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第百六十六話:卒業に向けて 博孝と沙織の場合

 第七十一期訓練生の間で、時折話題になることがある。それどころか後輩達すらも巻き込み、興味を向けられて疑問を呈されることがある。


「――河原崎先輩と長谷川先輩ってどっちが強いんですか?」


 そしてその日、怖いもの知らずの下級生があっけらかんと尋ねた。

 身近にいる訓練生の中で誰が強いかと聞けば、その二人の名前が挙がる。そして、それならばどちらが強いのかという疑問を抱くのも、強さを求める訓練生ならば当然のことだろう。

 一部の生徒には『いやいや岡島先輩が一番強いだろう』、『みらい先輩だって』などと口走る者もいたが、その他生徒一同には無視されていた。

 自主訓練の休憩中、そんなことを尋ねられた博孝と沙織は互いに顔を見合わせる。そして示し合せることもなく笑い始めた。


「あっはっは……なんだなんだ? 他人の強さが気になるのか? 俺達なんてまだまだだってのにさ」

「ふふっ……どっちが強いのか、か。懐かしいわね。昔はわたしも“そんなこと”が気になっていたわ」


 明るく笑い飛ばす博孝と、昔を懐かしんで目を細める沙織。質問をした下級生としてはそんな二人のリアクションの意味がわからず、首を傾げてしまう。


「……お二人は気にならないんですか?」

「ならねえなぁ。気にしてどうするんだよ? 俺と沙織より強い人なんていくらでもいるんだぞ? 井の中の蛙で背比べしろってか?」

「そんなことを気にする暇があるのなら、組手の一回でもやりなさい。そうやって余計なことに気を取られた分、周囲の仲間に置いていかれることになるのよ?」


 それどころか、言い含めるようにして説教をされた。下級生はそれもそうかと思いつつ、食い下がる。


「でも、やっぱり気になりますよ」

「馬鹿野郎。強いって一口で言っても色々あるだろうが……まったく、仕方ねえなぁ」


 後輩のリクエストに応え、博孝は頭を掻きつつ答える。


「沙織だな」

「博孝ね」

『――ん?』


 それと同時に沙織も答えた。だが、互いに名前を呼び合う羽目になってしまい、顔を見合わせて首を傾げる。


「いやいや、沙織だろ? 総合力なら勝てる自信があるけど、戦闘――殺し合いなら攻撃力が違うから勝てないぞ?」

「その総合力が肝でしょう? 博孝だって『活性化』を使えば攻撃力が上がるのだから、総合力で劣るわたしだと勝てないわ」


 己の技量を正確に把握している二人だが、それでも互いに勝てないと譲り合う。

 独自技能の『活性化』を持ち、『万能型』として攻撃、防御、支援を問わずにES能力を覚え、さらには体術が得意な博孝。

 かつては近接戦のみだったものの『飛刃』を覚え、柳が鍛えた『無銘』によって攻撃力を増し、戦闘における才能、直感がずば抜けている沙織。

 以前ならば遠距離戦が得意で、なおかつ『飛行』を先に覚えた博孝の方が有利だったかもしれない。しかし、今では沙織も『飛行』を覚え、機動力に差はなくなった。なおかつ、沙織には博孝が放つ射撃系ES能力を全て斬り払う技量がある。

 博孝が『収束』を発現できれば話は変わるかもしれないが、現状では妨害なしでも発現までに三十秒近くかかるのだ。『構成力』を集中させるだけでも渡り合えるが、そうなると互いに決め手に欠けてしまう。


「……うん、お互いズルズルと『構成力』を消耗して、最後にダブルノックダウンしそうだ」

「でも、楽しいでしょう?」


 自分達の未来を予見する博孝に対し、どこかワクワクとした様子で呟く沙織。日頃から組手やES能力使用可での模擬戦などを行っているが、実力が伯仲している相手との戦いは楽しいのだ。

 当然だが、訓練中に殺し合うような真似は厳禁である。互いに力をセーブしつつ、最大でも七割程度の“本気”で戦っていた。

 その戦績だけで考えるならば、一進一退でまったくの互角である。だが、やる気になった沙織を放置すると、クラスメートや後輩達が組手相手という名の犠牲になってしまう。


「仕方ねえなぁ……」


 沙織とは何十回どころか何百回、下手をすると四桁に届く数の組手や模擬戦を行ってきた。今更一回増えても大差ないと判断し、博孝は沙織と向き合う。


「じゃあ、まあ」

「やりましょうか」


 休憩を打ち切り、それだけの言葉を掛け合って互いに姿を消す。あまりにもあっさりと戦いを始めた二人を見て、質問をしていた下級生は目を丸くした。

 博孝と沙織にとっては、どちらが強いかなどどうでも良い話だ。だが、現在は自主訓練中であり、興が乗ってしまったのだから仕方ない。

 既に、二人の頭の中には下級生からの質問など存在していなかった。互いに獰猛に笑い、自主訓練に励んでいる生徒達の間を潜り抜け、ところどころで轟音を散らしながら駆け抜ける。

 そうして、さすがに地上では他の生徒が邪魔だと判断したのだろう。二人は『飛行』を発現して舞い上がると、それほど高度を取らずに空中でぶつかり合う。

 『飛行』に関しては今更制御を失敗するような技量ではない。だが、さすがに自主訓練で訓練校から出てしまうような真似はできなかった。

 右手に『構成力』を集中させた博孝と、抜いた『無銘』を振るう沙織。互いに攻撃力や防御力を知っているため、怪我を負わせるようなこともない。ダンスでも踊るようにして空中を飛び回り、掌底と『無銘』をぶつけ合い、その度に『構成力』の光を散らす。


「あははっ! いいわ! やっぱりあなたは最高よ博孝!」

「笑顔で言わんでくれ……どこかのナイフ使いを思い出すから」


 嬉々として戦う沙織の様子に、博孝は以前倒したハリドのことを思い出してしまう。しかし沙織はそれを気に留めず、今この時こそが至高なのだと言わんばかりに『構成力』を高めていく。

 対する博孝も、このままではまずいと考えて意識を集中させる。本当の“戦闘”ならば射撃系ES能力も交えて戦うのだが、今はあくまでも自主訓練で、なおかつこれは模擬戦だ。

 自主訓練に顔を出す生徒が増えている以上、下手に射撃系ES能力を使えば巻き込む危険性もある。それはそれで自主訓練参加者の危機感を煽る意味で有効かもしれないが、さすがに好き好んで『狙撃』や『砲撃』を撃ち込むわけにはいかない。


「はぁっ!」


 そんな博孝に対し、『無銘』を振り上げた沙織が迫る。博孝は『構成力』を集中させた右手で受けるが、少しずつ押し込まれる感触を覚えた。

 後輩の質問に対し、沙織の方が強いと答えたのは博孝にとって遠慮でも嘘でもない。元々攻撃力が高い沙織だが、戦い――ことに実力が近い、あるいは格上の者との戦いではその脅威を増していくのだ。

 戦いに対する喜び、ギリギリで渡り合う緊張感。それらが昂揚をもたらし、闘争心と歓喜によって沙織の『構成力』を爆発的に増大させていく。その興奮は『無銘』にも伝わり、沙織から溢れ出る『構成力』を纏って白い輝きを放つ。


「ッチィ!?」


 このままだと勢い余って腕まで斬られると判断し、即座に力を逃がす博孝。それと同時に普段ならば射撃系ES能力に回す『構成力』を右手に集中。『活性化』も発現し、沙織の攻撃を凌ぎつつも右手に莫大な『構成力』を集める。

 振るわれる『無銘』とぶつかり合う度に『構成力』の白い光が散るが、そんなものは知ったことかと博孝は思う。右手に集中させたことで荒れ狂う『構成力』を自身の制御能力と『活性化』で押さえ付け、その密度を更に増していく。

 それは数えきれないほどに模擬戦を行った沙織と一対一だからこそできることだ。実戦ならば、これほどまでに全てを除外して『構成力』を集中させる暇と余裕がない。

 博孝が行っているのは、『飛行』と『防殻』を維持しながら『構成力』を集中させているだけ。そんな博孝に対して沙織が行っているのは、縦横無尽に『無銘』を振るうだけだ。

 ここまでくれば、ES能力など気にも留めない。純粋に互いの技量を高めるように掌底と『無銘』をぶつけ合い、穏やかというには物騒過ぎる笑みを浮かべ合う。


「……出たわね」


 そんな戦いの最中、沙織が『無銘』を引きつつ呟く。その視線の先にあったのは、『構成力』が集中した博孝の右手だ。沙織と戦いながらも一分ほどの時間をかけ、莫大な『構成力』を集中させている。その密度は『収束』と呼べるほどだ。


「時間がかかっちまうけどな」


 そう答える博孝だが、それほど余裕があるわけではない。莫大な『構成力』を右手に“収束”させたものの、それで終わるわけではないのだ。常に『構成力』を集中させ続ける必要があり、今の博孝にとってはそれだけで限界が近い。

 それでも、沙織から見れば“それ”は感動的な光景ですらある。共に強くなろうと誓った博孝が、第七十一期訓練生にとっては強さの象徴でもある砂原の得意技を発現したのだから。

 沙織はそんな博孝を見据え、『無銘』を突きつけながら艶然と微笑んだ。


「ああ――素敵だわ」

「そんな台詞は、物騒なモンを下ろしてから言ってくれ……おっかなくて仕方ねえ」


 微笑んだ沙織は、全身から『構成力』が立ち昇っている。余程嬉しいのだろう、『活性化』を発現した博孝と比較しても、その発現規模は一段上だ。

 両者とも、既に模擬戦と呼ぶには過剰な『構成力』を発現している。それでも沙織は笑い、博孝もまた笑っていた。

 互いに僅かに距離を取り、博孝は右手を弓のように引いて構える。沙織はそれに応えるように『無銘』を上段に構え、合図もなく同時に空を翔け――。


「――はしゃぎ過ぎだ、馬鹿者共」


 突如姿を見せた砂原が、急接近した二人の頭に拳骨を落として地上へと落下させた。互いに目の前の相手に集中していた博孝と沙織は、強烈な拳骨を食らってなす術もなく地面に叩きつけられる。


「うおおおおぉ……あ、頭が割れるぅ……」

「……身長が縮んでないでしょうね……」


 地上に落下した博孝と沙織は、頭を押さえながら呻いた。真横に飛んでいたはずが、砂原の拳骨によって九十度角度を変えて地面に落下してしまったのだ。それほどまでに威力がある拳骨だった。


「まったく、自主訓練にしては大きな『構成力』を感じてきてみれば……貴様等は何をやっているんだ?」

「申し訳ないです。沙織と戦っているうちに、ついつい熱が入りまして……」


 痛む頭を押さえながら博孝が言うと、沙織も同意として頷く。砂原はそんな二人を見て、小さくため息を吐きつつも目を吊り上げた。


「訓練に熱が入るのはけっこうなことだ……が、それでも限度というものがあるだろうが馬鹿者! 貴様等は殺し合いでもするつもりか!」


 砂原に怒鳴られ、しゅんとした様子で俯く博孝と沙織。そんなつもりはなかったが、さすがに危険な水準まで『構成力』を高めたのは間違いだったと言える。

 博孝と沙織は互いに引き際を弁えており、最後の一撃は寸止めをするつもりだった。砂原も博孝と沙織が今更寸止めを失敗するような技量ではないと思っているが、それはそれ、これはこれである。

 いくら無事に済ませる技量があったとしても、最後の一撃は危険なものだった。そして、危険なことをすればそれを止めるのが大人である。


『すいません……』


 博孝と沙織は落ち込みながら謝罪する。砂原はもう一度だけ拳骨を落とすと、二人をその場に正座させて説教を始めた。その怒声は落雷のようであり、周囲で様子を窺っていた生徒達は蜘蛛の子を散らしたようにこの場から逃げ出す。


「たしかに貴様等の成長は大したものだが、寸止めに失敗したらどうするつもりだ! 怪我で済むか怪しい威力だったぞ!」

「はい……すいません……」

「ごめんなさい……」


 砂原の言葉は正しく、また、砂原が自分達の身を案じて怒っている以上、博孝と沙織は体を小さくして謝罪するしかない。

 それからも砂原の説教は続いたが、一時間も経てば解放されることになった。次に同じことをすれば自主訓練を禁止すると言われ、博孝と沙織は顔色を失ったものである。

 すっかり意気消沈した博孝と沙織だが、砂原はそんな二人を見て咳払いをした。


「……しかし、まあ、そうだな。中々良い戦い振りだった。お前達二人にはそこまでアドバイスをする必要もないかもしれん」


 そして砂原から放たれたのは、二人の技量を褒めるような言葉だった。博孝と沙織は思わず顔を上げるが、砂原はすぐに厳しい声を出す。


「だが、河原崎はもっと呼吸をするぐらいの自然さで『構成力』を集めろ! 『収束』を発現したようだが、発現するのにあれほど時間がかかったのでは話にならん! 実戦ならばその間に殺されるぞ!?」

「あ、はい……最初から見られてたんですね」

「長谷川は攻撃に偏り過ぎだ! それが貴様の持ち味だが、もっと自分にできることを考えろ! 思考を放棄するなと何度も言っているだろう!」

「了解です……」


 必要がないと言いつつも、結局はアドバイスをする砂原。博孝と沙織は正座をしたままで頷き、耳を傾ける。そんな二人を見た砂原は、深々とため息を吐いた。

 今の二人は成長期である。それは身体的な話ではなく、『ES能力者』としてだ。

 午後の実技訓練では時折冗談を交えつつも真剣に取り組み、自ら進んで自主訓練に励めば、『ES能力者』としての成長を早めるだろう。砂原から見れば、博孝も沙織も十分以上に才能がある。そこに努力という水を与えれば、どうなるか。

 日を経るごとに伸びる技量。訓練での一打、一太刀が自身の糧になり、何度も実戦を経験したことで“伸び方”も急激なものだ。

 自身の成長を強く実感できる。それは麻薬のようなものでもあり、一度実感してしまえば抜けられないものだ。精力的に訓練に取り組み、それによってさらに伸びる技量を感じ取り、さらに訓練を行う。

 だが、『ES能力者』は頑丈な生き物だがさすがにオーバーワークも存在する。


「貴様等、今日はこれで自主訓練を切り上げて休め。これは命令だ」


 時刻は既に丑三つ時を過ぎていた。訓練熱心な生徒はまだ残っているが、体力が少ない下級生などは訓練を止めて自分達の寮に帰っている。

 博孝達は、放っておけば夜が明けるまで訓練に打ち込む。故にここで切り上げさせ、休息を取るよう命令した。

 博孝と沙織は思わず顔を上げたが、砂原の言うことである。渋々といった様子ではあったが、しっかりと頷いた。


「そういえば、この前の戦いがあってからロクに寝てねえや」

「わたしも仮眠ぐらいだったわ……」


 砂原から解放されたため、博孝と沙織はそんな言葉を交わしながら歩き出す。砂原から距離を取って自主訓練を続けていた恭介や里香、みらいに声をかけるが、彼らはまだ訓練を続けるようだ。

 部屋に戻ってシャワーを浴びて寝るか。そう考えた博孝だが、とてつもなく危険なことに気付いて声を上げる。


「やばい、このままだと眠り方を忘れそうだ」

「教官に止めてもらって良かったわね……わたしもよ」


 そんなことを言いつつ、博孝は男子寮に足を踏み入れる。そして水分を取っておこうと談話室に足を踏み入れたが、時間が時間だけに誰もいない。


「んー……コーヒーでいいか」

「寝る前にカフェインを取ってどうするのよ」

「『ES能力者』になってからはカフェインもロクに効かないんだよなぁ……」


 自販機で缶コーヒーを買い、談話室に置かれたソファーに腰かける博孝。その隣にはスポーツドリンクを買った沙織が座り、二人は無言で購入した飲料の口を開ける。


「……で、あまりにも自然だったからツッコミようがなかったんだけど、なんでついてきてんの?」

「え? 部屋に帰っても暇だもの」

「そこは寝ようぜ!?」


 部屋に戻っても眠る気がなかったらしい。博孝は一応ツッコミを入れるが、自分も部屋に戻って眠れるかわからなかった。

 昔は気合いとテンションの高さで眠気を無視していたが、最近はそんなことをせずとも眠気が訪れない。徐々にその傾向があったが、現在は時折精神安定のために眠るだけだ。


「うーむ……『ES能力者』として成長したと思えばいいんだろうか……」

「成長はしてるわよね……うん、毎日成長を実感してるわ」


 手に持っていた『無銘』をテーブルに置きつつ、沙織がそんなことを言う。博孝は無言で頷くと、手に持っていたコーヒー缶をテーブルの上に置いた。


「あっ」


 すると、何故か沙織が妙な声を上げた。忘れていたことを不意に思い出したような、そんな声。


「ん? どうしぃぎぃっ!?」


 何事かと思った博孝だが、突然首を掴まれて真横に倒された。あまりにも突然だったため奇妙な声が出てしまった――が、倒れた先が沙織の膝の上だったため思わず思考を停止させる。


「膝枕をするって約束、忘れてたわ」

「……膝枕? え、いや、そうだとしてもなんで首を刈られかけたの、今……」


 一瞬、何を言っているのかと疑問に思う博孝。しかし、確かに『大規模発生』の際にそんな話をした記憶があった。もっとも、その時は“冗談”だと思っていたわけだが。


「それでどうかしら? わたしの膝枕」

「……なんかこれじゃない感じがヒシヒシと……確かに膝枕なんだけどさ」


 ソファーに座っていた状態から横に倒れた形になるため、少しばかり体が痛い。さすがにそんなことまでは言わないが、膝枕というものはこんなものだったかと内心で不思議に思う。


「そう? まあ、わたしも初めてやったからよくわからないわ」


 そう言って、沙織は微笑む。何が楽しいのかわからないが、その表情は非常に嬉しそうだ。


「……正面から頭を乗せた方が良いのかも?」

「嫌よ、それは少し恥ずかしいわ」

「沙織の恥ずかしいの基準がわからねえ……」


 クスクスと笑う沙織を見上げた博孝は、警戒していた体から力を抜く。ついでに靴を脱いでソファーに寝転がり、普段は僅かに見下ろしていた沙織を見上げる。


 ――沙織の肩口から零れた黒髪が額に当たり、妙にくすぐったい。


「沙織ってさ、髪長いよな」

「そうね……小さい頃から伸ばしていたから。伸ばしていた理由は……なんだったかしら?」

「爺さんに褒められたから、とかじゃね? その頃の沙織ならさ」


 普段ならば行うことがないような会話。何故沙織に膝枕をされながらこんな話をしているのか、などと思いつつも博孝は言葉を止めない。


「ああ……そうね。お爺様にリボンをもらったから、髪を伸ばしたら似合うんじゃないかと思ったのよ。さすがに伸びすぎたら自分で切ったけど、慣れると気にならなくなるわ」

「ふーん……え? 自分で切ったのか?」

「そうよ? こう、ハサミでちょきんって」


 自分の黒髪を持ち上げ、人差し指と中指でハサミの形を作って挟む沙織。


「それはさすがにちょっと……美容院で切ってもらった方がいいだろ。綺麗な髪なんだし、勿体ない気がするな」

「え? そ、そうかしら?」


 いくら髪が長いからといって、自分で切るのは如何なものか。そんなことを思いつつ話をした博孝だが、沙織の様子がおかしい。視線を逸らし、指先で自身の黒髪を弄りながら口を開く。


「博孝は……髪は短い方がいい?」

「ん? どうしたよ突然?」


 髪の長短を問われ、博孝は思考する。だが、答えはすぐに出た。


「まー、特にそういうのはないなぁ。本人に似合ってるのなら、どんな長さでもいいと思うぞ?」


 出てきたのは無難な答えである。しかし、博孝にとっては言葉にした通り大したこだわりはなく、その答えを聞いた沙織は花が咲くように微笑み、何度も頷く。


「そう……ふふっ」


 何が楽しいのか、沙織は口元を隠して笑う。その動作がどうにも艶やかに見え、博孝は視線を逸らすために顔を沙織の膝先に向けた。


「あーあーあー……起きていいか? このままだと眠るかもしれない」


 許可を取る必要などないのだが、起きようとすれば再び首を掴まれて元の位置に戻ってきそうだ。そのためそんな問いかけを行うが、沙織は取り合わない。


「眠ってもいいわよ? なんなら子守唄でも歌いましょうか?」

「まだ恭介とかが外で訓練してるんだけど……」


 そう言いつつ気配を探るが、談話室に近づいてくる気配はなかった。博孝や沙織がいないとはいえ、恭介達が自主訓練にかける情熱は強いものがある。休憩のために談話室に来る可能性はあるが、訓練に熱中しているのならば当分は近づかないだろう。

 そこまで考えた博孝は、僅かに眠気を覚えつつも話題を探す。


「自主訓練ができないと暇だなぁ……」

「そうね。でも、こういう時間も悪くはないわ」


 沙織のものとは思えない発言だった。博孝が横目で沙織の表情を確認すると、沙織は柔和に微笑んでいる。


「ここ最近、訓練漬けだったもの。少しはこうやって休憩を取るべきね」

「そうだなー……」


 話している間に、少しずつ眠気が強くなっていく。ここで眠るわけにはいかないと思うが、頭部に感じる温もりが抵抗感を奪っている。それは相手が沙織だからなのか、あるいは膝枕の魔力なのか。

 それでも眠るまい、と博孝は言葉を続けた。


「朝から自主訓練するのはアウトかね?」

「アウトでしょ。教官に見つかったら当分自主訓練を禁止されそうだわ」


 わかってはいても敢えて問うてしまう。それに答える沙織は、相変わらずどこか楽しそうだ。さらに、何故か博孝の頭に沙織の手が伸びてくる。


「あのー、沙織さん? 何故に私めの頭を撫でるのでしょうか?」

「そんな気分だからよ」

「……おう、そうか」


 そんな気分なら仕方がない。自分にそう言い聞かせる博孝だが、眠気の波は次々と押し寄せてくる。


(あー……このまま目を瞑ったら眠りそうだ……)


 それまでまったく眠くなかったというのに、急激な眠気が襲ってくる。それでも博孝は何か言葉を口に出そうとするが、瞼が重たすぎて抗い難い。


「……明日からも……頑張る、ぞ……」


 結局、意識しない疲れが溜まっていたのか、博孝はそのまま目を閉じてしまった。沙織はそんな博孝を見つめていたが、年頃の少女らしく、それでいて博孝を起こさないように、柔らかく微笑む。


「……ええ。明日も頑張りましょう、博孝」


 共に強くなると誓った。そして沙織は、共に在ろうと願ったのだ。故に、その答えは当然のものだった。


 そうやって博孝の寝顔を見ていると、沙織も小さく欠伸をする。膝の上の重みが、妙に心地良い。

 なるほど、こうやってたまには休息を取るのもいいものだ。沙織はそんなことを考えつつ、ソファに身を預けて目を瞑るのだった。








 そして、それから数時間後に自主訓練を切り上げた恭介が眠りこける二人を発見して大騒ぎに発展するのだが、それはまた別の話である。











※別の話はありません。

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