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第百八十九話:護衛任務 完了

 とあるホテルの一室に、博孝と里香の姿があった。

 互いに向き合っていた二人だが、博孝はおもむろに服を脱ぎ出す。里香はそんな博孝を見つめていたが、僅かに顔を赤らめ、その瞳に涙が溜まっているのは何故なのか。

 博孝はベッドを指差し、里香を促す。一人で眠るには大きめのベッドであり、サイズで言えばキングサイズだろう。里香は博孝の仕草に従い、ベッドへと導かれる。

 年頃の男女二人がベッドで行うことなど、限られている。上着を脱いだ博孝はおもむろにベッドに寝そべり、里香へ視線を送り――。


「それじゃあ治療を頼むな」


 ――当然、色っぽい話などではなかった。


 東扇島から東京へ戻ってきた博孝達だが、それで護衛任務が終わるわけではない。しばらくは『天治会』に動きがないかを確認する必要があり、その間は護衛を継続するのだ。

 しかし、さすがに重傷を負った博孝を放置するわけにはいかない。恭介も肋骨を複数本骨折するという重傷を負っていたが、『ES能力者』にとって骨折の治療は難易度が高いものではなかった。

 みらいが大量の『構成力』を背景として『療手』での治療(ごりおし)を行い、折れた肋骨や傷ついた内臓を治したのである。みらいは博孝の治療も行いたかったようだが、博孝が負った火傷は強引に治すとどうなるかわからない。

 そのため、軍医である里香が付きっきりで治療することになったのだ。東京まで移動してくる最中も『治癒』をかけていたが効果が薄く、優花を護衛するために宿泊しているホテルの一室で本格的な治療を行っているのである。


「うん……」


 だが、里香の表情はどこか暗い。博孝が負った火傷は範囲が広く、出血も伴って激痛があるはずだ。それだというのに博孝は僅かに冷や汗を流すだけで、痛いとは一言も口にしない。


「新しくできた妹にローストされちゃってさー。いや、レアな焼き方だから助かったけど、ウェルダンまでいったらやばかったね、マジで」


 こんなものは大した怪我ではない。そう言わんばかりに、博孝は軽く笑い飛ばした。それを聞いた里香は表情を曇らせるだけで、効果はなかったが。

 みらいを庇って負ったという火傷は、背中の大部分と左腕の外側に広がっている。『ES能力者』でなければ痛みだけでショック死しそうなほどだが、博孝は『活性化』を発現して痛みを和らげ、軽口を叩くほどだ。

 短時間とはいえ、みらいや源次郎が治療を行ったと聞いている。しかし、その割には傷の治り具合が悪かった。

 戦闘後で疲れているにも関わらず、博孝は自分と里香に『活性化』を発現している。里香は即座に『治癒』を発現して火傷の治療に移るが、これまでに行ったことがある治療とは怪我の種類が違うためか、思うように進まない。


(これ……もしかしたら『修復』じゃないと完治は無理かも……)


 火傷の端から『治癒』をかけてみるが、傷の治りが遅い。切り傷や骨折などは治療が楽なのだが、ここまで広範囲の傷を治療するのは里香としても初めての体験だ。

 もしも博孝が普通の人間だったならば、火傷の範囲が広すぎて傷口から体液が喪失してショック死につながる危険性があった。その点では『ES能力者』の頑丈さに救われた形になるが、早急に治療を完了させなければ博孝と云えど危険かもしれない。

 ここで動揺して治療を施せなくなるほど、里香が歩んできた道は優しいものではない。初めての任務で博孝に敵の攻撃から庇われ、死に掛けた博孝に治療を施せずに何度も後悔したのだ。

 訓練校で学び、研鑽してきた結果を全て吐き出すつもりで里香は治療を行っていく。“普通に”治療を施すだけでは効果が薄い。しかし、『修復』や『復元』といった高難易度の治療系ES能力は身につけていない。

 ならば、必要なのは『治癒』でも『修復』や『復元』に劣らない工夫だ。里香は右手に発現していた『治癒』による白い光に意識を向けると、少しずつコントロールし始める。

 訓練校時代、卒業試験と称して砂原と戦った時に『固形化』の形状を変化させたように、『治癒』の“形”を変えていく。


「ちょっとチクッとするかも……」

「ん? 里香がすることなら問題なんてないだろ。いや、まあ、さすがにいきなり貫手で抉られたりしたら驚くどころの騒ぎじゃないけどさ」


 軽口が多いのは、痛みを堪えるためか。うつぶせになった状態で背中を晒す博孝の額には、幾筋もの汗が垂れていた。

 優花に心配をかけないように、治療を中断して火傷を隠していたとも聞いている。そんな博孝を少しでも楽にしたいと思い、里香は形を変えた『治癒』を火傷に“刺した”。

 里香が発現した『治癒』は、針のように細く鋭い形状へと変化していた。しかし、本当に針というわけではない。皮膚の表面だけでなく、火傷の“内側”から治す必要があると判断したために選択した形状だ。

 まるで針治療でも施すように、里香は博孝の背中に『治癒』の針を打ち込んでいく。うつぶせになっているため里香が何をしているかわからない博孝だったが、里香の行うことを警戒するような性根は持ち合わせていない。

 里香本人の技量と性格、これまでの付き合いの全てが、博孝を無警戒にしているのだ。


「何か刺したか? 痛みはないけど、背中に違和感があるんだけど……」

「えーっと……効果的な治療の実験?」

「ということは、俺は実験台かぁ……」


 そう言いつつも、少しずつ痛みが和らいでいるのを博孝は感じた。里香が刺した『治癒』の針は博孝が負った傷口を内側から癒しており、普通に『治癒』を施すよりも段違いの速度で火傷を治していく。

 普段の里香ならばできない手段だったが、博孝から『活性化』を受け、『構成力』の操作技術も強化されているからできることだ。いつかは自力で行えるようになりたいと里香は思うが、今は使えるものを全て使うべきである。


「……ごめんね、博孝君」

「え? 何の話だ?」


 全てを使う。そう考えた里香は、掠れるような声で謝罪した。しかし、博孝としては何故里香が謝るのかわからない。


「その、今回の作戦はね……第三空戦小隊が危険に陥る可能性が初めからあったの。でも、そうなるとしても『アンノウン』と交戦する可能性が高いぐらいだと思ってて……」


 もしもラプターなどの脅威度が高い『ES能力者』が相手ならば、博孝達が時間を稼いでいる間に源次郎が急行する予定だった。だが、相手は『構成力』の探知ができない『アンノウン』――その中でもベールクトという謎の多い相手だったため、初動が遅れている。


「これまでの『天治会』の行動と、今回の犯行予告……色々な情報から考えて、対応できる戦力を揃えたつもりだった。秘密裏に長谷川中将や春日大尉を動かすことができたけど、“敵”の目がどこにあるかわからないから情報が漏れる可能性も考慮した……」


 治療を継続しながらも、懺悔するように里香は言う。


「情報が漏れてなければ『アンノウン』を逆に強襲して確保、情報が漏れていても『武神』や『鉄壁』が動くということで相手を警戒させて、優花ちゃんのコンサートが無事に終わる可能性が高い……そう考えてたの」


 里香に予測できないことがあるとすれば、ベールクトという独自技能保持者が感情で動いたことだった。

 これまで何度も『天治会』と交戦してきたが、何かしらの目的を持って動いているように思えた。打算とそれに見合った手段を用いて襲ってきたが、今回は違う。

 今まで見たことも接したこともない敵が、『楽しそうだから』という理由で参戦してきたのだ。博孝の報告を聞いた里香だが、その話を聞く限り『天治会』が使う予定だった戦力は陸戦二個小隊に空戦一個小隊の混成一個中隊だろう。

 それならば、里香が立てた予測の内だった。それだというのに、理屈も打算もなく、感情を優先して敵が増えたのでは堪らない。

 戦いに楽しみを見出した敵――ハリドと里香も接したことがあるが、ハリドは任務に従いながら戦いを楽しんでいた。しかし、ベールクトは違う。

 博孝の話を聞く限りでの結論になるが、“正当な理由”もなく戦場をかき乱す厄介な敵だ。感情を優先して動く相手には理屈や理論が通じず、対応の手段も限られてしまう。

 里香としては、『天治会』という棋士を相手に将棋を指していたら、突然チェスのクイーンに乱入された気分である。ベールクトの感情自体も理解がし難いため、里香としては余計に厄介に思う。

 それ以外の部分では描いた絵の通り進んだが、ベールクトの存在だけは予想外なのだ。


 ――そのベールクトによって博孝がここまでの怪我を負ったのも、里香にとっては予想外だ。


「……里香?」


 背中の火傷に沁みるような痛みを感じ、博孝は首を捻って里香へ視線を向ける。するとそこには、目の端から涙を流す里香の姿があった。


「あっ、ご、ごめんなさい……涙で汚れちゃうね……」


 謝罪し、慌てたように両目を擦る里香。立てた作戦の大半は成功だったものの、ベールクトという一つの“予想外”で博孝達が危険な目に遭ったのだ。里香としてはそれを申し訳なく思ってしまう。

 源次郎を動かせたことで安心してしまったのだろうか、もっと他にも打てる手があったのではないか。敵に動きを悟らせないようにしたつもりだったが、それで博孝達が危険に晒されたのでは意味がないのではないか。

 ぐるぐると、そんな後悔が里香の胸中に渦巻く。博孝は治療を続けながらも俯いてしまった里香を見ると、まだ痛む体を起こして里香の肩に手を置いた。


「なあに、護衛対象を守り抜いて、その上『アンノウン』まで捕獲したんだ。里香が立てた作戦は間違いじゃなかった。今回俺が怪我をしたのは、俺自身の力不足さ。俺がもっと強ければ、ベールクトも捕獲できたかもしれないしな」


 『火焔』の特性は厄介だったが、身体能力は上でも技術は遥かに下のベールクトを退けることができなかった。もしも博孝がもっと強ければ、ベールクトを相手にしても無事に切り抜けることができたはずである。

 だからこそ、博孝は気にするなと言う。今回の負傷は自身の技量不足が原因であり、里香の作戦に問題はなかった。そう断言する。


「少しは強くなったつもりだったけど、世界はまだまだ広い。もっと強くならないとな」


 博孝も里香も、訓練生ではないのだ。博孝としては里香の作戦が正当かつ効果的なものだと認めた以上、ベールクトを逃がしたのは自分自身の技量不足が原因の全てである。


「だから、そんなに悲しまないでくれよ。“今回は”予想外だったけど、次回はその予想外も作戦に組み込めばいいだけの話だろ?」


 そう言いつつ、博孝は右の人差し指で里香の涙を払う。割と無茶な注文だが、里香ならばそれを成せると信頼しているのだ。

 里香はしばらく視線を彷徨わせていたが、やがてしっかりと頷く。


「うんっ。次はそのベールクトっていう子が出てきても……ううん、他のイレギュラーな要素が発生しても対応できるよう、頑張るね?」

「その意気だ。さて、それじゃあ治療の続きを――」


 そこまで言った博孝だが、部屋の外に気配を感じて視線を向ける。ホテルの部屋はオートロックが大半だが、即応部隊の面々が休憩にも利用するため、オートロックが使用されていない部屋を利用していたのだ。


「博孝、隊長に確認してきたっすけど、貸した上着はそのまま博孝が使っていいそうっすよ……って、え?」


 部屋に入ってきたのは恭介だったが、思わず言葉が切れてしまう。

 博孝が火傷を隠すために借りた恭介の上着だが、サイズもほとんど変わらず、隊長である砂原の許可が下りたためそのまま譲渡することにしたのだ。今ならば治療中だと思い、電話ではなく直接報告に来たのだが、ベッドの上では予想外の光景が広がっていた。

 部屋に入ってきた恭介が見たのは、上半身裸の博孝が何故か里香の頬に手を添えている――ように見える光景であり、治療中だろうという予想も軽く吹き飛んでしまう。


「あ……や、なんかお邪魔をしたみたいで……大変失礼いたしました」


 普段の口調をどこに放り捨て、そんな言葉を残して粛々と退室する恭介。慌てた里香がすぐに追いかけて誤解を解くことになったが、里香も自分がどんな体勢だったかを客観的に思い出し、顔を真っ赤にするのだった。








 野外コンサートでの襲撃から二週間後。護衛任務を開始して一ヶ月が過ぎたその日、即応部隊は任務の終了を伝達されていた。

 襲撃以降、『天治会』からの犯行予告も怪しい動きもない。逃走したベールクトの行方は依然として不明だったが、全ての部隊に似顔絵が配布されて警戒態勢を取っている。

 さすがに船舶や航空機を利用して日本から出るとは思わないが、空港等でも人相の確認が行われていた。そちらでも特に不審な点はなく、ベールクトは国内に潜伏しているか、あるいは空を飛んで逃げたと考えられている。


「これで任務も完了か……」


 一つの任務で一ヶ月もかかるというのは、珍しいことだ。それが即応部隊としての任務となれば尚更で、博孝は思わず苦笑を零してしまう。

 火傷の治療には少々時間がかかったものの、里香の手によって完治した。護衛任務にも復帰したが、小隊長として、ベールクトと交戦した身として、様々な報告資料を並行して作成する必要があったのには閉口した。

 外見的特徴、性格、戦闘方法、会話で得られた情報など、正式な書類にして提出する必要があったのだ。

 砂原を経由して日本ES戦闘部隊監督部が受け取って内容の精査が行われ、何か問題があれば源次郎に呼び出されもした。しかし、それらの書類仕事も終わりである。

 駐屯基地に戻れば他の書類仕事が待っているが、今は任務の完了を祝うべきだ。


「ゆうかちゃん……」

「みらいちゃん……」


 そんなことを考える博孝の視線の先では、感極まった様子のみらいが優花に抱き着き、優花も目に涙を浮かべながら抱き返している。機械的に別れを告げるのも情がないだろうということで、砂原が別れの言葉をかける時間を設けてくれたのだ。

 砂原達は軽く言葉をかけた後に会議室から退席し、今はマネージャー達と話をしている。この場にいるのは第三空戦小隊や常に優花の周囲で護衛に就いていた者達だけだ。

 特に、みらいは一ヶ月もの間優花と共にいた。最初は優花の精神安定のためだったが、時には一緒に入浴し、時には一緒に眠り、互いに親睦を深めてきたのである。

 容姿は似ていないが、抱き合う二人は年齢が離れた姉妹にも見える。あるいは、とても仲の良い親友同士か。

 テレビ越しに優花を知っていたみらいも、護衛任務中に優花本来の性格を知ることができた。故に、みらいはアイドルの優花ではなく、神楽坂優花という一個人との別れを悲しんでいる。

 片や『ES能力者』、片やスターへの階段を駆け上るアイドルだ。今後も再び顔を合わせる機会があるかわからず、あるとしてもその機会は僅かだろう。

 電話で話すことができれば良いが、『ES能力者』が保有する携帯電話を私用に使うのは推奨されていない。家族への電話程度ならば問題ないが、機密保持の観点から家族相手でも話せることは限られている。

 それが友人相手となると、余計に連絡を取るのが難しくなるだろう。駐屯基地には公衆電話も用意されているが、それでは優花側から連絡を取れない。


「ほら、みらい……そろそろ」

「……うん」


 博孝が優しく促すと、みらいは名残惜しそうに優花から身を離した。優花は思わず不満そうな顔をするが、博孝が相手だと思わず身を引いてしまう。

 そんな優花の様子を見た博孝は小さく苦笑し、その後真面目な顔をして敬礼をした。


「危険な事態に陥っても冷静にご協力いただき、ありがとうございました。我々即応部隊を代表し、感謝申し上げます。任務中は無礼な発言をしましたが、どうかご容赦ください」


 『アンノウン』に襲われた時も、優花はパニックに陥ることなく自分達の指示に従ってくれた。それは護衛を行う側として、どれだけ助けられたかわからない。

 敬礼をしながら感謝の言葉を述べる博孝を見た優花は驚きから目を見開いたが、同様に真面目な表情を、アイドルらしい自信に満ちた表情を浮かべると、博孝に対して右手を差し出す。


「アンタの態度には色々と文句もあったけど、でも、今になって思えばそれがわざとなんだって気付いたわ……こちらこそ、お世話になりました。本当に、ありがとうございました」

「お気になさらず。これが我々の任務ですから」


 優花の右手をそっと握り返す博孝。しかし、博孝は事務的な返事をした後、ニヤリと笑う。


「まあ、恭介の奴は任務に関係なく命と体を張って頑張ってましたけどね。良かったら一声かけてやってください」

「なっ!?」


 小声で囁く博孝だが、優花は瞬間的に顔を赤くして驚愕の声を上げる。そして金魚のようにパクパクと口を開閉させるが、博孝はすまし顔に戻って再度敬礼をした。


「それでは、貴女のこれからのご活躍を祈念いたします」


 そう言って軽くウインクをすると、博孝は後ろへと下がる。優花はそんな博孝を親の仇のように睨んでいたが、博孝に背中を押されて不思議そうな顔をしながら前に出た恭介と対面し、勢いを失った。


「あ……あー、恭介、えっと、その、ね?」


 優花は視線を彷徨わせ、言葉を紡ごうとする。しかし、どうにも言いたいことが口から出てこない。そんな様子の優花とは対照的に、恭介は気楽な様子で口を開いた。


「真面目な話は博孝が言ったんで割愛するっす……でも、優花ちゃんが無事で良かった。任務が無事に終わって安心したっすよ」

「え、あ、うん……」


 即応部隊である博孝達は一ヶ月の護衛で引き上げるが、当面は対ES戦闘部隊の兵士が監視に就く予定だった。しかし、ここまでくればそれも蛇足だろう。そう思うからこそ、恭介は心底安心したように笑う。


「この一ヶ月、振り回されてばっかりだったけど楽しかったっす。次はもっとお手やわらかに……って、もう会う機会もなかったっすね」


 自分の発言が有り得ないことだと気付き、恭介は困ったように笑いながら頬を掻く。みらいもそうだが、恭介も優花と会える機会はないだろう。

 『ES能力者』として日々任務や訓練に励むのだ。定期的に休日もあるが、だからといって気軽に会えるわけもない。優花はアイドルなのだ。みらいならばまだ可能性があったかもしれないが、恭介は近い年頃の異性である。


 ――そんな恭介の言葉が、優花の胸に深く刺さった。


「…………ぃ」

「え?」


 顔を伏せ、何事かを呟く優花。その呟きを拾うことが出来なかった恭介が思わず聞き返すと、優花は伏せた顔を勢い良く上げる。


「別に会ってもいいじゃない! わたし達……その、えっと、友達でしょ!?」


 そう叫ぶ優花の瞳が濡れて見えたのは、恭介の見間違いだろうか。恭介は僅かに困惑しつつも、柔らかに微笑む。


「そう……っすね。友達っす」


 友達と呼ばれ、悪い気はしない。故に恭介はそう返答したが、優花には恭介の態度が不満だったようだ。


「それに……わたしが危ない目に遭ったら、助けに来てくれるんでしょう?」

「え? いや、任務はもう終わって――」


 恭介が言葉を言い切るよりも早く、後ろにいた博孝が軽く恭介の背中を小突いた。その衝撃で反射的に返そうとした言葉を飲み込み、恭介は僅かに考えてから口を開く。


「……うっす。優花ちゃんに何かあったら、すぐに駆けつけるっすよ」


 肯定の言葉を吐き出す恭介。すると、優花の表情が輝きを取り戻した。


「ならよし! それじゃあ、はい、コレ!」


 そう言うなり、恭介に一通の封筒を差し出す優花。封筒の色はピンクであり、形状は郵便で使うものではない。


「ま、まさかラブレターっすか!?」

「ち、違うわよっ!」


 その形状から思わず口走ってしまった恭介だが、優花は慌てたように否定した。そして両人差し指を突き合わせつつ、拗ねるように言う。


「わたしの家の住所よ……『ES能力者』って、民間人と気軽に電話もできないんでしょう? それなら文通ぐらいはできるかなって……」


 機密の壁の先に存在する『ES能力者』だが、手紙の類は問題なく出すことができる。もちろん検閲が入るが、内容に問題がなければ文通は可能だ。

 相手の名前や階級がわかっていれば、駐屯している基地宛に送ると検閲が行われた後に届く。逆に『ES能力者』側からも検閲後に送ることができるのだ。

 電子機器による通信が隆盛を誇る時代に、などと優花も思うが、他に手段がないのだから仕方ない。


「なるほど、今はラブレターじゃなくても、あとになってラブレターを送るのか……」


 そんなことを呟く博孝にきつい視線を向ける優花だが、否定をせずに恭介を見た。その表情は真剣であり、どこか哀しそうでもある。


「恭介は体を張ってわたしを助けてくれた。でも、そのお礼もちゃんとできてない……任務だからっていうのはナシね! わたしの気分の問題なの!」


 恭介が言いそうなことを先んじて潰すと、優花は再び顔を俯かせた。


「みらいちゃんにも送るし、アンタにも送るわ……だから、絶対に返事を書いて。何度も送るから、何度でも返して……絶対に死なないで、返事を書いて……」


 恭介が任務で死なないよう、心から願っての言葉だ。恭介は受け取った封筒に視線を落とし、そのあと優花へと真剣な表情を向ける。


「ああ、絶対に返す。時間がかかるかもしれないけど、絶対に返す」


 そう言ってしっかりと頷く恭介。優花は顔を上げて恭介の視線を見返したが、やがて涙を払うように微笑んだ。


「うん……でも、やっぱりその喋り方は似合ってないかも」


 笑みを含んでの声に、恭介も思わず笑ってしまった。最後まで締まらないが、それでも良いのだろうと思う。

 こうして、即応部隊として初めの任務は終わりを告げた。負傷者が出たものの、無事に完遂したのである。








 三日後、駐屯基地に戻ってきた博孝の部屋に、恭介が訪ねてきた。その両腕には段ボールを抱えており、博孝は首を傾げる。


「ん? なんだそれ?」

「優花ちゃんからっす。手紙どころか段ボールが来るのはさすがに予想外だったっすけど」


 そう言いつつ恭介は博孝の部屋に上がり、段ボールを置く。何事かと思った博孝が覗きこんでみると、段ボールの中にはCDケースやDVDケース、優花の直筆と思わしきサインが書かれた色紙、封筒などが入っていた。


「ほら、博孝とか沙織っちって優花ちゃんのこと知らなかったじゃないっすか。任務中にそれを話したんすけど、そうしたら怒っちゃって」


 封筒には『河原崎博孝様へ』と書かれていたため、博孝は中身を取り出した。封筒には検閲印がついているため、中身も問題はないのだろう。


「どれどれ……ん? あははははっ」


 取り出した手紙に目を通した博孝は、思わず笑ってしまう。手紙の内容を要約すると、『CDやライブのDVDを送るから沙織さんと一緒に見てみなさい、あっかんべー』である。

 ご丁寧にも、『あっかんベー』という言葉の横に似顔絵も書かれていた。


「俺とみらいちゃん宛の手紙も入ってたんで、みらいちゃん宛の分は今から持っていくっすよ」

「あいよ。まあ、折角贈ってきてくれたんだ。たまには音楽を聞くのもいいかね……お?」


 手紙には続きがあり、『追伸、野外コンサートの写真と映像もできたので同封します』と書かれている。博孝が段ボールを漁ると、パッケージ画像が印刷されていないプラスチックケースと厚手の封筒が出てきた。

 プラスチックケースには手書きで『みんなとの思い出』とラベルに書かれたDVDが、厚手の封筒には何枚もの写真が入っている。写真は見ればわかるが、DVDの方も手紙に書かれていた通り野外コンサートの時の映像が記録されているのだろう。


「『天治会』に襲われたからさすがに商品にはできなかったのかねぇ……まあ、こっちとしても、変装していたとはいえ『ES能力者』の姿が衆目に触れないのはいいことか」


 部隊員に配りたいところだが、さすがにそれはまずいだろう。まずは砂原に提出して、扱いを決めなければならない。だが、ステージ上で歌う優花やその背後で踊る仲間達の写真を見た博孝は、思わず相好を崩してしまった。

 いつ『天治会』の襲撃があるともわからない状況だったが、客を前にするとそれを感じさせることなくコンサートで歌い上げた優花。短期間でダンスを覚え、笑顔のみらいを筆頭としてバックダンサーを務める仲間の姿。


「……さすがアイドル。いい笑顔で歌ってるじゃん」


 護衛中は気を張っていたためそこまで反応しなかったが、写真になったその姿を見ると、博孝としてもそう呟かざるを得ない。


「綺麗な笑顔っすよね……」


 博孝の言葉に同意する恭介。博孝はそんな恭介の様子に、意味ありげに笑う。


「それで、恭介宛ての手紙にはどんなことが書いてあったんだ?」

「えっ!? いや、さすがにそれは秘密っすよ!」

「隠すな隠すなー。ほら、ゲロっちゃいなよー」

「駄目っす! 拷問されても言わないっすよ!」


 そう叫んで上着のポケットを押さえるが、そこに優花からの手紙が入っているのだろう。博孝は冗談を切り上げ、優花から贈られてきたグッズの数々が入った段ボールを持ち上げる。


「一応、隊長にも見せてこよう。検閲の担当者も『ES能力者』にこういった物を渡す人がいなくて、そのまま見逃したかもしれないしな」

「真面目っすねー……写真の一枚ぐらい持っててもいいんじゃないっすか?」

「オッケーをもらってから配るよ。ま、一人で独占するものじゃないしな」


 笑って博孝が視線を落とすと、そこには一枚の写真がある。恭介もそんな博孝に釣られて視線を落とすと、弾けるような笑顔の、自分達が守り抜いた優花の姿があった。

 様々な問題があったが、それでも無事に優花を守り抜くことができた。今だけはその事実を喜び、博孝と恭介は互いに笑い合うのだった。











なお、野外コンサートの写真とDVDは焼き増しされ、『ES能力者』の最高責任者である源次郎の元まで届きました。

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