第百八十三話:護衛任務 その7
平日の夕方から開催されたにも関わらず、優花の野外コンサートには多くの人が駆け付けた。会場の収容人数は千五百人ほどだが、その倍に届きそうな数が集まったのである。
野外コンサートという特性上、会場に入れなくても少しは優花の歌声が聞けるかもしれない。そんな期待もあるのだろう。
中にはチケットを持たずに会場に入ろうとして止められたり、ダフ屋らしき男性がチケットを売り捌こうとしたりと、会場以外でも喧騒が満ち溢れている。
そんな人の波を見た博孝は、内心だけで軽く舌打ちした。想定よりも来場者の数が多く、会場やその周辺に配置した対ES戦闘部隊の数が足りない。室町から追加の人員が送られていたが、ここまで多くの人数が集まるとどうしても警戒網に穴が出来てしまう。
優花が所属する事務所の人員も駆り出しているが、そちらは普通の人間達である。人の波を多少誘導することしかできない。
「優花ちゃんのイベントには初参加っすけど、すごい人気っすね……」
そんな人波を眺めていた恭介は、呆れたような口調で呟く。優花や里香達はステージ開始前の最終チェックを行っているため、恭介は近くにいられないのだ。
里香達が変装を兼ねて“色々と”しているらしく、叩き出されたのである。
「そんな大人気アイドルと二週間近く一緒に過ごした感想をどうぞ」
「ファンに聞かれたら殺されそうだからやめてほしいっすよ!?」
「あれ? このネタを出版社に持ち込めば大スクープじゃね? 写真の一枚ぐらい撮っておけば良かったな」
「マジで止めるっすよ! 俺が優花ちゃんに殺されるっす!」
コンサートが始まる前の僅かな時間に、博孝は恭介をリラックスさせるためにそんな雑談を行う。ステージに立った優花を守るのは里香達だが、“その後”に優花を守るのは『防御型』である恭介なのだ。
そのため、恭介はステージ傍に控えて待機する予定になっている。それとは対照的に、博孝や斉藤は周囲の索敵と警戒だ。さらに砂原が上空で待機し、警戒に当たる。
陸戦部隊の面々も周囲で神経を尖らせて警戒に当たり、敵が現れれば即座に押え込む予定だった。
「まあ、冗談だよ、多分」
「多分!?」
最後に軽くからかい、博孝は表情を引き締める。
「ステージには沙織とみらいがいるから、余程のことがない限り“一撃目”を防げる。でも、そこからは恭介の役目だ。いいな?」
「うっす」
真面目にそう話す博孝に対し、恭介は自分の役割を再認識して表情を引き締めた。すると、博孝はそんな恭介の肩を軽く叩く。
「大ファンだったんだろ? だったら命を賭けてでも守り抜けよ」
「……そうっすね。『防御型』は守るのが仕事っす。それこそ、命を賭けてでも守り抜くっすよ」
決意を込めるように右手を拳に変え、恭介はそう返した。その言葉を聞いた博孝は満足そうに頷き、軽く笑う。
「その意気だ。ただし、小隊長としては部下に死なれるわけにはいかないからな。命がけで守って、なおかつ生き延びてもらわないとな」
「教官みたいなことを言うっすねぇ。ま、その辺りはこの前死に掛けて心配かけたんで、絶対に生き足掻くっすよ……って、死に掛けた数なら博孝の方が断然上じゃないっすか!」
「はっはっは」
「笑って誤魔化した!?」
そんな会話をすると、博孝は恭介と別れる。本当ならば里香達にも一声かけておきたかったが、士官として部下をまとめる立場なのだ。周囲の警戒に加わるために歩き出す。
博孝と別れた恭介は控え室のテントへと足を運び、優花達が出てくるまで周囲を警戒することにした。すると、十分もしない内に優花たちが控え室のテントから出てくる。
「あれ? 恭介じゃない」
そんな声を掛けられた恭介が振り向いてみると、ステージに立つ準備を完全に終わらせた優花が立っていた。その後ろには里香達――と、思わしき者達も続いている。
恭介が即断できなかったのは、普段とは外見が違うからだ。護衛に関して最後の打ち合わせをした時は服装が違って化粧をしていただけだが、今度は髪型なども全く違う。
里香や希美などの髪がそこまで長くない者はウィッグをつけてロングに。沙織のように元々髪が長い者は短くまとめている。
中でも一番容姿が異なるのはみらいだろう。さすがに白に近い銀髪は目立つからか、髪を後ろで結い上げ、なおかつその上から黒のカツラをかぶっている。後ろから見れば少しばかり後頭部が膨らんでいるように見えるが、動いている限り目立たないだろう。
カラーコンタクトを入れているのか、普段は赤い瞳が茶色くなっている。肌の白さも化粧で誤魔化されており、パッと見た限りでは可愛らしい日本人形のようだ。
「なんというか……普段と全然違うから、頭がちゃんと認識してくれないっすね……」
髪を伸ばす、あるいは短くする。さらにそこから髪型を変え、衣装も普段とは全く違うものにする。みらいはまさに変装だが、里香達も普段の姿を見慣れた者からすれば変装として十分だろう。そうでない者からしても、すぐには結び付かないほどの変貌振りだ。
「ちょっとちょっと! 目の前にこの優花ちゃんがいるのに、気にするのは里香ちゃん達なの?」
あまりにもインパクトがあったため、優花の存在を忘れかけていた恭介。しかし、優花としてはアイドルとしてのプライドに触れたのだろう。不満そうに唇を尖らせる。
「優花ちゃんのそういう格好はライブのDVDとかでも見てたんで、逆に新鮮味がないというか……」
思わず自分の感想を正直に述べる恭介だが、それを聞いた優花の目が釣り上がっていく。そのため、この二週間ほどの付き合いで優花の心情の変化に気付いた恭介は、慌てたように付け足す。
「あ、いや、生で見るとより綺麗っすよ! 感動っす!」
浮いた台詞の一つでも言えれば良かったのだが、動揺して簡単な感想になってしまう。しかし、そんな恭介の言葉に嘘はないと見抜いたのか、優花はどこか照れ臭そうに笑った。
「そ、そう? ならよし!」
頬に左手を当て、右手では恭介の肩を連打する優花。すると、今度はみらいが挙手をした。
「きょーすけ、みらいは?」
「え? えーっと……普段と違い過ぎて言葉が見つからないっすけど、うん、その、今のみらいちゃんも可愛いっすよ」
こちらも素直に感想を述べると、みらいはどこか嬉しそうな様子で両頬に手を添える。
「んふー……」
照れながらも満足そうだ。その様子に恭介は安堵し、再度優花に視線を向けた。
「ステージ上ではみんなが守ってくれるっすけど、そこから先は俺が守るっすよ。何があろうと守り抜くんで、優花ちゃんは安心してステージに立ってほしいっす……って、俺がそう言っても安心はできないっすかね」
真剣な表情に苦笑を混ぜ、恭介は言う。優花はそんな恭介の言葉に驚いたように目を見開くと、僅かに頬を赤く染めながら頷いた。
「と、当然よ! それが恭介の仕事でしょ!? だったら、わたしは自分の仕事を頑張るだけよ!」
「お、おう! 当然っすね! 俺も頑張るんで、優花ちゃんも頑張ってほしいっす!」
勢いに押された恭介は同調するように返事をする。優花はその返答に満足そうな顔をすると、再度恭介の肩を叩いた。
「恭介はステージの傍に待機してるんでしょ? だったら、特等席で見てなさい」
最後にそう言うと、優花の表情が変わる。そこにあったのは二週間近い時間で見慣れたものではない、“プロ”としての顔だ。
まるで先陣を切るように胸を張って歩き出す優花。恭介は呆けたようにそんな優花の背中を見送るが、そんな優花に続く女性陣から何故か小突かれる。
みらいは不満そうに頬を膨らませて恭介の腰を叩き、沙織や牧瀬はニヤニヤと笑いながら肩を叩き、里香と希美は含み笑いをしながら恭介の背中を叩く。
「何かあっても防ぐから、あとは恭介に任せるわ」
沙織だけはそんな言葉をかけたが、恭介は何故叩かれたのかがわからない。首を傾げて女性陣を見送るが、自分も持ち場につくべく駆け出すのだった。
「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!」
そして、そんな優花の言葉を先駆けとして舞台の幕が上がる。会場に集まったファンは千五百人。全員が優花を目当てに集まったのだ。
優花が姿を見せた時は歓声を上げたが、マイクを握った途端静かになるのはファンとして“教育”が行き届いているのか。優花の顔写真がプリントされた団扇を手に持ち、法被を着込んでいる者もいるが、こういったイベントではそれも普通なのか、などと博孝は思う。
今の博孝は野戦服の上からさらに上着を羽織ってスタッフに扮しており、チケットを持たない者が会場に入らないよう目を光らせている――振りをしながら不審者がいないか監視中だ。
全身を優花グッズで固めている者を不審者と判断して良いのならば大量の捕縛者が出るが、害意を持っている者はいない。マイクパフォーマンスを行う優花に熱狂的な視線を向け、興奮しているだけだ。
(いや、十分に不審者……かな?)
もしも会場以外で彼らが優花に近づいてくれば、問答無用で捕縛する自信がある。しかし、博孝は自分には理解できない感情を彼らが抱いているのだろうと判断し、本物の不審者がいないか目を光らせていた。
そうやって博孝が警戒していると、コンサートが進み始める。優花がマイクを片手に歌い始め、それに合わせてバックダンサーが登場したのだ。
(んんん? んー……ん? お? あれは里香……だよな。その隣が松下さん……前の方に出ているのはみらいと沙織か)
服装もそうだが、髪型が大きく違うため博孝は見分けるのに時間がかかった。それでも顔立ちや体型から判断すると、思わず苦笑を浮かべてしまう。
やはりと言うべきか、みらいと沙織がやけに目立っていた。みらいは変装しているものの容姿の幼さと元気いっぱいに踊る姿から、沙織はやけにきびきびとした鋭い動きから。周囲のダンサーと何かが違うと感じたファンが首を傾げている。
多くのファンは優花の歌声に集中しているが、それ以外の部分にも目を向けられる者は良い意味で浮いている二人にも視線を向けていた。
里香や希美、牧瀬も一生懸命踊っているが、羞恥心とダンスの完成度から周囲に埋もれている。それでも本職のダンサーに紛れる程度で済んだのは、『ES能力者』としての身体能力の高さが成せる技だろう。
全ての事情を知っている博孝からすれば、どうにも苦笑が抑えられない。しかし、普段と違う衣装で、なおかつ髪型なども違う仲間の姿を見ると、別の感慨も湧く。
「可愛いし綺麗だねぇ……」
感心したように呟く博孝。主役である優花の歌声も透き通ったもので、人気があると頷けるものだ。博孝としてはからかわれて牙を剥く姿の方が印象強いため、優花に対する印象を良い方向へと転がす。
そんな博孝だが、ステージに意識を向けつつも自分の仕事も忘れない。
不審者がいないか、敵意や殺気がないか、『構成力』がないか。視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や『ES能力者』としての感覚も総動員して警戒に当たる。
時折他の部隊員から連絡が入るが、そのどれもが『異常なし』だ。対ES戦闘部隊の面々は広域に展開しているが、そちらからも異常を知らせる報告はない。
空や地上だけでなく海上や海の中も警戒しているが、引っかかるものはなかった。以前『天治会』に海上で襲われた際、潜水艦まで持ち出したため砂原が警戒を促していたのだが、大海原ならともかく陸地の傍まで近づけばすぐに気付かれてしまうだろう。
そうやって博孝が部下と共に警戒に当たっている間も、コンサートはどんどん進んでいく。
明るくテンポが良い曲、静かで深みがある曲、伴奏を排した独唱など。優花は笑顔を振りまきながらその歌声を披露していく。
バックダンサーの面々も歌に合わせて振り付けや踊り方を変えており、二週間程度で覚えたにしては中々に様になっている踊りっぷりだった。警戒している沙織までもが笑顔を浮かべている辺り、ステージに立って踊るだけでも楽しいのだろう。
(楽しかった……それだけで終わればいいけどな)
護衛としての出番がなければ、それに越したことはない。博孝は警戒心を解かずに周囲を見回しつつ、そんなことを思う。
(“監視”の目もないし、犯行予告は悪戯だったのか?)
訓練生だった頃には、任務や休日の外出の度に問題が起こったものである。その際に紫藤の父――紫藤武治に監視されていたこともあったが、博孝がそれとなく探しても武治はいなかった。
(可能なら紫藤の親父さんと接触してみたかったが……)
『大規模発生』の際に武治らしき『ES能力者』から“警告”を受けたことは、砂原にも話してある。訓練校の周辺を捜索したこともあったが、武治が捕まることはなかった。
博孝が即応部隊に配属されたことで監視を打ち切ったのか、それとも博孝が気付けないだけで監視を継続しているのか。観客一人ひとりの顔を確認してみるが、変装して紛れ込んでいるようにも見えない。
(野外って聞いた時は危険だと思ったけど、人数が少ないのは助かるな)
もしも大規模な会場で数万人の動員があった場合、監視もままならないだろう。その点でいえば、四桁を少し超える程度の監視は容易い。『ES能力者』としての観察力と視力を使い、怪しい者がいないか探していく。
観客の中には対ES戦闘部隊の兵士も紛れ込んでおり、ステージに注目する振りをしながら少しでも不審な動きをした者の傍に移動している。
「あの小っちゃい子可愛くね?」
「なんか一生懸命踊ってるのがいいよな」
そんな会話が聞こえ、博孝は思わず声がした方向へ視線を向けてしまった。一曲歌い終えて次の曲へ移る合間に、バックダンサーへの意識が向いたようだ。
「……捕縛していいかな?」
「おい馬鹿、やめろ! さすがにそれだけで捕まえんな!」
博孝が呟くと、一緒に行動していた和田が慌てて止める。一応は冗談だったのだが、和田からすれば本気にしか見えなかったらしい。
「城之内と同じ空気を感じたんだ」
「アイツもライクであってラブじゃないだろ!?」
軽い気分転換に口走った博孝だったが、和田は必死に止める。そんな和田の様子に苦笑した博孝だが、警戒心は途切れさせない。
気を抜いた素振りを見せれば何かあるかもしれないと思ったのだが、異常はなかった。
(こちらが警戒態勢だから動かないのか……それとも動けないのか。もしかすると襲撃のタイミングは別? 本当に悪戯だったとか……)
全てが無事に終わるまで判断はできないが、ここまで警戒して何もなければ肩透かしを食らった感じもある。これまでとは異なり、『天治会』の襲撃を待ち構える形になっているため尚更だ。
会場周辺を回るようにして警戒しているため時折部隊員とすれ違うが、全員が似たような表情である。何事も起きないことに対して安堵するような、どこか納得がいかないような、複雑そうな顔だ。
『各員、気を抜くな。こちらの集中力が切れるタイミングを狙っているのかもしれん』
そんな部隊員の様子を見越したのか、上空に待機している砂原が『通話』で声をかけてくる。コンサートは中盤を超えているが、終わるまでは気が抜けない。そのため各員が気を入れ直し、警戒に当たる。
コンサートが無事に終わってから、やはり悪戯だったのだと笑えば良いのだ。博孝もそう思い、より一層警戒心を強めて周囲に視線を向ける。
――やはり、異常はない。
自分の感覚がおかしくなければ、そう判断していいだろう。会場はライブ特有の熱気に包まれているが、それだけだ。優花の歌声一つ、仕草一つに歓声が上がるが、この場には相応しい。
むしろ冷静に警戒を行っている自分達の方が異物のようだ。これならば、ステージに立って優花の護衛を務めつつ踊る里香達の方が余程この場に相応しいだろう。
そんなことを頭の片隅で考えつつも、博孝は警戒を欠かさない。会場周辺よりも更に外側で警戒している対ES戦闘部隊とも連携しつつ、ひたすら警戒に努める。
そして、二時間ほど警戒態勢を取り続けた博孝だが、ステージ上では最後の一曲が流れ始めていた。優花の代表曲らしく、会場のファンも時折合いの手を入れながら歌い上げていく。
(……本当に何も起こらないのか?)
ステージ上の優花に視線を向けた博孝は、腑に落ちない気分を誤魔化すように首を傾げた。
即応部隊に配属されてから初めて回ってきた『天治会』関係の任務ということで気を張っていたが、所詮は手の込んだ悪戯に過ぎなかったのだろうか。そんなことを考えつつ、博孝は最後の一曲を歌い終えて舞台袖へと消えていく優花を見送る。
すると、会場のファンから『アンコール』の声がかかった。その声は次第に大きさを増していき、最高潮になった途端再度優花がステージ上に飛び出してくる。
再び音楽が流れ始め、優花はこれが最後だと言わんばかりに熱唱し――今度こそ、全ての曲を歌い終えた優花がステージから退場していく。バックダンサー役だった里香達もそれに合わせて退場しており、あとは解散するだけだ。
『……こちら河原崎少尉。異常はありませんか?』
『異常ありません。不審人物も見当たらないです』
博孝は携帯電話を取り出して対ES戦闘部隊へ連絡を取るが、すぐに返事がくる。その声色には無事にコンサートが終わったことへの安堵が含まれており、博孝は首を傾げてしまった。
(電波妨害もない……不審者もいない)
頭上、地上から三百メートルほど距離を取って浮かんでいる砂原達に視線を向けたが、警戒態勢を取っているだけで異常はない。
何もない。しかし、何もないことに違和感があった。犯行予告はただの悪戯だったと結論付けるには早いが、野外コンサートという絶好の機会を逃す理由がわからない。
会場に詰め掛けていたファンは興奮が醒めやらない様子だったが、二時間も熱唱する優花の姿を見て満足そうに退場し始めた。中にはバックダンサーに紛れ込んでいた里香達の話をしている者も存在し、素性を知る博孝としては複雑な気分である。
一応様子を確認しておこうと部下を率いて控え室へ向かうと、控え室の入口脇に警戒した様子の恭介が立っていた。だが、博孝の顔を見ると苦笑を浮かべる。
「何もなかったっすね……いつ突入する羽目になるのかと、ステージ脇で緊張しっぱなしだったっすよ」
「俺もだ。それで、護衛対象は?」
「ああ……コンサートが終わって安心したのか、泣きそうになりながら控え室に入っていったっす。みらいちゃんも感極まった感じで……岡島さん達が慰めてるっすよ。あと、着替えもしなきゃいけないんで」
僅かに疲労感を滲ませつつ、恭介は言う。それを聞いた博孝は、優花達が出てくるまでは周辺の護衛が必要だろうと部下に指示を出した。
『こちら河原崎。護衛対象は岡島少尉達と着替え中。異常はありません』
『こちら砂原、了解した。覗くなよ?』
砂原に報告を入れると、軽い冗談が返ってくる。一番の難所である野外コンサートが無事に終わり、それを労う意味もあるのだろう。
『覗きませんよ。修学旅行で学習しました』
『ふっ、そうか……こちらは上空での警戒を継続する。何かあれば知らせろ』
そんなやり取りを行い、博孝は中村達と共に警戒に当たる。控え室である大型テントの入口は恭介が固めており、押し通るのは不可能だろう。
「何もなかったなぁ……こんなことなら、ちゃんとコンサートを見てれば良かった」
「そうだよな。優花ちゃんもだけど、折角みんながあんなフリフリの衣装を着てたんだし」
「お前はみんなじゃなくてみらいちゃんを見たかっただけじゃないのか?」
部下として統率している中村達も若干気が抜けたのか、そんな雑談を交わしている。それを聞いた博孝は鋭い視線を向けてしまった。
「まだ全てが終わったわけじゃねえ。気を抜くな」
「っと、了解」
「悪い、河原崎。つーかお前、ちゃんと小隊長らしいな」
博孝が注意を促すと即座に気を引き締められる辺りは、砂原の教育が行き届いているということだろう。
「ちゃんとも何も、少尉で小隊長だっての。あと、ここのテントの布越しに今の会話を聞かれても知らないからな。ついでに城之内は任務が終わったら執務室に出頭しろ」
「なんでだよ!?」
最後に軽い冗談で締め、博孝は周囲の警戒を続ける。しかし何も不審な点はなく、三十分もすると普段着の優花と野戦服に身を包んだ里香達がテントから出てきた。
「いやー、もう最っ高! みんなと一緒に踊れたし、こんなに楽しいステージは初めて!」
優花はそんな声を上げつつ、みらいを抱き締めている。みらいは優花に抱き締められて笑顔であり、非常に楽しげだ。
「みらいもたのしかった」
「でしょ? 良かったらまた一緒にステージに立とうよ! うちのマネージャーに頼んだらイケるって!」
みらいを抱き上げてその場で回り出しそうな優花の様子に、里香達は苦笑を浮かべている。それでもアイドルのコンサートという環境は未知の体験だったからか、興奮したように頬が赤く上気していた。
「さすがにそれは勘弁してもらえませんかね」
一人でみらいの胴上げでも始めそうな優花に対し、博孝は笑いながら声をかける。すると、優花は体を硬直させてから博孝へと振り返った。
「げっ……折角いい気分だったのに……な、なによう。何か文句があるの?」
博孝を威嚇するようにシャドーボクシングをする優花。その仕草を見た博孝は笑みを深めつつ口を開く。
「いや、いいステージだったと思いますよ? 俺はこういったことはよくわからないですが、歌も綺麗だったしお客さんも盛り上がったし……ステージの上で何も起きなくて良かったですよ」
「え、あ、そ、そう? なによ、素直に褒められるんじゃない」
博孝が思ったことを素直に告げると、優花は毒気を抜かれたようにシャドーボクシングの構えを解く。そして感謝の言葉を述べようとして――。
「まあ、俺は一曲も知らなかったんで盛り上がりようがなかったんですが」
「やっぱりムカつくわねアンタ!?」
追加で放たれた言葉に、目を剥いて怒鳴り声を上げた。そんな優花の様子に博孝は笑い、謝罪する。
「すいません、冗談ですよ。全部いい曲でした。CDを買ってみたいとも思いましたし――」
そこまで言いかけた博孝だが、不意にその視線が鋭くなった。笑顔から一瞬で真顔に変わった博孝を見た優花は、また何か言い出すのかと身構える。
「な、なによ。そんな顔をしたって怖くないんだからね! こっちにはみらいちゃんだっているんだから!」
みらいを抱き締めながら言い放つ優花だが、博孝はそれに応えない。周囲を警戒するように見回し、獰猛に笑う。
「おいおい……客がいなくなってから来るなんて、ずいぶんと行儀がいいな」
それまで感じなかった、僅かな違和感。まるで空気に溶け込むようにして漂うその感覚は、これまでに感じたことがあるものだ。
博孝は周囲の仲間達にハンドサインを送りつつ、『通話』で砂原へと声をかける。
『隊長、薄いですが敵意を感じます。警戒を』
『何? こちらでは何も……』
博孝の報告が予想外だったのか、砂原は訝しげな声を漏らした。しかし、声が途切れてから数秒もせずに冷たい声が返ってくる。
『なるほど……この感覚か。以前交戦した敵は剥き出しだったが、どうやら少しは操る術を身につけたらしいな』
『厄介な話ですがね』
今まで隠していたのか、それとも急速に接近してきたのか。『アンノウン』と遭遇した際にも覚えた違和感があった。里香は感じ取れないのか不思議そうな顔をしているが、博孝の指示に従って他の部下と共に全周囲を警戒している。
沙織も違和感を覚えているのか『無銘』の柄に手を這わせ、恭介は拳を鳴らし、みらいは自分を抱き締めていた優花の両腕を優しく解いた。
「……みらいちゃん?」
「だいじょーぶ。ゆうかちゃんは、みらいたちがまもるから」
みらいがそう言うと、優花も事態に気付いたのだろう。表情を強張らせる。
「え……て、敵なの!? 嘘っ!?」
普通の人間である優花には、敵意や殺気などを感じ取る能力もない。そのため不安そうに周囲を見回し――そんな優花を落ち着かせるように恭介が肩に手を置いた。
「大丈夫っすよ、優花ちゃん。さっきも言ったっすけど、何があっても俺達が守り抜くっす」
「そこは『俺が守る』って言ってやれよ、恭介」
優花の緊張を解すために博孝がそう言うと、恭介は焦ったように手を振った。
「いやいや! さすがにそれは無理っつーか恐れ多いっつーか!」
一度目はそう言ったが、さすがに周囲に大勢がいる状態では言い難い。そのため拒否する恭介だが、優花は自分の肩に置かれた恭介の手を小さく摘まんだ。
「そ、その……わたしは言ってほしい、かな? こ、怖いし、少しでも安心させてよ……」
普段の様子はどこに消えたのか、優花は怯えたようにそう言った。それを聞いた博孝は、周囲を警戒しつつも恭介の脇腹を突く。『言ってやれ』というサインだ。
「あ、あー……安心してくれ。何があっても俺が守る……命を賭けても守ってみせる」
真剣な表情を浮かべてそう言った恭介だが、優花はキョトンとした顔付きへと変わった。そして何かを堪えるように肩を震わせるが、最後には小さく噴き出してしまう。
「ちょ、ちょっと、なによその口調! ギャップがありすぎて……もうっ! あははっ!」
「ええー……俺、頑張って言ったつもりなんすけど……」
優花の緊張を解すために言ったつもりが、爆笑されてしまった。恭介はその事実に凹みつつ、普段通りの様子で肩を落とす。
そんな二人を見た博孝は、まとめるようにして口を開いた。
「そういうわけで、“普段通り”にしていてください。ここから先は俺達の仕事です」
「あはは……はぁ。うん、わかった、わかりました。わたしを守ってください。お願いします」
笑っていた優花は目尻に浮かんだ涙を指で払い、博孝達に自分を守ってほしいと頼む。それを聞いた博孝達は、揃って頷いた。
一度下りた幕は、再び上がる。
ここから先は、舞台に上がる役者が交代する時間だ。
アンコールと呼ぶには過激な、『ES能力者』達の舞台の始まりである。
どうも、作者の池崎数也です。
二話連続であとがきの場をお借りします。
前回8件目のレビューをいただいたと言っていましたが、9件目のレビューもいただきました。のぞみさん、ありがとうございました。
また砂原推しでしたが……
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。