第百八十話:護衛任務 その4
「――小官は反対です」
優花の所属する事務所が所有するビルの一室、会議にも使われるその部屋に、砂原の冷たい声が響いた。その声を向けられたマネージャーは、冷や汗を掻きながら視線を逸らしている。
優花から二週間後に野外コンサートがあると聞いた砂原は、ビルに到着するなりマネージャーを呼び出し、どういうことかと問い詰めたのだ。
コンサートは元々予定されていたことであり、優花のファン達も非常に楽しみにしている。また、優花の人気は鰻登りであり、コンサートをキャンセルすれば報道各社もこぞって優花のことを取り上げ、大騒ぎになるだろう。
このタイミングでキャンセルをすると大きなマイナスが発生するという点も、事務所としては敬遠したいのだ。金銭的な問題もそうだが、優花の今後の活動にも影響があるかもしれない。
それらの話を聞いた砂原の返答は、『反対』の一言である。ただでさえ大勢のファンが集まるということで護衛が難しくなるというのに、開催場所は野外だ。もしも砂原が『天治会』ならば、襲ってくださいと言われたように思うだろう。
今回の話には空戦の士官組と里香が参加しているが、全員が口を閉ざして呆れたような顔で砂原とマネージャーの話を聞いている。間宮は砂原の代わりに部隊員を統率し、周囲の警戒に当たっていた。
「こ、コンサートの規模としては小さい方なんですが……」
「それで護衛の難易度が下がるとでも?」
冷や汗を拭いながら説明するマネージャーに対し、砂原はコンサートの詳細情報が書かれたパンフレットを叩く。
開催場所は、神奈川県の東扇島公園。そこに特設会場を設け、小規模ながらもコンサートを行うらしい。ただし、小規模と言いながらも動員数は四桁を超えている。
それに加えて、この東扇島は名前に『島』とついている通り、陸地から離れている。道路などがつながっているため完全な島ではないが、周囲を海に囲まれているのだ。
コンサートがあることに関しては、恭介やみらいなども知らなかった。ファンではあるが、正規部隊での生活に追われてその辺りの情報をチェックする余裕もなかったのである。
「護衛対象の安全を考えるのなら、中止にすべきです。危険を承知で強行する必要はないでしょう」
パンフレットをテーブルに置きつつ、砂原はそう勧めた。マネージャーはそんな砂原か視線を逸らすと、モゴモゴと口ごもる。
「その、ですね……今回のコンサートは収容人数も少ないため、チケットの倍率も非常に高くなってまして……インターネットや各種メディアでも騒ぎになっているぐらいで……」
申し訳なさそうに説明するマネージャー。テーブルに置いたパンフレットには、『特別イベント』と銘打たれていた。
どうやら、わざと小規模なコンサートにすることで優花とファンの距離を近づけ、なおかつチケット価格の高騰などで大きな話題にしているらしい。
今後のスケジュールを確認してみると、二ヶ月後に大規模なコンサートが控えているようだ。今回のコンサートは“次回”につなげるための布石として是非開催したいようである。
当然だが、前提として優花はコンサートを行いたいと望んでいる。一人のプロとして、自分のファンをがっかりさせたくないのだ。
「……こちらとしては、天候が崩れて中止になることを祈るしかありませんな。“何か”あった時、客側にも被害が出る危険性が高いです」
言うべきことではないと思ったが、砂原としてはそう言わざるを得ない。砂原はマネージャーの様子から撤回が見込めないと悟り、パンフレットを指で叩く。
「コンサートを行うとしても、せめて場所を変えていただきたい。東京で、なおかつ屋根がある場所の方が良いのでは?」
一応の妥協案として、開催場所を変えるよう砂原は進言した。野外ということは、荒天になればコンサートも実施できないだろう。多少雨が降ったぐらいならば実施するかもしれないが、大雨となればそれも難しいはずだ。
「……め、目ぼしいコンサート会場は既に埋まっていまして……」
そう答えるマネージャーは、しどろもどろである。いっそのことマネージャよりも上――この事務所の社長などに直談判しようと思った砂原だが、マネージャーの一存でコンサートの決定を決めているわけではないはずだ。
悪戯の可能性と、『ES能力者』が護衛に就いたことによる安心感。そんな楽観できる要素に賭け、コンサートを決行するつもりらしい。
「も、もちろん荒天の場合は中止になりますので……」
それならば初めから屋根がある場所で開催すれば良い。そう思った砂原だが、天候不良による中止と優花自身に“問題”が発生したことで中止するのとでは、印象も違うのだろう。
そんな砂原とマネージャーのやり取りを聞いていた博孝と斉藤は、砂原に同意見であるため沈黙を選ぶ。しかし、里香だけは反応が違った。
「少佐殿、護衛対象の意見を尊重するのも我々の仕事ですし、そのぐらいで……」
「……岡島少尉?」
それが場の空気を嫌ってのものか、あるいはマネージャーを庇うための発言だったならば、砂原は叱り飛ばしていただろう。砂原は部隊長であり、護衛対象を守る必要性を認めながらも、好んで部下を危険に遭わせるつもりはない。
しかし、里香は砂原を宥めるようにしながらも、その表情には小さな微笑みが浮かんでいる。その表情に違和感を覚えた砂原は、一度だけ深呼吸をしてからマネージャーに向き直った。
「会場の変更については、是非とも尽力していただきたい。よろしいですな?」
「は、はい……」
若干威圧するような形になってしまったが、砂原はそんな釘を刺す。マネージャーは身を縮めるようにして頷いたが、効果の程は不明だ。
砂原は最後に一言だけ謝罪すると、部下を率いて部屋を出た。周囲に人目がないことを確認すると、里香に問いかける。
「何かあるのだな?」
「……はい」
「ふむ……斉藤中尉と河原崎少尉は護衛に戻れ。気を抜くなよ?」
「はっ」
「了解であります」
博孝と斉藤に指示を出すと、砂原は里香を伴って護衛のために用意された部屋へと向かう。今の時間帯はビル周辺の監視や優花への護衛に人手を割いているため、誰もいないのだ。密談をするには丁度良かった。
「それで、何があった?」
手近にあった椅子を里香に勧めつつ、砂原が尋ねる。すると、里香はハンドサインで『通話』の使用許可を求める。
現在は極力『構成力』を隠しながら護衛に当たっているため使用は望ましくないが、何か考えがあるのだろうと判断して砂原は頷いた。
「やはり、護衛対象の生活を思えばコンサートは中断するべきではないと思いまして」
『いくらなんでも、状況が怪しすぎます。コンサートの時期は事前に告知されていたようですが、『天治会』がタイミングを狙ったのだとしても露骨過ぎるでしょう』
肉声では先ほどと同様にマネージャーを庇う言動をしつつ、『通話』では懸念を示す。砂原は小さく頷いて先を促した。
「それはそうだがな……危険を承知でコンサートを行う必要はあるまい」
『たしかにな。コンサートが中止できないと判断したからこそ犯行予告を出したのか……さすがに偶然という線はないだろう』
「護衛対象と接してそれほど時間が経っていませんが、彼女はプロです。例え危険があろうとも、ファンの期待には応えたいと思うのでしょう」
『ええ。ただ、ここまで露骨だと逆に何もない気がするから厄介です。わたしが敵ならここで襲いますが、そう思わせておいてコンサートの前後……緊張感を持つ前か、抜けた後に狙われるかもしれません』
口に出す言葉では、砂原を説得するような言葉を。内心では憂慮すべき点を挙げつつ、里香は部屋の中を見回す。その仕草と『通話』を求めてきたことから、砂原も里香の意図を理解して周囲に視線を走らせた。
さすがに『天治会』の手がここまで及んでいるとは考えたくないが、盗聴器や隠しカメラなどが存在する可能性がある。それを考慮して里香は『通話』を使い、表面では優花の意思を尊重する姿勢を取っているのだ。
「だがな、少尉。俺はこの部隊の隊長として、部下の身の安全も考えねばならんのだ」
『なんとも厄介な話だ……コンサートすらもエサの可能性がある。かといって、我々が今後常に護衛に就いているわけにもいかん』
「隊長殿、これは任務です。我々はこの任務を遂行するためにここに派遣されたのですよ?」
『はい。しかし、仮に悪戯でなく本物の『天治会』が絡んでいた場合、何かしらのアクションがあるはずです。我々には、彼らが執心している人物がいます……だから、それを逆手に取りましょう』
表向きは任務に対する意識の違いについて語りつつ、二人は話を進めていく。
「敢えて危険性を増す必要はない。我々が優先すべきは、護衛対象の身の安全だ」
『逆手に取る? 何か案があるのかね?』
「護衛対象の身を守ることも重要ですが、普段の生活を守ることも重要だと思います。特に、彼女は客商売……マネージャーの方も言っていましたが、今後の不利益になるかと」
『本当に『天治会』が絡んでいるのなら、今回の件は明らかに“誘い”でしょう。それなら、敢えて誘いに乗った方がいいです。幸い、コンサートの開催まで時間がありますから、“色々と”手を打っておきましょう』
口に出している言葉は砂原への抗議に近いため表情は真面目だが、もしも『通話』だけで話していれば今頃里香は状況に対する怒りで薄く笑っていただろう。
「たしかに護衛対象の生活を守ることも重要だが……しかしな……」
『あまり大がかりなことはできんぞ? こちらの戦力も限られている』
「わたしは悪戯の可能性が高いと思います。ここは護衛対象の希望を優先するべきです」
『戦力が限られているのなら、他所から持ってくればいいんです。もちろん、大々的には動かせません。どこに敵の目があるかわかりませんし、上層部の考えもわかりません。“水漏れ”している可能性もあります』
躊躇する隊長と、それを窘める部下という体で会話を行っていく。しかし、『通話』による会話では徐々に内容の剣呑さが増している。
「それはそうだが……」
『水漏れの調査は中将閣下も極秘裏に進めている……が、芳しい結果が出ていない以上、他の手を打つ必要があるか』
「案外、犯行予告も性質の悪いファンによる行動かもしれません。もしくは商売敵とか……先ほどの不審者のように、ファンが多い方ですし」
『敵の腕がどこまで“伸びる”のかもわかりません。隊長が動くと警戒されると思いますので、わたしの方で動ければと……日本ES戦闘部隊監督部へわたしを派遣してください。名目は部隊長補佐として、研修を兼ねて任務の報告やコンサートでの護衛任務に関する相談を行うため……という形で』
砂原の表情が僅かに変わるが、それに気付ける者がいたとしても正面に立つ里香だけだろう。砂原は数秒沈黙したが、小さくため息を吐く。
「その可能性もあるが、危険であることに変わりはない……貴官には長谷川中将閣下の元へ赴き、追加の人員を要請してきてもらう。折角だ、任務の経過報告も頼もうか」
『手を打っておくに越したことはない、か……他の部下には伏せておいた方が良いな』
「了解いたしました、すぐに動いた方が良いですか?」
『状況が整ってから……なおかつ、開示する情報は欺瞞を混ぜた方が良いと思います。さすがにないと思いたいですが、“身内”から情報が漏れるのは勘弁してほしいですから』
里香がそう言うと、砂原は僅かに渋面を浮かべつつ頷く。砂原としても、『天治会』の動き方が気になっていたのだ。どこからか情報が漏れているのか、あるいは巧みに監視しているのかはわからないが、何かしらの手を打つ必要があると思っていた。
「さすがに護衛を開始した翌日に、というのは体裁も悪い……だが、急を要することでもある。今日中に今後の方針を立て、明日にでも報告に行ってもらおうか」
「わかりました。護衛対象が学校にいる時か、もしくは仕事の間に行ってきます」
日本ES戦闘部隊監督部は都内にあるため、陸戦の里香でも時間をかけずに到着できる。そのため表面上は今後の方針を相談しつつ、『通話』では“どんな手を打つか”相談しつつ、里香と砂原は話を進めていくのだった。
里香と砂原が話し込んでいる間、博孝は護衛対象である優花の元へと足を運んでいた。普段ならば里香が傍にいるのだが、今は砂原と共にいる。そうなると、優花の周囲にいる護衛の中で階級が一番高い者が沙織になってしまうのだ。
斉藤は空戦部隊員の監視状況を確認するため別れており、博孝はノックをしてから優花が利用している控え室へと足を踏み入れる。
部屋の中にいた護衛は沙織とみらい、希美と恭介の四人だ。みらいは満面の笑みを浮かべた優花に構われており、沙織と希美はそんな二人を微笑ましく見守っている。
恭介は疲れたような表情でそれを見ていたが、入室してきた博孝を見て『助かった』と言わんばかりに表情を輝かせた。
「こ、交代っすか?」
「いやいや、里香が隊長と話をしてるんで、その間の代行としてきただけだよ」
しかし、博孝は容易く恭介の希望を圧し折る。恭介にはまだまだ頑張ってもらわないといけないのだ。
「うげっ……」
博孝の顔を見た優花は、アイドルとして出してはいけない声を出してしまった。初対面時の“冗談”で苦手意識を持たれたらしい。
「うげっ、とはご挨拶ですね」
「う、うるさいわね! そう言われたくないなら、それらしい態度を取りなさいよ!」
にこやかに微笑んで指摘すると、即座に反発の声が返ってくる。すると、博孝は心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「……え?」
「“それ”をやめなさいって話よ! なんでわたしの方がおかしい、みたいな顔をしてこっちを見てるの!?」
非常に良い反応である。その反応の良さに博孝が満足していると、優花に構われていたみらいが不安そうな顔をした。
「おにぃちゃん、ゆうかちゃん……けんか?」
「えっ!? ち、違うわよみらいちゃん! これはケンカじゃなくて――」
「からかっているだけだから大丈夫だぞー」
あっさりと言ってのける博孝。すると、次の瞬間には優花がアイドルらしからぬ、般若のような顔へと変貌する。
「アンタってば……本当に良い度胸ね!? ちょっと恭介! ソイツを追い出してよ!」
「あ、博孝の方が階級上なんで、それは無理っす」
「役立たずね!?」
キイィィッ、と悔しそうな声を上げる優花。それを見た博孝は冗談を止め、真剣な表情を浮かべた。
「元気そうで何よりです……が、一つだけ聞いておきたい。マネージャーは二週間後のコンサートを実施するつもりでしたが、貴女も同意見である……そう思って良いですね?」
「いきなり真面目な顔をしても騙されないわよ!? ……って、え? コンサートについて?」
話が仕事に関係するものだったからか、優花は不満そうにしながらも首肯する。
「当然よ。それがわたしの仕事だもの」
「犯行予告が本当に『天治会』のものである……その危険性を踏まえた上で?」
初めて顔を合わせた時もそうだったが、優花は不安と焦燥を抱えていた。それはある意味当然の感情だが、それらの感情に蓋をしてまで行う必要がある“仕事”なのか。
そんな博孝の疑問に対し、優花は数度瞬きをしてから首を横に振った。
「多分、アンタにはわからないわ……」
「……俺にはわからない?」
「ええ。犯行予告はたしかに怖いけど、わたしみたいにファンの人気が大きく影響する立場だと、『危ないから』の一言では済まないの。わたし自身、済ませるつもりもない。一人でもお客さんがいるのなら、笑顔で歌うわ」
そう言って、優花は強さを感じる眼差しで博孝を見る。博孝はそんな優花の視線を真っ直ぐ見返したが、微塵も揺らぎそうにないと判断してため息を吐いた。
「そのお客さんに被害が出る危険性がありますが?」
「え? もしも『天治会』が出てきても、あなた達が返り討ちにしてくれるんでしょう?」
「……んん? 誰がそんなことを?」
やけに確信のこもった一言に対し、博孝は違和感を覚えながら尋ねる。すると、優花は恭介を指差した。
「そこの盾君が」
「盾君!? ちょ、盾扱いは勘弁してほしいっすよ!」
そう言いつつ、恭介は博孝から視線を逸らす。当然ながら自分がいなかった場所で行われた会話など知る由もなく、博孝は笑顔で恭介に詰め寄った。
「武倉軍曹? 貴官は何を安請け合いしてるのかね? ん?」
「ややっ、申し訳ないです河原崎少尉! でもですね、優花ちゃんを安心させるためでして、はい!」
砂原が運転する車の中でそんな話をしたのだろう。そう判断した博孝は、深々とため息を吐いた。砂原が否定していないのならば、砂原もそのつもりということだ。仮に『天治会』が出てきても、その全てを退けるつもりである。
「はぁ……ま、貴女が歌のプロだとすれば、こっちは戦いのプロです。貴女もお客も、きっちり守り抜きますよ」
そう言いつつ、博孝は内心だけで一言付け足す。
(里香が何かを考えているようだし、な……)
マネージャーに詰め寄る砂原を止めた際の里香の様子。そこに何かしらの意図が感じられたため、博孝はそこまで絶望的に思っていない。今頃何か“悪巧み”でもしているのではないか――そんな考えを微塵も顔に出さず、博孝は恭介に視線を向ける。
「自分で口にした以上、軍曹にはしっかりと守ってもらわないとな」
「う、うっす! 頑張るっすよ!」
真面目な顔でそう告げた博孝だが、すぐにその表情が崩れた。スイッチを切り替え、優花に軽く話題を振る。
「さて、堅苦しい話はこれぐらいで……うちのみらいは御迷惑をおかけしてないでしょうか? 甘やかして育ててきたので、我が儘を言っていなければいいのですが……」
「ちょっと、なによコイツ……雰囲気が変わり過ぎて気持ち悪いんですけど」
「な、なにおう!? 兄としては妹が迷惑かけてないか気になるんだよ!」
「アンタの方がよっぽど迷惑よ!?」
真面目な話をしていたと思えば、急に雰囲気が変わっている。優花は律儀にツッコミを入れるが、博孝は不思議そうな顔で首を傾げた。
「……え?」
「だ、か、ら! なんでそこで不思議そうな顔をできるのよアンタは!?」
ガーっと吠える優花と、それを見て口の端を吊り上げる博孝。みらいは再び喧嘩が始まったのかと思い、二人の間でオロオロとしている。
「ふたりとも、けんかはめっ、なの……」
「これはケンカじゃ……いや、そうだな。それじゃあ“勝敗”はみらいに決めてもらおうか」
喧嘩ではないと言いつつ、博孝はみらいに向かって両腕を広げてみせた。
「さあ、みらい! こっちにおいで?」
そんな博孝の言葉を聞いた優花は即座に意図を理解し、博孝と同じように両腕を広げる。
「みらいちゃん、いっちゃ駄目よ! こっちにきて!」
「え……」
博孝と優花に挟まれたみらいは、困ったように何度も二人の顔を見る。分身でもできない限り、同時に二人のもとへ行くことはできなかった。
みらいはどちらのもとへ行くべきか迷い――三十秒ほど悩んでから優花に抱き着く。
「ふっ……勝ったわ」
「なん、だと……」
みらいを抱き締めて勝利宣言する優花と、膝をついて項垂れる博孝。優花は膝をついた博孝に誇らしげな視線を向けると、楽しげに口の端を吊り上げる。
「さて、敗者には罰を受けてもらいましょうか」
「くっ……負けた以上は言い訳すまい。さあ、どんとこい!」
潔く敗北を受け入れた博孝だが、優花は視線を巡らせながら思案する。
「そうね……お仕事までちょっと時間があるし、クレープでも食べたいわ。近くに屋台があるから買ってきてよ」
「パシリかぁ……まあ、仕方ない」
案外良心的な罰ゲームを聞き、博孝は苦笑しながら立ち上がった。部屋の外に一つ“気配”があるため、部屋から出るのに丁度良い。
「納豆コーヒーゼリークレープでいいよな?」
「いいわけないでしょ!? フルーツ系ならなんでもいいから、みらいちゃんの分もね!」
「護衛全員分買ってくるって……それじゃあ少しばかりお待ちくださいね、お姫様?」
小さく笑い、博孝は退室する。護衛状況の確認ついでに買ってくればいいだろう。そんなことを考えつつ、扉の外に立っていた里香に視線を向けた。その時点で、博孝の表情は真剣なものに変わっている。
「みらいのおかげか、一日経っただけでだいぶ持ち直したみたいだな。元気みたいで何よりだよ」
「もう……あんまりからかったら駄目だよ? 博孝君なら大丈夫だと思うけど……」
「悪い悪い。ほどほどにしとくよ……で、教官と“話”はできた?」
博孝がそう問うと、里香は口元に指を当てた。
「うーん……秘密、かな?」
「秘密なら仕方ない。俺は大人しくクレープでも買ってくるよ」
それだけを言い残し、博孝は背を向ける。里香が秘密と言うのなら、隠す必要があると判断したのだ。
そうやって何も問わない博孝の背中を見送り、里香は優花の待機部屋に入る。部屋の中では優花がみらいを抱き締め、頬を膨らませていた。
「わたし、アイツ苦手……」
「優花ちゃんの反応が良いからっすね。何か言われたら、冷たい目をしながら『は?』って言ってればボケ殺しになるっすよ」
「それをやっても、余計に絡んできそうで嫌」
「ああ、まあ、たしかに変なリアクションが返ってくる可能性があるっすけど……」
博孝に対して愚痴を口にする優花だが、恭介が苦笑しながら宥める。その光景を見た里香は、『おや?』と内心で首を傾げた。
昨晩は邪険にされていた恭介だが、先ほどの博孝と比べると話しやすいからか、ごく普通に会話をしている。有事の際には『防御型』である恭介の指示に従ってもらう関係上、悪くない傾向だった。
「それで岡島さん、河原崎君も言っていたけれど、コンサートでの護衛はどうするの? わたし達が護衛をするとしても、人前に立っていいのかしら?」
里香がそんなことを考えていると、恭介の優花のやり取りを眺めて苦笑していた希美が尋ねる。どうやら希美は護衛の仕方について気にしているようだ。
「コンサート会場の変更が上手くいくかで、護衛の方法も変わりますよね……野外なら舞台に遮蔽物を用意してもらって、そこに待機しておくとか……」
コンサートが実施された場合、どうやって優花を護衛するかも問題である。希美の疑問に対し、『天治会』への備え以外にも考えることが色々あると里香は思った。
『天治会』もそうだが、仮に客席から拳銃でも使われれば、防御が間に合うか微妙なところである。距離があると防ぐのが難しくなるだろう。野外の特設ステージに、急遽遮蔽物を追加してもらうべきだろうか。
あれこれと思考を巡らせる里香。しかし、そんな里香の言葉に対し、みらいが首を傾げる。
「……? いっしょにいれば?」
「えっとね、みらいちゃん。それが出来たら苦労は……」
「……? いっしょにおどれば?」
「……え?」
一緒にいなければ優花が危険だというのなら、一緒にいればいいだけの話だ。みらいの言葉は非常にシンプルで、だからこそ里香としても盲点である。
「あ、それいいねー。みんな可愛いし、体力もあるし、運動もできるんでしょ? バックダンサーに打って付けだよ!」
みらいの言葉を聞き、優花が両手を打ち合わせた。優花としても、近くに護衛がいれば安心できるだろう。それがバックダンサーとなれば、物理的に近くにいることができる。
ある意味理想的な話だ。『ES能力者』の身体能力があれば、二週間という短期間でダンスの一つや二つは覚えられるかもしれない。しかし、その方法が認められるかは別の話である。
「……隊長に相談することができたので、もう一度席を外しますね……武倉君、博孝君が戻ってきたら、指揮の代行をお願いして……」
「う、うす。わかったっすよ」
有用性を認めてしまった以上は、話だけでもしておいた方が良いだろう。そう思った里香は、即座に砂原の元へと向かう。
コンサートが回避できないのならば、非常に有効な護衛手段になる。しかし、里香としては人前で踊るなど想像もできず、話はするものの却下してほしいと願うのだった。
余談ですが、納豆コーヒーゼリークレープは実在の食べ物です。