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第百七十二話:任官 その2

「肩でも揉むっすよ、少尉」

「腕でも揉みましょうか、少尉」

「おにぃちゃ……しょーい」

「俺のことを指してるって気付きにくい!? あと恭介、揉み手をやめろ!」


 道路を疾走する移動用車両の中で仲間からかけられた言葉に対し、博孝は思わず絶叫した。

 時は、任官を終えて一時間後。場所は高速道路。

 任官式が終わり、到着した移動用車両に引っ越し用の段ボールを詰め込み、その上で座席に座った博孝と沙織、恭介とみらいはそんな雑談を行っていた。

 運転手を除けば、軍用車に乗り込んでいるのはこの四人――即応部隊第三空戦小隊の面々である。それぞれが少尉に任官した博孝に対し、『少尉』と連呼してからかっていた。ただし、みらいだけは純粋に呼ぶための練習をしているだけだが。


「はっ! それは上官命令でありますか?」

「反応に困る質問だなぁおい!?」


 座ったままで敬礼をする恭介に対し、博孝は目を剥いてツッコミを入れる。

 任官式の際は制服だったが、今は野戦服に着替えていた。そして、その襟元には階級章が取り付けられている。

 博孝は空戦少尉であり、小隊長として即応部隊の第三空戦小隊を率いることになっていた。小隊員については暫定ではあるものの、沙織と恭介、みらいが配属されている。

 それは良い。訓練校の間に慣れ親しんでいる。しかし、訓練生の頃とは絶対的に違うものが存在した。

 それが階級であり、博孝は少尉である。訓練校を卒業したての『ES能力者』としては異例の、それこそ訓練校が設立されてから初めて事態だ。

 もっとも、そんな異例や例外は第七十一期卒業生の間でちらほらと見られた。博孝をからかうように声をかける恭介や沙織、みらいの襟元についている階級章がそれを示している。

 試験運用される即応部隊。『ES能力者』の部隊としてはこれまた異例の混成部隊だが、この部隊に配属された第七十一期卒業生達は通常の階級よりも上である。

 博孝を筆頭として沙織が空戦曹長、恭介が空戦軍曹、みらいが空戦伍長と、兵卒を超えて下士官クラスの階級を与えられていた。

 陸戦として即応部隊に配属した希美や中村なども、最下級ながらも下士官として陸戦伍長の階級が与えられている。その下に和田と城之内が兵長、牧瀬が上等兵、他の者も一段飛ばしで一等兵からスタートだ。


「でも、岡島さんよりは気が楽じゃないっすか?」

「いや、うん……そうなんだけどさ」


 恭介の問いに対し、博孝は頬を掻きながら答える。話題に挙がった里香は、同じ車両には乗っていなかった。それもそのはず、博孝達が乗り込んだ車両よりも先――先頭を走る車両で砂原と二人で乗っている。

 今頃は砂原と一対一で“色々と”話をしているはずであり、博孝はそんな里香の境遇を思って苦笑した。








 三年もの間、毎日のように利用した訓練校の教室。任官式として辞令書を渡していた砂原だが、里香は最後の一人になるまで渡されなかった。周囲の者が続々と辞令書を渡され、自分に与えられた階級に驚いていた中、里香には辞令書が渡されなかったのである。

 無論、里香を即応部隊に配属させないというわけではない。それならば最初の時点で“迎え”の部隊が来ており、第一小隊からは里香だけが別の部隊に配属されていただろう。

 そしてこれも当然のことではあるが、砂原が辞令書を忘れるという失敗を犯したわけでもない。単純に、里香の意思を聞かなければならないことがあったのだ。


「最後に岡島だが……」


 そう言い出して言葉を切った砂原を見て、里香は違和感を覚えた。少尉の階級が与えられた博孝の時でさえ言葉を切ることがなかったというのに、里香の時だけ反応がおかしい。

 砂原は僅かに逡巡したように視線を彷徨わせたが、すぐに頭を振って意識を切り替える。


「貴官には、二つの道がある」


 次いで、放たれた言葉に里香は首を傾げた。しかし、砂原が回りくどい物言いをしているという時点で、それが厄介な、あるいは重大な事柄だとわかる。

 そうして砂原が取り出した辞令書は――何故か二通。


「即応部隊に配属されるという点は、周囲の者と同じだ。だが、貴官は少々事情が異なる」


 席を立って眼前に立つ里香を真剣に見据えながら、砂原は言う。


「まず一つ目の道だが……“普通の”陸戦部隊員として配属する。この場合、貴官を曹長として任じ、一個小隊を率いてもらう。他に適当な階級を持つ者がいないのでな」


 曹長として一個小隊を率いる。里香は思わず絶句し、目を瞬かせた。それでも、砂原の話には続きがある。“二つ目”を聞かなければ、何とも言えない。そう思った里香は一度頷くだけに留め、話の続きを促す。


「二つ目だが……貴官が以前希望した通り、精神的なケアも含めた『支援型』の専門医を目指してもらう。誤解を招く言い方かもしれんが、軍医だな」

「軍医……」


 思わぬ砂原の言葉に、里香は口の中でその単語を転がす。精神的なケアも含めた専門医というのは、以前里香が進路相談の際に希望したことだ。試験運用の即応部隊にて、初めての試みを行うということだろう。


「正規部隊の方でも候補者が数人いた。しかし、今後の伸び代を考えて貴官を推薦している……貴官の場合、二つ目の道を選べば他にも色々とやってもらうがな」

「他にも、と言いますと?」


 専門性が高い軍医というだけでも大変そうだが、他にも何があるというのか。


「貴官は指揮能力……作戦立案や作戦指揮といった参謀職に適性がある。そちらの芽を潰すのも惜しい。よって、『支援型』としての技量を伸ばす傍ら、参謀としての職務も学んでもらう。まずは陸戦部隊の指揮からだな」


 何でもないことのように砂原は言うが、里香としては驚くしかない。目を見開き、絶句してしまうのも無理はないだろう。

 通常の軍隊ならば存在する役職ではあるが、『ES能力者』の部隊では聞いたことがなかった。

 強いて言えば、日本ES戦闘部隊監督部が日本全国の部隊を監督する傍らで似たようなことを行っている。しかし、それもあくまで現場の部隊が判断できない場合に指示を仰いだ時だけだ。

 通常の『ES能力者』の部隊ならば、参謀職を隊長が兼ねている。与えられた任務に対して、職責の許す限りで適切かつ最適な作戦立案を行うのだ。


「当然ながら、最初から参謀職として働いてもらうわけにはいかん。当面は部隊長……俺の補佐として働いてもらう。なにせ、部隊を運用する上では様々な問題を解決していく必要があるからな、貴官のような頭の回る者は是非とも重用したい」


 二つの道と言いつつ、砂原は里香が後者を選ぶと判断している。昔の里香ならば前者を選んだかもしれないが、今の里香ならばそれは有り得ない。


「……わかりました。それでは、二つ目の方でお願いします」


 そしてやはりと言うべきか、里香の判断は早かった。砂原の見込み通りに後者の道を選び、砂原に対して決意のこもった視線を向ける。


「そうか……貴官の決断に敬意を表そう」


 里香の瞳を見返して話すその言葉には、一片の嘘もない。砂原は純粋に、里香の決断に対して敬意を表した。

 『支援型』として新しい道を進みつつ、それと同時に参謀職という新たな試みも行うのだ。もしも三年の間で里香の適性を見極めていなければ、このような無茶を言い出そうとは砂原も思わなかった。

 それができると判断したからこそ、砂原も里香に“新たな道”を示したのである。


「それでは岡島里香……貴官を陸戦少尉とし、隊長補佐および即応部隊の軍医として任命する。なお、即応部隊が正式に稼働するタイミングで貴官の職務に対する習熟を確認し、階級を引き上げることも有り得るので存分に励みたまえ」

「え……あ、は、はいっ」


 ついでのように付け足された一言で、里香は思わず忘我しかけた。それでも意識を保って返事をすると、砂原は満足そうに頷く。

 軍医としてでも良い、あるいは部隊を率いる者としてでも良い、部隊長の補佐として知恵を巡らせる立場でも良い。

 『ES能力者』は一個の戦力として優れるが、部隊全体を統率して指揮を出せる者は存外少ないのだ。訓練生の時点で指揮官として頭角を現し始めた里香に対し、試験運用という名目を十分に利用して鍛えてみようと砂原は思う。

 それでいて『支援型』としても育て、指揮を執ることができ、献策も可能で、さらに軍医としても働くことができるようにしたいと砂原は考えていた。前線で暴れることが得意な『ES能力者』は多いが、“本当の意味で”後方支援が得意な者は少ない。


(『支援型』としても参謀としても軍医としても鍛えられる、か……これまで鍛えたことがある者達とは方向性が違う……というよりも別次元だな。腕が鳴る)


 里香の適性を活かすべく、砂原は既に様々な方策を練り始めていた。そして、戦うわけでもないというのに獰猛に笑う。


「では、これから駐屯地へ移動する。ああ、岡島少尉は俺と同じ車に乗れ。移動時間を浪費するのは惜しい。貴官ならば口頭でも問題なく業務を覚えられるだろう」

「は、はい!」


 獲物を前にした肉食獣のような笑みを向けられた里香にできたのは、素直に返事をすることだけだった。








 そうして到着した、即応部隊が利用する駐屯地。訓練校から一般道路と高速道路を移動してかかった時間は二時間程度であり、それほど遠いわけではない。

 駐屯地が設けられた場所は日本海に面し、夏はそれなりに暑いが冬になればそれなりに寒くて雪も積もる地域だ。


「おー……遠くに波の音が聞こえるな。それに潮の匂いがする」


 移動用車両から下りた博孝は、思わずそう呟いた。『ES能力者』としての聴覚と嗅覚は、そう遠くない場所に海が存在することを伝えてくる。近くに海があると聞いたみらいなどは、目に見えてテンションが上がっていた。


「おにぃちゃん! うみいこう、うみ!」

「いやいや、さすがに駄目だからな? 行くとしても非番の日だからな?」


 裾を引っ張り、目を輝かせて海に行こうと促すみらい。しかし、さすがにその願いを叶えるわけにはいかない。博孝がそう言い含めると、みらいのテンションは目に見えて落ちた。


「ここが俺達の駐屯地っすか……しかし、なんというか……」

「訓練校を見慣れていると、小さく見えるわね」


 博孝やみらいと同じように車から降りた恭介と沙織は、周囲を見回しながらそう呟く。既に敷地内へと入っているが、六期分の訓練生が利用する訓練校と比べれば敷地の狭さが目立った。

 それでも部隊員が利用する寮や業務用施設、訓練用の敷地などが存在し、それらを囲うようにしてコンクリート造りの壁が設けられている。訓練校と同様に、正門や敷地周辺には歩哨の兵士が監視の目を光らせていた。

 周囲を見回してみると、博孝達と同じように車を降りた希美や中村達も興味深そうに周囲を観察している。


「まずは荷物を寮に運んで来い。それから他の部隊員との顔合わせを行う。部屋番号は寮の管理をしている兵士に聞きたまえ。引率は河原崎少尉と岡島少尉が務めろ」


 砂原は博孝達にそう声をかけると、寮から僅かに離れた場所にある業務用施設へと足を向けた。訓練校で言えば中央校舎のような、簡素でありながら無骨な外観である。


「とりあえず荷物を運ぶぞ……と、まずは部屋番号を聞かないとな」


 仲間達に指示を出しつつ、博孝は自分の分の段ボールを持ち上げた。縦に二つ積み、バランスを考えて両手で持ち上げる。


「ちょ、待ってほしいっすよ。荷物が多くてバランスが……」

「うぅ……もう少し荷物を減らしておけば良かった……」

「手伝うわ、里香」


 段ボールが多くなってしまった恭介や里香が困ったような声を上げると、沙織が里香の段ボールを半分ほど引き受けた。沙織も博孝と同じで段ボール二個で足りており、手が空いていたのだ。


「きょーすけ、てつだう」

「いや、みらいちゃんに手伝ってもらうのは、さすがにちょっと……」


 恭介の分はみらいが手を挙げたが、さすがにみらいに手伝わせるのはどうかと恭介は思う。博孝はそんな周囲の会話を聞いて苦笑すると、先に寮へ足を踏み入れた。


「部屋番号を聞くついでに荷物を置いてくる。それから手伝うよ」

「す、すまないっすね! だからみらいちゃん? 俺から無理矢理奪おうとしなくていいっすよ!?」


 自分の荷物を地面に下ろし、何故かバスケットボールのように恭介が持つ段ボールを奪おうとするみらい。恭介は必死に回避しているが、それもいつまで続くかわからない。

 そんな喧騒から離れた博孝は、自分の分の荷物を抱えたままで寮の玄関脇に設置されている管理室に向かって声をかけた。


「すいません、本日着任した河原崎です。訓練校の第七十一期卒業生、十二名も一緒です。部屋番号をお聞きしたいのですが」


 博孝がそう声をかけると管理室の扉が開き、一人の男性が機敏な動作で出てきた。そして博孝に対し、敬礼を向ける。


「はっ、それでは小官が案内いたします少尉殿!」

「……えっ。あ、ああ……俺のことか……こんな格好で失礼。それでは頼みます。えーっと……伍長?」


 段ボールを左手だけで持ち上げ、博孝は答礼した。どうやら既に入寮する者達の情報は伝わっているらしいが、自分よりも年上――野口と同じぐらいの年齢の男性に丁寧な対応をされると、博孝としても困ってしまった。


(まぁ、これから慣れていくしかないんだけどさ……)


 少尉に任命されてから、まだ半日も経っていない。さすがの博孝もすぐには切り替えができず、内心で苦笑してしまう。

 そうして伍長に案内され、博孝は自分の部屋に案内された。寮は三階建てであり、一階には管理室と食堂、救護室や小型ながらも売店が用意されている。

 博孝は二階の三号室に案内され、荷物を放り込んだ。荷解きは後で良いだろう。少しだけ部屋の中を覗き込んでみたが、訓練校と似たような間取りであり、家具なども備え付けである。博孝の場合、きちんと荷解きをしなくてもそのまま生活できそうだ。

 続いて案内をしてもらった伍長から案内図を受け取ると、仲間達の元に戻る。そして、そこに書かれた情報を見て思わず真顔になってしまった。


「いやー……そっかー……そうだよな。どう見ても寮が複数あるようには見えないしな」


 思わずそう呟く博孝。受け取った案内図には各人の部屋割りが書かれていたが、その内容を見て乾いた笑いを漏らしてしまう。

 直截に言ってしまえば、男女問わず同じ屋根の下で生活をする。さすがに同室などということはないが、二階の部屋を男性、三階の部屋を女性が使うようだ。

 よくよく確認してみると敷地の端にも寮があるようだが、そちらは対ES戦闘部隊の面々が使用するらしい。

 もっとも、博孝としては『別にどうでもいいか』という程度の感想しか抱かなかった。任務で外出することもあるため、常に寮を使うわけではない。それでなくとも、訓練校時代のように眠りに帰るだけだろう。

 トイレがあって、風呂があって、着替えが置いてあって、ついでにベッドも置いてある。それだけで博孝には十分だった。


「というわけで、部屋割りもらってきた。男子は二階、女子は三階な。細かい部屋割りはこの紙に書いてある……面倒臭いな。読み上げるぞ」


 回し読みをしてもらうと思った博孝だが、既に段ボールを抱えている者がいたのでその場で読み上げていく。すると、男女問わず数人がソワソワと視線を逸らした。


「お、同じ屋根の下か……」

「そう言われると、少し緊張するな……」

「変に意識しないでよ、変態」


 口々にそんなことを呟くが、博孝はその全てを無視して両手を叩く。


「それじゃあ荷物を運び込むぞ。部屋の鍵は開いてるからな。鍵は部屋のテーブルに置いてあったから、取り忘れるなよ。それじゃあ、女子の方は里香が先導してやってくれ」

「あ、うん……」


 時間も限られている。そのため博孝は女子の相手を里香に一任すると、恭介の分の段ボールを持ち上げた。


「んじゃ、行くぞー」

「うっす、了解っすよ少尉!」

「だからやめろって……いや、慣れるためには丁度良い……か?」


 首を傾げつつ、男子達を先導して歩き始める。そして再び寮へと足を踏み入れ、二階へと上がり――そこで声をかけられた。


「さっきから騒がしいと思ったら、お前達がこの部隊に配属されるっていう第七十一期の奴らか?」


 外の喧騒を聞き咎めたのか、そんなことを言いながら一人の男性が博孝達の前に立ちふさがる。

 年齢は、外見だけで判断するならば博孝達と大差ないだろう。二十歳に届くかどうかといったところであり、身長は百七十センチを僅かに超えた程度。野戦服を着込み、胸元には三級特殊技能を保持していることを示す銅色のバッジがついている。

 バッジの意匠は青色の翼に五芒星――空戦部隊所属の『万能型』だ。

 段ボールを抱えたままで博孝は視線を向け、声をかけてきた男性の様子を確認する。長いというほどではないが乱雑に伸ばした黒髪に、やけに自信に溢れた眼差しと表情。博孝達を見るその視線には、明らかに見下すような色が混ざっている。

 襟元には軍曹の階級章が見え、段ボールを抱えた博孝達を見て鼻を鳴らす。


「ふんっ、なんだその大荷物は? お前達は訓練校で何を学んできた? 荷物を増やすぐらいなら、使えるES能力を増やせばどうだ?」

「はぁ……それは御尤もな話ですが、どちら様で?」


 もしかして喧嘩でも売られているのか、などと思いつつ博孝が尋ねる。訓練生ならばまだどうとでもなるが、正規部隊員同士の私闘など以ての外だ。

 やたらと高圧的な態度を取る男性を博孝の後ろから見ていた恭介や中村達は、互いに顔を見合わせて心底不思議そうな顔をしている。

 何の目的があるかはわからないが、そんな態度を取る理由がわからないのだ――それも、“上官”相手に。

 しかし、そんな恭介達の疑問は通じなかったらしい。男性はもう一度鼻を鳴らすと、鷹揚な仕草で肩を竦めた。


「お前こそなんだその態度は? 訓練校で礼儀の一つも学んでこなかったのか……ふんっ、まあいい。これから少しずつ矯正していってやろう。感謝するんだな!」


 何やら自分一人で納得しているようだが、博孝達には何一つ理解できない。思わずアイコンタクトを取り合っていると、男性は矢継ぎ早に口を開く。


「お前達の中には『飛行』を覚えているやつがいるそうじゃないか。まあ、どうせ覚えただけでまともに飛ぶこともできないんだろうけどな。だが、そんな技量未熟な奴でも鍛えて使い物にするのが先輩の役目だ。だから徹底的に扱いてやる、感謝しろ」


 胸を張り、顎を逸らしてそんなことを言い放つ男性。やけに自信満々かつ目線が上からなのは、一体何故なのか。


「それで、『飛行』を使えるのはどいつだ? まずは挨拶の仕方から教えてやる」


 ふふん、と誇らしげに、腕組みをしながら男性が言う。博孝と恭介は相変わらずアイコンタクトを送り合っているが、打開策が見えない。


『おい恭介、この人どう思う?』

『やばいんじゃないっすか……いや、色んな意味で。昔の市原をグレードアップさせた感じっすね』


 打開策が見えないというよりは、探すことを放棄した方が正しいというべきか。


「第一空戦小隊は部隊長が、第二空戦小隊は斉藤さんが務めるからな。それなら第三空戦小隊を率いるのは俺だろう。つまり、お前達は俺の部下というわけだ」


 自分を親指で示し、得意そうな顔を浮かべる男性。時間が経つごとに表情から放たれる自信の量が増えているように感じられる。

 そんな男性を見た博孝達は、この場に砂原がいなくて良かった、と心の底から思った。もしも砂原がいれば、教育という名の惨劇が始まりそうである。


「そう、この俺の部下になるんだ。光栄に思えよ? お前達も訓練校にいたのなら知っているだろう。俺は訓練校在籍中に『飛行』を発現し、今もなお腕を磨き続ける天才――第五十三期の首席、天才の福井(ふくい)(まさ)(とし)とは俺のことだ!」


 歌舞伎で見得を切るように、誇らしげに言い放つ。それを聞いた中村達は、男性――福井に聞こえないよう小声で言葉を交わした。


「おい、聞いたことあるか?」

「ない」

「ねえよ」

「ないわー」


 ぼそぼそと、互いの記憶に間違いがないことを確認する中村達。少なくとも、博孝達が訓練校にいた間に聞いたことがない名前だった。しかし、ここまで自信満々に言われてしまうと、『もしかしてすごい人なのか?』と疑問に思う気持ちも湧く。


「ふふん、どうやら恐れをなしたようだな。しかし俺は寛大だ。卒業したての新兵に――」

「――何をやってんだ、馬鹿野郎」


 不意に声が響き、博孝達は思わず身を震わせてしまった。聞き覚えのない声だったが、砂原が様子を見にきたのかと思ったのである。


「あ、斉藤さん! 見てください、こいつらが今期の卒業生ですよ。俺の部下も」


 そこまで口にして、福井は思い切り殴り飛ばされた。殴ったのは斉藤と呼ばれた男性であり、余程強く殴ったのか、福井は十メートル以上廊下を転がっていく。斉藤は福井に対して鋭い視線を向けていたが、すぐに視線を外して博孝を見た。


「すまんな、少尉。俺の部下が失礼をした」

「……いえ、すぐに止めなかったこちらが悪いのです。お気になさらず、中尉殿」


 斉藤の襟元に中尉の階級章が見えたため、博孝は階級を呼ぶ。斉藤はそんな博孝に対して苦笑すると、段ボールを軽く小突いた。


「感謝する。だが、これではあの馬鹿も階級章が見えんだろう。処罰はその辺りも考慮してやってくれ」


 そう言われ、博孝は抱えていた段ボールによって階級章が見えにくかったことに気付いた。そして、同時に安堵する。

 これまで任務等で接したことがある正規部隊員は全員が階級差を理解し、それに見合った態度を取っていた。砂原を相手にした時は例外が何人かいたが、それでも基本的に階級差は絶対である。

 もしかするとこれまで接したことがある正規部隊員の方が特別で、実は福井のような者の方が普通なのではないか、と危惧したのだ。しかし、斉藤の態度を見る限りそれはなさそうだった。


「さすがに着任早々処罰は……っと、あれ?」


 直属の上官らしい斉藤に殴り飛ばされたのだから、と考えた博孝だが、それ以上に気になる点があった。よく見ると、斉藤の顔には見覚えがある。


「失礼ですが中尉殿、もしかして砂原少佐の……」


 ある程度の確信を持って博孝が尋ねると、斉藤はそれまでの軍人らしい態度を脱ぎ捨ててニヤリと笑う。


「おう、覚えていたか。久しぶりだな坊主ども」


 公式な場ではないからか、あっさりと砕けた態度で話す斉藤。博孝だけでなく恭介や中村達も見覚えがあったらしく、目を見開いている。

 海上護衛任務や『大規模発生』の際に、砂原に手を貸していた軍人。博孝達を砂原の教え子とすれば、斉藤は“元部下”である。かつて砂原に鍛えられ、『収束』を授けられた者の一人だ。


「砂原先輩から直接声をかけられてな。長谷川中将の許可もあったんで、即応部隊に異動してきたんだ。即応部隊の副隊長兼第二空戦小隊長の斉藤空戦中尉だ。よろしくな?」


 どうやら砂原が他の部隊から引き抜いてきたようである。斉藤は博孝に右手を差し出し、博孝は段ボールを下ろしてから握手する。


「第三空戦小隊長に任命されました、河原崎空戦少尉です。よろしくお願いします」

「ああ、色々と噂は聞いてるぜ? 同じ戦場で戦うのが楽しみだ……っと、荷物の運搬を邪魔しちまったな。俺はあの馬鹿を連れていくから、お前達も早く会議室の方にきてくれ」

「はっ、了解であります、中尉殿」


 気さくに笑うその姿は、どこか宇喜多に似ている。しかし、余程強く殴ったのか福井は気絶しており、その厳しさは砂原にも似ていた。斉藤は福井を俵のように担ぐと、そのまま去っていく。


「……あの人、かなり強いっすね」


 そんな斉藤の背中を見送った恭介がぽつりと呟き、博孝は同意するように頷いた。


「教官の元部下って話だからな……町田さんと同じぐらいの力があるんじゃないか?」

「それは頼もしい話っす。ただ、あの福井って人は……」


 恭介が言葉を濁すが、博孝としても恭介の気持ちがわかる。自分のことを天才だと言っていたが、斉藤の拳一発で気絶したその姿からは信じられない。余程油断していたのか、それとも斉藤の拳が重かったのか。


「……とりあえず、荷物を運び込もう。色々と考えるのは後でいい」

「……そうっすね」


 顔を見合わせ、まずは目先の用事を片付けることにした博孝達。ただしその胸にあったのは、訓練校とは違った苦労がありそうだ、という諦観にも似た感情だった。


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