第百七十六話:通達
博孝達が訓練校を卒業して三ヶ月後。鬱陶しい梅雨も過ぎ、季節が夏へと移ろい始めたその時期に、博孝と里香は急遽会議室へと呼ばれた。
会議室に集まってみると、斉藤や間宮などの士官組が着席している。博孝と里香は新米士官ということで下座の椅子に座り、一体何事かと顔を見合わせていると、僅かな間を置いて砂原が入室してきた。
「全員揃っているな」
会議室に揃った顔ぶれを確認し、砂原はそう言う。表情はどこか不機嫌そうであり、右手には書類の束を持っていた。それを見た里香は即座に席を立ち、砂原から書類を受け取って出席者に配り始める。
「ご苦労、岡島少尉。さて、まずはその資料を見てくれ」
士官だけを集めて配る資料とは、一体何なのか。博孝はそんなことを思いつつ、配られた書類に視線を落とす。しかし、その内容を読み進めるにつれて困惑の感情を覚えた。
(即応部隊への出撃命令? 近隣の『ES寄生体』を排除するでもなく、即応部隊としての正規任務だって?)
書類に記されていたのは、端的に言えば即応部隊に命じられた任務の概要である。
これまでも任務として駐屯地近隣の『ES寄生体』を排除してきたが、即応部隊はまだまだ未完成の部隊だ。定員まで人員が揃っておらず、設立からの三ヶ月で連携を強化したものの、まだまだ穴がある。
正式な稼働は三ヶ月ほど先――第七十二期訓練生が卒業したタイミングで人員補充を行ってからだったはずだというのに、任務が回ってきたようだ。
砂原が不機嫌そうなのもその辺りに起因するのだろうが、任務内容を確認していく内に博孝の困惑は深まるばかりである。
任務内容は、とある人物の護衛任務。ただし、襲撃してくる相手が『天治会』の“可能性がある”という曖昧なもの。
護衛対象に関しても、政府の要人というわけでもないらしい。そもそも、博孝は護衛対象の名前を見てもどこの誰かわからないほどだ。
(護衛対象は神楽坂優花……誰だ? いや、微妙に聞き覚えがある気もするんだけど……)
小さく首を傾げるが、博孝としては護衛対象の素性はどうでも良い。問題は、『天治会』が襲撃してくる可能性があるという曖昧な部分だ。
「任務内容は書類の通り、特定人物の護衛任務になる……が、発足から間もない我々に回ってきた以上、面倒な事情がある」
「面倒な事情ですか? 嫌な予感しかしませんな」
斉藤が相槌を打つと、砂原は眉間に寄った皺を指で揉み解す。
「ああ……そもそも、書類にある通り『天治会』が襲撃してくるかもしれない、という部分が厄介でな」
「曖昧な表現ですが、それは何故なんです? まさか、わざわざ『天治会』が犯行予告を出してきたわけでもないでしょうに」
疑問を覚えていた博孝が尋ねると、砂原は苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振った。
「そこなのだよ、河原崎少尉。今回の護衛任務だが、『天治会』“らしき”者から犯行予告があってな」
「え……本当にあったんですか?」
冗談で言ったつもりだったというのに、砂原は肯定する。しかし、砂原の言葉にも曖昧な点があったため、冗談を交えつつ話の続きを促す。
「まさか、矢文でも撃ち込んできましたか?」
「いつの時代の話だ……いや、相手に予告するという意味では合っているか。今回我々が動員されることになった原因は、インターネットの書き込みだ」
心底面倒だ、と言わんばかりにため息を吐く砂原。砂原がそうやって態度に出すことは珍しく、どうやら本気で面倒な事態だと思っているらしい。
「はぁ……インターネットですか」
「そうだ。護衛対象に対する様々な犯行予告……殺人、誘拐、襲撃等々の予告がインターネット上に書き込まれてな。その予告の中に『天治会』の名前があった」
他の士官に説明する意味合いもあるのだろう。砂原は博孝の質問に対して逐一説明を挟んでいく。
「悪戯の可能性は?」
里香も今回の任務に対する疑問を覚えていたのか、訝しげに尋ねる。インターネットを利用した悪質な書き込みというのは、社会現象になるほどありふれた事態だ。
「そこが厄介なところで、その可能性はもちろんある。ただし調査の結果、書き込みの発信元が割り出せなくてな。海外のサーバーをいくつも経由させて身元を隠しているようだ」
「悪戯の可能性は捨てきれない……ただ、それにしては手が込んでいるというわけですか」
なるほど、と言わんばかりに里香が頷いた。
「そうだ。護衛対象の関係者もその書き込みを見ていてな。他にも日本ES戦闘部隊監督部に対して複数の通報があった。そこで調査をしてみれば、黒に近いという結果が出てな……かといって、他の部隊を動かすほど確証のある話でもない。悪戯の可能性も残っている」
「そこで我々即応部隊の出番、と……悪戯なら傍迷惑な話ですな」
砂原の心情を察し、斉藤は肩を竦めながら言う。
『天治会』と名乗っているのは『天治会』が国際的にも有名な組織だからか、あるいは本物なのか。しかし、わざわざ名前を出して犯行を予告する必要性はない。
悪戯の可能性もあるが、本物あるいは類似した組織の犯行予告である可能性も捨てきれない。かといって手の込んだ悪戯の可能性も同様に存在し、『ES能力者』の一個大隊が出張るには真偽の程が定かではない。
そこで『天治会』への対策に設立された即応部隊を、“一応”派遣しようということなのだろう。砂原が不機嫌になるのも理解ができる案件である。
「岡島少尉はどう思う?」
士官達が納得や困惑の表情を浮かべている中、砂原は里香に話を振った。博孝とは異なり、『ES能力者』としての技量ではなくその他の部分で士官になった里香に対しては、ことあるごとにこういった質問をするのである。
それは里香を育てるためか、士官達に里香がどのような面で秀でているかを示すためか、あるいはその両方か。砂原の質問を受けた里香は、再度資料に視線を落としつつ答える。
「……『天治会』の立場で考えるなら、非常に上手い手だと思います。これが悪戯だとしても、『天治会』にとってはプラスになる話でしょう」
考えをまとめた里香は、確信を持ってそう答えた。その口振りに、砂原は不機嫌そうな色を消して興味深そうに片眉を跳ね上げる。
「詳細の説明をしたまえ」
「はい。まずは今のわたし達のように、護衛側へ半信半疑の印象を与えて行動を制限している点です。悪戯にしては手が込んでいる……かといって放置するのも危険。しかも、インターネットを利用することで民間人からの通報も期待でき、何かしらの対応を取らざるを得なくしています」
そう説明する里香の表情は、真剣なものだ。与えられた情報を噛み砕き、考えられる可能性を並べていく。
「狙う相手も絶妙に選別されていると思います。“彼女”を狙うと書き込みがされれば、民間人が通報する可能性は非常に高いですから。しかし、我々『ES能力者』や、我々を運用する立場の方からすれば重要度は低い……皆無と言ってもいいです。つまり、これが悪戯でない場合の目的は絞られます」
「ほう……目的とは?」
滔々と述べる里香に対し、砂原は続きを促すように尋ねた。
「日本の『ES能力者』がどう動くか……今回のような件に対して日本ES戦闘部隊監督部がどのような判断を下すか。それを確認するためだと思います。即応部隊が出てくることを狙っていたのかもしれませんが、我々に任務が命じられる保証はなかったので」
里香が考えたのは、こちら側がどのような手を打つか探っているというもの。悪戯と片付けるには怪しい手段を使い、信憑性を増しているように感じられた。
「犯行予告を書き込んでこちら側の動きだけを見るか、本当に襲撃があるのか……もちろん、悪戯の可能性もあります。ただ、悪戯だとしてもこちら側は動かざるを得ないため、『天治会』や他の組織のスパイなどもこちら側の“動き方”に関する情報を得るでしょう」
当然ではあるが、国内でスパイ活動などさせないよういたるところで目を光らせている。飛行型『ES寄生体』の脅威があるため航空機を使った外国人の来日にも制限があり、日本を訪れたとしても身元の照会等が行われていた。
しかし、何事にも例外はつきものである。『天治会』のメンバーが国内で暗躍していることを考えれば、スパイが存在しないというのは出来の悪い冗談にもならない。そして、何もスパイが外国人だけとは限らないのだ。
『天治会』は世界各国にパイプを持っているため、“現地”で協力者を得る手段もあるだろう。
「悪戯と判断して動かない……という手は打てないか?」
「打てません。もしも予告が本当だった場合、あるいはこちらが動かないことを確認して向こうに動かれた場合、護衛対象だけでなく民間人にも被害が出ると思います。その場合、『ES能力者』に対する批判が出ますから」
どう足掻こうと、何かしらの対策はしなければならない。『天治会』の性質上後手に回るのは仕方ない部分があるが、それでも今回のように動き方を試されるのは厄介な話だった。
里香の説明を聞くと、斉藤が感心した様子で口笛を吹く。周囲を確認してみれば、他の士官の様子も同様だ。
「いやはや……隊長殿や中将閣下がわざわざ士官に抜擢したと聞いて驚きましたが、訓練校を出たばかりの新米にしては視野が広いですな」
「たしかに。良い着眼点を持っていますね」
斉藤の言葉に重々しい声色で同意する間宮。褒められた里香は、少しばかり照れたように頬を赤く染めながら頭を下げる。
「その……お褒めいただき、恐縮です」
はにかんでそう述べる里香。砂原はそんな里香を微笑ましそうに見たが、すぐに表情を引き締める。
「岡島少尉の予測に関してだが、長谷川中将閣下を始めとする日本ES戦闘部隊管理部の面々も同様の推測を立てている。つまり、我々は動かざるを得ない状況にあると言って良い」
里香に推測をさせたのは、やはり教育の一環だったのだろう。砂原は里香に対して席に戻るよう促すと、任務の概要が書かれた書類を軽く叩く。
「悪戯の可能性もあるため、動かすには我々即応部隊が丁度良いというわけだ。本当に『天治会』が相手だった場合、対ES戦闘部隊だけでは対処できんしな」
現状では他の部隊よりも部隊員が少ないが、即応部隊は『天治会』に対処するために組織された部隊である。その性質上、任務の要請が来れば断ることもできない。
「なお、もしも“本当”だった場合を考慮し、いくつかの部隊と連携する用意も進めてある。『天治会』の存在が確認されれば、増援を呼ぶことも可能だ」
そう言われ、博孝は書類の文面に護衛を行う予定地を発見する。予定地は首都である東京であり、首都というからには防衛用の戦力も豊富だ。また、『天治会』からすれば最悪なことに、『武神』と呼ばれる源次郎が出てくる可能性もある。
(任務地を見るだけでも、『天治会』が出てくる可能性は低そうなんだけどなぁ……まあ、俺達は任務を行うだけか)
放っておくには物騒で、実際に対処するには信憑性が低い。今回の任務がそういった性質だと理解した博孝は、会議が終わりかけていることを察して軽く質問をする。
「なるほど……ところで、護衛対象の神楽坂優花という方はどこのどなたなんです? 『天治会』が名指しで狙うということは、『天治会』にとって都合が悪い人物なんですよね?」
資料には名前ぐらいしか書かれていないが、『天治会』が名指しで犯行予告を出すというのならば、博孝が知らないだけで有名な政治家や活動家なのかもしれない。
『天治会』は国際的なテロリストのため、その存在を批判するための組織もあるだろう。日本に存在するそういった組織の重鎮を消そうとしている可能性もある。
興味本位で博孝がそう尋ねると、会議室にいた全員が同時に博孝に視線を向けた。そして、信じられないと言わんばかりに凝視してくる。
「……博孝君、知らないの?」
里香が呆然と、何を言っているのかと疑うような口調で尋ねた。隣の席に戻っていたため小声だったが、その声色には不信の色が混ざっている。
「え? もしかして俺が知ってる人? あ、もしかして情報を伏せるために偽名を書いてあるとか?」
神楽坂優花というのは、何かしらの暗号なのか。もしかするとアナグラムだろうか、などと考える博孝に、里香は本気で驚いたように目を見開く。
「俺ですら知っているぞ河原崎少尉……」
砂原からも、冗談は別の機会にしろと言わんばかりの視線が飛んでくる。周囲を見回せば、他の士官の目付きも同様だ。
「あ、あれ? もしかして、そんなに有名な人なんですか?」
知らないのは自分だけなのか、と博孝は心底焦る。すると、里香はそんな博孝の顔を見て、何かを察したように頬を引き攣らせた。
「博孝君……いえ、河原崎少尉。訓練生時代に部屋でテレビを見たりは……」
「見てないです、岡島少尉。テレビを見る暇があれば自主訓練してました」
「購買で雑誌を買ったりは……」
「読む暇があったら自主訓練してます」
「音楽を聞いたりは……」
「一曲聞く暇があったら組手ができますし」
訓練生時代にテレビを見る機会など、ほとんどなかった。精々、みらいが同居していた時にみらいが見ていたテレビ番組を“聞いていた”ぐらいである。
「隊長殿、河原崎少尉が訓練校で自主訓練に励んでいたとは聞きましたが、これはこれで問題だと思います……いや、歳の割に強い理由はわかりましたが」
「すまんな、中尉。まさか俺もここまでだとは……オーバーワークにならないよう、定期的に休ませていたのだがな。まさか、本当に“休んでいただけ”だったとは」
斉藤が咎めるように言うと、砂原は申し訳なさそうに視線を逸らす。思えば、休日の過ごし方を博孝に聞いた覚えがなかった。
博孝の休日とはすなわち、一日中自主訓練ができる日である。平日でも座学や実技訓練がない時間は自主訓練に充てていた。睡眠の重要性が低い『ES能力者』だからできたことだが、博孝は自由な時間があれば自主訓練をしていたのである。
休日や空き時間で他にしていたことといえば、食事と入浴、あとは精神的な休息のために軽く睡眠を取るだけだ。自由時間と書いて自主訓練と読むほどに、博孝は訓練漬けだった。
里香とデートに出かけたり、後輩である二宮に頼みこまれて里香と市原のデートもどきをストーキングしたりと、外出したことはある。しかし、そのどちらでもハリドに襲われ、休日の自主訓練どころが実戦を経験する羽目になったのだ。
用件がなければ訓練校から出ようとしなかった博孝も悪いのだが、任務も含め、外出する度に問題が発生していては外出する気もなくなる。それならば訓練校で自主訓練をしていた方が遥かにマシだろう。
「……も、もしかして、知らないとまずいことでしたか?」
いつの間にか女性の首相でも誕生していたのだろうか。そんなことを考える博孝に対し、砂原は深々とため息を吐きながら言う。
「今回の任務の護衛対象である神楽坂優花氏の職業は――アイドルだ」
そう言われた博孝は、『あ、絶対知らないや』と内心で呟くのだった。
その一時間後、即応部隊の一同は会議室に集められていた。事前に士官組で会議を行って情報共有および問題点の洗い出しを行ったが、他の部隊員に伝えるのは任務内容だけである。
必要以上の情報を与えないというのも理由の一つだが、今回は護衛対象と任務内容を伝えればほとんどの者がその全貌を理解できるからだ。
「それでは、今回の任務について説明する」
本来ならば部隊長補佐である里香が説明の役割を振られるのだが、即応部隊が行う“本来”の正規任務――それも初めてということで砂原が口火を切る。
パソコンとプロジェクターを使って会議室の壁に情報を映しているが、紙媒体での情報は渡さない。任務に関する細かい情報が書かれているため、機密を守るために士官組に配られた分も既に廃棄処分されていた。
砂原は今回の任務が護衛任務であること、それに加えて里香が口にした出動の背景を説明し、最後に護衛対象の名前と顔写真を見せる。
「今回の護衛対象は彼女――神楽坂優花氏だ」
顔写真に関しては、博孝のように護衛対象を知らない者に配慮して用意された。部隊員一同は真剣に砂原の話を聞いていたが、表示された顔写真を見て沈黙する。そして、最初に口を開いたのは恭介だった。
「き、キタアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ! ま、マジっすか!? “あの”優花ちゃんの護衛っすか!?」
いきなり歓声を上げる恭介。その歓声を隣で聞いた博孝は、若干身を引きつつ尋ねる。
「……おい、恭介。何をいきなり叫んでるんだよ?」
「ちょっ……これが叫ばずにいられるかよ!? 有名アイドルの優花ちゃんだぞ!? お前だって知ってるだろ!?」
最早テンションが振り切れてしまったのか、いつもの口調すら捨てた様子の恭介。そんな恭介の質問に対し、博孝は静かに目を逸らした。
「ウン、シッテルヨ」
「なんで片言!? おい、まさか知らないって言わないよな!?」
「ウン、シッテルヨ」
ロボットのように繰り返す博孝だが、その度に恭介の表情が般若のように歪んでいく。
「訓練校から引っ越す時に俺が持ってたCDとかDVDのパッケージの子だよ! あと、みらいちゃんがたまに歌ったり踊ったりしているだろ! アレの本家本元だよ!」
胸倉を掴んでガクガクと揺らす恭介だが、それを聞いた博孝は逼迫した表情で目を見開く。
「え……じゃあ、みらいが修学旅行の時に歌ったり踊ったりしてたのも?」
「そうだよ! 優花ちゃんの歌とその振り付けだよ! なんで兄貴のお前が知らないんだよ! ってあだっ!?」
言い募る恭介だが、砂原が拳骨を落として強制的に中断させる。そして一度咳払いをすると、部隊員を見回した。
「事前に確認をしたが、河原崎少尉は知らなかったらしくてな……顔写真も急遽用意した。他に知らない者はいないと思うが……」
途中で砂原の声が途切れる。部隊員を見回す途中で、沙織を見た途端に砂原は動きを止めた。
「……長谷川曹長。君は彼女を知っているかね?」
「いえ、知りません。強いんですか?」
「なんで判断基準がそこなんっすか長谷川曹長!?」
真顔で強いのかと尋ねる沙織に、再度のツッコミを入れる恭介。沙織は恭介のツッコミを受け、困ったように博孝を見た。
「博孝が知ってる子?」
「いや、俺も一時間前まで知らなかった」
博孝も沙織も、訓練生時代の半分は自主訓練が占めている。残り半分は座学と実技訓練、ついでに食事や入浴、任務ときて最後に睡眠だ。その他に割いた時間など、ごく僅かである。
「はあああああああっ!? お、お前らそれでも日本人か!? テレビでもよく出てるじゃねえか! この前発売されたCDが売り上げ一位になってただろ!?」
「落ち着けよ恭介。口調がおかしくなってるぞ」
舎弟口調はどこに行った、と博孝はツッコミを入れた。いつもの口調を忘れるほどに、衝撃的だったのか、と。
「おおっと! つい我を忘れたっすよ。でも、え? なに? お前らの部屋にだってテレビが置いてあるっしょ? まさか見てないとでも言うんっすか!?」
信じられない生き物を見るような目で博孝達を見る恭介。その目付きは、都会のど真ん中で雪男かネッシーでも発見したような驚愕ぶりである。
「いやぁ、俺シャワー浴びる時と寝る時にしか部屋に戻らないし」
「テレビ? 訓練校でも使った記憶がないわ……いえ、そもそも以前住んでいた実家でも使った記憶がほとんどないわね。使い方もよくわからないし」
特定の有名人を知らないというのは有り得ることだが、そもそもテレビ自体見ないらしい。そんな二人の発言を聞いた恭介は、恐れ戦いたように身を引く。
「やべえ、なにこの訓練馬鹿。そしていつの時代に生まれたんっすかね時代錯誤者」
「そんなに褒めるなよ、照れるぜ」
「ええ、照れるわ」
「褒めてないっすよ!?」
心の底からツッコミを入れる恭介。みらいなどは『何故知らないのか』と言わんばかりに頬を膨らませ、博孝の腰を平手で連打している。
それでも気を取り直し、恭介は真剣な顔で砂原に視線を戻した。
「それで隊長、護衛任務ということでしたが」
「……ああ、寸劇は終わったのか。正直、どのタイミングで殴り倒そうか迷っていたぞ」
「はっ、失礼いたしました」
「まったく……」
砂原も同様の心境であり、一度驚いてしまったため、今回ばかりは殴り倒さなかった。さり気なく周囲の様子を窺うと、即応部隊として初めて行う正式な任務ということで漂っていた緊張感が薄れている。
他の部隊員の緊張を解す効果があったため、そのまま放置していたのだ。
「そこの二人は例外だが、他の者は知っているだろう。今回の任務では著名人の護衛を行う。そのため明日の朝、マルハチマルマルに任務地である東京へ向けて発つ」
話を締め括るためにそう告げる砂原。しかし、恭介は思わず挙手をして尋ねてしまう。
「護衛任務なら、今すぐにでも発った方がいいんじゃないですか? 空戦部隊が先行して陸戦部隊がそれを追う形にするとか……」
『飛行』を使えば一時間程度で首都に到着できる。陸戦部隊や対ES戦闘部隊は陸路で追うことになるが、数時間差で到着できるだろう。
贔屓にしている有名人の危機と知り、恭介はいてもたってもいられない。だが、砂原は首を横に振る。
「悪戯の可能性があるとはいえ、今回の任務は即応部隊として『天治会』と遭遇するかもしれん。これまでに行った、“ままごと”のような任務と違ってな」
砂原が言う『ままごと』のような任務とは、普段から行う『ES寄生体』の対処に関してだ。訓練成果の確認も兼ね、実戦経験豊富な士官に連れられて行う戦いと比べれば、今回は毛色が異なる。
「そのため、“覚悟”を決める時間も必要だろう。敵性の『ES能力者』と交戦すれば、殺し殺されの事態に発展する。最低でも遺書は用意しておけ」
表情は真剣に、されど、そんな事態は既に日常と化してしまったのか、砂原の口調は普段通りだ。
「『ES能力者』は立場上、何が起こるかわからん。身辺整理の時間が必要だと判断し、出立を翌朝にしたわけだ」
そう説明する砂原によって、博孝達の“冗談”で解された空気が一気に重たいものへと変わる。つい三ヶ月前に訓練校を卒業した者達もそうだが、これまで何年も正規部隊で勤務してきた者達も表情を硬くしていた。
そんな空気の中で、普段通りの態度を取れる者は少ない。しかしながら、博孝はその例外に当たる人間だった。
「身辺整理というと、アレですか? もしも死んでしまったら、パソコンのハードディスクを破壊してくれとか、押し入れの中身を確認せずに捨ててくれとか」
真剣さに冗談を交えつつ、博孝が尋ねる。すると、平然としていた斉藤がそれに乗っかった。
「なんだよ少尉。見られたら困るモノを持ってんのか? よし、あとでお兄さんに見せてみろ」
ノリノリで尋ねる斉藤だが、博孝は切なそうに視線を逸らす。
「俺の部屋、着替えと洗面具ぐらいしかないんですよね……」
「だからお前は今までどんな生活をしてたんだよ!?」
「そこに触れたら駄目っすよ、中尉。博孝の部屋、本当に何もないっすから。ゲームソフトの一本もなかったっす」
第七十一期卒業生の中では明るい表情をしていた恭介が補足をすると、斉藤は信じられない生き物を発見したと言わんばかりに目を見開く。
砂原の言葉によって落ち込んだ空気が僅かに持ち上がり、それを感じ取った砂原は追従するように小さく笑った。
「なに、悪戯だった場合は全てが無駄になるだけだ。その時は観光旅行でもしたと思って帰ってくればいい。土産を買う時間ぐらいは確保してやろう」
「お、いいですな。その時は東京の地酒でも買って帰りましょうや」
斉藤が笑い飛ばし、部隊員の間にも多少は笑顔が戻る。それでも確かに硬い空気が残る中、任務の打ち合わせは解散になるのだった。
読者の方から時間の読み方がわかりにくい(ヒトフタマルマルなど)というご指摘があったので漢字+フリガナや数字+フリガナで表現しようとしましたが、どちらも上手くいきませんでした(※漢字は〇(ゼロ)がフリガナ振れませんでした)。
そのため、現状のままで進めていきますのでご了承くださいませ。
・今更ながら作中の時間の読み方
マル=0
ヒト=1
フタ=2
サン=3
ヨン=4
ゴー=5
ロク=6
ナナ=7
ハチ=8
キュウ=9
例)12時30分=ヒトフタサンマル、15時45分=ヒトゴーヨンゴー
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




