第百九十三話:海水浴 その3
心頭滅却という言葉がある。これは心を無にすることであり、無の境地に立つことだ。
心頭滅却すれば火もまた涼し、ということわざにもつながる言葉だが、さすがの『ES能力者』でも火に突っ込めば少しは熱い。間違っても涼しくは思えない。
普段は訓練の虫で、度重なる危難を乗り越えてきたことで精神的にも鍛えられた博孝。しかし、そんな博孝でも心頭滅却という境地に至ることはできない。
「んっ……ちょっと力が強いわね……」
「ハイ、スミマセン」
どこか艶めかしい響きを含んだ声に、博孝は両手の力を緩めた。
「そうそう、上手よ河原崎君」
「ハイ、アリガトウゴザイマス」
ロボットのような声を出しつつ、両手を動かす博孝。その両手の下にはうつ伏せでレジャーシートに寝転がる希美の姿があり、博孝はロボットらしい正確で機械的な動作で両腕を動かしている。
何故こうなったのだろうか、などと考えた博孝だが、事は単純だ。希美に背中にサンオイルを塗るよう頼まれたのである。
スイカ割りが一段落し、各々が思い思いに遊び始めるなり希美から頼まれた。女性同士で塗れば良いのでは、と博孝は思ったものの、こういうものは男性に塗ってもらうから意味があるのだと主張する希美に押され、そういうことならばと請け負ったのである。
サンオイルを手に塗り、人肌の温度にしてから背中に手を置く博孝。希美も『ES能力者』として鍛えているが、女性らしい柔らかさと温かさが両手から伝わってくる。肌は瑞々しく、サンオイルを塗った手はまさしく滑るようにして動かすことができた。
『ES能力者』が日光で焼けるのかという疑問はあったものの、折角の海水浴だ。博孝も無粋なことは言わずにサンオイルを塗るが、さすがに平静ではいられない。
普段ならば周囲から何かしらの声が飛ぶのだろうが、多くの者は砂浜で追いかけっこをしている。
牧瀬が冗談で『ほーら、捕まえてごらんなさーい』などと言って駆け出し、それに乗った女性陣も波打ち際を駆け、男性陣も『あはは、待てー』と言いながら追いかけ始めた。
しかし、最初は笑顔で走っていたが、捕まえようとすればこれまで培ってきた体術を駆使して女性陣が回避。いつしか笑顔はなくなり、波打ち際を残像が出そうな速度で駆け回り始めた。
真顔で逃げる女性陣と、それを追う、これまた真顔の男性陣。その体捌きは『ES能力者』らしいものであり、甘酸っぱい追いかけっこではなく近接格闘訓練に近い様相となっていた。
「平和ねぇ」
「平和ですねー」
サンオイルを塗られながらその光景を見た希美が呟き、博孝も同意する。沙織を捕まえようとした中村が肘打ちを受けて五十メートルほど吹き飛んで海中に沈んだが、これも一つのスキンシップだ。
海に沈んだ中村は砂浜に戻り、再び真顔で追いかけ始めている。
「昔のドラマとかで、波打ち際を男女が追いかけっこするじゃないですか。でも、アレは絶対違いますよねー」
「そう? たまに人が吹き飛んでるけど、みんな楽しそうよ? こういう形もアリじゃないかしら」
意識を逸らすために話を振る博孝と、それに楽しげな表情で答える希美。
「アリですかね?」
「アリよ……あ、紐が邪魔だから外してくれる?」
胸を隠すビキニの紐を外してほしいと希美に頼まれ、博孝は無言で紐を引く。シュル、という小さな音がやけに艶めかしく聞こえた。
「というか、なんで俺なんです? 恭介辺りに頼んだら喜んでやってくれますよ」
「武倉君に頼んだら優花ちゃんに悪いじゃない」
「ああ……まあ、そうですね」
納得した様子でサンオイルを塗り続ける博孝。腰元から背中、ビキニを外して塗りやすくなった肩甲骨周辺へと手を伸ばし、そんなものかと内心で呟く。博孝が選ばれた理由にはなっていないのだが、そこを深く追求するつもりはなかった。
「……迷惑だった?」
無言になった博孝に対し、希美から控えめの声が届く。その声色には複数の色――緊張や怯えが混じっていることに、博孝は気付いてしまった。
「なあに、松下さんみたいに魅力的な女性の頼みごとなら喜んでやりますよ。ただ、それは他の男連中もそうなんで、後で文句を言われそうですがね」
普段通りに軽口を飛ばす博孝。しかし、希美からの反応はない。僅かに沈黙の時間を置き、希美は言う。
「……前から思っていたけど、河原崎君って優しいけどどこか他人行儀よね。ううん、特定の相手とは親しいけど、それ以外とは線を引いてる感じかな……」
ぽつりと、呟くような言葉だった。博孝は思わずサンオイルを塗る手を止め、首を傾げてしまう。
「そうですかね?」
「そうよ……だって、今だってそう。わたしが名字で呼んでいるのが悪いのかもしれないけど、河原崎君はさん付けに敬語だもの。壁があるように感じるわ」
「いやぁ、さすがに年上の女性に生意気な口を叩くのは憚られまして……うちの家、母さんが力関係の頂点に立ってるんで、その影響ですかね」
博孝にとって身近な年上の女性といえば、母親である博子だ。ただし、悪さをすればその都度“教育”を受けていたため、頭が上がらない。『ES能力者』になる前から、投げ技に対する受け身だけは自信がある博孝だった。
「そうなの? でも、もしもだけど……名前で呼んでいいって言ったら、あなたは呼んでくれるのかしら?」
博孝に背中を向けたままでそう尋ねる希美。表情は見えないが、両耳が赤くなっている。
「いきなりですね」
「いきなりじゃないわ」
希美の態度に困惑する博孝だが、うつ伏せになっていた希美は首を捻り、博孝に流し目を向けた。
「そもそも、自分の体に触れてほしくない人にオイルを塗ってとは頼まないもの」
「……それはごもっともで」
その流し目も、身に纏う雰囲気も、年上の女性らしい色気に溢れたものだ。希美の普段の姿を知っている博孝からすれば、ギャップもあって胸が高鳴りそうになる。
希美の“意図”を悟れないほど、博孝は鈍くない。どうしたものかと視線を巡らせ、最後には海に視線を向ける。
実は言葉も態度も全てが冗談で、博孝が鼻の下を伸ばせばからかうつもりなのかもしれない――が、希美はそんな性格ではなく、その態度からも嘘の気配は感じられなかった。
「俺、割と物騒な立場にあるんですよね」
「独自技能保持者だし、その歳で少尉だものね」
「いつ死ぬかもわかりません」
「『ES能力者』だもの……でも、それはわたしも同じよ? 『ES能力者』である以上、いつ戦いに赴いていつ死ぬか。それは誰にもわからないわ」
波の音を聞きながら、二人は静かに言葉を交わす。さすがにサンオイルを塗るのは止め、博孝は困ったように頬を掻いた。
「松下さんは現実的ですねぇ」
「あら、それはあなたもでしょう? あなたにどんな事情があるのかはわからないけれど、強くなろうと頑張っていることは知ってるし、訓練生の頃から何度も見てきたわ」
そう言って希美が浮かべた表情は、どこか誇らしさを含んだ笑みである。
「なんでそこまであなたが頑張るのか、最初はわからなかった。でも、独自技能保持者なら話は別……『天治会』にも狙われているのよね? 河原崎君はそれに対抗するために頑張ってる……違う?」
確認するような声だったが、希美は確信を抱いているのだろう。訓練生時代から今までに起こった事件の数々とその中心が誰かを考えれば、推測ができてしまう。
沙織や里香、恭介やみらいは知っていることだが、同期生に率先して話した覚えはない。だが、希美も優秀な『ES能力者』だ。状況証拠を集めるだけで結論に達したのだろう。
「……知ってましたか」
「確信できたのは即応部隊が設立されて、河原崎君が少尉になった時かな……訓練生の時も、下級生の子の話と照らし合わせると事件に巻き込まれ過ぎだなぁって」
例年ならば何事もなく終わるはずの任務が、実戦に早変わりするのだ。それも一度や二度ではなく、何度も引き起こされた。挙句の果てには『大規模発生』で訓練校が襲われるというオマケつきである。
「そうですか……それならわかると思いますが、冗談抜きで危険です。自分で言うのも嫌になりますが、今この時も気を抜いていません。一秒後に敵の襲来があるかも、と常に警戒している自分がいます」
直接言葉にされたわけではないが、希美に好意らしきものがあると判断した博孝はそう言う。希美のことは憎からず思っているが、博孝には本当に余裕がない。ベールクトに敗北したことで、その念は強まっている。
「でも、みらいちゃんを励ますためにこうやって海水浴を企画した……そういう優しいところに惹かれたのかなぁ。最初はただの年下の男の子にしか思えなかったのにね」
そう言って、希美は胸元を押さえながら体を起こす。結んで留めていたビキニは解いてしまったため、博孝に背を向けた。
「後ろ、結んでもらっていい?」
「えーっと……リボン結びでいいんですかね?」
尋ねると頷きが返ってきたため、博孝はゆっくりとビキニの紐を結ぶ。少しだけ視線を向けて見るが、相変わらず希美の耳が赤く染まっている。それどころか、首筋まで赤い。
平静を装っているが、希美としてもかなり恥ずかしいようだ。今しがた希美が口にした言葉も関係しているのだろう。
だが、博孝にはその言葉に応えることができない。しばらく沈黙すると、希美が小さな声で語り出す。
「わたし、みんなよりお姉さんじゃない?」
「そうですね」
肩まで伸びた髪を指先でいじりつつ、希美は言う。それに対する博孝は、他に答えようがない。
「みんなと初めて会った時も、わたしは高校卒業間近で、みんなは中学校卒業間近……その、わたし達ぐらいの年代だと、三歳差って大きい……よね?」
それは窺うような声だった。肩越しに振り返り、迷子になった子供のような顔で尋ねてくる。博孝はどう答えたものかと思考するが、思ったままに答えた。
「たしかに……松下さんだけ“大人”って感じでしたよね。いやまあ、今は法律的にも大人ですが」
博孝達よりも三歳上の希美は、既に成人している。訓練校に入校したばかりの博孝からすれば、たしかに希美は年上の女性であり、三歳という年齢の壁を高く感じたものだ。
それから三年以上の付き合いになったが、今でも時折年上の女性なのだと実感することがある。今までサンオイルを塗っていたのもそうだが、沙織などの同期生を相手にする時とは別種の緊張感があった。
しかし、希美はその反応がお気に召さなかったらしい。
「周囲と違うっていうのはけっこう辛いのよ? その辺は河原崎君もわかってると思うけど……」
「あー……ですね。すみません」
独自技能のことを言われているのだろう。そう言われてしまえば、博孝は謝ることしかできない。
真剣な顔をして頭を下げる博孝だが、そんな博孝の顔を見た希美は表情を緩めた。
「ふふっ……そこまで気にしてないわ。ごめんなさい、ちょっと困らせてみたかったの」
希美はそう言って小さく舌を出す。普段の落ち着きある希美と異なる、ギャップある仕草に博孝は困ってしまった。
「あまりからかわないでくださいよ……」
「ごめんね? でも、こうやってからかえる異性が今までいなかったのよ……あとはそう、ちょっとした嫉妬かしら?」
思わぬ言葉が出てきたため、博孝は目を白黒させた。
「嫉妬……ですか?」
「ええ、嫉妬」
繰り返してそう言う希美だが、反応に困ってしまう。博孝の反応が鈍いことに気付くと、希美は不満そうに唇を尖らせた。
「年齢を盾にして足踏みしていたわたしも悪いのだけれど、その反応は傷つくわね……でも、それも仕方ない、か……」
どこか自分に言い聞かせるような声色で、希美が呟く。博孝は迂闊なことが言えず、希美の言葉を待つ。
「“何故か”目を引かれる……意識を惹かれてしまう。みんなの前ではお姉さんぶることもあるけど、こんな気持ちになったのは初めてで、どうすればいいかもわからない」
「……松下さん?」
まるで自問自答でもするような声だったため、怪訝に思った博孝が声をかけた。すると、希美は困ったように微笑む。
「ううん、なんでもないわ。そろそろみんなから何か言われそうだし、また別の機会にしましょう」
そう言われて博孝が周囲に視線を向けると、先ほどまで追いかけっこという名の格闘戦を繰り広げていた面々からの視線を感じた。今まで声をかけてこなかったが、博孝と希美の様子が気になるらしい。
普段ならば声の一つも飛んでくるのだろうが、博孝と希美の様子を察して自重したようだ。その空気の読み方に、博孝は有り難く思う。
博孝と希美は苦笑し合うと、何事もなかったかのように海水浴を再開した。希美は“答え”を求めておらず、博孝も答える言葉を持たない。そもそも、希美の言葉や態度も曖昧なものだ。
好意らしき感情が存在するようだが、希美本人も困惑している節がある。そのため博孝も希美も棚上げし、今はまず、海水浴を楽しむことにした。
砂浜でできる遊びを一通り終えた博孝達は、水平線に沈んでいく夕日をのんびりと眺める。さすがに日が暮れると着替えるのにも難儀するため、ペットボトルに汲んできた水で体を軽く清めてから私服に着替えていた。
夕日が沈むことで徐々に下り始める夜の帳。空の彼方が赤く染まっているが、海が夕焼け色から漆黒に染まっていく様は哀愁を誘う。
「…………っ」
その様子を眺めていると、みらいが小さく震えながら博孝の裾を握った。博孝が視線を落とすと、みらいは不安そうな様子で博孝を見上げている。
暗いのは嫌いだと、みらいから聞いたことがあった。寝る時も電気を点け、周囲を闇に包まれることが嫌いだと、何度もみらいに聞いた。
護衛任務の際は暗闇の海上を飛ぶことになったが、その時は周囲に博孝達がいるから大丈夫だと言っている。しかし、朝方に見た夢が原因なのか、みらいの反応はお化けを怖がる子どものような様相だ。
即応部隊の敷地内とはいえ、外灯が大量に存在するわけではない。不審者が忍び込んでいないかを監視するために対ES戦闘部隊の兵士が歩哨を行っているが、暗闇に潜まれれば発見は難しいだろう。
さすがに基地周辺は明るく、監視網も万全だが、即応部隊のために用意された敷地の中でも端に位置する海辺は警戒が薄い。
日が暮れるとはいえ昼間の熱気が残り、気温は高い。海辺のため塩気を含んだ湿気があるが、博孝達にとっては涼風も同然である。だが、さすがに暗闇は如何ともしがたい。
時間を追うごとに深みを増す暗闇にみらいは怯え――博孝は満面の笑みを浮かべた。
「さあて、それじゃあ海水浴の締めといこうか! 野郎ども、花火の準備だ!」
スイカと併せて大量に買い込んでしまった花火の山。少しばかり夕焼けの明るさが残っているが、花火をするには十分の暗さだ。
“基地から”外出したのならば、定刻までに基地に戻る必要がある。しかし、端とはいえ砂浜も基地の一部だ。詭弁ではあるが、定められた帰寮時間にも余裕があった。
「……はなび?」
笑顔で声を張る博孝に対し、みらいが不思議そうな表情を向ける。博孝はそんなみらいを抱き上げると、まるで励ますように背中を叩いた。
「そう、花火だ。綺麗だし楽しいぞ?」
そんなことを告げる博孝としても、花火をするのは中学生以来だ。恭介達もワクワクとした様子で準備を進めており、女性陣はそんな男性陣の姿に苦笑している。
「というか、なんでこんなに大量の花火を買ってきたんすかねぇ……」
「打ち上げ花火に噴き出し花火、ねずみ花火にロケット花火……あとは線香花火と手持ちの奴がちらほら……」
「誰だよヘビ花火を買ってきたのは!? 暗闇じゃあ見えねえだろ!」
視界を確保するため、砂浜に転がっていた流木を手ごろな大きさに折って着火。間違っても花火に引火しないよう距離を取りつつ、花火の山を確認していた恭介達が楽しげな声を上げている。
博孝はみらいを抱き上げたまま近づくと、恭介から手持ち花火を受け取ってみらいに握らせる。みらいは不思議そうな顔をしていたが、博孝に促されて焚き火に近づけた。
すると、手持ち花火の先端に火が点いて緑色の炎が噴き出す。それを見たみらいは目を丸くした。
「わっ……なにこれ?」
「綺麗だろう? これが花火さ」
そう言っている間にも燃焼し、手持ち花火から噴き出た炎が色を変えていく。緑から赤、赤から黄。炎は三度色を変え、最後には燃え尽きてしまう。
みらいはしばらく花火の残骸を手に持っていたが、やがて目をキラキラと輝かせながら振り返った。
「すごいすごい! いーえすのうりょくみたい!」
「あっはっは。ES能力もこれぐらい平和に利用出来たらいいなぁ。ほら、花火はたくさんある。好きなだけ遊ぶといい」
博孝が促すと、みらいは笑顔で花火の山に突撃する。そして手当り次第に花火を掴むと、焚き火にかざし始めた。どうやら暗闇に対する怖さよりも、初めて見た『面白そうな物』に対する好奇心の方が強いようだ。
「あ、花火は人に向けたらいけないぞ? 危ないから……って、普段花火より危険なものを飛ばしてるから安全か?」
花火で遊ぶ際のマナーも教えるが、普段の訓練や実戦で使用される『射撃』や『狙撃』、『砲撃』や『爆撃』と比べれば豆鉄砲にも劣るだろう。
この場にいるのは全員『ES能力者』のため、恭介達は手持ち花火を剣に見立ててチャンバラをやっている。中にはロケット花火で撃ち合いをしている者もいるが、銃弾よりも弾速がないため回避するか素手でキャッチするほどだ。
「ゴミはちゃんと集めろよー」
そんなことを言いつつ、博孝は用意していたバケツを叩く。中にはトイレの水道で汲んできた水が入っているが、花火の量と比べると心許ない。
準備が整ったため女性陣も各々が気に入った花火を手に持ち、あるいは噴き上げ花火を砂浜に設置し、色とりどりの炎を見て歓声を上げていた。
焚き火から離れれば暗闇で満ちているが、花火の炎によって明るく、華やかに彩られる。普段ES能力を発現して花火以上に壮大な光景を出現させているが、それとはまったく別だ。風情ある、童心に返るような気持ちにさせてくれた。
博孝はその光景を眺めつつ、手に持った複数のロケット花火を円筒状にして紐で縛る。ロケット花火といっても飛んだ後に破裂するタイプではなく、手で持って使用し、複数の玉を発射するタイプである。
博孝が選んだのは二十発連続で花火の玉を吐き出すものであり、それを七本、まるでガトリング銃のようにまとめ、ライターを使って一本ずつ火を点けた。
すると、本来数秒で一発というロケット花火を毎秒二発程度の速度で発射できる。博孝はガトリング銃と化したロケット花火を抱え、恭介達のもとへと急接近した。
「ハッハッハ! これでも食らえ!」
「そんなもの……ってなんっすかソレ!?」
「どこからそんなものを持ってきたんだよ!?」
曳光弾のように光の帯を引きつつ飛来するロケット花火。それも高速かつ大量に花火を撃ち出すのだ。恭介達は慌てて回避し、博孝はその回避先に向けて銃口を向ける。
ポン、ポン、と軽い音が連続し、色とりどりの光弾が飛ぶ。最初は驚いていた恭介達だが、弾道を見切ると容易く回避していく。
「当たらん……仕方ない、こっそり『射撃』を混ぜるか」
「やめるっすよ!?」
「物騒だなぁおい!?」
高笑いをしながらロケット花火を撃っていた博孝だが、当たらないと悟ると物騒なことを呟いた。恭介達が即座にツッコミを入れるが、博孝ならば本当にやりそうだと警戒してしまう。
しかし、一分もすれば撃ち尽くし、ロケット花火が沈黙してしまった。すると、恭介達が反撃に移る。手に持っていたロケット花火に火を点け、周囲を囲んで博孝に向かって撃ち始めた。
「集団で襲ってくるとは卑怯な!」
「あんなに物騒な物を使ってきた奴の台詞とは思えないっすね!?」
「ええい! 避けるな!」
前後左右から放たれるロケット花火を足捌きだけで回避する博孝。女性陣はそんな博孝達の様子を見て、苦笑とも微笑ともつかない笑顔を浮かべて線香花火などで遊んでいる。
そうやって歓声と共に遊び、落ち着けば設置型の噴き上げ花火を観賞し、手持ち花火や線香花火の炎を見ながらのんびりと語らう。
歓声と潮風、それと波の音。あとは花火の爆ぜる音だけが砂浜に響く。
そんな中で、博孝はみらいと向き合って線香花火の遊び方を教授することにした。最後まで花火の玉が落下しなければ願い事が叶うという、都市伝説もセットでの教授である。
「そうそう、揺らさないように注意しながら遊ぶんだ。でも、ここは風があるからちょっと難しいな」
「むぅ……」
博孝の言葉が聞こえているのかいないのか、みらいは線香花火をじっと見つめている。博孝はそんなみらいの様子に微笑みつつ、自分の分の線香花火に火を点けた。
「さて……みらい、そのままでいいから俺の話を聞いてほしい」
「……なに?」
穏やかに語りかける博孝に対し、みらいは不思議そうな瞳を向ける。博孝は砂浜に腰を下ろし、線香花火に照らされる顔には声色と同様に穏やかな表情が浮かんでいた。
「この花火っていうのはな、暗くならないと遊べないものなんだ。昼間にやっても周囲の明るさに負けて、今みたいに綺麗な光にはならない」
昼間用の花火もあるが、花火と言えばやはり夜間に見るものだろう。周囲が暗いからこそ、色とりどりの花火が映えるのだ。
「みらいは暗闇が怖いっていうのは、俺も知ってる。でも、こうやって暗いからこそできる遊びもある……花火、綺麗だよな?」
「うん……」
静かに花咲く線香花火を眺めつつ、みらいは頷いた。暗闇を照らすものといえば電灯が最たるものだったみらいからすれば、花火によってもたらされる輝きは幻想的ですらある。
「暗いのが怖い……それを克服しろなんて俺は言わない。人間誰しも、一つや二つは苦手なものがあるもんさ。ただ、暗闇があるからこそ綺麗に見えるものもあるって知ってほしかった」
「うん……」
線香花火が潮風に揺られ、ぽとりと落ちた。それによって暗闇に包まれるが、新しい線香花火に火を点けることで幻想的な明るさを取り戻す。他の者達は気を遣い、博孝達から距離を取った場所で騒いでいた。
そんな周囲の喧騒を遠くに聞きながら、博孝は問う。
「……まだ怖いか?」
「すこし……でも、みんながいっしょならこわくない」
たどたどしく、それでいて安堵がこもった声での返答だった。みらいはしばらく線香花火を眺めていたが、手元で静かに弾ける花火に急かされるように口を開く。
「おにぃちゃんたちとあうまえはね、みらいはずっとひとりだった」
そんな言葉を皮切りに、みらいがぽつりぽつりと話し出す。みらいとて記憶は鮮明ではないが、自身にとって震えそうになる原初の記憶だ。
今朝方夢に見た、一人で暗闇に放り出された記憶。誰かと話すこともなく、誰かの言葉も理解できず、時折訪れた永遠とも思える暗闇と静寂に精神を削られた日々。
みらいは淡々と、自らが体験した日々を語る。みらいに対して過去の開示を求めたことはあまりないが、それはみらいが過去のことを“語ることができない”ほどに摩耗していると判断したからだ。
それを自分の口で語ることができるほどに自我を取り戻し、夢という形で思い出せるほどに健全な精神を取り戻した。精神を鑢でゆっくりと削られるような恐怖に打ち克てるほどに、感情を取り戻した。
しかし、そんなみらいでも何故博孝達に保護されたかは覚えていないらしい。違法研究所の脱出路を駆け抜け、博孝達と交戦するまでは覚えている。だが、それ以前の記憶は曖昧だ。
自らが囚われていたガラスポッドと、その周囲の光景。自らを包む薄緑色の水に、定期的に連れ去られる“物体”。そして時折聞き取れた、理解ができない言葉の数々。思い出し、言葉に出来たのはそれだけだった。
「そうか……」
みらいの話を聞いた博孝は、ため息を吐くようにして呟く。それ以上の言葉はかけられず、また、かける必要もないと思えた。
線香花火を眺めつつ、博孝とみらいの間に沈黙が満ちる。博孝はその沈黙の中で思考を巡らせた。
みらいの“出自”と、元々の扱い。それは予測していた範疇に収まったが、少々予想を外した部分もある。
(みらいは乙1024号で、ベールクトは丙256号……数字に特別な意味がなければ、連番で振られていると考えるべきだろうな。みらいが言う周囲の“物体”ってのは、みらいと同じ境遇にあった子か……でも、みらいの扱いが悪かったのは解せないな)
みらいよりも先に、乙の文字を振られた者が1023人いると思うと気が滅入った。しかし、それ以上にみらいが置かれていた環境が気にかかる。
今でこそ感情を見せるようになったみらいだが、初めて会った頃は感情の発露がなかった。意思はあるようだったが、まるで機械のように笑顔もなかったのである。
人工的に『ES能力者』を造るのが目的だとすれば、感情がないというのはマイナスだろう。『ES能力者』は感情の波が『構成力』の増幅にもつながる。それは一時的な場合が多いとはいえ、状況次第では限界を押し上げることもあるのだ。
博孝がこれまで交戦したことがある『アンノウン』は、感情の起伏が見られない者ばかりだった。ベールクトは例外だが、ベールクトが見せた感情も自然のものとは思えない節がある。
喜怒哀楽を自然に見せるようになったみらいとは異なり、ベールクトは感情の波が極端だと感じたのだ。みらいが例外なのか、ベールクトが例外なのか――あるいは感情を見せる二人こそが例外で、感情を見せない『アンノウン』こそが正常なのか。
みらいが置かれていた環境については情報が得られたが、それ以上の情報はない。『天治会』のメンバーなりベールクトなりに話を聞ければいいのだろうが、素直に話すとも思えなかった。
(いや、ベールクトなら口を滑らせそうだな……)
会話の仕方次第では、十分にあり得ることだ。博孝もベールクトと言葉を交わす内に、様々な情報を聞き出すことができたのだから。
それらの情報を思考した博孝は、一度考えを打ち切る。後々砂原にも報告する必要があるが、今はみらいのことを優先するべきだった。
線香花火を見つめるみらいの瞳に、恐怖の色は映っていない。だが、いつ、どういった状況でフラッシュバックするかわからないのだ。ベールクトが現れたことによって、みらいも不安に思っているだろう。
みらいを『お姉様』と呼ぶ、みらいに似た特徴を持つベールクト。その存在を目の当たりにしたことで、みらいは自分が何者なのかと疑問に感じている。自分自身が何者かと、疑問と困惑に揺れている。
「おにぃちゃん……みらいって、なんなのかな?」
そしてぽつりと、みらいの口から疑問が溢れた。それは博孝が予期したものとは異なり、落ち着いた問いかけである。だからこそ、博孝も落ち着いて答えることができた。
「みらいはみらいだよ。それ以上でもそれ以下でもない、俺の可愛い妹だ。恭介達にとっても妹分で、大切な仲間さ」
線香花火のように儚げな様子のみらいに言えるのは、それだけだ。過去がどうであれ、出自がどうであれ、博孝や他の皆にとっても変わらない。
おそらくは誰もが同じことを答えるであろう、平凡な答え。しかし、それで良いのだと博孝は思う。特別な言葉でないからこそ、みらいにとっては“特別”になる。
「それなら、あのこは?」
「ベールクトのことか?」
博孝が尋ねると、みらいは小さく頷いた。博孝は視線を遠くに向けると、どう答えたものかと頭を掻く。
「そいつはさすがにわからないなぁ……本当にみらいの妹かもしれないし、みらいを姉だと呼んでいるだけかもしれない」
「……おにぃちゃんでもわからないんだ」
芳しくない答えに、みらいが沈む。博孝は線香花火を見つめるみらいを撫でると、笑顔で告げる。
「それなら、これから知ればいいさ。みらいにとっては怖い暗闇も、花火を輝かせる一つの要素になる。ベールクトの話はみらいにとって辛いかもしれないけど、みらいが自分のことを知ることにつながるかもしれない」
もちろん、ベールクトのことを知ることにもつながる。そう言葉を切って、博孝は線香花火に手を伸ばした。しかし、残りは一本しかない。
「あー……最後の一本か。それならみらい、最後の一本は玉を落とさないようにしないとな」
最後の一本をみらいに譲り、博孝はライターで火を点けた。そして、花のように弾ける火花を眺めながら口を開く。
「願い事は何にしようか?」
「ん……むびょーそくさい?」
「渋いな……」
そんな些細な会話でさえも、みらいの助けになるかもしれない。少なくとも、海水浴に向かう前にみらいが浮かべていた不安や動揺といった感情は消えている。
いきなりトラウマを克服することはできないだろうが、みらいに対する一助になればと博孝は思うのだった。
花火を終え、後片付けも終えた博孝達が砂浜を後にする。それを遠くから見届けた男性――斉藤は深々とため息を吐いた。
『こちら斉藤です。河原崎少尉達は基地へ帰還を開始。問題はありませんでした、どうぞ』
『ご苦労、中尉。君も帰還したまえ』
『隠形』で『構成力』を隠し、目視されないよう茂みに伏せた状態での報告に砂原からの返答があった。『隠形』以外のES能力を使えば博孝や沙織などの勘が鋭い者に気付かれる可能性があったが、一日中気付かれることなく“監視”を終えることができたことに斉藤は安堵する。
即応部隊の敷地内とはいえ、海水浴をしたいと希望してきた博孝達の安全を考慮して砂原が護衛を“頼んだ”のだ。訓練校を卒業して正規部隊員の一員になった博孝達だが、砂原としては心配が尽きないらしい。
そのため腕が立ち、博孝達に悟られずに監視できる斉藤に白羽の矢が立ったのだが、斉藤としてはため息の一つも吐きたくなる。
『今度酒の一杯でも奢ってくださいよ、砂原先輩?』
『後輩の面倒も見るのも先輩の役目だろう? まあ、酒の一杯と言わず瓶で奢ってやる……手間をかけさせてすまんな。俺が基地にいれば何かあるかと思ったのだが』
詫びる砂原に、斉藤は吐いたため息を飲み込んだ。砂原の危惧もわかるため、今度は苦笑を浮かべる。
“教え子”が可愛くて仕方ないのだろう、と斉藤は納得した。砂原本人は認めないのだろうが、斉藤からすれば一目瞭然だ。
訓練校を卒業し、共に戦場に立つ存在だと認識しても、砂原からすれば手塩にかけた教え子達である。折角の休暇、折角の海水浴を満喫してもらいたいという“親心”があった。
『先輩に素直に謝られると反応に困りますね。ま、先輩の優しさを俺らにも分けてほしいところですわ』
本人が目の前にいない、携帯電話越しだからこそ飛ばせる冗談。それを聞いた砂原は、電話越しで穏やかに笑う。
『そうか……では、明日の訓練では優しく、手取り足取り徹底的に扱いてやろう』
『おっと、コイツは藪蛇でしたか』
カラカラと笑い、斉藤は通話を終了する。そして、博孝達の後を追うようにして駐屯基地へと戻るのだった。
たまには戦闘も襲撃もなく、平和に海で遊ぶことに成功しました。
何か日本語がおかしい気がしますが、いただいたご感想の多くで疑いに満ちた声が上がっていたので、作者としてはとても嬉しいです。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。