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第百六十八話:卒業試験

 時は流れ、二月の半ば。

 来月に訓練校の卒業を控えた第七十一期訓練生は、野戦服に着替えて朝からグラウンドに集合していた。そんな彼らの前に立つのは教官である砂原と、八人の『ES能力者』である。その後ろには“普通”の軍人が十人ほどいるが、そちらは距離が遠い。

 全員が野戦服を着込んでおり、八人の『ES能力者』は手にバインダーを持っていた。バインダーには第七十一期訓練生の各個人に関する情報が記された紙が挟んであり、いくつものチェック項目が併記されている。


「では、これから卒業試験を行う」


 そう宣言したのは砂原だが、その表情は普段通りだ。揃って並ぶ生徒達も全員が落ち着いた表情を浮かべており、静かに待つばかりである。

 ES訓練校は、その名の通り学校だ。ただし、名目上は一般の高校だが、その実態は大きく異なる。

 国の『ES能力者』育成機関としての役割を担っており、卒業するにあたって一定の基準が設けられていた。その基準を満たしているかどうかをチェックし、卒業の可否を決めるのが卒業試験である。

 だが、この卒業試験に不合格だった者は過去にいない。訓練校で学ぶべきことを学んでいれば、自然と合格できる難易度だからだ。

 さらに言えば、第七十一期訓練生については卒業試験の免除をするべきだという意見もあった。普段から砂原によって作られる報告書や、これまでの任務での実績。それらの情報を鑑みれば、全員が卒業資格を有していると容易に判断できるからだ。

 それでも訓練校の伝統として、そして、卒業が確実ならば“どの程度”の力があるのかを確かめるため、卒業試験が執り行われることとなった。

 八人の『ES能力者』は、各小隊に付けられた試験官である。人間の兵士については不正なく試験が行われたかを監査する役目があったが、訓練生をチェックする立場に立った者達は事前にある程度の情報を得ており、この試験が対外的なポーズであるとわかっていた。


 試験の項目は七つある。


 一つは体力試験であり、重りを背負って一定の距離を一定の時間以内に走ることができるかを試す。その際、ES能力の使用は禁止だ。


 一つは身体能力試験であり、筋力や俊敏性、反射神経などを試す。


 一つは体術試験であり、ES能力なしで試験官と組手を行う。


 一つは汎用技能の試験であり、『ES能力者』として最低限の基本となる汎用技能を全て発現できるかを試す。


 一つは特殊技能、あるいは独自技能を保持しているかの試験だ。


 一つは小隊での連携試験で、試験官を相手に小隊で戦う。


 一つは座学であり、これまで学んだことに対するペーパーテストだ。


 これらの試験を行い、誰がどの程度の技量を持っているかチェックする。この情報は卒業時にどの程度の技量を持っているかを客観的に評価し、記録する目的もあった。

 なお、この中で重要なのは、四つ目の汎用技能を試す試験だ。訓練校を卒業する基準としては、汎用技能を全て発現でき、それが実戦でも使用できるレベルかを見極める。

 試験官はその見極めが可能なレベルの『ES能力者』の中からランダムで選ばれており、特別任務の一種として赴いていた。

 かつて訓練校で同期と切磋琢磨していた自分を思い出しつつ、もうじき訓練校を卒業して正規部隊へと羽ばたく雛鳥を微笑ましく思いながら審査するこの任務。正規部隊員の中でも人気が高いものだが、試験官は常に真剣で気合いが入っている。

 何故なら、あと一ヶ月ほどで卒業する訓練生の技量を間近で見られるのだ。そして、技量を確認した訓練生はあと少しで卒業して正規部隊に配属されるため、最後のスカウトの機会とも言えた。

 特に、今期の訓練生は粒揃いだと評価がされている。そのため試験官が所属する部隊からは大喜びで送り出され、一人でもいいから自分の部隊に引っ張ってくるよう厳命されていた。

 部隊長などは試験官の両肩に手を置き、部隊のアピールをしてこいと真顔で“命令”するほどである。

 この時期になると、卒業生の進路――所属部隊の決定も大詰めだ。既に候補の部隊がリストアップされているが、“学生”の進路ということで卒業生の意思も考慮される。

 配属が可能な技量を持ち、希望する部隊の人員が不足している場合はほぼ確実に希望が通るほどだ。もっとも、部隊側の希望と人材が一致する可能性は存外低く、卒業試験のスカウトで進路を決める生徒は一期につき一人か、二人いる程度のものだが。

 試験官は自分が担当する小隊の元に向かうと、簡単な自己紹介を行ってから試験に移る。第一小隊にみらいを加えた博孝達も担当の試験官と顔を合わせ、早速試験に移った。

 既に準備運動を終えていた博孝達は、用意されていた特別製のリュックサックに鉄塊を詰め込み、重さを三トンで揃える。


「それでは、最初は体力試験だ。グラウンドのトラックは一周が千五百メートルだから、十周で十分を切れれば合格ラインだよ」


 試験官の陸戦部隊員の男性は、グラウンドに視線を向けつつそう言った。

 入校当初は重りなしで走ったにも関わらず、博孝や恭介でも二分かかっている。千五百メートルを全力疾走してもその程度だったのだが、今度は三トンの重りを背負い、なおかつ十倍の距離を走り、さらに一周辺りのタイムを入校時の半分以下にする必要があった。

 ただし、設定された十分というのも実のところ卒業生の平均的なクリアタイムだ。この時間を超えられなかったからといって、即留年ということはない。


「ES能力はなし、か……」

「誰が一番か競争ね」


 重りなど背負っていないかのような身軽さで屈伸運動をする博孝と、勝負をしようと持ちかける沙織。それを聞いた恭介は朗らかに笑った。


「それじゃあ、一番遅かった人が晩飯奢りってのはどうっすか?」

「いいよ? みらい、がんばるから」

「え……あの、わたしが一番不利じゃないかな?」


 賭けようと持ちかける恭介に対し、里香は困ったようにツッコミを入れる。この面子で考えれば、体力が一番劣っていると自覚しているのだ。


「それじゃあ、試験全部の結果で決めるとか?」

「いいわね。みんなの得意分野が分かれているし、いい勝負になるんじゃないかしら?」

「うー……うん。いいよ。お給料も使い道がなくて貯まってるし……」


 気軽にそんな会話をする博孝達を見て、試験官の男性は思わず目を細めて遠くを見てしまった。自分達の頃は、本当に卒業できるかと不安だったものだが。


「雑談はそれぐらいで。ほら、準備はいいね? それならスタートだ」


 声をかけ、スタートラインに移動してからストップウォッチを片手に試験の開始を宣言した。すると、第一小隊の面々は即座に駆け出す。


「三年間、鍛えに鍛えてきたんだ! その成果を今、見せてやらぁ!」

「なんのっ! 負けないっすよ!」

「負けないわっ!」


 先頭を争うようにして飛び出したのは、博孝と恭介、そして沙織である。みらいも三人についていくだけの体力があるのだが、背負ったリュックが自分の体格に近い大きさのため走りにくく、出遅れることになった。里香は最初から追いつくことを諦めている。

 事故の危険性を考慮して他の小隊は違う試験から行っているため、トラックを走るのは第一小隊だけだ。博孝達は背負っている重りがあるため、重厚な足音を立てながら疾走していく。

 普段からフィジカルトレーニングを欠かしていない博孝達は砂煙を上げながら爆走し、合計で十五キロの距離を大した時間もかけずに走り抜いた。


「よっしゃ一位!」

「同着よ!」

「ぬおおおぉっ! ちょっと遅れたぁ!」


 その結果、博孝と沙織が五分を切って同着一位。それから五秒ほど遅れて恭介がゴールし、さらに三十秒ほど遅れてみらいがゴールする。里香は途中で周回遅れになっていたものの、八分を切る好タイムでゴールした。

 それらの結果を記録用紙に書き込んだ試験官は、思わず頬を引きつらせる。噂には聞いていたが、どれほどの厳しい訓練を行えばここまで成長するのか、と。


(本人達の努力なのか、それとも教官の薫陶の賜物なのか……教官が“あの”『穿孔』殿だし、きっと大変だったんだろうなぁ……)


 腕組みをしながら教え子を見守る砂原にさり気なく視線を向け、試験官は記入を終える。彼らの記録はそれなりに長い歴史を持つ訓練校の中でも、一、二を争うことだろう。

 この試験官は第五空戦部隊――町田が率いる部隊から出向いてきたのだが、『穿孔』の異名、そしてどんな人柄かを部隊長である町田から聞かされている。

 それと同時に、空戦部隊としては是非ともスカウトしたい彼らの進路には“何か”があるのか、町田からは試験官任務を全うしてくるだけで良いと言われていた。

 余計なことには首を突っ込むまい。試験官の男性はそう考え、第一小隊の面々に指示を出して試験を進めていく。

 身体能力試験についても訓練生とは思えない結果を叩き出し、体術試験では危うく一本を取られかけた。汎用技能に関しても問題はなく、全員が実戦で使用できるレベルの汎用技能を発現している。

 そもそも、実戦で使用できるかどうかを確認するどころか、既に実戦を経験して実際に使用済みというあたりがおかしい。

 この時点で、『ES能力者』として卒業するに値する能力を持っていると保証できる。それは監査役の兵士から見ても同意見であり、むしろチェックシートに並んだ結果を見て真顔で引いていた。

 そうして試験は“終盤”に移る。残りの試験については、訓練校を卒業できる技量に加えて何ができるかを示すテストだ。


「特殊技能で何を発現できるか、独自技能を持っているかの試験ですか……数が多くて実践するのが面倒ですね。あ、俺は独自技能を持ってますんで」

「わたしは博孝ほど多くないわね。攻撃系が『固形化』、『武器化』、『飛刃』。防御系が『防壁』、支援系はなし、移動系が『瞬速』と『飛行』だけだもの」

「俺は攻撃系が『狙撃』、防御系が『防壁』と『防護』、支援系がなし、移動系が『瞬速』と『飛行』。ついでに自分だけのES能力を開発中っす」


 数が多くて面倒だと言い放ち、ついでのように独自技能を保有していると申告する博孝もそうだが、『だけ』と言いながら沙織も保有ES能力が多い。恭介に至っては『自分だけのES能力』と聞き、試験官の男性は最近の訓練生はどんな訓練を受けているのだろうか、と真剣に悩んだ。

 さらにはみらいと里香の話も聞き、あくまで備考欄程度に作られていた記入枠に小さな字で細かく書きこんでいく。その背後で監査役の兵士達が顔を見合わせているが、試験官は気持ちが理解できたため何も言わなかった。

 それらの情報を書きつつ、試験官の男性はさり気なく第一小隊の面々に視線を向ける。表向きは開示されていない試験項目が存在しており、そのチェックのためだった。

 その項目とは、保有する『構成力』の量についてである。ただし、『構成力』は感情によって増減するため、何も言わずに自然体での量を観察するのだ。

 もっとも、『構成力』というものは数値化できるものではない。そのため、汎用技能や特殊技能を使用させ、通常値からどの程度減少しているかでおおよその最大値を計算するのだ。


(え……なんでちっちゃい子がこんなにでかい『構成力』を持ってるんだ?)


 身体能力もそうだったが、みらいが保有する『構成力』を計算して試験官の男性は目を丸くした。みらいに比べれば周囲の者達は少なく見えるが、みらいが異常なほどに突き抜けているだけである。


(『構成力』の量、保有するES能力、体術……これに小隊での連携が加わると……)


 この後には小隊での連携技術を確認する必要があるが、相手は訓練生だと侮ることはできない。それどころか、一対四ならば負ける可能性が高かった。


(連携を確認する暇もなく落とされたら……いやいや、さすがにそれはない……よな?)


 試験官を倒せるのならば、非常に評価が高い。しかし、“本来”ならば現役の正規部隊員、それも任務を全うできると判断された技量を持つ者が試験官になるのだ。訓練生が試験官を倒すことなど、滅多にあることではない。

 もっとも、第一小隊は里香を除いて『飛行』を発現できると聞き、空戦部隊から試験官が派遣されているだけでも例外なのだが。

 試験官は期によって技量が大きく異なると生徒の評価にも影響が出るため、毎回同じような技量の者が派遣されてくる。『飛行』を発現した生徒が一人でも出ると空戦部隊から試験官が選ばれるのだが、今回は一個小隊分の生徒が『飛行』を発現していた。

 陸戦の『ES能力者』では模擬戦をしても一方的に嬲られる可能性が高く、試験官に選ばれた男性も空戦の『ES能力者』としては平均的な技量である。実際に博孝達と対面したが、『コレはまずい』と危機感を抱いた。

 博孝達は空戦が一個小隊分揃っているため、里香を外して戦うことになる。里香に関しては連携を確認するどころか『大規模発生』の際に二個大隊を率いた経験があるため、確認の必要はないと“上”から通達されていた。


(『万能型』が二人に、『攻撃型』と『防御型』が一人ずつ……向こうの攻撃手段は『射撃』に『狙撃』に『砲撃』、『固形化』に『武器化』に『飛刃』……さらに独自技能と時間がかかるものの『収束』、と……)


 優れた戦闘者は、彼我の力量差を見分けることができる。そして試験官の男性も、第一小隊と交戦すればどうなるかをすぐに見抜く程度には優秀だった。


(体術の試験でも割りと危なかったし、ES能力アリなら同程度の空戦一個小隊を相手にすると考えたら……)


 そこまで考えて、試験官の男性はため息を吐く。どう考えても、嫌な未来しか浮かばない。

 そして数十分後、その予想を追体験するように、『無銘』を片手に嬉々として襲い掛かる沙織や外見に見合わぬ膂力で殴りつけてくるみらい。そして博孝の防御を担当する恭介に、仲間が時間を稼いでいる間に『収束』を完成させて前線に加わる博孝の姿があった。


 試験官、それも空戦部隊員の試験官を撃破した時間は、五分もかかっていない。

 これは訓練校の歴代記録の中でも抜群の記録であり、長い間訓練生の間で語り継がれる偉業となった。








 そして、午後。

 午前中に体を動かす試験を全て終え、昼食休憩を取ってから筆記試験が行われた。

 昼食の後ということもあり、普通の人間なら眠気を覚える時間帯である。しかし、『ES能力者』である第七十一期訓練生達は微塵も眠気を覚えず、真剣に机に向かっている。

 一般科目については定期的にテストが行われているため、今回の卒業試験では登場しない。卒業試験で問われるのは『ES能力者』やES能力、部隊運用や任務に関する知識だ。

 その四項目を一時間ずつ、休憩を挟みながらテストしていく。テストについても試験官が様子を見ているが、カンニングなどを行う生徒などはいない。そんなことをすれば、教官である砂原が笑顔で地獄に招待してくれる。

 静かな教室で、カリカリと筆記の音が響く。普段午前中に座学で学ぶこと――それも三年分の知識を問われるのだ。

 一度覚えればすぐに忘れて良い知識ではなく、実技訓練や普段の会話などでも出てくるためしっかりと記憶している者が多いが、やはり抜けや漏れが出てくる。時折呻き声に近い苦悶の声が漏れている者もいるが、それは大体の生徒に共通する特徴だった。

 そんな生徒達の中で、里香は最初から最後までノンストップでシャーペンを走らせている。走り出したペン先は止まらず、一問たりとも書き漏らさずに埋めているのだ。

 試験官が少しばかり覗き込んでいるが、その表情には感心したような色が浮かんでいる。ざっと見たところ、間違っていると思われる解答はない。他の生徒が半分も進めていない中で最後の問題まで解き終え、再び最初から問題の見直しまでしている。

 実際のところ、一つの分野だろうと三年分の知識を一時間で問うというのは非常に難しい。問題数も多く、その上、選択式の問題は一問たりともなかった。

 この筆記試験に求められるのは記憶力と“問題”を読み解く力、そして実技訓練のように体を動かすのとは異なる集中力だ。特に、設問の中には引っ掛けが仕掛けられているものも多い。

 配点などは記載されておらず、時間に追われつつも配点が高い問題を見極めることができれば高得点を取れる可能性はある――が、全ての問題が同じ点数だったりもする。

 普段は価値が低い情報だろうと、状況によっては千金に値することもあるからだ。そのため出題の難易度問わずに点数は一律になっていた。

 『ES能力者』やES能力に関するテストでは知識を問われる。『ES能力者』に関する知識、これまでに起きた重大な事件、ES能力の詳細など、覚えていれば答えられる問題が並ぶ。

 部隊運用や任務については知識というよりも知力、思考力が問われる。想定された状況でどのように部隊を動かすか、任務で必要となる戦力や『ES能力者』の適性の割り振りはどうなるか。それらを記述形式で解答するため、知識に加えて回答者自身の見識が問われる。

 それらの問題を黙々と、そして続々と解いていくのは里香だけであり、それに続く者はいない。博孝や希美が辛うじてペンを止めずに解答しているぐらいで、それでも解答に確信が持てない問題があった。

 一時間テストを受け、十分休憩を取って再び一時間のテスト。そうして四回のテストを終えた頃には、既に日が落ちかけていた。


「では、テスト用紙を回収します」


 最後のテストを終えると、生徒達の間には安堵の声が漏れる。知識が大事だというのもわかるが、『ES能力者』になってからは体を動かす方が楽だと思う者が大半だった。

 テスト用紙は回収後に採点が開始されるが、量が多いため即日で結果が出るわけではない。三日ほど時間をかけて採点が行われ、その結果が卒業時の考課表に反映される。

 学校のテストと同様に、生徒達はどの問題がどうだったか、などという雑談を始めた。中には己のテスト結果を予見して悲鳴を上げている者もいるが、周囲からは生暖かい目で見られるだけである。

 だが、筆記試験は卒業にそれほど影響がない。個々人の能力を見極める上では重視されているが、卒業できるかという点については汎用技能を使えるかどうかという点が最重視されていた。

 そうやって生徒達が騒いでいると、試験官達と入れ替わるようにして砂原が教室に入ってくる。それを見た生徒達は即座に雑談を止め、砂原に視線を向けた。


「卒業試験はこれで終わりだ。ご苦労だったな、諸君」


 そして、穏やかに微笑みながら労う。その声色には一片の寂しさに近い感情も混じっており、生徒達は思わず目を擦り、ついでに耳の調子がおかしくないかを確認してしまった。


「ほう……諸君らが俺に対してどのような印象を抱いているか、よくわかったぞ」


 すると、砂原は目を細めて生徒達を睥睨する。その変化を見た生徒達は、これでこそ砂原だと逆に安堵した。そんな生徒達の心情を見抜いたのか、砂原は一度咳払いをしてから話を再開する。


「担当教官として“留年”するような者はいないと断言できる以上、これからについて話さねばならんな……」


 そう言って背を向け、黒板にチョークを走らせ始める砂原。その姿を見た生徒達は、こうやって板書する砂原の姿を見るのも残り僅かの期間だと思い至り、姿勢を正す。


「卒業まで一ヶ月少々……任務もなく、これまで通り座学と実技訓練を継続する。だが、少しずつでも退寮の準備を進めておけよ? 直前になって慌てるような真似はするな」


 砂原の声は、穏やかと言うべきか静かと言うべきか。奇妙なほどに感情が薄く感じられ、生徒達は卒業の二文字を強く意識する。


「卒業式は三月二十五日。退寮はその翌日だ。同時に諸君らには辞令が下り、正式な任官となる。配属先の部隊から車で迎えが来るので、荷物は一緒に運んでもらえる……備え付けの家具などはそのままだからな。さすがに大丈夫だとは思うが、荷物は減らしておけよ?」


 最後に付け足されたのは、砂原なりの冗談なのだろう。しかし、その言葉に笑う者はいなかった。


「……荷物なんて普段着ぐらいですから、退寮の前日から荷造りをしても余裕で間に合いますよ!」

「そう言って退寮に間に合わない者が毎年一人はいるそうだぞ?」


 博孝が沈み始めた空気を持ち上げるように声を上げ、砂原がツッコミを入れる。だが、空気の沈み具合は深まるばかりだ。


「三年っすか……長いようで短かったっすね……」

「いやいや! 早いって恭介! まだあと一ヶ月ちょいあるんだからさ!」


 普段ならば博孝と共に騒ぐはずの恭介だが、今日ばかりは普段通りにはいかなかったらしい。博孝が必死に声を張り上げるが、同調する者はいなかった。

 さすがにそれ以上騒ぐことはできず、博孝は思わず肩を竦めてしまう。砂原はそんな博孝の様子に苦笑すると、一息吐いてから表情を真剣なものに変えた。


「先ほども言ったが、諸君らならば卒業試験に失敗した者はいないだろう。だが、教官としては諸君らに一つの試験を与えたいと思う」


 砂原がそう言うと、多くの生徒が何事かと顔を上げる。これまでの付き合いにより、砂原の発言が自分達にとって危険なものだとわかったのだ。

 反応が良い生徒達を見回すと、砂原は何故か目を細める。


「三年……三年か。この教室で初めて諸君らを見た時、俺は一人も“脱落”させずに教育できるだろうかと不安に思ったものだ」

「あの、教官? なんか浸っているような台詞の合間で恐縮ですが、脱落が明らかに“人生からの脱落”にしか聞こえないんですが?」

「しかし、諸君らは見違えるほど成長した。その成長は俺の予想を遥かに超えたと言って良い」

「聞いてませんね!?」


 何とか流れを変えようとする博孝だが、砂原は微塵も止まらない。自身の教え子一人ひとりの顔を見回し、大きく頷く。


「そこで俺は考えた。教官として諸君らに出来る手向けとは何か、とな」


 最早博孝ですら声を上げない。そして、砂原の元で三年近い訓練の日々を送った彼らには、砂原が言い出すであろうことが予測できた。


「教官としては、諸君らの糧になるべきだ。ならば、俺に出来ることは限られている」


 そこまで言うと、砂原は口の端を吊り上げて獰猛に笑う。


「――俺と諸君らで模擬戦だ。最後の機会ということで、全力で相手をする」


 獲物を前にした肉食獣のような笑顔を向けられた第七十一期訓練生達は、絶望的なまでに諦観をしながら『やはり砂原は砂原だった』と内心で呟くのだった。



 

 そしてその二週間後、第七十一期訓練生にとっては様々な意味での卒業試験が行われることとなった。

 相手は三年もの間教官を務め、第七十一期訓練生からすれば“強さ”の象徴。『穿孔』の異名で呼ばれ、圧倒的な力を誇る砂原だ。

 本来の卒業試験に比べれば苛烈で過酷で、しかしながら、誰もが避けようとは思えない。卒業までは普段の訓練が残っている。

 だが――これこそが最後の“授業”なのだと、全員がわかっていたのだから。











※思ったよりも感想欄での希望があったので、おまけで例の『別の話』です。

 興味のない方はそのままバックしてください。






番外編:別の話


 とある早朝、恭介は昨晩から行っていた自主訓練を切り上げて男子寮へと向かっていた。

 今日も朝から授業があるため、いつまでも自主訓練を行っているわけにはいかないのだ。それほど眠気もないため、コーヒーでも飲んでシャワーを浴びれば大丈夫だろうと考えていた。


「博孝や沙織っちはちゃんと寝たんすかねぇ……」


 そんなことを呟きつつ、コーヒーを買うため談話室へと足を踏み入れる恭介。そして何気なく視線を巡らせ、不思議な物体を発見した。

 ソファに腰かけて穏やかな表情で眠る沙織と、そんな沙織に膝枕をされて世界の真理を探る賢者のように眉を寄せて眠る博孝である。


「……?」


 首を傾げつつ、恭介は自販機へと向かう。とりあえずは眠気覚まし用のコーヒーを買おうと腰のホルダーから携帯電話を引き抜き――肩越しに振り返る。


「…………?」


 そこにあるのは、ソファに腰を掛けて眠る沙織と、そんな沙織に膝枕をされて眠る博孝だ。何があったのか、沙織の右手はまるで撫でるようにして博孝の頭に置かれている。

 恭介は視線を自販機に戻し、携帯電話を読み取り装置にかざしながらブラックコーヒーのボタンを押す。

 転がり落ちたコーヒーがガコン、という金属音を立て、恭介はしゃがみ込んで受け取り口からコーヒー缶を取り出した。

 意味もなく天井を見上げ、目を閉じる。右手にコーヒー缶を持ち、左手で閉じた両目を軽く押さえる。

 冬が近づいて気温が下がる今日この頃、缶コーヒーの温かさが心地良く、安心と安堵を誘った。

 恭介は目を開けると、大きく深呼吸をして息を吐き出す。そしてコーヒー缶のプルタブを開けて口を付けるが、『ES能力者』としては多少熱いか、という程度の温度のコーヒーが喉を滑り落ち、缶コーヒーらしい香りと強烈な苦みを伝えた。

 さらに一口、二口とコーヒーを飲み、訓練のし過ぎなのだろうかと思いながら振り向く。

 博孝と沙織も、ここ最近は訓練のし過ぎだった。今頃は部屋で寝ているだろう。そうに違いない――などと思ったものの、ソファに座って眠る二人の姿は幻ではなかった。


 相変わらずその場に存在する、ソファに座って眠る沙織と膝枕をされて眠る博孝。その姿はあまりにも自然だが、そこに存在することこそが不自然だった。


「って、沙織っちに膝枕されて博孝が寝てるぅー!?」


 飲んでいたコーヒーを噴き出し、悲鳴に近い声で叫ぶ恭介。言葉にした通りのことでしかないのだが、何故談話室でそんな状態に陥っているのか。


「だ、大事件っす! これは大事件っすよ! と、とりあえずみんなに情報共有を――」


 ここまで騒いでも起きないということは、二人とも余程深く寝入っているのだろう。気が動転した恭介は、ひとまずこの情報を誰かと共有しようと談話室を出ようとした――が、首筋に冷たい感触を覚えて動きを止める。


「――動くな」

「――官姓名とここまで侵入した目的を吐きなさい」


 博孝と沙織から視線を外したその一瞬。その僅かな時間で二人に背後を取られ、首元には『無銘』を添えられ、背中には博孝のものと思わしき手の平の感触があった。


「ヒイィッ!? ちょっ、俺っすよ二人とも!」


 あまりにも冷徹な声を掛けられたため、恭介は必死にそう叫ぶ。すると、背後の二人は僅かに沈黙し、次いで『無銘』と手の平の感触が消えた。


「ふあぁ……なんだ、恭介か……悪いな。思ったよりもしっかりと眠ってたみたいだ……」

「ごめんなさいね、恭介。寝惚け……いえ、てっきり敵が侵入したのかと」

「思いっきり寝惚けてたっすよね!?」


 危うく尋問にでもかけられるところだった。内心でそう呟きつつ、恭介は即座にツッコミを入れる。


「と、というかなんで二人はこんなところで一緒に寝てるんすか!? 思わず三度見したっすよ!」

「あー……ん? 一緒に寝てた?」


 本当に寝入っていたのか、博孝の反応が鈍い。頭を掻き、周囲を見回して目を見開く。


「うわっ!? なんで沙織が一緒にいるんだ!?」

「今更!?」


 目を剥いて驚く恭介。博孝は驚いた様子だったが、額に手を当てながら自分が寝ていたソファへ視線を向け、“全て”を思い出し――真顔で口を開いた。


「これは非常に機密性の高い情報であり、他言することは一切認められていない。いいね? 武倉訓練生」

「なんか一気に偉そうになったっすね!? 上官っすか!?」

「バーローオメー! これには山よりも低くて谷よりも浅い理由があるんだよ!」

「全然重要じゃないっすよねソレ!?」


 寝起きだからかテンションがおかしい博孝。恭介は逐一ツッコミを入れるが、どうやって脱出しようかと目まぐるしく視線を移動させている。


「何を言うの恭介! わたし達にとってはとても重要なことかもしれないじゃない!」

「意味深な発言が飛んできた!? え? こんな人通りがある場所で膝枕をしながら眠る重要な理由ってなんっすか!?」


 何故か真剣な口調で話す沙織に、恭介は驚きながら問いを叩きつけた。恭介が持つ常識には、ソファで膝枕をしながら眠る理由など明記されていないのである。


「――そこに博孝の頭があったからよ」

「真顔で言うことじゃないっすよ!? というか頭があったからって理由が怖いっす!」


 沙織の中では重要な理由だったらしい。しかし、恭介としては微塵も賛同できない。


「なあ恭介、雄弁は銀、沈黙は金だ……報酬は晩飯一ヶ月分でどうだ? 今ならデザートもつけるぞ?」

「こっちはこっちで露骨に買収!?」


 恭介が逃げないよう肩に腕を回しつつ、笑顔で買収を持ちかける博孝。沙織にはいまい話が通じなかったが、博孝としては周囲に隠してもらいたいようだ。


「……じゃあ、何があったのかを教えてくれたら、ここだけの話として俺の胸に仕舞っておくっす」


 恭介とて、親友と戦友のことを悪戯に吹聴するつもりはない。当初は気が動転して“誰か”に情報共有しようとしたが、それはそれで色々と危険なことに気付いたのだ。


「んー……突然沙織に首を刈られて膝枕状態に移行して、気が付いたら眠ってた」

「博孝の頭を撫でていたらそのまま眠ってしまったわ」

「お、おう……そ、そうっすか」


 しかし、二人の返答は恭介としてもリアクションに困るものだった。嘘を言っているようには思えないが、そこに至る過程が想像できない。だが、この二人ならばそれも有り得てしまうと思えたのは、二人の性格や普段の行いが原因だろうか。


 結局、恭介が一人で大騒ぎすることになったものの、この“事件”については周囲には漏れなかったのである。






作者が一時間でやってくれました。

ご期待に沿えるかわかりませんが、一応投下しておきます。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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