第百三十三話:興味 その2
「突然時間を取ってもらってすまないな。気兼ねなく席に座ってくれたまえ」
「はぁ……では、失礼して」
室町からの言葉を聞き、博孝は近くにあったソファーへと腰を下ろす。そして、そんな博孝の背後には無表情の砂原が立っていた。
現在博孝達がいるのは、日本ES戦闘部隊監督部が所有するビルの中でも応接用に用意された部屋の一つである。室町から話をしたいと言われ、応接室を利用することにしたのだ。
室町は博孝と一人で話をしたかったようだが、“監督”という名目で砂原が付き添っている。『河原崎兄が閣下に失礼なことを言わないか、監督するためです』とは砂原の言だが、室町も博孝もそれを信じてはいない。
室町としても砂原がついてくるのは予定の範疇だったのだろう。砂原の言葉を聞くと、苦笑しながら許可を出した。
「砂原軍曹も座りたまえ。なに、これはただの世間話と思ってくれて良い。互いに“立場”がある身だが、無礼講といこうじゃないか」
「……いえ、小官はこのままで結構です」
ソファーに腰をかけた室町が着席を促すが、砂原はそれを固辞した。“上官”の申し出を断るのは失礼なことだが、それを察した博孝がおどけるように笑う。
「俺がアホなことを言ったら、叩いて止めるためですよ。ほら、今なら俺の頭が叩きやすい位置にあるでしょう?」
博孝の背後に立っている砂原からすれば、手を伸ばすだけで博孝の頭に届く。砂原がこの場についてきた理由と絡め、『これは仕方ないことなのだ』とアピールした。
室町はそんな博孝の言葉と表情を前に、僅かに目を細める。それは観察するような視線だったが、博孝は敢えてその視線に気付かない振りをした。
「それで、俺と話したいことってなんでしょう? 一応、馬場先生と話をする先約があるんですが……」
「ああ、そちらは気にしなくても良いだろう。『ES寄生進化体』を捕獲した場にいた、君以外の『ES能力者』が全員いるんだ。さすがの馬場君でも、全員から話を聞くには時間がかかる」
博孝は抜けてしまったが、他の四人については目を輝かせた馬場が連れて行ってしまった。その監督役として源次郎が同行しているが、そんな暇があるのかと博孝は少しだけ不思議に思う。しかし、久しぶりに会った孫娘と一緒にいたいだけだろうと判断した。
室町とテーブルを挟んで向かい合った博孝は、テーブルの上に置かれた缶コーヒーを手に取る。話をすると聞き、自販機で購入したものだ。プルタブを空けて一口コーヒーを飲むと、博孝は室町の瞳を真正面から見返す。
相手は“上”の重鎮にして、大将という肩書を持つ室町だ。自分程度の腹芸は通じまいと考え、博孝は真正面から斬り込むことにした。
「最初にはっきりと聞いておきたいんですが……ご用件はなんでしょうか? 自分のような一介の訓練生を相手に、わざわざ閣下が話をしにくる理由がわかりません」
博孝が最初に開示を求めたのは、室町の目的である。今回の表彰に関することかもしれないが、それならば博孝一人を選ぶ理由はない。表彰に参加した全員を呼んで話をするだろう。
疑問をぶつける博孝だが、室町は何故か笑みを浮かべている。まるで出来の良い冗談を聞いたとでも言わんばかりの表情だった。
「一介の訓練生、か……君は面白いことを言うな」
くつくつと堪えるように笑い、室町が呟く。博孝としては色々と気になる反応だが、何かを問うよりも先に室町が口を開いた。
「河原崎博孝。十一月二十二日生まれで現在十七歳。家族構成は両親と“義妹”が一人。幼少の頃から『ES能力者』……特に『飛行』で空を飛ぶことに興味を示す。十五歳になって受けたES適性検査で『進化の種』に適合し、第七十一期訓練生として訓練校へ入校」
詩を諳んじるような口調で話し、室町は博孝との間を隔てるテーブルを指で叩く。
「入校から半年経ってもES能力を発現できず、初めての任務で重傷を負う。だが、その際独自技能となる『活性化』を発現。それまでの停滞が嘘のように成長し、第七十一期訓練生の中でもトップクラスの成績を保持するに至る」
そう言いつつ、室町は博孝から視線を外さない。その眼差しは観察するようであり、値踏みするようであり、室町自身の意図を悟らせない。
「訓練生でありながら、『ES寄生体』どころか『ES寄生進化体』を撃破、捕獲する技量を持つ。さらには、指名手配されていた敵性『ES能力者』すらも倒す。三ヶ月ほど前に第二指定都市で発生した戦いにおいては、独自技能保持者と交戦した後に三名の敵性『ES能力者』を撃破。これは、君の言う“一介の訓練生”とやらができることかね?」
「……よく、御存知で」
資料を読み上げるような言葉だったが、博孝にできたのは自分自身の情報を肯定することだけだ。室町が話した内容は全て事実であり、頷くことしかできない。
だが、だからこそわからなかった。室町は“上”の人間であり、名目上は日本ES戦闘部隊監督部の上位組織に当たる。そのため訓練生である博孝の情報を知っていてもおかしくはないが、家族構成や入校からの現在に至るまでの全てを知る必要はない。
「ああ、君のことは“よく知っている”」
博孝が警戒するような眼差しを向けると、室町は感情を窺わせない声で答えた。そんな室町に対し、博孝は肩を竦めながらコーヒーを口にする。
「それはなんとも光栄なことです」
平静を装い、博孝はコーヒーで唇を湿らせた。大将という地位に就く者が、自分のことをよく知っていると言う――が、それは“どうでもいい”。問題は、室町がそれを口に出していることだ。
――お前のことをよく知っている。
それほど面識のない人間からこんなことを言われれば、警戒しない人間はいないだろう。博孝としても警戒せざるを得ないが、博孝の様子を見た室町は小さく笑った。
「砂原軍曹。君の教え子に対する錬成の手腕には一目置いているが、どうやら足りないものがあるようだな。そして、それは君も持つ“欠点”だ」
「……浅学非才の身の上なれば、納得のいく教えを施すことも出来ぬ有様でして。差支えなければ、“足りないもの”をご教授いただきたいものです」
室町の言葉を聞き、砂原としても興味を惹かれたのだろう。砂原は自分自身のことを教官として優れているとは思っておらず――砂原の返答に、室町は笑みを深めた。
「“ソレ”だよ」
「……ソレ、とは?」
さすがの砂原でも室町の意図が理解できず、そのまま尋ね返す。ソレと言われても、理解ができないのだ。
「軍曹、君は非常に優れた『ES能力者』だ。『穿孔』とあだ名される戦闘能力、『万能型』と呼ぶに相応しい万能性、『収束』という新たなES能力を生み出す技量。私は『ES能力者』ではないが、データだけでも君が非常に優れた『ES能力者』だと断言できる」
話の矛先が砂原に向くが、視線だけは博孝から外れていない。視線を博孝に固定したままで、室町は話を続ける。
「攻撃や防御、支援だけではない。指揮を執っても一流であり、部下の錬成という分野でも優れている。すべての面において高い技量を持ち合わせた君は、『武神』殿にも迫るほどの『ES能力者』だ。実際のところ、君は長谷川中将と戦っても勝てはせずとも負けもしない。状況によっては長谷川中将を退けるだろう」
「買い被りですな。長谷川中将閣下は『武神』と呼ばれるに相応しいお方です。小官では一つ二つ傷をつけるのが限界でしょう」
室町からの称賛に近い言葉を聞いた砂原だが、本人はそれを否定した。しかし、室町は楽しげに口の端を吊り上げると、博孝から視線を外して砂原と目を合わせる。
「謙遜も過ぎれば嫌味だぞ? 君の言う傷は、ただの傷ではない。『穿孔』と呼ばれるに相応しい致命傷だ。凡百の『ES能力者』ならばともかく、君にはそれを成し得るだけの力がある」
「……さて、試したことがないので何とも返答できかねますな」
砂原は回答をはぐらかしつつ、室町の瞳を見返した。室町は砂原と視線をぶつけ合っていたが、笑みを一つ残して再び博孝へと向き直る。
「それならば、教え子である河原崎君に聞こうか。どうだね? 砂原軍曹ならば長谷川中将に勝てると思うかね?」
どのような意図を持って質問しているのか。博孝はそれを思考しつつ、砂原と同様に話の矛先を受け流すことにした。
「判断が難しいと言いますか……俺はそれを判断できるレベルじゃないんですよね。長谷川中将が戦うところを見たこともないですし」
「おっと、それもそうだ。見たことのないものを判断することはできないな」
博孝の返答を聞いた室町は、何故か楽しげだ。そんな室町の様子に博孝が警戒を強めていると、室町は表情から笑みを消す。
「だが、他人のことはともかく、自分自身のことは理解しやすいだろう? もっとも、それこそが君や砂原軍曹に“欠けているもの”だが」
「……どういうことでしょうか?」
断じるように言われ、博孝は身構えながら尋ねる。砂原は表情を変えなかったが、室町の言葉が気になったのか、気配が僅かに揺らいだのを博孝は背中で感じた。
室町は自分用に購入した缶コーヒーのプルタブを開けると、一口飲んでからテーブルの上に置く。そして、感情が読めない瞳を博孝に向けた。
「私は先ほど君のプロフィールを述べたが、何か間違っている部分はあったかね?」
「……いえ」
室町が話したことは、全て事実だ。博孝自身がどう思っていようとも、事実は変えられない。“客観的”に語られた情報だが、博孝には否定できる要素はなかった。
「それならば、逆に尋ねようか。君は、自分が我々防衛省の人間に軽視される立場にあると思っているのかね?」
そう言いつつ、室町は右手の指を二本立てる。
「訓練校に入校して、まだ二年だ。君は二年間で独自技能を発現し、『飛行』を習得し、敵性『ES能力者』や『ES寄生体』、『ES寄生進化体』と戦い、生き抜いてきた。その成長力は異常と言えるだろう」
淡々と、自明の理を語るように室町は言う。その瞳には、“何故か”憐れむような色が混ざっていた。
「君や砂原軍曹に欠けているのは、他人が自分をどう見るか……自分自身を客観的に見る力が足りないのだ。君の年齢でそれほどの技量を持ち、なおかつ世界でも一人しか発現できない『独自技能』を持つ。それがどれほどのことか、本当にわかっているのかね?」
「しかし、俺は――」
「自分のことをわかっている……そう言いたいのかね? ならば、何故君は先ほど私のことを警戒した? 君にとっては警戒すべきことなのかもしれんが、我々“上”の人間からすれば君の反応の方が解せない」
そう言う室町は、本当に不思議なのだろう。僅かに首を傾げ、博孝の反応を見ている。
「それほど知らない人間から自分のことを詳しく話されれば、たしかに警戒するべきだろう。しかし、君は私のことを知らずとも、私は君のことを知り得る立場にある。君が持つ警戒心は当然のものかもしれないが、いささか“ズレている”な」
室町はそこまで言うと、今度は砂原へ視線を向けた。
「砂原軍曹、君もだ。君の場合は自分を過小評価している。過大評価するよりはマシだが、君ほどの力を持つ者が“無駄に”謙遜しているのはただの嫌味にしかならん。もっと自分に対して正当な評価を下したまえ」
「……ご忠告、痛み入ります」
固い声色で返答する砂原。それを聞いた室町は、今度は苦笑を浮かべた。
「考えてもみたまえ。君はあの『武神』殿が『零戦』の部隊長に据えようとしたのだぞ? それに、部下の教導に自信を持っていないようだが、君の元部下達はほとんどが隊長職についている……まあ、少しばかり“泣き言”を言う者がいるのは事実のようだが」
苦笑を深めながら付け足された言葉だが、それこそが砂原にとっては気になる点だった。教導に優れた者ならば、“泣き言”を言わせることもなく部下を鍛えられたはずだ、と。
自分が行ったのは、鍛えに鍛え抜き、どんな事態だろうと笑って乗り越えられるよう“実戦よりも厳しい訓練”を課しただけだ。
「自分が周囲にどう見られているか、それを理解したまえ。私も他人のことは言えんが、自分のことを一番知っているのは“自分ではない”ことも有り得る。他人に指摘されなければ見えないことも多い」
そう言って室町が視線を向けたのは、博孝である。博孝は室町の言葉を聞くと、痛いところを突かれた気分になった。
(俺と里香のやり取りを知っているわけでもないだろうに……)
室町の言葉は、思い悩む里香に対して博孝自身がかけた言葉と似ている。それを室町から投げかけられるとは思わず、博孝は沈黙してしまった。それでも博孝は無理矢理苦笑を浮かべると、頬を掻きながら口を開く。
「自分のことも客観的に見るよう注意していたんですがね……ご指導いただきありがとうございます」
「なに、私は普通の人間だが……だからこそ見えるものもある。それに、君のことは第七ES戦闘大隊からの報告書でも取り上げられていてな。君の小隊を率いた曹長からの所感だが、『訓練生とは思えない技量を持つが、感性がズレている』だそうだ」
どこかからかうような響きを含んだ声に、博孝は苦笑を深めてしまう。室町だけでなく、先日の任務で協力し合った曹長からも“おかしい”と思われたようだ。
そうやって苦笑する博孝の背後、『休め』の姿勢で待機していた砂原は、室町の意図が読めずに内心で首を傾げる。
(河原崎と話をしたいと聞いた時は警戒したが、指導を行うためだったのか?)
室町が声をかけてきた時は一体何事かと思った砂原だが、話だけを聞けば“指導”に近い。砂原自身に対しても話を振られたが、『自己に対する評価を正当なものにしろ』というのはアドバイスだ。
過大評価をしろというわけでもなく、正しい自己評価を行えと室町は言う。それ自体は砂原としても頷ける話であり、否定する必要もない話だ。少しばかり耳に痛い話だが、大将という地位に就く室町が過小評価をしていると言うのならば、そうなのだろうとも思う。
――だが、わざわざそれを告げる理由は?
室町とて、善意から“指導”を行おうと思ったのかもしれない。表彰式で顔を合わせたから、話してみようと思っただけかもしれない。しかし、砂原からすればそれ以外の意図があるように思えた。
そしてそれは、博孝も同じくする思いである。室町の話自体は、なるほど、自分自身にも当てはまる。里香に対して行った話が、自分自身にも該当していたということだ。
そうやって思考する博孝だが、室町はそんな考えを見透かしたように話を続けた。
「少しは納得してもらえたかね? そして……ここからが本題だ」
本題と聞き、博孝は無意識のうちに姿勢を正す。今までの話はただの前座だったのだろう。そう考えた博孝だが、視線を向けた室町の表情はこれまでとは異なり、どこか戸惑うような色が浮かんでいた。
「今までの話から、君が防衛省の上層部に注目されてもおかしくないとわかっただろう。しかし、私は前々から一つの疑問を持っていてね。それを聞くためにこの場を設けたんだ」
「疑問……ですか?」
一体どんな疑問だろうか。室町からぶつけられるであろう疑問の内容がわからず、博孝は警戒の色を濃くした。そんな博孝を見て、室町は苦笑を浮かべる。
「ああ、そんなに身構えるようなものではない。ただ、君は何故そこまで強くなったのか、と思ってね」
苦笑を浮かべたままで缶コーヒーを飲み、室町は言葉を紡ぐ。
「『ES能力者』に限らず、人間だろうと鍛えなければ強くはなれない。それはどのような分野でもそうだろう。努力なくして大成せず、だ。例え君が独自技能保持者だろうと、相応の努力がなければ今の実力は身につかない」
「……毎日必死に訓練をしていたら、自然とこうなっていましたが?」
努力をしたかと聞かれれば、博孝としては頷かざるを得ない。訓練量は第七十一期訓練生の中でもトップクラスだという自負がある――が、所詮は“トップクラス”でしかない。少なくとも、沙織は同等以上の訓練を行っている。
もっとも、室町が聞きたいのはそんな言葉ではないだろう。博孝はそう考え、室町は肯定するように言葉を続けた。
「その“必死に訓練をする”理由がわからないのさ。入校前の君は空を飛びたいと考えていたようだが、『飛行』を習得した後にも訓練量が落ちていない。それは何故かね?」
そう尋ね、室町はコーヒー缶をテーブルに置いた。コトリという音が、やけに響いて聞こえる。
「君の技量は既に訓練生のレベルを超えている。それどころか、独自技能や『飛行』を発現できる点を踏まえれば、『ES能力者』の中でも上位に入るだろう。砂原軍曹が鍛えているからこそ自分の技量を低くみているようだが、客観的に見れば君の技量も十分高い」
「それはまた……大層な評価をいただいているようで恐縮です」
「事実を述べているだけだよ。実戦経験もある点から、今すぐ正規部隊に配属されても問題ないと思っている。もちろん、“今すぐ”正規部隊で活躍してもらうつもりはないがね」
言いつつ、テーブル越しに博孝を見る室町の表情は真剣だ。
「優秀な訓練生が育つことは非常に喜ばしい。砂原軍曹が鍛えている第七十一期訓練生は例年の訓練生よりも遥かに優秀であり、民間人の安全を確保するために現場の部隊を酷使している我々上層部としては、諸手を挙げて喜ぶべき話だ」
『ES能力者』を管理しているのは日本ES戦闘部隊監督部だが、室町が所属するのはその上位組織だ。室町が管理しているのは対ES戦闘部隊や普通の兵士であり、“部下”達の助けにもなる優秀な『ES能力者』が増えることは喜ばしい。
しかし、と言葉をつなぎ、室町は視線を鋭くした。
「――君は優秀過ぎる。それだけの技量を得た努力、才能は素晴らしいと思うが、今に至るに足る“理由”が私には見えないのだよ」
才能のある訓練生――それは歓迎すべきだろう。
努力する訓練生――それは称賛すべきだろう。
だが、それにも限度があると室町は言う。
「君は、その力を一体何に使うというのかね?」
疑問を込めて尋ねる室町に対し、博孝は質問を頭の中で転がす。
室町の言う通り、『ES能力者』になりたかったのは『飛行』で空を飛んでみたかったからだ。しかしそれは、幼い子供が抱く“憧れ”に近い。『飛行』を発現し、それなりに飛び回れるようになった以上、これまで通りの努力を続ける必要はない――かも、しれない。
「――“大切な人”を守るためです」
だが、博孝には理由があるのだ。
室町は博孝の力が訓練生の枠に収まらないというが、博孝からすれば言えることは一つである。
――それがどうした?
ハリドに襲われ、ラプターに敗北し、さらには“問題”が起きる度に怪我を負う日々だ。博孝からすれば、自分の技量を客観的に見たとしても言えることは一つしかない。
「たしかに、昔よりは強くなったのかもしれません。たしかに、他の訓練生よりも強くなったのかもしれません……でも、それだけなんです。今の俺では守れるものも守れなくて、教官たちに守られるだけです」
室町を真っ向から見返し、博孝は言う。
「今のままだと、自分を守ることすらできません。他の人を、大切な人を守ることもできません。だからこそ俺は訓練を頑張りますし、少しでも強くなろうと足掻きます」
室町が何を思って質問をしてきたのかも、博孝にはわからない。しかし、何故かと問われれば答えは一つしかないのだ。
「困っているすべての人を救いたいなんて言いません。でも、せめて自分の手が届くのなら助けたい。俺が強くなろうとする理由なんて、それだけですよ」
「ふむ……金や地位、名誉は必要ないと?」
室町が向けてくる視線の色が、僅かに変わる。博孝はそれに気づかず、首を横に振った。
「あるに越したことはないですが、そういうものは自然とついてくることもあるんじゃないですか? 少なくとも、理由として真っ先に挙げることはないですよ」
ただでさえ『ES能力者』は高給取りだ。正規部隊員になり、任務をこなすだけで金が貯まる。地位や名誉も、真面目に任務を行っていけば自然と身につくだろう。
「では、例えば――“『ES能力者』である君が敵わないような相手”でも立ち向かうと?」
「自分が勝てないような相手と既に何度か戦っているんですが……逃げられない状況なら立ち向かいますよ」
室町の言葉に少しだけ違和感を覚えた博孝だが、肯定するために頷いた。
「そうか……最後の質問だが、君が守りたいのは自分にとって大切な人だけか? 無辜の人々や自らが生まれ育ったこの国を守ろうと思わず、君の手が届かない場所から助けを求められてもそのまま見殺しにするか?」
そう言いながら室町が向けてくる視線は、今までで一番強い光を放っている。室町としては最も重要なことなのか、声に熱がこもっていた。
博孝は視線を彷徨わせながら思考すると、苦笑しながら首を横に振る。
「さっき自分で言ったことを否定するようで申し訳ないですが、多少手が届かないぐらいなら無理矢理伸ばしてでも届くようにします。そうですね……さっきの答えに付け足しますが、俺が訓練をしているのは“この両腕”を少しでも遠くまで伸ばせるようにするためです。そうすれば、より多くの人が守れるでしょう?」
そう言って博孝は両手を伸ばし、苦笑していた顔を不敵なものへと変えた。その返答を聞いた室町はしばらく沈黙していたが、数十秒経ってから笑顔を浮かべる。
「……わかった。正規部隊員の中には『ES能力者』であること“だけで”満足する者も多いが、君には向上心と信念があるようだ。君のその姿勢には敬意を表したいと思う」
「えーっと……その、ありがとうございます」
博孝が思わず言いよどんだのは、室町の笑顔がそれまでとは違う種類のものだったからだ。何が室町の表情を変えたのかわからないが、博孝に対して本当に敬意を持ったように笑っている。
博孝としては室町の質問に答えただけだが、室町としては納得できるだけの“理由”があるのだろう。室町は冷めてしまった缶コーヒーを傾け、砂原へ視線を向ける。
「砂原軍曹、君ならば言うまでもないことだが、残り一年の教練をしっかりと頼む。河原崎君もここまで言ったのだ。どんな“教育”だろうと、我が物とするだろう」
「そうですな……では、死なない程度に鍛え抜きましょう」
室町の言葉に頷き返す砂原。室町の意図は“最後まで”読めなかったが、これ以上の用件はないのだろう。
「それでは閣下、そろそろ……」
「ああ。時間を取らせて済まなかったな」
砂原が退室の許可を求めると、室町はあっさりと許可を出す。博孝は砂原に促されて席を立ち、応接室から外に出て――。
「河原崎君、君の今後の“成長”に期待するよ」
そんな声が最後に聞こえ、扉が閉まるのだった。
博孝と砂原が去った応接室に一人で残った室町は、残っていた缶コーヒーの中身を一気に飲み干す。そして懐から携帯電話を取り出すと、番号を直接打ち込んで発信した。
「……ああ、私だ。“予定”が片付いたので今から戻る」
相手が電話口に出るなり、室町は一方的に用件を告げる。飲んだコーヒーが原因か、それとも別の理由か、その表情は苦く歪んでいた。
『――――?』
「もちろんだ。“約束”は守っている。“君達”の言う通り、“余計なこと”は言っていない。“神輿”を作る準備をしただけだ」
電話口からの囁くような声にそう答え、室町は通話を切る。続いてソファーの背もたれに背を預けると、天井を見上げて深々とため息を吐く。
「さて、“賭け”はどう転ぶか……」
疲れを含んだその声は、室町以外いない部屋の中に溶けて消えた。