第百九十二話:海水浴 その2
即応部隊が駐屯する基地の敷地内に存在する砂浜は、当然ながらレジャー目的で用意されたものではない。空戦の『ES能力者』が訓練をする際、地上に影響があってはまずいという判断から海上の空域を利用するのだ。
演習目的で利用することもあるためトイレぐらいは存在するが、更衣室やシャワールームといった海水浴に必須の施設は存在しなかった。
シャワーに関しては基地が近くにあるため、塩気をタオルで拭ってから帰れば良い。水を汲んだペットボトルも持ち込んでおり、最低限は塩気が取れるだろう。
しかし更衣室がないというのは痛手であり――事前にそれを調べていた各員は、出発の時点で服の下に水着を着ることでそれを乗り越えた。
乙女心なのか羞恥心なのか、あるいは礼儀的な問題なのか、女性陣はわざわざ大型のレジャーテントを持ち込み、その中で着替えている。男性陣はその間にレジャーシートを敷き、ビーチパラソルを立て、海水浴に相応しい環境を作り上げていた。
博孝達も服の下に水着を着ていたため、上着やズボン、靴などを脱げばそれだけで準備完了である。女性陣とは異なり、博孝達は訓練生時代にも着用していた海パンを身につけていた。
身長が伸びた者もいるが、太って着用できなくなるような者はいない。太る暇と余裕がないほどに、苛烈な訓練と任務を潜り抜けてきたからだ。
もしも海辺で見かければ二度見するほどに体を鍛えている博孝達だが、その中でも博孝は際立って異質だった。かつて見た砂原程ではないが、体のところどころに傷がついている。
その中でも目立つのは、かつて沙織に斬られた傷だ。さらに敵性『ES能力者』によって飛ばされた左腕や、ベールクトに焼かれた背中など、傷自体は治っても“傷跡”として重傷の痕が見えた。
それらの傷跡は負傷の程度に比べれば遥かに目立たないが、それでも『ES能力者』が見れば即座に看破できるほどの傷である。
「さて諸君……かつての絶望を乗り越える時がきたぞ」
そんな自分の外見など気にせず、博孝が真剣な顔で告げた。すると、他の男性陣も揃って真面目な顔で頷く。
「訓練生時代は色気の欠片もない競泳用水着だったっすからね……」
「知ってるか? あの水着、『ES能力者』が使うだけあって防弾防刃仕様だったらしいぞ」
「どうして水着にそんな物騒な仕様が……色気どころの話じゃない……」
ハーフスーツタイプの水着を着ていた同級生達の姿を思い出す恭介や、水着の仕様について議論する中村と和田。以前、海上護衛任務を行うということで水着を着用して訓練を行ったが、その際に青少年の夢が打ち砕かれてしまったのだ。
しかし、今回は訓練ではない。休暇であり、世間一般でいう『海水浴』を行うためにここに来たのだ。間違っても訓練ではない。そのため、女性陣も“普通”の水着を着用するだろう。
普段遊ぶ機会が少ない分、遊べる時にはとことん遊ぶべきだ。そう思った博孝は、まったく使い道がない給料を使ってスイカや花火も買ってきた。他の男達も似たようなことを考えたのか、スイカと花火が大量になってしまったのは苦笑するしかないが。
「みんなが売店で水着を注文していたのは知っている……つまり、俺達の勝利は確定だということだ」
「しかし少尉殿、ダイバースーツのような全身を覆うタイプだったらどうしますか?」
真面目な顔を継続して呟く博孝に対し、恭介も仕事用の口調で尋ねる。服装が水着姿のためまったく締まらないが、二人は微塵も気にしない。
「今回は訓練ではない。みんなもその辺りを弁えて、“遊び”に適した水着を選んでいるはずだ……多分」
さすがに事前に確認はできず、博孝としても願望の言葉が混じってしまった。男性陣はそれでも期待に顔を輝かせ、誰がどんな水着を選んだのかと意見を交わし合う。
「ここはやっぱり、定番のビキニじゃないっすか?」
「ビキニと一口に言っても色々と種類があるだろ……いや、うん、詳しくないからわかんないけど」
「さすがにスクール水着はないとして……みらいちゃんは有り得るかな?」
「スクール水着かぁ……」
恭介達が意見を交わす中、博孝が視線を向けたのは城之内だ。どこかソワソワとした様子であり、女性陣が着替えを行っているレジャーテントをチラチラと見ている。
「スクール水着はないっしょ。俺達一応社会人っすよ?」
「ビキニ、ワンピース、タンキニ……なんだろうな?」
「けっこう知ってるじゃん……」
「スクール水着かぁ……」
何故か同じ言葉を繰り返す城之内。それを見た博孝はにこやかに微笑むと、背後から城之内の両肩に手を乗せた。
「――スクール水着がどうしたのかな、城之内くぅん?」
「ひぃっ!? 河原崎!?」
ビクーン、と体を硬直させる城之内と、ニコニコ笑ったままで両肩に置いた手に力を込める博孝。
「な、なんでもないですよ!?」
「ほう……それならなんで敬語なのかな? なんで目を逸らすのかな? ほら、俺の目を見てもう一回否定してみ、ん?」
「なんでも……ないです、よ?」
真夏の暑さとは別の理由で大量の汗を流す城之内。ただし、汗は汗でも冷や汗だろう。博孝は笑顔を浮かべているものの、目だけは笑っていない。
「……みらいの水着姿か」
「っ!?」
博孝の呟きに対し、城之内は思わず身を震わせてしまった。博孝は相変わらず笑ってない瞳でそんな城之内を見ていたが、内心では別のことを考える。
(一応書類上では十五歳だし……問題はないんだよな、書類上は。でも、“実年齢”は下手したら十歳引いても足りないかもしれないし……)
博孝達はみらいに関する“事情”を知っているが、中村達はそうではない。初対面時に十三歳と――今では十五歳になっているみらいならば、十分に恋愛対象に成り得る。
大学生が中学三年生、あるいは高校一年生に懸想しているのだと思えばまだ納得もできるが、みらいの実年齢は不明だ。
人工的な存在であるみらいは外見も幼いが、その内面はそれ以上に幼い。博孝としてはないと思いたいが、みらいはまだ未就学児程度の年齢である可能性もあるのだ。
それに対して、博孝達は高校扱いされている訓練校を卒業した“社会人”である。さすがに城之内も本気ではないと思うが、博孝からすれば同期の仲間が未就学児に対して予期せぬ想いを抱いているようで、非常に落ち着かない。
かといってみらいの情報に関しては機密の関係もあり、仲間と云えど簡単には話せなかった。城之内が“本気”で、なおかつみらいもそれに“応える”つもりならば応援するが、現状では止めざるを得ない。
もしもみらいが本当の妹で、『天治会』に狙われるような要素がなければもっと気楽に構えることができる。だが、みらいと恋仲になるということは、相応の“弱点”にもなるということだ。
みらいと恋仲になった相手が砂原クラスの実力者ならば問題もないだろうが、いくら優秀と言っても訓練校を卒業したての『ES能力者』には荷が重いだろう。
(そういえば、市原の奴もみらいに対する反応がおかしかったっけ……)
後輩である市原の態度はどちらかといえば敬愛に近いようだが、義兄である博孝としては座視することはできなかった。
城之内はそのまま目玉が取れてしまうのではないかと心配するほどに視線を泳がせ、ダラダラと冷や汗を流している。博孝はそんな城之内を眺め、視線を海に移し、最後に砂浜を見つめた。
「――埋めるか」
「何があってそんな決断をっ!?」
突然の猟奇的な発言に驚く城之内だったが、博孝に両肩を掴まれて逃げることができない。恭介達は『また馬鹿なことを言い出したぞ』と苦笑していたが、ここは悪ノリすることにした。
「少尉殿、どこに埋めますか?」
「んー……波打ち際とか?」
「はっ! 了解であります!」
敬礼をして波打ち際まで駆け、拳を固めて振り下ろす中村。湿った砂地はその一撃で吹き飛び、人ひとりが入れそうな穴を作り出した。
恭介と和田は城之内の腕を掴み、逃げられないよう持ち上げてから“墓穴”へと連行する。
「いやー、すまないっすね城之内兵長。上官の言葉には逆らえないっすよー」
「そうそう、悪いなー」
「嘘つけっ! お前ら絶対楽しんで……うわっ、やめろっ! 死にたくねぇっ!」
城之内が逃げ出さないよう肩を押さえつつ、首から上だけが出るよう砂を放り込んでいく博孝達。城之内も逃げようと思えば逃げられたのだろうが、死にもの狂いで逃げ出すのもどうかと思い、なされるがままだった。
首から下が砂に埋まった城之内と、その周りを飛び跳ねて砂地を固める博孝達。潮が満ちれば頭の上まで海水で満ちそうだが、この程度の拘束、『ES能力者』の身体能力を以ってすれば容易く脱出できるだろう。
そう考えていた城之内は口ではやめろと叫びつつ、いざとなれば強引に脱出しようと思っていた。
「漫画とかでこういう光景見るけど、コレって普通の人がやったらヤバイよな……」
「俺達は平気っすけど、普通の人が砂浜でやったら砂の熱で体調崩しそうっすね……」
「その前に、体が潰れないか心配になるな……」
「こんな処刑方法がありそうで怖い……」
埋まった城之内を見て、博孝達は口々に呟く。普通の人間ならば他人が掘り出さなければ脱出できず、掘り出すまでに時間もかかるが、『ES能力者』ならば容易に脱出できる。城之内はそろそろ出てもいいだろうと判断して全身に力を込め――。
「……あれ?」
しかし、体に力を入れても脱出ができない。海水を吸った砂は思ったよりも重く、また、博孝達が踏み固めたのだ。脱出は容易ではない。
「あ、ちょっ、コレやばい、マジでやばいって!」
焦った声を出す城之内と、それを聞いて顔を見合わせる博孝達。城之内の演技かと思ったが、その顔は真剣だ。
「思わぬところに『ES能力者』を拘束するための方法が……」
「でも、俺や博孝ならこれぐらい脱出できそうじゃないっすか?」
「お前ら筋肉馬鹿と一緒にしないでくれるかな!?」
博孝と恭介ならば、身体能力と『構成力』の差によって脱出できるだろう。特に、博孝には『活性化』もある。
「でも、その位置ならローアングルから覗き放題じゃねーの?」
真剣な顔で『ES能力者』を拘束する方法について話し合う博孝と恭介を他所に、中村がぽつりと呟いた。その言葉を聞いた他の男性陣は揃って振り向き、砂浜に埋まった城之内に視線を集中させる。
「たしかに、自然とローアングルを確保することができるな……」
「女性陣も何があったのかと思って見に来るっすよね……」
「いや、でも、さすがにそれはちょっと……」
「砂に埋まることと引き換えなら、悪くない気もするけど……」
真面目に検討している仲間の姿に、城之内は少しだけ泣きたくなった。しかし、ローアングルを確保できると聞いて鼻の下を伸ばす。
「も、もうちょっとだけこのままでいいかな……なんて」
いざとなれば助けてもらえるだろう。そう判断した城之内は、己の欲望に従ってそんなことを口にした。すると、周囲にいた男性陣が表情を変える。
「よし、スイカ割りしようぜ! お前スイカな!」
「カニを捕まえてくるっすよ!」
「フナムシだ! フナムシを探すぞ!」
「ウニでも転がすか!」
「ローアングル云々言い出したのはそっちだろ!? あとスイカ割りとフナムシはやめろ!」
“スイカ割り”は物理的に、フナムシは精神的にまずい。そう思った城之内が必死になって叫ぶと、博孝は冗談を止めて城之内に『活性化』を発現する。それによって身体能力が強化された城之内は、押し固められた砂を撒き散らしながら脱出した。
「おらあああぁぁっ! 今度はお前らを埋めてやる!」
「うわ、逃げろ! 地底人だ!」
「捕まったら埋められるっすよ!」
体中に砂を纏って追いかけてくる城之内から逃げ出す博孝達。頭の片隅では『なんで男だけで波打ち際ではしゃいでいるのだろう?』と疑問を覚えていたが、その場の雰囲気に合わせて全員が騒いでいるだけだ。
そうやって騒いでいると、ようやく女性陣が姿を見せる。レジャーテントを開け、沙織やみらいが出てきた――が、他の面々は出てこない。
「よくよく考えたら、水着姿でみんなの前に出なきゃいけないのよね……」
「海水浴って単語に踊らされて、男連中の目があることを忘れてたわ……」
ひそひそと話しているが、どうやら水着姿を晒すことに抵抗があるようだ。しかし、沙織は堂々と、みらいは膨らませた浮き輪を持って楽しげに博孝達のもとへ向かっている。
そのため逡巡を取り払い、他の女性陣も二人の後を追った。すると、波打ち際で鬼ごっこをしていた男性陣が風のような速度で集合する。つい夢中になってしまったが、今回は海水浴に来たのだ。そして、その中には女性陣の水着姿を観賞するという目的もある。
颯爽と姿を見せた沙織は、意外と言うべきか妥当と言うべきか、ビキニタイプの水着だった。色は白一色であり、泳ぐのに邪魔と判断したのか結い上げられた黒髪と対比を成している。
普段の訓練によって鍛えられた体は無駄な脂肪を一切付けずに引き締まっており、適度に膨らんだ胸部と臀部がメリハリのあるボディラインを形成していた。
そんな沙織と共に駆け寄ってきたみらいは、水玉模様の水着を身につけている。形状はワンピースタイプだが、胸元や腰元には白い布地でフリルがあしらわれていた。こちらは色気が微塵もないが、非常に動き易そうである。
続いて、里香達も沙織とみらいに追いつく。希美や牧瀬、他の女性陣もいたが、それぞれ照れるような、気まずそうな顔で視線を逸らしていた。
里香が選んだ水着は上がTシャツ、下が短いスカートに見えるタンキニだった。その中にはビキニを着ているのだが、実際に脱がなければわからない。白地に複数色のラインが入っており、控えめな里香が苦心して選んだ意匠でもあった。
そして、男性陣の目を最も惹いたのは希美である。白地にチェック柄のビキニを着用しており、腰元にはパレオが巻いてある。その着こなしもそうだったが、男性陣の視線は希美の“一部”に釘付けだ。
服の上から見てもわかっていたことだが、希美の胸は非常に大きかった。それが水着になると余計に強調され、多くの男性陣の視線を釘付けにする。
「ああ……生きてて良かったっす……」
何故か砂浜に両膝をつき、両手を合わせて神に祈る恭介。その姿はまるで敬虔な信徒のようだったが、祈る対象が俗すぎた。中村達も同じ心境なのか、思わず手を打ち合わせている。
「さすがに照れるわねぇ……」
視線や態度が明け透けだったため、さすがの希美も照れたように両腕で自分の体を隠す。しかし、そんな仕草にも大きな色気があった。
「ふむふむ……」
だが、博孝は恭介達とは違った反応をしている。顎に手を当てながら真剣な顔で女性陣を見回し、これまた真剣な声で告げる。
「――グッジョブ」
だが、内容は恭介達と一緒だった。すると、牧瀬を筆頭とした同期生達が博孝達を蹴散らし始める。
「アンタら、今わたし達を見てなかったでしょ!」
「何を拝んでるのよ! 何がグッジョブよ! 海に還すわよ!?」
「巨乳がそんなに偉いっていうの!?」
それは乙女の怒りによるものか、普段の技量差など物ともせずに吹き飛ばされる博孝達。防御も回避も不可能な打撃は博孝達を紙屑のように吹き飛ばし、海へと叩き込まれた。
「ぶはっ! やばいやばい、ついうっかり回避するのを忘れてたぜ……」
海面に浮上し、海水を拭いながらそう呟く博孝。周りを見れば恭介達も浮上し、砂浜に向かって泳いでいる。
「ここまで重い打撃は中々お目にかかれないっすね」
「まったくだ。これを実戦で出してくれればいいのにな」
そんなことを話しながら砂浜に戻る博孝達だが、女性陣からは白い目を向けられてしまう。普段通りなのは沙織とみらいだけだ。
沙織は泳ぐつもりらしく準備運動をしており、みらいは膨らんだ浮き輪を片手に砂浜の上を飛び跳ねている。マイペースにもほどがあるが、周囲とは一線を画す落ち着きぶりだ。
博孝はそんな二人の様子に苦笑しつつ、全員の準備が整ったと見て口を開く。
「冗談はこれぐらいにして……折角の休暇、折角の海水浴だし、事故なく怪我なく楽しもう。泳ぐ奴はあまり遠くまで行くなよ? 海棲の『ES寄生体』と遭遇するかもしれないしな」
『了解!』
真面目な顔で話す博孝だが、答える声も真面目なものだった。さすがに休暇の最中に『ES寄生体』と戦うのは勘弁してほしいのだろう。
そんな仲間達の様子に苦笑する博孝だが、それは博孝としても同感である。一応は即応部隊の敷地内だが、何が起こるかわからない。しかし、折角休暇を遊んで過ごそうと思ったのだ。
それならば遊び倒し、精神的にリフレッシュするべきだろう。普段は士官として真面目に働いているため、こういう時ぐらいは肩の力を抜くべきだと博孝は思うのだった。
さて遊ぼうと思った博孝達だが、海辺で行うことは割と限られている。
海で泳ぐ、砂浜で遊ぶなどの海水浴らしい過ごし方に、ビーチボールで遊ぶ、肌を焼く、スイカ割りや釣りなどの選択肢があったが、最後の釣りに関しては釣竿を用意している者がいなかった。
そもそも仲間が大勢で騒いでいる中に抜け出し、一人で釣り糸を垂らす性格の者がいなかったのが原因だろう。
そのため、博孝達は思い思いに、遊びたいように遊ぶ。泳ぐ者もいれば砂浜で遊ぶ者、ビーチボールを地面に落とさないようトスしている者、砂浜に敷いたビニールシートに寝転がって肌を焼く者等々、遊び始めれば五分とせずに歓声が響き渡ることになった。
博孝は海に入ると、浮き輪を抱えて浮かぶみらいを泳ぎながら引っ張っていく。その速度は非常に速く、みらいは大喜びだ。
「すごい! おにぃちゃんはやい!」
「よーし、それならもっとスピードを出すぞ!」
浮き輪には紐がついており、その紐を胴体に巻いているため泳ぐのにも支障がない。博孝が『ES能力者』としての身体能力を発揮して泳ぐと、世界記録を容易く超える速度で波を掻き分けていく。
その傍では沙織も泳いでいたが、こちらはまるでイルカかシャチのようだ。時折海面を跳ねるようにして泳いでいるが、やろうと思えば水面も走れる『ES能力者』としてはまだ大人しい。それでも、常人が見れば目を疑うような光景であることに違いはないが。
そんな博孝達とは別に、恭介は希美や牧瀬を誘ってビーチバレーをしている。膨らませたビーチボールを落とさないよう、それでいてうっかり割ってしまわないよう注意しつつ、砂を巻き上げながら体が消える速度で砂浜を駆け回っていた。
ビーチボールを打ち返す瞬間だけ足を止め、打ち返すなり相手が打つ方向を制限しようとフェイントをかけて動き回っている。相手もそのフェイントを読み、目線や足の向き、ほんの僅かな体捌きで動きを誘導しようと無言で駆け引きを行っていた。
傍目から見れば何かの訓練にしか思えないが、本人達は十分に遊んでいるつもりである。ES能力も使用せず、はしゃぐようにして遊んでいるのだから間違いはないだろう。
そうやって遊び、飽きたら別の遊び方をする博孝達。その合間合間に女性陣の水着姿に鼻を伸ばしていたが、反応しない方が逆に失礼だろうと自分自身に言い聞かせている。
「よしっ、スイカ割りしようぜ! スイカは大量にあるしな!」
テンションが上がってきた博孝は、全員にそんなことを提案した。すると即座に賛同され、博孝は近くにあった手ごろな流木を拾い上げる。木刀でも用意していれば良かったのだが、さすがに海水浴に行くために木刀を用意する者はいなかった。
「沙織」
「ちょっと待って」
博孝が放った流木を受け取ると、沙織は『武器化』で刀を発現して流木を削っていく。そして持ち易さを調整すると、どこか楽しげな様子で流木を構えた。
「わたし、スイカ割りってやったことないのよね。最初にやってみてもいいかしら?」
「おう。ルールは知ってるか? 目隠しして、その場で……俺達『ES能力者』だし、五十回ぐらい回るか。そんで、それから周囲の声を頼りにスイカを割るんだ」
『ES能力者』は三半規管も頑強なため、五十回でも目が回る保証はない。そもそも試したことがないため適当にそう述べる博孝だが、沙織は真面目な顔で頷いた。
沙織がスイカから二十メートルほど距離を取ると、博孝がタオルを巻いて目隠しをする。準備が整ったことを確認すると、沙織はその場でくるくると回り始めた。
それを眺めていた仲間達が、回転数を言葉にする。そうして五十回その場で回った沙織だが、自分で回転を調整していたのか、スイカに体を向けて停止した。次いで流木を正眼に構える。
「お、いいぞ沙織! そこからまっすぐだ!」
目が回った様子はないが、視界がない状態で真っ直ぐ歩くのは存外に難しい。そのため声で誘導しようとした博孝だが、その声を聞いた瞬間沙織が流木を持ち上げた。
「ん? そこからじゃ届か……退避ー! 全員退避ー!」
沙織の“意図”を悟った博孝がそう叫ぶと、全員がその場から飛び退く。
――次の瞬間、振り下ろした流木から『構成力』の刃が飛んだ。
放たれた『飛刃』は真っ直ぐと飛び、そのまま進路上にあったスイカを強襲。音もなく衝撃すらも置き去りにした斬撃は、切り口すら悟らせずにスイカを両断した。
『飛刃』は威力を調整していたのか、スイカを両断するなり消失する。博孝達が避けずとも命中はせず、沙織としてもそれを見越していたのだろうが、スイカ割りとはスイカを割るものである。間違っても両断するものではない。
「こらぁー! ES能力は駄目に決まってるだろ!?」
「え? 駄目なの?」
流木を振るって残心を取っていた沙織だが、目に巻かれたタオルを取りながら心底不思議そうに尋ねる。
この砂浜は即応部隊の敷地内であり、訓練区域でもあるためES能力を使用しても問題はない。しかしながら海水浴の、それもスイカ割りに使用するのは常識的に間違っているだろう。
仲間達からブーイングを向けられた沙織は、しょんぼりとした様子で流木を砂地に突き刺す。そして自分が両断したスイカを手に取ると、みらいを連れてビーチパラソルの影に入ってスイカを齧り始めた。
両断されたスイカはさらに食べやすいよう手刀で叩き割ったが、それに対してツッコミを入れる者はいない。
「粉砕するよりはいいと思ったのよ……」
「もったいないもんね」
沙織を慰めるように肩を叩くみらい。そこには朝方に見た暗さや動揺は存在せず、沙織の行動に対して笑っている。
そんなみらいの様子に、沙織は微笑みながら手を伸ばした。海水に濡れたみらいの髪を優しく払い、スイカの汁で汚れないようにする。みらいは沙織の行動にくすぐったそうな笑みを返したが、すぐにスイカの種がどこまで飛ぶか挑戦し始めた。
二人の視線の先では、今度は博孝がスイカ割りを行っている。沙織が五十回ほど回っても平然としていたことから回転数を百まで伸ばし、更には視界が封じられているにも関わらずその場で後方宙返りをしている。
「よっしゃ、いくぞ!」
そう叫ぶなり、右手に流木を持ったまま体を伏せる博孝。そして周囲の声など聞いていないと言わんばかりに四肢を使って高々と跳躍し、縦に回転しながらスイカに向かって一直線に落下してくる。
「そこだあああああああああぁぁぁっ!」
風車のように回転して勢いをつけ、着地と同時に流木を振り下ろす。地面を叩き割りそうなほどに強烈な一撃はスイカから僅かに横の砂地を叩き、その衝撃で流木は粉砕。スイカは間欠泉にでも巻き込まれたように跳ね上がり、地面に落下した衝撃で九つに砕けた。
「ん? んん? お、やった! 手応えが変だったけど、ちゃんと割れた!」
目隠しを取った博孝は、砕けたスイカを見て喜びの声を上げる。しかし、すぐさま中村達が飛び蹴りを食らわせ、博孝を吹き飛ばした。
「ちゃんと割れた、じゃねえよ!」
「割れたけどお前が割ったわけじゃねえよ!」
「ええい、海に沈めちまえ!」
三人がかりで博孝を押さえ込み、両腕と両足を掴んでブランコのように勢いをつけて手を離す。それによって博孝は高々と舞い上がり、数秒と経たず重力に引かれて海面へと落下した。
飛んだ距離は数十メートルにも及んだが、『ES能力者』にとっては大した影響もない。博孝も歓声を上げながら空を遊泳していたが、海に落下すると平然と砂浜に戻ってくる。
「目が回らないから難易度が低いなぁ……目隠ししてからスイカを移動させてみるか?」
「それってもうスイカ割りじゃない気がするっすね……」
『ES能力者』として鍛えられた博孝達は、例え視界が塞がれていようとも正確に距離を測ることができる。自らの体をどれだけ動かせば距離を詰められるかも知っているため、視界が封じられても曲芸染みた動きが可能だった。
博孝は自分が砕いたスイカを拾うと、沙織とみらいのもとへ向かう。パラソルの陰に入って腰を下ろすと、スイカを齧り始めた。
「お、美味いな」
「ほどよい甘さよね」
先にスイカを食べていた沙織が同意する。そんな博孝と沙織に挟まれるようにして座っていたみらいはスイカの種を飛ばすのに夢中であり、口の周りをスイカの汁で濡らしていた。
「あら、みらいったら……ほら、こっちを向いて。口の周りが汚れてるわよ?」
「んっ……」
用意していたウェットティッシュでみらいの口を拭く沙織と、素直に従うみらい。スイカを齧りながら横目で二人の様子を見ていた博孝は、仲間達が拾った流木を手にして再度スイカ割りに挑戦しているのを見て目を細める。
「あー……平和だねぇ」
「そうね……休日といえば自主訓練ばかりだったけれど、たまにはこういう過ごし方も悪くないわ」
しみじみ呟く博孝と、その言葉を聞いて苦笑しつつも同意する沙織。仲間達の歓声を聞きながら海辺でスイカを齧っている現状こそが非日常のように思えて、どこかおかしく思ってしまう。しかし、それでも良いと思えた。
博孝がさり気なく視線を向けて見るが、みらいの顔に暗い色は浮かんでいない。今この時を目一杯楽しんでいるようで、機嫌は上々だ。
それが今だけのものでも、みらいが楽しんでいるのなら良い。最近は気落ちしている様子だったが、その陰鬱さを少しでも拭えたのなら本望である。
博孝としてもベールクトやみらいの関係性について思うところはあるが、それはそれ、これはこれだ。落ち込んでいるみらいを元気づける方が大事だった。
「さあ、みらいもスイカ割りをしてくるといい。ただし、粉々にしたらダメだぞ?」
「うんっ!」
スイカを食べ終えたみらいの背中を優しく叩くと、みらいは元気よく返事をして飛び出す。そんなみらいの背中を見送った博孝は沙織と顔を見合わせ、笑い合ってから自分が割ったスイカを齧るのだった。
たまには戦闘も襲撃もなく、平和に海で遊んでいます。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想や評価等をいただきまして、ありがとうございます。
リリィさんよりレビューをいただきまして、合計で15件になりました。レビューをいただき、ありがとうございます。
なんという砂原推し……
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。