第百三十六話:交流戦 その2
その日、博孝達第七十一期訓練生達は普段通りに午後の実技訓練に備えていた。昼食を取り、訓練服に着替え、訓練が始まる五分前にはグラウンドに整列する。砂原が到着するまでは昼休みとして過ごせるため、各々が近くにいる者と雑談をしていた。
「今日はどんな訓練っすかねぇ……」
「五月も半ばだし、そろそろ次の任務に備えた訓練が始まるかもな」
「次の任務はどんな感じかしら?」
「前の任務が対ES戦闘部隊との合同任務だったし、三年目は他部隊との連携に関すること……とか?」
「おなかいっぱい……ねむい……」
第一小隊の面々は次回の任務について話し、みらいは昼食を食べ過ぎて膨らんだお腹と眠そうな目を擦っている。
他の生徒達もそれぞれがリラックスした様子で気を抜いているように見える――が、砂原の姿が見えた瞬間、背筋を正して表情を引き締めた。みらいだけは眠そうだったが、博孝と里香が頬をつつくと二人の指に反発するように頬を膨らませ、眠気を払っていく。
「……全員揃っているな」
博孝達のもとへと到着した砂原が声を掛けてくるが、その声を聞いた生徒達は『おや?』と首を傾げた。普段の砂原に比べると、覇気が足りないように感じたのである。
「教官、どうかしたんですか? なんか、お疲れな感じが……」
「奥さんと喧嘩でもしたっすか?」
博孝は心配そうに尋ね、恭介は砂原に“元気”を出してもらおうと冗談を飛ばす。しかし、次の瞬間音もなく踏み込んだ砂原が掌底で恭介の顎を跳ね上げ、地面から引き抜かれた野菜のように真上へと射出された。
「戯け。俺は一度も妻と喧嘩をしたことがない」
「おっと……体調の問題じゃないんですね。あと、ごちそうさまです」
落下してきた恭介が地面に打ち付けられないよう、右手で受け止めながら軽口を叩く博孝。恭介は気絶しなかったらしく、顎を押さえて呻き声を上げていた
砂原の踏み込みのキレから、体調的な問題ではないようだ。他の生徒達は動じた様子もなく、砂原の動きに対して小声で感想を交わす。
「今の一撃を防御できたら教官も褒めてくれるんだろうけどな……速すぎて防御が間に合わないかぁ」
「武倉でも無理なら厳しいだろ……というか、殴られるってわかっているのにあんなことを言えるのは尊敬する」
「教官、奥さんと一度も喧嘩したことないのか……教官の奥さんって見たことないけど、おしどり夫婦なのか?」
授業を開始する前の軽い空気を感じ取り、生徒達は口々に言い合う。砂原の様子から、“今は”まだ雑談をしていても問題ないと読み取ったのだ。
「里香さんや、恭介を治してやってくだせえ」
「え? う、うん……なんでさん付けなの?」
とりあえず恭介の治療を行うべきだと判断した博孝が里香に言うと、里香は『治癒』を発現して恭介の顎付近を治療していく。すると、それを見た砂原が感心したように頷いた。
「ほう……岡島はだいぶ『治癒』に慣れてきたようだな」
『治癒』は遠距離版の『療手』に近いES能力だが、四級特殊技能だけあって治療効果も高い。自分の手で患部に触れる必要がないため、慣れると複数の相手を同時に治療することも可能だった。
さすがに複雑な治療をする場合は近距離で発現した方が良いが、単純な傷程度ならば複数人を同時に治療できるというメリットがある。
今の里香では少し離れた場所にいる者を一人だけ治療するのが精一杯だが、『治癒』と呼べるだけの効果が備わってきているように見えた。『瞬速』の習得は遅れているが、『支援型』の『ES能力者』として『治癒』を身に付けつつある。
「あいててて……教官、いくら照れ臭いからって酷いっすよ。顎が割れたらどうするっすか?」
里香の『治癒』を受けた恭介は顎をさすりながら言う。すると、それを聞いた博孝は真顔で頷く。
「ケツ顎になるのか……良かったな恭介、渋く見えるぞ」
「全然良くねえっすよ!?」
恭介がツッコミを入れるが、博孝は取り合わない。しかし、砂原が表情を引き締めて手を打ち合わせたため、生徒全員が雑談を止めて表情を引き締めた。
即座に雑談を止めて真剣な様子へと変わった生徒達を見て、砂原は満足そうに頷く。
「お喋りはここまでだ。俺の様子を心配してくれたようだが、少しばかり“面倒”な事態になっていてな……そら、厄介事が向こうからやってきたぞ」
顎でしゃくる砂原を見て、生徒達は示された方向へと視線を向ける。すると、市原達を先頭に立たせた集団が近づいてきていた。ざっと人数を数えてみるが、博孝達よりも数が多い。
「市原? ということは、あいつらは第七十二期か?」
「お? なんっすか? 殴り込みっすか? 良いっすねえ……俺、そういうの嫌いじゃないっすよ」
「殴り込み? あら、それなら丁寧に“おもてなし”してあげないと駄目ね」
首を傾げる博孝と、どこか感心したような様子の恭介。沙織は『無銘』を包んだ布袋を紐解き、腰に差そうとしている。
「半分正解だ。良いかね、諸君。君達には今から彼ら……第七十二期の訓練生と模擬戦を行ってもらう。言うなれば交流戦だな」
恭介の発言を笑い飛ばそうとした博孝だが、砂原に肯定されてしまう。他の生徒達にとっても予想外の言葉であり、生徒の大半が砂原へと視線を向けた。生徒達の視線を受けた砂原は、どこか申し訳なさそうに頬を掻く。
「“上”からの提案でな。我々第七十一期は彼ら……第七十二期と第七十期の訓練生と戦う」
突然過ぎる話にざわめく生徒達だが、博孝と里香は落ち着いた様子で視線を交わし合う。
「この時期に交流戦? というか、そんな行事は予定されてなかったはずだよな?」
「うん……他の期と戦うなんて話、一度も聞いたことないよ」
“上”からの提案という部分で引っ掛かりを覚えていた博孝だが、とりあえずは現状の把握に努める。
「なお、戦う際の条件として、第七十一期が使用して良いのは汎用技能だけとする」
だが、追加で砂原が口にした言葉で眉を寄せてしまった。
(交流戦と銘打ってるのに、使えるのは汎用技能だけ? ……って、そういえば市原が変なことを聞いてきたことがあったな……あれは今日のことを言ってたのか?)
以前市原から聞かれたことを思い出しつつ、博孝は挙手をする。
「条件はそれだけですか? 戦う場所と勝敗条件は?」
「……交流戦の直前まで諸君らに情報を伏せておくことが条件だった。戦う場所はグラウンドで、全員が戦闘に参加する。勝敗条件は普段通りの模擬戦と一緒だ。全員気絶するか、敗北を認めるかで勝敗を決める」
「あの……なんで汎用技能しか使ったらいけないんですか?」
情報を脳内で整理しつつ、里香が尋ねた。その質問を受けた砂原は、どこか不満そうな様子で腕を組む。
「使用できるES能力の制限も、情報を伏せたのもハンデだ。ついでに言えば、相手の方が人数が多いのもハンデだ。“平均的”な訓練生に合わせて、こちらは汎用技能だけで戦う」
使用できるのは汎用技能のみで、自分達よりも相手の方が人数が多い。勝敗条件や戦う場所を脳内でまとめた里香は、思わず首を傾げてしまった。
「向こうには特殊技能を使える子がいますけど……それもハンデですか?」
「そうだ。彼らの教官から、ハンデがないと戦えんと言われてな」
砂原の口振りから、色々と“やり取り”があったのだろうと里香は判断する。砂原は自分の教え子達の顔を見回すと、真剣な表情で言う。
「諸君らにとっては、突発的に発生した他部隊との演習任務だと思え。正規部隊にいけば他部隊との演習任務も行われる……まあ、今回のように突発的なものはほとんどないがな」
使用できるES能力は制限されるが、突発的な事態に対応する良い訓練になると砂原は思っている。普段の訓練では全力で行うが、他部隊との演習ならば今回のように“条件”が想定されることもあるのだ。
「戦闘は第七十一期全員……つまり、ほぼ大隊規模で行う。指揮官の設定や戦術は諸君らに一任する。自分達で考えるのも一つの訓練だ」
条件を全て話し終え、砂原は口を閉ざした。言葉にした通り、自分達で考えて戦うのは良い経験になる。その点だけは“上”に感謝しても良いだろう。訓練生の時点で大隊同士の演習を体験しておけば、将来の糧になる。
「ふーむ……なるほど、なるほど。交流戦なら“先輩らしく”戦った方がいいですかね?」
砂原の言葉を聞き終えた博孝は、ニヤリと笑いながら尋ねた。その言葉を聞いた砂原は、博孝と同様にニヤリと笑う。
「それも諸君らに一任する……が、無様に負けてみろ。その時は地獄の方が幸せだと思えるような訓練に招待してやる」
「おお、それは怖いですね。まあ、俺達は負けず嫌いが揃っているんで、死にもの狂いで勝ちに行きますよ」
砂原のことだ。負けてしまえば、言葉通り地獄の方が生温いような訓練を行うだろう。それも楽しそうだが、と博孝は思うが、それ以上に後輩相手に負けたいと思えない。
予定にない交流戦。“上”からの提案と聞くと、博孝の脳裏には室町の顔が浮かんでしまう。タイミング的にも、室町の差し金だろう。そこにどんな意図があるかわからないが、室町の話を思い返せばその意図も見えてきそうだ。
(さすがに“あの話”を実感させるためだけとは思えないな……でも、俺達生徒にも利がある話だ。他の期の生徒と戦うのは刺激になるし、自分達が“どんな位置”にいるかもわかる)
普段と違う相手と模擬戦を行うのならば、普段と違った結果になるだろう。得られる経験も、普段のものとは大きく異なるに違いない。
第七十二期の訓練生達は博孝達が使用するグラウンドの境目で待機しており、交流戦の開始を待っているようだ。使用するのは第七十一期と第七十二期が使用するグラウンド二つであり、普段よりも利用できるフィールドが広い。
流れ弾対策か、それとも審判なのか、訓練校の防衛に携わる『ES能力者』や空戦部隊の一個小隊がグラウンドの端に散らばって待機している。
普段の訓練でも“誤射”して建物を破壊しないよう注意しているが、それを防止する人員まで手配されているのなら全力で戦っても問題ないだろう。そんなことを考えつつ、博孝はクラスメート達を一ヶ所に集合させる。
「さて……教官は俺達に戦い方を一任すると言った。最初に決めるべきは指揮官だな。全体の指揮を執るのは誰にする?」
博孝が話を振ると、迷うことなく沙織が言う。
「里香で」
『異議なし』
「えぇっ!?」
沙織の即断に対し、他のクラスメート達が即決する。里香が思わず声を上げるが、クラスメート達は笑顔で首を横に振った。
「岡島さんなら大丈夫でしょ」
「うん、いけるいける。河原崎でもいいけど、この条件なら前に出た方がいいだろ?」
「大丈夫。岡島さんの指揮に文句を付ける奴も、逆らう奴もいないって。逆らった後が怖いし」
第七十一期訓練生でも、大隊規模の指揮が執れる者はほとんどいない。生徒達の意見としては博孝か里香の二択だったが、指揮という一面では里香の方が優秀である。
今回は『通話』が使えないのがネックであり、“以前”の里香ならば無理だった可能性が高いが、その問題は既に克服済みだ。そのため、何の問題もなく託すことができる。
「全体の指揮を里香が執りつつ、各自が小隊規模で行動。前線では俺が指揮を執る……こんなところか」
「相手の前線をぶち抜くなら博孝に任せた方が良いっすね。岡島さんはその間に後方を指揮する、と」
「距離が離れる可能性もあるし、連絡要員が必要ね。『飛行』も『瞬速』も禁止だから、足が速くて頑丈なやつを使いましょうか」
里香を大隊指揮官に据え、博孝達が意見を出し合う。里香は戸惑っていたが、仲間達が誰も止めないため諦めたようにため息を吐いた。
訓練で中隊規模の指揮を執ったことはあるが、大隊規模の指揮など執ったことはない。それでも迷うことなく指揮権を委ねられるのは、クラスメート全員に信頼されているのだろう。そう考えれば、里香としては奮起せざるを得ない。
里香は即座に記憶を辿り、過去に市原達と行った会話を思い出す。
(特殊技能を使える市原君と紫藤さんは注意が必要だけど、他の子は強くても汎用技能が全部使えるぐらいのはず……それなら練度的にわたし達の方が有利。でも、“確実”に勝つにはもう一押しほしい、かな?)
そう考えた里香は、博孝に対してさり気なく視線を向けた。その視線に気付いた博孝は、里香の意図を汲み取って頷く。
汎用技能しか使えずとも、全体的な練度では自分達が有利だ。しかし、それでは“万が一”がある。それを危惧するのは博孝も同意見だった。
そのため、博孝は手を叩いて注目を集めると、力を込めた声を吐き出す。
「いきなりの交流戦……しかも、能力制限に数的にも不利だ。普段通りに戦えば俺達が勝つだろう。それだけの鍛錬をみんなが積んできた……」
静かに、それでいてよく響く声で博孝が言葉を紡ぐ。
「向こうの様子を見る限り、事前に話を聞き、大隊規模での連携訓練も積んできただろう。それは俺達の不利を大きくするものだ……だが、俺はみんなに聞きたい」
一度だけ大きく息を吸い、博孝は仲間達を睨み付ける。
「制限された能力、足りない準備、数の不利……“それだけ”の条件で負けて良いのか? 相手は同じ訓練生だが、俺達よりも訓練期間が半年短い。そんな相手に、ハンデがあるからといって負けて良いのか?」
一人ひとりに語りかけるようにして問いかけ、そして最後に、博孝は口の端を吊り上げて獰猛に笑う。
「俺達がこれまで積み重ねてきたものは、この程度のハンデで覆されるものか? 違うだろう? 午後の実技訓練で、放課後や休日の自主訓練で、俺達は腕を磨いてきた」
笑う博孝に対し、生徒達も似たような笑みを浮かべた。それを見た博孝は、拳を握って前へと突き出す。
「教官の訓練を思い出せ! 無様に負けたら地獄行きだぞ! それが良いならさっさと負けろ! だが、俺達が負けたら教官の顔に泥を塗ることになる! それを肝に銘じろ!」
『応っ!』
「よし、良い返事だ! 全員気合いを入れろ! 相手は後輩だ! 先輩として地力の違いを見せてやれ! 下手を打った奴は後で指をさして笑ってやるぞ!?」
身振り手振りを交え、士気を高めるべく声を張り上げる博孝。それを聞いていた里香は、“予想”よりも盛り上がっている仲間達を見て内心で少しだけ引く。それでも、博孝から話を締めるよう視線を向けられ、静かに言う。
「博孝君の言う通り……わたし達が負けたら教官の顔に泥を塗るし、指導が足りないと思われます。例えハンデがあっても、負けという事実は変わらないから。でも……」
博孝とは対照的に、里香は静かに声をかける。だが、その言葉に込められた感情は博孝と大差ない。博孝のように獰猛に笑うでもなく、里香は信頼が込められた微笑みを仲間達に向けた。
「わたし達は負けない……そうだよね?」
里香らしからぬ、敗北を考えない言葉。それでも、第七十一期の中にその言葉を否定する者はいない。後を引き継ぐようにして、博孝は声を張り上げる。
「さあ行くぞみんな! 里香の言う通り、俺達は負けねえ! 先輩として、後輩共を“教育”するぞ! 楽しんで“交流”しようじゃねえか!」
博孝の言葉を最後に、第七十一期訓練生達は駆け出す。その顔には戦意が溢れており、ハンデに対する不満や不利は感じられない。
「うぅ……思ったよりも、みんながやる気になっちゃった。大丈夫かなぁ……」
こっそりと里香が呟くが、それを聞いている者は誰もいなかった。
市原達が教官から交流戦について知らされたのは、二週間ほど前のことである。第七十一期と第七十三期、つまりは一期上下の先輩後輩と交流戦を行うと聞いた市原は、喜びよりも不安を覚えた。
“以前”の市原ならば、大喜びで戦っただろう。腕試しと称して第七十一期に喧嘩を売りに行った頃ならば、諸手を上げて歓迎していたに違いない。しかし、“先輩”の実力を知った今では遠慮したい事態だ。
教官の話を聞いていると、おかしな点があることも気にかかった。第七十一期は“ハンデ”として汎用技能しか使わず、交流戦があることも知らない。その上、人数はこちらの方が多いという。
だから勝てる――そんな発破を行う教官の目が死んでいるのは、何故なのか。
しかし、教官の異変に気付いた生徒は少なかった。クラスメート達は一期上の先輩など何するものぞ、と気炎を上げ、大隊規模での連携訓練に注力することを誓っている。珍しいことに、放課後に自主訓練まで行うほどだ。
たしかに、多くのハンデがあるのならば一期上の先輩が相手だろうが勝ち目は大きいだろう。“何も知らなければ”、市原も完全に同意していたはずだ。
“現実”が見えていたのは市原や二宮、三場や紫藤、それと彼らを鍛える教官だけである。教官は少しでも勝つ見込みを増やそうと教導に熱を入れ、クラスメート達は交流戦というお祭り騒ぎに熱を上げて訓練に励んだ。
同期の仲間達がこれまで以上に訓練に励んだ点から、交流戦の価値はあるのだろうと市原は思う。しかし、何故相手に博孝達第七十一期訓練生が含まれているのか。
特殊技能が使えないのなら先輩が相手でも勝てるだろう、などと楽観しているクラスメートを発見した時は、頭を開いて中身が存在するのか確かめたくなったほどである。
(特殊技能を使えるってことは、“それだけ”の鍛錬を積んでいるってことなんだよ!)
普段の慇懃さを投げ捨て、市原はその生徒を殴り倒して説教をしたかった。
特殊技能の使用が禁止されるのならば、博孝達も取れる手段が減るだろう――が、それは何の慰めにもならない。減った手段の中で最善を模索するのが博孝達なのだ。模索し、実行し、実現するだけの実力がある点も非常に厄介である。
偵察がてら博孝達のもとに話をしに行った時は、さすがの市原も頭が痛くなった。博孝達の発言もそうだが、その対処が非常に難しかったからである。
(俺が長谷川先輩を止めて、三場を武倉先輩にぶつける……紫藤に河原崎先輩を足止めしてもらって、みらい先輩は二宮に……って、こっち側の指揮官がいなくなるな)
過信でも自惚れでもなく、“客観的”に見て自分達以外で博孝達とまともに戦える生徒がいないと市原は考えていた。普段から自主訓練に参加し、何度も組手や模擬戦を行っているのだ。他の生徒に比べれば、まだ“持ち堪える”ことが可能なはずである。
しかし、自分達が動くと全体の指揮を執れる者がいなくなってしまう。第七十一期には里香や博孝がいるが、第七十二期には大隊規模の指揮を執れる者がいないのだ。それどころか、中隊規模ですら怪しい。
(他の先輩方も侮れませんし……って、粒が揃い過ぎてるんですよ!? どうやって勝てばいいって言うんですか!)
今ならば、ツッコミのために教官に一撃を入れることができそうだ。普段は手も足も出ない相手だが、今なら勝ちすら拾えるかもしれない。
「とりあえず……全員、絶対に油断はしないでください。死にはしませんが、死ぬ思いはしますよ」
博孝達のもとへ向かう前に、市原はクラスメート達にそう声をかけた。クラスメート達はそんな市原の言葉を聞くと、ふてぶてしく笑う。
「おいおい、どうしたんだよ市原? いつも自信満々のお前らしくないぞ?」
「そうだぞ。まさかビビッてんのか?」
野次を飛ばすようにクラスメート達が言うが、市原は傍にいた二宮や三場、紫藤と視線を合わせて頭を横に振った。次いで、その視線を教官へと向ける。
「……教官からも、何か言ってください」
自分達の教官へと市原が話を振ると、教官の男性は一つ咳払いをした。その表情に諦観らしきものが見えるのは、自分達と同じことを考えているのだろうか、などと市原は思う。
「相手は“強敵”だが、君達ならば“勝ち目もある”と信じている。普段の訓練の成果を見せてくれたまえ」
『はいっ!』
励ますように教官が言うと、市原達以外の生徒が元気良く返事をした。励ました教官本人が自分の言葉を信じていないように感じたが、市原達は何も言わない。
(いや……これは逆に考えましょう。俺としても先輩達には自分達の成長を見せたいです。負けて当然とは言いませんが、可能な限り抗ってみせないと……)
教官は、最初から負けることを想定せずに戦えと言いたいのではないか。市原達は『ES寄生体』と戦ったことがあるが、その時も勝てないとは思わなかった。自分達の実力と敵の脅威を秤にかけ、勝てると判断して戦ったのだ。
かつては敵性『ES能力者』――ハリドに不意を打たれ、抵抗する暇もなく腹部を刺されたが、あれはさすがに例外である。戦う以前の問題だった。それに比べれば、戦う状況が整っているのならば勝負になるはずだ。
相手がよく実力を知る博孝達といえど、付け入る隙はあるだろう。市原はそう考え――即座にその考えを放棄した。
(うわぁ……勘弁してほしいぐらいに気合いが入ってますね……)
駆け寄ってくる第七十一期訓練生達を見た市原は、動揺が表に出ないよう注意しながら心中で一人ごちる。
遠目に見ていたが、博孝達は自分達が姿を見せた段階でようやく交流戦について知ったようだ。事前の情報も準備も、心構えさえもなしに交流戦を行うのはどうだろうかと思っていた市原だが、その考えが間違っていたことを悟る。
博孝が身振り手振りを交えて何かを言っていたが、それに合わせて士気が高まっているのが見て取れた。駆け寄ってきた博孝達を見てみると、意気軒昂にして士気旺盛。全員がギラギラとした眼差しを向けてくる。
(後ろで岡島先輩が申し訳なさそうにしている辺り、先輩方は“全力”で襲い掛かってくると見て良いでしょうね……)
里香の様子を見た市原は、軽くアクセルを踏むつもりがベタ踏みで全速力を出してしまったドライバーの姿を幻視した。最悪なのは、加速した車が突っ込んでくるのが自分達だという点だろうか。
それとなく市原はクラスメート達の様子を窺うが、余裕の態度を崩していない。それが実力に裏打ちされたものならば市原も安心できるのだが、張子の虎にしか見えなかった。
(くぅっ……昔の自分を見ているようで、居心地が悪すぎる……)
第七十一期へ喧嘩を売りに行き、返り討ちに遭った記憶が市原の脳裏に甦る。すると、そんな市原を落ち着かせるためか、二宮が市原の肩に手を置いた。
「落ち着いて、市原。あなたが取り乱していたら、みんなが崩れるわ……」
優しく、諭すように二宮が言う。『支援型』でありながら接近戦を好むというアンバランスな彼女だが、この時ばかりは二宮の言葉に救われた気持ちになる市原だった。
「……そう言いつつ、肩に置いた手が震えているのは何故でしょう?」
もっとも、その気持ちは即座に霧散してしまう。何故なら、二宮の手が異常なほどに震えていたからだ。
「決まっているでしょう……怖いからよ」
胸を張って情けないことを言う二宮だが、その心境は市原としても理解できた。視線すら合わせたくないのか、二宮は地面を見つめている。博孝達と視線を合わせれば、交流戦で真っ先に狙われそうだ。
動物は視線を合わせると襲ってくるんだっけ、と現実から逃げるように考えながら市原は遠くに視線を向ける。
空は雲一つなく晴れ、綺麗に澄み渡っていた。夏が近づいてきているのか、日差しには温かさを超えた熱が含まれているように感じる。『ES能力者』になったことで外出の自由が制限されているが、海にでも行きたい気分だ。
「準備が整ったようですな」
「ええ。それではそろそろ始めましょうか」
このまま逃げたいなぁ、などと夢想していた市原はその声で現実に引き戻された。砂原と第七十二期の教官が言葉を交わし、生徒達に視線を向ける。
「それでは、これより第七十一期と第七十二期の交流戦を行う。“普通”は実施されないが、良い機会だと思ってお互いに少しでも大隊規模同士での戦闘について学ぶように」
「俺と砂原軍曹が審判を務める。普段の訓練同様、相手を殺傷する威力のES能力は使用禁止だ。危険な場合は割って入るからな?」
続けて、砂原達は最後の確認を行っていく。砂原が博孝達へと視線を向け、念を押すようにして言う。
「お前達が使うのは汎用技能だけだ。ただし、“全力”でやれ。良いな?」
「了解です」
第七十一期を代表して博孝が頷く。砂原も頷き返すと、不意に視線を移動させる。
「交流戦として第七十期とも戦う予定だが……向こうもこちらの様子が気になるようだな」
そんな言葉を聞いた生徒達は、砂原が視線を向けている方向へと振り返った。
観察か、それとも偵察が目的なのか、グラウンドの端に第七十期と思わしき生徒達が陣取っている。“流れ弾”を対処する『ES能力者』の背後に控え、探るような視線を向けてきた。
第七十一期と第七十二期が戦った後に交流戦を行う予定であり、少しでも情報を集めるつもりなのだろう。事前に戦う相手の情報を集めるのは常道だ。
砂原は何か気に入らないことでもあるのか、鼻を鳴らしてから生徒達へと向き直る。
「それでは、互いに百メートルほど距離を取ってから交流戦を開始する。上空に『射撃』を撃つので、それを開始の合図にしろ。『通話』でも指示を出すが、聞き漏らすな」
砂原が言うと、第七十一期と第七十二期の生徒達が二手に分かれて距離を取った。
周囲の状態を確認し、“流れ弾”を対処する人員にも不備がないことを砂原が確認する。そして砂原は右手を上げ、発現した光弾を上空へ向かって発射した。速度を落とした光弾は緩やかに上昇し、百メートルほど上がると音を立てて炸裂する。
『交流戦――開始!』
砂原の声を合図として、第七十一期と第七十二期の交流戦がスタートするのだった。