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第百七十一話:任官

「よし、こんなもんか」


 卒業式から一夜明けた翌朝、博孝は自分の部屋を見回しながらそんなことを呟いた。目の前には段ボールが二つ置かれており、その中には衣類や生活雑貨が詰まっている。


「うーん……我ながら荷物が少ないなぁ」


 自室にあった物の少なさに、博孝は思わず苦笑してしまう。家電家具は元々備え付けであり、私物と呼べる物はほとんどない。外出用の服と下着や肌着、制服と野戦服が荷物の大半だ。

 一応は三年間使用した部屋だが、ほとんど眠る時に使用しただけである。そう思えば、中々に殺伐とした三年間だったなぁ、などと苦笑を深めてしまう。

 もっとも、それでも三年間使用したことに違いはない。今後はこの部屋で過ごすことがないと思えば、それなりに感慨があった。


「“実家”の部屋から出て行く時も、こんな感じなのかねぇ……」


 『ES適性検査』を受ける前は、十年以上を過ごした自室があった。今では家族もその家から引っ越しをさせられており、思い出なども丸ごと置き去りである。

 博孝はこれで見納めだと言わんばかりに部屋の中を見回し、自分を納得させてから部屋を出る。荷物が詰まった段ボールは玄関に積んでおき、配属先の正規部隊員が到着してから運び出す予定だ。


「お、ひ、博孝! ちょ、ちょっと手伝ってほしいっすよ! 荷物がやべえっす! 段ボールが足りないっすよ!」


 玄関から出ると、焦った顔をしながら廊下に飛び出してきた恭介から声を掛けられた。どうやら、毎期一人、二人はいる『当日に焦ることになるタイプ』らしい。


「何やってんだよ……まあ、段ボールは余ってるけどさ」

「助かるっすよ! あと、できれば手伝ってほしいっす! 頼んます!」


 両手を打ち合わせて頭を下げる恭介に段ボールを渡しつつ、博孝は思わず笑ってしまった。


「仕方ねえなぁ……って、マジで荷物多いな!?」


 任官前は教室に集合するのだが、まだ時間がある。そのため手伝おうと思った博孝だが、恭介の部屋には多くの物が溢れ返っていた。


「入校してすぐの頃にゲームを買い込み過ぎたっす……あとはファンのアイドルのCDとか、DVDとか、雑誌とか……」

「さすがに買い込みすぎだろ。俺なんて服と小物を詰め込んだら段ボール二つで済んだぞ」

「それは博孝が少なすぎるだけっすよ!?」


 目を剥いてツッコミを入れつつ、手は止めない恭介。博孝も段ボールを組み立てて手近にあったものを詰めていく。


「……ん? 音楽のCDか。これ、恭介が好きなアイドルか?」


 沙織や里香とそれほど外見年齢が変わらない少女が写ったCDパッケージを一瞥し、博孝は尋ねる。肩まで伸びた髪がカールしながらふわりと膨らんでおり、その顔付きは優しげかつ理知的だ。


「そうっすよ。というか、博孝もたまには音楽を聞いてみたらどうっすか?」

「いや、良いわ。一曲聞くのに五分かかるとしたら、その間に一回組手ができるしな」

「どんだけ訓練馬鹿なんすか!?」


 しかし博孝にとっては微塵も興味が湧かない。恭介の大事なものということで丁寧に扱うが、それでも無慈悲に段ボールへ叩き込んだ。

 そうやって三十分も経つと荷物を詰め終え、恭介は額を袖で拭う。教室への集合時刻まで、残り二十分もない。


「マジで焦ったっすよ。というか、手伝ってもらわなかったらアウトだったっすね」

「お代は晩飯でオッケーだぜ?」

「うっす。それぐらいなら問題ないっす」


 冗談だったのだが、快諾されてしまった。もっとも、『ES能力者』は高給取りでもある。訓練生時代に溜めた分だけでも数百万円になるのだ。それが正規部隊員になれば、どれほどになるのか。

 まだ時間はあるが、余裕を持って移動し始める二人。周囲を見れば教室に向かう者達の姿が増えており、適当に挨拶しながら共に教室に向かう。

 そして教室に到着すると、既にほとんどの生徒が揃っていた。


「よう、遅かったな」

「昨日遅くまで騒いでたからって、寝坊したんじゃないだろうな?」


 中村や和田が笑いながらそんなことを聞いてくる。そのため、博孝は真顔で答えた。


「恭介の荷物整理を手伝ってたんだ」

「あー……武倉、お前……」

「ち、違うっす! 本当は昨日やるつもりだったんすよ! でもまさか卒業式の後にあんなことがあるとは思わなかったっす!」


 必死に言い繕う恭介だが、自分が悪いとわかっているのだろう。肩を落としながら自席に座る。博孝や中村達はそんな恭介を見て苦笑し、それぞれ自席に座った。コツコツと軍靴の音が聞こえてきたからである。


「揃っているな、諸君」


 そう言いながら教室に姿を見せたのは、砂原だった。普段通りに野戦服を着込み、これまた普段通りの表情での登場である。

 そして教壇に登り――出てきたのは普段通りの言葉ではない。


「こうして教壇から君達全員の顔を見回すのは、これで最後だ。そう思うと中々に感慨深い」


 口の端を吊り上げてどこか楽しそうに、しかしながらほんの僅かに寂しさを含ませつつ、砂原は言う。

 “これまで”ならば、今から始まるのは座学である。しかし、第七十一期訓練生はもう卒業した。丁度一日前、この教室で卒業したのだ。


「君達を迎えに来た各部隊の者が、続々と正門に到着しているようだ。あと五分もせずに最初の部隊が到着するだろう……それまでに、少し話すか」


 教卓を指で叩き、そんなことを言う。砂原は天井を見上げ、言葉をまとめてから口を開く。


「これから君達が配属されるのは正規部隊……つまり、これまでに何度か行ったことがある任務を日常的に行うことになる。当然ながら、そこには危険が付きまとうだろう」


 訓練校で行った任務は、あくまで訓練生用に用意されたものだ。その難易度は、正規部隊に比べてはるかに低い。


「しかし、君達は危険が少ないはずの任務で多くの危険に遭遇した。これは本来歓迎すべきではないが、その危地を乗り越えてきた今ならば、貴重な経験を積んだとも言える」


 本来ならば、初陣というものはまだまだ先の話だった。正規部隊に配属され、正規部隊員として経験を積み、部隊の先輩、上官が先導して実戦を行う。

 正規部隊員の中には未だに実戦を経験したことがない者もいるのだが、それを思えば第七十一期訓練生はスタートラインから違うのだ。


「もちろん、だからといって今後率先して危険に飛び込めなどとは言わん。既に実戦経験があるということで配属先の部隊でも頼られるかもしれんが、冷静に行動しろ。思考を止めず、眼前の危険と己の技量を天秤にかけ、的確に行動しろ。いいな?」

『はい!』


 問いかけに返る、元気な声。砂原は教え子達の元気な声を聞くと、小さく微笑み、それでいてどこか照れ臭そうに頬を掻いた。


「ついでに言えば……例え『ES能力者』でも死ぬのは年上からだ。俺よりも先に死ぬことは絶対に許さん。それでも……もし、もしも俺よりも先に死ぬようなことがあれば、あの世で震えて待っていろ。いつになるかわからんが、盛大に説教してやる」


 まるで脅すようなことを言っているが、砂原の意図は明白である。


 ――絶対に死ぬな。


 『ES能力者』として様々な危険が訪れるだろうが、それでも死ぬなと言うのである。泥を啜り、石にしがみ付いてでも生き延びろと砂原は言っているのだ。


『――はい!』


 そんな砂原からの餞別の言葉を受け取り、教え子達は笑顔で頷いた。砂原は不機嫌そうに眉を寄せて視線を逸らしていたが、三年間の付き合いがある彼らにはわかる。それは照れ隠しであり、これまでにないほど強烈なものだ。


「……到着したようだな」


 生徒達から向けられる視線から逃げるように窓の外を見る砂原。そこには軍用車が止まっており、遠くを見れば続々と校舎に向かってくる。

 訓練校から羽ばたくための、迎えの使者が訪れたのだ。

 こうやって最後に教室に集まるのも、生徒への配慮なのだろう。最後のその時まで、少しでも共にいられるようにという配慮。しかし、それも終わりだ。

 砂原が教室の外に出ると、僅かな時間を置いてから再び姿を見せる。そして、生徒の名を一人ひとり呼んでいく。

 『ES能力者』の情報は機密性が高いため、いくら同期と云えどこの場で配属先の部隊全てがわかるようにはできないのだろう。


「みんな、またな! またいつか、昨日みたいに集まって騒ごうぜ!」

「またね! 絶対に……絶対にまた会おうね!」


 名を呼ばれた者達は、思い思いの言葉を仲間達にかけてから教室から出て行く。教室の扉が訓練生と正規部隊員を隔てる境界のようであり、一人、また一人と境界を超えて巣立っていくのだ。

 これから部隊の者に伴われ、自室の荷物を回収し、それから真っ直ぐに配属先へと移動する。


「俺、正規部隊に行ったら彼女を作るんだ……」

「馬鹿野郎! 最後に死亡フラグが立ちそうな台詞を呟くんじゃねえ! 死ぬぞ!?」

「お前と付き合ってくれる奴なんてそんなにいねえよ! だから、その数少ない子が見つかるまで絶対に死ぬなよ!」

「あの世で教官から説教食らいたいのか!? 嫁さんもらって子ども産んでもらって、老衰まで生きてから死ねや!」

「それ何百年後!? ははは……じゃあ、またな!」


 中には最後の別れとして冗談を口にする者もいるが、教室に残って応える者達の言葉は辛辣かつ親愛に溢れたものだ。昨日の卒業式で散々泣いたというのに、再び涙を流す者もいる。

 一人、二人、三人。教室の席が空き、残る数を少しずつ減らし、仲間達が姿を消していく。

 そうしてどれほどの時間が経っただろうか。別れを惜しみ、その傍らで応援し、互いに武運を祈り、そうやって数が減っていく生徒達。それでも十を超える生徒が未だに残っており、次は自分の番だろうかと奇妙な緊張感を覚えた。

 残っているのは博孝が率いる第一小隊とみらい、希美が率いる第四小隊、中村が率いる第六小隊の計十三人。第七十一期訓練生の中でも成績が上位だった者達だ。

 それまで間を置かずに名前を呼ばれていたが、若干の間が開いている。それが余計に緊張感を高め、次は誰の番か迷わせた。

 次は誰か。言葉もなく待ち続け、そして再び砂原が姿を見せる。


「…………?」


 だが、砂原は誰の名前も呼ばずに教室に入ってきた。コツコツと軍靴を鳴らしつつ、教壇に登る。


「……きょーかん?」


 思わずみらいが呟くと、砂原はみらいに鋭い視線を向けた。しかし、相手がみらいだからか、その視線はすぐに和らぐ。


「……もう俺は教官ではないぞ」


 博孝達は訓練校を卒業した身だ。そういう意味では、確かに砂原は教官ではない。だが、それならば何と呼べばいいのか――そう考えた博孝だが、砂原の姿に違和感を覚えた。里香も何かしらの違和感を覚えているらしく、見慣れた砂原の野戦服を上から下まで見ている。


 そして、気付く――砂原の階級章が変わっていることに。


「教官……いえ、砂原……少佐?」


 襟元の階級章が示すのは、空戦少佐の証。先ほどまでは軍曹の階級章を付けていたが、ほんの数分で階級章が変わっている。

 砂原は僅かに眉を寄せ、口元を引き結んでいる。その顔はどこか気まずそうでもあり、それでも小さく頭を振ってから口を開く。


「――試験運用即応部隊を率いる砂原空戦少佐だ。貴官らの着任を歓迎する」


 そして紡がれた言葉を博孝達はすぐには理解できず――理解するなり驚きの声を上げるのだった。








 時を二ヶ月ほどさかのぼる。

 源次郎に呼ばれた砂原は、訓練校を飛び立って首都にある日本ES戦闘部隊監督部へと降り立っていた。

 現在では訓練校に併設された駐屯施設に『零戦』が訪れているため、砂原としてもある程度安心して訓練校を離れられる。

 源次郎が気を回したのか、本日駐屯しているのは『暴力医師』の宇喜多が常に率いる小隊と『鉄壁』の春日が率いる小隊だ。仮に空戦一個連隊が押し寄せてきても対抗できる戦力である。


「砂原空戦軍曹、出頭いたしました」


 源次郎が使用している執務室に通され、敬礼しながらそう言い放つ砂原。源次郎は答礼をすると、近くのソファに座るよう促す。


「よく来てくれたな、軍曹。本日は貴官に内密の話があって呼んだ」

「はっ……なんでありましょうか?」


 源次郎は仏頂面であり、それを珍しく思いながらもソファに腰をかける。いつもならば立っているのだが、源次郎が束になった書類を持っているのを見て、座った方が話をしやすいと思ったのだ。

 従卒にコーヒーを持ってこさせ、軽く一服してから源次郎は書類をテーブルに置く。


「以前、『天治会』に対する即応部隊の設立に関する提言があったのだが、覚えているな?」

「覚えております」


 当然と言わんばかりに砂原は頷く。その内容を聞き、怒りの余り町田から奢られた缶コーヒーを潰してビー玉にしてしまったほどだ。覚えていないはずがない。


「昨今の情勢を鑑み、再び提言があった。そして、それを受け入れることにした」

「っ……それは」


 淡々と、事実だけを話す源次郎。砂原は小さく息を呑んだが、その必要性も理解できたため言葉を慎む。

 なにせ、直近の一年で問題が起こり過ぎた。そのいずれにも『天治会』が絡んでいると推察される以上、“対策”が必要なのである。しかしながら、既存の任務を割り振られている各部隊を引き抜いて専任させるのも難しい。

 それならば、新部隊が設立されるのも仕方がないだろう。


「“上”から……室町大将が再び提言してな。その主張が妥当だったため、こちらとしても受けざるを得なかった」

「……この話が小官に来るということは」

「ああ……当初の提言通り、君の教え子……河原崎博孝、河原崎みらい、長谷川沙織など、『天治会』の“目的”である可能性がある者は強制的に配属だ。そして、今度の卒業試験の結果次第だが、他にも第七十一期から引き抜く」


 そう言いつつ源次郎は一枚の紙を差し出す。そこには第七十一期訓練生の名前やこれまでの評価が簡潔にまとめられており、名前の横に丸がついている者が複数いた。だが、丸がついている名前を見た砂原は眉を寄せる。


「武倉が候補になっているのは、まだわかります。しかし、何故陸戦の者が?」


 博孝やみらい、沙織が強制ならば、それに加えて空戦である恭介が候補に挙がっているのは納得できた。しかし、中村や希美にも丸がついている。

 そんな砂原の疑問は織り込み済みなのだろう。源次郎は眉に刻まれた皺を深くしつつ、言う。


「設立されるのは即応部隊だが、『大規模発生』の影響で戦力が足りん。正規部隊からも徴収するが、空戦だけでは規定の人数まで届かんのだ。そのため、まずは“試験運用”しながら部隊を設立していく」


 試験運用と聞き、砂原の片眉が跳ね上がった。


「試験運用……それも陸戦空戦問わずの混成部隊ですか。その上部隊員の数が規定に届いていない、と」

「何とも間の抜けた話だがな。今期の卒業生を加えても、二個中隊を構成できる程度だ。その穴埋めに対ES戦闘部隊を加えるが、混成にもほどがある」


「……即応部隊が即応できないとは、本末転倒ですな」

「まったくだ。しかし、だからこそこちらとしても手の加えようがある」


 源次郎はテーブルの上に置いた書類の束を砂原に渡すと、懐から煙草を取り出して咥え、火を点ける。砂原が受け取った書類の中には、“見慣れたもの”が含まれていた。


「『ES能力者』の人事権は我々が握っているが、だからと言って“上”の意向全てを無視するのも難しい。立場は同等だが、名目上はこちらが“下”だからな。しかし、折角の試験運用だ。お前が以前提案してきたことを試す機会でもある」


 そこにあったのは、以前砂原が源次郎へ提出した部隊運営に関する提案書。里香の進路相談をした際に出てきた、治療専門の『ES能力者』を部隊に配属するという提案だ。

 正規部隊の『ES能力者』ならば、最低でも『接合』が使える。そのため必要性を認められながらも見送られてきた専門医――精神的なカウンセリングも可能とする『ES能力者』の“軍医”の育成が組み込まれている。


「部隊を作ってすぐに運用……などと都合良くはいかん。訓練生の卒業、正規部隊の戦力再編、その他様々な要因もある。試験部隊としてこれまでにない部隊運用を行いつつ、“中核”となる基幹要員を育成していく」


 混成部隊という時点で、砂原から言わせればゲテモノだ。機動力の違いがあるため、特定の拠点防衛任務ぐらいにしか使いようがないと思う。しかし、相手が『天治会』ならば話は別だ。『天治会』も陸戦空戦の混合組織であり、常に空戦で戦うわけではない。


「本格的な稼働は今年の秋……来期の訓練生が卒業する頃だ。それまでに基幹要員を育成し、来期の卒業生が正規部隊に入ることで新たに戦力を抽出。試験部隊と合流させ、混成一個大隊として正式に発足だ」

「その傍らで、これまでにできなかった部隊運用の“試験”をするわけですか……」


 ペラペラと資料をめくり、砂原は目を通していく。己の教え子の一部は非常に面倒な――これまでにない道を目指してスタートラインを切る。それならば卒業までの残り期間で、少しでも教えを詰め込まなければならない。

 そう思った砂原だが、資料が残り数枚になったところで指を止める。そこに書かれていたのは、部隊長の候補だ。


「部隊長の候補は……いずれも知っておりますが、未知数の新部隊を任せるには些か以上に技量不足では?」


 そこに並んでいる名前は、砂原も知っているものばかりだった。しかし、その技量は空戦部隊員の中でも平均を超えているが突出はしていない。これならば自分の元部下達を連れてきた方が余程マシだと砂原は思った。


「うむ……リストアップしてみたが、俺としても同感だ。かといって、要職に就いている者も引き抜けん。『零戦』から適当な者を宛がおうと思ったが、奴らはこの国の最高戦力。引き抜きたいが、補充要員として使える者もいなくてな」


 そんな話を聞きながら、砂原は徐々に眉を寄せていく。『天治会』に所属する者の技量を知っている以上、教え子達を任せるには不安過ぎるのだ。

 源次郎はそんな砂原の心中を見抜きつつ、“本題”を切り出す。


「そこでだ、砂原。お前が部隊長になる気はないか?」

「……小官が、ですか?」


 思わぬ申し出に対し、砂原は目を丸くする。第七十一期訓練生が卒業すれば任期も終わりであり、それからの予定は未定だったのだ。教官を続けるか、それとも原隊復帰するか。それを決める必要があった。


「お前を『零戦』に戻し、その代わりに誰かを隊長職に宛がおうかとも思ったが、お前以上に適任の者はいない……それに、これは室町大将からの要請でもある」

「室町閣下からの要請……俄かには信じ難いですな」


 源次郎の言葉に、砂原は余計に驚いた。まさか室町がそんなことを言い出すとはと驚き、次いで、疑問も浮かぶ。すると、そんな砂原の疑問を見越して源次郎が答えた。


「何度も『天治会』と対峙しており、以前遭遇した『アンノウン』を単独で撃破できる技量を持ち、なおかつ部隊を率いるだけの統率力もある。また、第七十一期訓練生を三年間であれほどまでに鍛え上げた手腕を評価された。基幹要員を育てることに関しても問題はないという判断だ」


 煙草を片手にコーヒーを啜り、源次郎はそう告げる。砂原は視線を鋭くすると、源次郎と同じように用意されたコーヒーに手を伸ばした。


「室町閣下の意図が読めませんな。言葉通りに受け取っても良いのかと、悩んでしまいそうです」

「だろうな……俺もそうだ。しかし砂原、この件は強制ではないが、お前が断ればそのリストに載っている者の誰かが隊長になるだろう。手を尽くしているが、どんなに上手くやりくりをしても限界がある」

「…………」


 源次郎の言葉に対し、砂原は沈黙した。そうしてしばらくの間思考すると、一応の確認として尋ねる。


「小官の教え子が一個中隊程度配属されるのはわかりましたが、残りの人員は?」

「戦力の再編に伴って生まれる余剰戦力を充てる……だが、技量はそこまで期待できんし、空戦からの人員も半年間の錬成期間を考慮した技量になる」

「つまり、部隊長の錬成の手腕にかかっているわけですか」


 なんだそれは、と砂原は思う。即応部隊は良い、特殊な部隊構成になるだろうが新たな試みを行うというのも許容はできる、しかしそんな戦力で何ができるというのか。


「それでは、あの謎の敵……『アンノウン』に勝てる可能性を持つ者が小官の教え子しかいませんが?」


 殺してから霧のように姿を消した敵――『アンノウン』と実際に交戦した砂原としては、その点が気になって仕方ない。リストに記載された隊長候補も通用する技量を持っているかもしれないが、蓋を開けて見なければわからないのだ。


「なればこそ、俺としてはお前に隊長を務めてもらいたい。お前ならば確実に勝てる……室町大将の口車に乗るようで、警戒心が働いてしまうがな。それでも、お前ならば何があってもまとめて叩き潰せるはずだ」


 『アンノウン』に勝てるのは、空戦の部隊長かエースクラスだと推察されている。それは砂原も知っており、リストにもエースと呼べる者は混ざっていた。しかし、どうにも物足りなく感じてしまう。

 単独の戦力として見るならば十分かもしれないが、部隊長としては厳しいのだ。


「……即答は出来かねます」

「それでも頼む。部隊員の招集も含めると、それほど時間がない。一部の部隊に負担をかけるが、一人、二人ならば“使える”者も用意できる。その者達も、お前の下でならば働けると言っているのだ」


 命令を用いないのは、源次郎としても警戒心があるからか。『大規模発生』の後始末に関する会議で室町と顔を合わせたが、私心はなかったように思える。それでも心の中に疑心暗鬼があり、源次郎としては強く踏み込めない。

 『穿孔』の砂原が部隊を率いるのならば、源次郎としても安心できる。しかし、何故室町がそれを提案してくるのか。

 砂原の教え子が卒業するため、丁度良いと思ったのか。それとも別の思惑があるのか。砂原を部隊長に就任させるよう要請するだけならばここまで警戒しなかったが、室町が要請――提案したのは“二つ”だ。

 もう一つの提案があるからこそ、源次郎としては警戒心を強めてしまう。


「それに、卒業するお前の教え子……即応部隊に配属される者に対する提案があってな。それが――」


 源次郎が口にしたのは、前例がない言葉。故に、砂原は言葉を失い、その後に源次郎の申し出を受け入れるのだった。








 試験運用の即応部隊。その存在の説明と、この場にいる十三名の生徒が配属されると聞き、思わず博孝は挙手をした。


「質問です、教官……いえ、少佐殿。それは確定事項なんですよね?」

「そうだ。本日ヒトフタマルマル時を以って配属され、貴官らは我が部隊の一員となる」


 そう言いつつ、砂原は和紙で作られた封筒を取り出す。


「全員分の辞令だ。配属先と任命する階級を記してある」

「はぁ……冗談の類じゃないんですね」


 さすがに砂原がそんなことをする理由もなく、博孝は納得したように頷く。他の生徒は事態についていけず、目を瞬かせるだけだ。


「えーっと……つまり、教官が隊長で、俺達が隊員ってことっすか……教官は教官じゃなくて……」

「混乱する気持ちはわかるが、頭を切り替えろ。この辞令を渡せば、“これまで”通りにはいかんからな」


 昨日卒業式を行い、砂原やクラスメート達と別れると思った矢先にこれである。目を白黒させる恭介に対し、砂原は仕方がないと言わんばかりに苦笑した。


「一人ひとり辞令を渡していく。その間に頭を切り替えろ」

「りょ、了解っす」

「ああ、その口調もだ。さすがに階級が上の者に対して使う口調ではないからな」

「うっす……いえ、はい、了解であります」


 言い難そうに言い直す恭介。そんな恭介に苦笑する砂原だが、すぐに表情を引き締める。


「では、河原崎博孝」

「はい!」


 まるで卒業式のやり直しのようだ。そんなことを思いつつ、博孝は砂原の前に立つ。すると、砂原は何故か複雑そうな顔をしながら辞令書を取り出した。


「河原崎博孝。本日ヒトフタマルマルを以って、貴官を空戦少尉に任命する。また、即応部隊空戦第三小隊長に任命する」

「はっ! 了解で――」


 元気良く敬礼をしようとした博孝だが、その言葉が途中で止まる。


(……あれ? 今、聞き間違えたか? なんか、おかしい単語が聞こえたんだけど……)


 右手を上げて敬礼し、その状態で固まる博孝。目を瞬かせ、首を傾げ、床に視線を向け、それから再度首を傾げて尋ねる。


「……申し訳ございません、少佐殿。どうやら聞き違いがあったようで……まことに申し訳ございませんが、もう一度辞令の内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「現実を受け入れろ、河原崎“少尉”」


 そう言って、砂原は辞令書を手渡した。博孝は両手で辞令書を受け取って内容に目を通すが、そこには砂原が言った通りのことが書かれている。

 空戦少尉、即応部隊空戦第三小隊長への任命。一字一句も疑いようがなく、やたらと達筆な文字で書かれている。


「……炙り出しとか? 透かしが入ってるとか?」


 思わず辞令書を電灯にかざす博孝だが、それで変化があるわけではない。和紙の手触りが心地良いだけだ。

 これこそが、室町から提示されたもう一つの案。砂原の部隊長への就任に加え、博孝を訓練校卒業と同時に士官へと任命する要請である。


「疑う気持ちはわかるが、その辞令は本物だ。貴官は本日より空戦少尉になる」


 砂原はそう言うが、その表情は博孝の心情に近いものがあった。

 通常ならば、訓練校を卒業して正規部隊――陸戦部隊に配属するという段階では二等兵になる。しかし、博孝の場合は最初から空戦部隊だ。それに加えて独自技能である『活性化』を発現し、特殊技能に関しても一応は二級特殊技能である『収束』が発現できる。

 訓練校在籍中に挙げた戦功も卓抜としたものであり、訓練生ということで見送られ、あるいは保留扱いになっていた勲章の関係もあった。

 通常の軍隊ならば、士官学校を出なければ有り得ないスタートライン。だが、『ES能力者』は通常の軍ではない。平時の庶務能力も必要だが、それ以上に必要となるのが『ES能力者』としての技量である。

 現在の保有ES能力、訓練校在籍中の戦功。それらの要素を鑑みた場合、通常通りに二等兵から開始するというのも無理がある。二等兵と呼ぶには技量が卓越しており、上官や教育担当になった先輩も扱いに困るだろう。


「訓練生の時点で優秀な成績、あるいは何かしらの戦功を挙げた場合、通常よりも高い階級で任官することは今までになかったわけではない。頻繁にあるわけではなく、いきなり少尉というのはさすがに初めてのことだがな」


 室町の話はあくまでも提案であり、それを受け入れたのは源次郎だ。つまりは、源次郎も博孝に対して少尉に相応しい技量があり、十分に職責を全うできると判断しているのである。


「長谷川中将閣下も同意されたことだ。どう足掻いても撤回は出来ん。諦めて受け入れろ」

「はぁ……了解です」


 さすがの博孝もそう答えることしかできず、困ったように頭を掻きながら席に座った。

 博孝からすれば源次郎や室町の思惑が読めないが、それでも“何か”があるのだということは察せられる。

 辞令書の紙面に踊る文字を再度眺めた博孝は、心中だけで深々とため息を吐いた。

 普通の部隊に配属されるか心配だったが、さすがにこれは予想外である。配属先もそうだが、階級が少尉になるなど思ってもみなかった。


(いや、まあ、たしかに色々とやったけどさぁ……)


 表彰され、感状を受け取ったこともある。しかし、室町とも砂原立ち合いのもとで話をしたことがあったが、何故ここまで“厚遇”されるのかと不思議に思う気持ちもある。


(あの人には色々と言われたけど、今の状態では意図も見えない、か……)


 安心材料は、源次郎が承諾して辞令書を発行したことか。室町を警戒している節がある源次郎が決定したのならば、多少は安心できる。

 それでも、正規部隊での今後の生活を考えた博孝は、隠しきれない大きなため息を吐くのだった。








 時代は巡り、廻る。

 動乱であり、騒乱であり、波乱である時代が訪れることを、博孝はまだ知らなかった。


 ――その渦中に放り込まれることなど、知るはずもなかった。











「正規部隊編の開始がいつになるかわからないと言ったな――あれは嘘だ」


冗談です。どうも、作者の池崎数也です。

皆様方からいただいた感想や評価が嬉しく、テンションが上がって更新しました。

感想欄でも砂原の今後を気にされた方が多かったので、ここまで更新してみました。次話の更新は少し間が空くかもしれません。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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