そんな野口が、どこか切羽詰まった様子で転属を願い出てきた。本来ならば防衛部隊を管理している少将が出張るほどの案件ではないのだが、野口の上官も判断に困ったらしく、更にその上官である少将まで話が回ってきたのである。

 現在は“普通の兵士”として訓練校の施設管理を行っているため、野口の上官は対ES戦闘部隊の人間ではない。少将は防衛部隊の長として在籍しており、一般兵士と対ES戦闘部隊の両方を管理している。


 そのため対ES戦闘部隊に所属していた野口の進退について、少将のところまで話が回ってきたことも一応は納得できた。何せ、野口は施設の管理などを任せるには惜しすぎる。

 それでも本人の強い意思によって配属されたのだが、それを返上したいと野口自ら言ってきたのだ。何か重大な理由があるのだろうと少将は思い、野口の転属願いを受け取りつつ尋ねる。


「君のように腕が立つ者は、是非とも対ES戦闘部隊で活躍してもらいたい……が、転属を願う理由はなんだね?」


 少将が調べたところによると、眼前に立つ野口は本来このような場所にいる男ではない。勤務態度にさえ問題がなければ、今頃は一部隊を率いてもおかしくはない階級に立っていただろう。

 訓練校の防衛部隊ならばまだしも、施設の管理任務など新兵でも行える。それほどまでに野口が持つ技量と現職がミスマッチだったのだ。

 卓越した戦功を挙げ、今もなお『ES寄生体』を狩るだけの技量を保持する男がどんな理由から転属を願うのか。上官である少将でなくとも気になったはずだ。


「……い、一身上の都合です……」


 だが、野口は視線を逸らしながらそんなことを言うだけである。その態度があまりにも不審過ぎたため少将は繰り返し尋ねるが、野口から返ってくる答えは変わらない。

 『一身上の都合』だと繰り返す野口の姿を見た少将は、不審の念を深めた。もしかすると、何か“問題”でも抱えているのではないか、と。


 そのため、少将は野口の転属願いを受理したものの、防衛部隊へ異動させるに留める。周囲の者にそれとなく監視するよう伝え、それと同時に野口周辺の調査を行うことにした。

 ないとは思いたいが、他国の工作員が野口に接触して何かしらの取引でも持ちかけたのかもしれない。

 家族が人質に取られているだとか、逆らえない弱みを握られたのではないか。訓練校の内部にいては情報を得にくいため、転属願いを出してもっと自由に動きやすい立場になろうとしているのではないか。


 身内を疑いたくはないが、『天治会』などのテロ組織は世界各国にパイプを持ち、思わぬところに手を伸ばしてくる。


 ――野口伍長を見張ることで何か尻尾を掴めるかもしれん。


 様々な可能性を考慮した少将だが、『一身上の都合』と口にした野口の本音が、『とある女の子から逃げたいからです』という情けないものだとは知る由もなかった。









 人間、誰しも習慣の一つや二つはあるものである。

 風呂に入れば最初に髪から洗うだとか、食事は汁物から手をつけるだとか、そういった些細な習慣だ。あるいは靴を履く時は右足からだとか、ドアを開ける時は右手を使うだとか、そういったものも習慣だろう。

 本人の意識、無意識は問わずに自然と体が動いてしまうもの。あるいは思考してしまうもの。それが習慣であり、癖だ。


 野口にはこれといって自覚している癖はない。しかし、第七十一期訓練生が使用していた体育館の管理任務を行う内に、ある程度の生活サイクルが出来上がっていた。

 休暇を除くと任務の毎日であり、その傍ら、食事や睡眠は兵士用の寮で取る。自由は少ないが『ES寄生体』と殺し合うような危険もなく、部下の兵士達と馬鹿話をしながら過ごす毎日だった。


 ――そう、“毎日だった”のだ。


 それが過去形のものだと野口が気付いたのは、博孝達第七十一期訓練生が卒業してすぐ後のことである。

 第七十一期訓練生が三年間使用していたこともあり、次の期の生徒達が入校してくるまでの間に各施設の点検やリフォームが行われた。それらが終われば野口も任務完了であり、次の任務に移ることになっている。

 新しく入ってくる訓練生の施設管理任務を行っても良いが、元上官から実働部隊に戻って来いと頻繁に勧誘されてもいた。


 今後の進退をどうするべきかと考えている野口だったが、ふと時計を見ると午後七時。そろそろ夕食を取り、夜勤の者が到着するまで勤務すれば休憩に入ることができる。

 訓練生が卒業した今となっては体育館を管理する意味もないように思えるが、来期の任務に備えて資料を整理したり、管理記録をまとめたりと、やることは意外と多かった。

 面倒臭がりな野口はその辺りを部下に任せていたが、一応は部下を率いる身である。様々な面倒事が存在しており、野口としては一人で『ES寄生体』を狩っている方が楽だ。


「さて、晩飯は……」


 椅子から腰を浮かしかけた野口だが、すぐに腰を落ち着ける。“以前”ならば部下でも誘って寮の食堂を利用するのだが、今の野口には別の“習慣”があった。

 コンコン、という管理室の扉をノックする音が響く。野口が返事をすると、一人の少女が管理室に入ってきた。


「秋雄さん、こんばんわ」


 管理室に入ってくるなり、そんな挨拶と共に笑顔を向けてくる少女――伊織。

 伊織の両手には布包みが提げられており、伊織は慣れた様子で管理室に足を踏み入れてくる。そんな伊織を眺めつつ、野口の手が勝手に動いて紙コップと飲み物を掴んでいた。

 伊織は何が楽しいのか、肩まで伸びた艶やかな黒髪を揺らしながらテーブルの上に布包みを置く。そして鼻歌でも歌いそうな上機嫌さで布包みを開け、中から取り出した弁当箱を野口の前に置いた。


「どうぞ、秋雄さん。今日は秋雄さんが好きだって言ってたものを作ってみたんです」

「ああ……悪いな」


 そう言われ、野口は弁当箱を開ける。すると、中には白米や色とりどりのおかずが詰められていた。その中でも野口の目を惹いたのは、鳥のささみの照り焼きである。

 野口は酒のつまみとして好きだと言ったことがあったのだが、伊織は何か勘違いしたようだ。さすがに酒を飲めと催促しているわけではないだろう。


 野口は『いただきます』と呟いてから弁当を食べ始める。伊織は何が嬉しいのか、手作り弁当を食べる野口を見てニコニコと微笑んでいた。


「味はどうです? この煮物、けっこう自信作なんですけど」

「ああ、うめぇよ」


 以前料理が得意だと伊織本人から聞いたことがあったが、野口としても頷ける味だった。主菜の脇に置かれた煮物など、これが中学校を卒業して一年も経っていない少女の作る弁当かと驚くばかりである。

 言葉少なに称賛する野口だが、それだけで伊織の表情が綻ぶ。頬を朱に染めて嬉しそうに笑うその姿は、まさに恋する乙女と言えるだろう。

 野口は何とはなしに伊織の笑顔を見ていたが、そこでふと気づく。


(……あれ? 俺、なんでこの子から弁当を受け取って平然と食ってるんだ?)


 ペットボトルのお茶を紙コップに注ぎつつ、そんな疑問が心中に浮かんだ。


 伊織とはそれほど長い付き合いではない。『大規模発生』の際に助け、それが縁で惚れられ、挙句の果てに告白までされてしまった。その際は友達からと答えたが、今の状態は友達の関係だと言えるだろうか。

 頻繁に顔を出していた博孝達は伊織に気を遣ったのか、管理室に寄りつかなくなった。それによって管理室に訪れるのは伊織だけになり、博孝達が卒業してもそれは変わらない。


 時間が空けば顔を見せる伊織と、渋々ながらそれを受け入れる野口。いつしか伊織が手作り弁当を持ち込むようになり、野口もそれを受け取るのが普通だと思うようになっていたのだ。

 伊織が自分で言う通り、料理の腕が達者だという点もそれを後押しした。これで料理が不味ければ話は別だったが、伊織は寮の食堂で食べる料理に迫るほどの腕前だったのだ。

 さらに、いくら野口と云えど可愛らしい少女が自分のために弁当を作ってくれば無下にできない。初めてまともに喋った時は非常にぶっ飛んだことを言われたが、落ち着いて話してみれば様々な美点が目についた。


 性格は大人しい方だが、それはどちらかというと大和撫子的な大人しさである。打ち解けてみれば会話もスムーズで、穏やかに、朗らかに笑う姿には華があった。

 また、非常に一途であり、野口に真っ直ぐな想いをぶつけてくる。時間が経てば熱も冷めるだろうと思っていた野口からすれば、意外なほどに長続きしていた。


 外見も少々幼く見えるが十分に可愛らしい。美人というよりは可愛いと評すべき点が野口としてはマイナスだが、年齢的に考えれば伊織は高校一、二年生程度だ。

 童顔の割にスタイルが良く、それが逆に背徳的な雰囲気を漂わせてもいる。左目の下に見える泣きぼくろが年齢不相応な色気を醸し出しており、童顔の割に蠱惑的だ。


 そんな少女が毎日のように笑顔で手作り弁当を持ち込み、野口の感想に一喜一憂している。最初の頃は警戒していた野口も、時間が経てば自然と伊織のことを受け入れていた――が、それに気付いた野口は愕然とする。


(待て……待て待て俺! コイツはやべぇ! なんで普通に管理室に上げてんだよ! なんで当然のように弁当を受け取ってんだよ! おかしいだろ!?)


 自分が置かれた状況を改めて実感し、野口は戦慄した。これほどの戦慄は、初めて『ES寄生体』と遭遇した時以来だ。


 普段は勤務態度が不良な野口だが、一般的な感性を持ち合わせている。野口からすれば伊織はまだまだ子どもであり、恋愛対象には成り得ない。法律的には結婚も可能な年齢だが、それを良しとすることはできないのだ。

 それだというのに、気付けば伊織の存在を許容している。男を掴むならば胃袋を掴めと言ったのは、どこの誰だったか。野口はまさに胃袋を鷲掴みされる寸前であり、辛うじて我に返ることができたのは奇跡に近い。


 これはまずい。何がまずいかわからないが、歴戦の戦士である野口の勘が危険を告げている。蟻地獄に引きずり込まれたような、底なし沼に嵌ったような、抜け出すのが困難な状況に追い込まれた気がヒシヒシとする。

 しかもこの蟻地獄、抜け出すには心地良すぎた。そして、仮に抜け出しても周囲に大量の落とし穴が掘られているという徹底ぶりだ。蟻地獄から抜けても長大な腕が伸びて追いかけてきそうな気配もする。


「……秋雄さん、どうしました?」


 冷や汗を流し始めた野口を見て、伊織が心配そうな顔で尋ねた。その心配そうな顔も、野口の警戒心を和らげてしまう。最初の出会いとその後の告白騒動さえなければ、伊織は可愛らしく気立ても良かった。

 それが非常に心地良く、このまま流れに身を任せても良いのではないかと思えてしまう。もしも野口が伊織を突然抱き締めたり、押し倒したりしても、大きな抵抗はないだろう。むしろ笑顔で受け止められそうだ。


 そして、受け止められた後に恋やら愛やら独占欲やらの鎖で雁字搦めにされ、一生抜け出すことが不可能になるのである。手を出した翌日には伊織の両親に連絡に届き、遠からず市役所に婚姻届を出しに行く羽目になりそうだ。


 ――転属願いを出そう。


 このままでは色々と危険だと判断した野口は、そう思った。








 転属願いは無事に受理され――しかしながら、異動先は訓練校の防衛部隊だった。少将の思惑もあったのだが、まずは危険度が低い場所で実戦の勘を取り戻すよう配慮されたのである。


 伊織に異動を告げた瞬間、その瞳から光が消えたように見えたのは目の錯覚だろう。

 その異動先が訓練校の防衛部隊であり、伊織が住んでいる寮からそれほど距離が離れていない。そう告げた途端、伊織の瞳に光が戻ったように見えたのは、やはり目の錯覚だと野口は思いたかった。


 思わず腰元の拳銃に手を伸ばしてしまうほど身の危険を感じたが、それも錯覚だと野口は自分に言い聞かせる。


「いやぁ、三年間の任期も終えたし、上司も部隊に戻れってうるさくてな」


 ハハハ、と誤魔化すように笑う野口。実際は自分から転属を願い出たのだが、その事実を口にする勇気はない。伊織はそんな野口をじっと見つめていたが、やがて艶然と微笑んだ。


「秋雄さんの腕ならどこの部隊でも引っ張りだこですよね? でも、わざわざ訓練校の防衛部隊を選んでくれるなんて……もしかして、その、わたしに気を遣ってくれました?」


 頬を赤らめてそう尋ねる伊織に、野口は形容しがたい顔をしながら頷く。野口としては『なんでこうなったんだ?』と叫びたいが、実際に叫ぶ勇気はなかった。


「防衛部隊ということは、今までみたいに気軽に会えませんね……住んでるところは兵士用の寮なんですよね?」

「ああ。所属が対ES戦闘部隊になるし、階級も軍曹に戻るんでな。個室が……」


 用意される予定だ。そう言おうとした野口だが、続く言葉が口から出なかった。個室と聞いた瞬間、伊織の眼差しに謎の深みが増したように見えたのだ。


「へぇ……そうなんですか。個室なんですね……」

「お、おう。ただ、防衛部隊だからな。外の警邏なんかで大変だろうし、部屋に戻る時間は少ない……ような、そうでもないような……」


 僅かに伊織の視線が細まったのを見て、野口は曖昧に言いよどむ。正体不明の威圧感を覚え、視線を彷徨わせてしまう。それでも野口は勇気を振り絞り、言葉を紡いだ。


「勤務時間も変則的で、いつ部屋に帰るかもわからねえ……だから、えーと、なんだ、今までみたいに弁当を作ってくれたりは、その、しなくていい……ですよ?」


 尻すぼみに声が小さくなる。最後には何故か敬語になってしまった。

 伊織はそんな野口に対して微笑んでいたが、やがていいことを思い付いたと言わんばかりに両手を合わせる。


「それなら、たまにでいいから遊びに行っていいですか? “お友達”なら、一緒に遊んでもおかしくないですよね?」

「……ええと、はい、そうですね……」


 ぐいぐいと押す伊織に対し、野口はしどろもどろだ。本来ならば駄目なのだが、相手が“異性”の『ES能力者』となれば、“様々な事情”で黙認される可能性が高い。また、設備の管理任務で割り当てられた部下など、既に籠絡されている節がある。


 様々な不安を覚えながらも、野口は防衛部隊へと異動した。そして、軍曹ながらもその手腕を見込まれて一個小隊十二名の部下を率いることとなる。


 通常、対ES戦闘部隊で小隊を率いるのは曹長から中尉の役割だった。いくら野口が実戦経験豊富とはいえ、軍曹に戻ったばかりの野口が任されるのは特例に過ぎない。

 これは野口の転属願いを受け取った少将が、『小隊長にでも就ければ何か不審な動きがあるのではないか』と邪推したからである。少将としては野口を“泳がせて”いるつもりだが、野口としては事実無根の疑いだった。


 そして、野口は小隊長として部下を統率し、三カ月後には異例の昇進を果たして曹長となる。部屋にいては危険だと判断し、率先して警邏に取り組み、発見された『ES寄生体』を狩り続けたからだ。

 その姿はまるで鬼のようだった、と部下は語る。『ES寄生体』に何か恨みでもあるのか、すさまじい形相で『ES寄生体』を狩る野口。防衛部隊の『ES能力者』よりも働いているほどで、人の身でありながら三ヶ月で十五匹もの『ES寄生体』を撃破。

 その類稀なる戦功、部下を一人も死なせずに成し得た技量は称賛するしかなく、生涯の累計撃破数が三桁になったことで昇進が許された。


 防衛部隊の中では、『年若くて可愛い嫁さんをもらって張り切っているのだろう』などと噂が流れており、それが野口の戦いぶりに拍車をかける。


 ――そう、そんな噂が流れているのだ。気付いた時には、防衛部隊全体に。


 伊織は宣言通り、事あるごとに野口のもとを訪ねてきた。

 最初は手作りの弁当を持ち込んできたのだが、いつしか寮に存在する食堂の職員と仲良くなり、わけてもらった食材を野口の部屋に持ち込んで料理を始めた。


 野口が部屋にいない時は作った料理をタッパーに詰めて冷蔵庫に入れ、帰ってきたら温めて食べてほしい、無事を祈っているという旨の手紙を残して帰る。

 当初は訓練生が寮に出入りすることに対して難色を示す者もいたが、伊織があまりにも健気に通い詰めるため、いつしか黙認されるようになっていた。


 野口にとって不幸だったのは、兵士用の寮も訓練校の施設の一部だということである。機密に関係する情報が保管されているわけでもなく、訓練生が使用する寮や食堂と大差ない設備しか存在しないのだ。

 訓練生の来訪を制限する規則が存在せず、伊織も野口の部屋に押しかけるだけである。伊織は『ES能力者』であり、野口は普通の人間だ。命がけで仕事をしている兵士達は、その複雑な恋の行く末を陽気に眺めている。


 徐々に埋められていく外堀。部屋に帰れば、時折笑顔の伊織が出迎える。例えそうでなくとも、ふと気付いた拍子に伊織の小物が部屋の中に置かれていることもあった。

 それは小さめの座布団であったり、可愛らしいボールペンだったり、小さなぬいぐるみだったり――挙句の果てにはピンク色の歯ブラシだったり。成人男性である野口の部屋に存在するには、少しばかり異質な物が増えていた。


 そして、それらの存在をふとした拍子に気付くのだ。


 ――こんなもの俺の部屋にあったか、と。


 その事実に気付く度、野口は『ES寄生体』を狩ってしまいたくなる。本来は命がけで戦うはずだというのに、まったく死ぬ気がしない。ライオンサイズの『ES寄生体』のこめかみに銃口を突きつけ、引き金を引いて容易く仕留めてしまう。

 新しい部下達の尻を蹴り上げ、厳しく指導し、何匹もの『ES寄生体』を撃破する野口。時折現実から逃げるように不良な態度を取ることもあるが、厳しさ一辺倒ではないという姿勢が部下にも慕われる。


 そして、野口を慕う部下が“恋人”の伊織に色々と便宜を図ることがあった。それは野口の興味がある物であったり、趣味であったりと、様々な情報を聞き出してくるのである。


 その事実を野口が知った時には、既に手遅れだ。上官からは『一度仲人をしてみたかった』などと言われ、思わず腰の拳銃で自分の頭を撃ちたくなった。

 周囲からは『素直になれず仕事に邁進する野口』と、『健気に想いを伝え続ける伊織』という図式で見られていたのだ。その前提として、二人は恋人同士だと思われている。


「まずい……このままだとなし崩し的にゴールインしちまいそうだ……」


 自分が置かれた環境に思いを馳せ、野口は一人呟く。一体いつになったら吊り橋効果が切れるのかと、神に恨み言を吐いてしまいそうだ。

 なにより、『もうゴールしてもいいかな』と自分の心が訴えてくるのが怖い。伊織に手を出せばそのまま一生縛られそうだが、縛られ続ける人生も悪くないのではないか。それはきっと甘美で官能的で、退廃的な生活の幕開けでもある。


 そうなった場合、今の仕事も辞めるべきだろうか。かつて博孝には伝えたが、伊織は野口が死ねばそのまま後追いしそうだ。そうならないよう距離を取っていたつもりが、いつの間にか懐まで潜り込まれている。

 なんというインファイター、などと内心で呟く野口だが、このままではいられない。伊織を受け止めるか、完全に拒絶するか。何かしらの態度を取らなければ、このままズルズルといってしまうだろう。


「……よし、決めた」


 防衛部隊に配属されて僅か半年足らずで、野口は再度の転属を決意するのだった。











(作者としても)まさかの閑話です。


市原達が卒業後の進路について悩む話を書くはずが、いつの間にか野口と伊織嬢の話になっていました。なお、野口が伊織から逃げられるかは謎のままです。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 野口さんと伊織ちゃんの閑話も良いですね! ほっこりしますw
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