第百九十四話:人員確保
海水浴から一週間ほど過ぎたその日、博孝は砂原からの命令で訓練校を訪れていた。約四ヶ月振りとなる訓練校だが、その程度の期間にも関わらず懐かしく思ってしまう。
「へぇ……外見はほとんど変わってねえんだな」
軍用車を運転しながらそんなことを呟いたのは、斉藤である。助手席には福井が座り、後部座席には博孝と沙織が座っていた。
本来ならばこの中で最も階級が上の斉藤が運転手を務めるのもおかしいのだが、運転が好きだという本人の希望によって運転を行っている。もっとも、博孝と沙織は運転免許を持っておらず、福井は運転が下手なため、妥当な選択ではあった。
「俺も運転免許を取ろうかな……」
「おう、取るつもりがあるなら取っておいた方がいいぜ? 資格や免許関連を取るなら補助金も出るしな」
博孝が呟くと、斉藤が興味を惹かれたように言う。『飛行』を発現できる博孝には必要がないように思えるが、移動の際に『飛行』を発現するには条件がある。
任務中か有事の際、あるいは飛行許可を取っている場合だけだ。好き勝手に空を飛んでいると、航空機や正規の手順を踏んで飛んでいる空戦部隊に迷惑がかかってしまう。
「自分の足で走れば?」
「おいおい、考えてもみろよ曹長。たしかに俺達なら車以上の速度で走れるが、道路のほとんどは一般道だ。民間人が見たら驚いちまうだろ?」
「……まあ、そうですね」
道路を疾走する『ES能力者』という光景を想像するが、確かに民間人の心臓に悪そうだ。少なくとも、提案した沙織としても目を疑う光景だと想像できる。
そんな話をしていると、訓練校の正門に到着した。すると即座に兵士が駆け寄り、運転席の斉藤に誰何してくる。
「官姓名およびご来訪の目的をお聞かせください」
「即応部隊の斉藤空戦中尉だ。第七十二期訓練生に会いにきた」
携帯電話に表示される個人情報を提示しつつ、斉藤はそう述べた。
そう、博孝達が訓練校を訪れたのは第七十二期訓練生に会うためである。あと二ヶ月も経たない内に卒業する彼ら――特に市原達をスカウトするために訪れたのだ。
事前に士官組の間で話し合ったことではあったが、砂原が『ES能力者』を管理する源次郎と訓練校を管理する“上”に申し入れ、許可を得てきたのだ。
即応部隊は規定の人数まで達しておらず、人材の確保が急務である。現状でもある程度の戦力はあるが、人数が足りなければ普段の部隊運用にも影響があった。
現状では休暇の取得も制限されており、休暇を取るとしても空戦陸戦で一個小隊ずつだ。海水浴の際は長期間の護衛任務を終えた後だったため考慮されたが、それでも実際に休みが取れるまで時間がかかっている。
即応部隊を万全の状態にするためにも部隊員の確保は急務であり、第七十二期訓練生がもうじき卒業するタイミングを見計らって一気に補充する予定だ。
訓練校に向かうのは、本来は博孝と沙織だけだった。しかし、博孝と沙織だけでは正規部隊員としての経験が浅く、問題がある。そのため斉藤が引率を務め、将来的に士官になる可能性がある福井も勉強のために派遣されたのだ。
砂原も人員の確保に動いており、こちらは里香や恭介、みらいを連れてあちこちの正規部隊に顔を出している。士官組の一部や下士官の一部が部隊を離れている間は大尉である間宮が部隊を統率し、訓練に励んでいた。
誰何を行う兵士とそれに答える斉藤の傍でそれを聞いていた博孝だが、遠巻きに来訪者を警戒している兵士達が視界に映る。『大規模発生』以来警戒心が強まり、例え正規の来訪者でも気を抜けないのだろう。
『ES能力者』も複数いるが、対ES戦闘部隊の面々は自動小銃をいつでも撃てるよう意識を張り詰めている。
――そして、そんな面々の中で明らかに目立つ、不良兵士が一人いた。
「ん? あれ、野口さん?」
「あん? おー、博孝じゃねえか。何してんだお前?」
思わず窓を開けて声をかけると、すぐに反応があった。博孝の声に答えたのは、かつて第七十一期訓練生が使用していた施設の管理任務に就いていた野口である。
周囲が警戒している中、全身から脱力の気配を漂わせながら右手を上げる姿は、微塵も変わっていない。変わっている点があるとすれば、襟元の階級章が曹長になっていることぐらいか。
「ちょいと卒業生の確保に。野口さんこそどうしたんです? なんで防衛部隊で曹長やってるんですか?」
この場にいるということは、訓練校およびその周辺を監視、防衛する防衛部隊に配属されたということだろう。階級が二つも上がっているのは気になるが、第七ES戦闘大隊にいた頃は軍曹だったのだ。上がり過ぎというわけでもない。
そんな疑問から尋ねると、野口はそっと視線を外した。そして遠くを見るように目を細める。
「……色々とあってな。訓練校の中にいるより、こっちの方が“安全”なんだ」
どこか哀愁漂う声色だったため、博孝は深くは尋ねない。野口にも色々と事情があるのだろう。
「というか、卒業生の確保? なんでまたそんな……って、少尉!?」
ようやく我に返った野口だが、博孝の階級章を見て目を見開く。野口には配属先や階級のことは伝えていないため、気付くのが遅れたのだろう。慌てて敬礼をする野口だが、博孝は答礼しながら苦笑を浮かべる。
「こっちも色々と事情がありまして……そうだ、外部から人が来れば、案内の人をつけられますよね? 野口曹長、やってくれません?」
一応は階級をつけて呼ぶと、野口は怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
「そりゃ構わねえけど……っと、構わないですよ、少尉殿」
そう言うなり、野口は傍にいた兵士に指示を出す。そして斉藤に一言伝えて車に乗り込むと、博孝達と一緒に正門を潜った。
「……で、なんで訓練校の外にいるんです? 『ES寄生体』とかが相手なら、外の方が危ないと思いますけど」
後部座席に乗った野口に対し、博孝は一応尋ねてみる。野口は視線を彷徨わせていたが、やがて深々とため息を吐いた。博孝の態度から少尉と曹長ではなく、個人的に話したいのだと悟る。
もしも一緒にいるのが斉藤や福井ではなく砂原ならば博孝も自重したが、斉藤は規律面で非常に緩い。福井や沙織はそれ以前の問題だ。
「俺にとっては『ES寄生体』の方が余程戦い易い相手がいてな……」
「ああ……そういうことですか」
野口の様子と口振りから、おおよその事情を察する博孝。何十体もの『ES寄生体』を狩ってきた野口でも、恋する乙女を相手取るには技量不足らしい。
それでも、『大規模発生』の際に挙げた武功を盾に昇進と異動を蹴り、施設の管理を継続した野口らしからぬ判断だ。
――あるいは、そんな野口でも“身の危険”を覚えたのか。
「戦闘がある防衛部隊に異動したら軍曹に戻って、リハビリがてら『ES寄生体』を狩っていたら曹長にされてな……」
「『ES寄生体』ってリハビリがてら狩るものでしたか?」
野口と面識がある沙織が不思議そうに尋ねるが、野口は沙織以上に不思議そうな顔をする。
「実戦の勘を取り戻すなら、実戦に勝る訓練はないだろう?」
「……それだけですか?」
博孝としても全面的に同意するところだが、他に何かありそうだ。そう思って尋ねると、野口はそっと視線を逸らす。
「……訓練校周辺の警邏をしている間は、訓練校に戻らなくても済むだろ?」
「そんなに訓練校内部にいたくないんですか……」
冷や汗を流しながら答える野口に呆れたような声をかける博孝。そうしている間に車は中央校舎へと到着し、博孝達は一度車から降りる。
目的は第七十二期訓練生だが、校長である房江に挨拶をしないわけにはいかない。
車から降りると、博孝は中央校舎の傍に石碑が建てられていることに気付いた。卒業前は“殉職”した大場への献花台があったのだが、さすがに半年近く経てば撤去されている。
その代わりに長方形の石碑が建てられ、『大規模発生』の際に教え子を守って命を落とした大場に関する銘文が刻まれていた。
「……花を買ってくれば良かったかな」
「……そうね」
石碑が建てられたことは知らなかったため仕方がないが、それでも恩師に関する石碑である。博孝と沙織は両手を合わせ、石碑を見た福井も驚きを浮かべて黙祷する。
福井も大場が亡くなったとは聞いていたが、当時は任務中で献花に来られなかったのだ。斉藤は大場が校長を務めるよりも前の卒業生だが、それでも身を盾にして教え子を庇ったその姿勢に敬意を表して敬礼を贈る。
そうやって博孝達が思い思いに大場への祈りを捧げていると、中央校舎から老年の女性が出てきた。その気配に気付いた博孝が女性――房江に視線を向け、穏やかに笑う。
「どうも、房江校長先生」
「お久しぶりです」
「あらまあ、河原崎君に長谷川さん……大きくなったわねぇ」
博孝に続いて一礼する沙織。それを見た房江は嬉しそうに微笑むが、その口振りはまるで久しぶりに会った親戚のようだ。
「いやいやっ! 俺達が卒業してから半年も経ってませんから!」
「でも博孝、半年でも成長するわよ? 外見的には成長期だし」
手を振って否定する博孝に対し、沙織は宥めるように言う。その光景を見た房江は、口元に手を当てて穏やかに笑った。
「ふふっ、相変わらず元気そうでなによりだわ……夫に祈りを捧げてくれていたのね。ありがとう、嬉しく思うわ」
博孝が口にした『校長先生』という言葉、そして房江本人から語られた夫という言葉に、福井は房江の素性を察して敬礼をした。
「じ、自分は第五十三期卒業生の福井軍曹であります! 大場校長には大変お世話になりました!」
「第五十三期の福井君……ああ、福井雅俊君ね? 夫が遺した資料に書いてあったけれど、だいぶヤンチャな子だったみたいねぇ」
在籍していた期と名字だけで言い当てる房江に、福井は息を呑んだ、房江が訓練校の校長になってから半年程度だが、その間に過去の生徒に関する情報も覚えたらしい。
そんな房江に内心で感嘆しつつ、斉藤も敬礼を向けた。
「即応部隊の第二空戦小隊を率いる斉藤空戦中尉です。小官は第十期卒業のため面識はありませんが、大場氏に関しては砂原先輩から伺っております」
「あら、砂原君の後輩なの?」
「ええ。砂原先輩には大変お世話になりました……そして今も、毎日我々を扱いております」
冗談混じりに斉藤がそう言うと、房江は楽しそうに微笑む。
「砂原君にもよろしく伝えておいてね? それでは……」
そこまで言うと、房江の表情が僅かに曇った。言うべきか、言うまいか、迷いの色が表情に混ざり、それもすぐに消える。
「第七十二期訓練生は、普段通り授業を受けています。担当の教官には事前に通知をしていますが、どうやって話をしますか?」
博孝達が希望するのは、卒業後の進路に即応部隊を選んでもらうことだ。それは他の正規部隊に配属されるのとは異なり、『天治会』と戦う可能性が非常に高いことを示している。
房江としては教え子に危険な進路を選んでほしくないが、それが必要だということも理解していた。そのため、生徒本人の意思に全てを託そうと思ったのである。
博孝は時刻が正午前だということを確認すると、笑顔を浮かべて言った。
「もうじき昼食ですし、食堂にでもお邪魔しますよ」
その日、第五空戦部隊は朝から緊張感に包まれていた。任務明けということで通常訓練しかなかったのだが、即応部隊の人員が訪れると通達されたのである。
それも訪れるのが砂原だと聞き、第五空戦部隊長である町田は応接室の準備に余念がなかった。
何故砂原が訪れるのかは、事前に知らせてある。既定の人数に満たない即応部隊には追加人員が必要であり、その“交渉”に訪れるというのだ。
町田としてはこれまで鍛えてきた部下を引き抜かれることになりかねないが、部下が丸ごといなくなるわけではない。部隊の運用に支障をきたすため、多くても一個小隊程度だ。
減った人員については『飛行』を覚えたての“新兵”が補充されることになるが、それらの教育を部下達に学ばせることも必要である。戦力は減少するが、将来的には部下達の成長につながるだろう。
また、即応部隊は試験的な部隊であり、恒久的に存在する保証もない。送り出す部下には申し訳なく思うが、砂原の下で鍛えられることによって肉体的精神的に頑強になる。第五空戦部隊に戻ってくることがあれば、以前よりも頼りになることだろう。
詳細は知らされていないが、設立から三ヶ月と少々で護衛任務を担当し、『アンノウン』の一個中隊を撃破、その内二名を捕獲するという功績も挙げている。捕獲した『アンノウン』に関する調査は難航しているらしいが、それで即応部隊の功績が霞むわけではない。
即応部隊はその性質上、危険が多い。しかし、それに見合った功績と栄誉が与えられる。部下のほとんどが『穿孔』の名を知っているため、即応部隊に異動しても栄転だと思うだろう。
(それに、うちの部隊は先輩達に借りがあるしなぁ……)
博孝が訓練生時代、任務の護衛を担当したことがあった。だが、部下が敵に操られて砂原を妨害するという“暴挙”を仕出かしてしまったのだ。
味方ということで砂原は手加減せざるを得ず、博孝達の救援が遅れた。その結果博孝が『構成力』を枯渇寸前まで使用して死に掛け、沙織も生と死の狭間を彷徨っている。
そんな“借り”がある面子が、即応部隊には全員所属している。部下に転属の話を振ってみても、否定的な者はほとんどいなかった。
「うぅ……胃が痛くなってきた……」
ただし、それらの事情とこれから砂原と会うことは別の話だ。元同僚である斉藤は即応部隊に所属しているが、その肝の太さを分けてほしいと思う。
かつて砂原から施された教練の数々が走馬灯のように脳裏を過ぎり、町田は胃を押さえた。『ES能力者』はそう簡単に体調を崩さないのだが、精神的なダメージは中々に拭いがたい。
砂原が部隊の長となり、階級も少佐になったことは素直に喜ばしい。砂原が教官職で軍曹だった頃は対応に困ったが、立場も階級も同等ならば“昔”のように接することができる。
砂原と接する上で、必要以上に気を払わなくて済むのは非常に助かるのだ。その分、他の地雷を嗅ぎ分けることに意識を向けられるのだから。
そうやって町田が密かに喜んでいると、部下に案内された砂原が応接室に入ってきた。その後ろには“勉強”のために連れられた里香や恭介、みらいの姿もある。
「お久しぶりです砂原少佐。わざわざのご足労、感謝いたします」
見知った顔ばかりということで、先に敬礼をして気軽に接しようとする町田。しかし、砂原の目が鋭く細められたのを見て、町田は一気に大量の汗が噴き出るのを感じた。
「感心しませんな、町田少佐。同階級で、部隊長という立場は同じと云えど、貴官の方が先任です。敬礼をするべきはこちらからでしょう」
「ひぃっ!? すみません!」
ギロッ、という擬音が似合いそうな眼差しに、町田は即座に白旗を揚げる。砂原の言う通り、少佐としても部隊長しても町田の方が先任だ。町田としては砂原よりも上に立つこと自体が異常であるため、長い年月を経ても“後輩”だという意識が抜けてくれない。
猫に追いつめられた鼠のような様相で震える町田を見た砂原は、ため息を吐いてから表情を崩す。
「だが、腹を割って話すにはそちらの方が良い、か……幸い全員が顔見知りだ。礼儀は最低限でいくか」
注意を促してから力を抜く砂原の姿に、町田は無言で何度も頷く。“指導”をしたと思えば、周囲の目もないからと空気を軽くするその姿。相手が気心の知れた町田だからという点もあるだろうが、飴と鞭の使い分けに降参するほかない。
里香と恭介はそんな二人のやり取りに苦笑し、みらいは首を傾げるだけである。こうして、砂原の先制攻撃から人員確保の“交渉”が始まるのだった。
「最近、どうにも気が抜けているような気がしますね……」
食堂で昼食を取りながらそんなことを呟いたのは、市原である。昼食後の僅かな時間でも自主訓練を行えるようにと野戦服を着ているが、その顔には困惑と落胆の色が混ざっていた。
博孝達が訓練校を卒業し、自分達が最上級生になって四ヶ月少々。博孝達がいた時と同様に毎日自主訓練を行い、授業や実技訓練にも精を出しているが、どうにも張り詰めたものを感じないのだ。
博孝達がいなくなっても自主訓練を続けているのは市原達だけでなく、他の期の後輩達も自主訓練を行っている。特に、『大規模発生』で実戦を体験した者達は少しでも強くなろうと努力していた。
しかし、どうにも物足りないと市原は感じてしまう。博孝達がいた頃は教えを乞うこともできたが、今は完全に自分が教える側だ。
訓練校の傍に建てられた駐屯施設から、時折『零戦』や他の空戦部隊の者達が訪れることはある。だが、彼らは基本的にアドバイスをするだけで実際に指導はしない。それは教官の役目であり、正規部隊員が訓練生に直接指導するのは難しいのだ。
新しく入校してきた第七十七期訓練生は基礎を固めている途中のため、自主訓練に参加する者はほとんどいない。仕方ないとは思うが、その“姿勢”こそが市原を苛立たせているのかもしれなかった。
また、同期の者達も弛んでいるように思える。強くなろうという姿勢に大きな変化はないが、現状に慣れてしまったのか、向上心が薄らいでいるように思えたのだ。
そんな市原の様子に、三年近く小隊を組んでいる二宮と三場が苦笑を向ける。
「もう少しでわたし達も卒業だし、その後は任務と訓練の毎日になるのよ?」
「そうだよ。訓練の大事さもわかるけど、残り少ない学生期間を楽しむのもいいんじゃないかな?」
宥めるように二人は言うが、同席して昼食を取っていた紫藤がぽつりと呟く。
「……わたしは市原君に同意見。最近空気が緩い。もっと死にもの狂いで訓練するべきだと思う」
「ちょ、遙?」
市原以上に剣呑な言葉を吐き出す紫藤だが、こちらは市原よりも感情の起伏が乏しいため本音なのかもわからない。ただし紫藤の瞳は真剣であり、冗談とは思えなかった。
「でもな、たまには休むことも大事なんだよ。この前海水浴に行ったんだけど、良い気分転換になったぞ」
そんな四人の話にさり気なく加わる博孝。手にはお茶を持っており、四人が利用しているテーブルの傍にあった椅子を引いて座る。
「たしかに気分転換も大事だと思いますけど、俺達はまだまだ発展途上なんです。休む暇があったら訓練しますよ」
「あー……まあ、俺達も似たようなことをやってきたからなぁ。強くは止められんね」
「そうよね。でも、たまには休暇を満喫することも立派な訓練だわ」
そこに沙織も加わり、博孝と同様にお茶を啜っている。
博孝は『隠形』で『構成力』を隠し、さらには気配を抑えて接近してきた。沙織は『隠形』を使えないが、気配の消し方に関しては博孝よりも上である。また、二人ともごく自然に食堂に入ってきたため、異変に気付く者がいなかったのだ。
「自主訓練をするのはいいけど、お前達は最上級生だろ? そんなにピリピリしてたら下級生達が声をかけにくいぞ」
「市原は周囲からどう見られるかをもう少し意識した方がいいわね」
「それはそうですが……ん?」
そこにきて、市原はようやく違和感を覚えた。紫藤も不思議そうに首を傾げており、二人の視線が博孝と沙織に向けられる。二宮と三場はエサを求める金魚のように口をパクパクと開閉させ、宇宙人にでも遭遇したような表情を浮かべた。
「か、河原崎先輩!? 長谷川先輩も!?」
「よう、後輩共。元気にしてたか?」
「鍛錬を怠っていないようね。ただ、気付くのが遅すぎるわ」
市原は驚愕の声を上げるが、博孝と沙織は平常通りだ。のんびりとお茶を啜り、市原達に視線を向けている。
周囲の生徒達も博孝と沙織の存在に気付いたのか、慌てたように視線を向けた。
「え? あれ? 河原崎先輩!?」
「長谷川先輩もいるぞ?」
「全然気づかなかった……」
ざわざわと呟く後輩達の様子に、博孝は右手を上げて応える。一期上の先輩として、また、自主訓練で辣腕を振るった身として。あるいは『大規模発生』の際に大暴れした身として、博孝と沙織を知らない者は第七十二期に存在しない。
「お久しぶりです! どうして先輩方が……っと、少尉!?」
嬉しそうに挨拶し、次いで階級章を見て目を見開く市原。その視線が沙織に向けられるが、曹長の階級章がつけられていることに再度目を見開く。
「空戦少尉に空戦曹長……訓練校の卒業生って、普通は二等兵からのスタートですよね?」
卒業後の進路や階級については市原達も知らないため、その表情には驚愕の色が濃い。何かの冗談かと思ったが、紫藤は平然と呟く。
「落ち着いて、市原君。相手は河原崎先輩と長谷川先輩。だから何の問題もない」
「ああ……そ、そうですね。このお二人なら別におかしくはないですか」
それで納得してしまったのか、市原は平静を取り戻す。そうして改めて博孝と沙織に来訪の目的を尋ねようと思ったが、二人が薄っすらと笑っているのを見て姿勢を正した。
「市原、『最近気が抜けている』と言っていたが、自分のことをよくわかっているな」
「わたし達は気配を隠していたけれど、姿までは隠していないわ。それでも声をかけられるまで気付かなかった……」
「は、はい! すいません、気付くことができませんでした!」
素直に認めて頭を下げる市原。それは他の後輩達も同様であり、気まずそうに視線を逸らしている。
「常在戦場の心得を持て、とは言わない。ただ、俺達の目的が暗殺だった場合は全員が死んでいた。そうだな?」
「……はい」
何キロも距離が離れていたわけではない。博孝と沙織は気配を隠していたが、普通に食堂の入口から入り、お茶を汲み、市原達のところまで歩いてきたのだ。もしも博孝と沙織が敵だった場合、市原達は甚大な被害を受けただろう。
「訓練校は安全な場所だが、『大規模発生』みたいな例外もある。それを努々忘れず、普段の生活の中でも一定の警戒心を保て。いいな?」
「はい! ご指導いただきありがとうございます!」
真剣に、それでいてどこか嬉しそうに一礼する市原。それを見た博孝と沙織は表情を崩し、身に纏っていた空気も和らげる。
「とまあ、硬い話はここまでだ。今日はちょっと用事があって来たんだが……紫藤? どうした?」
本題を切り出そうとした博孝だが、紫藤が距離を詰めてきたため首を傾げた。すると、紫藤はどこか不満そうな様子で博孝の隣に座る。
「生活が落ち着いたら手紙を出してほしいって言ってたのに、一通も来なかった……ずっと待ってたのに」
そういえばそんなことを言われていたな、と博孝は引きつった顔で考える。しかし、博孝としても言い分があるのだ。
「悪かったな……ただ、いきなり少尉になったもんだから、覚えることがたくさんあったんだよ。任務で長期間基地にいないこともあったしな」
忘れていたわけではないと主張する博孝。紫藤はそんな博孝にじっとりとした視線を向けていたが、やがてそれも収まり、仄かな笑顔へと変わる。
「……でも、先輩は会いに来てくれた。それだけで十分」
言葉通り満足そうな様子の紫藤だが、そんなに父親の情報が欲しかったのだろうかと博孝は首を傾げた。博孝が士官になったことで、得られる情報も増えたと思っているのかもしれない。
紫藤の態度をまるで気紛れな猫のように感じた博孝は苦笑し、軽く手を振った。
「すまんすまん。ちょっとは落ち着いてきたから、手紙を出すことぐらいは……っと、それは必要なくなるかな?」
「……どういうこと?」
博孝の口振りに疑問符を浮かべる紫藤。そんな紫藤の様子に博孝は笑い、まずは昼食を終わらせるよう促す。周囲に他の後輩達がいるため、気軽に話すことはできないのだ。
それを察した市原達はすぐに昼食を終え、博孝と沙織に促されて体育館へと移動する。教室を利用しても良かったが、午後の実技訓練に備えて更衣室に後輩が来るため、人気のない体育館の方が話をするのに適しているのだ。
体育館には斉藤と福井、野口がいたが、野口以外は見覚えがないため市原達は首を傾げる。
「先輩、あの人達はどなたです? 年長の人、明らかに腕が立ちそうですが……」
実戦経験がある市原達からすれば、一目見るだけで斉藤の技量を見抜けたらしい。福井に対しては何のコメントもなく、斉藤にのみ注意を向けている。
「強いぞ。なにせうちの部隊で隊長の次に強い人だ」
博孝はそんな市原の疑問に軽く答えると、市原達に対して軽い問答を行う。
博孝達が卒業してからの期間でどれほど鍛え、成長してきたのか。それを確認するためだ。
市原達と面識がない者達もいるため、自分の得意なことや苦手なこと、発現できるES能力等を答えさせていく。
市原は博孝達が卒業した後も努力を続け、『瞬速』と『武器化』が発現できるようになった。
二宮は『療手』の習熟を進め、今度は『治癒』を覚えようと努力しているらしい。
三場は防御系ES能力を駆使した戦い方に関して研究中。
紫藤は『狙撃』の腕を磨きつつ、今は『砲撃』の発現に注力しているようだ。
それらの話を聞いた博孝は満足そうに頷き、市原の両肩に手を置く。
「そうか……俺達が卒業した後も、きちんと研鑽を積んでいたんだな。先輩として誇らしく思うぞ」
「はい! ありがとうございます!」
聞けば、自分達の自主訓練に混ざる後輩の指導もしながら研鑽を積んでいたようだ。それは先輩である博孝達の模倣かもしれないが、実際にそれを成し遂げたということは評価に値する。
博孝が斉藤に視線を向けてみると、斉藤は何も答えず小さな頷きを返す。即応部隊に補充する人員として、適切な技量があると判断したのだ。市原達の立ち振る舞いを見る限り、“ある程度”は役に立つだろうと斉藤は思っている。
「それで、だ……君達は進路を決めているかね?」
斉藤のゴーサインが出たのを確認すると、博孝はそんな前振りを行う。市原達ならば頼めば即応部隊に来そうだが、本人達の意思こそが重要だ。もしも希望する部隊があるのなら、勧誘はほどほどにしなければならない。
「いえ、俺はありません」
「わたしもです」
「僕も特には……」
市原と二宮、三場は特になし。紫藤はどうかと視線を向けると、紫藤は再度不満そうな様子を浮かべて博孝に詰め寄った。
「先輩がいる部隊に行くって、前も言った……覚えてないの?」
不満から一転、最後には不安そうな顔で尋ねる紫藤。その表情と言葉に、斉藤が口笛を吹く。
「おいおい、後輩まで引っ掛けてたのかよ。やるじゃねえか少尉」
「同胞よ、一発殴ってもいいかね?」
「そんなんじゃないですよ中尉。あと、福井軍曹? 殴り返してもいいならどうぞ」
外野の声にそう答え、博孝は内心で嘆息する。紫藤の“事情”を知っているのは博孝と砂原だけだ。しかし、傍から見れば“別の事情”に見えても仕方がない。
博孝は実際にため息を吐くと、軽く深呼吸してから市原達を見回す。
「安心しろ、紫藤。今日はうちの部隊へのスカウトに来たんだ。お前達さえ良ければ、卒業後の進路にうちの部隊を選んでくれ」
「わかりました!」
「うん、わかった」
「即断!? 決断が早すぎるよ二人ともっ!」
迷うことなく頷く市原に、嬉しそうに微笑む紫藤。三場は目を見開いてツッコミを入れるが、博孝は軽やかに聞き流す。
「よし、楽しい愉しい地獄のような戦場に連れて行ってやるからな」
「楽しみです先輩!」
「ねえ聞いて!? お願いだから聞いて!?」
再度ツッコミの声を上げる三場。博孝はそんな三場に視線を向けると、さすがに冗談が過ぎたかと苦笑する。
「まあ、市原と紫藤が即答してくれたのは嬉しい。俺としてもお前達が承諾してくれれば頼もしく思うが、三場の懸念も尤もだ」
そう言うなり、博孝は真剣な表情へと変わった。
「どんな部隊かも教えずに勧誘するのはフェアじゃないだろう。お前達は“まだ”訓練生だし、卒業後の進路には本人の意思が重要となる」
そう語る博孝本人は、自分の意思は関係なく即応部隊へ配属されることになった。しかし、後輩である市原達にまでそれを強要したくない。
市原や紫藤は二つ返事で承諾するが、二宮と三場は常識的な感性を持っている。即応部隊の危険性を教えれば、躊躇してもおかしくはないだろう。
「今から話すことは、本来訓練生が知ることではない。そのため情報の取り扱いに注意してくれ」
そんな注意を促すと、市原達は真剣な顔で頷く。博孝はその反応に満足すると、即応部隊に関して説明を始めた。
「俺達が所属している即応部隊は『天治会』への対策として設立された。普段は訓練を行い、基地周辺の『ES寄生体』相手に実戦を行うこともある。だが、その特性上、本来の相手は『天治会』……つまり、通常の部隊と比べて敵性の『ES能力者』と戦う可能性が非常に高いわけだ」
簡単に、それでいて大きな危険性を語る博孝。定員まで部隊員が確保できたからといって、すぐに動けるわけではない。当面は部隊としての練度を高めることになるが、それでもいつ実戦に投入されるかはわからなかった。
それらの情報を簡潔に伝えつつ、博孝は付け足すようにして言う。
「強くなりたい、実戦の経験を積みたいというなら適切な部隊だろう。しかし、危険度は他の部隊よりも高い。俺もつい最近、全身をローストされて死ぬところだった」
博孝がそう言うと、市原達は冗談だと思ったのか小さく笑い――博孝の真剣な眼差しを見て口を閉ざす。冗談ではなく、実際にあったことなのだ。
「お前達は実戦経験があり、訓練生としては高い技量を持つ。通常通り正規部隊に配属されても、各部隊で重宝されるだろう。それは先輩として面倒を見てきた俺が保証する」
先輩として、『うちの部隊に来い』と博孝が言えば全員が従うだろう。市原と紫藤は喜んで、二宮と三場は若干躊躇しつつ。博孝の言うことならばと従うに違いない。
しかし、それでは駄目なのだ。市原達を補充の人員に推薦したのは博孝だが、本当に全員が来る可能性は低いと思っている。
何故ならば、ここから先は正規部隊員として何度も死線を潜っていくからだ。他の部隊ならば死線を潜る機会も少なく、潜る死線の“難易度”も高くない。
即応部隊として初めて行った正規任務――優花の護衛任務でさえ、『アンノウン』にして独自技能保持者であるベールクトと戦う羽目になったのだ。その結果重傷を負った博孝としては、本人に強い意思がなければ入隊は不可能だと思っている。
「俺としては、お前達が部隊に来てくれれば嬉しい。ただ、即応部隊の第三空戦小隊長ではなく、お前達の先輩の立場から言うなら安全な道を選んでほしいとも思う」
即応部隊の士官としては、是非とも来てほしい。しかし、先輩後輩の関係から言えば、配属を希望するとしても様々な覚悟が必要だと促す。
「河原崎先輩……わたしの決断は、四ヶ月以上前に伝えたはず」
それでも、紫藤は怯みもせずにそう言い切った。まっすぐに博孝を見詰め、決然と答える。
「わたしには目的がある。その目的のためには、先輩の近くにいた方がいい。そこがどんなに危険な場所でも、引く理由にはならない」
「……そうか」
父親への復讐のために、どんな危険な場所にでも踏み込むと告げる紫藤。そんな紫藤に複雑そうな視線を向けるが、博孝から言えることはない。
「俺も即応部隊への任官を希望します。先輩は他の部隊よりも危険が多いと仰いましたが、他の部隊でも死ぬ時は死ぬんです。それなら最初から自分を高められる部隊に行きたいと思います」
紫藤に続いてそう言ったのは、市原だった。紫藤と同様に、迷うことなく即応部隊に進むと断言する。市原は気質が沙織に似ているため、実戦が多く積めると聞けばそれだけで決断する理由になった。また、博孝達が配属されているというのも理由の一つである。
「その、わたしは……」
「えーっと……」
そんな二人とは対照的に、二宮と三場の反応は鈍い。二宮は市原に視線を向け、三場は複雑そうな表情で眉を寄せている。
二人の表情に浮かんでいたのは、躊躇の色だ。
博孝達が配属された部隊ならば自分達も、とは思う。しかしながら博孝の態度から相応の危険があることが窺え、即断することができない。
二宮と三場の態度からそれを見抜いた博孝は、表情を緩めて二人の肩に手を置いた。
「無理には言わないし、俺も言いたくない。なにせ一生を左右する選択なんだ。だから考える時間を……そうだな、斉藤中尉。どれぐらいがタイムリミットですかね?」
「駄目だった場合を考えると、他の補充要員を探す必要がある。今月いっぱいが限度だ」
基幹要員として選ばれた博孝達とは異なり、市原達は通常の部隊へ進むことができる。即応部隊にも進むことができるが、人数の調整もあるため事前に意思の確認が必要だった。
「聞いた通り、今月末までにこの話を受けるか判断してほしい。受ける場合も受けない場合も、担当教官に伝えてくれればこっちにも連絡がくる」
もしも駄目でも、その選択を尊重したい。そんなニュアンスを込めて語る博孝は、市原と紫藤にも視線を向けた。
「二人も時間が許す限り熟考してくれ。即断してくれるのは嬉しいけど、時間を置けば考えが変わるかもしれないからな。今回の話は周囲に伏せて、今月末までに担当教官に報告を頼む。何か質問はあるか?」
そう尋ねると、全員が首を横に振る。博孝はそんな後輩達の様子に再度苦笑を浮かべると、最後に礼の言葉をかけて解散することにした。
市原と紫藤が頷くのは、博孝としても予想通りである。しかし二宮と三場の反応もまた予想通りであり――四人がどんな選択を下すか判明するのは、まだ先のことだった。