第百五十二話:訓練校防衛戦 その4
『ES能力者』と『ES寄生体』――民間人にとって最も脅威なのは、後者である。
『ES能力者』は人間であり、意味もなく他者を襲う者は少ない。しかし、『ES寄生体』は意味もなく人間に襲い掛かる。
それは捕食が目的なのか、それとも人類の殺戮が目的なのかも不明だ。『ES寄生体』の行動原理については多くの科学者、研究者が頭を悩ませており、『ES寄生体』が初めて発見されて五十年以上の時が流れているにも関わらず、明確な答えが出ていない。
無論、“こうではないか”という予測は立っているのだが、それは専門知識がない民間人ですら想像ができる理由だ。捕食か殺戮か――そのどちらであろうとも、実際に『ES寄生体』に襲われる立場になれば関係がない。
『ES寄生体』は自分達を襲う敵であり、その事実さえあれば十分だった。
「おら、お前らビビってんじゃねえぞ! 相手は精々、銃器が効かないライオンみてえなもんだ! しっかりと目をこじ開けて相手の動きを見てれば対処できる!」
部下にそんな言葉をかけながら自動小銃を犬型『ES寄生体』に向け、野口は指切り点射で数発ずつ弾丸を発射する。部下達も銃口を向けて引き金を引くが、銃口から吐き出される鉛玉は通常弾だ。
犬型『ES寄生体』は機敏な動きで回避しようとするが、数発命中しても感じるのが衝撃だけと気付いて獰猛な唸り声を上げる。
さすがに撃たれた後の弾丸を回避できるほどの機敏さはないが、それでも野口達の攻撃では殺傷されないと判断し、眼前の人間達を食い散らかすべく“真っ直ぐ”に突進し――。
「――まずは一発」
左耳に激痛が走り、思わず後方へと飛び下がった。
「グルルルルルルッ」
唸り声を上げつつ、犬型『ES寄生体』は警戒するように距離を取る。その視線の先では、自動小銃から手を離して拳銃を抜いた野口の姿があった。
「ちっ……やっぱり鈍ってんな。一発で仕留めるつもりだったんだが……」
愚痴のように呟く野口。拳銃から放たれた弾丸は対『ES能力者』用の弾丸であり、狙ったのは敵の眼球だ。
戦闘時に『防殻』を使う『ES能力者』ならば通用しないが、『防殻』すら発現できない、己の肉体のみで戦うタイプの『ES寄生体』ならば野口でも対処しやすい。
通常の弾丸が効かないのは『ES能力者』も『ES寄生体』も変わりがないが、日本が誇る『付与』の使い手、柳によって作られた対『ES能力者』用の銃弾ならば話は別だ。
さすがに『防殻』を貫くほどの威力はないが、『防殻』を発現できないタイプの『ES寄生体』ならば十分に通用する。
そして幸運なことに、遭遇したのは『防殻』が使えないタイプの『ES寄生体』だ。時折『防殻』は使えずとも『射撃』などを使う場合もあるため油断はできないが、距離がある状態でも使ってこないところを見ると、『射撃』が使えないのだろう。
それならば、十分に勝ち目がある。対『ES能力者』用の弾丸は数が限られているが、それでも『ES寄生体』の一匹や二匹は料理できるだろう。野口はそう思った。
(しかし、本当に腕が落ちてんな……)
同時に、少しばかり自分自身に対して不満を覚える。今も犬型『ES寄生体』に対して銃口を向けて牽制しているが、本来ならば最初の一発で仕留めるつもりだった。
『ES寄生体』には様々な種類がいるが、野口にとって犬型は対処しやすい。ES能力を使われればその限りではないが、四本足で地面を駆ける以上、動きは直線的なものが多いのだ。
それに加えて、体の構造上顔が前に出る。『ES寄生体』が持つ頑強な肉体に対『ES能力者』用の弾丸を撃ち込んでも効果は薄いが、犬型の場合は手っ取り早く死滅させる方法があった。
――それは、眼球を撃ち貫いてそのまま脳まで破壊することである。
単純明快にして、非常に効果的な一撃だ。相手が熊や猿などの前肢を走ること以外の用途に使う動物ならば防御されることもあるが、犬型が相手ならばそれもない。
直線的に動き、なおかつ『防殻』がなければそのまま急所を一撃で破壊できる。故に、対処がしやすかった――“過去”の野口にとっては。
真っ直ぐ突っ込んできた『ES寄生体』の眼球を狙ったはずが、弾丸は僅かに逸れて左耳を貫いただけである。拳銃は有効射程が短いため仕方がない部分もあるが、“昔”ならば一発で仕留められた自信が野口にはあった。
「お前ら、ぼうっとしてんな! 近くの訓練生に連絡を入れろ! 『ES寄生体』と交戦中、可能ならば救援を求むってな!」
ついでにいえば、『ES寄生体』に手傷を負わせた野口に呆然とも感嘆とも言えない視線を向け、そのまま固まっている部下達にも不満がある。野口が指示を出すと慌てて連絡を取り始めるが、もっと早く動けと言いたかった。
「それとお前ら、弾を無駄遣いしすぎだ! いくら通常弾つっても、フルオートでぶっ放せばいいってもんじゃねえだろ! 自動小銃で牽制、近づいたら拳銃で対応しろ! 可能ならナイフで殺せ!」
「ナイフは無理であります、伍長殿!」
実戦経験が少ない部下に野口が叫ぶと、即座にそれは無理だと返答される。警戒して距離を取ったまま近づいてこない『ES寄生体』を牽制しつつ、野口は肩を竦めた。
「情けねえなあ……俺は仕留めたことあるぞ」
自分ができたのだから不可能ではない。そう主張する野口に対し、部下達は頬を引き攣らせた。
この状況では、そんな野口の言葉がとても頼もしい。部下達がそんなことを思っていると、野口が大きく舌打ちをした。
「くそっ……追加がきやがった。訓練生に連絡は!?」
叫ぶ野口の視線の先。そこには、訓練校の外壁を乗り越えて侵入してくる二匹の『ES寄生体』の姿があった。
「あ、あと一分ほどかかるそうです!」
敵戦力が増えたことに気付き、それまで僅かに漂っていた楽観が兵士達の中から消え去る。外壁を乗り越えたばかりということで接近まで三十秒ほどかかるだろうが、二匹の『ES寄生体』が合流すればどうなるか。
「――退くぞっ! 校舎の中に撤退する!」
野口は即断すると、対峙していた『ES寄生体』に向かって自動小銃の弾をばら撒く。『ES寄生体』にとっては“どの弾丸”が自分を殺傷するかわからないため、大きく回避行動を取って後ろへと下がった。
その間に野口は部下を連れて駆け出し、校舎一階の窓に向かって自動小銃の残り弾を発射。窓ガラスを破壊してから跳躍し、窓のふちに手を掛けつつ校舎内へと飛び込む。部下達もそんな野口に続き――背を向けたことで『ES寄生体』も突進してくる。
通常の学校とは異なり、訓練校の校舎はそれほど大きくない。正面玄関から見た場合、玄関から右手に食堂や購買、左手に教室と二階への階段が存在する。二階には“職員室”や会議室、物置があるぐらいだ。
野口達は校舎の裏手から窓ガラスを破壊して室内に飛び込んだが、野口以外はその意図が理解できずに目を瞬かせる。その疑問を察知した野口は、床に散らばったガラスを踏み割りながら移動を開始した。
「室内なら相手も動きが制限される! ただし、こちらも跳弾に注意しろ! ついでに“土産”を置いていく! 全員、階段方面へ移動しろ!」
そんな指示を下しつつ、野口は腰元から手榴弾を外して手に取る。『ES寄生体』が真っ直ぐ向かってきているのを確認すると、部下を移動させつつ安全ピンを抜き、床へと転がした。
『ES寄生体』からすれば、校舎の壁が邪魔をして野口の行動を見ることができない。そもそも、『ES寄生体』に野口の行動を理解できるだけの知能があるかも不明だ。
それでも、“獲物”が屋内に逃げ込んだことに変わりはない。犬型『ES寄生体』は野口が破壊した窓に向かって跳躍して、窓枠ごと破壊しながら校内へと侵入し――。
「ッ!?」
野口が転がしておいた手榴弾が炸裂し、体の真下で轟音と衝撃が発生した。
さすがの『ES寄生体』と云えど、至近距離で炸裂した手榴弾には痛手を負う。爆発の衝撃と飛散する破片によって胴体部分に傷がつき、微量ではあるが出血を強いた。
いくら『ES寄生体』でも、至近距離で炸裂する手榴弾の威力は肉体の頑強さを超える。それでも致命傷どころか裂傷程度しか負っていない辺り、厄介極まりないが。
もっとも、野口が狙ったのは手榴弾による殺傷ではない。『ES寄生体』に有効なのは現代兵器ではなく、専用の武装である。
手榴弾の爆風で床に散らばったガラス片も吹き飛んでおり、野口は手榴弾の炸裂から三秒の時間を置いて駆け出す。自動小銃は部下に預け、手に持つのはホルスターから抜いた拳銃一丁。ナイフもあるが、それは“とっておき”だ。
室内に飛び込むなり発生した爆発を受けた『ES寄生体』は、突如接近してくる野口への対応が遅れた。腹部に負った傷と全身を揺らすほどの衝撃が、咄嗟の行動を制限する。
それでも向かってくる野口を薙ぎ払うように右前肢を振るったのは、獣の本能が成したのか。命中すればコンクリートの壁すら破壊する一撃が、横薙ぎに振るわれる。
人間に命中すれば、それだけで絶命させることも可能な一撃だ。命中すれば全身の骨を圧し折り、その勢いを以って叩き潰し、車に轢かれた蛙のように即死するだろう。
――命中すれば、だが。
野口は跳躍し、校舎の壁を蹴りつけて更に上へと跳び上がる。そして天井スレスレまで跳躍して『ES寄生体』の前肢を回避すると、眼下に銃口を向け、躊躇なく引き金を引いた。
「死にな、犬っころ」
野口の動きに視線を釣られ、天井へと顔を向けた犬型『ES寄生体』の顔面に銃弾が直撃する。放たれた対『ES能力者』用の弾丸は寸分違わず左の眼球を抉り、眼孔へと侵入し、そのまま脳髄まで破壊する。
野口は猫のように空中で身を翻すと、犬型『ES寄生体』を飛び越えて着地した。『ES寄生体』は何が起こったのかわからず、それでも無事な右の目を野口へと向け――とどめの弾丸が命中する。
二発の弾丸で脳を完全に破壊された『ES寄生体』は、崩れ落ちるようにして廊下に倒れ伏した。息があるのか、それとも反射的なものなのか、体がピクピクと痙攣し、数秒も経てば完全に動かなくなった。
「や、やった! やりましたよ伍長!」
その光景を見た部下達は、驚きと歓喜に声を張り上げる。野口が元対ES戦闘部隊出身だとは聞いていたが、これほどとは思わなかったのだ。故に、部下達は諸手を挙げる勢いで野口の方へと駆け寄り。
「馬鹿野郎! 伏せろ!」
焦ったような声と共に、野口に蹴り飛ばされた。そのことに抗議しようとした瞬間、校舎の壁が“文字通り”吹き飛ぶ。廊下にいた野口や部下達を巻き込むようにして、爆弾でも爆発したかのようにコンクリートの壁が砕けて飛散する。
新たに侵入していた二匹の『ES寄生体』、その片方から『射撃』を撃たれたのだ。その殺気に気付いて部下を蹴り倒した野口だが、さすがに飛来する光弾を止めることも、飛来するコンクリート片を回避することもできない。
部下を蹴り飛ばした反動で距離を稼ぎ、頭に被った鉄帽を押さえつつ床へと転がる。地面に伏せても飛散するコンクリート片が容赦なく降り注ぐが、光弾が直撃するか、壁越しに炸裂して吹き飛ばされるよりもマシだ。
拳大ほどのコンクリート片が横腹に命中し、生木を圧し折るような音と感触、そして激痛が伝わってくるが野口は呻き声も漏らさない。敵の『射撃』が途絶えるなり痛みを噛み殺して立ち上がり、接近してきた『ES寄生体』に向かって拳銃の引き金を引きながら声を飛ばす。
「被害を報告しろ!」
「は、はい……ひっ!? に、二名やられました! 残りは重軽傷が三、無傷が二です!」
その報告を聞き、野口は内心で舌打ちをした。今の攻撃で二名が即死し、三人が重傷なり軽傷なりを負ったらしい。野口自身も軽傷と呼ぶには重い傷を負ったが、それでも動けないことはない。
「傷を負ってない奴、動ける奴は重傷者を回収して玄関から撤退! 男子寮方向へ逃げろ!」
そう叫びつつ、野口はマガジンの残り弾を使い切る勢いで引き金を引く。使っているのは拳銃のため弾幕は張れないが、それでも発射しているのは対『ES能力者』用の弾丸だ。
命中した『ES寄生体』は警戒するように動きを変え、その間に野口は部下を逃がそうとする。
「野口さん! どこですか!?」
すると、校舎の外から中村の声が聞こえた。野口の部下からの連絡と、銃声や爆発音を聞きつけて駆けつけてきたのだ。その後ろには和田が続いており、戦力を半分に割いて応援にきたらしい。
そのことに野口が内心で感謝していると、校舎に突入しようとしていた『ES寄生体』の一匹が進路を変え、中村と和田へと襲い掛かった。二人が『ES能力者』であることを見抜き、脅威だと思ったらしい。
しかし、もう一匹は進路を変えず、校舎内へ侵入しようとする。『射撃』が使える個体は中村達の方に向かったため遠距離攻撃に怯えなくて済むが、野口としても手持ちの武装が厳しい。拳銃のマガジンを抜き取り、新しいものを差し込みつつ武装を確認する。
(残りは閃光手榴弾一つにナイフ一本、拳銃用のマガジンはなし、か……)
中村達が『ES寄生体』を倒すのが先か、校舎に侵入を許すのが先か。それを頭の片隅で思考しつつ、野口は拳銃の引き金を引く。その答えは、高確率で後者だ。
野口は地面に転がるコンクリート片に足を取られないよう注意しつつ、階段方向へと少しずつ移動する。その際、崩れた壁に埋もれて身動ぎひとつしない部下の姿が視界に入り、歯を強く噛み締めた。
「やってくれたな……犬っころ共!」
部下の死を悼む暇は、寸秒たりとも存在しない。それでも野口は部下の方へ手を伸ばし、下敷きになっていなかった自動小銃を掴む。そして残弾を撃ち尽くした拳銃を放り、流れるような動きで自動小銃に弾丸を再装填。向かってくる『ES寄生体』へと引き金を引き、鉛玉をばら撒く。
「おら、こっちだ犬っころ!」
間違っても部下の遺体を荒らされないよう挑発しつつ、野口は階段に足をかけた。二階へ上がると逃げ道がなくなるが、それでも“手”はある。その仕掛けを行うべく野口は階段を駆け上がった。
「ひっ!?」
「――あ?」
そして、階段を半分登るなり、踊り場の隅で小さく悲鳴を上げて蹲る女子生徒を発見する。階段を登るまでは気付かなかったが、ずっとその場所にいたのか、階段を上ってきた野口に怯えるような視線を向けた。
着ている服は、訓練生用の制服。中学校を卒業してそれほど時間が経ってないように見える、僅かな幼さが残る顔立ち。場所的に、姿が見えなかった第七十五期訓練生の一人だろう。
警報を聞いて動けなくなったのか、あるいは『ES寄生体』との戦闘音を聞いて動けなくなったのか。それは野口にはわからなかったが、この局面においては致命的なまでに“場違い”な存在に見えた。
その少女を見た時、野口の脳裏にいくつかの案が浮かぶ。
――この訓練生に迎撃してもらう?
どう見ても、どう考えても無理だ。迫り来る『ES寄生体』にわざわざ“食事”を提供するようなものである。
――この場に放置する?
時間稼ぎにはなるが、野口の今の任務は訓練生の保護だ。いくら戦闘中といえど、本末転倒にもほどがある。
――この場から逃がす?
階段下には『ES寄生体』がいるというのに、どこから逃がすというのか。『ES能力者』ならば二階の窓から外に放り出しても怪我一つしないだろうが、自力で移動することすら不可能に見える。抱え上げて窓から放り投げるにも、時間が足りない。
それらの案が脳裏に浮かぶが、そのどれもが悪手。故に、野口が取ったのはシンプルかつそれ以外にはないと思える手だ。
「ちょいと失礼するぜ」
そう言いつつ、野口は許諾も得ないまま女子生徒を抱え上げる。肋骨の折れた脇腹から激痛が走り、大量の汗が出てくるが、今は痛がっている暇もない。女子生徒は野口の行動に意識がついていかないのか、体を硬直させて目を瞬かせるだけだ。
その間にも『ES寄生体』が階段下へと到着し、野口達へと飛びかかろうとする。野口はそれを制するように片手で自動小銃を向けると、命中など期待せずに引き金を引いた。
今求めるのは、僅かな時間。『ES寄生体』を少しでも後ろに引かせれば、それで良い。
自動小銃は片手で保持するには重く、反動も馬鹿にならない。そのためマガジンの残弾全てを打ち切るよりも先に野口の手から零れ落ちたが、『ES寄生体』を少しばかり後ろへ引かせることに成功した。
それを見た野口は、腰元の閃光手榴弾を手に取る。そして安全ピンを外して階段の踊り場に転がすと、女子生徒を抱えたままで階段を駆け上がりつつ、叫んだ。
「対衝撃、閃光防御!」
「……え? えっ?」
しかし、女子生徒には何がどうなっているかもわからない。それを察した野口は階段を登り切ると、廊下へと飛び込み、女子生徒を下ろして正面から抱き締める。もっとも、抱き締めるといっても色っぽいものではない。
女子生徒の頭に右腕を回して耳と目を覆い、ついでに左腕で顎を掴んで口を開かせる。野口自身は耳をふさぐことができないが、仕方ないと思えた。
自分が抱き締めているのが『ES能力者』の少女であり、閃光手榴弾に巻き込まれても大きな被害はないということも頭から抜け落ちている。恐怖に震える女子生徒を見た時、『ES能力者』ではなく守るべき一人の子供だと思ってしまったのだ。
野口も目を閉じて視線を逸らし、音と衝撃に備えた次の瞬間、階段口の方から轟音と激しい閃光が溢れた。それは閃光手榴弾が炸裂した効果を示すものであり、それを確認した瞬間、野口は女子生徒から身を離して駆け出す。
階段の天辺から眼下を見下ろしてみると、そこには閃光と衝撃を受けて体をふらつかせる『ES寄生体』の姿があった。元々は獣というだけあり、聴覚も並外れていたのだろう。閃光手榴弾によって視覚を奪われ、聴覚も“破壊”された。
そしてそれは、野口が思い描いた絶好の好機。太もものホルダーからコンバットナイフを引き抜くと、階段の手すりを飛び越えて一階へと落下する。
野口が手に持っているナイフは、対『ES能力者』用に作られたものだ。沙織が持つ『無銘』のように一から鍛えられたものではないが、それでも『付与』によって『構成力』が込められており、『ES寄生体』の肉体を裂く程度のことはできる。
それに落下エネルギーと野口の腕力を加えれば、答えは一つしかない。閃光手榴弾によって身動きできない『ES寄生体』の頭上から落下した野口は、脳天目掛けてナイフを抉り込む。
『防殻』を発現していても貫いたであろうその一撃は、犬型『ES寄生体』の頭蓋骨ごと脳を貫いた。野口はその手応えに確信を得るが、油断せずナイフを力任せに捻り、傷口を大きく広げていく。
「ガアアアアアアアアァァッ!?」
激痛と、最後の足掻きに体を大きく捩る『ES寄生体』。我武者羅に頭が振られ、野口を引きはがそうとする。前肢を振るい、野口を弾き飛ばそうとする。
だが、死にかけの体で振るわれた前肢に大きな威力はない。野口は左腕を折りたたんで防御し、右手はナイフを離さず、『ES寄生体』を死の淵へと追いやっていく。
「大人しく――死んどけ!」
殴られた衝撃で左腕から嫌な音が響くが、その衝撃すらも利用して野口は『ES寄生体』を“切開”する。右手のナイフを力任せに振りきり、二メートル近い巨体に蹴りを入れ、一階の廊下へと蹴り倒す。
その一撃がとどめになったのか、『ES寄生体』は音を立てて床に倒れ伏した。数回痙攣するものの、体を起こす様子はない。野口はしっかりと死んでいることを確認すると、折れた左腕と脇腹を庇いつつ、階段を登っていく。
『ES寄生体』二匹を始末するには、安い出費だろう。そんなことを考えながら階段を登りきると、未だに震えが止まらない女子生徒へと痛みを堪えつつ笑いかけた。
「よう、お姫様。そんなところで震えてないで、さっさと脱出すんぞ」
そう言って、無事だった右手を差し出す。しかし女子生徒は腰が抜けているのか、手を伸ばすだけで立ち上がることができなかった。それを見た野口はナイフをホルダーに仕舞い、携帯電話を取り出す。
「連絡を……って、うんともすんとも言わねえ……」
携帯電話を取り出したものの、画面がブラックアウトしたまま反応しない。よくよく見てみると、背面に大きく凹んだ痕があった。校舎外から『射撃』を受けた際、飛び散ったコンクリート片が命中していたのだろう。
野口はため息を吐くと、顔色が悪いままの女子生徒に視線を向ける。
「嬢ちゃん、携帯は?」
そう問うが、女子生徒は首を横に振った。どうやら、校舎に逃げ込んだ際に落としてしまったらしい。野口は困ったように頭を掻くと、女子生徒に背を向けようとする。
「応援を呼んでくるから、この場に待機して……って、離してくれねえか?」
だが、女子生徒に右腕を掴まれ、背を向けることができなかった。野口は困ったように、大仰にため息を吐く。女子生徒からすれば、この場に置いていかれることが恐怖でしかないのだろう。
「仕方ねえな……文句は聞かねえぞ?」
そう判断した野口は、右腕を女子生徒の腰元に回して力任せに持ち上げた。少々――かなり辛いが、それでもこの場に女子生徒を置いていくわけにもいかない。
二階の窓から外の様子を窺うが、中村達が『ES寄生体』を倒したのか、戦闘音はしなかった。野口は安全だろうと判断すると、女子生徒を抱えたままで階段を下り始める。しかし、その途中で“何か”に気付き、女子生徒に気まずそうな声をかけた。
「あー……嬢ちゃん、先にトイレに連れて行ってやろうか?」
「っ!?」
野口が問うと、担がれた女子生徒は大きく身を震わせる。至近まで接近した『ES寄生体』や激しい戦闘音を聞き、かつてないほどの恐怖を覚え、失禁していたのだ。
他の生徒と合流する前になんとかしてやろうかと考えた野口に対し、女子生徒は恥ずかしさから軽く拳で叩いて抗議する。しかし、叩いた場所は肋骨が折れた脇腹だった。そのため、野口は思わず女子生徒を落としそうになる。
「あぎっ!? ちょ、そ、そこは、折れてるから……勘弁してくれっ!」
野口がそう言うと、女子生徒は慌てて手を止めた。それでも素直に謝ることができず、沈黙してしまう。野口はゆっくりを階段を下りつつ、そんな女子生徒に対して苦笑を向けた。
本音を言うならば、野口としてはさっさと避難していてほしかった。それでも、恐怖に震えていた少女にそんな言葉をかけるわけにもいかず、言葉を選ぶ。
「なに、恥ずかしがることじゃねえ。こういった命の奪い合いをやってるとよくあることだ。悲鳴を上げなかっただけ立派なもんさ」
大の大人、訓練を積んだ兵士でも、初陣で『ES寄生体』を目の当たりにすれば腰を抜かすこともある。それを思えば、野口としても少女の反応は仕方ないと思った。
少女を担いだままで周囲を警戒し、そのまま玄関へと向かう。校舎裏の確認もしたかったが、武装はナイフ一本しかなく、この状況で襲われてはひとたまりもない。そのため校舎の玄関周辺に敵影がないことを確認すると、一歩踏み出し――上から気配が降ってきた。
「ひっ!?」
女子生徒が思わず悲鳴を上げるが、野口は動じた様子もなく口を開く。
「遅えよ、博孝」
「すいません野口さん……って、血だらけじゃないですか!?」
上から降ってきたのは、『飛行』をカットしてそのまま落下してきた博孝達である。女子生徒が持つ『構成力』を感じ取って“翔けつけた”のだが、何故野口が荷物でも担ぐようにして抱えているのかがわからない。しかも、野口は全身血濡れだ。
「半分は返り血だ。二匹ほど『ES寄生体』を殺したんでな」
「はぁ、二匹も……はぁっ!? マジっすか野口さん!?」
話を聞いていた恭介が納得したように頷き――即座に目を見開く。『ES能力者』ならばそれほど驚くことではないが、兵士とはいえ普通の人間である野口の発言とは思えなかったのだ。
「ES能力を使わないタイプだったからな……『射撃』タイプは中村達が倒した。まあ、それでも部下が二人死んだが」
淡々と答える野口に対し、恭介は口を閉ざした。部下が二人死んだと言っているが、そこにどんな感情が含まれているのか。それが見えず、また、恭介もわざわざ問いただすことはしない。
「しかし、野口さんも重傷じゃないですか。ほら、その子を受け取りますよ」
博孝も詳しくは触れず、その代わりに野口が抱えている女子生徒を受け取ろうとする。野口はそれに頷いて女子生徒を引き渡そうとしたが、動きを止めて沙織に視線を向けた。
「長谷川の嬢ちゃん、お前さんに任せるわ」
「わたし、ですか? 別に構いませんが」
沙織は僅かに不思議そうな顔をしたが、女子生徒を受け取るとどこか納得したような顔付きになる。
「……まあ、博孝には任せられないわね」
そして小さく呟くと、女子生徒を背負う。女子生徒は申し訳なそうな顔をすると、何かに気付いたように野口へ視線を向けた。
「あ、あの……」
「ん? なんだ、嬢ちゃん」
野口は怪我など気にしていないように懐から煙草の箱を取り出すと、一本引き出して口に咥える。地面に転がった際の衝撃が大きかったせいか、煙草は少しばかり曲がっていた。
そんな野口の様子を見た女子生徒は数度視線を彷徨わせたものの、沙織に背負われた状態で頭を下げる。
「た、助けてくれて、ありがとうございました!」
その言葉には、心底からの感謝が込められていた。色々と羞恥心を刺激される部分もあったが、野口に助けられたことに変わりはない。
野口はオイルライターで煙草に火を点けると、一息吐いてから女子生徒に視線を向けた。
「気にすんな、これが俺の仕事だ」
今回は敵の“弱さ”に救われたが、それでも部下が二人死んだ。下手をすれば自分も死んでいたため、野口としてはそれ以上のことが言えない。
「で、でも……」
しかし、救われた側である女子生徒からすれば、野口の発言には的確な返答をしかねた。野口はそんな女子生徒に視線を向けると、煙草のフィルターを咥えてから頭を掻く。
「こういう修羅場が嫌になったから転属を希望したのに、やってることが昔と変わらねえのはどうかと俺も思うが……こういった職に就いた以上、仕方ねえ。まあ、俺から言うことは二つだ」
そんな前置きをして、野口は言う。
「こういった緊急事態でも、ビビッて動けなくなるのはいただけねえ。せめて仲間のところまで避難しな。それと……」
そこまで言って、野口は言葉を切った。そして煙草をふかし、僅かに視線を逸らす。
「悲鳴を上げなかったのだけは、褒めといてやる。もしもお前さんが悲鳴を上げていたら、気を取られた部下か俺が死んでただろうからな」
それは、本来ならば褒め言葉でもなんでもない。それでも女子生徒の気を少しでも楽にしてやろうと判断し、口にしたのだ。
その言い様と態度が、自分達の“よく知る人物”に見えた博孝達は、思わず噴き出してしまった。すると、野口は博孝へと鋭い視線を向ける。
「……なんだよ博孝。言いたいことがあれば言えよ」
「いいえ、なにもないですよ? さあ、まずは移動しましょう。第七十五期の訓練生と中村達を拾って、中央校舎まで移動します。野口さんは移動できそうですか?」
野口の言葉を軽く流し、博孝は移動を促す。その際野口の体調を気にするが、野口は短くなった吸殻を踏み潰しながら口の端を吊り上げた。
「はっ、馬鹿言うな。もう一匹『ES寄生体』を倒せるぐらいには元気だっつーの」
不敵に笑って言い放つ野口。その言葉を聞いた博孝は、『この人も意地っ張りだな』などと思いつつ移動を開始するのだった。
同時刻、訓練校正門より二百メートルほど離れた地点に、複数の人影があった。二百メートルと言っても、それは道路に沿った距離ではない。
防衛部隊用に建てられた宿舎や設備などが建ち並ぶ一角、本来ならば兵士達が行き来するような場所に、訓練生と校長である大場の姿があった。
大場は職務上、訓練校の内部ならばどこにでも足を運ぶ。そして、今日は所用があって兵士の宿舎へと足を運んでいた。
建造からそれなりに長い時間が経っているため、ガタがきている部分があるらしい。兵士の宿舎といえど訓練校の施設ということで足を運び、そして『ES寄生体』の襲撃に巻き込まれた。
四人の兵士に促され、大場は中央校舎へと避難を開始するが、そこで校内を見て回っていた新入生五人を発見する。突然の警報を聞き、とりあえず近くの建物まで避難してきたようだ。
そのため校長である大場と合流することができたのだが、事態は好転しない。中央校舎まで避難することに変わりはなく、大場は怯える新入生達を励ましながら移動していると、訓練校の東と西から『ES寄生体』が侵入したという報告を受け取る。
このままではまずいと思いつつも歩を進めるが、中央校舎までは距離がある。少し危険だが軍用車両を使うか――そう考えた時、頭上に影が差した。
それは、人ならざる『ES寄生体』によるもの。大場が見上げた先にいたのは、唸り声を上げる犬型『ES寄生体』の姿。
『ES寄生体』の警報から経過した時間は、三十分にも届かない。
――絶望は、これからが本番なのだ。




