第百八十八話:護衛任務 その12
ベールクトは自らが生み出した光景を目の当たりにして、密かに震えるような息を吐いていた。
博孝の、兄と呼び始めた男の『砲撃』を真似て撃ってみたものの、その威力は予想よりも遥かに強かったのだ。
放った熱線は回避されたものの、周囲を巻き込むように発生した爆発までは回避されなかった。夜空が炎のように燃え盛っており、その威力は完全にベールクトの予想以上である。
「……どうしましょうか?」
困ったように呟く。博孝もみらいも『万能型』の『ES能力者』で、防御力はそれなりに高い。しかし、みらいが持つ防御系ES能力は『防殻』だけだ。
「お姉様は“別にいい”としても、お兄様は……」
己が巻き起こした爆発。その中でも博孝達がいた場所を注視するが、動きはない。その視線に動揺が見られるのは、ベールクトの実戦経験が少ないからか、それとも別の理由からか。
「……っ!?」
爆炎を裂くようにして、一条の光線が飛んでくる。ベールクトは咄嗟に回避するが、それが博孝の『砲撃』だと悟ると歓喜の感情から笑顔を浮かべた。
「まあ……まあまあ! コレでも戦意を失わないなんて、本当に素敵だわ!」
喜びを表すように両手を叩くベールクト。その仕草は幼いものであり、目の前の惨状を生み出したようには見えない。
ベールクトは『砲撃』が飛んできた場所に視線を注ぎ――眉を吊り上げる。
結論から言えば、博孝は生きていた。しかし、完全に無事というわけではない。みらいを庇うように抱き締め、ベールクトに鋭い視線を向けているものの満身創痍だ。
爆発に巻き込まれた博孝はみらいを抱き締め、『活性化』を全開にした上で『防壁』を発現した。ベールクトの『砲撃』を回避するだけならば必要ないが、その後に発生した爆発は回避する余裕がなく、防御を固めることしかできなかったのである。
その結果、博孝はみらいを守り切った。爆発の衝撃で『防壁』を破られたものの、それでもみらいを守り切ったのだ。
ただし、『防壁』どころか『防殻』まで破壊され、背中や左腕が爆炎に炙られていたが。
爆炎に炙られていた時間は短くとも火力が高く、博孝の体のいたるところから煙が上がっている。野戦服は焼け焦げ、その下にあった博孝の肌も多くが火傷を負っていた。
――それでもみらいを守り抜き、ベールクトに鋭い視線を向けてくる。
博孝に庇われたみらいを見た時は激しい怒りの感情を覚えたが、その視線を見たベールクトはこれまで覚えたことがない感情を覚えた。体が芯から震えるような、甘く痺れるような、奇妙ながらも不快に思えない感情である。
「おにぃちゃん!」
しかし、みらいの泣きそうな声で我に返った。博孝が身を挺して守ったからか、みらいに目立った怪我はない。
みらいは自分を庇って大怪我を負った博孝の姿に声を震わせ、次いで、ベールクトに荒れた感情が秘められた瞳を向けた。
その瞳を前に、ベールクトは怯まない。むしろ、苛立ちの感情が膨らんでいく。睨み付けるみらいを真っ向から睨み返し、ギリ、と歯を鳴らす。
「あら……なんですか、その目は?」
嘲るように、糾弾するように、ベールクトは言う。まるで、お前にはそんな瞳を向けてくる資格はないのだと責めるように、ベールクトは言う。
「お兄様に守られて、周囲に構われて、周囲に愛されて……“自分の役割”も忘れましたか、“欠陥品”のお姉様?」
「……え?」
それまで鋭い視線を向けていたみらいだが、ベールクトの言葉を聞くと困惑したように首を傾げた。ベールクトはそんなみらいの様子に、逆に驚いたような顔をする。
「……本当に忘れているのですか? それとも、忘れた振りですか?」
「なんの……はなし?」
困惑の度合いを強めるみらい。そんなみらいの様子に目を細めたベールクトだが、視線を滑らせて博孝を見る。
博孝は油断も隙もなく、ベールクトとみらいが言葉を交わしている間に『構成力』を右手に集め、『収束』を発現していた。その隙のなさにベールクトは呆れと苦笑の中間、曖昧な笑みを浮かべてしまう。
「無理はなさらないで、お兄様。重傷だわ」
「人様をローストした奴の台詞とは思えないな」
『火焔』の防御を抜くには、『収束』しかない。そう判断した博孝は『収束』を発現したものの、『収束』を発現した以外の場所は燃え尽きる結果に終わるだろう。
それでも攻撃を通す、通してみせる。腕一本残れば上等だ。残った右腕だけで仕留めてみせる。
そんな決意を込めて視線を向けてくる博孝に対し、ベールクトは深々とため息を吐いた。
「ごめんなさい、お兄様。お兄様があまりにも素敵だったから、つい羽目を外してしまったの。お姉様は焼き払ってもいいかな、と思ったのだけれど、お兄様にそこまで深い傷を負わせるつもりはなかったのよ」
胸に手を当てて頭を下げるベールクト。その仕草からは謝罪の意思が感じられたが、博孝としては謝罪の言葉に聞こえない。
「……お前、みらいを殺すつもりなのか?」
これまでの態度から明白だったが、言葉にして尋ねてみる。明るい性格に見えるベールクトだが、その言葉の端々にはみらいに対する執着、あるいは怨恨の臭いが感じられた。
しかし、博孝がこれまで交戦したことがある『天治会』の『ES能力者』達――特にラプターなどはみらいを殺めようとしなかった。そんな疑問を込めて尋ねると、ベールクトは数度瞬きをしてから薄っすらとした冷たい笑みを浮かべる。
「ああ……お兄様の疑問は尤もだけど、コレは“個人的な理由”よ。でも、お兄様に庇われているお姉様を見ていると、余計に殺意が湧くわ」
そう言って憎々しげにみらいを睨むベールクトだが、その視線を向けられたみらいは先ほどまでの敵愾心を消し、困惑した様子で口を開いた。
「……さびしいの?」
「っ!?」
みらいとしてはベールクトの様子に感じるものがあったのか、そんなことを尋ねた。その言葉を聞いたベールクトは驚いたように目を見開くが、すぐに表情を変える。
――よりいっそう、殺意のこもったものへ。
みらいの言葉は、ベールクトにとって無視できないものだったのか。それとも虎の尾を踏むようなものだったのか。身に纏う『火焔』の光が輝きを増し、壮絶な殺気と共に徐々に膨らんでいく。
(まずいな……)
それを見た博孝は、全身から伝わる引き攣るような痛みを堪えながら内心で呟いた。もう一度『砲撃』を撃たれれば、そのまま消し炭に変わりそうである。
みらいだけでも逃がすべきか、それとも相打ち覚悟で突撃するか。僅かに逡巡した博孝だが、それまで殺気を振り撒いていたベールクトは怪訝そうな顔で視線を逸らす。
「……残念ですが、折角のダンスパーティも終わりみたいです」
そう言うなり、ベールクトの殺気が収まっていく。それに合わせて『火焔』の光も霧散し、赤い光が夜空に散った。
「ここにいると捕まりそうですね……まったく、誰の差し金なのでしょうか」
ベールクトは目を細めて東扇島の方を見ていたが、忌々しそうに呟いてから視線を博孝達へと移す。そして初めて名乗りを上げた時のようにスカートの裾を摘まんで一礼した。
「もう少し遊びたかったのですが、これで失礼します。お兄様、また会う日までお健やかに。お姉様は……」
博孝に対しては柔和に微笑んだが、みらいに視線を向けるとベールクトは視線を鋭いものに変えた。
「次に会う時は、遊びではなく本気で戦いますので」
それだけを言い残し、ベールクトは急速に離脱していく。東京湾を横切るように、何かから逃げるように東へと飛び立った。
「まって!」
「追うな、みらい!」
それを見たみらいは何故かベールクトを追おうとしたが、博孝はそれを止める。みらいは何故止めるのかと言わんばかりに不満そうな顔で振り向いたが、博孝は苦笑しながら自分の体を指差す。
「俺達の任務は達成した。だから追わなくていい……追うよりも俺の治療をしてくれないか? さすがに背中は自分じゃ治療できないんだ」
博孝がそう言うと、みらいは博孝の重傷を思い出して慌てて治療に移る。自分の感情に従って動こうとした挙句、兄である博孝の治療にすら意識が向いていなかったのだ。みらいは目を潤ませ、唇を噛みながら俯く。
「……ごめんなさい、おにぃちゃん」
博孝の治療に気が回らなかったことか、それとも庇われたことか。あるいは勝手に動こうとしたことに対してか。みらいは落ち込んだ様子で謝罪すると、『療手』を発現して博孝の治療を行っていく。
「突然あんな奴が現れたんだ。動揺するのも無理はないさ」
左腕は自分で治療しつつ、博孝はそう言った。
ベールクトが逃げた方向は、東京湾を抜けても房総半島がある。太平洋に接しているためいくつもの部隊が配置されており、ベールクトがそのまま逃げられるとは思わなかった。
(でも、アイツも馬鹿じゃないだろう……ただでさえ『構成力』が『探知』に引っかからないんだ。独自技能を切って陸地に下りれば捕捉できるかどうか……)
とりあえず治療を受けつつ横須賀基地に向かおう。そう判断した博孝だが、気になったことがあったため東扇島の方へ視線を向ける。
(何かに気付いたみたいだったけど、隊長が言っていた援軍か? でも、それならどうやって気付いた? 『探知』にしても距離がありすぎるだろ……)
博孝達がいるのは東扇島と横須賀基地のほぼ中間である。どちらかといえば横須賀基地の方に近いため、東扇島までは三十キロメートル近い距離があった。
(他にも気になることを言ってたな。でもまあ、まずは恭介達と合流しないと……っ!?)
治療を優先し、速度を落として飛んでいた博孝だが、横須賀基地の方から巨大な『構成力』が接近してくる。その上、首元に刃を当てられたような殺気まで感じた。
「警戒しろみらい! 何か来るぞ!」
『探知』を発現せずとも感じ取れた『構成力』に警戒を促すが、『構成力』の規模と殺気から判断する限り、明らかに格上だ。それも、砂原や宇喜多クラス――下手をすると、さらにその上に位置するかもしれない。
ラプターと交戦した時でさえ、ここまで絶望的な気分にはならなかった。それほどの威圧感である。博孝は再び決死の覚悟を固め、せめてみらいだけでも逃がすべきかと思考したが、それを行う暇はなかった。
気付いた時には、既に間合いが狭まっている。殺気の持ち主は一瞬で眼前に迫っており。
「無事かね、河原崎少尉」
予想外にも気さくな声をかけられ、博孝は思わず体を硬直させた。一体何者かと思えば、眼前にいたのは源次郎である。
「なんだ、中将閣下ですか……って、なんでここにいるんです!?」
接近してきたのが源次郎だとわかると、博孝は安堵の息を吐いた。しかし、この場にいるのはおかしいことだと気付き、慌てて尋ねる。すると、源次郎はどこか楽しげに笑った。
「岡島少尉に顎で使われた結果、というところか。先ほどの爆発を見て急行したのだが……ずいぶんと酷い怪我をしているな。何があった?」
視線を鋭くして尋ねる源次郎に対し、博孝は苦笑しながら肩を竦める。状況の報告を求めているが、その瞳に心配の色が見えた。
「新しくできた妹にローストされただけですよ」
「ほう……冗談が言えるなら平気なようだな」
「いえ、冗談ではなくてですね……」
横須賀基地に向かいつつ、博孝は源次郎へ簡単に報告を行う。ベールクトという『ES能力者』――と思わしき人物に襲われたこと、その性格と能力、逃げた方向。
話を聞いた源次郎は即座に房総半島に展開している部隊へ連絡を入れるが、それらしい人物は上空を通過していないという話だ。それならばと警戒態勢を取らせるが、捕捉できるかはわからない。
「閣下、横須賀基地に向かった俺の部下はどうなりましたか?」
「ああ、そちらは無事だ。武倉軍曹が多少怪我を負ったが、護衛対象を守り抜いたぞ。交戦していた『アンノウン』は俺が斬り捨てた」
そう答える源次郎。それを聞いた博孝は、安堵したように息を吐く。
「そうですか……良かった。恭介は護衛対象を守り抜きましたか」
「身を盾にして守っていたぞ。大した気概だ。さすがは砂原の教え子だな」
褒めるように言いつつ、源次郎も博孝の治療を行う。発現したのは『治癒』だが、博孝は体が楽になるのを感じた。切り傷と違って出血は少ないが、『飛行』の際に受ける向かい風だけでも痛いのである。
普段と違い、みらいも治療に苦慮しているようだ。多少の傷ならばすぐに治せるようになっていたが、火傷の治療は勝手が違うのか、端の方から少しずつしか治せていない。
(また入院かな……)
怪我に慣れた博孝でも、火傷の治療にどれほどの時間がかかるか判別できなかった。それでも、左腕が飛んだ時に比べればまだマシだろうと軽く捉える。動くのも辛い状態だが、左腕が動かず物理的に不利だった時と比べれば涼しい顔をして戦闘ができるのだ。
「東扇島の方には春日大尉が出向いている。アイツならば『アンノウン』の一人や二人は無傷で捕獲できるだろう。河原崎少尉が交戦した相手は別だが、岡島少尉の読みは概ね正しかったらしい」
士官組にはある程度の話をしてあったが、里香も詳細の全てを語ったわけではない。源次郎の言葉から、里香が事前に動いて得た“結果”に博孝は苦笑を浮かべた。
「岡島少尉が動いていたのは知っていましたが……たしかに、春日大尉なら『アンノウン』の捕獲ができそうですよね」
「研究者は大喜びするだろうな。しかし、こちらとしても『アンノウン』の情報は欲しい。二人ほど斬ってみたが、普通の『ES能力者』と比べて頑丈だったからな」
そんな会話をしつつ、博孝は横須賀基地へと降り立つ。
日本に存在する基地の中でも大規模であり、敷地面積は訓練校並に大きい。軍港には巨大な艦船も見え、博孝とみらいは源次郎に先導されて基地の一角へと舞い降りた。
「博孝! みらいちゃん!」
すると、すぐに恭介が駆け寄ってきた。怪我をしたと源次郎に聞いていたが、思っていたよりも元気そうである。
「ただいま……でいいのかね?」
「おかえりっす! って、ボロボロじゃないっすか!?」
右手を上げながら声をかける博孝だが、その姿を見た恭介は目を剥いて驚いた。野戦服の上着がほとんど消し飛んでおり、肌は背中や左腕が赤く血で染まっている。
「死んでないから問題ねえ。護衛対象は?」
尋ねつつ周囲を見回してみると、遠くに沙織や横須賀基地の『ES能力者』と思わしき集団に囲まれている優花の姿があった。博孝やみらいの姿に気付いているのか、手を振って駆け寄ろうとしている。
「あー……恭介、悪いけど上着貸してくれ。というか、ください。お願いします」
「はい? や、支給品なんで貸すだけっすけど……」
突然上着を渡せと言い出した博孝に首を傾げる恭介だが、何か考えがあるのだろうと察してすぐに渡す。すると、博孝は火傷を負っているにも関わらず上着を着込み、左手はポケットに突っ込んだ。
火傷した肌に布地が触れて非常に痛いが、仕方ないと自分に言い聞かせる。治療を中断する羽目になったみらいは心配そうな目を博孝に向けたが、博孝は口元に人差し指を当てて黙っているように指示した。
「みらいちゃん! 無事なの!?」
そんな言葉と共に駆け寄ってくる優花。そんな優花に対し、博孝は笑顔で対応する。
「俺の心配はしてもらえないんですかね?」
「うっ……こ、殺しても死ななそうな感じじゃない!」
「あっはっは。まあ、みらいも俺も“無事”ですよ」
軽く片付ける博孝だが、付き合いが浅く、護衛任務中も周囲の警戒に当たっていたため、その笑い顔がやせ我慢だと優花は気付かない。
『……君も中々に意地っ張りだな、少尉』
『護衛対象に心配をかけないのも護衛の役目でしょう? ま、損な役回りですが、小隊長っていう中間管理職にはピッタリの役どころじゃないですか』
博孝の意図を察した源次郎が『通話』で声をかけると、博孝は笑顔で優花をからかいながらそれに答えた。優花は博孝の言葉に頬を膨らませていたが、やがてしおらしく視線を逸らす。
「でも、その……アンタとみらいちゃんのおかげで、こうして無事なわけだし……ええと、あの、あ、ありがとうございましたぁっ!」
少々ヤケクソ気味だったが、それでも最後は頭を下げて優花は感謝を示す。博孝は右腕だけで肩を竦めると、優花に負傷を気付かせないようからかいの言葉を口にすることにした。
「これが任務ですから……それでお姫様、王子様の乗り心地はどうでした?」
「はぁっ!? だ、誰がお姫様で誰が王子様だって言うのよ!?」
そう叫びつつも、優花は恭介の方をチラチラと見る。肋骨を折られながらも体を盾に守り抜いた恭介に対し、色々と思うところがあるようだ。しかし、恭介は折れた肋骨の治療がまだだったのか、体をくの字に折っていたためその視線に気付いていない。
「博孝達の無事を知ったら、痛みがぶり返してきたっす……」
「体を張って守ったんだって? やるじゃん、恭介」
言葉を向けた相手は恭介だが、視線は優花に向けながらそんなことを言う。優花は顔を赤くして視線を逸らしたが、それは怒りによるものではないだろう。
そんな優花の様子に、本当に怪我一つ負わせなかったのかと博孝は安堵に近い思いを抱いた。そして、恭介が身を盾にして守り抜いたということに、小隊長として、仲間として、誇らしく思う。
「お疲れ様、博孝……」
優花と共にいた沙織が声をかけるが、その表情は少々暗い。博孝に恭介達を守るよう言われていたが、相手の生命力を甘く見て危険に晒してしまったのだ。
源次郎が駆け付けなくとも、恭介ならば最後まで優花を守り抜いたと沙織も思う。だが、肋骨数本を折られた現状よりも酷い怪我を負っていただろう。
そう考えれば、自分は役割を全うできなかったのではないか。沙織はそう思い――血の臭いに気付いて顔を上げた。
優花は気付いていないが、血の臭いに敏感な沙織はすぐに博孝が負傷していることに気付く。さらに言えば、恭介の上着を着て負傷を隠していても、博孝の些細な仕草だけで重傷を負っているのだと察せられた。
そのことを指摘しようとした沙織だが、博孝が何事もなかったように振る舞っている以上何も言えない。沙織は小さく俯きかけたが、それを制するように博孝が沙織の顔を覗き込んだ。
「全員が自分の役割を全うした……だから護衛対象も無事だった。それでいいさ」
「でも……」
「誰も死んでないし、向こうも隊長達や春日大尉がいるから問題ないだろ」
それ以上落ち込むなと言わんばかりに沙織の肩を叩き、博孝は辛うじて無事だった携帯電話を取り出す。『火焔』によって携帯ホルダーは破損寸前、携帯電話自体も少々融解していたが、頑丈さを発揮して無事に動いた。
もしも砂原が戦闘中ならば応答されないだろうが、春日がいるのならば戦闘は終わっているだろう。そんなことを考えながら砂原へ発信すると、すぐに応答があった。
『こちら河原崎少尉です。第三空戦小隊総員四名、護衛対象の神楽坂氏を横須賀基地へ移送完了しました』
『ご苦労。負傷者は?』
電話越しにそんな問いを投げかけられ、博孝は咄嗟に沙織へアイコンタクトを送る。沙織はそれだけで博孝の意図を汲み、優花に話しかけて意識を逸らした。
『小官と武倉軍曹が中程度の負傷。小官は火傷、武倉軍曹は肋骨を骨折。命に別状はありません。他は軽傷以下です』
『火傷だと?』
怪訝そうな砂原の声。砂原としても、『ES能力者』が火傷というのは中々聞かない事象だった。
『詳細は追って聞く。移動は可能か?』
『戦闘は厳しいですが、移動だけなら問題ありません』
『わかった。それでは長谷川中将閣下と替わってくれ』
博孝は横須賀基地の者達に指示を出していた源次郎の傍に駆け寄り、携帯電話を差し出す。そしていくつかのやり取りを行うと、博孝に携帯電話を返した。源次郎の顔には苦笑が浮かんでいるが、どこか楽しそうでもある。
「岡島少尉といい、砂原の奴といい、俺を顎で使おうとしおって……まあ、春日が捕らえた『アンノウン』を確認する必要もあるな。河原崎少尉、この基地の一個小隊と俺が同行する。動けるならば東扇島に戻るぞ」
どうやら砂原は源次郎に護衛を依頼したようだ。それを聞いた博孝は、源次郎の苦笑に同調した。
「閣下が我々の護衛についてくださるなら、問題は何も起きないでしょうね」
「世辞は良い。そら、飛ぶぞ」
早く砂原達のもとへ戻り、博孝や恭介の治療を行う必要もある。博孝はもうひと踏ん張りだと自分に言い聞かせ、小隊員と優花に飛ぶ準備をするよう促した。
襲撃を退けたが、護衛任務が終わったわけではないのだ。しばらく様子を見て再度の襲撃がないかを確認し、優花の安全を確保する必要がある。
現場の部隊である博孝達に関わりはないだろうが、捕獲した『アンノウン』についても調査などが行われ、多少なりとも情報が得られるだろう。
他にもベールクトに関する情報を共有し、今後の対策を練る必要がある。まだ任務が終わったわけではないが、護衛を行いながら書類仕事を行うことになりそうだ。
(ベルのことだけじゃなく、みらいについても気にしておかないとな……)
博孝はどこか落ち込んだ様子のみらいを軽く撫でて励まし、小隊を率いて飛び立つのだった。