第百四十五話:演習任務 その5
「宇喜多中隊長、一人も殺してませんよね?」
「あん? 当然だろ。全員しっかりと“手を抜いて”殴ったっての」
「本当ですか? 中隊長、すぐに力加減を間違えるじゃないですか」
遠くでそんな声が聞こえ、博孝は薄れていた意識を強制的に覚醒させる。自分は宇喜多と戦っていたはずだが、と考えながら体を起こしてみると、部下に囲まれて文句を言われている宇喜多の姿があった。
「おっと、一人目覚めましたよ。中隊長もきちんと手加減ができるようになったんですか?」
「んん? ああ、あの坊主か。割と頑丈だったからな。すぐに目を覚ますと思ったぞ……ほれ、ちゃんと手加減できてるだろ? もう一人目を覚ましたぞ」
宇喜多と部下の会話を聞きつつ、博孝は視線を巡らせる。すると、傍で寝かされていた恭介が目を覚まして上体を起こした。
「いつつ……戦いはどうなったんすか……」
「恭介……俺達の負けだよ」
みらいや沙織が気絶した後に起こった、宇喜多による蹂躙。恭介はその頑丈さを活かして博孝とタッグを組んで挑んだものの、五発ほど殴られたところで沈んでしまったのだ。
恭介が倒れたことで防御が薄くなった博孝は、必死に逃げ回りつつ攻撃を行った。それでも気絶するのが早いか遅いかの違いしかなかったが。
「よう、思ったより元気そうだな」
博孝と恭介のもとへと歩み寄り、宇喜多は『治癒』を発現する。周囲に倒れている者達に対しても『治癒』を発現し、自分が殴った部分を治し始めた。
「中隊長、俺らも手伝いましょうか?」
「いらねえよ。そうだな……お前らは『空撃』の中佐殿の部隊に遊んでもらえ。良い機会だから、対地戦闘を磨き直しとけ。“隊長殿”からも許可はもらってるしな」
「うへぇ……あの人の部隊、射撃系ES能力の精度が半端じゃないから遠慮したいんですけどねぇ……ま、良い運動にはなりますか」
「おう。訓練生のガキ共に少しはカッコイイところを見せてこい」
そう言って追い払うように右手を振る宇喜多。部下達は笑って頷くと、砂原や渡辺のもとへと足を運んで話を行いにいく。
「さて……加減はしたが、痛いところはあるか? なるべく優しく叩いたつもりなんだが」
部下達を追い払うと、宇喜多は博孝と恭介に話を振った。博孝は宇喜多の『治癒』で痛みが引いていたが、恭介は眉を寄せている。
「少し両腕が痛いっす……」
「俺の攻撃を受け止めたからなぁ。だがまあ、良い頑丈さだぞ。その辺の陸戦部隊員なら、防御ごと叩き潰せたんだけどな」
「は、はは……潰れなくて良かったっすよ……」
笑いながら褒める宇喜多に対し、恭介は引きつった笑い声を上げた。里香を守るべく立ちふさがったが、かなり危険な行動だったらしい。
「安心しろ。アレに耐えられたのなら、並の打撃は余裕で耐えられる。お前ら、よく鍛えてんな。それとも砂原の奴が扱きすぎてんのか? というかそうだろ? あいつは昔からえげつないぐらい訓練してたからな」
どこか楽しげな様子で尋ねる宇喜多。彼にとってはその問いが当然のものらしい。砂原が厳しく鍛えているのだろう、と確信を持って尋ねている。
「まあ……否定はできませんね。あとは自主訓練に励んでいる成果が出たと思いたいです」
「俺としては教官の昔話の方が気になるっすよ。教官って昔から“ああだった”んすか?」
博孝は苦笑しながら肩を竦め、恭介は興味津々といった様子だ。
「おう。あいつは昔から“ああ”でな。もういっそのことマゾかよってツッコミを入れたいぐらいで」
「――教え子に妙なことを吹き込まないでいただきたいものですな、宇喜多大尉」
笑って答えようとした宇喜多の背後に、砂原が立つ。その声色は温度を感じさせないほど冷ややかなものであり、視線も冷たい。質問をした恭介は即座に地面に倒れ込み、気絶した振りをした。
「妙なこと? 事実だろうがよ」
だが、宇喜多は微塵も動揺しない。砂原の接近に気付いていたのか、砂原へと振り返った際の表情には笑みが貼りついていた。
「部下と教え子だと勝手が違うのかもしれねえが、やってることに大差はねえだろ。お前の元部下……そうさな、町田の奴にでも感想を聞いてみろ。きっと泣くほどに感激して“歌って”くれるぜ?」
「少しばかり厳しく接したことは認めます。ですが、それも部下を思ってのこと」
笑う宇喜多と、仏頂面で答える砂原。この時点で数人の生徒が目を覚ましていたが、会話が聞こえていたため体を起こすことができない。気絶した振りをした恭介などは、砂原の言葉を聞く度に体を震わせていた。
そんな二人を他所に、グラウンドでは宇喜多の部下三人と渡辺の部隊による“デモンストレーション”が行われている。『飛行』で接近する『零戦』の三人と、それを迎撃する第一陸戦部隊による演習だ。
第一陸戦部隊は博孝に対して行ったものと比べても重厚な対空射撃を行い、『零戦』の三人は舞うように軽やかな動きで濃密な弾幕を回避している。時折光弾が掠めそうになるが、発現した『防壁』に阻まれて直撃を許さない。
空戦部隊の中でもトップクラスの『ES能力者』というだけはあり、博孝の空戦機動が亀の歩みに見えるほどだ。発現している『防壁』も頑強であり、『射撃』や『狙撃』では撃ち抜くことができない。
時折渡辺が『爆撃』を発現しているが、『防壁』を破壊するのが限界のようだ。それでも渡辺の『爆撃』に合わせて部下から光弾が放たれ、『防壁』を発現し直す間に直撃のチャンスを生んでいる。
『零戦』一人につき陸戦一個中隊の火力を集中させているが、近寄らせないように状況を拮抗させるのが限界のようだ。演習のため攻撃手段を限定し、威力も抑えているため、実戦でどうなるかはわからないが。
宇喜多と砂原の“言い争い”から意識を逸らすため、そんなことを考えながら『零戦』と第一陸戦部隊の演習風景に意識を飛ばしていた博孝。恭介は相変わらず気絶した振りをしており、意識を取り戻した他の生徒も体を起こそうとしない。
そんな周囲の状況に気付いたのか、砂原は一度咳払いをした。その咳払いを聞いた恭介の体が大きく震えたが、砂原は何も言わない。その代わりに宇喜多へと鋭い視線を向けた。
「さて……教え子と戦ってもらったわけですが、評価を聞かせてやってもらえますか」
「評価? ああ……それも仕事かねぇ」
砂原が真面目な顔になったため、宇喜多は面倒そうに頭を掻く。それでも砂原の言葉に従う気があるのか、宇喜多は最初に博孝へ視線を向けた。
「まずはそこの……河原崎っつったか? お前さんはかなりバランス良く鍛えてるな。『万能型』だろうが、接近戦も遠距離戦もそれなりにできてる。防御もまあまあ。今回は見てねえが、支援系もいけるんだろ? “隠し芸”もあるし、ミニ砂原みたいな感じだな」
「はあ……教官に似てますか」
宇喜多の評価を聞いた博孝は、どう反応して良いか困ってしまった。戦い方が砂原に似ていると言われて嬉しく思うが、『ミニ砂原』などと言われては反応に困る。
「それと……おい、いつまで寝たふりしてんだ。さっさと起きろ」
次に宇喜多が視線を向けたのは、恭介だった。気絶した振りをしている恭介を蹴り起こし、評価を下す。
「『防御型』としては高い評価ができる……が、こいつはバランスが悪いな。防御は良くても攻撃が駄目だ。もうちょい攻撃の手段を増やせ。長所を伸ばしつつ短所を潰すのは砂原が得意なことだろ?」
バランスが悪いと聞き、砂原は内心で苦笑した。博孝は『万能型』ということで遠近問わない戦い方が出来るが、他の者は“偏り”が生じている。それは砂原としても危惧していたことだが、今回の演習任務で生徒達にも実感させることができただろう。
砂原がそう思っていると、宇喜多が継続して『治癒』をかけていた者や起きていたのに体を起こせなかった者達も上体を起こす。『零戦』の中隊長の評価と聞き、興味が勝ったのだろう。
沙織やみらい、里香も目を覚まし、周囲の状況を確認すると宇喜多の話に耳を傾けた。
「『武神』の爺さんの孫とちっこい嬢ちゃん。お前ら二人もバランスが悪いな。近接攻撃の腕は悪くねえが、そっちに意識が向き過ぎだ。孫の方は『飛刃』を覚えてるが、接近戦に比べりゃお粗末過ぎる。もっと腕を磨け」
自分を倒した相手の評価だが、沙織にとっては貴重なアドバイスだ。みらいは目を擦りつつ頷いている。
「他に気になったのは……ああ、そこの茶髪の嬢ちゃん」
「え? わ、わたしですか?」
里香は宇喜多から話を振られ、戸惑ったように首を傾げた。先ほどの戦いでは“戦力”としては役に立たなかったからだ。
「俺の『擬態』を見抜いたのは褒めてやる。良い観察力だ……だが、他がお粗末だな。『支援型』だろうが、もっと腕を磨きな。『支援型』だから仕方ねえかもしれねえが、今回みたいに仲間に庇わせるとその分他の奴らに負担が圧し掛かる」
「あ……は、はいっ」
里香が勢い込んで頷くと、宇喜多は満足そうに頷く。そして目を覚ました生徒達を見回すと、頬を掻いて残りの評価を“まとめて”下す。
「目立っていたのはそれぐらいか。他の奴らも訓練生としては鍛えられてるが、全体的に技量を伸ばす必要があるな。幸い、お前らの教官は鬼も裸足で逃げ出すぐらいには厳しい訓練を施してくれる……ま、頑張れや。全員良い筋してるぜ?」
ぶっきらぼうに言って、宇喜多の評価は終わった。手厳しいが、それでも褒められた部分もある。『零戦』の中隊長からの言葉に、生徒達は表情を引き締めて頷いた。
『はいっ! ありがとうございます!』
「……さて、次は俺らの出番かね」
生徒達から向けられる真剣な眼差しから視線を逸らし、宇喜多は砂原へと話を振る。普通の訓練生はボロ負けしたことに対して拗ねることもあるのだが、程よく“教育”されているらしい。
助言に対して真剣に受け止められ、宇喜多としては多少気恥ずかしかったのだ。そのため砂原に話を振ったのだが、何十年もの付き合いがある砂原はニヤリと笑った。
「そうですな、照れ屋の宇喜多大尉殿?」
「テメェ……」
こめかみに青筋を浮かばせる宇喜多だが、砂原は飄々と受け流す。グラウンドで行われていた『零戦』三人と第一陸戦部隊による演習も状況が膠着していたため、“引き分け”ということで決着がついていた。
そして、演習任務は最後の舞台へと移る。砂原と宇喜多、新旧の『零戦』中隊長による模擬戦が始まるのだ。
「それじゃあ、審判は俺達が務めますね。でも、あまり“羽目”を外さないでくださいよ? 訓練校の施設を破壊したら洒落になりませんし」
「わかってるっての。つうか、それは砂原の奴にも言ってやれよ」
砂原と宇喜多の模擬戦が行われることとなり、『零戦』の三人が審判と“流れ弾”対策を行うことになった。他の期の教官達も駆り出されているが、自分達の教え子の防御に注力しているためそれほど動けない。
「“元”中隊長なら大丈夫でしょう? 宇喜多中隊長と比べたら『構成力』の制御能力が雲泥の差ですし」
第一陸戦部隊と演習を行ったにも関わらず、宇喜多の部下達には余裕が残っている。宇喜多に対してからかうような言葉を掛けつつも、油断なく見学者達の配置に意識を向けていた。
「さて、そいつはどうかねぇ。砂原が相手ならこっちも本気を出さなきゃならねえ……が、今のアイツにそこまでの“余裕”があるのかね?」
「あの『穿孔』が腕を落としていると?」
「少なくとも、『零戦』にいた頃よりは落ちてんだろ。正規部隊から二年以上も離れてんだ。いくらガキ共の任務で敵性『ES能力者』と戦ったっていっても、限度がある」
距離を取って対峙している砂原に視線を向けつつ、宇喜多は言う。砂原の纏う雰囲気は、『零戦』の頃から変わっていない。鍛え上げられた鉄のような、重厚は気配を放っている。
――しかし、“中身”はどうか?
ラプターを取り逃がしたという話を聞いた時、宇喜多は相手の技量に対して感嘆の念を抱いた。“あの”『穿孔』と交戦して逃げ延びたという話は、それほどまでに衝撃的だったのである。
だが、もしも砂原が腕を錆び付かせていたのならどうだろうか。宇喜多は砂原の技量が劣化したとは微塵も疑わなかったが、実戦から離れると“勘”が鈍るのも確かだ。
訓練を重ねた精強な新兵が、実戦で醜態をさらすことは珍しくない。砂原がそこまで“初心”だとは寝言でも言えない宇喜多だが、実戦から離れたことで戦いに対する感覚が鈍っている可能性は高かった。
砂原もそれを自覚しているのだろう。そうでなくては、わざわざ砂原が『零戦』に模擬戦を申し込むはずもない。教え子の演習任務に絡めてはいるが、本来は余分な話だ。
訓練生達に質の高い戦いを見せたいという意図もあるのだろうが、などと考えたところで宇喜多は思考を打ち切った。砂原の腕が錆び付いているというのも、宇喜多の一方的な予測である。
(砂原なら、以前の練度を保っていてもおかしくはねえ、か……基礎である『防殻』を発展させて『収束』を生み出すような“馬鹿”だしな)
戦いの前に予断は不要だ。そう判断し、宇喜多は砂原と対峙する。砂原も宇喜多と向き合い、互いに戦闘態勢に入った。
そんな二人を遠くから眺めていた博孝達は、音を立てて唾を飲み込む。他の期の生徒達はどちらが勝つのかと気楽に話し合っているが、そんな余裕はなかった。
砂原と宇喜多、『零戦』の中隊長クラスの『ES能力者』による模擬戦だ。一瞬たりとも見逃すまいと、目を皿のようにして二人の動きを注視する。
第一陸戦部隊との小隊、中隊での演習や宇喜多との演習とは異なり、これから行うのは見取り稽古のようなものだ。それも、観察する相手が二つ名持ち同士という豪華な対戦カードである。目を離すのは勿体なさすぎた。
演習での疲労も全て忘れ、第七十一期訓練生達は真剣な面持ちで観戦の態勢を整える。宇喜多の部下達も準備を終えたのか、砂原と宇喜多の様子を確認した。
『準備は整いましたね? それでは、これより宇喜多大尉と砂原軍曹の“模擬戦”を開始します』
『通話』でそう宣言し、宇喜多の部下が右手を掲げる。見学者は全員砂原と宇喜多に注目するが、不気味なほどに静かだ。
『では……開始!』
そして開戦の合図が告げられる――が、両者とも動かない。五十メートルほど距離を取って向かい合い、静かに睨み合っている。『防殻』すら発現せずに視線をぶつけ、ゆっくりと構えを取っていく。
砂原は左手を前に、右手を腰だめに構えつつ腰を落とす。それに対する宇喜多は握り締めた両拳を構えた。
しかし、それでも二人は動かない。構えを取ったままで動かない。静かに、それでいて重苦しい空気が周囲を包み始める。
『そういや、お前とこうやって向き合うのは何度目かね?』
重力が変わったかのように重たい空気の中で、宇喜多が天気でも尋ねるような口振りで言う。『通話』を発現しているのは、これが訓練生に“見せるため”の模擬戦だと理解しているからだろう。
『さて、な……さすがに細かい数字は覚えていない。十万回かそこらだろう?』
模擬戦だからか、答える砂原は宇喜多に合わせた“対等”なものだ。二人の間だけで通じるものがあるのか、その声色には奇妙な親しみが込められていた。
『そんなもんか』
『そんなものだ』
何が楽しいのか、宇喜多はくくくっ、と笑う。その意識が周囲へ向けられ、『通話』による声が放たれる。
『さあて、訓練生のガキ共はちゃんと目を見開いて見てろよ? 四十年近く研鑽を重ねりゃあ、“ここまで”戦えるっていう見本だ』
『大層なあだ名で呼ばれることが、伊達ではないということをお見せしよう』
それで話すべきことはなくなったのか、砂原と宇喜多の周囲の空間が揺らぎ始めた。それが『構成力』の発現の前兆だと気付いた博孝は目を細め――即座に見開く。
――大気が、二人の周囲の空間が爆散した。
砂原と宇喜多が『構成力』を全開にした瞬間、空振に似た衝撃が地表を駆け巡る。地面に積もっていた砂埃が一斉に吹き飛び、訓練生の訓練用に硬く整えられたグラウンドに亀裂が走る。
あまりにも巨大な『構成力』に驚き、下級生の生徒達は尻餅をつく者が続出した。距離を取って見ていた博孝達も、肌を震わせるほどに強力な『構成力』を感じ取って頬を引きつらせる。
「ここまでとは、な……」
「……ええ」
口を開くことができたのは、博孝と沙織だけだ。それでも声に感情がこもっておらず、辛うじて絞り出したということが窺える。
『防殻』を発現して『構成力』を全開にした宇喜多と、『収束』を発現した砂原。人生の半分どころか、七、八割は『ES能力者』として生き抜いてきた二人だ。そんな二人を平然と眺めているのは、腕組みしながら視線を送る渡辺ぐらいである。
そうやって呆然とする見学者達を尻目に、砂原と宇喜多は激突した。地面を蹴り割るほどの勢いで駆け、踏み込むと同時に拳と掌底をぶつけ合う。
砂原の掌底めがけて拳を叩き込んだ宇喜多と、それを迎え撃つ砂原。両者の右手は空中で激突し、数瞬遅れて轟音が鳴り響く。
それは神話の再現か、はたまた神話の創成か。
砂原と宇喜多は互いの動きに見慣れており、放つ拳が、掌底が、蹴りが、そのすべてが予定調和のようにぶつかり合う。模擬戦とは思えない威力の打撃による応酬だが、両者とも被弾はない。
ぶつかり合う度に轟音が鳴り響き、空気が弾け、空間が軋む。離れている博孝達のもとに衝撃が伝わり、一撃の重さを伝える。
博孝達からすれば、繰り出される打撃の数々が一撃必殺だ。全力で防御を固めても、一撃防げれば御の字だろう。それほどまでに桁外れの攻防だ。
砂原と宇喜多は『飛行』を発現すると、僅かに浮き上がって空中戦へと移行する。移動の瞬間に姿を消し、打撃がぶつかり合う瞬間のみ姿を見せた。それはほんの一瞬の膠着だが、見学者にも“見える”ように考えてのことだろう。
陸戦による体術での組手から空戦での組手へと移行し、そしてついにはES能力による攻撃を交えた模擬戦へと様相を変えていく。
一発一発が『狙撃』にしか見えない『射撃』をばら撒く砂原と、『防殻』の頑丈さに任せて突撃する宇喜多。
宇喜多が接近戦を行ったかと思えば、距離を離す砂原へと『砲撃』を叩き込む。砂原は『収束』を発現したままで手刀を振るって宇喜多の『砲撃』を切り裂き、お返しと言わんばかりに『砲撃』を発現する。
互いに一撃必殺で、それだというのに殺気はない。互いに“この程度”では死なないと思っているからだ。
「思ったよりは錆び付いちゃいねえな! 強くなってもいねえがよ!」
「お前こそ、相変わらずの『構成力』だ! 扱いは荒いがな!」
事実、拳を交える砂原と宇喜多は口元に笑みを浮かべていた。
空戦技能の粋を凝らし、莫大な『構成力』を発現し、遠近自在の攻防を行う。ぶつかり合う拳と掌底が轟音で空気を揺らし、放たれた光弾が相殺して白い光を散らす。
それこそ日本が誇る、数少ない二つ名持ち――敵に“そう呼ばれる”だけの価値があると認められた者達の戦いだ。
『穿孔』と『暴力医師』。両者共に長年の研鑽を重ね、激戦を体験し、数多の死線を潜り抜け、死神が肩に手を掛けようとも跳ね除けてきた歴戦の『ES能力者』。その両者による戦いは、轟音や衝撃と共に見学者の記憶に深く刻み込まれていく。
「訓練生の子らが羨ましいな」
二人の戦いを眺めていた渡辺は、周囲に聞こえない程度の声量でぽつりと呟いた。渡辺とて研鑽を怠ったつもりはないが、『飛行』を発現して戦える彼らには一歩劣る。それを自覚しているからこそ、『空撃』と呼ばれるほどに対空攻撃を磨いてきたのだ。
砂原と宇喜多の戦いを見た訓練生達が覚えるのは感動か、興奮か、それとも恐怖か。
ある者は奮起し、彼らのようになろうと志すだろう。
ある者は彼我の力量差を感じ、彼らのようにはなれないと思うだろう。
それでも、芽生える感情の“方向性”は違えど、胸に期するものがあるはずだ。彼らのようになれないと思いつつも、その裏では強く憧れる。
『ES能力者』とはここまで強くなれるのだと、鮮烈な記憶として刻まれた。届くかわからないが、それでも届かせるために歩を進めるだろう。
「……本当に、羨ましい限りだ」
個人としての技量を高め、部隊としての連携を極めた渡辺には、訓練生達のような大きな成長は最早望めない。そんな渡辺に比べれば、今の時点で“高い目標”を目の当たりにした訓練生達の今後の成長は目を見張るものになるだろう。
渡辺にそう思わせる砂原と宇喜多の戦いは、それから十分ほど続いた。自由自在に空を飛び回り、互角の戦いを演じる二人。その要所要所には訓練生でも習得できるような基本的な動きやES能力が含まれており、“見せるため”の模擬戦として質が高いものになっている。
莫大な『構成力』に目を取られがちだが、砂原も宇喜多も高い技術を活かした戦闘を行っていた。普段は“手加減”が必要な宇喜多も、相手が砂原ならばその必要もない。そのため、全力で戦えるのだ。
『構成力』の大きさで勝る宇喜多と、技術で勝る砂原。力と技のぶつかり合いに近いが、『零戦』の中隊長を務める宇喜多には並の『ES能力者』では比肩できないほどの技術がある。対戦相手である砂原の技術が卓越しているため、相対的に低く見えるだけだった。
そして、それは砂原にも言えることである。博孝の予想は外れておらず、砂原と宇喜多を比べれば後者の方が『構成力』が大きい。砂原が編み出した『収束』に対し、『防殻』で対抗できるほどだ。
空中で戦っていた二人の攻防は続き――大きな激突音を最後に、互いに首筋に右手を当てた状態で動きを止める。
砂原の右手には『収束』によって集められた『構成力』が、宇喜多の右手には発現しただけの莫大な『構成力』が宿り、互いに手を引けばそのまま首が落ちそうだ。
「こんなものか」
「こんなものだ」
その言葉にどんな意味が込められていたのか、二人は発現していた『収束』と『防殻』を解いて地面へと降り立つ。
『この勝負――引き分けとする!』
それを見た宇喜多の部下が勝負の決着を宣言するが、結果は引き分けだ。元より、今回の戦いは訓練生に見せるものである。そのため勝敗にこだわりはなく、砂原と宇喜多は引き分けたことに何の遺恨もない。
砂原は宇喜多から視線を外すと、自分の教え子達や見学をしていた他の期の生徒達へと視線を巡らせる。
『さて……訓練生の諸君、今の戦いを見てどう思った?』
そして、『通話』を発現してそんなことを尋ねた。その問いに対して、見学していた生徒達は互いに顔を見合わせる。
思うところは、色々とある。だが、それは言葉にならない。砂原は生徒達の返答を待たず、言葉を続ける。
『俺も、戦った宇喜多大尉も、『ES能力者』になってずいぶんと長い時を生きてきた。これが『ES能力者』としての集大成……などとは言わん。俺も宇喜多大尉も、まだまだ強くなる』
砂原は何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか。『通話』越しだが、生徒達は背筋を正して拝聴の体勢を取った。
生徒達の意識が向けられたことを感じ取ったのか、砂原は僅かに目を細めて視線を宙へ飛ばす。
『見ての通り、現在は“多少”戦えるようになった。だが、俺や宇喜多大尉にも諸君らと同じで訓練生の時期があってな……その頃の俺は、俺の教え子にも勝てないほどに弱かった』
多少などと言っているのは、砂原にとってはまだまだ自分を鍛えられると思っているからだろう。生徒達は何も言わず、砂原の言葉に耳を傾ける。
『今の戦いが諸君らの目にどう映ったか、どのように感じたかは、聞こうとは思わん。ただ、これだけは覚えていてほしい』
かける言葉は、『ES能力者』の先達としてだ。言葉に込められた感情は、訓練生の教官としてだ。
『諸君らには無限の可能性がある。研鑽を重ね、鍛錬を積み、いくつもの戦いを潜り抜ければ、“ここまで”手が届く……いや、追い抜くことも可能だろう』
そんな砂原の言葉を聞き、生徒の多くは信じられないといわんばかりにざわついた声を漏らす。
嘘だ、そんな馬鹿な、信じられない。そんな言葉が囁かれ――されど、声高に否定する者はいなかった。
『もちろん、その道程は易しいものではない。何度も挫け、何度も死にかけ、それでもなお“前に”進もうと足掻く……少なくとも、俺はそうして力をつけてきた』
そこまで言うと、砂原は一度大きく息を吐く。見学していた生徒達を見回し、最後に自分の教え子達へ視線を向ける。
『俺の教え子である第七十一期訓練生……彼らと第一陸戦部隊の戦いを見て、どう思った? 教え子達は日頃から自主的な鍛錬を行い、訓練生としては大きな力を身に付けつつある。それは、実際に戦ったことがある第七十期や第七十二期の生徒は知っているだろう』
砂原の言葉に対し、市原などは大きく頷く。第七十一期に敗北した第七十期訓練生達も、複雑そうにしながらも頷いた。
『そんな彼らも、第一陸戦部隊には敵わなかった。それは、第一陸戦部隊の面々がその実力に相応しい研鑽と経験を積んできたからだ』
次に頷いたのは、博孝達第七十一期訓練生である。実際に第一陸戦部隊と戦い、“地力”の違いを感じ取れたため素直に頷けた。
『もちろん、努力するかは個人の自由だ。しかし、『ES能力者』になった以上は正規部隊に進み、危険な戦いに身を投じることになるだろう。その戦いがいつ訪れるかはわからないが、いつか必ず訪れる』
砂原が言葉にした通り、『ES能力者』になった以上は危険が付きまとう。平穏な人生には程遠く、場合によっては戦いの最中で命を落とすこともある。訓練生ならば、まずは初陣を乗り越えることができるかを悩むほどだ。
『“昔”に比べれば、今は恵まれている。訓練校で三年間、“比較的”安全に『ES能力者』として鍛えることができる……もっとも、その三年間を漫然と過ごせば将来の自分の首を絞めることになるだろう』
そこまで言うと、砂原の雰囲気が変わる。戦闘中にも似た張り詰めた気配を振り撒きつつ、砂原は言う。
『実戦では、唐突に俺や宇喜多大尉のような『ES能力者』と戦うこともある。実力的に格上の相手、連携に優れる相手、独自技能を持った相手……様々な事態が発生し、諸君らに様々な選択を強いるだろう』
砂原の言葉は、あくまで仮定だ。しかし、その話を聞いていた博孝達は否定できない。“その状況”には既に遭遇しており、戦い抜いてきたからだ。
『一人の『ES能力者』として、先達として、教官として、諸君らに願うことは一つだ。いずれ訪れる危難、苦難を前にして、後悔するような道を歩まないでほしい』
教官や上官、先達が守れるのならば、その手を差し伸ばすだろう。だが、救いの手が差し伸べられないことは往々にしてあることだ。
だからこそ砂原は、願わずにはいられない。
『諸君らがそれらの困難に直面した時、絶望せず、挫けず、自らの力を以って打破することを祈る』
砂原の言葉を聞き、静まり返る生徒達。そんな生徒達をもう一度だけ見回し、砂原は最後に一言を告げて締め括る。
『願わくは、今日行われた演習が諸君らの“今後の一助”になればと思う』
その言葉を最後に、砂原からの話は終わる。そして、第七十一期訓練生と第一陸戦部隊、『零戦』の小隊による演習任務は幕を下ろしたのだった。