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第百七十四話:教育

 模擬戦を終えた博孝は上空から下り、肩に担いでいた福井を地面に下ろした。福井は白目を剥いて気絶しているが、外傷はない。

 博孝が接近戦を仕掛け、福井の打撃を右手の『収束』だけで悉く弾き、最後には優しく、丁寧に、羽毛をつまむような優しさを以って福井の意識を絶ったのだ。

 具体的には『防殻』を貫き、それでいて骨を折らない程度の威力で鳩尾に一撃を叩き込み、強制的に意識を奪ったのだが。


「いやはや……思ったよりもやるじゃねえか少尉。まさか『収束』まで使えるとは思わなかったぜ」


 地上に下りてきた博孝に声をかけたのは、斉藤である。パチパチと拍手をしつつ、親しげに笑っていた。


「これでも教官……っと、砂原少佐に鍛えられてきましたからね。発現に時間がかかるのが難点ですが」

「あの人に三年間みっちりと鍛えてもらったら、まあ、強くもなるわな。時間がかかるのは今後の修練でどうとでもなる」


 肩を竦める博孝に対し、斉藤は笑顔を苦笑に変える。博孝は福井の治療を里香に任せると、斉藤にジト目を向けた。


「それで斉藤中尉、福井軍曹にどんな“教育”をしたんですか? あの人『飛行』と『防殻』だけで近接戦闘をしようとしましたし、挙句に『収束』だって言って『構成力』を集めただけの拳で殴ってきましたし」

「あー……すまねえな少尉。そいつは俺の教育不足ってやつだ。勘弁してくれ」


 レクリエーションということで、周囲に硬い空気は漂っていない。博孝が福井を倒した後は恭介が見知らぬ空戦部隊員と模擬戦を始めており、その場にいたほとんどの者の意識は上空に向いている。

 斉藤は懐から煙草を取り出して咥えると、火を点けて紫煙を吸い込み、苦笑を深めながら吐き出した。


「あいつは訓練校を卒業するなりうちの部隊に配属されたんだが、当時から『自分は天才だ』なんて言っててな。んで、俺が教育担当だったんで、その天才サマの実力を見せてもらったわけだ」


 どうやら、福井は以前からあんな性格だったらしい。


「『飛行』を覚えちゃいたが、実戦経験もない。飛びながら使えるES能力も『防殻』が精々……それでも天才だ天才だと鼻っ柱が高々伸びてたんで、それを圧し折ってやろうと思ってな」

「……福井軍曹の話を聞いていたらオチが見えましたが、続きをどうぞ」

「うん、まあ、なんだ。あまりにも生意気だったんで、『収束』を使って本気で相手してやったんだよ。いや、俺も若かったね」


 ハハハ、と困った様子で笑う斉藤。部隊に入ったばかりの新兵――それも自信過剰なタイプだったため、徹底的に叩きのめしたようだ。その時発現した『収束』も、博孝とは違って全身に発現する完全なものだったらしい。


「もちろん、本気といっても攻撃したら一発で終わるからな。あいつの攻撃を『収束』だけで防御して、最後に気絶させて……まあ、少尉がさっきやったことを、少しばかり厳しくやったんだよ」


 ここまで話して斉藤の顔に浮かんでいるのは、苦笑というよりは困ったような笑い。話が進むごとに、笑みの種類が悪い方向に転がっているのは何故なのか。


「で、気絶から目が覚めたら目をキラッキラさせながら、『俺にも今のES能力を教えてください』ってな……それで『収束』を覚えようと躍起になってるわけだ」

「その気持ちは理解できないでもないですが、アレはさすがにまずいでしょう。あの人、体術は得意そうでしたけど他のES能力も使えないと……」


 接近戦一辺倒で、『構成力』を集中させた打撃しか攻撃手段がないのでは使い道に欠ける。そもそも、『構成力』を集中させた打撃に関しては『防御型』の恭介の方が上だろう。


「いやな? あいつアレでも『万能型』なんで、五級特殊技能ぐらいだったら一通り使えるんだよ。その上で『収束』にこだわっていてなぁ……まあ、今回は初めてできた後輩に対して格好つけようとしたんじゃないかと思ってるんだが」

「初めてできた後輩……ですか?」

「ああ。いきなり空戦部隊に来たからなんだが、あいつよりも下の階級ってのはいないんだわ。年齢的にも上、階級的にも上……そこでこの即応部隊に訓練校出身で、いきなり空戦部隊に配属される奴がいるって聞いて、大喜びで絡んだんだろ」


 実際には上官だったわけだが。そう締め括られ、博孝は困ったように頬を掻く。


「たしかに『俺が鍛えてやる』みたいなことは言ってましたけど……男だけでみても、俺が少尉で恭介……っと、武倉が軍曹ですからね。後輩と言えばそうなんでしょうが……」

「これを機にまた変化があれば、とは思うんだがな……変な方向に突っ走らなきゃいいんだが」


 そんなことを言いつつ、斉藤は短くなった煙草の吸殻を携帯灰皿に押し付ける。


「……ぬぅ……こ、ここは?」


 そうやって博孝と斉藤が雑談をしていると、里香に治療を受けていた福井が目を覚ました。体を起こして周囲を見回すと、博孝が斉藤と言葉を交わしているのを見て目を見開く。


「……治療に感謝します、少尉殿」

「え、あ、はい」


 里香に対して淡々と礼を述べ、福井は立ち上がる。そして博孝と斉藤の元まで歩を進めると、博孝に対し険のこもった目を向けた。


「俺は負けた……ということですね?」


 自身の敗北が信じられないのか、斉藤に確認を取る福井。斉藤はそんな福井に対し、重々しく頷く。


「そうだ。河原崎少尉の見事な一本勝ちだったな」

「そうですか……」


 その肯定の言葉を聞き、福井は視線を落とす。右手を握り締め、固めた拳をじっと見つめた。


「俺が負けるなんて……」


 そうして数秒も経つと、福井はそんなことを呟きながら顔を上げる。そして固めた右拳を博孝に向かって振り上げ――途中で平手に変え、博孝の肩に手を乗せた。


「――つまり、君も天才だったというわけか!」


「……はい?」


 納得がいったと言わんばかりの笑顔で言い放つ福井。それに対する博孝は、思わず真顔で聞き返した。

 だが、福井はそれに答えず、腕組みをして何度も頷く。


「負けたのは悔しいが、俺と同じ天才に負けたのならそれも納得だ。俺と同じ天才なら、小隊長も問題なく務められるだろう!」


 うんうん、と博孝には理解できない領域で納得する福井。博孝はそんな福井の様子を見ていたが、視線を滑らせて斉藤を死んだ魚のような目で見る。


「すみません中尉。翻訳をお願いします」

「すまんな少尉。面倒を見てそれなりに時間が経つが、こいつの思考には理解できない部分があるんだ」


 あっさりと匙を投げる斉藤だが、博孝としてはそれでは済まない。福井はそれまでとは異なり、敵意よりも遥かに明るい闘争心を表に出しつつ、博孝に宣言する。


「だが、これで勝ったと思われては困る。俺は完璧な『収束』を覚えて、いつか勝ってみせる! それまで小隊長の座は」

「――ほう、完璧な『収束』だと?」


 博孝に対して何やら宣言していた福井だが、その言葉は途中で遮られた。誰だと思って福井が振り向くと、そこには満面の笑顔を浮かべた砂原が立っていた。


「面白いことを言っているな、福井軍曹。今、完璧な『収束』がどうと聞こえたが?」

「え……は、はい! そうです! 俺はいつか、斉藤中尉のような完璧な『収束』を覚えるんです!」


 元気よく、宣誓でもするように言い放つ福井。その矛先にいた斉藤は、思わず右手で顔を覆い、そのまま空を見上げた。空は青かった。


「ふむ……斉藤中尉のような、完璧な『収束』か」

「ええ! 『収束』もそうですが、小官が知る限り斉藤中尉は最強のES能力者です! 目標にするのは当然かと!」


 嬉々として、己が尊敬する斉藤について福井が熱弁する。その様子は未来に対する希望に溢れた若人のようであり、眩しい輝きを放っていた。

 博孝としてもそういった気持ちはわからないでもないが、熱弁する相手が悪すぎる。


「すげえ……地雷原でタップダンスを踊ってますよ、あの人」

「……止めてきてくれ、少尉」

「無理です中尉殿」


 博孝と斉藤が全てを諦めたように会話をしている中、福井の熱弁は続いた。

 斉藤の『収束』が如何に素晴らしい物で、如何に多くの『ES寄生体』を倒してきたか。第四空戦大隊でも一目を置かれており、部隊長も頼りにするほどで、そんな斉藤の部下で在れることが如何に誇らしいか。

 そんな熱弁を“笑顔で”聞いていた砂原は、これまた笑顔で斉藤に声をかける。


「そうか、それは素晴らしいことだ。どうやら異動先の第四空戦大隊でも元気に励んでいたらしいな。かつての上官として、そしてこの部隊でも上官として、貴官のような部下を持てたことは嬉しく思うぞ――なあ、斉藤中尉?」


 最後の声は、とてつもなく冷たかった。それに気づかなかったのは福井ぐらいである。福井は斉藤が褒められていると思ったのか、笑顔で提案した。


「そうです! 中尉はすごいんですよ! そうだ、レクリエーションということなら、少佐殿のお相手は斉藤中尉が務めるというのはどうでしょうか? 少佐殿は三年間前線から離れていたと聞きますし、丁度良いのではないでしょうか!」


 丁度良いというのは、砂原の技量が落ちて斉藤と同等だと言いたいのか。それとも、斉藤に鍛えてもらえとでも言いたいのか。


「すごいですねあの人。地雷原で踊っていたと思ったら、今度は地雷原に向かって手榴弾を投げ始めましたよ」

「おい、馬鹿野郎、本気でやめろ」


 すすす、と距離を取りつつ博孝が呟くと、斉藤は絶望的な表情を浮かべながら福井を止めようとした。しかし、砂原が笑顔でそれを制する。


「そうか、そうか……それほどに腕を上げたというのだな。では、是非とも胸を貸してもらうか。なあ、中尉?」

「いやぁ、ハハハ……ヒヨっ子の判断なんで、聞き流していただけると嬉しいですよ」

「そんな! 斉藤中尉の力を他の部隊員にも披露するチャンスですよ!」

「お前そろそろ本当に黙れよ!?」


 さすがにこれ以上はまずいと思ったのか、斉藤は躊躇なく福井を殴り倒した。福井はその場でひっくり返ったが、『なんで殴られたんだろう?』と首を傾げている。『ES能力者』は非常に頑丈だった。

 そんな、地面に倒れ込んだ福井を見て、砂原はニコリと嗤う。


「くくっ……俺はお前のような馬鹿は大好きだぞ、軍曹。ああ、そうだ――実に教育のし甲斐がある」


 一瞬で笑顔が消え、冷徹な目で福井を見下ろす砂原。福井はその迫力に押され、蛇を前にした蛙のように体を硬直させた。


「せっかくのレクリエーションだ……俺も部隊長として少しは実力を見せなくてはな」

「……と、言いますと?」


 斉藤は全てを諦め、何かを悟ったような顔で尋ねる。そんな斉藤に鋭い視線を向けた砂原は、福井の首根っこを掴んで持ち上げる。


「二対一で構わん。一つ教育してやろう」


 『え、俺も?』と言わんばかりに砂原へと振り返る福井と、真顔で頷く斉藤。そんな斉藤に対し、砂原はついでと言わんばかりに付け足す。


「確かに俺は三年間教官職に就いていたが、訓練も実戦も欠かした覚えはない……斉藤中尉、貴様に部下の扱い方を思い出させてやるぐらいはできるだろうよ」

「はっ……お手柔らかにお願いします……」


 部下の失態は上官の責任だ。斉藤は十三階段を登るような顔付きで頷くと、福井を連れて空へと上がる。

 博孝はそんな二人と砂原を見送ると、心の中で合掌をするのだった。








 レクリエーションは概ね問題なく終わり、博孝は里香と共に業務用施設へと足を踏み入れていた。

 業務用施設には会議室の他にも応接室や執務室が存在し、士官である博孝と里香は執務室に一席を設けられているのだ。部隊長である砂原などは個室が用意されているが、士官として博孝や里香の指導があるため、機密性が低い仕事は合同の執務室に持ち込んでいる。

 訓練校とは異なり、正規部隊――それも士官となれば書類仕事が多く存在する。

 部下の教導、部下の考課、使用する備品と設備の使用申請や発注、定期的な報告書、毎日の日報等々、様々な分野で書類を作成していく。部隊長である砂原は更に多いのだが、新米少尉である博孝にとっては未知の領域のため、量が少なくても大変だ。


「一緒に頑張ろうね、博孝君」


 訓練校時代のように、机が隣同士になった里香が嬉しそうに微笑む。もっとも、机と言っても訓練校の時とは異なり、大型かつ重厚な造りだったが。

 里香は陸戦部隊の担当だが、部隊長補佐でもある。さらに言えば軍医としての報告書などもあるため、博孝よりも作業量が多い。それでも自分よりは書類仕事を片付けるのが早いのだろう、などと博孝は思った。

 着任は今日だったため、今のところはそれほど作業をする必要がない。部隊としての訓練が始まるのは明日からであり、現状では日報と自分が率いる小隊に関する情報をまとめるぐらいだ。

 そうやって博孝が今後行うであろう書類仕事に関して整理していると、執務室に軍服を着込んだ兵士が入室してくる。その動きはメリハリのついたもので、普通の人間としては手練れだと博孝は思った。

 その兵士は執務室の奥、最も高級そうな机で書類仕事をしていた砂原の元へ足を運び、敬礼しながら口を開く。


「失礼いたします、砂原少佐殿! 定時報告に参りました! ヒトハチマルマル、異常ありません!」

「了解した、伍長。部隊の稼働が始まったばかりで色々と慣れないだろうが、よろしく頼む」

「はっ! 光栄であります! それでは、小官は職務に戻ります!」


 簡潔な報告を終え、伍長が去っていく。駐屯地周辺の警戒を担当している対ES戦闘部隊なのだろうが、『ES能力者』である砂原に対する敬意が感じられる態度だった。


「あれが当面の間連携する対ES戦闘部隊の人員か……腕が立ちそうだな」

「うん……」


 博孝がそう評すると、里香も同意するように頷く。すると、その会話が聞こえたのか砂原が口を開いた。


「“上”の……室町大将閣下のご厚意でな。対ES戦闘部隊の中でも実績があり、腕が立つ部隊を寄越してきた」

「へえ……どれぐらいの練度なんです?」


 砂原が放っている空気を察し、気安く尋ねる博孝。砂原は書類仕事をしつつも、その問いに答える。


「駐屯地周辺の警戒や任務への同行のために一個大隊寄越してきてな……正面からぶつかれば、二、三十匹程度の『ES寄生体』の群れなら撃退できるだろう」

「うぇ……それって本当に精鋭じゃないですか。室町大将もよくそんな部隊を派遣しましたね」

「妙なほどに“乗り気”だったからな。兵士に関しては追加の人員を選抜して派遣するらしいが……まあ、施設の維持管理、周辺の警戒は我々『ES能力者』だけでは足りん。ここは御厚意に甘えておく」


 書類にペンを走らせながらそう答える砂原に、里香は本当にそれだけなのか、と内心で疑問を覚えた。

 たしかに、施設の維持管理だけでも多くの兵を必要とする。即応部隊という機密の関係上、一般の職員は限りなく少なかった。精々売店と食堂の人員程度で、それ以外の部分では兵士――それも階級が低い者達が担っている。

 有事の際に動かせる戦力が多いというのは助かる話だが、室町が精鋭部隊を砂原の下につける理由。それは善意だけなのか、里香は疑ってしまう。

 当然だが、砂原も全てを話しているわけではないだろう。里香は尉官だが、砂原は佐官で部隊長だ。いくら部隊長補佐とはいえ、里香に全てを明かすはずもない。

 それでも砂原が問題視していないのならば、目に見える問題はないのだろう。里香はそう判断し、自分の書類を処理し始める。

 里香には救護室を『自分の城』として与えられているが、今日のところは利用者もいない。全て日中に治療しており、もしも利用者がいたとしても、すぐに里香の携帯電話へ連絡がくるようになっていた。


「あー……疲れたぁ……」


 そうやって書類仕事に励んでいると、言葉通り心底疲れた様子の斉藤が執務室に入室してくる。レクリエーションとして砂原と戦ったが、福井と共に徹底的に扱かれたのだ。

 その光景を見た第七十一期卒業生達は目を逸らし、初めて見た他の部隊員達は口を開けて目が釘付けになっていた。テンションが上がっていたのは沙織とみらいだけである。


「着任早々まさかあんなことになるとは……もうちっと加減が欲しかったですよ少佐殿」

「それでは福井軍曹の手綱をもっときつく締めておくんだな」

「いや、既にあの馬鹿が少佐に逆らうことはないと思うんですがね……」


 肩を竦めて苦笑する斉藤。そんな斉藤に対し、砂原は天気でも問うように言う。


「それで、河原崎少尉はどうだ? 使えそうか?」

「いけると思いますよ? 福井軍曹は性格はアレですが、接近戦はそれなりにこなせます。それを圧倒できましたし、ES能力も多彩でした。そこに『収束』と独自技能が加わるんですから、小隊長をやるにゃあ十分でしょう」

「ふむ……そうか」


 書類に走らせていたペンを止め、砂原は斉藤と視線を合わせる。


「実力的に不足はなくとも、正規部隊で小隊長をやるのは初めてだ。お前も目をかけてやれ」

「了解であります。福井の件もあるので、喜んで骨を折りますよ」

「よろしく頼む。ああ、それと『収束』の扱いも仕込んでやれ。俺もなるべく見るようにしているが、部隊長は思ったよりも仕事が多い。手が回らん」

「俺で良ければ」


 真剣な様子で話す砂原に対し、斉藤は軽く、それでいて誠意のこもった声で答えた。しかし、この場には当の本人である博孝がいる。


「あのー……そういう話は本人がいないところでやってもらいたいのですが……」


 思わずそう尋ねる博孝。自分自身の評価を聞こえるところで言われるのは、さすがにくすぐったい。そんな博孝の隣では、里香がクスクスと笑っている。


「わざと聞かせているに決まっているだろう。この程度で心を乱されるのならば、貴様も教育してやるが?」

「いえ、結構です。問題ないです」


 返答は即座に行われた。昼間に“教育”の現場を見た身としては、絶対に遠慮したいところである。

 博孝は何も聞かなかったことにすると、書類仕事を三十分ほどかけて片付けた。今日のところはこの程度で済むが、明日以降は量が増えると思うと気が重くなる。

 砂原に書類を提出したが何の問題もなく、博孝は自由の身となった。正確に言えば、待機時間である。

 訓練校の頃ならば、放課後は自由時間だ。食事をしようがゲームをしようが眠ろうが、何の問題もない。それは正規部隊でも同様だが、完全な休暇というものは中々なかった。

 訓練校ならば枕を高くして眠れたが、ここは訓練校ではない。近隣で『ES寄生体』などが発見された場合、即座に対応に向かう必要があるのだ。

 その他にも当直が行われており、訓練校を卒業したばかりの博孝達は今のところ免除されているが、生活に慣れたら小隊単位で当直を行うことになる。


「さて……晩飯食べてから自主訓練をしよう。里香はどうする?」


 ただし、今はする必要がない。それだけがわかっていれば、博孝には十分だ。訓練校にいた頃と同様に、自主訓練に励もうと思った。


「おいおい、休める時に休むのも仕事の内だぜ?」


 そんな博孝の声が聞こえたのか、斉藤が呆れたように言う。博孝はそんな斉藤に対して苦笑を返すと、困ったように頭を掻いた。


「訓練校にいた頃は連日徹夜で自主訓練してましたからね……やらないとなると、逆に落ち着きませんよ」

「……少佐殿? 訓練生相手にどんな仕込みを行ったんです?」


 博孝の発言を聞いた斉藤は、呆れた様子で砂原に話を振る。だが、砂原は動じた様子もなく書類にペンを走らせた。


「そのぐらいやらなければ、ここまでこられなかっただろう。累計訓練時間だけで言えば、正規部隊でも中堅クラスに届くぞ」

「はぁ……熱心と言うべきか、何と言うべきか……」


 若干砂原を咎めるように見ていた斉藤だが、すぐに表情を引き締めて博孝を見る。


「熱心なのは良いが、生活サイクルに慣れるまではほどほどにしておけよ少尉。そうだな……やるとしても、日付が変わるぐらいには切り上げろ。いいな?」


 その声はとても真剣なものであり、博孝は思わず数度目を瞬かせた。しかし、斉藤が心から忠告しているのだと悟り、頷いて返す。


「了解であります、中尉殿。“部下”にもそう言い聞かせます」

「うむ、それで良いぞ、少尉」


 真面目にそう言い――数秒してから斉藤が小さく噴き出す。それに合わせて、博孝も笑った。


「はははっ、まあ、何事もほどほどにってことだ。ここは訓練校じゃないからな。さっきも言ったが、休むのも仕事の内だ。『ES寄生体』の発生状況によっては、いつ緊急出撃するかわからんしな」

「そうですね。任務以外にも出撃があると思えば、自主訓練はほどほどにしておいた方が良さそうです」


 そう言って、博孝は里香に視線を向ける。里香の返答は聞いていなかったが、里香は博孝よりも書類仕事が多い。そのため、苦笑を向けるに留めた。


「里香も余裕があったら顔を出してくれ……いや、まずは晩飯に誘うべきか。というわけで里香、書類仕事に一区切りがついているなら一緒に食堂に行こうぜ?」

「あ……うんっ」


 博孝が食事に誘うと、里香は笑顔で頷いた。博孝はそんな里香に笑い返すと、砂原と斉藤に対して敬礼をしてから退室する。




 こうして、即応部隊での初日が過ぎていく。少尉任官から始まった一日はようやく終わり、これからの正規部隊員としての生活に思いを馳せた博孝は内心だけで苦笑するのだった。











『それは、とても心温まる、見事で素敵で凄惨なレクリエーションでした。親愛なる我らが砂原少佐殿による教育は、ここに記すことができないほどに素晴らしいものだったのです……一時間も経てば、福井軍曹が泣いたり笑ったりできなくなっており、砂原少佐殿に対して絶対服従を誓っていたその手腕は、新米少尉である小官も見習わなければならないと思いました、マル』


 ――即応部隊第三空戦小隊長、河原崎博孝空戦少尉の初めての日報より(意訳)。


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