第百六十二話:哀悼 その2
「――というわけで、窮地に追い込まれた俺は突然独自技能を発現したんです、まる」
「う、うわー、そうだったんだー」
「岡島さん、いきなりボケに走った博孝も悪いっすけど、そのリアクションもどうかと思うっすよ」
時は、『大規模発生』から一週間が過ぎた日のこと。
壊れた施設の修復は続いているものの訓練校内外の“掃除”が済んだため、訓練生はもとの日常に戻りつつあった。
そこで博孝は、『活性化』についてクラスメート達に説明させてほしいと砂原に願い出た。『大規模発生』の最中に衆目を気にせず『活性化』を発現したため、その説明をする必要があると思ったのだ。
砂原はこれを了承するものの、“他の機密”に関しては伏せるように言われた。それは『天治会』やみらいに関することであり、この点については博孝も頷いている。
午前中の授業が始まる前に時間を取らせてもらい、教壇に立って説明をしようとした博孝だったが、事情を知らないクラスメート達の視線があまりにも真剣過ぎたため、まずはジャブだと言わんばかりにボケに走っていた。
そんな博孝を助けるために里香が合いの手を入れたが、すさまじい勢いで滑っている。恭介もツッコミを入れたが、クラスメート達の反応は冷ややかだった。
「ごほんっ……ま、まあ、冗談はさておき」
博孝は一度咳払いをすると、姿勢を正す。そしてクラスメート達を見回し、説明を開始した。
初めての任務で死に掛けた際に『活性化』に目覚めたこと。
それ以降は機密の関係で黙っていたこと。
しかし『大規模発生』の際は情報解禁され、全力で戦うために隠さず発現したこと。
それらの情報を淡々と伝えるが、クラスメートの反応は博孝にとって予想外のものだった。
「いや、お前が何か隠しているのは知ってたし……なあ?」
「うんうん」
「なん……だと……」
あっさりと、そんなことはわかっていると言ってのけるクラスメート達。さすがに詳細までは知らずとも、二年と半年に渡る付き合いで薄々察していたらしい。
「独自技能なんだろ? そりゃ情報制限もかかるわー」
「最初の任務ってことは入学して半年でってことか……発現するにしても早すぎじゃねーか?」
「というか、普通のES能力をすっ飛ばして独自技能を最初に覚えたのかよ」
クラスメート達は口々に言い合うが、博孝にとってその反応は予想外で、なおかつとても嬉しいものだった。
博孝が何も言わない以上は、言えないのだろうと判断してのことである。機密情報の扱いに関しても学んでいるが、それ以上に博孝個人への信頼が前提にあったのだ。
「お前ら……なんて良い奴らなんだ! 大好きだ! 愛してるぜ!」
『気持ち悪い。死ね』
「ひどくね!?」
感極まって喜びの言葉を投げかける博孝が、即座にピッチャーライナーとして返ってきた。思わずその場で崩れ落ちそうになるが、仲間達の反応に顔がニヤけそうになってしまう。
――良い仲間に恵まれた。
博孝は心の底からそう思う。文句の一つでも飛んでくるかと思っていたが、からかうような言葉をかけるだけで“それ以上”の言葉はない。
そんなことを考えていると、砂原が手を打ち合わせて注目を集めた。
「そういうわけで、河原崎兄には色々と事情があった。しかし諸君らはそれを察しつつも何も言わなかった。悪戯に機密を探らないその姿勢、それは軍人として当然のものだが、身近な者に対しても配慮したのだ。俺はそれを褒めたいと思う」
教え子達を見回し、砂原はそう言う。しかし、その褒め言葉を向けられた生徒達は互いに顔を見合わせ、一体何が起きるのかとざわめいた。
「このタイミングで次の任務とか?」
「いや、さすがにこの状況で任務はないだろ」
「この前の戦いを踏まえた強化訓練とか?」
「それは勘弁してほしいって……」
砂原が褒め言葉をかければ、その後に何かがある――主に自分達にとって辛い方向に。
そんな認識があった生徒達は、次に放たれるであろう砂原の言葉に備えた。だが、砂原は苦笑するだけである。
「俺とて、褒めるべきところではきちんと褒めているつもりだ……しかし、諸君らが“厳しさ”だけを求めるならばこちらとしても考えるが?」
そんな言葉を告げると、生徒達は即座に首を横に振った。今の状況では是非とも遠慮したい。そう思って必死に首を振る生徒達を見ると、砂原は大仰に嘆息した。
「では仕方ないな……ああ、河原崎兄は席に戻れ」
「了解です」
思ったよりも簡単に話が済んでしまった。博孝はそのことに内心で安堵する。砂原はそんな博孝の背中に視線を向けていたが、すぐに意識を切り替えた。
「さて、ここで俺からも諸君らに話すことがある」
そう言って、砂原は真剣な表情を浮かべる。それを見た生徒達は、『やはり何かあるのか』と身構えた。しかし砂原は生徒達から視線を外すと、教室の扉へと視線を向ける。
「――では、どうぞ入室なさってください」
そんな言葉を投げかけると、教室の扉が開いた。『構成力』を感じなかったため気付く者はほとんどいなかったが、そこには一人の老年の女性が立っていたのである。
年の頃は六十を僅かに超えた程度だろう。白いものが混じり始めた髪を後ろに団子状にまとめ、その顔には長い時を経て刻まれてきた皺が年輪のように刻まれている。女性用のスーツで身を包んでおり、その足腰はピンと伸びて真っ直ぐだ。
しかし浮かべる表情は柔和そのものであり、穏やかかつ気品ある貴婦人といった風情を漂わせている。見る者を安堵させ、心和ませるような雰囲気を放つ女性。そんな女性を見た生徒達は、一体誰なのかと首を傾げた。
外見年齢だけで考えるならば、生徒達の祖母と言っても通じる。しかしながら生徒全員に見覚えがなく、女性の素性はわからない。
そんな生徒達の困惑を察したのだろう。砂原は一度咳払いをすると、女性を教壇へ導いてから黒板にチョークを奔らせていく。
――大場房江。
達筆な文字で、黒板にはそう書かれていた。
「……ま、まさか大場校長の?」
「そう、大場校長の奥方だ」
思わず声を上げる博孝に、肯定するように頷く砂原。すると、そんな博孝に女性――房江が視線を向けて穏やかに微笑む。
「おやおや、あなたが河原崎君ね? 夫が遺した資料通り、元気そうな子だこと」
「え、あ、はい。たしかに自分は河原崎です。大場校長にはお世話に……」
そこまで言いかけて、博孝は気付く。
いくら大場の妻とはいえ、『ES能力者』の資料を閲覧する権限などない。それも訓練生の情報となればなおさらだ。しかし、房江は博孝に関する資料を読んだという。
「……教官」
博孝がある程度の確信を持って声をかけると、砂原はしっかりと頷く。
「大場校長が亡くなられたのは、俺としても痛恨の極みだ。しかし、訓練校の環境を考えれば次の校長を立てる必要がある。そこで立候補されたのが大場校長の奥方だ」
砂原が肯定すると、房江は穏やかに微笑んだ。
「夫が遺した“子供達”を、わたしも守ってあげたくてねぇ……今のところ臨時ではありますが、訓練校の校長職を務めることになりました」
何でもないように言ってのける房江だが、それがどれだけ難しいことか。訓練校の最上級生として、そして訓練生としては例外なほどに機密に触れている博孝としても驚きを隠せない。
「大場……いや、房江校長は公立私立を問わず、いくつもの学校で校長として腕を振るわれていた方だ。しかし、今年度からは職を退いていてな……その手腕はいたるところで高い評価を得ていらっしゃる」
「あら、砂原君も女性に対してお世辞を言えるようになったのねえ」
説明を行う砂原の様子を見て、房江はクスクスと笑った。その表情から察するに、大場の教え子である砂原も房江にとっては“子ども”でしかないらしい。対する砂原は、どこかやり辛そうに頬を掻く。
「……大場校長の奥方ということで、元々“調査”がされていてな。その教育手腕、知名度、清廉潔白さ。訓練校の校長として職責を全うし得る方だと“上”も判断している」
“上”も肯定的なのか、と博孝は思った。それならば何の問題もないだろう――が、博孝としてはいくつか気になる点がある。砂原の表情を確認しても賛成なのか、それとも反対なのか、その態度からは読み取れない。
(新入生はどう思うかね……)
出会ったばかりだが、房江の人柄は透けて見える。今は亡き大場と同様で『ES能力者』に偏見を持たず、普通の子供と同様に接し、それでいて訓練校を運営する上で必要な手腕も持ち合わせているだろう。
しかし、『大場の妻』という点を生徒が――特に大場に庇われた新入生がどう思うか。
負担に思わないか、申し訳なく思わないか、負い目を感じないか。そう考えた博孝だが、房江の視線が自分に向いていることに気付く。
「ふふっ、本当にあの人の資料通りの子だこと。元気でお調子者で……でも、人一倍思い遣りと優しさを持っている子ねぇ」
そして、心底嬉しそうにそう言う。その言葉を聞いた博孝は、思わず両手を上げて降参してしまった。
それは長年教育者として生きてきたことで鍛え上げられたのか、それとも生まれながらの慧眼か。博孝の些細な表情の変化から心情を見抜いたらしい。
――その勘の良さ、洞察力は大場よりも上か。
「御見逸れいたしました……それで、失礼ついでに尋ねてもよろしいですか?」
「あら、なにかしら?」
砂原も博孝の考えを見抜いているのか、何も言わない。房江は頬に手を当てて首を傾げると、博孝の発言を促した。
「俺は……いや、俺達第七十一期訓練生は、貴女が校長になられても反対はしません。それは他の期……おそらくですが、新入生を除いた期の全てでも同様でしょう。あの大場校長の奥さんが校長になると聞けば、まったく知らない人が校長になるより良いと思います」
自分だけではなくクラスメートも含めた総意のように博孝は言うが、それは一部のクラスメートを気遣っての言葉でもある。
大場の救出に間に合わなかった者達は、そのことを深く後悔していた。だが、同じことを二度と繰り返さないように奮起するだけの精神性も持っている。大場の死を悔み、それでいて一つの糧として飲み込むことができるのだ。
だが、直接大場に庇われた新入生はどうか。訓練生として二年以上訓練を積み、砂原の元で様々な面で扱かれ、実戦経験も潜り抜けてきた第七十一期訓練生と比べればどうか。
それはやはり、大きな負担になるだろうと博孝は思う。
「でも、新入生……特に大場校長に助けられた子はどうでしょうか?」
多くは語らない。語らずとも、房江には通じている。夫である大場を亡くした房江にこのような話を振るのは博孝としても心苦しいが、折角戦いを生き延びた可愛い後輩達のことを考えると聞かざるを得ない。
人によっては――否、人を問わず失礼な質問だろう。しかし、そんな質問に対しても房江は表情を崩さなかった。
「……あなたは本当に優しい子ねぇ」
その代わりに出てきた言葉には、心底嬉しそうな響きが込められている。博孝はさすがに予想外だったのか、面食らったように目を瞬かせた。
「あの人が身を盾にしてでも守り抜いた子達がいる……わたしはそう聞いています。でも、あの人がそうしたことで心に傷を負った子もいるでしょう。遺される側のことを考えて、それでも教え子のために体を張るような人でしたが……それが辛いことでもあると思っています」
大場の取った行動は、一種の美談として報告されている。“上”も大場の行動を称賛し、身を盾にして新入生を助けたその行動を激賞している。だが、残された側――特に、庇われた新入生にとっては美談だけでは済まない。
「その傷を癒し、元気に、そして健やかに育ってもらう……それはわたしにとっても大事なことで、そして、わたしにしかできないことだと思っています」
――大場の死を負い目に思った子供を許し、癒すことも自分の務めだ。
房江はそう言い切った。その表情、声色には一片の偽りも見受けられず、博孝は再度両手を上げてしまった。
「失礼しました。ちょいと賢しらぶって気を回そうとしましたけど、杞憂だったみたいで」
「いいのよ? 自分よりも年下の子達を思っての質問ですもの」
この人が校長なら、何の問題も起きまい。博孝は素直にそう思った。同時に、実に大場と似た者夫婦だったのだと妙に嬉しくもなる。
「他に質問はないかしら? 何かあれば遠慮なく来てちょうだいね。恋愛相談でも大歓迎よ? 喜んで時間を割くから」
最後に締め括るように、微笑んで告げる房江を見た博孝は、『本当に似た者夫婦なんだなぁ』と苦笑しながら思うのだった。
その日の晩、ようやく自主訓練も解禁されたため、博孝はクラスメート達と自主訓練に励んでいた。
『大規模発生』の際に活躍したことが原因なのか、第七十一期のもとに訪れる後輩の数も増えている。それまで漫然と訓練に取り組んでいた者も、実戦を経験することで大きく意識が変わったようだ。
「河原崎先輩……今日はお願いがあってきました」
そして、博孝のもとに予想外の来客もあった。そんな声をかけてきたのは新入生――それも、大場に庇われた者達である。五人の新入生が揃って博孝のもとへと赴き、代表として男子生徒が口を開いた。
「お、俺達に訓練をつけてくれませんか!?」
「……ほう? 理由を聞こうか」
博孝達の自主訓練に参加する下級生は増えたが、ここまで直接訓練をしてほしいと言ってくる者は少ない。喜んで訓練を希望する筆頭は市原達なのだが、それ以外となるとアドバイスを求める程度の者がほとんどだ。
だが、相手は市原達と違って新入生である。訓練を行うのは吝かではないが、基礎もできていないのでは話にならない。
それでも博孝が理由を問うたのは、朝方に出会った房江の存在があったからだ。
「今日ですね、その、大場校長の奥さんがうちの教室に来まして……」
「ああ、うちにも来たよ。あれはビックリするよな」
第七十一期に顔を出した後、他の期も全て回って挨拶をしたらしい。故に博孝が相槌を打つと、男子生徒は目を伏せながら言う。
「それで、俺達、房江校長にその、大場校長のことで謝ろうと思って……そうしたら、あの人は俺達のことを何も責めなくて……」
言葉が進むにつれ、声は小さくなっていく。その代わり、声色に滲んでいくのは悔恨か、それとも悲嘆の色か。そんな男子生徒の後ろに並ぶ新入生達も、顔を伏せて唇を噛み締めている。
「なるほど……それで?」
一聴すると冷たいような反応だったが、博孝は感情を見せずに続きを促す。男子生徒はそんな博孝の反応に少しばかりたじろぐが、すぐに表情を引き締めた。
「――俺達、強くなりたいんです」
そして、決然と言い放った。
「大場校長に助けてもらったこの命を無駄に散らさないためにも、同じような状況でも震えずに立ち向かうためにも……強くなりたいんです」
その瞳には、確かに決意が宿っている。博孝もそれを見て取れる。だが、同時に鬼気迫るものも感じ取った。その眼差しは、博孝にとっても覚えがありすぎる。
「俺達の自主訓練に混ざるのは、別に止めねえよ。指導してほしいっていうのなら、徹底的に鍛えてやる……だが、そういうのはまず担当教官に言うべきだろ? 言ったのか?」
「はい。教官はしっかりと鍛えてくれる、と……ただ、それだけだと物足りない気がするんです」
「ふむ……」
自分達の担当教官に教えを乞うた上で、さらに自主訓練で上級生に教えを乞いたいらしい。それは大変けっこうなことだ、と博孝は思う。昔はそうでもなかったが、現在は博孝や沙織だけでなく、第七十一期訓練生は全員が朝から晩まで訓練に没頭している。
そういった自分達の立場を踏まえれば、男子生徒達の希望には頷けた。強くなろうと決意すること自体は、博孝としても認めてやりたい。『ES能力者』としても正しいだろう。
しかし、どうにも気になる点がある。
「沙織、ちょっとこっちに来てくれ」
「え? なによ博孝」
一応の確認で沙織を呼ぶ博孝。沙織は自主訓練の相手として扱いていた市原を蹴り倒すと、そのまま歩み寄ってくる。
「この子達なんだけど……どう思う?」
博孝がそう問うと、沙織はこの場に集まっていた新入生達に視線を向けた。
「……昔のわたしを見ているみたいね。強さ“だけ”にしか目を向けていない、嫌な目だわ」
詳しくは話さずとも、沙織も博孝と同じ感想を抱いたらしい。どこか嫌そうにそう評価すると、頬を膨らませて博孝の肩を叩いた。
「博孝ってば、ことあるごとにわたしを引き合いに出さないでよ。わたしだって反省してるのよ?」
「ははは、悪い悪い。ただ、俺だけの判断だと間違いそうでなぁ」
抗議するように肩を連打する沙織に、博孝は笑って応える。沙織はそんな博孝の言葉に対し、真剣な表情を浮かべて肩を竦めた。
「まあ、恥ずかしいついでに言えば、わたしみたいにはならないでしょ。わたしとは方向性が違うように見えるし、かなり“軽い”もの。担当教官が矯正するだろうし、なんならわたし達が卒業するまでに叩き直せばいいわ」
「だよな。訓練中に悪かった」
「別に構わないわ。さあて、もう一本いくわよ市原」
「はい喜んで!」
沙織が向き直ると、居酒屋の店員のようなノリで市原が返事をする。博孝はそんな二人の様子に苦笑すると、男子生徒達に視線を向けた。
「あの……一体何を?」
「いやなに、俺も強くなりたいと思って足掻いてるクチだけど、“経験者”の意見は重要だなぁと思って」
「はぁ……」
わかっていないが、とりあえず頷く。そんな様子の男子生徒に博孝は苦笑した。
「まあいいさ。自主訓練に混ざるなら反対しない……つっても、俺もお前らと同じ訓練生だからな? 過度な期待はするなよ?」
そもそも、自主訓練に顔を出す者が多すぎてロクに構えない可能性もある。その場合は他の期の生徒に教えを乞うだけでも糧になるだろうが、あまり頼られ過ぎても困るのだ。
博孝自身の訓練もあるため、その辺りは上手く立ち回ってもらうしかない。
「はい! 先輩の手が空いた時にでも相手をしてもらえれば十分です!」
「ああ……でも、まずは基礎を固めることから始めろ。基礎がしっかりしてないと、応用なんてできないしな。俺達は卒業するまで残り半年もないんだし、教えられるのは体術がメインかもな」
勢い込んで頷く新入生達に再度の苦笑を向け、そこでふと、博孝は自分の言葉を内心で繰り返す。
(そうか……卒業まで残り半年もないんだな)
認識はしていても、ふとした拍子に実感する。『大規模発生』があったため授業が遅れている部分もあるが、それでもあと五ヶ月程度で卒業だ。
卒業すれば正規部隊に配属され、今のように一日中訓練に励む機会が少なくなるだろう。任務に駆り出されれば、訓練どころではない。
そう思えば自分の訓練の方が大事だが、彼らは大場が命を賭して守り抜いた者達だ。“教え子”の一人として、後輩を鍛えるのも責務の一つだろう。
「……よし、気が変わった。早速訓練をしようか。そっちはロクにES能力を使えないだろうし、体術オンリーで相手をしてやる」
「え、あ、はい! よろしくお願いします!」
「うん。うちの期の『支援型』は優秀だから、例え死に掛けようが多分治してくれる。安心してかかってこい」
「多分!? いやその、そもそも死に掛けるっていうのは……」
何でもないように言う博孝にツッコミを入れるが、博孝は聞いていない。腰を落として掌底を構えると、大きく息を吐く。
「強くなりたいのなら実戦が一番だ。こっちは殺すつもりでいくから、全力で抗え」
「……え? ほ、本気ですか?」
「当然だ。強くなりたいって思うのは大いに結構だが、『ES能力者』である以上は戦う時が必ず訪れる。それがいつなのかはわからないし、この前みたいに突然“向こう”からやってくることもあるんだ。備えておくに越したことはない」
体術もES能力も、そして心構えも。そのどれもが基礎すらできていないが、強くなりたいと願った以上はいつかぶつかる壁だ。
新入生は『ES寄生体』に襲われた経験はあれど、戦った経験はない。自主訓練で疑似的にでも“戦い”を経験しておけば、実戦で怯えずに済む。
「本当は沙織の方が過激に追い込んでやれるんだが、ちょっと手加減が下手でな。少しは“使える”なら自衛もできるんだろうけど、お前らが相手だと下手に動いて斬られそうだから俺が相手をする」
「さらっとすごいことを言ってますよ!?」
そう叫びつつも新入生は構えを取るが、入校してまだ一ヶ月も経っていないのだ。博孝から見れば、全員が隙だらけに見える。
「強くなりたいんだろ? そう決意して言葉にして、ここに来たんだろ? ES能力は基礎が出来てないと自爆する可能性があるから後回しだ。まずは体術を徹底的に鍛えてやる……いや、まずは徹底的に追い込んでやる」
強くなりたいと決意しても、その決意が脆ければすぐに投げ出すだろう。大場が遺した彼らがそうであるとは思わず、彼らの決意も固いものだと思うが、実際に追いつめてみなければわからない。
そんな博孝の様子を見た新入生達は、早まったかと後悔しそうになった。だが、その感情を気合いでねじ伏せると、己を鼓舞するように叫ぶ。
「よろしくお願いします!」
「良い返事だ。ああ、本当に良い返事だ――それでこそ追い込み甲斐がある」
そう言って博孝は獰猛に笑うと、開始の合図を待つ新入生達に問答無用で襲い掛かる。実戦に開始の合図などない、まずはそれを“教育”しよう。
そんなことを考えながら、博孝は一人ひとり丁寧に殴り倒していく。そうして一分もかけずに全員を気絶させると里香を呼んで治療を手伝ってもらい、新入生達が目を覚ますと今度は市原に声をかけた。
「市原、今度はお前が相手をしてやってくれ。俺達が卒業したらお前らが最上級生だからな。今の内に新入生の扱いを覚えた方がいい」
「はっ、了解です先輩!」
沙織と組手をしてボロボロになっていた市原だが、博孝が声をかけると元気よく返事をした。博孝は周囲を見回すと、各期の訓練生の中でもリーダーシップを取っている者を集める。
博孝達第七十一期訓練生が新入生を鍛えられるのは卒業までだ。その後に彼らの面倒を見るのは下の期の者達である。
今は博孝達の自主訓練に混ざって指導を受けている彼らも、新入生を指導するのは良い勉強になるだろう。それは新入生のためになり、教える立場を学ぶことにもつながる。
この場にいる者は、全員が大場の教え子だ。新入生が大場の遺志を守って強くなりたいと願うのなら、それを叶えるのが先輩の役目だろう。
自らの訓練もあるが、後輩を鍛えるのも非常に充実感がある。そうして博孝は活き活きと、どうやって新入生達を鍛えるか検討していくのだった。